転生したはいいが、同僚の腹パンが痛すぎる! 作:Mr.You78
彼の安否を気遣うコメントが非常に多かったのでね。
ズルズルと引き上げられていく感覚。
まるで錨を巻き上げるようにゆっくりと、覚醒していく。
最初に感じたのは……唇の隙間から一滴ずつ流れ込んだ雫が、舌の上へと滴り落ちる感触だった。
次いで、ポチャンと水面が揺れる音。
「……?」
ここは……どこだ?
なんとかして状況を……思い出そうとして、急速に血の気が失せる。
確か自分は、つい先ほどまで、お互いのお薦め作品を紹介し合う同時視聴会で盛り上がっていたのではなかったか。
だが、それは決して直前の記憶ではなく……その後に会話の流れに棹を立ててまで、友人達との通話を切り上げたのだった。
――
「(――ヤバイヤバイヤバイ!!)」
今の体勢は……足を放り出して座り込んでいる状態。
それも浴槽の中で、だ。
つまり自分はさっきまで……風呂で寝落ちをかましていたのである。
「(いったいどれだけ意識を失っていた!? いや、そんな事よりはやく起き――)」
慌てて身を起こそうとして……失敗した。
体がピクリとも動かない。
それどころか、瞼すらも開かないではないか。
ただ肌から伝わる感触で分かった……自分は今、鼻まで湯船に沈んでいる。
つまり覚醒する直前まで、この体は新鮮な空気を取り込めていないのだ。
「(そうか……それで動けへんのか)」
鈍くなる思考の中、妙な納得が彼の臓腑にストンと落ちる。
それが、酸素の遮断されたせいなのか、それとも起き抜けで肉体がまだ寝惚けているからなのか。
明確な理由は分からないものの、この感覚には覚えがある……いわゆる金縛りという奴だ。
よく言う霊感的なソレではなく、夢の中から脳だけが覚醒したにも関わらず、肉体のほうはまだ眠っている――彼も、酷く疲れた状態で寝た時に何度か経験がある――状態の事。
そういう時は、脳の信号を肉体へ接続してやれば良い、と知識で知っていたので、彼はいつも大声を出しながら強引に寝返りを打とうとする事で、この金縛りから脱する事が出来ていた。
そして力尽くでこの状況を突破した時は大抵、野太く叫んでいるつもりが、喉の奥から鶏の断末魔の如きか細い悲鳴が漏れるので、金縛りが解けた後に笑ってしまうのだが……今のこの状況は全く笑えないぞ。
うーん……何とか開いた薄目に映る景色が、極彩色とモノクロを行ったり来たり。
激しい明滅の中で、流れる雲の幻覚が見える。
おほほ、これはやばいぞ。
「(ああ――人間ってこうやって死ぬんか)」
死の予感が一歩、また一歩と着実に迫る中、不思議と気持ちは落ち着いていた。
まるでさざ波ひとつ立たない、この湯船のように凪いでいる。
とても――静かだ。
彼は、もはや一周回って焦りの霧散した、穏やかな気持ちでソレを受け入れつつあった。
本格的に、酸素が足りなくなって思考が回らなくなってきたのだろう。
風呂場での水死は、非常に静かだと言うが……それは、今際の際で、一切暴れたり騒ぐことも出来ないような状態へ追い込まれるに過ぎないのだな……という、ある種の知見と納得を、彼は得た。
「(……みんな悲しませてしまうな……ごめんな……)」
この静寂なる空間の中にあるのは、死への恐怖ではなく……別離の悲しみだけ。
それだけが本当に心残りで……
「(……いや)」
水中で指がピクリと震える。
「(こんなところで……死んどる場合やない!!)」
頭を過るのは、両親、友人、思い人、同僚に……まだまだやりたい趣味も、山ほどある!!
それらをやり残したまま……死んでしまうわけにはいかないのだ!
