──僕らはもう、幼馴染じゃいられない。
夏休み中、友達と遊んだ後の帰り道のことだった。家に最も近い公園で初めて
ベンチに座る同い年ぐらいの少女。彼女の腰まで伸びた黒髪が風で揺れる。夕焼けに溶けるそれがとても綺麗で、思わず足を止めてしまっていた。
美術館に行ったことは無かったけれど、きっと美術品に心を奪われる感覚はこんな感じなのだろうと思った。
僕はしばらく彼女のことを眺めて、彼女の周りに誰もいないことに気がついた。五時の鐘が鳴ってからしばらく経っていたのに彼女の周りには友達も、迎えに来てくれる両親もいない。僕はそれを不思議に思った。
自動販売機で缶ジュースを二本買う。物で釣るのはどうかと思ったけれど、あの時はそれぐらいしか彼女に話しかける理由を思いつかなかった。
「ねぇ、ジュース飲まない? 間違えて買ってしまったんだ」
首を傾げる彼女の手に冷えたジュースを押し付けて、彼女の隣に座った。
「間違えた……どうしてそんなことをするの?」
「意図的にやった訳じゃないよ。人間は誰だって間違えるものだ」
「……そう」
彼女は手に握られたプルタブを起こして、コーラを口に含む。無機質で、大人しくて、今にして思えば達観的な子供だった。
当然小学校の同級生に彼女のような子はいない。物珍しさからだったのか、その時から無意識的に惹かれていたのかは分からない。けれど彼女のことをもっと知りたいと思った。
「僕は
「ニノマエ、ミオ」
「そっか。じゃあ……ミオ。ミオは最近引っ越してきたの?」
夏休みにはこの辺りを遊びまわっているけれど、ミオのことを見た覚えはなかった。学校にいる同級生の数もたかが知れているし、彼女のような子がいたら覚えているだろう。
ミオは首を縦に振る。
「そっか。じゃあ友達もまだだよな」
「……必要?」
「友達がってこと? まあ、必要って訳ではない。けど、いたほうが間違いなく楽しいよ」
そう言うと何かを考え込むように、ミオは俯く。
「だから、僕と友達にならない? つまらなかったら止めてもいいからさ」
眉間にしわを寄せるミオに考え無しの僕は言う。長考の末彼女は頷いて「分かった」と呟いた。
▼
「ホント、無口で可愛らしいお人形さんみたいな奴だったのになぁ」
放課後、僕は窓際の一番の席から、対角を見て呟いた。騒がしく笑い声の絶えない女子集団の中心に長い黒髪を携えて、
幼い頃の澪はいつも僕の後ろをついてきた。僕が連れまわる内に友人は増え、口数も増え、無機質だった表情も今では見る影もない。
今では逆に僕がかつての彼女のように教室の隅で大人しくしている。
スクールバッグを肩にかけ、僕は席を立った。特に寄る辺のない僕は誰よりも早く教室の引き戸に手をかける。このまま帰宅部員としての部活をこなすつもりでいた。
「澪、斎藤先輩に告白されたんでしょ? どうするの?」
「保留だね。しばらく考えることにするよ」
手が止まっていたことに肩を叩かれて気が付いた。無言で圧をかけてくる女子生徒に促されて、僕は慌てて引き戸を開けて、廊下を早歩き、速やかに下駄箱を目指す。
これで何人目だ?
