本来なら大学生という身分になっているような新月が、元ブラック鎮守府へと着任して早一週間が過ぎた。
そこまでの彼の、冷や汗と半泣きと安堵感で作られた軌跡を忘れかけている人もいるかもしれないので、改めてまとめようと思う。
一日目。
先輩のヤマダと、『無愛想』を具現化したようなタクシー運転手によって鎮守府へと連れてこられた新月。
まず鎮守府の外装がズタボロなことにドン引きし、次に内装やドックの状態に恐怖した。そうして事前情報とまるで違う、心の壊れた文月と接して絶望し、結局この日は掃除ぐらいしかロクにできず眠りにつく。
二日目。
なんとか本腰を入れようとする新月はヤマダへ連絡し、押収されたと思われる初代、二代目の日記を探してもらうよう懇願する(なお、まだ見つかったという報告は来ていない。まぁそもそも押収品に日記があるはず、という推測自体が根拠の無いモノだし、ヤマダは新月と違ってかなり忙しい立場なので気長に待つつもりだが)。
昼前、新月の持論に基づいて文月へ料理を作ることを思いつく。妖精の協力もあり、なんとか料理(笑)を作った新月。
一年分の冷や汗を流した気がしながら届けると、どういう心理によるものか、文月は素直に料理を食べてくれていた。
三日目、四日目。
弁当作戦が思ったより上手く行ったので、引き続き実行する。艦隊勤務をしていないと意外とやることもないようなので、後は妖精の指導で書類作業を覚えつつ掃除をした。以上。
五日目。
昼前に料理を届けに行くと、初めて文月が新月の言葉に答えてくれた。その場は新月がテンパったためそれ以上の進展は無理だったものの、確かな『一歩』を踏み出せたことに彼は大きく喜んだのだった。
……上手くいっていることに、謎の不安を覚えながら。
六日目。
ご飯を届けに行ったときに、文月とポツポツと話せるようなってきた。まだ本人の状態から一言二言が限界だが、それでも着実に前進しているのには変わりない。この調子だ。
七日目←今ココ!
「じゃあ、今日もここに置いてくね?」
コト、とちゃぶ台におぼんを置く音がした。
今日も今日とてカビ臭い文月の部屋に新月はいた。最初は文字通り右も左も分からない彼女の部屋だったが、今は部屋の構成自体を覚えたためか目が慣れていなくてもある程度動けるようになってきた。
はじめた当初はどうなるかと思っていた料理作戦だが、こうして無事に『習慣』になっているようでなによりだ。
「その……今日はさ、いっつもインスタント食品だけど、玉子焼きだけ、普通に作るのを試してみたんだ。正直本の見様見真似の初めてだから形はひどいけど……。口に合わなかったら、残してくれていいよ」
「……わかった」
話しかけている人物に合わせて姿勢を低くしている新月は、いつもよりもやや照れたような顔で言う。
その言葉に答えた、もう一人の人物は、この部屋の主である文月だ。睦月型 7番艦の駆逐艦であり、本来ならば人懐っこくふわふわした性格の少女である。
相変わらず目元には濃い隈があり髪もボサボサのままだが、最近はキチンとした食事を摂っているためか、頬と体の
それは、今初めてこの文月を見た者にとっては何ともない変化だろう。
だがそれでも、新月から見れば確かな変化だった。それだけの違いでも、新月にとっては飛び跳ねたくなるほどの違いだった。
着任当初の文月が自殺一歩手前の少女だとするなら、今ならまだうつ病重症患者程度には緩和されている。
「……それと、野菜も増やすのはやめといたから。ごめんね? なんか僕、変な誤解してたみたいで……」
「……別に、いいよ」
何より、こうやって会話を成立させてくれるだけでも十分な進歩だ。
それじゃあまたね、と新月は部屋を後にした。
「───というわけなんですよ」
『いやー……すげぇな。正直、この一週間でそこまで行くのは予想外だった』
昼過ぎ。
電話越しにこれまでの成果を報告すると、電話の相手であるヤマダは珍しく驚いたような声を出した。
「予想外って……やっぱり僕は期待されてなかったってことですか?」
『ああすまん、そんなつもりで言ったんじゃない。ただ、文月が最低限回復するまで、絶対一回は俺に泣きついてくるだろうなぁと思ってたから、そこが予想外てことだ』
なんか当人が知らないところでかなり失礼な予測をされていたようだ。まぁ実際は、泣きつきたい場面はいくつもあったからある意味ヤマダの予想は大当たりなのだけれど。
「まぁでも実際、まさかこの食生活の改善で、ここまで文月に変化が起きるとは、僕自身も予想外なんですけどね。一体どういう風の吹き回しなのか……」
『……「変化」、ではないんだろう』
「へ?」
ヤマダの言葉に、新月は顔を合わせてるわけでもないのに、反射的に首をかしげてしまった。
『変化じゃなくて、その状態が「素」の文月なんだろうよ』
「……『素』、ですか?」
『ああ。人間ってのはな、心がどんなに腐ろうが堕ちようが、根っこの部分の性格ってのは案外最後まで変わらないモンなんだよ。ほら、三つ子の魂百まで、とか言うだろ?』
「ええ、それはまぁ」
『その文月だって───まぁこれはソイツに限らず全てのブラック鎮守府艦娘に言えるが───何も好き好んで塞ぎ込んでるわけじゃない。塞ぎ込んでた原因が解消されていけば、自ずと元に戻っていくさ』
「……そう、なんですか?」
ああ、と電話の向こうでヤマダが唇を舐めたような間があった。
『強烈な体験で心が歪んだヤツってのは、その歪みの元を取り除かれれば、自然に元に戻っていくものなんだよ。そして調べによれば、初代提督の時代からいたその文月が、他の一般的な『文月』と比べて性格的に変わったところがあった、というような情報もない。だとすりゃあ、今の文月は順調に元に戻って───いや、回復していってるんだろう。あの無邪気に提督に懐いてた、駆逐艦らしい頃の性格に』
「え、え、ええと??」
話がゴチャゴチャしてきたからだろうか、それとも自分の読解力が低いからだろうか、段々と話がこんがらかってきた。
ええと?要するにヤマダは何を言いたいのだ?
