レゼのハートに火を点けて   作:シャブモルヒネ

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予言の

 午後のパトロールの帰り際、たまたま立ち寄った公園で奇妙な少女を見つけた。

 ぱっと見、中学生くらいの少女。

 痩せぎすで、表情に乏しく、こちらを見上げている瞳は新品の硝子細工のようにつるりとした光を放っている。何を考えているのか分からない。

 

「曇天暗黒吹雪殺戮……」

 

 喋っている言葉もよく分からない。

 単語の一つ一つは日本語だけど意味を成していない。ただ思いつくままに並べている感じ。

 

「斬首内臓」

 

 それに物騒な単語ばかり言う。 

 

「ん~……不思議な子だね」

 

 髪は濡れ羽色。顔は凍ったような無表情。

 何を聞いても妙な言語が返ってくるだけ。

 こちらを警戒しているのか、友好を示そうとしているのか、それさえも読み取れない。

 まるで宇宙人がヒトの皮をかぶっているような少女だと思う。

 

「えーと、キミの名前は……ナユタちゃんだっけ?」

「血肉」

 

 ナユタ――

 奇妙なことにその少女の名前は(レゼ)のよく知っている支配の悪魔のそれと同じだった。

 名前だけではない。姿形も歳の頃もよく似ていると思う。

 世の中にはそっくりさんが3人いるというけれど……同じ日本、同じ東京の、しかも私たち公安特異6課のパトロール範囲に現れたのだから不思議ここに極まれりというやつで。

 

 

 この出会いはまったくの偶然だった。

 午後の巡回の帰り道、気まぐれに寄った公園のベンチに少年と少女が座っていた。

 二人は一見、ただの日本人だった。

 使い古しの薄手のシャツと色褪せたズボンを着て、すぐ隣に置かれているリュックは登山にでも使うような大きさでぱんぱんに膨らんでいる。

 外出というには大荷物。旅行というには貧乏臭い格好。

 バックパッカー……という年頃でもなかった。家出のほうがしっくりくる。

 少し気にはなったが特別怪しいというほどでもなく、初めは声をかけるつもりはなかった。

 家出する子供なんてどこにでもいる。

 普通の警察なら保護するかもしれないが私たちは公安で特異課だ。職質なんてかけない。

 ただし。

 その少女の頭に二本のツノさえ生えていなかったらの話だが。

 

 

「ナユタちゃんはこの辺に住んでるの?」

「破滅」

「それじゃあ分かりませんねぇ」

「ええと、俺たちは旅行中でして……。ナユタは俺の妹です」

 

 代わりに答えたのは、少女の傍に座っている少年だった。

 少年は、ケンジと名乗った。

 こちらはとりたてて特徴もない普通の日本人。高校生くらいかな。

 

「キミはケンジ君?」

「はい」

「この子のお兄さん」

「はい」

「キミたちは旅行で東京にやってきた」

「その通りです」

「そっか。引きとめちゃってすいませんね」

「いえ、まあ……慣れてますんで」

 

 そりゃあね、と妹の方を見る。

 ツノが生えてたら色んな人に絡まれても仕方ない。

 

「えっと、改めて名乗ります。私たちは公安のデビルハンターです。といっても妹さんをいきなりどうこうしようってわけではありません。ただちょっとだけ身分証明に協力してほしいんです」

「デビルハンター、ですか?」

「はい。野良の魔人だったら対処……ええと、調査や登録とかしなきゃだめなんで……」

「まじん……?」

 

 少年の声のトーンが一段下がる。

 おや? 魔人を知らない?

 

「ええ、魔人です。知りません?」

「はあ。あんまり聞かないですね。魔法使いじゃなくて?」

「魔法、使い……ですか?」

 

 なにそれ。

 ゲームみたいな単語がでてきた。

 けれど少年の表情に冗談を言っている様子はない。素のままだ。

 どうやら彼の中では“魔法使い”は普通に存在するものとして扱われている。

 更に不思議なことに“魔人”をよく知らない。

 ヘンなの。

 これは……ひょっとするとアレかなぁ?

