人が本当に死んでしまうのはどんな時なのだろうか

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 元々支部にあったのを加筆及び修正をした上で投稿しました。


Farewell:三十万分の一の存在証明

 メモリアル・ダイヤモンドというものをご存知だろうか。

 体重60kg程の男性を火葬した場合、大体2kg程の遺骨が遺る。

 一割にも満たないその遺骨から炭素を取り出し、高温高圧にかけることで精製されるたった0.2gの人工ダイヤモンドが出来上がる。

 

 簡単に言えば人から作られる宝石だ。無論その輝きは本物である。

 

 ところで私は何者か、いきなりこんな話をしだしてどうしたのか気になった者もいるだろう。

 

 私の名前はアグネスタキオン。

 超光速のプリンセスと呼ばれ、URAファイナルズ中距離部門の初代優勝者だ。

 

 そして私をここまで連れてきたモルモット……いや、トレーナー君は今、その身を黒煙に変え空へと向かっていった。骸という置き土産を遺して。

 

    ○

 

 始まりは二週間前だった。

 URAファイナルズを終え彼と勝利を喜びあった日から数日。喧騒も残り火が燻るのみで今までと変わらない研究の日々が続く、そう思っていたのだが……。

 

「やあ、君がアグネスタキオンだね? ああ僕かい? そうだね……来週から君のトレーナーとして務める者とだけ言っておこうか」

 

「……は?」

 

 いつものようにお弁当をもって研究室に来るモルモット君を待ちわびて、ついに来たと思ったら全く面識の無い男がそう言ってきた。

 

 それよりもだ、今この男はなんと言った? 

 来週から私のトレーナーになる?

 もしそれが本当なら私は彼の担当から外れるということだ。

 いてもたってもいられず、私は研究室を飛び出した。無論考え無しで飛び出した訳では無い。廊下を走りたどり着いたのは事務局、トレーナーとウマ娘の契約、解約等の管理をしている場所だ。

 

 ───言葉が出ない、事務局にて私のトレーナーが誰なのか情報の開示を求めたところ、彼はまだ私のトレーナーだった。

 ……しかし、契約更新期限が今日であること、そして更新済みの印が押されておらず、代わりに、契約解除という無情の四文字の印が押されていた。

 

 私だけを置き去りにして物事は遠いところまで進んでしまっていた。どうしようもない事実に足が重くなる。

 

 ……そうだ、研究室に戻ればいつものように彼が居るだろう。その時に問い詰めてやればいい。何故契約を解除するのか。

 

 戻った研究室には先程の男はいなくなっていた。しかし部屋には一緒にいた彼の残り香があるだけで、お弁当はそこには無かった。

 

 ──何故だ? いつもよりも二時間以上も遅れている、寝坊ならここまで時間もかかる事は無いし体調不良であるなら私に一報があるはずだ。積もる違和感、私はまた研究室を飛び出した。

 

    ○

 

 私が辿り着いたのはトレーナー寮の一室、表札には私のトレーナーである彼の名前がある。

 呼び鈴を鳴らす、まだ彼がここに残っていることを期待して。

 扉が開く、どうやら私の勝ちのようだ。

 

「おや、どうしたんだ。まだ授業は終わってないぞ?」

 

 笑顔で私の前に立つトレーナー、口角こそ上がっているが彼の眼からは何も感じなかった。まるでどこも見ていないようでさながらニヒリスティックとでも言うのだろうか。

 

「白々しいな、私がここに来る理由なんて分かりきっているだろう? お邪魔するよ」

 

 彼は静止する様子もなくただ横に逸れた。

 私は特に何も言わず、彼の自室、居間に入る。

 

 ──何も無かった、いや、これは表現方法としては適切でないか。

 訂正しよう、何もかもが無くなる直前だった。

 それが彼の部屋を見た時に出てきた感想である。

 

 あらゆる家具には粗大ゴミの回収シールが貼られ、小物はしっかりと分別されて市指定のゴミ袋に収められている。

 

