「――みんな、今日は終わりにしよう。そろそろいい時間だ」
ルドルフの声に時計を見ると、確かにいい時間だ。窓の外は既に暗い。
「そうだな、今日の仕事は終わりだ」
「では、私が片付けておきますので、会長とミライは先に……」
「待てエアグルーヴ。ブライアンと一緒に、お前はルドルフを連れて帰れ」
片づけをしようとしていたエアグルーヴを引き留め、ルドルフを二人の方に押し出す。
「え、お、おい!」
「お前は目を離したらすぐに仕事しだすからな。どれだけ苦労したと思ってるんだ。今でも思い出すよ。昔の苦労を」
昔のルドルフは、とにかく酷かった。
生徒会長になってからというもの、目を離せば仕事かトレーニング。食事の時間もギリギリで済ませる。
自分を苛め抜くとか、ストイックなんてものじゃない。
何かに追われているかのように、はたまた焦っているかのように忙しなく動くルドルフは、傍目から見てもハードワークだった。
「ほら、さっさと帰れ帰れ」
「……そう、か。心苦しいが、先に帰らせてもらうとしよう」
「そうしろ。エアグルーヴ、ブライアン、ルドルフを頼むぞ」
「分かっている。任せておけ」
「私は疲れた。さっさと帰るぞ。お前もさっさと帰れよ」
「ルドルフと一緒にするなっての。寮暮らし組は早く帰れ」
逃げられないよう二人に挟まれながらルドルフが帰っていくのを見届け、私は部屋を片付ける……わけではなく。
机の上にまだ山のように残っている書類を、自分の机の上に運ぶ。
このまま帰る? んなわけいくか! 仕事はまだ大量に残ってんだよ!
「……いつも思うが、明らかに生徒に任せる量じゃないだろ」
なんて愚痴を言っても始まらない。
とりあえず、一番上の書類を取り仕事の続きをしようとしたところで、さっき帰ったはずの奴の声とともに扉が開かれた。
「やれやれ。人に帰れと言っておきながら、ミライは帰らないのか?」
「……なんでお前が戻って来てんの?」
なんで帰したはずのルドルフがここにいるんですかね?
「いやぁ、実は忘れ物をしてしまってね。そしたら君がいるじゃないか」
明らかな嘘だろ。まさかあの二人、本気で信じたわけじゃないだろうな。
エアグルーヴならまだしも、何のためにブライアンをつけたと思って……あの野郎、めんどくさくなって放置しやがったなぁ!?
「忘れ物だぁ? 明日取りにくれば」
「まあまあ。ミライだって、人のこと言えないだろう?」
そう言ってルドルフはふふん、といった感じにドヤ顔を披露する。
……くっっっそめんどくせぇ、こいつ!?
「まったく、私にああ言ったくせに、君は仕事を続けていたのか」
「……私とお前とじゃ、立場が違う」
「ミライ……」
「言い方を変えてやろうか? お前はさっさと休め。まだまだ現役のお前とすでに引退した私じゃ、やるべきことが違うんだよ」
ルドルフだけじゃない。エアグルーヴもブライアンも、私よりもすごい奴だ。
それこそ、なんで生徒会なんてやってんだって思うぐらいに。
こういった雑務だとか書類整理だとか、そんなのは私にやらしときゃいいものを。
さっさと帰ってくれないかなぁと思っていると、ため息を一つ吐いてルドルフが隣に座ってきた。
「何のつもりだ」
「二人でやった方が早く終わるだろ?」
言うやいなや、私の前に積んでいた書類を半分とり次々と捌きだした。
説得は無駄だという意思表示だろうか。
仕方がないので、私も書類整理を続けていく。
しばらく時間が経ち、ようやくペンを置くことができた。
「……終わった」
「そうだな」
仕事からの解放感と疲労がどっとのしかかってくる。
「あー、ありがとうな」
「…………」
「どうした?」
「いや、まさか礼を言われるとはな」
そりゃ言うだろう。ルドルフのおかげで早く終わったのは事実なんだし。
