文月とブラック鎮守府と新米提督   作:トマリ

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彼なりの、導き出した答え

 

 

 突然だが。

 自信というのは基本的に経験によって培われるものであると思う。あらゆる物事において勝った回数が多い人間は自信満々な人間になりやすいし、負けた回数が多い人間はオドオドした謙遜的な人間になりやすい。経験がまず自信を作り、そして自信が人柄に直結しているような面はあると思われる。

 そしてそういう面において、新月は間違いなく後者の人間だった。誰かと勝負して勝ったことなんてほとんどないし、物事を何の不備無く成功させた回数も片手で数えられるぐらいだ。自信なんて育ちようもない。

 だが、一点だけ。自己肯定感的な本能がそうさせるのか、新月は一点だけ明確に自分に自信を持っている部分があった。

 

 それは「幼い頃から不幸を経験した」ということ。

 

 もちろんその不幸は、世の中の本気で自殺を考える者たちほどの不幸だとは思っていない。だがそれでも、並の者よりは不幸やどん底を経験したと考えていた。だから、自分と同じような「不幸を経験した者」に寄り添うことはまだ得意な方だと思っていたのだ。

 

 

 

「ほんっと……浅はかだ」

 

 パサ、と日記を机に置く。

 日記を読んでから三十分ほどが経過している。読後感は最悪だった。今なら苦手なコーヒーも砂糖やミルク無しで飲めるかもしれない。チューブか何かを通して、胃に直接汚水を流し込まれたような気分だった。

 

 

「姉妹を誰も守れなかったこと……血を見すぎたこと……そして、仮にもかつて敬意を表していた人間と同じ職業の『提督』を、他ならぬ自らの手で葬ってしまった自分への嫌悪……」

 

 それが、文月のトラウマの大元だった。

 

 

()()から、文月がどのような気持ちで部屋に籠り、そして曲がりなりにも自分と接してきていたのか。それはもうわからない。

 だけど、

 

「なーにが『不幸な経験があるから文月に寄り添えるかも』だよ……。何も、文月のことをわかっててやれなかったじゃないか……」

 

 心の奥底で無意識にしていた推測が間違っていたと思い知る。……いや、「新月が不幸を経験している」という部分は間違っていないだろう。見誤っていたのは、「そうした自分の経験を今の文月に適応できる」と思い込んでいたことだ。

 

『アラツキ……』

 

「僕と文月の『不幸』の方向は、全然違ってたんだ。……まぁ当然かもしれないけどさ」

 

 新月は両手の平を額に当てる。

 

「そうだよな……考えればすぐにわかるよ……。『初めから持っていない』のと、『持ってたけど壊された』ってのは、違うに決まってる。……一応、わかっていたつもりなのに」

 

 初めから0であるのと、10-10をされて0になる。それは数値上なら確かに同じだろう。だが感情においては違う。

 前者(新月)より後者(文月)の方が辛いに決まっているのだ。

 光がなければ影も存在しなくなるように、初めから持っていなければそもそも不幸を認識しようもないのだ、かつての新月のように。

 だが文月は違う。

 はじめに幸せで満たされて、その中で築き上げて積み上げた価値観や自己を、粉々に潰された。新月とは違う理由で壊れた者だったのだ。

 新月はそこを見誤っていた。

 

 ()()()、新月と違い、文月の方は今も苦しんでいる。ずっと。

 新月にとってのヤマダのような人物もいないから。

 仲間は皆死んでしまったし、新月はヤマダのようにはなれない。

 

 

 だから苦しみ続けてる。

 彼女に非はないのに。

 

 これまで幸福だったのに。満たされていたのに。たった一つの不幸があっただけで。

 

 

「やっぱり……あんまりだ、こんなの」

 

 

 助けたい。

 本心から、新月はそう思っていた。本当に、打算も何もなく。

 

