ここでめでたく(?)最終回となります。
ここまで辛抱強く付き合ってくださった方には本当に感謝です。
夜の医務室で、あれからずっと文月は泣き続けた。
まるで、今まで泣けなかった分を取り戻すように。こびりついた過去を洗い流すように。
ただ泣き続けていた。
締め付けようとでもしてるかのように力強く抱き締めてくる文月に対し、コチラも抱き締め返しながら新月はぼんやりと思った。
これでようやく、彼女は『文月』に戻ることができたのだろうか。
ようやく彼女は、少しでも過去から解放されたのだろうか。
……その変化に、自分が少しでも助けになれたのか、と。
気にはなったが、だがそれは今確かめることではないだろう。もう何が起きても自分からは離さないと決めたのだから。
そう結論付け、新月は目の前のちっぽけな温もりを抱き締め直した。
フタヒトマルマル。
どうやらさっきまでのやり取りの一部始終を見ていたらしき三日月が(『姉さんを助けてくれて本当にありがとうございます!!』と泣きながら感謝してきて、今さらになって恥ずかしくなった)寝静まったのを確認してから、新月は執務室に戻ってきた。
これまでずっと暗い靄を被っていた新月の視界の彩度が、急激に上がったような気がする。なんだか、変な感じだった。
ずっと自分を悩ませていた目の上のたんこぶを、ようやく取り除くことができた。それは喜ばしいことであるはずなのに、たんこぶがあった時期が長すぎたせいで、無くなったことに対し調子が狂ってしまうような───そんな感覚だった。
「……これで、終わったのかな」
誰かに言ったわけではない。思わず口をついた独り言のようなものだった。
『ソレハマダワカラナイネ』
そんな言葉にも、妖精さんは律儀に肩の上で反応してくれる。唐突に脳に響く声にも、すっかり慣れてしまった。
『デモ、アラツキガ出来ルコトハ、シテアゲラレタンジャナイカナ?』
「……そっか」
『ソウトモ。オ疲レサマ、アラツキ』
ただ慈愛を秘めた笑みを妖精さんは向けてくれる。
……思えば、妖精さんもこんな自分をずっと支えてくれていた影の功労者、そして縁の下の力持ちだ。いつか、しっかりとお礼をしなければ。
何か食べ物でも買ってやればいいだろうか?いや、確か妖精さんは食事はしないと言っていたような気がする。……水でもお供えするべきか?
そう思いながら机の上の資料などを片付けていると、執務室の扉が数回ノックされた。
「はーい?」
こんな時間に誰だ? もしかして三日月が目でも覚ましたのだろうか?とあまり深く考えず新月は返事をする。
すると、それから扉の前で息を整えているような、実に五秒ほどの間があってからやがて扉が開かれた。
そこには、寝巻き姿の文月が立っていた。
「えっ……えっ!? 文月!?」
思わず二度見してしまった。
確かにそこに立っているのは文月で間違いなかった。風呂上がりなのだろうか、彼女の頬はほんのりと上気しており、伸ばしっぱなしの髪の毛にはまだ僅かに水気が残っている。寝巻きは明るいグリーンであり、彼女にはよく似合っていた。
まさか文月が
「あの……」
だがそんな新月の内心など露知らず、文月は後ろ手に持っていた枕を、口元を隠すように前に持ってきた。その視線はふらふらと落ち着きがない。まるで親におねだりをしようとする子供のように。
「その……今夜は、一緒に寝てほしい……です……」
新月は顎が外れてしまうかと思った。脳内の発音を司る部位が故障してしまったように言葉が出てこない。
いやしかし、考えても見てほしい。彼女は、新月が着任したときからずっと部屋に籠っていて、時には彼を突き飛ばしたりしていた娘なのだ。そんな文月の方からそのようなお願いをされる日が来るなんて新月は夢にも思わなかっただろうし、驚愕するのも無理はない……と思う。
……それにだ。風呂に入った後に枕を持って殿方と一緒に寝ようと部屋に来るするなんて、非常に下品ながらどうしてもアッチ関連を連想としてしまう。
すると、黙りこくった新月に何を思ったのか文月はまた目線を忙しく動かしながら、
「だ、大丈夫……です。私、寝相自体は良い方ですし……髪も何回も洗ったので、臭いも……あまりしない、はずです」
そういうわけじゃないんだけどな、と新月は苦笑いした。
……いや、一先ず落ち着こう。とりあえず今の言葉で、文月が別に『そういう意味』を持って一緒に寝たいと言い出したわけでないのはわかった(当然だが)。そもそも体格的にも新月にとって文月は妹みたいな感じなんだし別に問題はない……はず。
