菊花賞……ミホノブルボンさんの無敗三冠達成を阻止したライスに待っていたのは、歓声ではなくブーイングでした。
その日からです。
トレーナーさんが、お兄さまがライスにあまり会ってくれなくなったのは……
お兄さまはライスのトレーナーとして、今までトレーニングのメニューを考えたり、レースの出走登録をしてくれたり……
ライスのレース生活を一番近くで支えてくれたひとでした。
でも、菊花賞の日からお兄さまは、あまり笑わなくなりました。そして、ライスのトレーニングに付き合ってくれる機会もだんだんと減っていきました。
菊花賞に勝っても、いや、勝ったことでみんなを不幸にさせてしまった……お兄さまがこんなライスを見限るのは当然のことです。
それでも、ライスはお兄さまを恨んだりなんかしません。
ライスがこうして走っていられるのは、すべてお兄さまが支えてきてくれたからこそ。
でも……みんなを不幸にしてしまうライスには、走る資格などあるのでしょうか……
天皇賞(春)の三連覇を目指すメジロマックイーンさん。それを、私は阻止してしまいました……
ブルボンさんの叱咤激励が無ければ、ライスはきっと走っていなかった。
本当に感謝しています。でも、それ以上に、ブーイングが苦しい……
それはライスの心に深々と刺さり取れない棘のようにライスを蝕みました……
でも、後から気づきました。
天皇賞(春)で、ライスは二番人気。ライスは耳を閉ざしていただけで、応援してくれている人は確かにいたんです。それを考えると、気持ちが少し落ち着きました。
それでも、お兄さまはずっと浮かない顔です。こんなライスの担当なんて、もう辞めたいのでしょうか……でも、ライスのトレーナーは、お兄さま以外考えられません。
お兄さまがライスの元を離れる……そんなことを想像するだけで、胸が張り裂けそうなほど痛みます。
分かっています。いまこそ、お兄さまに恩返しをするときだって。
ライスを支えてくれたお兄さまを、ライスのトレーナーから解放してあげるとき、だって……
やだ。
そんなの、いやだよ……
トレーナー室。ライスはお兄さまにお別れをしに来ました。まだ、後任のトレーナーさんの目途は付いていないけど……
お兄さまは、机に突っ伏して寝ていました。パソコンは付いたまま。すごく、忙しいのかな……
パソコンを覗き見ると、そこには予定がびっしりと。
そのほとんどが、広報活動でした。新聞や雑誌の取材を受けたり、メディアに掛け合ってくれたり……
そうだったんだ。お兄さまは、ライスのことを見限ったんじゃない。確かに、会う機会が減って、練習に付き合ってくれることも少なくなって……でも、それはライスを応援してくれる人を増やすためだったんだ。
ライスは、天皇賞(春)の前日に、ニュースで聞いちゃったから……「またしても大記録を阻むのか」って……
それ以来、そういう番組や記事は、遠ざけていた。だから、お兄さまがライスのために頑張ってくれてること、気付いてなかったんだ。
「よかった……」
思わず、瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「おわっと!」
気配を感じたのか、お兄さまが飛び起きる。
「ど、どうしたライス!」
泣きじゃくるライスをみて、お兄さまは心配そうに顔をのぞき込んでくる。
「ううん、なんでもないの……お兄さま、ひとつお願いがあるの」
お兄さまの袖をつかみ、ライスは言ったよ。
「ずっと、ライスのトレーナーでいてね」