神宮
鹿目さんがうろうろしている。
おそらく志筑さんたちとはぐれたんだろう。
僕の視線に気づいた。
「三土君、ひとみちゃん達見なかった?」
バツが悪そうに笑顔をうかべている。
僕は首を横に振る。
「はぐれたの?」
「えへへ。池の鯉見てたらみんないなくなってて。すっごい大きいんだよ。三土君見た?」
「うん。あっちの池のでしょ。LINEは?」
「それが、電池切れちゃってて。……なんかね、最近電池切れるの早いんだ」
僕はカバンから携帯のバッテリーを出し、鹿目さんに差し出す。
「えっ、良いの?」
「いつも救急箱取りに行ってもらってるし」
バッテリーをつなぎ、鹿目さんがスマホを耳に当てる。
「みやま横丁? うん、わかると思う。待っててね」
「バッテリーいいよ。バスで返してもらえれば」
「えっ」
「僕のはfullだから」
「本当? ありがとう、あの、またお礼するね! ……三土君は今日は仏教系じゃないの?」
「今日は用事があって。バスまで自由行動」
「そうなんだ。えっとじゃあ、後でね」
神宮の広大な境内を東の端まで歩き県道まで出る。森に沿ってカーブする道をしばらく歩き、別の神社に入った。社務所に行き巫女さんに来訪を告げると、ベンチに座って待つように言われた。社務所の右手は岩山で、小さな滝がある。その滝には龍神にまつわる伝説が伝わっていて、地元の人が手を合わせ、深く頭を垂れていく。その光景を眺めていると、水色の袴を履いた痩せた男の人が現れた。
「よう来ました。あれ、この前会った時より大っきなったんちゃう?」とその人は僕に笑顔で声をかける。面長で切長の目がつり上がった、狐を思わせる顔の人だ。こんにちはと頭を下げ、父から預かってきた護符と栗の渋川煮の入った袋をカバンから出し「父からです」と渡す。
「今年もほんと行きたかったんやけどね。これ渋川煮やね。 うわぁ、おおきに」
遠藤さんは神職だが仏教にも興味があり、僕の実家が所属する宗派の研修会に顔を出していた時、父と知り合ったらしい。たまたま趣味が同じ居合道ということもあり親しくなった、と父が言っていた。ここ数年はご家族の健康上の問題で、うちの寺を訪れることができなかったので、僕が修学旅行のついでに病魔退散の護符を届けるよう言われたのだ。
「静君が来てくれる言うんで、ここら案内したかったんやけど今日めちゃくちゃ忙しくてね」
「いえ、修学旅行中だし大丈夫です」
「これ、持ってって。大したもんやないけど、ご利益あるで」
そう言ってゆで卵の入った紙袋と茶屋のクーポンをくれた。
「あとな、渡さないかん物があるで、ちょっとついてきて」
遠藤さんは少し早足で社殿の裏に向かって歩き出した。
「修行はどう?」
遠藤さんは、僕が仏教と居合の修行をしていることを知っている。
「龍神の滝を拝んでいる人を見てて・・・」
なぜか自分でも思ってもみなかった言葉が出てきて少し驚く。
「うちの如来さんを拝んでいる人を見てても同じなんですけど、あんな風に、僕には信仰心が無いっていうか……仏とか神を心から信じることができない気がして。どうしたら、神様とか仏様とかを信じることができるのかなって……悩んでます」
遠藤さんはそのまま歩き続け、
「う〜ん。信じることができないか」
「はい」
「そやな、信じられなくても……良いかもしれんね。信じる信じないは別として、それは、実際にあることだからね」
「実際にある……」
「そう。実際にある。ちょっと待っとって」
自宅に上がった遠藤さんは、木で造られた短刀を持ってきて僕に手渡す。
「そろそろ、三ノ伝やろ? お父さんに頼まれとったんや。いくつかあるんやけど、静君にはこれが良さそうやね」
遠藤さんは趣味で木刀、特に短刀を作っているのだが、造りが素晴らしいので界隈では有名だそうだ。父は、僕が二刀の稽古を始めるのに合わせて、遠藤さんに短刀の製作を頼んでくれていたのだ。