記憶を掘り返し、指折りして数えるとこれで今週三人目。澪には今、モテ期が訪れていた。先輩、後輩、同級生の三方向から澪を目指す輩が増えている。
もともと彼女は整った顔立ちをしていて、人気はあったけれど、こうして目に見える形になったのはつい最近のことだ。
なにやら一人の先輩が澪のことを偉く気に入ったらしく、噂が一気に広まったのだそうだ。そうして自身に満ち溢れた人間たちは澪に玉砕覚悟で突っ込んでいた。その度に彼女はこっぴどく振ってきたのだ。
けれど澪はさっき「保留」と言った。これは緊急事態だ。斎藤先輩と言えば確かに僕でも知っている程度に有名人。野球部処女族の筋肉質な男。爽やかな笑顔を浮かべる彼は女子から根強い人気を誇っている。
澪が保留にするのも分からないわけでもない。
でも僕には関係ない。部外者である僕に口を出す権利があるわけがない。そもそも澪とはここ数年疎遠になっているのだから。
けれど、それはそれとして自分の中にもやもやとした嫌悪感が渦巻いている。そんな自分がまた気持ち悪くて、受け入れ難かった。
帰り道、かつて澪と会った公園のベンチに腰を掛けて、僕は物思いにふける。
澪のことを一番知っているのは僕だ。たかだか数週間前に知り合った人間が自分よりも先の関係性に進むのは我慢ならなかった。
けれど、考えれば考えるほど『また並んで仲良くしたい』なんて望みは自分にとって不相応であるように感じてしまう。
自分の肺に残っている空気をすべて吐き出すつもりで深いため息を付いた。諦めるための、想いを断ち切るための儀式として実施する。
「ねぇ、カイ。ジュース飲まない? 飲むよね」
息を呑む。聞きなれた声、ずっと見てきた腰まで届く黒髪。今、思考を支配している人物が突然現れたことに、僕は戸惑いを隠せなかった。
彼女は僕に缶ジュースを一本僕に押し付けると、ずうずうしくも隣に腰掛ける。鼻歌を歌いながらプルタブを起こしてジュースに口をつけた。
「何の用だ、澪」
「何の用だとはひどい言い草だね。せっかく幼馴染の私が悩んでる所に来たって言うのに」
「別に悩んでなんかいない」
彼女から視線を逸らしつつ否定する。澪は「またまた~」と肩を叩いた。距離感の取り方は昔と変わらなかった。そこに安堵する。
「それで? 何をそんなに悩んでいるのさ」
「澪、お前僕の話聞いていなかったのか?」
「平気で嘘をつくような人の話は聞かなくてもいいんですよ~だ」
「嘘ついたなんて言ってないだろ」
「言ってなくても血圧と脈拍が不自然なの」
「嘘発見器かお前は……」
ため息を付いて澪を見る。あからさまに「私不機嫌です」と言った表情。これ以上誤魔化すのは逆効果になるだろうと判断した。
「……斎藤先輩からの告白、保留にしたんだって?」
「何でカイが知ってるのさ」
「教室で聞いたんだよ。いつもはバッサリと断るのにどうしたのかって考えてただけ」
僕が教会で懺悔するように、ゆっくりと白状する。澪は目を見開いて、それから蠱惑的な笑みを浮かべた。
「気になる?」
「……まあそれなりに」
「じゃあ特別にカイにだけ教えてあげる。私、好きな人がいるの」
息を呑む。
このまま逃げ出したいという気持ちをぐっと堪えて、睨み返す。
「それは保留にする理由じゃなくて断る理由だろ。説明が説明になっていない」
「まあまあ、そう急かさないでよ。続きがあるんだから」
「続き?」
「うん。好きな人はいるけれど、その人は私のことを見てくれるのか怪しいの。いい加減に諦めたほうが自分のためになると思ったんだ。でも、決心がつかなくてさ……」
「だから、保留……か」
澪が頷いた。彼女の想いに答えず、傷をつけてしまうそいつはいったいどんな奴なのだろうと思案する。もしも僕が澪から想いを寄せられていたのなら、そんな思いはさせないのに。
会ったことのない誰かへの憎しみが募っていくばかりだ。
「いったいどんな奴なんだ、そいつは」
「まず唐変木」
「話を聞く限りではそうだろうな」
「……根暗、消極的、意気地なし」
「ますます救いがないな」
「幼馴染」
「僕の他にもいるのか!?」
「……この唐変木」
澪が僕の胸に拳を当てた。彼女の言っていたことを理解して、心臓の音が大きくなる。澪が、僕のことを? いったい何時から。断片的な疑問が頭を埋め尽くしてまともに思考できない。
