『例の部屋』から始まるTS偽いあちゃんとゆかりさんの話   作:Sfon

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いざ、アイドルの世界へ(3)

 ご飯を済ませた後は、いよいよ事務所へ挨拶に向かう。

 事務所は港区青山の一角にあった。表参道駅を降り、案内されて歩くこと数分で目的地についたらしい。慣れた足取りでゆかりさんが入っていったのは、見上げるほどに高いガラス張りのビルだ。

 本当に申し訳ないことだが、てっきりもっと小規模な事務所に所属しているんだと思っていた。ゆかりさんについていくのは確定事項だったからあまり詳しいことを聞き出そうとはしていなかったけれど、「一人だと厳しい」とか言っていたから、ペンシルビルの一角とか、そんな感じの事務所だと思っていた。

「一応大手ですから」

 前を歩くゆかりさんはちょっと誇らしげだ。こんなに立派なビルに入っている事務所なら、さぞかし有名なんだろう。名前は聞いたけれど、正直聞いたことがなかったのでちょっと不安ではあったから、安心できたのはいいことだ。たぶん、会社の名前とかは私が前にいた世界とはそれなりに変わっているのだろう。

「でも、ゆかりさん一人だって言ってなかったっけ」

「それはグループの話ですね。初音ミクを筆頭としたグループと、現在私だけのグループがあるんですよ。どちらも同じ事務所ではあるんですけどね」

 どうして同じ事務所なのに、そんな微妙な分け方なんだろう。この間雑誌をパッと見た感じでは初音ミクグループは少なくとも6人くらいいて、ゆかりさんの方が一人というのはバランスが悪いように思える。それなら3人と4人とかが活動しやすそうに思えるけど。

「なんでまた、そんな分け方になってるの?」

「あちらは選抜アーティストで活動当初から歌が中心ですけど、私の方はもともとナレーションしていたところから派生して歌手をしてますから。なので、あちらが正統派でこちらが変わりものみたいになるのかもしれません」

「じゃあいあは変わり者になるってこと?」

「違います?」

「まぁ、違わないけど……」

 ちょっとツッコミを入れてみたら、案外真面目なトーンで返ってきて動揺してしまった。でもその反応を見てゆかりさんが笑ってくれたから、なんだ、冗談なんだって、思わず一緒に笑ってしまう。すごく生真面目な人だと思っていたけど、面白いことも言えるんだなって。

「冗談ですよ。私一人だとライブに限界が出てきたので、幅を出さないとってことになったんです。私は王道の『歌手』としてブランディングされているんですが、『アイドルっぽい人も欲しいよねぇ』ってプロデューサーが言ってまして」

「なるほど。じゃあ、女の子らしく可愛い可愛いアイドルにならなきゃだね」

「体を壊さない範囲で、ですけどね」

「ありがと」

 これは結構、気合を入れて頑張る甲斐がありそうだ。目指すは日本一のアイドル! なんてね。

 

 ビルに入り、一階の受付でゲストパスを貰って、エレベーターで20階まで昇った。知らない人と会うから緊張しているのもあるし、ゆかりさんが本当にその事務所に所属しているんだなって実感できて、ちょっとすごい人に見えてきたというのもある。

 エレベーターに乗っている間、ゆかりさんは私のカチコチに固まった表情に気づいたみたいで、頬を両手でムニムニさすってくれた。急なボディタッチに別の方向で固まってしまうけど、恥ずかしさで緊張はどこかに飛んで行ってしまった。

