『例の部屋』から始まるTS偽いあちゃんとゆかりさんの話 作:Sfon
リハーサルは割とあっさり終わってしまった。今回演奏する曲の構成や重要で難しいキメだったりを確認し、会場側が音のバランスを整えて、それで終わり。時間にして十数分くらいだろうか。
ゆかりさんが歌ったのはほんの少しだけだったけれど、それでも十分すぎるほどに最高だったのには違いない。だって、こんなに大好きなゆかりさんが目の前で、本当に歌っているだなんて夢みたいだ。
だからそれをどうしてもゆかりさんに伝えたくて、戻ってきたゆかりさんに掛け寄った。
「ゆかりさん、凄いよ! ゆかりさんが目の前で歌ってるなんて夢みたいで、すっごく嬉しくて、えっと、なんていえばいいのかな、うーん……」
私の中のオタクが歓喜に騒ぎ立てているけれど、うまく言語化できなくてそんな言葉しか出てこない。でも私の喜びはゆかりさんに伝わってくれたみたいで、優しく微笑んでくれた。
「ありがとうございます。でも、本番はこんなもんじゃないですから、期待していてくださいね?」
そんな強気な、自信にあふれたセリフを言うゆかりさんはとってもかっこよくて、惚れ直してしまう。そんなことを言うほどだなんて、本番はいったいどうなってしまうんだろう。
結論から言うと、本番は訳が違った。今日のゆかりさんの衣装は黒いウサギの模様の白いノースリーブブラウスに黒いショーパン、黒のジャケット。まずこの時点でかっこよさが段違いだ。
さらにニーソックスとショーパンの間に見える太ももの肌が眩しいし、ニーソックスが太ももにちょっと食い込んでいるのがとってもえっちでなんとも素晴らしい。
そんな恰好をして、ゆかりさんはまさしく『全力』のパフォーマンスをしてくれる。汗をにじませながら、お客さんに向けて歌声を精一杯届けるのだ。
そしてそれにこたえるように、お客さんも体を動かしたり、声援を送ったりしてくれる。今日の客入りは好調で、キャパシティの8割くらいは埋まっているだろう。平日の夜のライブとしてはかなり良い感じだ。
ゆかりさんをはじめとした奏者とお客さんが作り上げるこの空間は、完全に一体となっていた。
それをステージの袖から見せてもらっている私だってお客さんに交ざりたかったけれど、あまりわがままは言えない。それに女の子の体で、割と背も低めで、この姿であのお客さんたちに交ざったとしたらなかなか厳しいかもしれない。
ゆかりさんのことは前の人に隠れて見れないだろうし、おしくらまんじゅうに負けてしまいそうだ。そう考えると、この特等席は素晴らしい。それに、ゆかりさんの横顔を見れるのは私だけだし。
きっと、今見ているこのライブのことは一生忘れないんだろうと確信できる、そんな体験だった。いつの間にか客席にいるお客さんと同じように体を動かし、声まで出していたらプロデューサーさんにたしなめられてしまったけど、こればっかりはしょうがないと思う。
ライブを終えてステージの袖に帰ってきたゆかりさんに、お水とタオルを渡す。プロデューサーさんが『いあちゃんが渡してあげて』って言われたからしただけなんだけど、ゆかりさんはとっても喜んで受け取ってくれた。今度からは自分から進んでしてみようかななんて思えるくらい、とっても素晴らしい笑顔を向けてくれた。
その笑顔を貰って何とか私もゆかりさんにライブの感動を伝えたかったんだけど、全然言葉が出なくって、もじもじ動いた挙句にやっと言えた言葉がこれ。
「ゆかりさん、最高のライブだったよ! すっごくよかった!」
小学生の語彙かと思うくらいなものだけれど、ちょっと息の上がっているゆかりさんは私の言葉をしっかり受け止めてくれる。私の目をまっすぐに見つめてくれて、私が恥ずかしくなってしまいそうなほどだ。
でもなぜかなにも返事をしてくれなくて、どうすればいいか全然わからない。少なくとも不愉快に思っているわけではないと思うんだけど……。とりあえず、何か言わなくちゃ。
「ほんとにすごかったんだよ! うまく言葉に出来ないけど、とっても好きな歌声だったし、曲も良かったし、えっと……」
そうして何とかゆかりさんに反応を貰おうと頑張っても彼女は私の目を見つめるばかりで、正直ちょっと泣きそうだ。なんでゆかりさんは何も言ってくれないんだろう。
「あの、ゆかりさん……?」
もしかして何か気に障ることを言ってしまったんだろうか。ライブで嫌なことが起きたんだろうか。さっきお水とタオルを渡した時は笑顔をくれたのに。
じゃあ、私の格好が何かおかしいんだろうか。自分の体を見下ろしても特に変なところは見つからないし、髪の毛もたぶん大丈夫。メイクとかはしていないから化粧崩れとかも起きてないし、じゃあ一体何なんだろう。