「何で、僕なんだ」
「理由なんている?」
澪が距離を詰める。僕の太ももに手を押し付けて、逃げ道をきっちりと潰した。僕の反応を一つも逃さないように顔を覗き込む。
「私、もう幼馴染じゃいられない。いたくない。カイは違うの?」
澪の声が震えている。期待と不安が入り混じった表情をしていた。それを見て僕は心の内を晒すことに決めた。
「……僕も同じ気持ちだ。そうじゃなかったらこんなに悩んだりはしなかった」
澪は僕の言葉を聞き届けるとバッと勢いよく両手を挙げた。僕から距離を取ると公園の中心へ小走りに向かって「やったー」とジャンプをする。
「あんまり無茶するなよ。体弱いんだから」
「だって我慢できなかったんだもん。……嬉しい。泣いちゃうかと思ったぐらい」
自分のことを忘れるぐらいに喜ぶ澪を見て、思わず頬が綻んだ。彼女にとって最大限の賛辞であることを僕は知っていたから。
僕の中の澪と同様に、澪にとっての僕は大切なものであったのだと実感して、それからようやくジュースに口をつけた。
布団の上で明日、週末映画館に誘うことを決めた。いち早く彼女と念願のデートをしたかったのだ。映画館を選んだのは定番という理由もあったけれど、何より澪が好きそうな映画が公開することを覚えていたからだ。
実際に誘ってみると澪は迷う間もなく頷いてくれた。それからは会うたびに二人して出かけるまでのカウントダウンをした。ここ数年で空いた距離を埋めるような何気ないやり取りが続いて、僕らは当日を迎えた。
待ち合わせ場所は映画館に隣接する駅にしていた。僕らの家はとても近かったけれど、それでは味気ないと思ったのだ。これまでとは違う関係性、これまでになかった時間を捻出してみたかった。
澪には「非効率的だ」と言われたけれど、彼女がどんな格好で来るのかだとか、今日はどんな話をしようかだとか考えながら待つ時間は悪いものではなかった。
改札近くの自動販売機で喉を潤し、スマートフォンに目を落とすと澪から「もうすぐ着くよ」と連絡があったことに気が付いた。
「お待たせ」
スニーカーで小刻みにステップを踏みながら澪は僕に近づいてくる。
純白のニット。ジーンズはやや掠れて空の色に近づいている。茶色のチェスターコートが澪の小柄な体を包み込んでいた。
普段のいかにもと言った女の子らしさじゃなくて、ボーイッシュな印象。そのギャップに僕の気持ちは引き付けられてしまう。
「結局、どれぐらい待ったの?」
「……いや、自分で待ちたいって言ったんだ。気にするな」
「私が気にするの」
「三十分」
「結構待ったね。手、冷えちゃったでしょ?」
彼女はそう言って僕の手を取って指先を握る。自分よりも高い温度で掌が温め直されていく。突然の出来事に僕から落ち着きが失われていった。
「手袋してくればよかったのに」
「去年どこかにやって、まだ買い直せてないんだ」
「そっか、じゃあそのうち買いに行かなきゃね」
澪はそう言って、鼻歌交じりで映画館へ続く階段を下った。
▼
「良い映画だったな」
「いやー、泣けた」
「見れば一瞬でわかる嘘をつくな。だいたい、澪は昔から映画とかマンガで泣かないだろ」
というか小さなころから泣いているのを見た覚えがない。ここ数年、彼女は明るくなったけれど、それでも感情の起伏はなだらかだった。
「でも、“泣ける映画”とか好きだよな。どうしてなんだ?」
「うーん何でなんだろうね」
「自覚無しなのかよ」
澪は人差し指を口に当てて、遠く透き通った空を眺める。
「たぶん、うるっと来る直前みたいな感覚が好きなのかもしれない」
「ああ、泣けないからと言って感動していないわけじゃないのか。ただ、泣くまでに距離があるだけってこと?」
「うん。そういうことなんだと思う。だから、本当に自分を泣かせてくれるものを探しているのかもしれないね」
「……見つかると良いな。本当に泣ける映画」
澪が「うん」と頷いて、口角が柔らかな曲線を描いた。それにつられて、僕の頬もほころぶ。タイルの上を数歩進むと、腹の虫が音を上げた。それを合図に僕は彼女と早めの夕食をとることにした。
映画館に隣接していたハンバーガーショップが目について、中に入る。二人でレジ前に並んで、注文をした。僕はセットにハンバーガーを二個。彼女は単品に飲み物だけだった。先に来た飲み物にストローを刺す。
