やっちまった。殺しちまった。どうしよう。まずは死体を隠す...いや、それよりもこの場からの逃走を優先すべきか。混乱した思考が脳を駆け回り。さらなる混乱を呼び寄せる。笑みが止まらない。別になんにも面白いことは無いのに、口が縫い付けられたように笑みを強要する
いや、いやいやいや。それも今はどうでもいい。これからを考えろ。今からどうすれば良いかを考えるべきだ。回らぬ頭を無理矢理動かし、知恵無き愚図で、劣っている思考を働かせ、適度な取得選択を繰り返し、いくつもの可能性を整理する
「くひっ」
このまま逃げてはナツキ・スバルが三周目に突入せずに、第三章に移行する可能性が発生してしまう。駄目だ。逃げられない。もし、万が一。ナツキ・スバルが発症した呪いを解呪してしまったら、その時点で積みだ
「ひひっ。ふひひひひっ」
それから数日経過すれば、買い出しに出掛けたまま屋敷に戻らないレム。同じく姿が見えないラム。二週目のナツキ・スバルでも、まだ、生温い覚悟すら決めていない、決められていないナツキ・スバルだとしても、明らかな違和感に気が付いてしまう
「あひゃひゃひゃひゃ。ふひゃひひ」
幸い、ロズワールについては叡智の書の記述から外れた時点で廃人同然の状態になるため、注意する必要は無くなるが、それでは駄目だ。原作との差異を現時点で発生させるのはよろしくない。その時点で俺の原作知識は死んでしまう
「ふーふー。あひふゃ」
深呼吸をして呼吸を整える。げらげらと笑っている場合ではない。それよりも今は、他に考え無ければならない事がある筈だ。そうだ、考えなければ
確実にナツキ・スバルを殺せる場面で。死に戻りを用いても運命の袋小路から脱出出来ない、積みの状態に陥らせる事の出来るその時まで、静かに殺意を練り上げ、予想外の、油断している隙に、動揺している隙に、大きな差異を叩き付けるべきだ
「その、為には」
その為には、ナツキ・スバルの関与せぬ場で、小さな差異を積み重ね、認識外において自由に扱える手勢を揃え。状況を引き寄せられる場面を整え。その時を静かに待ち、粛々と準備を行わなければならない
「つまり、今じゃ無い。今じゃあ、無いんだよ」
小難しい事を全て省き考えると、現時点でナツキ・スバルに第三章に移行されては困るという事だ。故にナツキ・スバルを一度、殺さなければならない。勢い余って殺してしまったレムの代わりに、俺が、ナツキ・スバルを殺さなければならない。ナツキ・スバルを、殺して良いのだ
そこまで考えてしまうと、頭が真っ白になった。何も、考えられなくなった。もちろん、それはただの揶揄表現でしか無いが、そう思えてしまう程の幸福感が、麻薬として脳内で生成され続けている
「あぁ──」
あぁ、最高に良い気分だ。あの憎くて恨めしい、ナツキ・スバルを殺すことが出来る。合法的に、合理的に、仕方ないと言う大義名分を盾にして。ナツキ・スバルを殺す事が出来る
「ひひひっ。くひひふぁ! 」
顔には笑みが蘇っていた。憶えていない遠い記憶の、いつか何処かで冷たく願った、何が何でも殺したい程に忌み嫌った狂人の笑みだ。なのにそれすらが蕩けるような甘い快楽として脳に出力されてしまっている。こうなってしまってはもう、ダメだ
身体が嫌に力を溢れさせる。全能感すら感じさせる貧弱な俺の身体は、ロズワール邸へと歩み始めていた
◆◇◆◇◆
「だーれだだれだ。ふひっ。ははは。ぶっ殺す。ひひはっ。あーうー! くへへっ」
意味を成さない言葉の羅列は、妙に俺の心を落ち着かせ、自然な笑いが奥底から這い出て来るような感覚を巻き付けた。それが、枷だと分かっていても、退化だと分かっていても、道を踏み外す足を止められない
「鬼さーんこちら、てーのなーるほーへ! あひひはっ! そっか。死んだんだった! だったなぁ。ひひっ。はははははっ!! 」
無事、屋敷に到着出来た俺は、魔手を出現させ、ナツキ・スバルの部屋へと窓から侵入。窓は閉まっていたので叩き割ったが、特に問題も無くナツキ・スバルの部屋への侵入に成功した。結構な物音が鳴り、騒音が屋敷に響いていると思うのだが、誰も来る様子は無い。つまり何の問題も無い