「(うおおおおおおおおおおおおおおっっ!!)」
文字通り、奮起した彼は死に物狂いで体を動かした。
瞼を開けようとして白眼を剝き、口に溜まった水が喉へ、そして肺に入ってしまわぬように舌で堰を作る。
幸い、水を飲んだわけではない。
新鮮な空気さえ……空気さえ吸い込めば、まだ肺は生きている。
肺胞の働きは不随意だ。
酸素に触れさえすれば、あとは肉体が勝手にやってくれるはず。
ならば自分がやるべきは……全身全霊をかけてでも、鼻を水面から引き抜く事それだけだ!!
恐ろしく緩慢で、恐ろしく鈍い感覚のままに、鉛の如き肉体が軋みを発する。
本人からすれば、再起動した巨大ロボットや宇宙戦艦が、土中から地響きを立てて現れるかの如く豪快な動きのつもりだが、その意に反して実際の動きは僅か数㎜程度のものでしかない。
坂道を自転車で、6速ギアのまま駆け上がろうかという程の抵抗と無謀さを感じながら、それでも諦めない。
「(ぐおおおおおおおおっっっ!!)」
そんな事が起きようハズもないのだが、僅かばかりの可能性にかけて、心臓を自分の意志で動かして、血液を全身へ送ろうと試みさえもした。
それぐらいの必死さでもって、彼は自分の体を動かさんとしていたのである。
そして……
「(……やった! 鼻が……出たッッ!!)」
水面から、自分の鼻がそっと離れるのを感じる。
本当に、かけた労力に比して僅かばかりの高さでしかないが、動いたのだ。
彼が沈んでいたのは、鼻の穴が塞がるか塞がらないかギリギリのラインだったわけである。
「(あとは息を吸うだけや……)」
鼻から酸素を目一杯に吸引しようとして……
「(アレ? 息が吸えん……? 息って普段どうしてたっけ?)」
彼は、呼吸の仕方が分からなくなっていた。
姿勢が悪いのか?
腹が膨らまない。
まさか水圧のせいというわけでもあるまい。
たかが湯船程度の深さだぞ。
まあ、その深さは人を殺すに充分ではあるのだが。
酸素不足のせいなのか、それともまだ寝惚けているからなのか。
とにかく息が吸い込めない。
「(……か、肩や!! 肩を持ち上げろォ!!)」
こうなれば腹式呼吸は諦めて、肩で息をするしかない。まさしく文字通りに。
その為には背骨を伸ばし、肩甲骨を開いて胸腔のスペースを確保しよう。
自分の体を、天井から垂れたテグス糸で操るのだ!
幸運な事に、鼻が空気中へ出ているからか、呼吸をせずとも最低限の空気流入があったのだろう。
げに素晴らしきは生命の神秘。
人間の生命力もなかなか捨てたものではない。
どんどん視界の色が落ち着き、あるいは色彩を取り戻していくにつれ、体の制御も戻ってくる。
彼は、自身に生命の息吹が再び戻ってくるのを全身で感じ取っていた。
「(いける……! これなら……!)」
――その時。
彼は咳をした。
相当に無茶な動かし方をしたのか、あるいは気の緩みで口内の水が気道へ入ってしまったか。
とかく、意識の外から急に嘔吐きが駆け上がってきて……彼はその欲求に抗えなかったのだ。
「ごぽっ」
口から溢れた気泡が不規則な対流を口元に作り出し、あぶくの爆ぜた飛沫が鼻へ入る。
唇の隙間から逆流したぬるま湯が、彼の喉へと殺到し――
――アカン。コレ。死ぬやつや。
彼が覚悟を決めた時……
ドンッ……!