「そんなに緊張しなくてもいいですよ。いあちゃんのことは事前に伝えてありますし、変な話、見た目さえよければ優しくしてくれると思います」

 ちょっとひどい物言いが面白くて、思わず笑ってしまう。それだけゆかりさんとプロデューサーさんの仲が良いってことなんだろうけれど。

「ふふっ、何それ、そんなこと言っていいの?」

「うちのプロデューサーは極端な面食いですからねぇ……。あ、女の人ですから安心していいですよ?」

 ちょっと呆れたような、しょうがないみたいな、苦笑を浮かべたゆかりさん。よほどそのプロデューサーさんには苦労しているみたいだ。

「でも、女同士でも結婚できるんでしょ?」

「まあ、そうですけど、プロデューサーにとっての私たちは大切な稼ぎ頭ですし。さすがに手を出したりはしないと思いますよ」

 そういうものかなぁ、なんてちょっと納得したら、ちょうど目的の階についた。ゆかりさんは私の頭をポンポンと撫でてから、私を先導してビルのなかを進んでいく。なんだか随分と子ども扱いをされている気がしてきた。確かにゆかりさんよりはちょっと背が小さいし、顔立ちも幼いかもしれないけれど、中身はしっかりしているつもりなんだけどなぁ。

 エレベーターを降りると、すぐに事務所のエントランスがお出迎えしてくれた。今までにリリースされたであろうCDがずらっと並んでいたり、たくさん写真が飾ってあったり、なんともそれらしい雰囲気がある。

 ゆかりさんに先導されてオフィス脇の廊下を進み、そのまま会議室に案内される。ゆかりさんがドアを軽くノックすると、中から元気そうな女の人の返事が返ってきた。

「お疲れ様です」

「おつかれー。あっ! その子が例のいあちゃん⁉ 写真で見るより数倍可愛いじゃーん」

 思った数倍勢いのいい彼女がゆかりさんのプロデューサーさんなんだろう。黒いパンツルックのスーツを着ていてポニーテールに髪をまとめている彼女は、はつらつとした印象がある。それに、身振りの一つ一つがとっても元気だ。まるで女子高生みたいだな、なんて。

「どうも、いあです。よろしくお願いします」

「よろしくー! うん、採用!」

 いや、そんなんでいいのかと思ってしまうけれど、「見た目さえよければとりあえずモデルにはなれるし、良し!」なんて言われてしまった。そんなプロデューサーさんをゆかりさんは案の定呆れた目で見ている。

「一応ですけど、普通は無理ですからね。いあちゃんの見た目がそれだけずば抜け過ぎているからってだけですから」

「まぁ、歌とダンスはこの後みっちり練習してもらうから、そこだけ覚悟かなぁ。ということで、よろしく!」

 ジト目のゆかりさんと元気いっぱい満面の笑みのプロデューサーさん。完璧に対照的な表情だ。これにはさすがに困惑せざるを得ない。

「は、はぁ、よろしくお願いします」

 それからお互いに挨拶を改めてして、書類関係をゆかりさんと一緒にこなすこと2時間。何度やってもこういう書類仕事は面倒だけど、今回は契約内容とか結構重要だろうし、まともに内容を読んで納得したうえでの契約だからしょうがない。

 プロデューサーさんにもずっと付き合ってもらい、最後のサインをしたときにはみんな一斉に大きく息を吐いてしまって、思わず顔を見合わせた。これが仕事と言っても過言でないプロデューサーさんでも、やっぱり疲れるものは疲れるみたいだ。

 ところで、今の私の名前は『結月いあ』なわけで当然契約書のサインにもそう書いたわけだけど、それがなんとも感慨深かった。だって、なんか知らないうちに一番好きな人の苗字が自分の苗字になってるんだよ?

