ある日の昼下がり。私は生徒会室でレース雑誌を読んでいた。
私御用達のこの雑誌は、他の物と比べてもかなり丁寧に書かれている。
特にこの『今日のウマ娘』という記事。この記事は雑誌の中でも群を抜いている。
ウマ娘一人一人の事をこれでもかと細かく書き上げ、疑問は呈しても批判はしない。ポジティブな文面が好印象である。
たまにトレーナーのサポートに関して、大げさでは?と思うような文章もあるが……それも一興だろう。
おそらくこの記事を書いた人は、それだけウマ娘が好きなんだろうなと感じ取れる。それだけ愛にあふれているのだ。
そんな『今日のウマ娘』だが、今までと打って変わって、悲壮感に溢れる内容だった。
――トウカイテイオー、怪我で菊花賞を断念。
「なーんかとんでもないことになってんのな」
「ミライ……? ああ、テイオーの事か」
あのポジティブシンキング極まれる文章の、悲痛な内容に思わず声が漏れる。
その呟きを聞き取った生徒会長シンボリルドルフが、私の見ていた雑誌を覗き込む。
「トウカイテイオーって言えば、偶にここに来るウマ娘だっけか。お前が可愛がってる」
「ああ。皐月賞とダービーを制し、三冠まであと一歩のところだったんだけどな」
「ははぁ。それだけのウマ娘も、レースでは無敗でも怪我には勝てないってか」
何とも無情な世の中である。
そう思いながらため息をつくと、ふとルドルフが険しい表情をしていることに気が付いた。
「……どったよ?」
「いや、あまりそういうことは言わない方が良い。テイオーも、今はかなり落ち込んでいることだろうしな」
「そうかね……ん?」
ふと、ルドルフの言い回しに違和感を感じた。
「おいルドルフ。その言い方、もしかしてお前、怪我の事でトウカイテイオーと話してないのか?」
「ああ、そうだが? テイオーは今が正念場だ。この怪我を乗り越えることが出来れば、テイオーはもっと上がってくる。なに、テイオーは強い。すぐに立ち直れるさ」
こいつマジかよ。引いてしまった私は悪くないと思う。
「……ミライ? どこに行く気だ?」
「ちょっと散歩行ってくる」
「え、仕事は!?」
「もう終わった」
お前とその周りを基準にするなっての。
そんなんだから、ダジャレに頼ることになるんだぞ。エアグルーヴの心労増やすなって。あれフォローするの私なんだぞ。
生徒会室を出てブラブラと歩く。……見つけた。
三女神像の前のベンチに座っているのは、件のトウカイテイオー。
耳は項垂れ、尻尾もどこかしんなりしていて、パッと見で落ち込んでいることが分かる。こういう時はウマ娘は楽だ。
「おーっす。トウカイテイオー」
「……生徒会の、カイチョーと一緒にいた」
「ミライクライな。まったく、確かに2冠のお前の目に留まるような奴じゃないのは自覚してるが、名前ぐらいは覚えてほしいねぇ」
「…………」
わざと地雷に掠りながら、隣に腰掛ける。
テイオーの耳がピクリと反応した。やはりいまだに引きずっているらしい。
「それでどうしたよ? そんなに落ち込んで」
「…………」
反応はない。
ここで変に受け身になっても埒が開かない。
そう思った私は、さっさと本題を切り出すことにした。
「……菊花賞の件。残念だったな」
「っ……やめてよ。何も知らないくせに、形だけの慰めなんて」
「知ってるんだなーこれが。ルドルフからお前の話はよく聞かされててな。お前、ルドルフみたいになりたいんだろ?」
驚いたように顔を上げるテイオー。
言ったことは本当だ。ルドルフから愛娘を自慢するかのように何回も語られているのだ。
その時のルドルフは、本当に楽しそうで、アイツがテイオーを大事にしているのは確かなことなのだ。
「……ボク、カイチョーみたいな無敵のウマ娘になりたかったんだ。ずっと、それだけを夢見て」
