向日葵は、太陽の方を向いて咲く。

 そんな言葉を聞いたのは、いつだっただろうか。

 そして。

 向日葵(たいよう)に背を向けたのは、いつだっただろうか。

 彼女の名は、九條真都。

 かつて旧ボーダーに所属し、そして。

 今はその全てを忘れ去って市井に還った、一人の少女。

 迅は、小南は、想う。

 かつて仲間だった、今はもうその記憶のない一人の少女の軌跡を。

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向日葵の向く先は

 向日葵は、太陽の方を向いて咲く。

 

 お母さんから、そんな話を聞いた事がある。

 

 それを、思い出したのはきっと。

 

 真都ちゃんは、向日葵みたいだねと。

 

 迅くんから、言われた時だった。

 

 ────────────────私は、九條真都は、ちょっと普通じゃない組織にいる。

 

 サークルとか、同好会だとか、そういう類ではなく。

 

 秘密組織、と呼ばれるものだ。

 

 とは言っても、何かやましい事をしてるワケじゃない。

 

 ちょっと普通の人には信じられないかもしれないが、近界(ネイバーフット)という近界との橋(・)渡(・)し(・)を行う組織に私は在籍している。

 

 組織の名は、ボーダー。

 

 その名の通り境界(border)を守る仕事をしてる、一風変わった組織だ。

 

 勿論、世間一般にその存在は知られていない。

 

 何せ、異世界の事を取り扱っている組織だ。

 

 表で誰かに言っても、信じて貰える筈などないだろう。

 

 この世界は、一般常識というやつは、異世界(それ)を容易く許容出来る程寛容ではないのだから。

 

 だからこそ、私達がいるのだ。

 

 人知れず異世界からこの世界を守る、ボーダー(わたしたち)が。

 

 最初に近界の事を聞いた時は、私も半信半疑だった。

 

 でも、実際に近界という異世界を見て回るに至って────────────────私は、あの美しい世界に魅了された。

 

 この世界では有り得ない、幻想的な風景。

 

 それが、近界(ネイバーフット)には広がっていた。

 

 現実じゃゲームや映画の世界でしかお目にかかれないようなファンタジックな光景を直に見て、私はボーダーに入って良かったと無邪気に喜んだ。

 

 戦いは少し怖いけれど、模擬戦で充分鍛えてはいるつもりだ。

 

 それに、私には頼りになる仲間達が一杯いる。

 

 少し人嫌いな感じはあるけどいつも頼りになる迅くんや、私以上に明るくて皆を引っ張ってくれてる小南ちゃん。

 

 いつも世話を焼いてくれて、親しみ易い最上さん。

 

 他にも色々と頼り甲斐のある進さんや、おおらかに笑って安心をくれる城戸さん。

 

 みんな、みんなとっても頼りになる、大切な仲間達。

 

 この人たちとなら、何処までだって行ける。

 

 私は、そんな。

 

 ────────────────叶わない理想(ねがい)を、無邪気に抱いていた。

 

 

♦

 

 

 彼女は、向日葵みたいだった。

 

 いつも無邪気に笑って、皆を元気づけてくれる太陽のような花。

 

 それが、俺があの子に────────────────真都ちゃんに漠然と抱いていた、自分勝手な妄想(イメージ)だった。

 

 俺は、未来が視える。

 

 聞いた話では、副作用(サイドエフェクト)というらしいこの症状は、小さい頃から付き合って来た厄介な特性だった。

 

 副作用、というのは言い得て妙だ。

 

 だってこんなもの、持ちたくて持ってるワケじゃない。

 

 この力に、オンオフは効かない。

 

 誰かを、人間を見てしまえば自動的に、その人間が辿るであろう無数の未来が視えて来る。

 

 良いもの、悪いもの関係なく。

 

 たとえそれが、その人の死であっても。

 

 俺の眼は、否応なくそれを見せつけて来るのだ。

 

 とは言っても、俺の眼が視えるのはあくまでも近い未来だけだ。

 

 流石に数十年先に老衰で死ぬ未来、なんてものは視えない。

 

 けれど。

 

 一週間後に交通事故で死んだり、数日後に自殺したりする人なんかの未来は────────────────視えて、しまうのだ。

 

