『例の部屋』から始まるTS偽いあちゃんとゆかりさんの話 作:Sfon
『現実』に戻ってきたらしい(1)
意識が浮上する。
寝起き特有の、頭がフワフワした、あの感じ。視界はハッキリ映っているのに、それを頭が処理できなくて、うまく呑み込めない。意識が体を遠隔操作しているような、一段階分の間が空いた、そんな感じ。
眩しい。朝が来たんだろうか。
少しずつ意識がはっきりしてきて、ついさっきまで見た夢を思い出した。真っ白な部屋でゆかりさんと会って、自分はいあちゃんの体になっていて、ゆかりさんにかわいがってもらう夢。
あの時は最高に幸せだった。可愛い女の子になってゆかりさんとイチャイチャできるなんて、シチュエーションが美味しすぎた。願望だったし、夢でしか満たされない内容だったから。
しかし今になって、自分の『結月ゆかりオタク』な部分が、夢への評価を180度回転させた。自分の推しに愛してもらおうなんておこがましいことをしたのか。あまつさえ、自分を推しのパートナーとされることが多いいあちゃんに投影するとは、何事かと。
自意識が薄かったとはいえ、それは「酒に酔ってたのでやらかしました」と言っているくらいに役立たずな言い訳だ。夢に見るということは、本心では望んでいたということに違いない。結月ゆかりもいあも、どちらも大勢のファンがいるキャラクターなのだから、オレたちは離れたところから眺めるのがちょうどいいのだ。
できることならこのまま二度寝して夢の内容を忘れたいところだが、流石に起きないとまずい。じきにアラームが鳴る。気分を切り替え、仕事に向かう準備をしないと遅刻してしまうだろう。あまり気は進まないが、目を開くしかない。
目を開くと、幸運なことに、仕事の問題は解決した。が、それよりも余程大きな問題が新たに降りかかった。一瞬思考が止まり、気合で立ち上げなおす。
体を起こしてあたりを見渡すと、知らない部屋だった。6畳くらいの部屋にはベッド、クローゼット、ドレッサーがあるのみ。寝室だろう。黒、紫、白をメインに、黄色でアクセントを加えたコーディネートがされている。どことなくゆかりさんを連想するカラーだ。掃き出し窓からは日差しが差し込んでおり、外には住宅街が広がっていた。マンションの中層階にある部屋のようだ。
オレはまだ夢を見ているのだろうか。古典的ながらも頬を叩いたり、つねったりしてみる。痛い。部屋の細部を詳しく観察してみる。夢ではありえないほど、情報が書き込まれている。
もしや、寝ている間に何かが起きて、どこかに連れ込まれたんだろうか。オレを誘拐するような酔狂な奴がいるとは思えないし、それだったら拘束されている気がする。体を動かしてみると、自分の思ったように動いた。
動いたのは、いい。しかし、また新しい問題というか、これはもう致命的な事実に気づいてしまった。
目の前に自分の手を出してみる。細くて節だっていない指、白い肌、全く見覚えがない。視界にちらつくプラチナブロンドの髪。オレの髪は一般的日本人の黒髪だ。そして、胸元に手を当てると確かに感じる柔らかさ。
いや、まさかそんなはずはないだろう。何かの間違いだ。そう自分に言い聞かせながら、ドレッサーの鏡を覗き込んだ。
鏡の向こうには、いつもの格好をしたいあちゃんがいた。
よし、これは夢だ。
さすがに、現実だとは思えない。体に伝わる感覚はまさしく現実で、唯一信じられないのは自分の体だけだが、それがあまりにも現実離れしている。もしもこれがいあちゃんの体だとしたら、考えられるのは憑依だとか、いあちゃんの体を貰って異世界転生だとか、そんなものしか思いつかない。
女の子になりたかったんだから喜べ、なんて言われるかもしれないが、絶対にありえない。だって、自分の推しのパートナーキャラなんて、ほとんど推しみたいなものだろう。そのキャラクターになるということは、推しを殺したも同然なわけだ。そんなこと、喜べるわけがない。
オレはさっきの夢で学んだ。たとえ夢でも、推しのキャラクターを汚すのは精神的にきつい。じゃあ、今のオレができるのは何だろうか。できるだけ何もせず、夢が覚めるのを待つだけだろう。
ベッドに戻り、布団に潜り込んで視界を消し、時間が過ぎるのを待つ。あとは夢が覚めるまでこうしていよう。
だんだんと眠くなってきた。これはいいことだ。寝ていれば時間はあっという間に過ぎるだろう。重くなってきた瞼を自然に任せ、意識を手放した。
次に意識を取り戻したとき、視界は真っ白に染まり、あたりの気温が一気に下がった。一瞬の間を置き、布団が誰かに剥ぎ取られたと気づく。この部屋の持ち主だろうか。手探りで布団を探すが見つからない。
「いつまで寝てるんですか」
