学校・ボム・チェンソー
レゼは武器人間だ。
ボムの心臓をもつ『人間』。
『悪魔』そのものではなく、悪魔に死体を乗っ取られてしまった『魔人』でもない。
ソ連が作った国家に尽くすための戦士。任務を果たすときにだけ首の横に差し込まれているピンを抜いてボムガールに変身する。幼い頃から秘密の部屋に閉じ込められて特別な教育を施され、破壊活動・暗殺・スパイ、何でもこなす007の女バージョン。
かつてはデンジと戦った。
彼の持つチェンソーの心臓を手に入れるために接近し、篭絡を試み、実力行使に訴えて、しかしそれでも完遂することができなかった。
失敗した。
最も優秀なエージェントであったはずなのに。
何故だろう?
絆されてしまったから?
その表現は、本人に言わせれば正確ではない。
レゼは、自身に人としての価値が無いと思っていた。
エージェントとしての実力は一流かもしれない。けれど、壊す事・殺す事しかできないし、何かを作る事・育てる事・受け継いでゆく事――それら前向きで生産的な行動はほとんど実行したことがない。
人生が、薄っぺらかった。
そんな自分の不出来さを曝け出してしまったら、デンジに植え付けていた即席の恋心は霧散するだろうと思っていた。
しかし、それでもあの時、デンジはこう言った。
全部、嘘だっつーけど
俺に泳ぎ方教えてくれたのはホントだろ?
善意。
親切。
心のような何か――
そんな人間めいたものが在ると、価値があると、教えてくれた。
胸を張って生きていてもいい――
だから、彼の隣に居る間だけは人間でいられるとレゼは思った。
この物語は。
生きる意味を知らない者たちが存在意義を証明するために闇の中を駆け抜けて、それでも何も残せぬまま消えていく数日間の記録である。
映画でも漫画でも、学生ものは恋物語になると相場が決まっている。
桜舞い散る出会いの春。浮き足立つ希望とともに始まる恋物語。
うだるような陽射しと入道雲の下、青を駆け抜けていく恋物語。
秋の風が人恋しい、想い人の視線に惑わされ心を痛める恋物語。
並んで歩いて身を寄せて、白い吐息越しに想いを寄せる恋物語。
デンジは、自分には関係ないと思っていた。
初めて通う学校。高校生活。
日常は映画のように劇的でもなかったし、漫画のようにラブロマンスに彩られてもいなかった。現実はしょせん現実……。喧伝されていた黄金時代とやらは間近から覗き込んでみれば何てことはなく、どんよりくすんだフィクション色でしかなかった。
光っていないし、綺麗でもない。
だから机にぐったりと突っ伏して、なんか面白れーことねーかなぁと彼女ナシの同輩とくだをまいて、日々を鬱々と舵のない小船に揺られて流されていくしかない。
そう思っていた。
けれど。
レインボーな煌めきは唐突にやってきた。
いつもの教室。
息を吸い込めば埃っぽい匂いと肌にまとわりつく湿っぽさを感じる教室で、白いチョークがコツコツと音を立てている。
たおやかな指が黒板に名を刻んでいた。
『――レゼ』
デンジのよく知る名前。
転校生。
気になるアイツがやってきた。
ふわりと制服の裾を翻し、気恥ずかしさを押し込めながらにんまりと笑う。
「北の国から転校してきたレゼっていいま~す。皆さんと楽しい高校生活が送れたらいいなって思いま~す」
透き通った瞳がさまよって、デンジを見つけて、くしゃりと歪む。眩しさが零れ落ちているのが見てとれた。
デンジは思う。
今まではただ彼女が欲しかった。
それだけの高校生活だった。
「ちなみにデンジ君のカノジョでーす。よろしく~!」
これからは違う――そんな確信をもってデンジは立ち上がる。
クラスメイトたちがあっけにとられていたが気にしない。椅子を蹴ってダブルピースを掲げて跳びあがる。
「やったーーー!! 勝ったァアーー!!」
青春が来た。
黄金時代が来た。
心の奥底で死にぞこなっていたはずの夢追い人たちがガッツポーズをキメていた。
もう喜びが収まりようがない。
色づく視界の真ん中で、レゼは笑顔のままで教師にくるりと振り返る。
「えっとー、教科書とかまだ持ってないので、2人で一緒に見てもいいですか?」
言うが早いか、しなやかな脚を踏み出して教室の後方へやってきた。
デンジの隣の席に小さなお尻をぽすんと収め、机をがたがたと動かしながらデンジのそれにピタリとくっつける。
「ふふ」
首を寄せてくる。艶やかな唇から白い歯を覗かせた。