 勿論、誰も彼もそんな未来が視えるワケじゃない。

 

 だけど。

 

 十数人に一人くらいの割合でなら、それなりに視えてしまうのだ。

 

 人の死の映像というものは、強烈だ。

 

 既に腐る程見てしまったとはいえ、未だにそれに慣れる事はない。

 

 だから俺は、人と関わるのが怖かった。

 

 人と会えば、その人が死ぬ未来を視てしまうかもしれないから。

 

 だから、だろうか。

 

 ボーダーへの誘いは、渡りに船だったと言える。

 

 俺のこんな力でも、役立ててくれる人達がいる。

 

 この未来視(ちから)を使って、助けられる人達がいる。

 

 それなら、少しでもこの力を持っていて良かったと。

 

 そう、思えるから。

 

 真都ちゃんは、俺の力の事を聞いて「凄いね!」と笑顔で褒めてくれた。

 

 ボーダーに入るまで、この力の所為で腫物を扱うようにされて来た俺にとって、その混じりけ無しの称賛は何処か眩しくて────────────────それでいて、心が暖かになるくらい魅力的だった。

 

 もしかしたら、初恋だったのかもしれない。

 

 今思えば、そんな風にも思う。

 

 あの子の、真都ちゃんの笑顔に惹かれていた事は。

 

 紛れもない、事実だから。

 

 もう、その時の記憶を思い返す事はないけれど/思い出すと辛いから

 

 今でも、尚/未だに、忘れ難い

 

 あの子の記憶は、頭の奥に色褪せずに残っている/幸せだった頃の、記憶だから

 

 だから、俺は。

 

 あの日の。

 

 向日葵のように太陽(きぼう)だけを見ていた、彼女の笑顔が消えた日を。

 

 今でも、覚えていたんだ。

 

 

♦

 

 

 向日葵はね、太陽の方を向いて咲くんだって。

 

 そんな話を、真都ちゃんから聞いた事がある。

 

 あたしはそれを聞いて、迅が彼女を向日葵みたいだ、と言っている理由が分かる気がした。

 

 あの子は、真都ちゃんは無邪気に希望を信じている。

 

 頑張ればきっと報われる、幸せな未来がやって来る。

 

 そんな夢想を、誰よりも純粋に信じていた。

 

 当時から色々と捻くれていたあたしは、そんな真都ちゃんを見ていると、なんだか羨ましかった。

 

 あたしは、真都ちゃんみたいに無邪気に幸せを信じられない。

 

 だって、時々見せる迅の顔を見ていれば分かる。

 

 迅本人は、何も言わないけれど。

 

 未来が視えるあいつがああいう顔をしてるって事は、そういう事だ。

 

 その事に、あたしは薄々と気付いていた。

 

 けれど、聞きはしなかった。

 

 もし、聞いた結果があたしの想像通り最悪のものだったのなら。

 

 その未来(けっか)に、あたしが耐えられないと思ったから。

 

 だからあたしは何も聞かなかったし、迅は何も語らなかった。

 

 今でも、後悔する。

 

 もしも、勇気を出して彼に未来の事を聞いていれば。

 

 あんな結果に、ならずに済んだんじゃないかって。

 

 そんな空虚な夢想を、あたしは今でも抱いていた。

 

 あの日。

 

 真都ちゃんから笑顔が消えた、あの日から。

 

 

♦

 

 

 もう、無理。

 

 私は、もう何も出来そうになかった。

 

 皆で頑張れば、きっと幸せな未来を掴み取れる。

 

 昔の私は、なんて馬鹿な事を考えていたんだろう。

 

 現実は、そんなに甘くなんてない。

 

 どれだけ、近界に美しい光景が広がっていたとしても。

 

 そこで起きる戦争(げんじつ)が、変わる事は無いのだ。

 

 それを。

 

 私は、仲間の死という取り返しのつかない結果が起きるまで理解していなかった。

 

 みんな、死んだ。

 

 暖かな笑顔を見せてくれた最上さんも、時々弟の事を話してくれた進さんも。

 

 歳が近くて仲良くしてた行方ちゃんも、斜に構えてたけど優しかった千尋くんも。

 

 みんな、みんな死んだ。

 

 今でも、思い出す。

 