飽きれた雰囲気の声が聞こえた。聞きなれた声色だ。いつもなら喜んでいたが、今だけは聞きたくなかった声だ。ベッドにうずくまり、亀のように体を縮める。
「何やってるんですか。さっきはキスしてきたり抱き着いてきたり、散々アクティブに動いてきたくせに」
何か言っているが、聞かなかったことにしたい。さっきの夢が今見ている夢とつながっているとか、恥ずかしすぎて悶絶モノだ。まさか、そんなことは無いと思いたい。
「この期に及んで、忘れたとは言わないでしょう。ね、女体化願望持ちのヘンタイさん?」
あ、終わった。
「ちょっと、私が悪かったですから、それだけはやめてください!」
「無理! こんな夢終わらせる!」
「夢じゃないですから! 夢を終わらせるどころか人生終わらせちゃいますから!」
ベッドから跳ね起き、視界の端に映ったゆかりさんに目もくれず窓にダッシュする。一刻も早くこれ以上の惨事を回避しなければいけないから、とりあえず飛び降りてみようと考えてみたのだ。それで夢が覚めればそれでいいし、覚めなかったら死ぬのかな、分からない。
もう完全にパニック状態で、動きの端々が乱雑になっていたからだろうか。不意を突いた形になったはずなのに、窓の鍵を開けようとしたところで腰を捕まえられてしまった。
もう耐えられないから、本当に許してほしい。たとえ現実だったとしても無理だ。自分が一番大好きなキャラクターにキスを迫り、彼女からの一方的な形とはいえ、体の関係を結んでしまったことなんて、もう、死んで詫びるしかない。
「無理! ほんとに無理! 自分の推しを汚すくらいなら死んで詫びる!」
「じゃあその推しが言うんで死なないでください! 死なれたら困りますから、ほんとに!」
そんなことを言われても、譲れないものがある。何とか彼女の腕から抜け出そうとして踏ん張り、結果的にはそれが決定打となった。
靴下を履いていたのが良くなかった。フローリングの床の上では全く踏ん張りがきかず、足が真後ろに抜けてしまう。そうなると当然の流れで、床へと腹ばいに打ち付けられた。顎を撃たないように受け身をとれたのは、もはや奇跡みたいなものだろう。
立ち上がろうとして背中に重さを感じ、腰に手を回していたゆかりさんも一緒に倒れこんでしまっていたのに気づく。怪我をしていないだろうか、なんて心配が一瞬頭をよぎりながらも、このチャンスを逃すまいと、両手を床に付き、体を起こそうとした時のことだった。
「お願いだから、ちょっと待ってください!」
次の瞬間、背後から力強く床に押し付けられた。それと同時にゆかりさんの腕がオレの胸元に回される。そして背中に彼女の体と顔が触れているのを感じ、ゆかりさんに後ろから抱き着かれていると理解した。
その瞬間、体中から力が抜けた。主に、彼女になんてことをさせているんだという自責の念からのモノだった。床とゆかりさんに挟み込まれ、頬には床の冷たい感触がする。
「ホントに、からかったのは私が悪かったですから、それだけはやめてください。ほら、推しが言ってるんですから、ね。私のせいで、私の目の前で誰かが死ぬとか、絶対に嫌なんです。許してください」
張り詰めたゆかりさんの声の異様さに圧倒され、抵抗する気をすっかり失った。だんだんと頭が冷えてくると今まで一連の行動が自分の罪を上塗りしていると思えてきて、むしろ悔やむ思いが沸き上がってくる。
「あの……大丈夫ですか?」
心配そうに声を掛けられても、申し訳ない気持ち以外は浮かんでこなかった。どうして夢の中であんなことをしてしまったのか。どうしてゆかりさんから逃げようとしてしまったのか。どうして引き止めてくれたのに抵抗してしまったのか。そもそも、どうしてこんな姿になってしまったのか。
「あの、逃げませんから、下りてください」
「ホントですか?」
「本当です。何なら、後ろ手で腕を縛ってもいいですから。とりあえず下りてほしいんです」
これ以上ゆかりさんに触れられていると、罪悪感がマッハで死んでしまいそうだ。
少しだけ互いに無言の時間が続き、やがて抵抗する気が無いと分かったのか、ゆかりさんはオレの背中からどいてくれた。
体の拘束が解けると、うつむいたままゆかりさんに向かい合って正座し、額を床にこすりつける。今考えうる中で一番、謝罪の気持ちを明確に表す方法がこれだった。
「すみませんでした! 知らない部屋に連れ込まれたのにあんな呑気なこと言ったり、というかそもそも男なのに騙したり、もう、どう扱ってくれても構いません!」
どうやって中身が男だと知ったのかは分からないが、そもそも白状するつもりだったので大したことではない。もはやここが夢の中だろうが現実だろうが関係なく、ゆかりさんに懺悔する選択肢しかなかった。