「それが、お前の原動力か?」
「うん」
「じゃあ、まだ終わってないな」
「……え」
ルドルフのようになりたい。
言葉にすれば簡単だが、それを行うのは難しだ。
あの絶対皇帝を見ても尚、それを夢見られるガッツと、実現するだけの努力。何より、叶えられると思える才能が無ければ到底不可能だ。
それらを持っているのが、私の隣にいるトウカイテイオーで。
持っていたからこそ、こうして現実に項垂れている訳だ。
「なあ、ルドルフの偉業って、なんだと思う?」
「それは、無敗の3冠でしょ?」
「他には?」
「他にって……七冠とか?」
それがどうしたと言わんばかりの表情を向けてくるテイオー。
分かってないなぁ。
「確かにルドルフはすごい奴だ。でもそんなアイツでも、九つの内二つの冠を逃してる。これの意味が分かるか?」
テイオーは静かに首を振る。
「私はアイツと年が近いから、その時のことをよーく憶えてる。あいつの無敗が敗れた時、今のお前と似たようなものだったよ」
「あのカイチョーが?」
「あのルドルフがだ。お前が逃した冠は、まだ一つ。
別にルドルフを目指すなら、無敗の三冠以外でも良いのだ。
いやまあ、本人がそれにこだわるならあれだが。テイオーが目指していたのはルドルフだ。無敗の三冠はそのための過程に過ぎない。
そう話してやると、テイオーの顔色が少しずつ元に戻って行く。どうやら立ち直らせることには成功したようだ。
「……それになぁ。私みたいなやつにしてみれば、2冠でも十分凄いことだぞ?」
「え。生徒会なんでしょ。だったら、何かすごい戦績とか持ってるんじゃないの?」
おう。躊躇なく人の心を抉って来るな。
「そう思うだろ? 言うて勝った中じゃ、GⅢが最高だよ。それに、私についての話とか聞かないだろう?」
「うん」
「即答止めろ。まあ、仕方ないけどさ」
最高峰レースたるGⅠを勝利したウマ娘ってのは、大なり小なり話題に上ることが多い。
そりゃそうだ。GⅠは全てのウマ娘が、トゥインクル・シリーズで目指す夢の舞台なのだ。
だが逆に言えば、それ以外のレースで勝っても中々話題になりづらい。
完全にならないわけではない。レースの出走条件を満たすために、GⅡやGⅢを走ることは、どのウマ娘も通る道だ。初めてGⅠを走るウマ娘の評判なんかは、そこら辺から出て来るしな。
その逆も然りで、GⅠを勝利したウマ娘がしたのグレードで走ることで、レースが話題になったりもする。
「でもミライ……クライ先輩は、重賞勝ってるよね」
「ミライで良い。確かに重賞を勝ってるんだがな。お前、GⅢが最終目標になるか?」
「何言ってるの? ボクの目標はカイチョーみたいなウマ娘になること! だから、えっと、GⅠを勝つことは大事でしょ?」
「だろ? 大体のウマ娘の最終目標ってのは、基本GⅠなんだよ」
重賞というのは、それなりに歴史のあるレースがそう呼ばれる。だからと言って、全てのレースが平等に注目されることはない。
何かしらの思い入れがある場合は別だが、GⅢを最終目標にする奴は中々いない。
「世間の風潮じゃ、とにもかくにもGⅠを勝った奴が注目される傾向が強い。GⅢで幾ら勝とうと、注目されることは中々ない。もちろん、GⅠ以外が全部無価値ってわけじゃない。だが、GⅢをいくつか勝った程度じゃ、見向きされないのが現実さ」
だからこそ、私は隣で俯いてしまった後輩に言ってやるのだ。
「トウカイテイオー。
「ぁ……」
そう言って頭を撫でてやる。
あーだこーだと言ってきたが、詰まる所これに収束する。
頭を撫でられて、気持ちよさそうに目を細める後輩に、それだけは知ってほしかったのだ。
…………後日、春の天皇賞でメジロマックイーンに負けたテイオーを宥めるのに、ひどく苦労したことを、ここに記しておく。