転生したはいいが、同僚の腹パンが痛すぎる! 作:Mr.You78
「あ、あなたは……」
「どうしたね、ナンブ・サエコさん……ここは危ないよ、こっちへ来たまえ」
サエコの右足は、白衣姿のニワ教授から遠ざかるように、一歩引いた。
「こ、こないで……」
「なぜだね?」
「貴方は……宇宙人なんでしょう! 知っているのよ! 外でセブンと戦っているのもお仲間なんでしょう!」
「フッフッフ……そうか、君は知っているのか……ならば話が早い。私と一緒に来て頂こうか。ソガ隊員を、探しているのでしょう?」
「ソガ君を……どうしたの!」
教授がゆっくりと足を進めるごとに、サエコが後退し、その差は縮まる事は無い。
だがそれも、相手にまだそうする気が無いだけで、そんな距離はもはや何の意味も無い事を、サエコも理解していた。
「彼の知識は私も驚く素晴らしいものでね。母星にご招待させて頂こうと思ったまで。せっかくだから、君も一緒に如何かとね」
ニワにとって、この女自体にそれ程価値がある訳では無い。だが、ソガに対する人質としては充分すぎる程に機能すると踏んでいた。
連れ去った後に、情報を死守しようと舌を噛み切られでもすると厄介だ。いくら記憶探査機を使うといっても、できるだけ、協力的であるのに越した事はない。
そして対するサエコとしても、事情を殆ど理解していないとは言え、この宇宙人の腹積もりくらいは分かっていた。
「誰が行くもんですか……!」
サエコはバッグから小さな丸っこい機械を取り出すと、すぐさまピンを抜いて、さながら手榴弾のように敵の顔面目掛けて投げつけた。
それはピリリリと、けたたましい音を発しながら、教授の胸に当たると、深緑色のガスを噴射し始める。
彼女が投げつけたのは、ソガが密かに持たせていた特別製の防犯ブザー。ただのブザーではなく、ポインターのボンネットに搭載されているモノと、ほぼ同じ催涙ガスを噴射するという、一般人にプレゼントするには規定スレスレの代物であった。
相手がただの人間であれば、これだけで完全に無力化できてしまう程に強力な煙幕が、教授の姿を一瞬で覆いつくした。……しかし。
「……そんなッ……!」
それを何でもない事のように、薄ら笑いを浮かべた白衣姿が煙の向こうに浮かび上がる。大音量でがなり立てるブザーを、無感動に踏みつぶし、じわりじわりとサエコを追い詰めていくニワ。
「気丈な事だ。……私も手荒な真似はしたくない。君の意思で、こちらに来てくれた方が、彼の心象的にも良いのだが」
「見くびらないで! あたしは……」
「なぜそうも強情なのかね? セブンが勝つのを待っているのか? ……いいとも、見たまえ。アレが、私に勝てると思うのかな?」
ニワが指さす窓の向こうでは、無数の分身と赤い巨人が、チェーンビームを打ち合っている。
僅かな隙を見つけ、セブンがL字を組もうとするも、それを嘲笑うように、闇の中を異形の影が蠢いている。
プロテ星人は、いわばブロックの入った巨大な異次元バケツを背負っているようなもの。
次から次へと、その場で分身を作っては、それを仕舞い込み、また取り出す事で、変幻自在にセブンを翻弄しているのだ。
「多少は知恵を付けたようでも、所詮は猿真似だ。どれだけ強力な武器があろうと、それでは私の抜け殻には勝てん。あのままエネルギーの切れた所を、一斉に囲んでしまえば……どうする? 君が大人しく来てくれれば、セブンを虐めるのも止めてあげましょう」
「いいえ、どんな時でも、彼らは絶対に諦めないわ、きっと……セブンも、ソガ君も!」
「ふむ、随分と彼に入れ込んでいるようですが……なんと哀れな」
「哀れですって!?」
思わず語気を強めたサエコの目に、教授の笑みが、三日月のように映った。
「さよう、教えてあげましょうか。君の婚約者は……」
――――――――――――――――
宇宙と大地が触れ合う境界線の遥か彼方。
ウルトラホーク2号に乗り込んだキリヤマ達の前で、人工衛星が円盤に持ち去られていく。
ソガからの信号が途絶えた事で、やはり衛星が黒だと判断し、出撃していたのだ。
だが、円盤はホークの亜音速すらも追い越す凄まじいスピードで飛び去って行くではないか。
「今撃てば、衛星ごと木っ端微塵だ」
「とても追いつけんな……」
「全速力で追え! 必ず捕まえてやる!」
ダンの報告では、あの中にソガがいるのだ。
しかし、もうそろそろで地球圏を脱出してしまう!
時間が無い!