「今日は、誘ってくれてありがと。久々にカイが誘ってくれて嬉しかった」
「そりゃどうも。喜んで頂けて何よりだ。でもまだ終わりじゃない、もう少し遊ぶんだから」
「そうだった」
澪がぺろりと舌を出して誤魔化した。あざとくて、可愛らしくて、この生き物が自分の恋人であることが未だに信じられない。落ち着きを取り戻すために繰り返しストローに口をつけてしまう。
やがて店員がバスケット運んできた。中には僕らが頼んだ物が入っている。店員のマニュアルをなぞった言葉に適当な相槌を打って、机に置かれたボテトを口にした。
「次はどこに行こうか?」
「次、か。澪は行きたい所はないの?」
「私は……そうだな。海が良いな。少し離れた所だったけれど、歩いていけない距離じゃなかったはず」
行儀が悪いと分かっていながらもスマートフォンの画面に指を走らせた。「近くの海」と、ものすごく大雑把なワードで目的地がヒットする。確かに歩いていけない距離ではなかった。
「悪くないな」
「やった。じゃあ決まりだね」
「食べ終わったら食後の運動も兼ねて歩いて移動しようか」
澪は頷いて再び食事に戻った。包み紙の中からひょっこりとハンバーガーを出して、小鳥のようについばむ。僕はそれを眺めながら食事をした。一足先に先に食べ終わると、澪は慌ててペースを上げる。それがなんだか微笑ましかった。
店を出て、人混みを避けて海を目指した。地図上に引かれた灰色の線を自分たちの足跡でなぞる。
その間澪はやけに饒舌だった。頭の中に積み重なっていた記憶の地層を掘り返すように、かつての思い出を語る。
初めて行った夏祭り。
二人の無計画な自転車の旅。
昔は半分に割るアイスが好きだったって思い出して、冬なのにコンビニでアイスを買った。内側から身体が冷えて、アホなことをしたなって二人して笑った。
やがて建物が減って、視界が開ける。どこまでも広がっているように見える水平線が夕日を反射してキラキラと光る。
隣にいる澪を見た。
浜風で髪が揺れている。黒髪と夕焼けの色が溶け合う。その光景は澪と初めて会ったときのことを思い出させた。
視線に気が付いた澪が「何?」と微笑みかける。その瞬間を目にずっと焼き付けておきたいと強く願った。
「なんでもないよ。特に意味なんてない」
僕は澪よりも前に出て、砂浜の前にある階段を下った。砂にまみれてざらざらとしたコンクリートに注意しながら柔らかな感触の砂に足を踏み入れる。澪も後を付いてきて、並んで日が沈むのを眺めた。
「海なんて、何年振りだろ」
「澪は泳げないからほとんど来ることなんてなかっただろ」
「そうだね。海に行くとなるとどうしても「泳ごう」って話になるから、露骨に避けてた。でも、景色は好きなんだよ。泳ぎたくないけど、見には来たかったんだ」
澪は目を細めて遠くの水平線を注視する。
太陽が沈む。夕焼けが水平線の向こう側へ逃げていく。それは楽しい時間の終わりを示している。幼い頃からそれは変わっていない。
けれど、昔ほど残念には思っていない。これで終わりじゃない。明日がある。僕らには日を跨いでもつながったままでいられる、関係になれたのだから。
街灯に明かりが灯る。さっきまでの光景が嘘のように海辺は暗く、寂しい景色になった。僕は澪に手を差し伸べた。
「帰ろうか」
「……うん」
澪は頷いて、名残惜しそうに海を一瞥してから手を取った。
砂浜を歩いて、砂にまみれた階段を今度は上る。上りきるまであと数段と言った所で澪と繋いでいた手がグイっと後ろへ引かれた。
突然の訪れた危機だった。けれど我ながら反応は素晴らしかった。近くの手すりを掴んで、階段を転げ落ちるギリギリのところで踏みとどまる。
強く握っている手の感触を確認した。澪が心配で振り返る前に、違和感を覚えた。
手は握っている。僕の右手には彼女の手がある。けれど、あまりにも軽い。人一人の重さがその先にあるはずなのに、まるで筆箱を持っているみたいな感覚だった。
「おい、澪……?」
ゆっくりと首を回す。古いブリキの人形のようにぎこちなかった。いるはずの場所に澪の姿はない。あるのは握ったままになっている彼女の──
「うわぁああああああああ──────!!!!!!!!」