 それに気づいてゆかりさんのことをチラッと見たらちょっと微笑んでくれて、きっとわかってくれたんだろうなぁ。本当は長い月日をかけてお互いのことを知っていって、それから誓いを交わしたかったけど……。

 その分これからゆかりさんのことをいっぱい知っていきたいな。ゆかりさんに私のことを知られるのはちょっと微妙な気分だけど。どちらかといえばゆかりさんにいっぱい教えてもらいたいというか。

 なんて自分の世界に入っていたら、ゆかりさんに肩をポンポンと叩かれてしまった。ハッと気づくと、ゆかりさんもプロデューサーさんも私のことを見ている。

「あ、今後の話をしてもいい?」

 プロデューサーさん、すみません。

 

 今後の予定、つまり宣材写真の撮影やダンスレッスン、ボイストレーニングの日程を決めて、今日の事務所の作業は終わった。ゆかりさんは初音ミクなどにも挨拶をしようと思っていたらしいけれど、今日はスタッフ以外事務所に誰もいないらしい。

 基本的にお仕事は現場に直行するようで、そもそもこの事務所に来ること自体がそれほど多くないそうだ。

「じゃあ、この後私はお仕事に行きますけど、ついてきてもらえますか? 現場の雰囲気とか早めに慣れた方がいいかなと思うんですけど」

 もちろんついていくって即答した。ゆかりさんのライブを見ない理由なんて一つもない。プロデューサーさんと一緒にタクシーに乗って会場に向かう間、どんな感じなのかあれこれ質問していたら「一応ですけど、お仕事ですからね?」ってゆかりさんから釘を刺されてしまった。

 そんなに楽しそうにしていたのかと聞いたら二人共から苦笑が返ってきたくらいには、分かりやすく興奮してしまっていたらしい。でもまあ、しょうがないよね。あのゆかりさんの生ライブなんだから。

 

 向かったのは代官山にあるライブハウスだ。会場の入り口ではスタッフさんがお出迎えしてくれて、三人で会場の中に入っていく。階段を下りて地下3階に向かい、従業員専用の扉をいくつかくぐって着いたのは控室だ。

 鏡が電球に囲まれているメイク台が4つ並んでいて、なんだか芸能人みたいだなんて思ってしまうけど、ゆかりさんは実際芸能人なんだって思い出す。奥にあるドアからは何やら音楽が聞こえてくるけど、リハーサルが行われているんだろうか。

 いろいろ聞きたいことはいっぱいあるけれど、プロデューサーさんもゆかりさんもスタッフさんと話していて流石に話しかけられる雰囲気ではない。ソファーに座ってぼんやりあたりを眺めていたら、不意に声を掛けられた。

「これからリハーサルですけど、見ていきますか?」

 ゆかりさんからのお誘いに即答で「もちろん!」と返し、プロデューサーさんとも一緒に奥の扉をくぐった。その先の廊下を進み、最後の扉を抜けるとそこはもうステージのすぐ横だ。ステージにはバックバンドの皆さんがすでに揃っていて、ゆかりさんを待っている。ギターにベース、ドラム、キーボード、ホーンセクションと、随分豪華なバックバンドだ。

 お客さんの入る方に視線を向けると300人くらいは入れそうな立派な会場で、ここでライブをしてくれるんだって思うと今からワクワクしてきた。ゆかりさんがバンドの前に立つと、おもむろに演奏が始まる。

 ジャズみたいだったり、ロックみたいだったり、いろんなジャンルが混ざっているけれど、とりあえず「かっこいい」ってわかった。たっぷりの声量で伸び伸びと歌うゆかりさんはとても輝いて見えて、なんだか家で見たゆかりさんとは別人みたい。

 思わず『すごい』って呟いたら、横に立っていたプロデューサーさんが声を掛けてくれた。

「どう? 歌っている結月さん……ゆかりさんは」

「とってもかっこいいです! 同じ舞台に立てるのかなって思うくらいで」

「今でこそ普通にふるまってるけどはじめの頃は緊張しっぱなしだったから、いあさんも心配しなくて大丈夫だからね」

 最初の印象が印象だけにちょっとお調子者かもって思っていたプロデューサーさんだけど、私の心配をしてくれるなんて案外しっかりしているみたいだ。そうじゃないとプロデューサーになんてなれないか。

 ゆかりさんが戻ってくるまで、暫くそうしてリハーサルの様子を眺めていた。

 




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