 意図的に情報を遮断されているような……特殊な環境で育ったとか。

 例えば、閉鎖的な村社会。

 生まれつきツノの生えた少女は不吉だとかいわれて隔離され、それを不憫に思った兄がどうにか彼女を連れて逃げだした――そんな陳腐なストーリーが浮かんだ。

 まあそんな一昔前の短編漫画みたいな話はないだろうけど、大ハズレでもないような気がする。

 ……ま、その辺の事情はいいや。

 公安的に一番の懸念事項は、彼女が魔人かどうかってこと。

 私はすぐ傍に佇んでいる同僚の魔人判定人に声をかけてみた。

 

「で、ナユタちゃん、どう? ……あ、これじゃどっちのナユタか分からないか。えっとー、うちのほうのナユタちゃん? どんな感じかな?」

「私を所有物扱いしないで」

「じゃあ、早川ナユタちゃん」

「ちゃん付けもやめて」

 

 どことなく不満げに答えたのはもう一人のナユタだった。

 悪魔で、デンジ君と暮らしてて、私のよく知るほうのナユタちゃん。

 彼女は腕組みしながら腰を曲げ、ツノ付きのナユタに顔を近付けた。キスでもするような近距離で、じぃ~っと無愛想な瞳が鏡合わせになってぶつかった。

 

「……」

「……」

 

 似たような顔が至近距離でにらめっこ。

 2つの小さな頭、同じような髪の色。年の頃も同じ。互いに興味がなさそうな顔で向かい合っている。

 えらくシュールな光景だ。

 出来の悪い演劇でも見せられている気分。

 と、悪魔のほうのナユタがすいっと離れた。

 

「……この子は魔人じゃない。匂いが違う。人間」

「ふうん、そっか」

 

 彼女の敏感な鼻がそう言うならそうなんだろう。 

 ツノ付きナユタは魔人ではない。

 つけ加えると、悪魔でもないらしい。ならよかった。

 

「こほん。どうやらあなたの妹さんは魔人や悪魔ではないようですね。ご協力ありがとうございました」

「え? これで終わりですか?」

「はい。お時間をとらせてしまいすいません」

「破壊最悪墓地……」

 

 これにて一件落着。

 ツノ付き少女は危険生物ではなかった。

 となれば彼女たちにもう用はない。あとはサヨナラして本部に帰るだけ、なんだけど……なぜか気になった。

 このまま別れてしまってはいけない気がする。

 初対面なのに仲間意識のようなものを感じていた。

 何か1つでいい。彼女たちの力になってやらなければならない。

 

「……にしても似てんなァ」

 

 感心するように呟いたのはデンジ君だった。

 ツノ付きナユタちゃんの前に屈みこみ、少々デリカシーに欠ける覗き込み方をしている。

 

「ナユタの生き別れの姉妹だったりして」

 

 むっ。……とでも言いたげな気配を醸したのはうちのほうのナユタちゃん。

 

「そんなに似てない」

「まあな。よく見るとちょっと違う」

「ぜんぜん違うでしょ」

「そうかあ?」

「混沌爆殺」

「あの、そちらの子もナユタって名前なんですか?」

「おう。俺ん妹」

「へえ~、そんな偶然あるんですね」

「似てるよなあ?」

「そうですか? 俺はそう思いませんけど」

「……血飛沫!」

「ん、なんだ?」

「血飛沫、切断眼球!」

「ああ、早くアイス食べたいって言ってます。……俺たち、有名なアイスの屋台を探しに来たんですよ。このへんでやってるらしいんですけど……知りません?」

 

 なんでも少女の好物はアイスらしい。

 放っておくと小遣いを全てアイスクリームに換えてしまうほどで、あるときなどは一人でコンビニのアイスケースを空にしたとか。……いや、さすがにそれは誇張でしょ。

 

「すごく人気の屋台みたいでして」

「ん~~、俺には分かんねえなぁ……。ナユタは分かる?」

「爆殺」

「あー、嬢ちゃんの方じゃなくてぇ……ややこしいなぁ!」

「呼び方を変えてみたら?」

「例えば、どんな?」

「ん~~……」

 