 救ってあげたい。手を差し伸べたい。自分にできることなら、なんだってしてやりたい。見返りも要らないから、ただ助けたい。

 だけど、方法がわからない。

 どうすれば彼女を助けてやれるのか。

 

 一体どうすれば、文月を過去から解放することができるのか。

 

「……わからない」

 

 頭を抱えたくなる。何もできない自分が歯がゆくてしょうがない。

 ……ヤマダなら、この状況ではどうしていたのだろうか?ヤマダなら───

 

 

『アラツキ』

 

 

 名前が呼ばれ、フッと顔を上げる。肩の上で、妖精さんが神妙な面持ちで佇んでいた。

 

「妖精さん……」

 

『アラツキハ、アラツキガ思ウ最善手ヲ打テバ良イ。他ナラヌ、ヤマダガソウ言ッタンデショ?』

 

「あ……そう、だったね」

 

 ダメだな、と新月は自分の頭を小突く。また悪い方向に向かおうとしていた。

 妖精さんは、なぜか胸を張るようなポーズをして言った。

 

『アラツキハサ、ヤマダヲ自分ヨリモ過大評価シテルミタイダケドサ、デモ、アラツキダカラ出来ルコトッテ、アルト思ウヨ』

 

「え?」

 

『ダッテ、ドンナ形デアレ、コレマデアラツキハ、フミヅキト正面カラ関ワロウト頑張ッテタンダカラ』

 

「…………!」

 

『ソレハ、ズットアラツキガシテタコトデ、アル意味ヤマダハシナカッタコトダヨ』

 

 頬を軽くはたかれたような、そんな感じがした。

 ……そうだ。自分だって頑張ってきたんだ。今まで無駄に手をこまねいていた訳じゃない。

 

 

 確かにもうこの鎮守府には、初代提督もヤマダもいない。

 

 

 だけど、今は新月がいる。

 

 

 等価交換として成立するのかはわからないが、とにかく今ここにいるのは新月なのだ。

 だったら……。

 

 新月にしかできない、とまで大層にするつもりはないけど。

 

 今は、吉田新月だからこそ打てる手を打とう。

 

 

「……ありがとう、妖精さん」

 

『イエイエ〜』

 

 

 

 だから、新月はとにかく考えた。

 

 どうすれば文月を助けられるのか。

 

 文月が何を求めているのか。

 

 自分に……何が出来るのか。

 

 

 妖精さんは肩に乗ったまま何も言わずに新月を見つめていた。きっと、新月が最終的にどんな判断を下しても、妖精さんはそれを尊重してくれるのだろう。

 そうした妖精さんの気持ちに応えるためにも、新月はただ考えた。

 もう迷いは捨てていた。たとえヤマダのやり方に劣っているのだとしても、せめて自分に胸を張れるやり方で、文月に向き合う。

 

 

 それは、他の妖精さんからのテレパシーが届くまで続けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識を失うと、いつも同じ夢を見る。

 最初の温かだった鎮守府と、地獄だった二代目の鎮守府。それらの光景が、起きたことが、早送りのような感じで自分の周りを流れていく夢だ。

 そして、最後にあの海での戦闘。

 助けを求める艦娘が何人も吹き飛ばされ、その血の雨が全て文月に降り注ぐ───といったところで目が覚める。

 いつも、この夢を見ていた。

 

 

 

 

 

 永遠にも思えた夢が終わり───文月は目を覚ました。

 最初に見えたのは、暗い天井。……いや、電気自体は点いているのだが、光量が心もとないため部屋の全てを照らせていないのだ。

 

「ここは……」

 

 体を起こし、目を部屋の明るさに慣らしていく。いつの間にか文月の服装は、睦月型の制服から病院の患者が着るような白い病衣になっていた。三日月が着替えさせてくれたのだろうか? 汗も拭いてくれていたのか、ベタついたような不快感も体には感じられない。

 

 

「目が覚めた?」

 

 

「っ!?」

 

