その日は、まだ若干の埃臭さが残る執務室で新月は一夜を過ごした。
そして翌日になって午前十一時……ヒトヒトマルマルあたりになるとすぐに新月はとある人物へと電話をかける。
『もしもし?』
「あ、ヤマダさんですか? 僕です、新月です」
『お、新月か。どうした、さっそく救援要請か? それともオムツが喉に詰まったのか?』
「ヤマダさんに調べてほしいモノがあるんですけど」
意味のわからない二択はスルーするに限る。
「着任前にこの鎮守府の資料を見せてくれましたけど、あれよりもっと詳しい資料はありませんか?」
『へ?』
いつも余裕そうなヤマダが珍しく素っ頓狂な声をあげた。
……まぁ当然だろう。新月だってヤマダと同じ立場なら同じ声をあげるに違いない。
『……なに? お前、あれより更に詳細な記録を見たいわけ?』
腹に本気パンチを食らった後に「これよりもっと強いパンチを持ってる人はいませんか!?」とのたまう人物を見ているような声音だった。
「いや、詳細な記録というか……。こないだの、事実だけを淡々と並べた報告書よりも、もっと誰かの主観に富んだ記録のような……そう、日記みたいな形での記録がほしいんです」
『日記ぃ?』
「はい。たぶん、そっちで押収されてると思うんですけど」
報告処は『報告書』という形式上、書いた本人の感情や主観を書くのは好ましくない。そんなものよりも、書いた本人の感情などに触れながら読めるようなモノの方が、この鎮守府のことを知れるかもしれないと新月は思ったのだ。
……吐き気はかなり覚悟しなければならないだろうが。
『んー……まぁよくわからんがわかった。一応探してみよう』
「ありがとうございます!助かります!」
『おう……。にしてもお前、急にやる気湧いてるのな。何かあったか?』
「え?」
『勤務を聞いたときなんかは、絶望したナマズみたいな顔してたくせに、今はなんかやる気に満ちてやがるからな』
「あー……」
受話器を耳に当てたまま頬を掻く。確かに、ヤマダからは、この新月の突然のやる気は不審に見えることだろう。
それは当然だ。なんせ新月にもイマイチわかっていないのだから。
ただ、あえて言うならば────
「僕は……昔の自分がしてほしかったことを、文月にしてあげたいと思っただけです」
『……そうか』
なんとなく、ヤマダは察してくれたようだった。
「まぁ、あくまで文月が必要としているなら、ですけど」と二言三言話してからヤマダとの通話は終わった。
……さて、一先ず目先のやることは済んだ。掃除もとりあえず一段落はついて、もう昼前になったし……。
「おーい、妖精さーん」
『何カナ?』
「うおおうわっ!?」
耳元から急に声がしたため新月は椅子から転げ落ちそうになった。心臓をバクバクさせながら横を向けば、肩に小さな女の子が一人乗っかっている。
いつの間に乗っていたんだ、この四コマ頭身娘は。
『サッキカラズットイタヨ!アラツキは気付イテイナカッタミタイダケドネ!』
「……マジか」
あっけらかんと言う妖精に背中の温度が少し低くなった。
なるほど。確かにこの有様なら、素質が『無い寄りのアリ』と評されるのも納得だ。意識しないと気付けなかったのだから。
「ま、まぁいいや(よくないけど)。僕が昨日寝る前に頼んだ材料は、買っておいてくれた?」
『モチのロンドン! 朝ノウチニ他ノ三人ガ買ッテキテ、モウ食堂ニナラベテルヨ!』
「そっか、ありがとう。んじゃ、さっそく向かおうか」
『オーウ!食堂ヘゴー!』
妖精を肩に乗っけたまま食堂へと向かう。
新月が道に迷いそうになる度、耳元の妖精が高性能カーナビのごとく進路を提示してくれたため、食堂へは難なく着くことができた。
……これからはこの妖精を常に肩に乗せて移動しようか?
