『例の部屋』から始まるTS偽いあちゃんとゆかりさんの話   作:Sfon

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アイドルデビュー!(2)

 ゆかりさんから元気と勇気をもらって、控室とステージを繋ぐ扉を開いた。演奏の音にかかっていたフィルターが取り払われ、一斉に押し寄せてくる。次に伝わってきたのは観客の熱気と、バックバンドの迫力。

 リハーサルの時よりも、会場は確実に暑い。物理的に。観客が見えるわけでは無いけれど、たくさん入っているんだなってそれだけで実感できる。

 4つ打ちのバスドラムの低音が腹の底に響いて、こんなの、どんな観客でも期待に胸を躍らせてしまうだろう。激しいイントロが一旦鎮まり、ここからどんな展開になるんだろうかって、お客さんがステージに注目しているだろうことが容易に想像できる。

 わたしはそんな思いを受けながら、ステージ上に飛び出すんだ。緊張を全くしていないといったら嘘になるけれど、ゆかりさんからあれだけ力をもらったら、そんなの簡単に吹き飛ばせる。

 

 

 

 何度も練習したそのタイミングで、青いライトで僅かに照らされたステージ上に飛び出した。まっすぐ前を見て床に印が書かれたステージ中央まで走り、客席に相対する。そしてその瞬間、一斉に演奏がやみ、スポットライトが私一人を照らした。

 目の前には、客席に収容できるギリギリまで詰め込まれた観客たち。私のグッズのタオルやペンライトを持った、私のファン。その一人一人を見渡し、最後列まで見届ける。これが、私の初ライブに来てくれたお客さんなんだって、頭に刻み込みたかった。

 観客はみんな、私のことをじっと見ている。今日、このライブの主役は私なんだって身に染みるような視線が、ステージの下から突き刺さる。

 みんなの目線より高いところにいる私。学校で全校生徒を前にステージに上がったみたいな、あの緊張感とちょっとした高揚感が数倍に膨れ上がった。でも私にはゆかりさんがついている。視線を向けることはできないけれど、舞台のそでにいるゆかりさんを感じたら緊張が抜けていって、心地よい高揚感だけが残った。

 ライブハウスは、異様な雰囲気になっていた。それもそうだ。私が歌いださないと演奏は戻ってこない。スピーカーからは何も流れ出ず、お客さんたちは固唾をのんで私のことを見つめている。

 みんな、生の私の姿に見とれているみたい。どうだ、可愛いだろうって、見せつけるのに何の抵抗もない。だって今までモデルとしていっぱい写真を撮ってもらったし、可愛いって褒めてもらえたし、何より『いあちゃん』の姿なんだから。

 首に巻いたチョーカーからも、自分の見た目の自信が貰えてる。もう、このチョーカーを付けていれば、人前に出たってそうそう恥ずかしがることは無かった。

 

 さあ、そろそろ歌おう。

 深く息を吸って、マイクを構える。これが私の歌だって、みんなの心に刻み込む自信とともに、会場を揺らした。

 

 

 

 メタルな一曲目、ファンクな二曲目、王道ロックな三曲目、ダンサブルな四曲目、甘いバラードの五曲目と休む暇もなく歌い続ける。疲れなんて知らない私は、ステージ上を動き回りながら練習の成果を観客に振りまいた。

 アイドルの特権、いろんな音楽性を織り交ぜたって、観客はついてきてくれた。みんな私が歌う曲を真剣に聴いてくれて、時には盛り上がったり、時には静かに聴いたり。

 ラスト一曲まで、好調なライブは続いた。なんなら練習の2割増しくらいで良いパフォーマンスができたんじゃないかと思うくらい。

 でも、残りあと一曲になってMCをしているとき、急にマイクの音が途切れて、それからすぐにライブ会場が真っ暗になった。最初は何が起きたのか全く分からなかったけど、会場のスタッフさんが『停電です』って。

 観客の皆さんもざわざわしちゃって、バックバンドの人たちもどうしていいか分からなくなっちゃっているみたい。ドラム以外は電気が無いとまともに音が出ないし、会場側もどうしようもなさそうだ。みんなスマホのライトをつけてあたりを照らしているけれど、ライブハウスの中は電波が届かない。

 大人の人たちがみんな慌てている中、ふと思いついたことがあってプロデューサーさんに相談してみたらオッケーが貰えて、ちょっとウキウキでステージに戻った。横に立っていたゆかりさんは、いつもの『しょうがないなあ』って顔をしていたけど。

 

 

 

「停電が回復するまで、いあが一曲歌わせてもらいまーす!」

 初ライブという高揚感と、真っ暗な会場という異様感。それらが組み合わさって、なんだか無敵な気がしてきた。これから歌うのは、私が家で何度も聞いてきた歌。メロディーも、歌詞も、息を吸う位置も全部知っている歌。

 みんな静かにしてくれていて、マイクなんていらない。

 ゆかりさんの1stシングル、ゆかりさんが初めてのライブで歌ったらしい、その曲を。

 

 

 

 一曲を歌いきり、観客からは拍手喝采。ここまで喜んでくれるとは思ってなかったからとっても嬉しくって、そうこうしているうちにライブハウスの電力が戻ってきた。まるで歌い終わるのを待っていたみたいな、ばっちりなタイミングで。もしかしたら会場のスタッフさんが気を利かせて照明を切っていてくれたのかもしれない。

 そして、満を持しての最後の一曲が始まった。ゆかりさんの1stシングルのアンサーソングとなる、その一曲が。

 

 

 