 横から突然聞こえた声に、文月は思わず身を固くした。完全に一人と思っていた所で不意に別の人の声がしたから、多少は仕方ないと思う。

 しかもそれが少女の声ならばともかく男の声なのだ。……さっきまで夢で見ていた二代目の声とダブってしまう。

 しかし、

 

「そこまで身構えられると少し傷つくな。……まぁ当然だけど」

 

 文月の険しい雰囲気と裏腹に、隣に座っていたのは(まぁ当然だが)二代目ではなく……この鎮守府では三代目提督にあたる吉田新月だった。新月は困った表情で、警戒する野良猫のようになっている文月を見つめている。

 

「今はフタヒトマルマル、もう夜だよ」

 

「…………」

 

 相手が多少なりとも親交のあった相手と理解したからか、文月はさっきよりは張っていた肩から力を抜いた。

 代わりに目線を自分の足へ下げる。起きたときは気づかなかったが、体には薄い毛布がかかっていた。

 

「ここは医務室だよ。文月が倒れたから、とりあえず運んできたんだ」

 

「医務室……」

 

 辺りを見回してみる。確かに、壁の汚れや物の配置が文月の記憶と一致している。間違いはないだろう。

 ───そう理解した瞬間、文月の頭にズキズキと痛みが走り始める。

 

「医務……室……!」

 

 脳裏に光景がよぎっていく。

 皮膚を切った望月……右腕だけになった長月……呻き声ばかりを発する他の艦娘……。

 執務室や海ほどではないが、この部屋も文月にとってはトラウマが残る部屋に違いなかった。

 

「文月、だいじょう──」

 

「っ!いやっ!!」

 

 それを察知したか、新月が手を伸ばす。だがその手が文月に触れる前に、他ならぬ文月によってその手がはじかれた。

 バチン!とビンタでもしたような音が響き、提督の手の甲がジンジンとする。しまった、というような顔を新月はし、文月の方も無意識の行動に自分で驚いたような顔をした。

 

「あっ……ごめん、文月」

 

「…………っ」

 

 双方、バツが悪そうな表情になる。新月は文月を見つめ、文月はまた自分の足元へと視線を戻して。

 数秒、果てしなく重い沈黙が続いたが、やがて新月は意を決したように目を開いた。

 

「文月」

 

「…………」

 

 名前を呼ぶが返事はない。しかし彼女の目が僅かに反応を示したのを確認して新月は続ける。

 

「僕さ、あれから色々考えてみたんだ。文月に対して、自分が何を出来るのかなって。高校上がったばっかの頭を捻って考えたよ」

 

 文月が瞳を本格的にコチラに向け───所謂『横目』の状態になったのを見て、新月は懐からあの日記を取り出した。

 文月の瞳が一気に見開かれ、ようやく新月の姿を正面から捉える。

 

「これ……悪いけど、物置から見つけて、読ませてもらったよ。初代提督の記録も……文月の記録も」

 

「……そう」

 

 その彼女の台詞と顔にどんな感情が込められていたのか。残念ながら新月には読み取りきれなかった。

 ただ、文月の様子が明らかに変わった。一種の開き直りのようなモノへと。

 

「軽蔑……したでしょ」

 

「軽蔑?何で?」

 

首を傾げる新月に、文月は自嘲気味に笑った。

 

「私は結局……誰も、守れなかった。どころか、皆の命を利用して、薄汚く生き延びてるんだよ。あの頃から、ずっと」

 

「…………」

 

 文月はえらく饒舌になった。ずっと塞ぎ込んでいたが、案外ずっと、心の中に溜まった(うじ)を吐き出せる相手を求めていたのかもしれない。

 なら、これはちゃんと受け止めてやらなければならない。新月はそう直感した。

 

 

「その日記を読んだなら……もうわかるでしょ……? 私がどれだけ酷い目に遭って……そして酷いことをしてきたのか」

 