――――――――――――――――
「そ、そんな……」
「驚いただろう。時間旅行など、我がプロテスではさほど珍しくもないが、君達にとってみれば、夢のまた夢。つまり、彼からすれば、我々はみな、原始人のようなものなのだ。分かり合えると思うのかね?」
「でも……それでもソガ君は、あたしたちと……ずっと……」
教授の口から知らされた真実に、足元が崩れ去るような心地のサエコ。
信じがたい話を聞いて、頭が混乱する彼女へ向けて、さらにニワは畳みかける。
「随分と自信過剰ではないか。あの男にとって君は、ただの通りすがりに過ぎない。私と同じく、イチノミヤ君へ近づく為に、少しばかり利用してみただけなのだ。認めなさい。偽物の為に、これ以上意地を張る必要なんて有りはしないだろうに……君の愛する男は、もうどこにもいないのだ。どこにも」
「……そう……そうだったの……」
がくりと項垂れ、壁にもたれる女へと、一歩ずつ足を進める教授。
彼の耳が、微かな声を捉えた。
「それで……ようやく合点がいったわ……あの人ったら。急に軟派な文学青年になってしまうんだもの……」
「分かったかな? では……」
「……ですけれど!」
サエコは細めた瞳に涙を浮かべながら、意地の悪い笑みを浮かべた老人を、キッと睨んだ。
「お生憎様! そんな事は、貴方に言われるまでもなく、気付いていたわ! 女のカンよ……彼が別人になってしまった事くらい……そう、あたしは……そうよ、彼の顔に惚れたの! だからそんな事は関係ないのよ!」
「強がりはやめたまえ。瞳孔が縮瞳と散瞳を繰り返し、呼吸が荒くなっている。君が動揺しているのは明らかだ。例え僅かな違和感と疑惑があったとしても、それが確信に変わってしまった時、もはや以前と同じではいられまい」
何かが割れる大きな音がする。
サエコの白い指が、コンパクトを教授に投げつけた音だった。
鏡が割れ、小さなガラスの破片に、サエコの涙が反射した。
「分かった風な事を言って! 貴方こそ……貴方こそ何も理解できていないわ! 女は……女はね! そんな事はどうでもいいくらい、誰かを愛する事ができるのよ! 女は港なんてふざけた言葉があるけれど、そんな言葉が出来るくらい……男の帰る最後のよすがなのよ! 偽物ですって……? 冗談言わないで! そりゃああたしは、昨日まで何も知らないで、ただあの人にこの手が届くと思ってたような馬鹿でしょうとも! 滑稽でしょうよ! でもね、相手が自分の事を大事に想ってくれているかくらい……分かるわよ! そんな事であの人を裏切ったりするもんですか!! あたしはね……ウルトラ警備隊の妻なのよ!!」
恐怖に荒く息を吐き、肩を上下させ、震える足で、それでもなお、前を見据えたサエコは、カバンを大きく振りかぶってみせる。それ以上近づいたら、これでひっぱたいてやると言わんばかりに。
教授はその、呆れる程に愚かしく無様な姿を見て、深く深くため息をついた。
洗脳の第一歩として、心を手折るのが最も早いと思ったが、これほどまでに低能では、会話にならないと分かったのだ。
まるで興が削がれたような、空虚な気持ちで呟く教授。
「たかだか偽りで塗り固めた関係の為に、こうも無謀に振舞えるとは……いやはや、地球人というのはまったくわからん生物だ」
「それで結構よ!! あたしの愛するあの人は、たとえウルトラ警備隊だろうと、未来人だろうと……ソガ君はソガ君じゃない!!」
「よくぞ言った! サエコ君!!」
その時! 廊下の曲がり角から飛び出して来た影が、二人の間に割って入った!
ジャケット姿の青年が、その手に握っていた粉状のなにかを、ニワ教授へ向けて、思いッきりぶちまける!
「な、なんだこれは!?」
イチノミヤに妙な粒子を至近距離で投げつけられた教授が、激しくむせる。
別にどうという訳でもないが、たまらなく不快だ!
眼がチカチカして、煙幕の向こうが見通せない!
「貴方のお嫌いな火星の砂ですよ、教授! だから僕だって、配慮していたのに……ッ! サエコ君、こっちだ!」
呆然としていたサエコの腕を掴んで、イチノミヤが走り出す。
イチノミヤは、自分が特定の研究を行っている時、教授が絶対に研究室へ立ち寄らない事に気付いていた。
そのサイクルと、教授の普段の言動から、おおよその原因を察していたイチノミヤは、その実験を行う時は、必ずニワの不在時にするようにしていたのである。
そんな暗黙の了解と信頼関係が出来上がるぐらいの時間は、共に過ごしていた筈だった。
筈だったのに……
「イチノミヤァッ!!」
「ぐあっ!」
「イチノミヤさん!」
咳込む教授の立てた二本指から、二筋の光が発射される。
光線が青年の肩口を掠り、倒れこむジャケットの大きな背中。
「ふぅ……君までがこんな……実に愚かだ。揃いも揃って……」
肩を抑えて蹲るイチノミヤと、それを庇うサエコ。怒りと嗜虐をない交ぜに、引き攣った笑みを浮かべる教授の足音が、長い廊下に響き渡る。月明かりの下に照らされた彼の顔は、もはや人格者の仮面などとうに剥がれ落ちてしまっていた。
弱者達が自分を見上げるその表情に、えもいわれぬ愉悦を感じながらニワは口の端を醜く歪ませて……
窓ガラスを突き破り、黄色い半物質の鎖が、教授の白衣を絡めとる。
「何ッ!」
「デュアアアア!!」
気合い一閃、セブンが力いっぱい引き戻したラインビームの鎖の先では、教授が慣性の力を瘦身に受けて、くの字に折れ曲がっていた。まさに見事な一本釣り!