と殴りつけられたような衝撃が、彼の鳩尾を直撃した。
「ごほぇ!?」
先ほどの比ではない大きさの咳が、彼の口から飛び出して、喉へと入りかけていた湯を全て吹き飛ばしたばかりか、その勢いで上半身が数センチは浮き上がり、彼の顔を水面から完全に引き剥がす。
「げほっ! がほっ……げぇえ、えぇ……!」
湯船のへりに脇を引っ掛け、体全体でもたれかかった彼は、急いで口に残った水分を吐き出しながら、周囲の空気を貪欲に吸い込んで、暫くは一心不乱に深呼吸を繰り返すだけの機械と化した。
やがて、咳や鼓動や鳥肌がある程度治まった事を確認してから……ザバッーと飛沫を散らしながら、その全身を湯船から引く抜く事に成功する。
どうしても細かい身震いが止まらないが……すっかり熱を失ったぬるま湯に浸かっていたから、湯冷めしてしまったせいだと思いたい。
少なくとも今は、精神衛生上、そうしていたかった。
なにせ、一刻も早くここから出て……体も拭かずに布団へ潜り込む口実が欲しいのだ。
もう一度シャワーを浴びる気にはなれなかった。
――
「……ただいま」
『おお、お帰りー。えらい早いやんか』
『あれ? 確かついさっきやったよな? ふろりだ言うて出て行ったん』
『烏の行水にも程があるぞ』
遅れてやってきた底冷えするような震えで、暫く眠れそうにない。
なので、現実逃避とばかりに暖かさを求めてか、枕元に転がっていたヘッドセットを手に取った。
湿ったままの髪にそれを装着すれば、友人達の声が聞こえる。
幸いにも、音声会話の部屋はまだ続いていたようだ。
彼らの反応を聞くに、あれから大して時間は経っていないらしい。
こっちとしては、3年は離れていたような気分なのだが。
彼らの声を聞く事が、これほど幸せな事だとは。
いつもは延々と続く世間話や、変な理屈めいた問答が次々と飛び交って、まるでディスコの如き喧騒に支配されている空間だが、スナックノアほど退廃的でもなければ、非建設的というわけでも無い。
「うんまあ……ちょっと死にかけついでに、地球救ってきてん」
『はあ?』
……さっきの事は、口が裂けても言うまい。
いや、言うには言うのだが、少なくとも今はタイミングが違う。
あまりにも強烈な体験が、立て続けに起こり過ぎて、自分自身でも、それらを整理する時間が欲しい。
走馬灯代わりに見た、あの幸せな経験が……果たして一睡の夢だったのか。
それとも……
どうにも自分自身ですら、ちょっといろいろと信じられない事なのだから。
風呂場で溺れかけて転生してましたとか……んなアホな。
間抜けにも程があるというか……まず間違いなく、転生云々よりも、風呂場で寝るなどという危険行為について心配され、説教の集中砲火を食らうだろう。
いずれそれは、甘んじて受けなくてはならないとは言え……今は勘弁してほしいのだ。そんな、泣きっ面に蜂みたいな……泣くぞ。
ただひとつ言える事は、随分とまあ都合の良い妄想だったなと思う反面……もしもあの一瞬で、あれほど壮大なストーリーが自分自身の頭の中から出て来たとするならば……
恐らく今頃は、小説家として食っていけたんじゃなかろうか、と確信できるレベルだった。
あれは間違いなく、素人なら執筆だけでも3年間はかかる超大作だ。構想も含めればいやもっと。
そして、なにより……
「ま、オレの風呂が短いのはいつもの事よ。そんな事よりえらい盛り上がってたけど……何の話してたん?」
『それがさ……コイツが書いた小説がさ……! ほら、先生。言ってやって下さいよ!』
『あ、今の流れで僕が言うの? じゃあ……ゲフンゲフン。えー、なんというか……僕の書いた二次小説が……なんか原作者の目に止まってイイネまで頂いちゃいましたー! いえ~い! ピスピス』
「……はぁ!?」
二次小説が原作者から認知される……
そんな事があってよいものなのか?
というかまず、そんな事態が発生し得るのか……?