「おお、なんとまぁ」
食堂を見渡してみると、新月は思わず感嘆の声をあげてしまった。
恐らく元々はボロボロであったであろう食堂が、現在では見違えるように(一度も見ていないが)綺麗になっている。まるでここだけが鎮守府建設当初に戻ったかのようだ。
……綺麗なのはもちろんいいことなのだが、周りが廃墟同然に汚れているせいで却って浮いてしまっている。
「すごいな……。まさかここまで修復されているとは」
『エッヘン!徹夜スレバネ、大概ノコトハ出来ルモンナンダヨ!』
「えっ。徹夜してたの!? それ大丈夫!?」
『ダイジョーブダヨ。僕タチハ睡眠ヲ必要トシナイカラ!』
さらっとプチ衝撃の事実を明かされつつ、妖精に『早ク早ク』と促されて新月は厨房へと向かった。
初めて入った厨房も、やはり新設同然の状態だった。埃一つない床は、今までの部屋との格差も相まってつい目を細めてしまいそうになる。
本来ならここにはマミヤとかホウショウとかいう艦娘がいるらしいのだが、今の鎮守府では彼女らを配備させる余裕はないので、厨房には新月と妖精しかいない。
『コッチコッチ〜』
『遅イ〜』
新月の姿を見つけると、厨房の机の上に座っていた三人の妖精が手を振ってきた。その傍らには買い物用バッグが置かれており、隙間から色々な食品が顔を覗かせている。
「よし。じゃあ、始めようか」
『? 何ヲ始メルノ?』
「これを見てわからないの? 料理だよ料理。ちょうどお昼前でお腹も減ったからね」
『オー、リョウリ!』
なんかガイジンみたいなイントネーションになってる妖精を尻目に、新月はバッグから食品を出していった。
次々商品を手に取る彼を、肩の妖精は初めは感心したような顔をしていたが、その表情はやがて呆れたものに変わっていく。
『……「料理」ッテ、冷凍食品バッカジャン』
「う……仕方ないだろ!僕料理なんかしたことないんだから!!」
忘れかけているかもしれないが、新月はまだ高校卒業したての……それも男子である。当然料理はしたこともないし興味もない。……当然、だよね?
全て取り出し終わる頃には、机の上にあるのは冷凍食品やパックに入った食べ物ばかりになっていた。……野菜はまだともかくとして、お米までレトルト頼りというのは如何なものなのだろうか。
『マァココデ、アラツキガ凄イ料理ヲ作ッテモ驚クケドサ、コンナニ冷凍食品漬ケにスルグライナラ、モウカップラーメン買ッタ方ガ良カッタンジャナイノ?』
「いや、カップラーメンは別で買ってるけど。これが僕の分」
新月が机を指差す。確かに、そこには冷凍食品の山とは別にシーフード味のカップラーメンが置かれている。
それにますます首をかしげる妖精。
『エ? ジャア今カラ作ル料理ハ誰ノ分?』
「文月の分だよ」
わお、と妖精たちが面食らうのがわかった。
『……本気?』
「一応本気のつもりだよ。といっても、僕が料理を作るのはマミヤさんって艦娘が配属されるまでだけど」
『ソウジャナクテ』
道端の不良に注意しに行こうとする友人を引き止めようとしているみたいな顔だった。
『アラツキハ文月ニ嫌ワレテルミタイダケド?昨日ダッテ、思イ切リ振リ払ワレテタシ。アンマリ関ワルノハ……』
「それはそれ、これはこれだよ。それに、文月があんなに痩せ細ってるってことは、きっとマトモな食事なんてしてない」
厨房を漁ると、茶碗やおぼんなどといった食器も見つけることができた。きっと昨日のうちに妖精さんたちが買ったor直してくれていたのだろう。
「健全な精神って健全な食事に宿るものなんだよ。だから、まずは食生活を改善させることが一番。ちなみに
『フーン……』
新月の言葉を聞いた妖精は、しばらく考え込むような素振りを見せていたが、やがて小さな親指を立てた。
『ヨクワカラナイケレド、ナンダカヤル気ニナッタミタイダネ、アラツキ!!』
さっきも似たようなこと言われたな、と新月は思った。
「……悪いかな?」
『悪イワケナイヨ良イコトダヨ!僕ニモ、何カ手伝ワセテ!』