ソガから、「イチノミヤから目を離すな」と言い含められていたダンは、超人的な聴力で、一瞬の警報と喧騒を聞きつけていたのだ!
真っ赤な指が、老人を握りしめる。
『捕まえたぞ! プロト星人!』
「……捕まえただと? やはり君はいつまでも思い違いをしている」
『なんだと!?』
「キミには私は倒せんよ……ハッハッハ……」
セブンが握りしめた両手の拳の中で、教授の姿がボロボロと煉瓦のごとく崩れていく。
サエコに迫っていた彼もまた、抜け殻だったのだ……
――――――――――――――――
「フン、いつまでも私の抜け殻と戦っているがいい……」
誰も居なくなった書斎に、ニワ教授の姿が組みあがる。
ソガの人質を用意するという事には失敗したが、そんなものはおまけに過ぎない。
うまくいけば儲けものといった程度。
むしろ、セブンの気を引いて、巨大分身の攻撃チャンスが作れたくらいだ。
全て……全てが、ニワの計画通り、予定調和なのである。
あとはイチノミヤにも邪魔されず、さっさと電送機で……
「おっと、忘れるところでした」
教授は机の認証キーを開いて、引き出しから行きがけの駄賃とばかりに、桐の箱を取り出して、ポケットに突っ込んだ。極東基地の認証コードまで手に入るとは、まさに僥倖。なに、最初さえ突破してしまえば、後はどうとでもなる。
教授の頭は、とうに地球など陥落させたものとして扱っていた。
目下一番の興味は、ソガの知識を使って、どのように宇宙へ進出するかであって……
無限大に広がる、輝かしい栄光に、思わず微笑を浮かべながら、電送機のスイッチを入れる教授。
しかし、ふと感じる違和感。
いつもならば、即座に転送が始まるのだが……まるで機械の読み込みに時間がかかっているような……
やがて足先から細胞の解けていく感覚が昇ってくるものの、やはりどこかが違う……なんだ、何が起きている?
そして訝しむ教授は、やがて自分のポケットが激しく熱を帯びている事に気付く。
「……まさか!?」
彼が桐の箱を開くと、そこには認証コードも簡易マップも無く、その代わりとして少量の土と共に、何か小さな生物が、びっしりと箱を埋め尽くし、うぞうぞと蠢いていた。
もぞもぞ、もぞもぞ。
「こ、これは……ッ!」
慄く教授が身を反らし、傾いた箱から、2,3匹のナニカがぼとりと床に転がった。
突如として外界に放り出されて、慌てふためく哀れなその生命は……虫だ。虫の幼虫だ。
明かりに目が眩み、緩慢な動きで爪を振り上げる、たくさんのセミの幼虫達が、小さな箱に詰まっていた。
慌てて機械を止めようとするも、もう遅い。
彼は、大いなる全能感に浸っていた為に、緊急停止のチャンスを完全に逃してしまっていた。
そして、極めつけに不幸だったのは、ニワの頭脳が、この極限状態においてもその優秀さを遺憾なく発揮してしまった事。
故に彼は、この一人用の電送機に、無数の生命と同時に押し込められた自身の末路がどういうものか、正確に一つも余す事無く、最後の最期まで理解してしまったのだ。
「や、やめ……」
指先が、ツメが、目が、口吻が、電光に呑まれ、ブロックのように崩れては消え、崩れては消え……
そして、それらは細かい光の粒となって、全てが一つに混じり合い、解けていく……
セブンと対峙していた、巨大な星人の躰が、唐突に動きを止めたかと思うと、バリバリと雷を纏って発光し、溶けるように消えていくのを見て、サエコに支えられたイチノミヤは、自分の恩師が、最後の選択を間違えた事を悟り、静かに顔を伏せた。
「残念ながら教授……再生不能ですよ……」
待ってくれ、このままでは私は……いやだ、わたしはわわわしたしははわたtしハわタしはワタシハ……
……ワタシハ、ナンダ?
「やめろォオおおおおオオオォォooooooooooooooooo……………!!!」
絶望と後悔の叫びが、宇宙の闇へと霧散した。