全体に赤い木で簡素な見た目だが、吸い付くように手に収まる。ずっしりとした重みがあって、父の持っている物と似ている。そう伝えると、やはり父のも遠藤さんが造った物だった。
木刀と一緒に破魔矢も袋に入れながら、
「お父さんによろしく。来年は行けそうやで。あと、修行もいいけど、クーポンで女の子とお茶するんやで。そういうのも修行や」と言ってにっこり笑った。
前日の夜、男子部屋
前日の夜、男子が一つの部屋に集まりクラスの女子の誰が好きか告白しあった。あからさまに楽しみにしているやつと、むっつりしているやつがいるが、そういうのは修学旅行のお約束というか行事のようなものだ。うちのクラスで人気があるのは、やはり志筑仁美と暁美ほむらの二人だった。二人とも才色兼備、ほとんどの男子にとっては高嶺の花だ。志筑さんは上品で物腰が柔らかく、誰に対しても親切。暁美さんは大人びていてちょっと冷たい感じがするが、男女問わずハッとせざるを得ない容姿だ。こういう話が苦手なやつは、志筑さんか暁美さんどちらかを無理やり選ばされることになる。いつもつるんでいる田丸はまさにこういう話が苦手で、逃げようとしたところを捕まり、腕ひしぎをかけられて志筑さんを選んだ。
僕と田丸、高木は三人でいることが多いが、三人とも実家が寺なので「仏教系」と呼ばれている。言い出したのは早乙女先生だ。仏教と一括りにされているが、田丸は浄土、高木は禅、うちは密教とばらばら。関係があるかどうかわからないが、田丸はガリ勉、高木は(田丸によれば)色魔、僕は(田丸によれば)オタク。この時も、田丸は無視を決め込み部屋の隅で本を読んでいるふりをしていて、高木は隣のクラスの彼女に会いに行って部屋には居なかった。
「三土! お前の番!」
僕の番が来た。正直なところ誰というのは無い。志筑さんか暁美さんかを選ばされるのも面白くなかったので、
「暁美さん達と時々一緒にいる、三年の先輩」と答えてしまった。
「ああ」とか「おお」といった声がパラパラと上がったが盛り上がらず、思惑通りにスルーされた。部屋の雰囲気はすでに「志筑派」対「暁美派」になっている。
「だからお前はオタクなんだよ」と田丸が言いにくる。
「志筑のくせに」と言うと背中をどつかれた。
「鹿目じゃないの?」
「なんでだよ」
「いつも喋ってるじゃん」
「いつもじゃないだろ。係の仕事の時だよ」
「ふうん。鹿目いいじゃん」
「お前、何なの?」
自分でもオタクだと思う。今は、瞑想と居合に夢中で女子にうつつを抜かしている暇は無い。我ながら中二病だとは思うが、呪術的な力が支配力を持つ世の中が突如としてやってくるかもしれない、と思ったりしている。実家が寺でしかも密教系なのは、ある意味良かった。家業だし。父親はもっと遊んだら良いのにと言うが。
茶屋
遠藤さんの神社から神宮に戻る。集合時間まであと三十分以上は残っているので、もらったクーポンを使おうと茶屋に向かった。この茶屋は、遠藤さんの実家が経営しているのだ。店番のお婆さんにクーポンを見せると、わかったという笑顔でうなづく。ただ、餅を今ついているところで、あと少し時間がかかるとのことだった。ここから集合場所である観光バスの駐車場まではすぐなので、お茶と餅のセットをお願いし、軒先の縁台に座って通りを眺める。
鹿目さんがうろうろしている。
僕が見ているのに気づき、「えへへ」と笑いながら近づいてくる。志筑さん達に会えなかったのだろう。鹿目さんは、ぽわっとしているところがある。いつもならそこを暁美さんがフォローしているんだろうだが、検査入院のため修学旅行は欠席だった。
「会えなかったの?」
「うん、すっごく混んでてね。お店の名前も似たような感じばっかだしね。……ここお団子屋さん? 私も何か頼もうかな」