 最初私は引越しをするから断捨離でもしたのだろうかと考えた。しかし、引越し先で使うであろう家具、小物が存在していないのだ。

 

 彼はベッドから歯ブラシまで全て破棄しようとしていた。

 

「……終活にはまだ早いんじゃないか? モルモット君」

 

 あまりに衝撃的な光景に私は言葉を零した。

 

「何、引越し先での生活は心機一転、ゼロからのスタートにしたいもんでね。トレーナーも辞めるし」

 

 情報で殴るとはこういう事を言うのだろうか。

 今私には、二つの特大情報が一度に襲ってきた。

 ひとつ、彼が引越しをするということ。

 ふたつ、彼がトレーナーを辞めるということ

 

 身体がぐらつく、できることなら今ここでぶっ倒れてしまいたい、しかしそれでは話を聞けないどころか、学園に戻されてしまうだろう。意志を強く持ち、踏みとどまる。

 

「トレーナーを辞める……? それはどういうことだい、君がそんなおふざけをするような人だとは思っていないんだが」

 

「おふざけじゃないよ、僕が今まで君に嘘を吐いたりイタズラしたりしたことあったかい?」

 

 確かに彼はそういったことを私にはしてこなかった。

 

「なら、何故辞めるんだい。君には私と共に果てを目指す義務が有るだろう?」

 

「…………」

 

「……何か答えたらどうだい、それとも答えられない理由でもあるのかい?」

 

「……うんざりしたんだよ、君のトレーナーになってから毎日毎日毎日! 

 試薬の被検体になれだの、お弁当を作れだの、君は老人か! 少しは自助努力くらいしたらどうだ!」

 

 初めて聞く彼の怒鳴り声、発露した怒りの表情。君はそういう顔もするんだね。

 唯それを私に向けるとは思っていなかったがね。

 

「もう疲れたんだ、君の相手をするのも、トレーナーを続けるのも。だから辞める。それだけの事さ」

 

「……君はそんな思いで三年間トレーナーをし続けたのかい?」

 

「帰ってくれ……」

 

「そもそもあの日見せてくれた瞳はまさしく果てを見たい、そんな思いを感じたのだが」

 

「帰れ! 二度と顔を見せるな!」

 

「……っ、ああわかった、わかったよ! もう君とはこれっきりだ!」

 

 彼の部屋から外へ通じる扉を開く、最後までこちらに顔を向けないあたり、相当堪えていたのだろう。

 

「……君がそんなやつだとは思わなかったよ」

 

 あまりに陳腐な捨て台詞を吐く。

 私はこんなに安っぽかっただろうか。

 

 扉が完全に閉じるまであと数センチ。

 この扉を閉じれば私と彼の関係は本当に終わる。

 

    ○

 

 扉は閉じられた、この部屋を僕の心とするのなら家具や、小物はまさに感情だろう。

 

 大声を出した反動だろう、噎せかえり、大きく咳き込む、びちゃびちゃと赤黒い液体が水音を鳴らす。

 

 壁にもたりかかり息を整える。

 

「これで良かったんだ」

 

 無事タキオンは僕と決別してくれた。彼女はこの世界にとって宝だ、こんなしがない病人一人のためにその歩を止めさせてはいけない。

 

 彼女は僕をモルモットと呼んだけれど、本当の僕はきっと猫なのだろう。死期を悟った猫は飼い主の元を離れるのだから。

 

 出立は三日後、できるなら、彼女が追いかけられない場所で。

 

    ○

 

 三日が経った、僕の手元には何着かの着替えと財布、スマホとリュックだけが残った。

 

 新たな入居者を迎え入れるために伽藍堂とした部屋に別れを告げ鍵を閉める。

 

 退寮者は鍵を学園まで赴いて返却しないとならないのはいかがなものかと思うのだが上には逆らえない、世の摂理だ。

 