素早いとは言えず、最適な動きでは無かったが、ふらふらと不安定な足取りでナツキ・スバルの眠るベットに近付き、首に手をあてがい軽く力を入れてみる。少しずつ、少しずつ入れる力を強めて、キリキリと苦しそうに悶え始めた瞬間、魔手で両目を抉り取り、視界を奪う
「くひっ。ひゃははははっ、ひひひゃ。ひーひーっ」
から笑いが止まらない。酸素が足りない。呼吸が出来ない。それでもちっとも苦しくない。だからこそ死を感じられない。楽しめない。故に詰まらない
手に力を込める。もう少し。あと少し。キリキリと力を徐々に強めて行っていたら、ボコッと手に触れる物がへこむ感覚がした。きっと喉仏が折れたのだろう。痛いのか、もう感覚すら分からないのか、ナツキ・スバルは口を餌を求める金魚のように開いて閉じるを繰り返している
「哀れだなぁ! 惨めだなぁ! ひひっ! 弱い弱い! 死ぬしか能の無い凡愚な猿が! 自分の事しか考えられねぇ阿呆が! くふっ、ひひひ。ばーか! あは、くはははは! 」
声を聞かせてしまった。幸いな事に、笑い続け、渇き掠れた声であった為、流石に気付かれていないとは思うが、これは安易な考えだ。良くない良くない。けど楽しいから辞められない。嬉しい。幸福だ。違う。幸せだ。違う。気持ち悪い感情がどこからか現れた
「違う。ひひゃ、ちがひゃ。う。違、ははひゃあっ、違う」
ナツキ・スバルは抵抗を辞めた。きっと死んだのだろう。死ねた訳では無いのだが、決してそういう、人生の終着点に辿り着いただとか、終点に到着しただとか、エンディングかなんとかだとか。そんな意味では無く、この周回での死亡という、無限の残機が一つ減っただけの、ただそれだけの事なのだが
「違、く、ひゃうっ、違、う」
何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故──何故
「違う」
頭が痛い。芯から来る痛みだ。叫び地面にみっともなく転がり回りたいと即座に思い、本来であれば実行できてしまう程の痛みである。しかし俺の口は、ただ一言だけの否定の言葉を繰り返し、こちらの痛みをちっとも理解してくれず、取り合ってくれやしない
「違う。違うんだよ。そうじゃ無いんだ。仕方が無かった。他に手段が無かった。あの状況ではあれが最善策だったんだ」
違う。全て同一だ。いや、今は過去形か。仕方が無かったのでは無い、別に詰んでいた訳では無い。他に手段が無かったのでは無い、他に方法はいくらだってあった。あの状況での最善策があれであった筈が無い。それを原作は証明している
──愛して、る?
何処からか聞こえてきた声に反応し、ふと窓の外を眺めてみると、世界の色は仄暗い闇に包まれた、飾り付けたようなキザな言い方をすれば、終わる世界と言って誰もが理解できる、闇が広がっていた
俺は身体を魔手で包み込み、窓から闇に向かい飛び込む
──愛してる
「だから、何回言わせりゃ気が済むんだよ。俺はアレとは違うんだ。んで、俺がお前の大好きな愛しのスバルくんを殺した犯人な訳だ。ほら、俺が憎いだろう? 早く殺してみろよ」
頭から響く痛みに耐え、生物的な格の違いを感じる格上の存在感に耐え、そんな様子を表に出さぬよう、嘘の作り笑みで取り繕い、魔女に怒りを沸かせ、終わりが欲しくて死を願う
──愛してる
しかし魔女は表情を変えず、俺はそのまま影に飲み込まれ二周目の世界から姿を消した
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
歪な愛の形は、どうやら俺を殺してくれないらしい
「あひ、くははっ」
これで仮説の一つが潰れてくれた。俺の完全な死の条件に、ナツキ・スバルの死亡は関係していない。それだけが分かっただけでも、十分な収穫だ。俺は服に付着した土を軽く払いながら、身体を魔手で包み込み、ウルガルムの住む、魔獣の森へと飛び去った