「……それは」

 

「もう、嫌なの。辛いんだよ。今日改めて実感した」

 

 

 文月の体からいつの間にか力が抜けていた。ただ、疲れたような顔をして。

 

 

「……死にたい」

 

 

「…………」

 

「もう死んで、楽になりたい。睦月型の皆の元へ、早く逝きたいんだよ……」

 

 涙を出さずに、泣き笑いのような表情になる。口は歪な三日月を作り、目は黒く濁りきっていた。

 そんな文月と正面から新月は相対している。少しでも気がブレれば、すぐにその瞳に吸い込まれそうな錯覚があった。

 

 

「だからさ……もうこんな私に構わないで。もう……ほっといてよ……」

 

 

 気を抜けば、首を縦に振ってしまいそうな雰囲気があった。その瞳はブラックホールのようで。ただ諦めと後悔がグチャグチャに混ざり合ったものだけがそこにあった。

 だが、

 

 

「ほっとけるわけないでしょ」

 

 

 新月は真っ直ぐに答える。

 その言葉は今までの彼の言葉の中で、最も強く響いた。不安や恐怖に怯えた言葉ではない、まさに『芯の通った』言葉だった。

 文月がほんの少し目を開いた気配がした。

 

 

「文月が……ずっと苦しんでるのに、ほっとけるわけない。だってどんな形でも……文月は……僕が初めて出会った艦娘で、初期艦なんだから」

 

「…………」

 

 

 また真っ直ぐに発せられる言葉。……だが、文月は相変わらず冷めた目を変えようとしない。

 

 

「……じゃあ、なに?」

 

「…………」

 

「あなたも、言うの? 私に『生きろ』って。『生きてればまだ何かを救える』って。そういうの?」

 

「……うん、言うよ。僕は、文月に生きていて欲しいから」

 

 

 文月の表情が、そこで初めて真の意味で『歪んだ』。奥歯を噛み締める音がする。

 

 

「ふッ……ふざけないでよッ!!」

 

 

『文月』とは思えない言葉が医務室に轟いた。表情を変えないまま言葉を受ける新月と、歯を噛み締める文月。

 

 

「その言葉がッ!その願いがッ!……残された者に……どれだけ重荷になると思ってるの……? やめてよ……勝手に逝かないでよ……勝手に託さないでよ!私は、そんなに誉められた人間じゃない……!私は、ただの───」

 

「ヒトゴロシ───かい?」

 

「っ、っ!!」

 

 

 その言葉に反応して、文月は自分の頭を両の手で握り潰さんばかりに掴んだ。だが、すぐに息を詰まらせて震えながら手を離す。

 まるで、自分の手が汚れている幻覚でも見たかのように。

 その文月の様子を、新月はただ見つめていた。そして彼女がなんとか落ち着いたのを見計らって、ゆっくと口を開く。

 

 

「確かに、そんな状態なのに文月に生き続けてほしいって言うのは……酷なことだと思うし……実際に、死んだ方が楽にもなれるんだと思う。

 だけど、さっきも言ったけど、俺は文月に生きていてほしい。……生きていてほしい、のだけれど……」

 

 迷いの無い様子で言葉を紡いでいた新月が、なぜかそこで言葉を詰まらせた。困ったような顔で、額に手を当てる。

 

 

「自分が文月に対して何が出来るだろうってずっと考えて……気づいたよ。

 ───あっ、何もないや、て」

 

「……は?」

 

 

 ───突然の間の抜けたような言葉に、文月は思わず顔を上げた。

 

 

「僕じゃ結局、文月には何もしてあげられない。僕の手元には、文月を救ってあげられるモノがないって……改めて気づいちゃったんだよ」

 

 

「…………」

 

 呆けたような顔をした文月が、新月の言葉を吟味する度にやがて不審者を見るような目になり、さらに次第に『何言ってんだコイツ』と言いたげな顔になっていった。

 

 