ぼんやりと窓の外に浮かぶ月を眺めていると、ぽすっといった感じで肩にルドルフの頭が乗せられた。
「なぁ、ミライ」
「なんだよ」
「こうしていると、君が生徒会に入ってきたときのことを思い出すよ」
しみじみと呟いたルドルフの目は、過ぎてしまった過去を思うように、どこか遠くを見ていた。
暗い空の上に浮かぶ月の向こうを見ようとするように。
「すべてのウマ娘が幸せになれる世界を作る。そのために、私には必要なものが多く、そして持ち合わせていないものが多かった。だからこそ、私はこの生徒会長の地位を求めた。言い方は悪いが、このトレセン学園をその足掛かりにしようとしていたんだ」
知っている。かつて、彼女の口から語られたそれは、忘れることなどできようがない。
まるで世界征服を狙う悪の秘密組織のように壮大で、しかしその実、本当にウマ娘のことを思っている。
「きっと私は、一人で何でもできる気になっていたんだ。それができると思えるだけの地位と、権力があった」
それはあながち、間違いでもない。
そして同時に、それが悪かったのだろう。
「こうして生徒会長の椅子に座り続けて幾ばく、私は無力だったよ。テイオーやライスシャワーのことはもちろん、それ以前にもどうにもできないことばかり」
ルドルフの右手が、私の左手に重なる。
「こうして隣にいるウマ娘一人、救うことなどできやしなかった」
皇帝という二つ名の重さ、シンボリ家としての重責、生徒会長としてのプレッシャー。
それこそが、このシンボリルドルフというウマ娘を生み出したのだろう。
ただ他のウマ娘のことを想い、非情な現実を見てもなお、「それでも」と言い続けてきた、確かなる皇帝を。
「なあ、ミライ。私のしていることは、本当に正しいのだろうか」
ぽつりと零れたそれは、きっと、誰にも見せられない、見せてはならない弱音。
「分からない、分からないんだよ。答えて、くれよ。私は、誰かを”救う”ことが、できているのだろうか……」
弱々しいその問いかけに、なんて答えればいいのか。それこそ私が知りたい。
だが、少なくとも私は――
「……そんなもん、私が知るかよ」
――私らしく、言葉を投げてやることしかできないのだろう。
「現実は小説より奇なりなんて言うが、んなわけねぇ。救おうとしたもんは救えねぇし、良かれと思ったことが最悪な選択だった、なんてことはざらにある。それが現実だ。誰かが決めたハッピーエンドの結末なんざ、どこにもねぇんだよ。バッドエンドなら掃いて捨てるほどにあるってのによぉ」
それでも
「なら私たちはその中で、足腰踏ん張って進むしかねぇだろ。そうやって、悩みながら進んだ先で、ようやく誰かを救うことができる。そう思ってねぇとやってられねぇさ」
脳裏に思い出すのは、あの日別れた恩人の姿。
もう二度と、会うことはないであろうその人は、何を思っていたのだろう。
最後を飾ってやれなかったこの出来損ないは、選択を間違えたし救ってやれなかった。
……こんなこと、あの人に聞かれたらどやされちまうだろうが。
あーあ、人生はどんだけクソゲーなんだろうな。一マスで順位どん底の人生ゲームよりもクソゲーとか、人生どんだけだよ。
「だからまーなんて言うか、正しいとか間違ってるとか、そういうのは他人が決めることじゃ…………っ、たくっ」
気づけばルドルフは、目を閉じて眠っていた。
「…………助けるじゃなくて、救う、か」
その些細な違いこそが、彼女を皇帝たらしめるものなのかもしれない。
これ幸いと、ルドルフを起こさないように抜け出し、手早く部屋を片付ける。
「……人が良いこと言ってるような雰囲気の時に寝るんじゃねぇよ」
眠りこけるルドルフを背負い、部屋の電気を消した。
カイチョー編は2つに分けます。