「とうとう来ちゃったね。昼の学校」
甘い吐息がふわりと鼻腔に届く。
照れくさそうに囁いた。
「後で一緒に、探検しよ?」
そんなことを言われたら、ふにゃんふにゃんになるしかない。
「します……」
@
時間は丸一日だけ巻き戻る。
デビルハンター東京本部、紫煙たちこめる薄暗い会議室にゴリラのような男たちが詰めていた。
パンチパーマに、ヒゲに、サングラス。そのうち半数の者たちの顔面には立派な勲章傷が走っている。マル暴だってもう少し可愛げがあるはずだ。
屈強な公安職員たちは煙草を咥え、資料を片手に、コの字型に並べたテーブルに座っている。誰もが揃って神妙な視線を部屋の中央に立つ少女に向けていた。荒事に慣れているはずの男たちが警戒の色を浮かべているのは少女の経歴があまりにも物騒だったから。
「初めまして!」
朗らかな声が反響する。
ソ連育ちの元エージェント、レゼがぺこりと会釈した。
「今日はよろしくお願いしま~す!」
きっちりと踵を合わせて背を伸ばし、両手を後ろにまとめて細身のシルエットを強調する。
会議室のむせかえるような男臭とはあまりにもかけ離れたフレッシュさ。
初心な童貞が見たら一発で惚れかねない打算なき好意さえ感じさせる。零れるような思春期スマイルは、いっそ通常の面接には相応しいものではなかったが、これも居並ぶゴリラたちを前にしてそんな演技もできるという彼女なりのアピールだった。
それぐらいは公安のゴリラたちも把握している。
「ふ~む……。君がレゼくん、か」
面接官たちが、議論を始める。
「では彼女を対魔特異6課に配属する予定なんですか?」
「は。元はソ連の工作員でして……。詳しくはお手元の資料に書かれている通りです」
「若いな。まだ未成年じゃないか」
「かなり暴れたと聞きますね。だからこそ実力も証明されているわけですが……」
「いいのか、これ? うちも一応、菊の御紋を御旗に掲げてるんだが。いくら有能でも元テロリストを使うってのは……」
ゴリラの1人があからさまに顔をしかめる。ぐりぐりと煙草を灰皿に押し付けた。
不満があると言いたげだが、口にはできない。
その原因の男が会議室の中央で泰然と脚を組んでいた。
大ベテランにして、公安最強のデビルハンター。名を岸辺という。
「全責任は、俺がとる」
その声に、凶悪な面構えのヤクザもどきたちの渋面が深くなる。
堂々と言い切られてしまっては追求するのも難しい。苦々しく眉間に皺を寄せるしかない。
そんな公安幹部たちの中にあり、堂々と異論を口にできるのは岸辺と世代の近しい痩身の眼鏡男だけだった。
「岸辺さん」
ゆらゆらと煙草の煙を吐きだしながら、インテリヤクザ然とした眼鏡男が冷然とした顔つきで言い放つ。
「いくらアンタでもこれは不味いんじゃないですか」
「何がだ」
「出身も経歴もヤバすぎる」
「コイツは新しく戸籍を作る。別人になる。問題ない」
「そんなわけないでしょう。街中で大暴れしたんですよ? 対魔2課なんて壊滅状態にされたんだ」
「彼女も仕事だった。危険思想があるわけじゃない。……それとも感情の問題か?」
「職業倫理の問題ですよ」
「まあまあまあ」
小太りの男が汗を拭く。
「ええと、それで、新しい戸籍ではどんな経歴になるんです? 名前とか」
うら若い少女は快活に名乗った。
「岸辺ハナコです!」
「……」
「……」
インテリヤクザの渋面が深くなる。
「なんだって?」
「岸辺、ハナコです!」
全員が耳を疑った。互いの顔を見合わせて発言の真意を探る。
「ハナコ?」
「岸辺、ハナコ?」
「資料と違うじゃないか」
岸辺が枯れきった瞳のまま説明する。
「俺が責任とるっつったからな。俺ん養子ってことにする」
「いや、苗字じゃないです、岸辺さん。名前の方ですよ。いくらなんでもハナコはないでしょう」
「なンでだ」
「あからさまに偽名じゃないですか」
「そうか?」
レゼはこほんと咳払い。「ではではご提案がっ!」と元気よく挙手をする。
「岸辺ミナミはどうでしょう!」
「ミナミ?」
「岸辺ミナミ?」
「どうしてミナミなんだ?」
「はっ。日本人と共通の話題を作るために流行りものを学習した経験がありまして。ミナミは、有名ドラマのヒロインの名前です!」
「あ、なんだって? ドラマのヒロイン?」
「「三波ハルオのミナミです!」……ってやつです! 分かります?」
「はあ?」