 半ば諦めの気持ちを抱きながら正門前まで来てしまった。登校時刻から二時間程過ぎているのだが、何故か見覚えのある緑の人が待っていた。

 

「お久しぶりですね、トレーナーさん」

 

「やだなぁ、僕はもうトレーナーじゃないですよ駿川さん」

 

「……それでも貴方は確かにアグネスタキオンさんのトレーナーでした。どうかそれを忘れないでください」

 

「……どうか良い余生を」

 

 嗚呼、そんな悲しそうな顔をしないで下さい。別に僕は悲しませるために来たんじゃないんですから。

 

「えぇ、今までありがとうございまし──」

 

 あれ? たづなさんそんな背大きかったですっけ? それに膝小僧がすごく痛いな。

 

 あ、違う。たづなさんが大きくなったんじゃない。

 

 僕が倒れたんだ。

 視界から色が抜け落ちていく。

 

 ──参ったな。

 どうやら僕は猫になれなかったようだ。

 

    ○

 

 あれから三日が経った

 新たなトレーナーである彼は私のしたい事を優先してくれた。

 

「それが彼との引き継ぎの際に提示された条件ですので、宜しければ被検体にもなりますし、お弁当も用意させて頂きますよ?」

 

「……いや、それはやって貰わなくて結構だ」

 

 あれから食事はカフェテリアで取るようになった、けれどもどれを食べようとも味がよく分からない。その都度彼のお弁当が思い出される。回数を重ねる事に見栄えも栄養バランスも良くなっていく彼のお弁当を私は心から望んでいたのだな。

 

 研究に関してだが、被検体がいないから辞めたという訳では無い。単純に手がつかない。

 

 私は本当に速さの果てを見るために研究をしていたのか? 

 

 答えはイエスだ。けれど、共に見てくれる彼が居なくなった。それがこんなにも強いブレーキになるとは。

 

「……何をすればいいんだろうな。トレーナー君……」

 

 未練たらしい女と笑うがいい。それほどまでに私は君に依存してしまっていたし、きっと恋をしていたのだろう。

 

 伝えられなくなったこの想いを私はどうすればいいんだい? 

 

 ピリリと電子音が私を現実に引き戻す。

 どうやら彼の携帯が鳴っているようだ。

 彼は悪くないのだがどうしても苛立ちを覚えてしまう。

 

「……はい、ああたづなさんですか。どうしたんですかいきなり……え? わかりました! すぐ向かいます!  え? アグネスタキオンさんも一緒で? でもそれじゃ約束が……わかりました、先に向かっててください」

 

 たづなさんとの通話をしていたのだろう。そしてその会話の中で私の名前が上がった。

 何故だ? 

 

「アグネスタキオンさん」

 

「なんだい、言っておくが私は自分の意思で、自由に行動させて貰うからな。大体、どこへ行くかも分からないのにはいそうですかと着いて行けるわけないだろう」

 

 意味もなくフラスコを振る、気を紛らわすために。

 

「僕は一回しか言いません、だからよく聞いてください。貴女を担当していた彼が緊急搬送されました」

 

 ぱりん

 やけに高い音が鳴り響く。

 足元をみると先程まで振っていたフラスコは粉々になっていた。

 

 そんな事も気にする余裕なんて無かった。私は彼から搬送された病院の場所を聞くと学園を飛び出した。

 

 府中の街を駆ける、この時ほどこの体であったことを喜ばしいと思ったことは無い。

 

 新府中街道にたどり着く。専用レーンは無くなっているためここからは早歩きで病院へ向かう。

 

 辿り着いた先、医療センターで私を待っていたのはたづなさんだった。

 

「……おや? 彼は?」

 

「ああ、私だけ先に来てしまったよ。それで! トレーナー君は? どうしたんだい!?」

 

「……今、彼は眠っています」

 

 私は彼が眠る病室までたづなさんから彼の身体を蝕む病について聞いた。

 

「骨髄癌……」

 

「端的に言えばそうなります。転移も多く、手の施しようがないと……」

 

 ──どうして

 