「笑っちゃうよね。考えた結果無理だって実感することになっちゃったんだから。……だけど、それでも僕は文月には生きていてほしい。文月を助ける手段にアテは全くないけど、生きていてほしいって、思っちゃってるんだ」

 

「……なにそれ」

 

「うん、僕もそう思う。

 ───だからさ、僕にできるのはもうこれしかない」

 

 

 そう言うと、次の瞬間新月はおもむろに立ち上がって、文月との距離を縮め始めた。そうして彼女が何かする前に。

 

 

 文月の体を抱き締めた。

 

 

 

「なっ……!!?」

 

 

 文月が息を詰まらせた。しかし無視して、新月は文月の背中へと手を回す。

 

 

「っ!離してよっ!!」

 

 

 彼女が怒りと戸惑いのままに拳を打ち付ける。艦娘の力を、一切手加減せずに新月の体に打ち込む。

 

 だが、新月は微動だにしない。今までの彼とは、大違いだった。

 

 

「離してっ、離してっ、離してよぉっ!!」

 

 

 文月の言葉に、明らかな恐怖が混じり始める。手は震えだし、攻撃はより苛烈さを増していく。

 それでも、新月は抱き締める手を緩めようとしない。

 

 そのまま、一言。

 

 

「だからさ、もう僕は何があろうと文月から離れない」

 

「……え?」

 

 

殴り付ける腕が止まった。

 

 

「僕にはもう、文月を助けられるモノが見つからない。だから、せめてずっと傍にいることにするよ。何をされようが、僕はもう文月から離れない。

 文月が殴りたいなら殴ればいいし、弱音を吐きたくなったら、いくらでも僕に向けて吐き出せばいい。文月がヒトゴロシという重荷を背負うんなら、僕も一緒に背負う。とにかく、もう一人にはさせない」

 

 

 

 

 

 

 考えて、理解して、やがて新月は一つの結論に至った。

 

 自分が彼女を癒すことができないのなら、無理して癒す必要はないのではないかと。自分の手によって癒せない傷となっているのなら、それはもう時間が傷を癒すのを待つしかないと。

 だから、もう彼は無理して文月の心に干渉はしない。新月にはどうしようもできないのだと言うのなら、潔く諦める。

 

 

 

 代わりに、たとえ何もできなくとも、新月は文月に寄り添い続けることにした。

 

 彼女の傷も、十字架も、後悔も、諦めも。

 全部ひっくるめて抱き締める。ゆりかごのように。

 彼女が寄りかかりたいときに、寄りかかれるように。殴りたいときに、すぐ殴られてやれるように。

 

 

 

 彼女の傷の治療は、時の流れによる自然治癒に任せる。

 

 ただし、その自然治癒が完了するまでは、絶対に自分が文月を守り、支える。絶対に一人で抱え込ませない。

 

 

 それが、新月の出した、文月を救うための手だった。

 

 

 

 

 

 

「……なに、それ」

 

 

 呆けたように、文月は言う。その言葉にはまるで力がこもっていなかった。

 

 

「……じゃあ、あなたは……司令官は、まだ私が死ぬのを許してくれないの?」

 

「うん。生き延びてほしいから」

 

「……まだ、苦しめっていうの?」

 

 口の端を歪める文月に、新月は迷いなく頷いた。

 

 

「そうなる……と思う。でも、文月がいつかそのトラウマを自力で乗り越えるまで、僕は絶対に文月から離れない。それまで、僕の人生を捧げて、君の怒りも後悔も甘えも諦めも全部受け止める。僕はここに誓うよ」

 

 

「……なん……で……」

 

 

 本当に問いかけたかったわけではなかった。

 ただ、無意識に疑問が口をついていた。

 

 

「なんで……私の、ために、そこまで……?」

 

「……文月が、いつまでも過去に縛られているのを、見たくないから」

 

「か……こ……?」

 

「そうさ」

 