「なんだそれ」
「おい、誰か知ってるか?」
「あ、ああ~……? もしかしてそれって……」
ぽん、と手を打つ1人のゴリラに視線が集まった。
「ロングバケーション?」
レゼは、我が意を得たりと大きく頷いた。
「そうでーす!」
「どうしてその名前を?」
「この自己紹介ができるのは強みになるからです。「ほら、ロングバケーションって知ってます?」――からの会話がテンプレートとして使えるようになるじゃないですか。ターゲットと打ち解けやすくなります」
「はあ」
「なるほどなぁ」
「いや、いやいや、君さ、スパイ活動はしなくていいんだからね?」
「あ、そですか?」
「元の名前に愛着とかないのかね。……ええと、レゼ、だったか? そのままでいいじゃあないか」
「はあ。じゃあ岸辺レゼで」
「……ええと、話を進めてもいいですか?」
小太り男が額を拭う。
「それで、君は、いったい何ができるんだ?」
レゼはぴっと姿勢を正し、特技を指折り数えていく。
「大体なんでもできると思いますよ? 対悪魔戦、捕縛、潜入調査、暗殺、尋問……」
「ちょっと君ィ、日本で暗殺をやってもらっては困るよ」
「へい、気をつけます! ……ええとですね、これは一応ただの自己アピールでして、日本の公安の常識は分かっているつもりであります。勿論、過激な言動が許されないのも強く認識しています。わたくし岸辺レゼは、前歴に拘ることなく、日本の先輩方の御指導・御鞭撻を賜りたく考えている次第です!」
「ほう」
「まあ、いいんじゃないですか」
「日本語もよく話せてますね」
「ふむう。君は元々ソ連の工作員だったらしいが、どうして日本で働く気になったんだ?」
「はっ。工作員をやるうちに、ふと、まともな職業に就きたくなりまして。これからは人に感謝されるような仕事をしたいと考えています」
「あ、そう」
「信用におけるのか」
「マキマの影響は残ってないんだろうね」
「それは無いって他の支配下にあった者たちで証明されてるでしょう」
「ああ、そうだったか。いやしかしな……」
「皆様方、確かにご心配はあるかと存じます!」
レゼは力強く声を張る。
「しかし、我が身の潔白はこれから行動をもって示していきたいと思います!」
痩身の眼鏡男の眉がぴくりと上がる。
岸辺はちらりと確認、「まあ、そうだな」とわざとらしく脚を組みかえて注目を集めた。
「コイツの管理は俺がやる」
眼鏡男は忌々しげに溜め息をつく。
煙草の箱を上下に振って1本咥える。隣のゴリラに火を点けさせた。
「……そういう問題じゃないでしょう。こんなの前例がありませんよ。第一、本当にソ連との繋がりは切れてるんですか?」
「じゃあ他に使える公安職員がどれだけ居るんだ?」
ともすれば公安のデビルハンター全員への侮辱ともとられかねない発言に場が静まり返る。
岸辺はまったく表情を動かさない。事実は事実と言わんばかりに、泰然と、屈強な職員たちを見渡していた。
「ヘンなプライドは捨てろ。ただでさえ先日のマキマ騒動のせいでベテランの公安職員が少なくなっているんだ。公安には悠長にヒヨコどもの成長を待っている余裕はない」
「だからって外国の工作員を雇うんですか。我々は民間企業じゃないんですよ?」
眼鏡男がちらりと視線をお付きの部下へ向ける。
「ええと、その、現在、全国的にデビルハンターの数が不足しておりまして……」
ふん、と不機嫌を隠そうともせずに紫煙をくゆらせる。
「……岸辺さん、私は忠告したからな? こっちだって忙しいんだ、手助けは期待しないで頂きたい」
「ああ」
2人はゆっくりと椅子の背もたれに寄りかかる。
岸辺、そして痩身の眼鏡男。
発言力を持つ者たちが黙り込む。沈黙の帳が下り、進行役の小太り男は焦ったように周囲を窺った。
「ええと、……では、岸辺レゼ。明日からは早川ナユタと早川デンジの監視任務に就いてもらう。注意事項は資料にまとめてあるので必ず目を通しておくように」
「はい! 了解であります!」
レゼは花が咲くような笑みを貼りつけた。
「岸辺レゼ! 誠心誠意、頑張りまーす!」
@
そして時間は再び現在に早送り。
レゼがデンジの通う高校に転校してきて、
欧米のカップルがごとき距離感の近さをこれでもかと周囲に見せつけて、
キャッキャと騒いで買い食いしながら――早川家に帰宅した。
凍てつく眼光が出迎えた。
「それで?」
とあるマンション、暫定早川家の玄関口。