『だからっ、要するに今の文月の変化は確実に良いことで、メゲずに頑張ってきたお前の努力が報われてるってこった。俺が太鼓判を押してやる』
「マジですか!?」
ご丁寧に説明されてようやく理解することができた。どうやらここ数日の文月の変化は『上手く行き過ぎている』じゃなくて単に『当然の流れ』だったらしい。
……もしかすると、文月は何か『食事』に対して良い思い出でもあったのだろうか?
『ああ。こっからはその調子で、あんまり文月のトラウマを刺激しねーようにリハビリを続けていってやれ。そうすれば、いつかはソイツも復帰できるぐらい回復してくるさ』
ま、それでも時間はかかるだろうがな、というヤマダだったが、新月はそれでも嬉しかった。
時間はかかる? しかし、時間をかけるだけで、もうすぐ真の意味で『初期艦』となった文月と、一緒に仕事をすることができるのだ。
ようやくあの濁った目ではなく、資料だけでしか見たことがないような彼女の笑顔を見れるようになるかもしれないと思うと、途端に体にエネルギーが満ちてくる。……我ながら、なんと単純なのだろう。
「ありがとうございますヤマダさん!!僕、もっと頑張ってみるっス!!」
『おう。とはいえ、あんま気張りすぎねぇようにな』
少し苦笑いしてるような様子で答えるヤマダ。
……しかし、さっきまでのヤマダの分析は中々素晴らしいモノがあった。正直ヤマダは、こんな提督業よりもカウンセラーやアドバイザーの方が合っているのではないだろうか。
『この先職に困ったら考えてみるわ。今の俺には提督業の方が性に合ってるし。……あ、そうだ。報告が遅れたが、こないだお前が言ってた押収品のことだけどよ』
そろそろ通話を切ろうとした新月だったが、ヤマダのその言葉と共に、ガサゴソと手元を漁っているような音が受話器から聞こえた。
押収品のことといえば……確か新月が以前に頼んだ、『この鎮守府のより詳細な記録が欲しいから、押収品の中に日記とかがないか探してほしい』ていうヤツだった……と思う。あまりにもそれについての新月からの報告が無かったため、依頼主であるハズの新月の方が忘れかけていた(別にヤマダのせいにするつもりはない。そもそもヤマダは新月と違ってかなり忙しい立場なのだ)。
しばらく続いたガサゴソという音が止まったとき、再びヤマダが言葉を発した。
『───そんなもの、押収されてないみたいだぞ?』
「……え?」
予想外の答えに、思わず間抜けな声を出してしまう。
どういうことだ?鎮守府の
『いや……初代の分も二代目の分も、何かが押収されたって情報はない。その鎮守府からは何も持ち去られていないみたいだぞ』
「えっ、そんな!? じゃあ、二人の私物は一体どこに……?」
『……二代目の私物は……そもそも二代目が死んだ理由が、執務室へ流れ弾が来たことによる事故だから、もしかしたらその時アイツの体ごと蒸発したのかもしれねぇな』
「───あ」
確かに、考えてみればその可能性は高い。今新月がいるこの執務室は、お世辞にも広くはない。こんなスペースで艦の主砲クラスの弾が爆発すれば、それこそ中は何もかも木っ端微塵になってしまっているだろう。
「で、でも、初代提督の物までないっていうのはおかしくないですか?提督が替わる時って、その人の持ち物は移動させられるか、大本営に一旦届けられるはずでしょう?」
『……一つ考えられる可能性があるとすれば、案外まだその鎮守府内にあるとか、か』
「え?」
ヤマダの言葉に面食らう。そんな可能性、考えもしなかった。
『仮にその初代提督が、後任への親切心として使えるものをそのまま執務室に残していたとする。それを二代目提督が「邪魔な物」として物置きかどっかに放り込んだ、つー流れだとしたら?』
「あぁ……」
断片的に知っている二代目提督の人格を鑑みても、十分に有り得そうな話だった。
『ただ、私物を親切心で置いてたとしても、日記を置きっぱなしにするというのは考えにくいし、よしんばその「物置き」があったとしても日記がある可能性は低そうだがな』
「……それでもいいです。とりあえずあるかもしれないのなら、それに賭けてみます」
『そうか、なら止めはしねぇ。ただ、それで無かったらさすがに諦めろよ?その『上』に出世したと思われる初代提督を突き止めて、直接聞いてみる、とか面倒なことはやらないつもりだからな?』
「ああはい、わかってます。僕としても、さすがにそこまで事を大きくするつもりはありません」
だといいけど、とヤマダは言い残し、それから二言三言話して彼らは通話を切った。
「……よし」
受話器を置いてから、新月は小さく頷く。
どうもここ数日のせいか、何かしなければいけないことがある方が落ち着くようなタチになってしまった疑惑がある。
「とりあえず文月への接し方はあのままで良くて、この鎮守府内で『物置き』みたいなとこを探すんだな」
改めてやるべきことを整理してから、新月は執務室を出た。