「あっそう? んじゃ、これレンチンしてくれる? あと、他の娘達はお茶碗とおぼん用意して」
『……ウン。自分カラ名乗リ出タトハ言エ、仮ニモ「料理」シテルノニ包丁ヲ一切使ワナイノハドウナンダロウ……』
冷凍食品をふんだんに使用した料理(笑)は、お手軽にすぐに終わった。気をつけたことと言えば色合いのバランスと盛り付け方に注意したぐらいだ。
「ふぅー……なんとかやり遂げた」
それっぽく額の汗を拭うが、妖精は相変わらず呆れた顔だ。
『冷凍食品ノ集合料理デ達成感得ラレルノ……?』
「なんだよ、別にいいでしょ。一応、初料理なんだから」
文月の好みがわからないというのもあったので、メニューは米にコロッケ、千切り(された)キャベツとポテトサラダという落ち着いたモノだ。
彼女の舌に合うかは不明だが、まぁ店で売られてるものなので最低限の味は保証されているだろう。たぶん。
『ンジャア、持ッテイクノ?』
「うん。盛り付けてたらちょうど良い時間になったし。悪いけど、妖精さんたちはドックの修理をしておいてくれるかな?必要な器具は執務室に用意してると思うから」
『ワカッター!』
『シュツドー!』
『宇宙ノ果テマデイッテキュー!』
一部変なことを言いながらやいのやいのと執務室へ向かう三人の妖精。肩の妖精は肩に乗りっぱなしだったが。
『アラツキノ肩ハ乗リ居心地ガイイヨ。ソレニ、僕達妖精はテレパシーデ会話デキルカラ、ドノ道一人ハココニイタ方ガ都合ガイインダヨネ』
「ふーん。君たち大体なんでもできるんだね」
一々驚くのも疲れたので適当に答える。
艦娘の存在も謎だが、この妖精も存外謎が多い……。
数分後。
昼食を乗せたおぼんと共に、新月は二度目の文月の部屋へとやってきていた。
部屋からは前回と同じく黒色のオーラが発射されている。心臓、もしくはストレスに弱い動物が近寄れば一瞬で円形脱毛を起こしてしまいそうだ。
おぼんの上の茶碗などには、念の為ラップをしている。この鎮守府でそのまま運んでは、埃がどれだけトッピングされるかわかったものじゃない。
『……イヨイヨダネ』
「そ、そうだね」
『前回デワカッタト思ウケド、文月ハアラツキニ対シテ手加減シテクレナイ。クレグレモ気ヲツケテ』
「心得てるよ」
念押しするように背中がズキリと痛んだ。
その痛みをほのかに包む恐怖ごと振り切って、新月はゆっくりと扉をノックする。
「あー……文月? 新月だよ。部屋に入れてくれると嬉しいんだけど」
しかし、返事はなかった。小声で返事しているかもという可能性に賭けて耳を当ててみたが、やはり何の返事も聞こえない。
無視されているのは明らか───いや、そもそも
「……入るよ?」
そのことにショックを覚えはしたが、だからといってここでヘタレて引き下がるわけにはいかない。
もう彼は決めたのだ。文月を救ってみせると。
コイツはそのための第一歩なのだ。
扉を開けると、またいつものゴミ箱のような臭いが漂ってくる。とはいえこの二日で嗅覚が相当アホになったか、一回目と比べれば臭いはまだマシに思えた。
そしてベッドには───やはり同じように文月がもたれかかっていた。
目を凝らすと彼女は、一回目に訪問したときと体勢、位置がまったく変わっていない。『昨日新月と会ったときから一歩も動いていません』と言われても信用してしまいそうだった。
(……ただでさえ元から荒んでいるのに、これじゃ酷くなっていく一方だ)
新月は声に出さずにそう思うと、片膝を地面につけて文月と目線の高さを合わせる。ちょうど文月の前には、同じく備え付けと思われる小さなちゃぶ台があったので、そこに無許可ながらおぼんを置かせてもらうことにした。
スペースを作るためにちゃぶ台の上のモノをどけると、それらは手応えもなくカラカラと転がった。空き缶か何かだろうか?
セッティングを済ませてしばらく待つと、やがて文月の茶色の瞳が寝起きの猫以上に緩慢な動きで料理、新月を捉えた。
この状態の文月でも、さすがにすぐ近くにある食物の匂いには釣られたのだろうか?