まぁそれに真面目な話、新月はついさっき文月が立ち直るまでずっと寄り添う、的なことを誓ったばかりである。こうすることによって文月が満足するのなら、少しでも回復への手助けになるのなら喜んで協力しよう。
そう考え文月へ向き直ると、彼女は叱られるとでも思ったのかすっかり縮こまってしまっていた。
「あ、あのっ、もちろん司令官が嫌ならば───」
「いや、いいよ。僕もちょうど今から寝ようと思ってたし」
「そ、そうですか?」
「うん。ちょっと待ってて」
机の上にあったものをちゃっちゃと片付けると、文月に執務室に入ってくるよう手招きする。妖精さんに頼んで部屋の真ん中に布団を敷いてもらい、文月には別の方向を向いてもらいその間に手早く寝巻きへと着替えた(彼もシャワーは既に浴びている)。
提督服をハンガーにかけながら新月は考える。
きっと、文月は純粋に寂しいだけなのだろう。これまでは、ずっと孤独だったからベッドにもたれ掛かって眠るのにも耐えられたが、自分がもう独りじゃないと認識して、その途端に独りで眠ることに寂しさを感じるようになった。きっとそれだけのことなのだろう。
別に不思議なことではない。そういうのは、よくあることだ。
着替え終わると、新月は布団を敷き終わったらしき妖精さんに礼を言い、文月にこまたこっちを向くようにした。
「……悪いけど、布団は一つしかないんだ。文月こそ、それで良い?」
「はい……私からお邪魔する立場なので、文句は、言いません」
わかった、と提督は言うと先に布団に体を潜り込ませ、そこから最大限自分の体と枕を右側に寄せた。それから空いたスペースをポンポンと叩き、彼女に入ってくるよう促す。
「……ありがとう、ございます」
頭を下げながら、文月はゆっくりと毛布をまくり、枕を隣に置いて中に入ってきた。いつもは一人だった毛布に別の体温が混じる。今までの彼女からは漂ってこなかった、シャンプーの香りがした。
シングルの布団に二人の人間が入っているので、当然だろうが中は狭い。何もしなくても、お互いの腕や足が少し当たってしまっていた。
「……大丈夫、文月?」
「はい……大丈夫、です」
見ると、元から上気していた文月の頬は更に赤くなっていた。
「独りじゃない夜……いつぶり、だろう……」
気づけば毛布の下で二人は向かい合っており、文月は彼の左腕に頬ずりをしていた。その顔には、ようやく満たされたような、恍惚としたような表情が浮かべられている。
新月の手を取って掌を自らの頬に当てる。
「……あったかい」
目を細める文月。それは新月が初めて見る表情だった。
でも、これからはそんな表情を、当たり前に見れるようにしなくちゃいけない。掌に当たる柔らかな頬を感じながら、提督は改めて決意する。
「ずっと、あたしは……これを……」
しばらくの時間、今までにないほど穏やかな顔をしていた文月だったが、やがてその目が急速に閉じてしまう。
閉じて数秒経った後には、もう彼女は寝息を立てていた。それは、張り詰めていた糸がようやく切れたような様を思わせた。
……動物的に考えて、『眠る』という動作は隙だらけの非常に危険な行為だ。なので心置きなく眠るには、その場に最低限の安全がなければならない。
仮にも人間である文月を動物の習性に当てはめて考えるのは失礼かもしれないが……目の前で眠る少女の姿は、本当に無防備で。いかに力の差があろうと、容易に襲えそうなほどリラックスしているように見えたのだ。
(安心……してくれてるのかな)
真実はわからない。
だけど、
(彼女の肩の荷を……僕は少しは下ろすことができたのかな)
右腕で彼女の髪に触れてみる。一瞬だけ、ピクッと文月の体が跳ねた。
安心させるため、新月は力を込めずに彼女の髪を優しく撫でた。すると文月の表情は少しずつ和らぎ始め、また規則正しい寝息を立てるようになる。
それを見て、新月の顔も思わず綻んだ。
そうだ。自分の選択が正しかったかなんて、所詮誰にもわからない。だけどこれから
「だからまぁ……今は休もっか、文月。もう君は、充分苦しんで、耐え抜いたんだから」
過去に囚われるのは、これでおしまい。これからはちょっとずつでもいいから、『
文月の頭を軽くポンポンとし、新月もゆっくりと目を閉じた。彼自身も疲れが溜まっていたのだろう、すぐに意識は手放された。
……だから、
「……司令官」
隣で眠る文月が、寝言でそう呟いたことを彼は知らない。おそらく、本人である文月も無意識であろう。
一体彼女がどんな夢を見ているのか。
『司令官』が
それはきっとどうでもいいことだろうし、誰も知るべきことではないのだろう。