ゆかりさんは何か呆然とした顔をしている。ステージから帰ってきたバンドメンバーの人たちが私たちの横を通り抜けようとしたとき、壁際に寄ったらゆかりさんの視線も私を追ってきてくれたから、私をみてくれているんだとは思うけど。
何か言ってほしいよって、ゆかりさんの顔を頑張って見つめる。もう正直くじけそうだけど、なんだか目をそらしてはいけない気がして、顔をそらすことはできなかった。
それは、きっと正しかった。ゆかりさんが一つ息をつき、瞬きをし、呆けた表情はゆっくりと柔らかくなっていく。そして、ゆかりさんが私へと一歩近づくたびにそれは加速していって、ついには愛する人を見るような微笑みとともにぎゅっと抱きしめられていた。
何が起きたのか一瞬わからなくて、時間差でゆかりさんの腕が背中に回されているのを理解した。彼女の体の暖かさ、汗ばんでいるはずなのになぜか心地よくて頭を揺さぶる彼女の匂い、呼吸が落ち着いていなくて上下する彼女の胸、それらが一気に伝わってくる。
視界はゆかりさんの肩越しのステージだけれど、実質何も見えていない。唐突なゆかりさんからの熱い抱擁に思考がまとまらない。そんなところに、さらに追い打ちがやってきた。
ゆかりさんが私の耳元で、こんなことを囁いたから。
「いあちゃん、あなたのおかげで、今日のライブは心の底から楽しかったです。本当にありがとう」
ちょっと彼女の抱きしめる力が強くなり、そしてゆっくりと腕が解かれた。残された私はもう何も考えられないくらいに頭が舞い上がってしまって、今にもその場にへたり込んでしまいそう。そんな私を置いて、ゆかりさんはまたお客さんの前に戻っていった。
「じゃあ、アンコールに応えてきますから。いあちゃん、今日は本当にありがとう」
最後の一曲は間違いなく、このライブの中で一番ゆかりさんが輝いていた。
ライブが終わった私たちは打ち上げにお呼ばれして、繁華街の居酒屋に来た。個室になっており、今日のライブのミュージシャン一同に加えてゆかりさんのプロデューサーさん、ライブの企画会社の人、その他今日のお仕事に関わった大人の人が揃っている。
そんな中に私も放り込まれたんだけれど、当然置物になってしまった。最初プロデューサーさんから話を振られて自己紹介をさせてもらったけれど、私の出番はそれで終わり。隣に座っているゆかりさんはバックバンドの人と話しているし、プロデューサーさんは大人の人たちと今後の仕事の話をしている。
一応ゆかりさんも私もまだ成人はしていないから、お酒は飲めない。だからご飯を食べることくらいしかすることは無いんだけど、お酒の席で食べるご飯ってとっても肩身が狭くって。
お酒を飲む人ってそんなにご飯を食べるわけじゃないから、どうしても私だけ食い意地が張っている様に見えちゃうし、そもそもみんなお喋りしているから私が浮いてしまう。だからあんまりご飯を食べるわけにもいかなくて、やることが無くなってしまった。
居場所がなくて、とりあえずスマホをのぞいた。今日の午前中ゆかりさんに買ってもらった、新品のスマホだ。必要最低限のアプリは既に入れてあり、チャットアプリにはゆかりさんのアカウントだけが友達登録されている。
あれだけ憧れだったゆかりさんとつながっているだなんて、本当に夢のような話だ。まず現実に存在していて、さらに知り合いになれて、さらにさらに彼女と書類上では結婚しているんだから、もう夢どころの騒ぎではないと今振り返ってみれば思う。
とはいえ、それが今の状況を打開してくれるかといえばそういうわけでもない。ゆかりさんとお喋り出来たら楽しいだろうけど、何やら音楽の話で盛り上がっているみたいで会話に参加できそうにない。
チャットアプリを通じてだったらいいかな、なんて思ってチャットを打とうとして、結局すぐにやめた。それならまだ直接話しかけた方がまだいい気がする。ゆかりさんに『そんなことも直接言えないなんてめんどくさい人だ』とか思われたくない。
ということで、結局一人で時間を潰すことにした。SNSで今日のライブについての投稿を探してみると、すぐにヒットする。そこにはゆかりさんの歌や外見を褒めてくれているものがいっぱいあって、ちょっと誇らしい。
確かに最大手音楽グループと比べればゆかりさんの活動はまだ小規模だけれど、きっと遠くないうちにフェスに出演するし、ドームツアーだってすると信じている。私がゆかりさんの隣に立ってステージに上がろうとは思わないけれど、同じグループのメンバーとして彼女の成長を助けられたら良いなぁ。
そんなことを思いながらSNSを眺めていると、気になるツイートを見つけた。それは昨日、私とゆかりさんが街で買い物をしている様子が隠し撮りされたもので、『結月ゆかりの隣にいるのって誰だろ』なんてコメントと共に投稿されている。
盗撮をされた経験なんて今までなかったからとても驚いてしまって、思わずゆかりさんに声を掛けてしまった。