 私の中に浮かんだ疑問符は病室が近づくにつれ大きくなっていった。

 

 いつから発症したのか、気づくことは無かったのか、もし気づいていたのなら。

 

 どうして、治療を受けなかったのか

 

 扉を開く、スライド式の扉はやけに滑らかに進んだ。

 

「やっぱり、こうなっちゃうか」

 

 声のする方、正面にはあの日、完全に別れた、そう思ってたはずの彼がいた。

 

    ○

 

「……いつからだい?」

 

「……去年の年末」

 

「…………ステージは?」

 

「4。それに治る見込みなし」

 

「…………残り時間は?」

 

「あと一週間……も無いな」

 

「これが理由かい?」

 

「……そうだな、君には前を向いて進んで欲しかった。後ろを振り向いて欲しくなかった。君はこの世界の宝なんだ。祝福されるべき存在なんだ、こんな有象無象の相手なんてしなくて良かったんだ」

 

「だから私には何も告げずに一人死のうとしたのかい?」

 

「……一人じゃないさ、たづなさんだって、理事長だって、同僚だって、それに今は居ないけど後任の彼だって悲しんでくれた。僕はそれだけで十分だった」

 

 わざとらしく顔を背ける君が嘘をついているのは何となく分かる。

 

「タキオン、今日は帰ってくれ。いろいろ手続きを済ませておきたいんだ」

 

「……わかったよ、私は私の好きにさせてもらう。待っているがいい、トレーナー君」

 

 その日はたづなさんと連絡先を交換して終わった。

 

    ○

 

 あれからというもの、私は取り憑かれた、日々、彼の病巣を排除できる薬品の生成に勤しんだ。寮にも戻らず、寝る間を惜しみ、文献を漁り、実験を重ねた結果、失敗だけが残った。

 

「これじゃダメだ! これも違う! 時間はないんだ!」

 

 結果を出せないことに苛立つ。私が今までしてきた研究は全ておままごとかのように感じてしまう。

 

「タキオンさん……何日寝てないんですか、今日こそは寮に戻ってもらいます」

 

 うるさい、邪魔をしないでくれ。

 彼の命を救う瀬戸際なんだ。

 

「……研究の邪魔をしないでくれ、カフェ」

 

「貴女だって分かっているはずです。有史以来、人類がそんな万能薬を作れた実績なんてない事を」

 

「だったら私が第一人者になればいい! 今! 今私が動かなければ! 彼は死んでしまうんだ! 彼の為なら私はこの身だって──」

 

 空気を薙ぐ音がする。

 左の頬に鋭い感覚が残る。

 目の前の黒鹿毛の少女、マンハッタンカフェはその右手を振り下ろしていた。

 

「アグネスタキオン!」

 

 ぞくりと背筋が震える、冷や汗が背中に浮上がるのを感じる。彼女がさらけ出した怒気に私は腰を抜かした。

 

「貴女が今すべきことはなんですか! 研究室に篭ってただただ時間を浪費する事がすべきことですか?」

 

「違いますよね。三年間あの人と一緒にいた貴女だからこそ、最期まで一緒にいてあげるべきじゃないんですか?」

 

 ──そんなこと、君に言われなくたって

 

「……そんなこと、そんなこと分かっているさ! 

 ……怖いんだよ、好きになってしまった人が死んでしまうのが」

 

「……その想い、ちゃんと伝えましたか?」

 

「……もう手遅れだろう?」

 

 死にゆく者に想いを伝えて何になるのだろうか。

 

「でも、ちゃんと言葉にして伝えないと一生後悔すると思います」

 

「行ってください、それが貴女のためでもあるのですから」

 

「……分かったよ、でもその前に少し……眠らせてくれ……」

 

 揺れる視界の中最後に映ったのはオレンジ色の天井だった。

 

「……本当に一途なんですね、貴女もあの人も」

 

    ○

 