鹿目さんは、混み合った店の中をちょっと覗いた後、僕が座っている縁台に腰をかけた。
僕は女子とはあまり喋らない方だが、鹿目さんとは時々話す。同じ保健係だから。本当は図書係が良かったのだが、田丸に先を越された。僕も鹿目さんも、結構気がつく方なので、体調が悪そうなクラスメートがいれば声をかけて保健室に連れて行ったりしている。お互いに気づいたことを報告し合ったりする間に、わりと話をするようになった。
「団子というか餅屋さん。今餅を突いているところで、ちょっと待たないといけないかも」
「え〜集合時間に間に合うかな。結構お腹空いてるんだけど」
ちょうどお婆さんが、頼んだ餅のセットを運んできた。小豆餡と大根おろしが別皿に盛られており、餅はメニューの見本よりも量が多い。
「二人で食べたらええが。突き立てで美味しいよ。今お茶も持って来るで」
箸がお盆に二つ乗っている。
「これで良かったら食べる? 父さんの知り合いのお店で、あの、ご馳走になってるんだ」
「いいの? 今日は三土君にもらってばかりだね。・・・そうだ、バッテリー返さないと」
差し出されたバッテリーの上に、小さな袋が乗っている。
「それ、お礼」
参道の土産物屋で買ったようだ。袋を開けてみると、猫のイラストのシールが入っていた。
「これ何かのキャラクター?」
「わからないけど、可愛いから買っちゃった。バッテリーに貼ると良いと思うよ。他の人のと混ざっちゃった時わかるから」
二人で餅を食べながら、どのようにして志筑さんからはぐれたか、広い境内で良かった場所はどこか、川の向こうの森がどのように美しいのかなど、鹿目さんが話すのを聞いた。
楽しそうに話す彼女の髪に、柔らかい午後の太陽の光が当たってキラキラしている。表情がくるくると変わるのを見る。
可愛いな、と思った。
鹿目さんが話すのをやめて耳を澄ますような顔をした。目が次第に真剣さのようなものを帯びていく。
「私、行かなきゃ。お餅、ありがとう」
突然立ち上がって、人混みの中に入っていく。
僕は呆気に取られ、後を追おうと思ったが、彼女がどこに行ったのかもうわからなかった。
戸惑っている僕に、店のお婆さんが言う。
「バス停に行きぃ。早よ」
異世界、その後
お婆さんの圧に押され、集合場所である観光バスの駐車場に向かう。
茶屋からは、細い階段を降りて突き当たりを左に行けば着く。集合場所に鹿目さんがいるかもしれない。いなかったら早乙女先生に報告しよう。そう考えながら階段を駆け降りる。しかし、いつまで降りても突き当たりにたどり着かない。気がつけば、石畳の階段ではなく、ホテルのように左右にドアがたくさん並ぶ廊下を走っていた。廊下は複雑に分岐し、その先は遠く暗くて見えない。脇に汗が流れるのを感じる。突然カバンが磁石に反応するかのように前方に浮き、それに引きづられるように廊下を進んだ。進んだ先の廊下は暗闇の中に消えていたが、僕はカバンに引っ張られ、そのまま飛び込んだ。
飛び込んだ先には地面があり、辺りを見回すと屋外だった。山火事の後のように黒焦げの木々が立ち並び、僕は天井が崩れた建物の中に立っている。厚い雲に覆われた紫色の空に、黄色い六芒星に囲まれた巨大な「目」が浮かんでいる。その「目」の下の空気は激しく対流しているようで、巻き上げられては落下する木や自転車のようなものが見える。空に浮かぶその何かから目を離せないでいると、人間の掌に乗るような大きさの、空に浮かんでいるのと同じ「目」がいくつも漂ってきて、僕を取り囲んだ。密集する「目」に見られているだけで僕は息ができなくなる。立っていられなくなり地面に膝をつき、息を吸わなければと自分の首に手をやる。突然、「目」の集団が散り散りになった。
開いた空間の先に弓を持った女の子が立っているのが見える。
鹿目さんだ。