自縛霊のような面持ちで現れたのは、早川ナユタだった。
「どうして、うちに、連れてくるわけ?」
ワンフレーズ毎に力を込める。
下劣な人間は生かしておけぬ――まさに悪魔の名に恥じない本物の殺意を立ち昇らせて、玄関を開けたばかりのデンジの緩んだ顔を1秒で凍らせた。
やべえ~、と冷や汗をかいたところで時既に遅し。
戸籍上は早川デンジの妹である少女――早川ナユタが足元に7匹の大型犬を従わせ、情緒の感じられない瞳で義理の兄を凝視している。
その瞳はガラスのように硬質で、温度というものを感じとることができない。
早川ナユタ。
種族は悪魔。比喩ではなく、本物の悪魔。
マキマの次の世代の『支配の悪魔』。
能力は『支配』。
かつてのマキマとまったく同じ。
下等動物や、自身が格下だと思った相手を完全な支配化におくことができる。
凶悪極まりない能力であり、一時はマキマのように周囲を支配してはばからない最悪の悪魔に成り果てる可能性もあった。
しかしデンジによって止められた。
他者との関係性を支配を通してでしか築けなかったはずの存在が、少なくともデンジに対しては見下すことも見上げることもなく、完璧に対等な存在として認め合うことができるようになった。
――それが、今現在に至るまでの早川ナユタに対する公安の見解だ。
ナユタという悪魔と、デンジという人間。
2人の関係性は兄妹のようであり、あるいは相思相愛の恋人のようであり。
そんな公安資料にあった情報を思い出しながら、レゼは意味深に目を細めた。
「……ふ~ん」
少女のほんの僅かの移ろいはこの場の誰にも気取られることもない。
(早川ナユタ、ね)
彼女の監視、そして管理が、レゼに与えられた仕事だった。
“人間と共存できるように育てる”
公安の掲げたお題目は理想論に近かった。それは“殺す”よりも“捕まえる”よりも難しい。更には彼女を狙う諸外国の刺客からも守らなければならない。
それを為せるだけの実力者は日本にはほとんどいない。だからこそレゼにお鉢が回ってきたわけだ。
かつてはソ連からの刺客であった武器人間を使わなければならない――日本の公安が人員不足に陥っているという話は存外深刻なのかもしれないとレゼは思った。
(ま、それでも故国に戻るよりはましか)
ちらりとデンジに目を向けてみる。
苦々しい顔で小さな悪魔に弁解している。
家族なのか、恋人なのか。判然としないが、とにかく仲が良いことに間違いはなさそうだ、とレゼは思った。普通の関係ならレゼという他人を前にして喧嘩したりしない。
「デンジはさ……殺されたいのかな」
喧嘩と呼ぶにはいささか物騒な発言だったけど。
思い返せば、つい先日もそうだった。
再会したばかりのとき、デンジが鼻の下を伸ばしていたら怒りを滲ませていた。
(あ、そっか。じゃあデンジ君は2回も
不機嫌極まりない、といった少女の声色も頷ける。
「いい度胸してるよね……」
小さな悪魔の足元で、犬たちが四つ足を広げて唸っていた。その威嚇を向ける先は言うまでもなく2人の不埒者。
デンジと、レゼ。
けれどソ連の元工作員は全く動じない。
「ええ~? なんでいきなり怒ってんの?」
軍用犬の捌き方だって知っている。
デンジの肩口からぴょこんと顔を出し、口元を隠しながら含み笑いを漏らす。
「ははあ~ん、分かった! さてはお兄ちゃんを取られちゃうのが怖いんだな!」
「……」
「大丈夫だよ~? お姉ちゃんは悪い人じゃないですからね~」
早川ナユタはただ無言。
アンドロイドのような顔つきでレゼを凝視している。
ナユタ。支配の悪魔。
彼女はかつてレゼを殺したマキマの続きであり、“本来レゼが居たかもしれない場所”に居座っている女でもある。
2人の女の間にはそれなりに確執めいたものがあった。
「もしもーし、お客様~? 聞こえておりますか~?」
「……」
ナユタは依然として無表情。
レゼは愛想笑い。
ばちばちと衝突する不可視の敵意に犬たちは揃って耳を伏せ、尻尾を丸めて身を離した。
「……丁度いい。話をしたいと思ってた」
口火を切ったのはナユタだった。
「上がって」
「へいへーい」
2人の女は表面上だけは素っ気ない口ぶりでフローリングの廊下にあがった。静かな足運びで奥の部屋へと進んでいくが、その背中に浮き出る妄執の色はまったく隠していない。
デンジは他人事のように呟いた。
「……コワ~」