 ──夢を見た、トレーナー君と私の始まりの日、彼がVRヘッドセットを被り私たちの速度を並走で体験した日。ただ違ったのは、彼が本当の姿で、私の前を駆けていたことだ。

 

 無論私は彼を追い越そうと走る、しかし差は広がるばかりで遂に彼は小さな点になってしまった。そして世界は黒く塗り潰された。

 

「トレーナー君!」

 

 目が覚めると研究室に持ち込んだベッドの上だった。先程見た夢の内容を思い出し、一筋の線が伝う。

 

「一生後悔する……か」

 

 夢を見たせいか、カフェの言葉が現実味を帯びる。こんな恐怖は二度と味わいたくない。

 

「……行かなければ」

 

 外へ出ようと体を動かすが体が重たい。

 

 何とか体を動かし学園の外へ出る、日は沈み、月明かりが外を照らす。近場でタクシーを一台捕まえ、病院へ向かう。窓に映る私の顔には隈が深く出来上がっていた。

 

 タクシーの中で私は普通に歩けるくらいには回復出来た……と思う。

 

 運賃を払い、そのまま病院へ向かう。番号は覚えてる。扉の前に立つ。ノックを二回、どうぞと声が聞こえる。

 

「久しぶりだね、トレーナー君」

 

「随分とやつれたな、タキオン」

 

「……誰のせいなんだか」

 

 呼吸器をつけ弱々しく私を見るトレーナー君に私は目頭が熱くなる。

 

 がくりと、床に膝をつけて彼の手を握る。

 

「……だめだったんだ、私じゃ君を助けてやれなかった……」

 

 ぽつり、ぽつり、嗚咽と共に小さな雨が降る。

 

 するりと、彼の手が私から離れた。一度宙で止まったかと思うと、行き先が決まったのだろうか、私に向かって伸びてくる。

 

 ぽすん、頭に乗った彼の手は優しく私の頭を撫でてくれる。この温もりを感じれることに喜びを感じるが、同時に、失われてしまう事に悲しみを感じる。

 

「……ありがとうタキオン。僕の為に頑張ってくれて。でももういいんだ、君は君の人生をゆっくり歩めばいいさ」

 

「……君が死んだ後、私はどうすればいいんだい? 君が居たからトレセンに残れた、君が居たからクラシックを越えられた、君が居たから……有馬を制してファイナルズで優勝出来たんだ。けれどまだ研究すべきことはまだ沢山あるし、それには君の協力が必要なんだよ……」

 

 目元を拭い、立ち上がる。

 彼を見る、後悔しない為に。

 

「私は、君が好きだ。君と一緒に沢山の実験をして、君と一緒にまだ見ぬ世界を見に行きたい。君と一緒に走り続けて、君と一緒に『果て』にたどり着きたい……出来ることなら、君と一緒に生きたかった」

 

 とうとう、言ってしまった。私が彼に抱く情愛を。しかし心は不思議とすっきりしていた。彼はきっと答えてくれないだろうけど、それでいいのかもしれない。

 

「──ありがとう、そう思ってくれて。それとごめんな、一緒に生きれなくて──」

 

 突然咳き込むトレーナー君に私は焦る。

 

 心電図に映る命の波が不規則な動きを見せる。私はナースコールを押し、たづなさんにメッセージを送った。

 

 

 駆けつけた看護師と医師は私にこれが最期になるかもしれないからと、会話の場を設けてくれた。気遣いのできる人達だ、感謝しかない。

 

「トレーナー君」

 

「……なんだよ、まだ言うことがあるのか……」

 

「全然あるに決まっているじゃないか、でも時間がないんだ、だからひとつだけ……ありがとう」

 

 涙が止まらない、感情の洪水は収まることなく溢れでてくる。

 

「そっか……じゃあな、タキオン」

 

 鳴り響く電子音、安らかに眠る私の好きな人。

 

「……さようなら、トレーナー君」

 

 命の波は完全に凪いでしまった。

 

    ○

 

 迎えた彼の葬式の日、そう、今日だ。

 喪主は理事長が務めた。というのも彼自身両親が共に他界、親族も兄弟も居ない文字通りの独り身だったそうだ。

 

 生前、彼は遺書を遺しており、その内容は理事長やたづなさん、あとは仕事仲間への感謝だったり、遺したお金は学園に寄付するとのことだったりした。それと私へ宛てたメッセージがひとつ。

 

『僕はタキオンが好きでした』

 

 ──なんだい、君は何回私の心を揺さぶれば気が済むんだい? 