投げた。投げてしまった。飛び散った液が頬にかかる。階段の上を転がっていくそれの先には彼女が倒れていた。地面にうつ伏せになって顔が見えない。
今見た“物”をすべて嘘だと、ドッキリか何かだと信じたかった。けれどさっきの感触も、倒れて動かない彼女の姿も、何度呼吸しても消えて無くならない。
呼吸が乱れていく。
瞬きが上手くできない。
パチ、パチと何かが弾けるような音だけがこの場に響く。
自分から水分と空気を極限まで絞った後みたいにめまいがする。自分も崩れ落ちそうになって、こらえる。手すりを握り返す。
一度目を閉じた。呼吸を意図的に遅くする。そうすることでようやく、階段の下に行かなければ、彼女に声をかけなければと、頭に浮かんだ。
階段を駆け下りる。
「澪、しっかりしろ」
澪の身体を起こして、肩をゆする。苦しそうに声が漏れた。瞼がぴくぴくと動いて、ゆっくりと目を見開く。
僕のことを補足するやいなや、澪はザリガニの如く真後ろに跳躍。繋いでいた手を抱え込むように隠している。
「み、見ないで!」
澪の忠告も空しく、僕は既に見てしまった。首を横に振る。
「……悪い。もう見た」
懸命に、何事も無かったかのように声色を繕った。僕よりも動揺する澪にこれ以上の不安を与えたくなかったのだ。
僕の言葉を聞き入れた澪はだらりと抱えていた右腕をだらりと垂らした。
彼女の隠していた物。パチパチとスパークする右手首。漏れて、砂に吸い込まれる潤滑油。その先についていたはずの“物”をさっきまで僕は握っていた。
ニノマエ・ミオは人間ではない。
僕は改めて、事実を確認した。
「そっ……か。もう手遅れだね」
力なく澪が笑う。表情が彼女から失われていく。
「限界が近かったとは言え、こんなドジを踏むなんて思わなかった」
「お前は……」
「私は潜入捜査用アンドロイド試作№0010番。人に限りなく近く、人に愛され、欺くことに特化した機械だよ」
残った手を胸にあてて、淡々と、説明書を読み上げるように澪は言う。それはかつて、出会ったばかりのことを思い出させるものだった。
「最近の機械は知能だけじゃなくて身体も成長するんだな」
「周囲の影響を受け、学習し、身体部品を取り換えながら社会に馴染んでいく。費用は掛かるけれど、経歴があった方が都合が良いの」
「まるでSF映画みたいな設定だな」
「設定じゃない。嘘みたいな真実だよ」
僕は「そうだな」と頷いた。形だけの相槌だった。話を聞きながらも、どこか浮世離れしていて、現実として受け入れることができていない。
そんな僕を見透かしたかのように彼女は言う。
「……本当はカイのことなんて好きじゃなかった」
咄嗟に目を逸らす。耳をふさぎたくなって、その寸前で踏みとどまる。そんな僕に澪は追い打ちをかけるように言う。
「カイは告白をしたのは都合が良かったから。私は君の好意を知っていた。私は君のことを良く知っていた。これから先、多くの人を騙すための実験にちょうど良かったんだよ」
澪と決して目を合わせずにいた。つらつらと述べられる機械的な言葉がただただ苦しかった。
彼女と自分にどうしようもない隔たりがあることをどうしても認めたくなかった。
「おかげで良いデータが取れた。こうすれば恋人を演じられるんだって学習することができた。本当にありがとう。君は素晴らしいサンプルだった」
砂浜に膝をついた。僕はそれだけ澪の言葉に参ってしまっていた。
自分の信じていた事が崩れ去って、今までの喜びが全て裏返る。この場にある空気が棘のように突き刺さってくるように思えた。
そんな時だった。僕は澪の左手が震えているのを見たのは。欠損した右手首を押さえつけるようにして誤魔化している。
故障ではない。さっきまで澪の右手はあんな風に震えていなかった。
さっきの彼女の言葉がリフレインする。『人間に限りなく近い』というのはこんな時には不便だと思った。足に力を入れて、崩れた身体を再び立たせた。
僕はまた澪と顔を合わせた。目と目が合う。彼女の瞳が揺れている。それで僕は確信を得た。
「澪は嘘が下手だな。説得力がない」
「嘘なんて言ってないっ……私は本当のことを──」
「だったら、そんな目をするなよ。そんな声になるなよ。最後まで冷たく突き放せよ!」