 力強く頷く。

 

 

「もう二代目はいない。終わったんだ。鎮守府も……全部がとは言わないけど、大分元に戻ってきたでしょ? あの地獄はもう、過去のモノになったんだよ。だから文月も、これ以上その過去に縛られる必要はない。だって───」

 

 そこで新月は、背中に回していた手を文月の肩へと移動させ少し距離を取ると、彼女の顔を真っ直ぐに見据える。

 

 

 

「もう、助けは来たんだからさ」

 

 

「あ───」

 

 

 

『必ず、誰か助けに来てくれる』。

 それは、ブラック鎮守府時代の文月たちが繰り返し願っていた言葉。

 ……いつの間にか……その言葉は、叶っていたのだ。もう、とっくに。

 

 

「だから、もう大丈夫だよ」

 

「……そん、なの」

 

 力なく垂れ下がっていた文月の腕が震えだす。拳が握りしめられる。怒りを示すように。

 

 

「……いよ」

 

 

 ボソッと呟かれた言葉は空中に溶ける。新月は相槌を打たず、ただ無言で首を傾けた。

 文月はもう一度言った。

 

 

「遅いよ……!」

 

 

「……うん」

 

 

「遅すぎるんだよ……もう……!」

 

 

「……そうだね」

 

 

「今更……助けが来たって……なにもかも……!」

 

 

 文月は泣いていた。

 ただ怒りを表すように。拳と肩を震わせ、目に大粒の涙を浮かべる。

 新月は無言で彼女の体をより強く抱き締めた。

 

 彼のその行動に、文月はより体を震えさせる。より強く奥歯が噛まれたような気配がした。

 

 そのまま彼女は下がっていた腕を上げると、新月の背中に───

 

 

 

 

 

 

 ───彼と同じように、腕を回した。

 力強く。抱擁というよりは、締め付けているように。

 彼女はそのまま、嗚咽が混じる声で言った。

 

 

 

「……怖かった」

 

 

 

 今度の言葉はハッキリと新月の耳に届いた。

 

 

 

「怖かった……怖かったよ……」

 

 

「……うん」

 

 

「殴られて……蹴られて……耐えて……痛いの我慢して……!」

 

 

「うん」

 

 

「だけど何にも起きなくて……!誰も助けに来てくれなくて……!皆死んじゃって……!姉妹の中で私だけが生き延びちゃって……!!」

 

 

「うん」

 

 

「たくさん耐えたのに……!!私は、なんにも……なんにも……!!」

 

 

「……辛かったよね。でも、もう大丈夫」

 

 

 

新月は静かに言った。

 

 

 

「もう君の傍には、僕がいるから」

 

 

「───っ!!」

 

 

 

 その言葉を受けて、ようやく。

 肩の荷が降りたように、仮面が剥がれたように。

 

 

 

 文月は、子供のように泣き始めた。

 ただ悲しみだけを抱いて。顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら、泣き続ける。

 

 新月は、そんな文月の背中を無言で、優しく叩いた。

 トン、トン、トン、と。

 

 

 一定のリズムで、赤子をあやすように。

 

 

 

 文月にとって、久しぶりに他人の温かさを感じられることになった抱擁は、彼女の涙が止まるまで続けられた。

 

 





……今回で、とりあえず彼らのメインストーリーには決着がついたかな、と思います。起承転結の『結』にあたる部分です。

彼のこの解決方法が正しいかは自信がありません。もしかしたら間違ってるかもしれませんし、「いやいやねーよ」的なものかもしれませんが、僕は新月が文月を助けるにはこういう方法しかないなかなと思いました。
やっぱり自分はこういう誰かが誰かを助けるみたいな人間ドラマを書くのは向いてないんですかね……。

ちょっと最後が尻すぼみになっちゃったかもしれませんが、次の話で終わりかなと思います。
あともう少しだけお付き合いいただけると嬉しいです。
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