 

 残りの内容は火葬後の自分の骨についてだった。共同墓地にも、一般墓にも入りたくなかったのだろうか。文面には

 

『タキオンが望むなら彼女に渡してください。望まないなら、海に散骨してください』

 

 とだけ、記載されていた。

 

「君は私をなんだと思っているんだか。まあ、君が遺した最後の形見だ、有難く受け取るとするよ」

 

 こうして私の手元にはたった2kgの彼が居た証が残った。

 

 

 彼の死後、私は引退を決意した。最後のレースに選んだのは有馬記念。多くの実力者が集まる年末の大一番。目標をそこに絞った私は他のレースには出場せず、ひたすらにトレーニングに時間を費やした。そして、ある計画を進めた。

 

 月日は流れ11月、私の元に一通の郵送物が届く。

 

 中を開くと更に小さな箱が出てきた。その箱には名前が刻印されており、その名前は、死んでしまった彼本人の名前だった。

 

 箱を開けるとひとつの耳飾りが出てくる。その耳飾りにはひとつの宝石が埋められていた。

 

 天然において最も硬い物質。

 金剛石の別名をもつダイヤモンド。

 

 そうだ、私はメモリアルダイヤモンドを作ったのだ。遺骨を高熱高圧にかけて出来上がったダイヤモンドは重さにして0.2g(1カラット)。彼の体重は60kg(30万カラット)程だったからおよそ三十万分の一に彼は姿を変えたと言える。

 

 元々付けていた耳飾りを外し、この耳飾りを付ける。何となくだが彼がそばに居るように感じてたまらない。

 

「レースが楽しみだな、トレーナー君」

 

 余談だが、空っぽの骨壷は最上位のロックを施した金庫に閉まっておくことにした。

 

    ○

 

 レース当日、ゲート入り前、私はカフェに声をかけられた。

 

「タキオンさん……その……耳飾り変えましたか?」

 

「おや、君が気づくとは。いい観察眼をしているねぇカフェ。どうだい? この耳飾りと私の相性は抜群だろう?」

 

「いや、相性なんてよく分かりませんが……ただ、ダイヤモンド入りの耳飾りというのが珍しかっただけです」

 

 確かに、他のウマ娘の耳飾りを見てもトパーズやアメジストの耳飾りを着けているのが多い。

 

「確かにそうだが、このダイヤモンドは他のダイヤモンドよりも価値があると私は思うけれどね。なんせこのダイヤモンドは──」

 

「タキオンさん、時間です。貴女の引退レースだろうと、二人がかりだろうと、私は負けるつもりはありませんから……」

 

 そそくさとゲートに入るカフェ。なんだい、聞いてくれたっていいじゃないか。

 

「──ふぅん、まあいい。けれど勝つのは、私たちだ」

 

 

「アグネスタキオン! 今一着でゴールイン!」

 

 歓声が響く、

 ──そうか、私は勝ったのか。

 

 流れ落ちる汗、鼓動は強く鳴り、私に生を実感させる。

 

 ソラを見上げる。

 

「トレーナー君、君はひとつ偉業を成し遂げたんだ。人々はいずれ君がいた事を忘れるかもしれないけれど、私は絶対に忘れない、このダイヤモンドが君の『存在証明』だ」

 

 アグネスタキオンの呟きは余りに小さく、その場に居た誰もが聞くことは叶わなかった。けれど、彼女の耳に、そして耳飾りにしっかりと届いたことだろう。


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