 恐怖に歪んだ、行方ちゃんの死に顔も。

 

 最後まで笑顔のまま、砂になって崩れ去った進さんの末路も。

 

 すべて、すべて覚えている。

 

 無理。

 

 もう無理。

 

 こんな記憶(おもい)を抱えたまま、生きてくなんて無理。

 

 だって、辛すぎる。

 

 迅くんは無理に笑うようになって、小南ちゃんからは笑顔が消えた。

 

 いつも笑っていた城戸さんは別人のように怖い顔になって、忍田さんは申し訳なさそうにしながらボーダーの新しい本部に移っていった。

 

 あれだけいたボーダーの仲間は、もう半分も残っていない。

 

 こんな状況で、前を向いて生きてく事なんか出来ない。

 

 あんな、辛い記憶を背負ったまま。

 

 私は、生きてなんかいたくない。

 

 だから、願った。

 

 辛い記憶が、忘れられるように。

 

 もう、あんな想いをしないように。

 

 そして。

 

 その願いは、聞き届けられた。

 

 聞き届けて、くれたのだ。

 

 他ならぬ、彼が。

 

 迅くんが、働きかけた事によって。

 

 私のボーダーに関する記憶を消して、一般人に戻してくれるって彼は言う。

 

 本当は、一人だけ逃げる事が申し訳なく思ったけれど。

 

 それでも、私はその提案を受け入れる事にした。

 

 だって、もう。

 

 私の中に、戦いへ向かう気力なんてこれっぽっちも残ってなかったんだから。

 

 ごめん、ごめんね。

 

 一人だけ逃げて、ごめん。

 

 けど、もう。

 

 あんな記憶を抱えて生きてくなんて、私には出来ない。

 

 ────────さよならは、言わなかった。

 

 もう、赤の他人になるんだから。

 

 言っても、意味なんてないんだから。

 

 ごめんなさい、さようなら。

 

 心の中だけでそう謝って(つげて)。

 

 私は、辛い記憶(ボーダー)から逃げ出した。

 

 

♦

 

 

 もう無理。

 

 真都ちゃんのその言葉を聞いた時、俺は彼女と共に歩む未来がもう存在しない事を知った。

 

 無邪気に幸せな未来を夢見ていた彼女の姿は、もうない。

 

 今目の前にいるのは、辛い現実に打ちのめされ立ち上がる事すら出来ない一人のか弱い女の子だけだ。

 

 皆の死という忘れ難い記憶がある限り、彼女はもう太陽(きぼう)を抱く事はない。

 

 向日葵(たいよう)のような彼女の笑顔は。

 

 もう、完全に失われていた。

 

 だから、俺は彼女に提案した。

 

 辛い記憶を全部忘れて、ボーダーを辞めれば良いと。

 

 幸い、今のボーダーには記憶処理技術があった。

 

 それがあれば、彼女からボーダーに関する記憶を消して一般人に戻してあげる事が出来る。

 

 そうすれば、彼女はきっと立ち直る。

 

 以前のように、太陽の当たる方へ歩いていける。

 

 だから、俺は。

 

 彼女との別離を確信した上で、真都ちゃんにそう提案した。

 

 それを選べば、もう彼女と会う事はない。

 

 分かってはいたけれど、でも。

 

 今の、しおれた向日葵のようになってしまった彼女を。

 

 これ以上、見て見ぬ振りをする事が出来なかった。

 

 結果として、真都ちゃんは記憶処理を受け入れてボーダーを辞めた。

 

 大規模侵攻に巻き込まないよう、その時期に街を離れるよう手を回した上で。

 

 彼女から、記憶(おもいで)を奪って。

 

 その笑顔を、取り戻した。

 

 最後に遠目から見た彼女は、笑っていた。

 

 それまでの青ざめた表情など、見る影もなく。

 

 以前の、向日葵のような笑顔が戻っていた。

 

 これで良かったんだと、俺は思った。

 

 向日葵のようだった彼女は、明るい太陽の方を向いているべきなのだ。

 

 人の死を背負って生きていくには、彼女の心は弱過ぎた。

 

 否。

 

 大切な人の死を経て尚、変わらず前を向こうとする俺たちの方が異常なのかもしれない。

 