でも、大きな声を出すのが苦手なのに加えて周りのおしゃべりに声がかき消されて、ゆかりさんまで届かなくて、あのゆかりさんに自分から触れてしまうのをちょっと申し訳なく思いつつ、軽く肩を叩いた。
そうしたら流石にゆかりさんも気づいてくれて、『どうしたんですか?』って微笑みながら振り返ってくれる。うーん、今日も顔が良い……じゃなくて。
「これ、ゆかりさんといあだよね。こういうのって対処とかしなくていいの?」
「あー……まぁ、本当は良くないんですけど、正直数が多いので対応しきれないらしいですね」
「そうなんだ」
「もし嫌だったら、変装とかしっかりしなきゃですね。私もいあちゃんも髪が特徴的なので、ヘアアレンジを変えたら結構ばれにくいかもしれません。ポニーテールとかツーサイドアップとか、ツインテールとか、髪が長いから何でもできそうですね」
ちょっと気になって聞いてみただけなのに、思った以上にゆかりさんが話に乗ってきた……というか、単に私のヘアアレンジに興味が湧いただけかもしれないけど。さっきまでしていた話はいいのかなぁ。
そんな話をしていたらバックバンドのメンバーでギターを弾いていた赤髪の女性が興味を持ったらしい。
「結月さん、その子は?」
「あぁ、まさに今日私と同じグループに所属することになった、いあちゃんって言います」
「どうも、いあです。よろしくお願いします」
「よろしくー。そっか、結月さんもついに先輩になったかぁ……」
「別に先輩風を吹かせるつもりはありませんけどね」
「はは、それは良かった。……ところで、今ヘアゴムとかヘアピンとかあるけど、いろいろ試してみない? それだけ長くてきれいな髪の人ってそうそう居ないし、ちょっと興味あるかも」
「いいですね。いあちゃんがよければ。どうですか?」
ゆかりさんと仲良く話している彼女はなんだか姉御肌の人で、ちょっと頼もしい雰囲気がある。あまりヘアスタイルは分からないし元のままでいいやって思ってたけど、ゆかりさんも何やら楽しそうにしてるしなぁ。
「私はゆかりさんがそういうなら試してみたいかな」
そんなこんなで、唐突にヘアアレンジ大会が居酒屋の個室の片隅で開催された。これが意外と女性陣に好評で、みんな寄ってたかって『こんなアレンジをしたら可愛いんじゃないか』って。なんだかお人形にされてる気分にもちょっとなったけど、ヘアアレンジであーだこーだ言うのってなんだか女の子っぽくてちょっとイイかも。
いろんなヘアアレンジを試して、スマホのカメラを鏡代わりにして見せてもらう。どのヘアアレンジもとってもかわいい。そもそも、こんなに長い髪が自分のモノだって実感はあんまりなかったから、ちょっと新鮮な感じだ。
「気に入った髪型はありましたか?」
「どれも好きだよ。ちなみにゆかりさん的にはどれが好き?」
「うーん……もともとのいあちゃんの髪型が一番好きですかね」
口説かれた。完全に私をゆかりさんにメロメロにさせようとしているとしか思えない。しかもそんなキザなセリフを真顔で、真剣な様子で言うものだから冗談なのか何なのか全然わからない。
でもゆかりさんは悪意をもってそういうことを言う人じゃないし、卑怯だよ、もう。
とか言って表情を取り繕いながら内心悶えていたら、ふと思い出した。この姿はいあちゃんというキャラクターとして創作された、ある種完成された見た目なのだからそれも当然かもしれない、と。
うん、ちょっと浮かれ過ぎていた気がする。あくまでゆかりさんが好きなのは私の見た目で、中身は……あー、そう言えば男が女になる過程が云々とか言っていたっけ。もう、なんなんだろう。考えるだけ無駄なのかなぁ……。
「そうじゃなくて、いあが変装するときの髪型だよ、もう……」
「ごめんなさい、なんだか言わないといけない気がして。それで、そうですね……、ツーサイドアップはやっぱり好きです。いあちゃんによく似合ってますよ」
そして今度はとっても温かい笑みを浮かべてそう言ってくれるんだから、さっきのそっけない感じとのギャップでまた心が揺さぶられる。これを意識してやっているんだとしたら、相当の策士だよ。
でも私はゆかりさんに対してとってもちょろいのは自分で認められるレベルだし、やっぱりそう言ってもらえたなら頑張らなきゃって思える。
「よし、じゃあ、ツーサイドアップのやり方、もう一回教えてください」
「お、やる気あるねぇ。まずはね……」
これからはお出かけするとき毎回しなくちゃいけないんだから、自分でできるようにならなきゃ。正直手先はあんまり器用じゃないと思ってるし不安だけど、頑張るぞ、おー。なんてね。
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