「え、随分とまあ……世間てのはオレらが思ってる以上に狭いというか……いや。普通に凄くね?」
『うん、これは凄いよ。あんま聞いたことないもん』
『いや~これは僕の作品が凄いというよりは、あの原作者さんがその辺り超フランクというか、アンテナが凄いだけ……というのも、あるんだけどね?』
『いや、それでもお前が作品を書かなければそうはならんかった! だって自分で小説書いてさ、それを世間様に公開するんだぜ……? 考えらんねぇよ!』
『それは褒められてるのか……?』
『ああ褒めてる! まずそこまでのお出し出来るクオリティのモノが書けるというのが凄い! それだけ自信ある作品を書くためには、熱意も読み込みも、メッチャ要るって事ですよね!? 俺には無理! だから、お前は偉いぞ!』
『それは……まあ……そこまででもあるかな! ガハハ』
「ほお、それは……良かったやんけ~!! マジで凄い事やわ」
『ありがとう。ありがとう』
『正直、これは俺も羨ましいですねぇ~大先生~!』
『それでな、もしも! もしも自分で二次小説というのを書くなら! それはどんな作品かという話をしてたわけ』
「……ほう?」
このように、議題がいつも生えてくるのは大変楽しい場所である。
実に興味深い話で、彼の意識はもう先ほどの恐怖体験などすっかり頭の片隅に追いやってしまった。
『つまり、自分自身の根幹となるような……こう、原初の風景みたいな……これなら二次創作できるくらいに理解力ありますっ、ていう魂の作品はどれかという話よ!』
『待て、それで行くと僕の魂はあの作品って事になる……?』
『全員に単行本送りつけるような奇行は、充分に作品から魂も支配されてるやろ』
『そうかも』
「面白そうやな~! そんならオレはねぇ……!」
『あ、お前には聞いてない』
「は?」
食い気味に待ったをかけられ、理解に数秒を要した。
お前には聞いてない、やと……?
キレそう。
『だって聞かんでも分かるしなぁ?』
『うんまあ分かる』
『僕でもあんまり詳しくないけど知ってるもんな。名前は忘れたけど、あの赤い奴やろ。頭にカッター付いてるやつ』
「えっ!? 君ってセブンの事知ってるん!? 初耳なんやけど!? コスモスしか知らんと思ってた! なんや、はよ言うてよ~~」
『だから、君から聞いてんて!! それ以外で僕が知ってるわけないやろ!! 昭和の作品なんて!』
「そうやったかぁ……それなら……そうやろなぁ……」
そういえばそうだったか……まあ、布教は呼吸と同じみたいなもんだから……
しかし、普段から公言し過ぎるのも考えものである。
こういう面白そうな企画から参加資格を剥奪されてしまう。
『むしろ、なんでまだ書いてないんだってレベル』
『ああいや、待って。なんか読んだ気がするなあ……君の事だから……こうやろ、「おのれノンマルトォ! ミサイルポチポチポチポチ! 海も! 空も! 大地も! 宇宙も! 全て我々人類のものだァー! 人類大勝利! 希望の未来へレディゴー!」』
『ああ……読んだわ~。うん、読んだ。読んでないけど読んだ』
「はぁー!? キレた。もうキレたよ。ええもんね。セブンで二次創作書くし! その代わり絶対読めよ!? 読んだって言うたんやからな!? 男に二言はない! 有言実行やぞ!」
『えっ、ノンマルト全滅させてくれるんですか!?』
「するかぁアホ!! そんなんダン帰っていくわ!」
『えっ、マゼラン星にR1号をっ!?』
「う……うーん……しない……かな……」
『ダン! お前の代わりに侵略者の女はぶっ殺しておいたぞ! ……なんだその顔は? ダン? どうした? ダン!? 待て! ダァァァン!!』
『呆れて帰っていくセブンは草』
『帰ってきてくれウルトラマンって奴か』
「お前らなぁ……ええか、見とれよ……!」
『でもさ、書くって言っても題名どうするか考えてんの?』
『題名は大事やぞ』
「それはそうやな……」
……ふと、彼は自分の腹部をさする。
先ほど、自分を救ってくれたこの痛み。
きっと彼らが、渇を入れてくれたのだろう。
何やってんだ! という声が聞こえてきそうで。
生きているからこそ感じる、命の証。
「よし、決めた! 題名は……!」
入れるか悩んだエピソードですが、まあ……数ある平行宇宙のひとつという事で。
みんなも風呂場で寝るのだけは、やめような!
作者との約束だぞ!
この作品を読んでくれた人が、これを警句に長生きしてくれればいいなと思って……
もし万が一、億が一そんな状況に陥ったら、ここに書いてある通りに、死に物狂いで動いて見てください。
最後まで諦めなければ、可能性はありますので。
願わくば、そんな知識が役に立つ事が無いように祈っております。
……本当に気をつけようね!
気になる?
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8番目
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保安官
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補佐官
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星雲荘