狭間の話を、また一席。
青風吹き渡る、そんな日。
人生驚くことと言うのは、結構あるもんだと思う。
まさか登校して教室に入るなり、全力で殴られる日が来るとは思わなかった。
と言うか、痛い。すっげぇ痛い。手加減なしで、しかも鳩尾に一撃入れて来やがった。
息が止まり、内臓に不快感が走る。それをなんとか押し付けて。
「何すんだよ、ちー……」
いきなり急所を狙ってきたクラスメイトを睨み付けるも、向こうは向こうで俺を睨んでいる。
「針生くん、私に謝る事あるよね?」
ブンッと音を立てて拳を振り上げ、ちー……鹿野千夏はドスの効いた声を投げつけてきた。
ああ、まあ確かに。ちーの連絡先を試合の報酬にはしたけれど。
俺は「教えて良いか聞いてやる」と言っただけで、実際教えた訳じゃないのに。
誰だよ、ちーに言いやがったのは。まさか大喜じゃあるまいな、もしそうだったらあとでシメる。
そもそもまず殴るな、言え。謝れと最初に言え。
「勝手に賭けた事はすまん、でも流れで……」
と、言い終えるより先に。
ゴスン、と脳天に拳骨が落ちてきた。
「流れで人の連絡先を賭けるんじゃありませんよー?」
グリグリグリグリと抉りながら、ちーは笑顔で怒っている。
畜生、つぎ岸に会ったら同じ目に合わせてやる。推しキャラに似てるとかそんな理由でこんなのに惚れやがって、そのせいで俺が痛い目に遭ってるんだぞ。
「大体さー、こーんなワンパクでたくましい子に挑戦状が来る事自体おかしいんだーって。どーせ針生が余計なこと、その相手に吹き込んだんでしょー?」
便乗してけらけら笑う渚に、ちょっとだけ腹が立つ。もしかしたらコイツがちーに話したのかもしれない。この女にはワケわからん情報網があるから、どっかで話を仕入れた可能性はある。
しかし女子連中の、このスクラムはなんなんだろう。ちーは黙ってれば美人だと思うんだが、クラスの連中も部活の連中も、女子は揃ってちーを暴れん坊キャラとして扱いたがるんだよな。そのせいで本人も女子度の低い、ゴール下を守護するゴリラになっていくわけで。
こういう足の引っ張りあいをマウントって言うんだろうか。女子怖ぇ。
でも、とりあえず。
「……ごめんなさい」
これ以上物理的に傷が広がらないように、素直に謝ってしまう俺。言いたいことは山ほどあるが、もう怪我したくない。
「宜しい。じゃあ、これで最後ね」
トドメとばかりに中指一本拳を鳩尾に捩じ込んで、ちーは満足げに自分の席へと戻っていった。
俺を殺す気かあのメスゴリラ。
考えたくないけど今日は、厄日というヤツかもしれない。
まあ、良いんだけど。今日は大喜がやたら元気で、正直疲れる。こっちはまだ手負いなのに。
大喜は元々バカなだけで筋は悪くないし、この俺が組んでやってるんだから上達はしているのだが。だが――まだまだ、だ。インターハイ行くとか言ってるけど、正直難しいだろう。
今年も、兵藤がいるから。あれは、化物だ。
ダブルスの相方次第ではこっちにも目があるが、シングルでは奴が間違いなくトップになる。後は二位争いだ、悔しいことに。去年散々負け続け、リベンジを誓ってはいるが――難しい。
俺でさえ、こうなのだ。大喜じゃあ、一回戦も危ない。
そう言えばこのバカも、ちーを好きな一人なんだっけ。それも放課後体育館に集まってくるようなファンの一人としてじゃなく、真剣に。
そっちもまあ、厳しいだろう。あの試合より前に一応連絡先は交換していたらしいが、そこから先へ進めるかどうか。ちー位の有名人だと半端な相手じゃ周りが許さんだろうし、特に渚辺りがやいのやいの言いそうだ。行く先は荊道だぞ、大喜。
とは言え、だ。このバカなら、いろんな壁を力尽くで乗り越えてしまいそうでもある。
バカは強いからな、考えないで突き進めるのは才能だ。
でも。それが通じなくなったとき、このバカはどうなるんだろう。いずれ来る挫折を、乗りきれるんだろうか。
……それこそ、ちーみたいなのが側にいれば良いのかも知れない。
しくじって、傷付いて。涙さえ拭けなくなったのを強引に引き摺り起こし、無理矢理前を向かせるようなバカが一緒にいてくれれば、きっと落ち込む暇さえ無いだろうから。
暴力ゴリラとドMバカのカップルってのは、相性良いかもしれないな。
――ま、それはともかく。
「大喜、ダブルスノックな」
「ういっす!!」
気合全開の大喜に、向き合う。今は、このバカを鍛える時間だ。後の面倒は他の誰かがやればいい、それこそちーでも新体操部の子でも。
俺は先輩として、こいつが伸びるアシストをしてやるだけでいい。
俺にだって、自分の目標がある。今年こそ、兵藤を倒してやらないとな。
遥か先、あるいはすぐ目の前を見据えて。
俺たちは、まだまだ止まらない。
さあ、吹き荒れろ――青い暴風。
針生パイセンは絶対千夏先輩に殴られてますよね、と思いまして。