『あーーーーー……死ぬかと思った』
夜が明け、朝になった。
新月がアラームより五分ほど早く目覚めたとき、既に隣に文月はいなかった。おそらく、着替えなどをするために先に自分の部屋に帰ったのだろう。
代わりとしてはなんだが、新月が布団を出てから三分後に電話がなり始め、取るとなんだかえらく懐かしい気のするヤマダの声が聞こえてきた。
「朝っぱらから後輩の提督に電話かけて開口一番に言うことがそれですか」
『んだよ別にいいだろ。こっちは今まで忙しいときもずっと相談に乗ってやったんだから』
それを言われると弱い。新月は頬を掻きながら受話器を反対側の耳へと当て直した。
「戦闘、無事に終わったんですか?」
『おう。合同艦隊の皆さんとも上手く連携できてな。犠牲者も0だ』
「ならよかったです」
『まっ、主に俺の手腕のお陰だけどな!』
本気で感心するべきか「はいはい嘘乙」と言うべきか「すごいですねー(棒)」と反応するか迷い、結局どれともつかない愛想笑いをすることにした。
そこでふと思い付く。今まではそんな暇なかったが、これからは自分は本格的に『提督』としての任に就くことになる。だとすれば、鎮守府の運用だけでなく戦闘の指揮も取ることになるのだが……あの文月に寄り添うと決めた以上、彼女のトラウマを鑑みて戦闘で艦娘を死なせるのは絶対にタブーだ。
それは提督としては当然のことだろうが、自分にとってその責任はより一層強くのしかかる。だとすれば、自分は一刻も早く戦闘のイロハやノウハウを頭に叩き込んでおかなければならないだろう。……二代目と同じ轍を踏まないために。
「あの……ヤマダさん」
『なんだ?俺の華麗なる艦隊運用テクニックに興味が湧いたのか?』
「いやそれは興味ないです……いや待ってくださいやっぱ興味あります。それも教えてほしいんですけど……今度、僕の艦隊が充実してきたら演習お願いしてもいいですか?」
『別にいいが……また急だなそれは』
「まぁ……僕もこれからは、あんまり弱音ばっか言ってられないなと思ったんで」
『ほー?』
若干驚いたような声を出すヤマダ。たぶんこれが電話じゃなく対面しての会話だったら、今頃彼はヤマダに顔をジロジロと見られていただろう。
『……そういうことを言えるようになったんなら、もう大丈夫だと思っていいのか?』
「大丈夫……かはまだ不安ですけど、一応前よりは精神的な面でヤマダさんの世話になることはない……と、思います」
『……そうか』
電話の向こうでヤマダが一息ついたような気配がした。
『うし。そういうことなら、俺はお前のレベルアップにいくらでも協力するぜ。演習とか、いくらでも受けてやるよ』
「あ……ありがとうございます!」
『とりあえず初日は戦艦6隻コースからな』
「殺したいんですか?」
感謝の顔が一気に真顔になる。
その後、傍目から聞けばバカなやり取りを二言三言続け、彼らは同時に通話を切った。
……なんだか、不思議な気分だった。
「……ヤマダさんって、意外と面白い人なんだな」
ずっと肩を張らせていた荷物が下りたせいか、すごく純粋にヤマダと接することができたような気がする。
……思えばヤマダとは高校の先輩後輩の関係であったが、接した時間はごく僅かだ。彼のことは、知っているようで実はあんまり知らない。
……新月も今気づいたことだが。
「……これから、改めて関係を構築していこうかな」
彼の『
「あっ、司令官!ここにいたんですね!」
マルナナマルマル。
厨房で後ろから聞こえた声に、新月は動かしていた手を止めて振り返った。
「三日月。朝から遠征ご苦労様」
「いえいえ、それが私の仕事ですし!それより、今回のと今までの遠征の分で、そろそろ新たに一人『建造』できるほど資材が溜まってきましたよ!」
「あ、ホント?じゃあ、また工廠に行っとこうかな」
今のこの鎮守府にて、戦力の増強は割と優先事項だからねぇ、と新月は手を再び動かし始める。
「……で、司令官は一体何をしてらっしゃるんですか?」
「掃除だよ」
手に持っていたほうきを振る。
「実はね、今この鎮守府にマミヤさんが派遣されてくるかも、て話になっててさ」
「えっ、本当なんですか!? でもココって、まだ間宮さんを配備できるようなアテはなかったんじゃ……」
「そのはずだったんだけどね、なんかヤマダさんの知り合いんとこの鎮守府が艦隊的な意味で解体されるらしくてさ、間宮さんの配備先が空いた形になるから、よかったらお前のとこにどうだー、て」
「おおっ、それはそれは、よかったですね!」