しばらくの沈黙を挟み、ゆかりさんがそっと声を掛ける。戸惑ったような、ワントーン低い声だ。
「あの、顔を上げてください」
「あんなことをしておいて、向けられる顔なんて無いです。好きに扱ってください。殴るけるだって、なんだってしてください」
ため息をついたのが聞こえた。ゆかりさんも初めての状況だろうから、困っているのだろう。どうすればいいのか分からない。
「じゃあ、そのままでいいですから私の話を聞いてください。あなたは夢だと思ってるみたいですけど、あの白い部屋の出来事も、今も現実なんです。ここは私の家ですし、今までにも今回みたいな超常現象に見舞われてきました。だから、起きたときにあなたが隣に居たのも受け入れられます。そして、ここに書いてあることが本当なら、あなたの反応も良くわかります。確認してもらえませんか」
彼女がオレの目の前に差し入れたのは、一枚の紙だった。
体を起こし、視線を床に落としたまま、両手で紙を受け取る。そこにはこんなことが書かれていた。
もともと『結月ゆかり』がキャラクターとしていた世界で、彼女を推していた男だったこと。女の子として、女の子に愛されたいと思っていたこと。見た目が『結月ゆかり』のパートナーとしてふさわしいモノになったこと。この姿は『いあ』というキャラクターをもとにしていること。そして、彼女に対する脱出ゲームのクリア特典として、オレが与えられたこと。
これが本物のいあちゃんだったなら、ここから素晴らしい物語が始まったのかもしれない。しかし、そのいあちゃんは偽物で、さらに自分だというのだからもうどうしようもない。
ゆかりさんにひとしきり謝罪の気持ちを伝えた後は、早くここを離れて、この夢が覚めるのを待ちたい。彼女と一緒に居る選択肢は存在しないと思っている。さすがに彼女だって、中身が男だと分かっている女モドキを傍に置きたくはないだろう。
しかし、ゆかりさんの考えは全く異なっているらしい。
「あなたが私にしたことを後ろめたく思うのは理解できますし、それ自体は否定しません。でも、あなたの背景を知ったうえで、あなたをこのまま手放したくはないんです」
「どうして?」
「だって、あなたは一人で生きられないでしょう? その姿では家も借りられないだろうし、バイトだって自分だけでは始められないと思います。売春をしようにも元手がなければ募集できないでしょうし、そもそも男に体を売るなんてあなたに出来るとは思えません」
言っている内容はもっともだ。しかし、それはオレにとっても不利益だけで、ゆかりさんには関係のない話でもある。オレがどうだという問題ではなく、ゆかりさんがどうなるかの方がよっぽど重要なのだ。
「まあ……それはそうだけど、でも、ゆかりさんの手を煩わせるくらいならホームレスになる方がいいよ」
「ダメです。それは私がゆるしません。そもそもあなたはあの部屋からの脱出特典として私に与えられたんですから、私が好きにしてもいいでしょう?」
これもまた内容は分かるが、納得はできない。何とかゆかりさんを説得してこの家を出させてもらえないかとあれこれ考えていると、ゆかりさんから耳を疑うセリフが飛び出た。
「それに、私は可愛い女の子が好きなんですけど、そういう子って大抵中身が意地汚かったり、スれていたり、一難あることが多いんですよ。でも、あなたは違う。そもそもその体で生まれたばかりの、まっさらな女の子なんです」
どんな顔をしてそんなことを言っているんだろうか。声色は淡々としているけれど、実はオレをあざけわらっていたりするんじゃないか。そんなことを考えてしまって、思わず顔を上げた。ゆかりさんはオレと同じく床に座って、真剣そのものの表情をしていた。
「それに、可愛い女の子はおじさんが作ってるって言うでしょう? アニメとか、漫画とか。あなたはそれができるんですから、この世のどんな女の子よりもかわいくなれるんです」
まるで、面接に臨んでいる就活生のような雰囲気さえ感じる。違うのは、彼女がオレを説得しようとしていて、こちらはもはや選べる立場でないことだ。とはいっても、すんなり受け入れるわけにもいかない。すっかり立場を失ったものの、オタク心はまだ健在なのだ。
「その、言っていることは分かるけど、オレが考える『かわいい女の子』って結局男にとっての『かわいい』だし、ゆかりさんが望む『かわいい』とは違うかもしれないですよ?」
「いいんです。私が望んでいるのは、『大勢のファンを魅了しているいあちゃんを独占する』ことなんですから」
彼女はオレの手を取り、まっすぐ目をあわせる。
「だから、アイドルになってください」
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