僕は澪に詰め寄る。澪の表情が歪む。泣き出しそうで泣けない彼女の胸元に拳を軽く当てた。
「澪の本当の気持ちはなんなんだ!」
僕は感情のままに怒鳴りつける。澪は俯いて黙り込んだ。次の言葉が出てくるまでには、随分と時間がかかった。
「……ごめん」
浜風に紛れて消えてしまいそうな声だった。
人間と同じ感情を学習し、同等以上の知能を持ちながら、澪と僕は根本的な、解決できない所で異なってしまっている。
自分ではどうにもできない罪悪感みたいなものが澪にはずっと存在していたのだろう。そう感じたからこそ僕は首を横に振った。
「謝らなくていい」
「どうして?」
「澪が望んでどうこうできる問題でもないだろ? 生まれた時から決まっていることだったんだから」
人が生まれてくる親を選べないように、機械だって誰から作られるのかを選ぶことができない。そして、どちらもどのような存在になるのか選べない。
だから、さっきの言葉は澪が口にするのは違うと思った。
「それに……騙すことが本分の澪が、僕から学んで“騙したくない”と思ったのなら、僕にとって誇らしいことだと思う」
一歩近づく。澪と目が合う。瞳が揺れている。身体が震えている。それをかき消すために彼女の身体を抱き寄せた。
「だから、ありがとう。話してくれて」
自分の胸に収まった澪の頭を触れる。さらさらとした感触が指先から伝わった。シャツの胸元をぎゅっと片手で捕まれる。
「何で、そんなことっ……言うの……? 憎んでよ、嫌ってよ、軽蔑してよ。そうじゃないと、私は……」
「できないよ。僕はこれ以上ないぐらい澪に上手く騙されて、愛してしまっているんだから」
僕の胸元に強く彼女の顔が押し付けられる。感情の乗った叫びがあふれ出す。嗚咽のようであったけれど、僕の胸元は決して濡れなかった。
澪が落ち着いて、僕から離れる。申し訳なさそうな、僕の様子を探るような表情を見せる。それを見て口角が上がった。
「……笑わないでよ」
「いや、ちょっと安心したんだ。やっぱり澪は澪だったなって」
「何それ」
澪が微笑む。
「ありがとう。すごく嬉しかった。……でもごめん。もう恋人でも、幼馴染でもいられない」
「え?」と間抜けな声が漏れる。
振り払ったはずの絶望が冷えた手足からまた染み込んできた。今度は僕の声が震えて、上手く話せなくなる。
「何で……」
「私達の存在は知られちゃいけないから」
言葉を失う。
澪のようなものは存在が知られていないことが大前提。人間かどうかを疑われない事こそが使う者にとって何よりも重要だ。ちょっと考えれば分かることが、頭から抜け落ちていた。
「だから、私が記憶を消す。そうすればカイは無関係でいられる」
「やめてくれ! 巻き込まれたっていい。どんな目にあったって、僕は澪と──」
澪は首を振る。黒髪が揺れた。月光に照らされる色白の肌が綺麗だった。
「ダメ。カイにはそのままでいて欲しい。私が好きなカイのままでいて欲しい」
澪の左手が頬に触れる。存在を確かめるように顔の輪郭をなぞった。
「それだけが、私の望み」
「……そんなこと言うなよ。誰に管理されてるだとか知らない。けど、逃げたっていいじゃないか! そうすれば、これからもっと──」
必死に訴えるけれど、澪はまた否定する。
「逃げたって長くはもたない。もう、階段だってまともに登れなかった。遅かれ早かれこうなるのは必然だった」
あふれ出そうな雫をこらえる。勝手に動く表情筋を何とかして制しようとする。結局それも無駄な努力だった。
「だからお願い。これが、最後だから」
見上げる澪に僕から涙が落ちていた。頬を伝って砂浜へ落ちていく。泣かない彼女が泣いているように見えた。
「ああ、分かった」
僕は震える声で頷く。
澪は満足そうに笑って、僕たちは初めてキスをした。深く、互いの熱を確かめるようなキスだった。
彼女が離れる。覚醒していた意識がゆっくりと薄れていく。倒れてしまいそうな身体を澪が抱き寄せた。たぶん、このまどろみに身を任せたら彼女のことを忘れてしまうのだろう。
朦朧とする意識の中、澪に手を伸ばす。さっき彼女がしたように頬に触れる。感触だけで存在を認知した。
「さようなら。初めて声をかけてくれたのがカイで良かった」
その言葉を最後に僕の意識は断たれた。