「三土君、大丈夫だよ。私が守るから、みんなと隠れてて」
破壊された建物の中に塹壕のようなものが掘られていて、そこに飛び込むと沢山の人が身を隠していた。みんなひどく怯えていて、膝の間に頭を入れ耳と目を塞いでいる。轟々という風の音に覆われ、時折地面が激しく揺れる。
"鹿目さん"
塹壕から頭を出し、外を見ると、鹿目さんが地表を跳ねまわりながら、空に浮かぶ「目」に向けて矢を射っている。「目」からは時おり黒い筋のようなものが放たれ、何発か彼女を直撃した。
再び塹壕に体を隠す。体中が震える。体が震えると本当に歯がカチカチ鳴るんだと言うことを知った。震える手で、何度も失敗しながら抱えていたカバンのジッパーを開け、遠藤さんからもらった木刀を手にとる。握った木刀は重く、自然に臍の下あたりに落ちつく。震えがおさまっていく。心に浮かぶ真言を必死に唱えた。
足の震えがおさまったのを感じ、大きく息を吸ってから、木刀と破魔矢を手に塹壕から飛び出す。集まってくる小さな「目」を木刀で振り払い、巨大な「目」の方へ向かった。空に浮かぶ巨大な「目」が僕に気づき視線を向けた直後、その輪郭がわななくように細かく震えだした。
「それを貸して!」
鹿目さんが叫び、彼女から飛んで来た光が僕に当たると、手の中の破魔矢が消えていた。
彼女が弓を弾き絞り空に向かって矢を放つと、矢は空中で無数に別れ、放物線を描き上から「目」を貫く。轟音を響かせてゆっくりと解けるように「目」が消えていった。
背後から聞こえる足音に気づき振り返ると、建物の影から鹿目さんが現れた。すぐに言葉が出ず、彼女の顔をまじまじと見詰める。
鹿目さんも真っ直ぐ僕を見ている。
「はぐれていたんじゃ無いんだ。志筑さんたちと」
「……うん」
「これは……あの、どういうことなの?」
「説明がね、ちょっと難しいの」
「なにか、あの、……手伝えること、ない?」
鹿目さんは首を横に振る。
「ありがとう。でも、私が選んでやってることなんだ。それにね、しばらくすると三土君は今見たこと忘れちゃうの」
「えっ」
「私嬉しかったよ。助けに来てくれたこと。これもお礼しなきゃね」
鹿目さんはにこりと笑った。
「ここにいる人たちを送り届けないとだから、先に戻ってて」
「大丈夫なの?」
「もう倒したから大丈夫。三土君が手伝ってくれたからだよ」
曖昧に頷き、気づくと僕は石畳の階段の突き当りに立っていた。角を数歩踏み出せば、午後の太陽に照らされた観光バスの駐車場だった。
クラスのバスを見つけ歩いて行った。乗降口の前に立っていた早乙女先生が僕に気づく。
「鹿目さんがまだなんだけど、三土くん…」
「すぐ来ると思います」
僕はバスに入らずに待っていようと思ったが、先生にバスの中へ追い立てられた。
後方の自分の座席まで歩き、通路側で寝ている高木を跨いで窓際に座る。そこで、カバンが無いことに気づいた。取りに帰るべきか、いや、あそこには戻れない。せめて階段まで探しに行こうと立ち上がったところで、ステップを上がってくる鹿目さんの頭が見えた。
通路を歩いてきた鹿目さんがカバンを僕の方に差し出す。
「忘れ物だよ」
「あ、ありがと」
「お礼はまたね」と言って志筑さんの隣に座る。
「何のお礼だよ」目を覚ました高木がこっちを見ている。
「スマホのバッテリー貸した」
「それだけ?」
「一緒に餅食べた」
「ふうん。良かったじゃん」
今日一日を最初から思い出してみる。朝から鹿目さんとずっと一緒にいたような、と言うよりも、すごく濃い時間を一緒に過ごしたような気がするが、記憶にあるのは茶屋で餅を食べたことだけだ。
暖かい太陽の光と、その光りの中に浮かぶような彼女の横顔。
点呼が終わりバスが動き出す。高木が差し出した醤油せんべいを受け取って口にくわえ、ゆっくりと動き出す神宮の森を見た。
pixivにも同じものを投稿しています。