 真都ちゃんは、異常者(おれたち)のようにはなれなかった。

 

 きっと、それだけなのだ。

 

 だから、仕方がない。

 

 胸を刺すこの痛みは、気の所為だ。

 

 だって。

 

 大切な人から記憶を奪うような外道が。

 

 普通の人間みたいに心を痛ませるなんて事、あって良い筈がないんだから。

 

 

♦

 

 

 やっぱりこうなったか、とあたしは思った。

 

 皆が死んで、迅が無理に笑うようになった時。

 

 真都ちゃんの心が完全に折れた音が、あたしの耳に聞こえた気がした。

 

 あたしは、こうなる事が分かっていた。

 

 だって、真都ちゃんは普通の人だ。

 

 嬉しい事があれば無邪気に笑って、辛い事があれば沈んで涙する。

 

 そんな、普通の女の子だ。

 

 確かに、色々な事情を背負ったあたし達にとってそんな真都ちゃんの存在は有難かった。

 

 彼女が笑っていれば、それだけで。

 

 場の空気が、暖かになっていたから。

 

 変に現実を知ってしまっているあたしじゃ、ああはいかない。

 

 そういうのは多分子供の役割だろうけど、瑠花や陽太郎にその役目は向かない。

 

 瑠花はもうなくなっちゃったアリステラの王女だったから、色々背負っていて間違っても無邪気に笑うタイプじゃない。

 

 陽太郎は幼くとも自分の立場を理解していて、心底から子供らしくする事が出来ていなかった。

 

 だから、皆が死んで真都ちゃんから笑顔が消えた時。

 

 迅が死にそうな顔をしながら彼女に記憶を消す提案をした、その時。

 

 あたしは、どうしようもない怒りを抱いた。

 

 身勝手な想いである事は、分かっている。

 

 でも。

 

 あいつの。

 

 迅の心を、掴んでおいて。

 

 あたしたちに、希望を見せておいて。

 

 自分が辛くなったから、逃げるだなんて。

 

 ずるいと、あたしは思っちゃった。

 

 勿論、これはあたしの勝手な感情だ。

 

 迅が真都ちゃんをどう思っていたかなんて彼女には関係のない話だし、第三者のあたしがどうこう言うのは間違っている。

 

 けれど。

 

 あたしよりも強く、迅の心を掴んでおいて。

 

 勝手にいなくなる、彼女に。

 

 嫉妬しなかったと言えば、嘘になる。

 

 こんなのダメ、見苦しい。

 

 そう思ってはいても、心の動きというものは正直だ。

 

 多分、きっとあたしは真都ちゃんを笑顔で見送れなかった。

 

 鏡なんて見てないけれど、きっとその時のあたしは。

 

 さぞや、酷い顔をしていただろうから。

 

 向日葵のようだった真都ちゃんはいなくなって、迅はより一層嘘くさい笑みを浮かべるようになった。

 

 全部、弱いのがいけないんだ。

 

 心折れて逃げる事を選んだ、真都ちゃんも。

 

 迅に未来を聞く勇気が持てず、見苦しく嫉妬するようなあたしも。

 

 誰も彼もが弱かったから、迅があんな顔をするようになったんだ。

 

 だから、あたしは強くなった。

 

 誰にも負けないくらい、誰にだって勝てるくらい。

 

 強く、強くなったんだ。

 

 迅の周りに、弱い奴は要らない。

 

 弱い奴がいると、迅はきっとそいつの為にこれまで以上に薄っぺらな笑顔を張り付ける。

 

 だから、あたしが向日葵になんてなってやらない。

 

 明るい方しか向けないような弱い心とは、もうさよならだ。

 

 自分が太陽だなんて、驕るつもりはないけれど。

 

 それでも、行動しなきゃ話にならない。

 

 あたしは絶対、あいつの太陽になってやる。

 

 しおれてしまった、向日葵の代わりに。

 

 新しく入って来た子達は、癖がありそうだけど弱くはなさそうだ。

 

 だから、精一杯鍛えてあげる。

 

 あたしと一緒に、あいつの道を照らせるように。

 

 太陽のように、輝けるように。

 

 それが、きっと。

 

 もういない向日葵(かのじょ)への、一番の手向けになるんだと信じて。


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