「まぁまだ来ると確定したわけではないけどね。でももし来ると決まれば、これでインスタントとはおさらばだよ!」
そう考えると掃除にも身が入るというものである。具体的にいつ来るのか、本当に配備されるのかはわからないが、ともかくいつ来ても良いように厨房は常に綺麗にしておくことにしよう。
「そういうことでしたら、私も協力しますね!」
「えっ、いやいいよ別に。三日月にはさっき遠征に行ってもらったばかりなんだし……」
「そんなの気にしなくていいですよ!……ただでさえ、昨日の一件では司令官に迷惑をかけてしまいましたから……」
三日月の声が次第に小さくなっていく。昨日の一件、とは言うまでもなく文月の件のことだろう。
「あんなの、三日月は悪くないよ。気にする必要なんかない」
「ですけど……!」
「むしろ、さ」
恥ずかしさと若干の情けなさから、新月は鼻の下を擦った。
「あれのお陰で僕はちゃんと文月と向き合えたんだから、結果的には良いことだった……と思うよ。ほら、雨降って地固まるってヤツ」
「そう……ですか……?」
疑問符を混じらせながら彼を見つめる三日月はまだ完全には納得していない風だったが、これ以上引きずらせてもあまり誉められたことはないと思い直したのだろう、
「いえ……そう言ってもらえると、私も救われます」
まだ少しぎこちなくはあるが笑みを浮かべてくれた。その笑顔に、新月もまた救われたような気分になる。
「やっぱり……司令官は優しいですよ」
「そう?」
「はい。……よし、決めました。私、これからもずっと司令官についていくことにしますね!」
「お、おう……ありがとう……?」
相変わらず何故そこまで三日月が自分に絶大な信頼を寄せるのかはわからないが、それでもそんな風な言葉をかけてくれるのは男として嬉しい。
「じゃあそういうことで───」
「───でも、それで手伝わないかと言うとまたそれは別の話ですよね」
掃除に戻ろうとした瞬間、黒い袖に横からほうきを引ったくられる。
「えっ、いやいやだから───」
「いいですって!司令官は今まで頑張ったんですから休んでください!」
ちりとりまでも取られ、艦娘のパワーで半強制的に厨房まで追い出される。……休日に新妻に『掃除機かける邪魔だから』と部屋を叩き出される夫のような気分だった。まだ高校生上がったばっかだけど。
(でもまぁ……ちゃんと三日月も文月のことを気にかけてくれてたんだな)
自分と文月が多くの人に支えられていたことを実感し、胸の内が温かくなった。
そうして時間が過ぎ、執務を始める時間となる。
だが、新月はまだ執務の手を動かしていなかった。
待っているのだ。まだここに来ていない人物を。肩の妖精さんと共に。
待ち続けて割と時間が経ってきているので、そろそろペン回しでもしようかなと思いかけていたとき。
なんの前触れもなく、執務室扉のノブがゆっくりと回った。
それからキィィ……とゆっくり扉が開いていき、隙間から黒い制服が見えてくる。
扉が開ききってそこに立っていたのは、新月が最初に出会った艦娘であり、最も頭を悩ませた存在であり、これから自分が守っていくと誓った、睦月型7番艦の文月だった。
痩せた頬やクマは、元通りとはいってないがかなりマシになってきており、薄汚れていた制服も新品のものに替えられている。無造作に伸ばしっぱなしだった茶髪も、今は一般の『文月』と同じようにポニーテール状にまとめられていた。
「おはよう……ございます、司令官」
文月は、そう言って礼をした。
「ん。おはよう、文月」
新月も礼を返す。
それはまるで『普通』の鎮守府での、最初の一日の光景のようで。
「『最初の一日』は、あんなことになっちゃって……ごめんなさい。だから、改めて言いたいの」
頭を上げ、執務机に向けて歩み寄る文月の顔は、
『普通の文月』と、何ら変わらない笑顔だった。
「私、文月っていうの。これから、よろしくね」
ここからまた、始まる。
マイナスからようやくゼロへと戻ってきた。
新米提督と、文月と、元ブラック鎮守府での日々が。
これにて終わりです。
ブラック鎮守府モノは初めてだったので色々ツッコミ所はあったかもしれませんが、それでもまぁ終わらせることができてよかったと思います。
一応終わり方自体は当初の予定通りに持ってこれたのですが、ここに至るまでの道筋は、設定を忘れてたり途中で矛盾に気づいて変更した場所もあるためかなりガッタガタになってしまいました。また次書くような時には気を付けなくてはいけませんね。
短い期間でしたが、付き合っていただいた方は本当にありがとうございました!