 ライブで全力を出し切り、大きな拍手と歓声を背中に受けながらステージの袖へと下がると、ゆかりさんが私を待ってくれていた。感無量といった面持ちで、両手を広げている。

 私もなんだか感極まってしまって、ろくに勢いを殺さないままに抱きついた。やったよゆかりさん、初ライブ成功したよって思いを込めて、ぎゅーって抱きしめる。

 そしたらゆかりさんもぎゅーって抱きしめてくれて、何も言わなくてもお互い通じ合えてるんだなぁって、そんな感じがした。

 でもゆかりさんはそれだけじゃなくて、私の頭を撫でながら、耳元でこう囁いた。

「いあちゃん、とっても可愛かったです。最高の初ライブでしたね」

 なんだかゾクゾクしちゃって、抱きついたまま辺りを見渡したら誰もいなくて、そしたら止められなくって、腕を緩めてゆかりさんと見つめ合う。

「ありがとうゆかりさん。ゆかりさんのおかげで、いあ、頑張れたよ」

 私が今できて、一番ダイレクトに嬉しさを伝えられる方法はこれしか無いって思う。ゆかりさんもわかってくれて、お互いそっと目を閉じた。

 

 

 大好きを伝えるキスはとっても柔らかくって、温かくって、胸いっぱいに幸せが広がった。

 

 

 私のファンになってくれたお客さんとの握手会も終え、あっという間の初ライブだった。帰りのバンの中で見てみたSNSの反応は好調で、特に停電していた時のアカペラがウケたみたい。『私のデビューアルバムの1曲目がゆかりさんの1stシングルと繋がってる』って気づいていたゆかりさんのファンが、『アカペラでゆかりさん1stシングルからの流れは神』とか、『もはや演出なんじゃないか』とか、かなり話題にしてくれた。

 おかげでトレンドに私の名前が入ってくれて、事務所が作った私名義のアカウントのフォロワーはちょっとずつ増えていってる。自分で投稿しているわけじゃないけど、自分の名前のアカウントが成長していくのは嬉しいな。

 それでプロデューサーさんに『SNSの投稿ってしていいの?』って聞いたら、プロデューサーさんに投稿する文面とか写真とかを送ったら確認したうえで代わりに投稿してくれるんだって。面倒だなって思うけど、炎上とか怖いし、しょうがないかぁ。

 

 達成感満載でバンを降り、ゆかりさんと二人並んで帰宅する。玄関のドアが閉まるまでは誰に見られているかわからなくて、「普通の同居人」ですよって顔をしていたけれど、玄関の鍵をかけたその瞬間、私は薄っぺらい芸能人の仮面を外した。

 バンの中からずっと昂っていた体は全然冷めなくて、ゆかりさんに抱きつく。頑張ったよ、やったよって。ゆかりさんは頑張ったねって褒めてくれて、いっぱい頭を撫でてくれて、いつもならもうこれだけで大満足だろう。

 でも、今日はそれだけじゃ満足できなかった。それぞれお風呂に入って、着替えて、リビングのソファーに二人並んで座る。そんないつもの流れをなぞったけれど、私はこれだけで終わる気がなかった。

 じっと自分の膝を見つめる。私の胸はステージに出る前よりずっと激しく高鳴っている。

 お風呂上がりにいつも着ているふわふわのショーパンの先、床まで伸びた足を視線でなぞりながら、なんとか勇気が出てくれって自分を鼓舞する。

 大丈夫、私はゆかりさんに受け入れられている。むしろ好きって思ってくれている。だから、きっと嫌がられないはず。もし断られたとしても、たぶん嫌われない。

 

 大丈夫、大丈夫って自分に言い聞かせて、ようやく覚悟を決めた。

 いままで何をしても手を出してくれなかったゆかりさん。今ならわかってくれるんじゃ無いかって気がする。

「ねぇ、ゆかりさん」

 彼女の左手をそっと握った。うつむいて目を閉じているゆかりさんは彫像のように美しいけど、それを見たいのは今じゃない。

「ゆかりさん、ゆかりさん?」

 いやいや、まさかこんなタイミングで、そんなわけない。何度も名前を呼んで、それなりに強く肩を揺すった。

 ……反応はない。

「嘘でしょ?」

 私の落胆もむなしく、ゆかりさんはすうすうと呑気に寝息を立てていた。もう、それはそれは美人な寝顔で、怒りたくても怒れない。これ、どうしよう。このまま寝かせていても風邪は引かないだろうけど、寝違えてしまうかもしれない。

 できるかなって興味本位でゆかりさんの背中と膝裏に腕を回して抱えてみたら、意外とうまくいった。なんで?

 お姫様抱っこ。まさか私がするとも、できるとも思っていなかったけど、機会が来るなんてね。ゆかりさんの体は軽くって、全く苦労せずに抱きかかえられた。まるで子犬を抱っこしているような、そのくらいの感じ。

 さすがに人間なんだからそれなりの重さがあるはずなのに、全然気にならないのは私の力が単純に強いのかな。この体、なんだかわからないけど人間離れしてるし。本気でジャンプしたらビルとか飛び越えられたりして。さすがにないか。

 ゆかりさんのベッドまで運んで、そっと寝かせて、自分も横に並んで、布団をかぶった。当たり前のようにゆかりさんの隣で寝ているけれど、思えば随分ゆかりさんとの距離が縮んだものだ。

 今日も気軽に抱き着いたり、人目を盗んでキスしたり、こうして添い寝したり、とっても仲がいいというか、もう恋人気分を満喫できた。でもやっぱり、そろそろ進展したいなぁ。気が早いのかなぁ……。

 




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