「……なにそれ?」
なんてことを推測していると、部屋に平坦な声が響いた。それが文月のモノだと理解するのには少し時間がかかった。
あまりにも突然だったからだ。
「……食事、作ってみたんだ。ほとんどインスタントだけどね」
慌てず、慎重に言葉を紡ぐ。
今までの自分の失敗は焦りが原因なのがほとんど。だから常に冷静ではいるよう心がける。
さすがに新月にも、犬程度の学習能力はあるのだ。
「文月、その様子だとマトモに食事もしてないでしょ? 味は大丈夫だと思うから、よかったら食べてみてよ」
「いらない」
バッサリと。清々しいまでの即答、一刀両断っぷりだった。言外に「余計なお世話だ」というニュアンスも含まれていそうな。
「……んじゃあ、文月はご飯どうするの?何かあるの?」
拗ねた子供をなだめる保父(ほふ)のような気持ちで訊く。
すると文月は声を出さず、首だけで傍らを指し示した。その先を追ってみると、そこにはさっきどけたのと同じモノらしき空き缶がある。
「これを、食べてるから」
よく見るとそれは空き缶ではなく缶詰のようであり(まぁ意味的には変わらないが)、部屋の至る所に同じものが転がっていた。蓋が開きっぱなしで中身が中途半端に残っているのを見る限り、これが異臭の正体だろうか?
鼻呼吸を抑えつつ、テーブルにある同じものを手にとって確認してみる。
「エム、アールイー……?」
『MRE? アア、アレダヨアラツキ。「レーション」って奴だよ』
「えっ、レーションてあの!? 実物初めて見た……」
一応軍に務めている以上、レーションの基礎知識は新月も得ている。
しかし、それらは基本長期任務や様々な場所を飛び回る者達に配られるものであり、だいたい決まった地域を守るのが仕事の鎮守府に配られることは少ない(……らしい)。なので新月もわからなかったのだ。
『ウワー……シカモコレ安物ダヨ。本当ニ栄養補給ダケガ目的の、味ノ改良トカ全ク考ラレテナイタイプ。タブン食ベレタモノジャナイ』
「そんなものが何でここに……」
『マ、十中八九二代目提督ノ指示ダロウネ。飯食ワセル時間モ惜シカッタノカナ』
たぶん、厨房かどこかに当時の買い置きがまだ残ってるんじゃないかな、という妖精の推測に静かに腸が煮えくり始める。
(どれだけ……!)
どれだけ、艦娘の生活を蔑ろにすれば気が済むんだ。
一発殴り飛ばしたかった。もし目の前にいるなら、その顔も知らない二代目を思い切り殴り飛ばしてやりたかった。
手を震えさせる新月を、文月は冷めた瞳で見ている。
「……用事は終わり?」
『うん』と答えたら『じゃあ出てって』とすぐに続きそうな文月の言葉だった。
それを聞いた新月は怒りを抑え、頭を振って気持ちを切り替える。一時の激情に身を任せるのはあとだ。目的を見失うな。
「こんなもの、食べてちゃだめだ」
努めて冷静な声音を出しながら、新月は異臭の元と思われる空のレーションの山を持てるだけ胸に抱き込んだ。それから、文月の傍らに置いてあった、現在進行系で食べかけだったと見えるレーションも。
まだ若干中身は残っており、スプーンもさしっぱなしであった。
「…………」
仮にも自分の食料が取り上げられかけてるのに、文月はまるで反応しない。視線で追うことさえしようとしない。
食料にすら興味を無くしているのか、それとも『慣れている』のか。
とにかく、新月はレーションの代わりに持ってきたおぼんをちゃぶ台ごと文月の前に持っていく。
「これはあくまで僕の持論だけどさ、『食えれば何でもいい』とか『とりあえず食べる』みたいになったら、その人はもうお終いだよ。食に無頓着になるってことは、ただ惰性で食べて生きてるって事になっちゃうんだから」
多少なりとも新月の言葉がひっかかったか、それとも単にうるさいからか、何にせよ文月はようやく新月の方を向いた。彼女の真っ黒な瞳に、新月の姿がそのまま映る。
「だからこんなのじゃなくて、せめて『おいしい』って思えるものを食べるようにして。食べきれなかったら残していいから」
まぁどの道インスタントだけど、と小声で付け加えると、新月はゆっくりと立ち上がる。とりあえず今の自分が言えること、言いたいことは言えた。
無駄に留まっていると、却って墓穴掘ったり地雷を踏みかねない。
「……それじゃあね。おぼんは外に出しといてくれればいいよ。四時……ヒトロクマルマルあたりに、回収しにくるから」
それだけ言い残すと、新月はレーションの山を抱えたまま、背を向けて文月の部屋を出ていく。なるべく振り返らず、音を立てないように。
だからだろうか。
文月が初めて、新月の行動を目で追っていたことに、彼は気が付かなかったようだ。