 二人のナユタを見比べてみる。

 容姿はほとんど同じ。違いといえばツノの有無だけど、『ツノ付きナユタ』と『ツノ無しナユタ』では業務的に過ぎると思う。

 次に思いついたのが番号。

 『ナユタ1号』と『ナユタ2号』。

 いやいや、さすがにいかんでしょ。さっきより情緒に欠ける。

 じゃあ、え~っと……。

 

「……よし、提案です。『可愛いほうのナユタ』と『綺麗なほうのナユタ』はどうでしょう!」

「待った。それはダメでしょ」

「断絶拷問!」

 

 速攻で拒否された。二人同時に。

 

「えー、いいじゃん。好きなほう選びなよ」

「どうしてそういう発想になるの?」

「斬首、斬首!」

「だってさ、どうせ呼ばれるならポジティブな呼び方がいいでしょ」

「火種を撒こうとしてるだけ」

「破裂!」

 

 失礼な。

 私は善意でやっているだけです。

 ……あと劇薬投げ込んだら何か反応に違いが出るかなあっていう好奇心。

 

「で、どっちのほうが可愛くて、どっちのほうが綺麗だと思うの?」

「こんな決め方おかしい」

「そうかなぁ」

「容姿の主観的評価を呼び名にするなんてどうかしてる」

「それはそうだけど」

「それに、選べるわけがない」

「なんで?」

「だって私のほうが可愛くて綺麗だから」

「……終焉っ!?」

 

 唐突な裏切りに驚愕するツノナユタ。

 がーん! って感じに仰け反った。

 う~ん、こっちの方がまだ子供らしいですねぇ。

 私は裏切った方のナユタにびしっと人差し指を突きつけて、こう命名した。

 

「悪いほうのナユタ」

「ふ。悪魔には褒め言葉」

 

 効かなかった。

 

「……じゃあオーディエンスでも使いますか。ではではそこの二人のお兄様方? 妹さんたちをどう呼び分けたらいいと思います?」

 

 デンジ君とケンジ君は顔を見合わせる。

 妹二人の瞳がぎらりと光り、兄たちは首を捻りながら同時にこう答えた。

 

「苗字で呼べばいいんじゃね?」

「苗字で呼ぶのはどうでしょう」

 

 あ、その手があったか。

 

 

 

 

 

 ツノ付きナユタの苗字は『工藤』らしい。

 よって二人の少女は『工藤ナユタ』『早川ナユタ』と呼び分けられることになった。

 

「妹は生まれつき、その、ちょっと……特殊で。ツノがあって喋り方もヘンかもしれませんけど……根はいい子なんです」

 

 工藤兄妹と私たち一行は街中を歩く。

 結局、放っておくことができず、私たちも一緒に探すことにした。

 駅前の商店街を一筆書きでなぞるようにして巡ったがアイスクリーム屋は見つからない。

 

「そのアイス屋ってどんな店なの?」

「俺もよく知らないんです」

「有名なんじゃねーの?」

「ナユタが……うちの工藤ナユタが言うんです。すごく人気のアイス屋があるって」

「ん? ちゃんと知ってるわけじゃないの?」

「はい。なんて説明したらいいか……うちのナユタは、知らなくても分かるんです」

「??」

「うちのナユタは魔法使いなんですよ」

「……魔法使い?」

「はい、魔法使い。こっちには居ないんですか」

「はぁ……。私は知りませんけど」

「魔法使いは、不思議なことができるんです。物や動物を浮かせたり、剣を召喚したり」

「ふーん……?」

 

 工藤ケンジは多くを語りたがらなかった。

 どうして妹の頭にツノが生えているか。

 どうして普通の喋り方ができないのか。

 そのせいでどんな苦労をしてきたか。

 けれど妹を見守る目の優しさから二人の関係性は分かった。互いを思いやる良い兄妹なんだろう。

 

「悪魔でも魔人でもないのに特別な力があるの?」

「そうですね……。ひけらかすようなことじゃないですけど」

「魔法、魔法ねえ……。あっ火の玉とか出せんの? ファイヤー! って感じの!」

「はは、どうでしょう」

「ワープとかできたらすげェよなぁ。世界間転移、とかさぁ! 漫画で見たぜ!」

「そうですね。ひょっとしたら俺たちは違う世界からやってきた異世界人なのかもしれません」

「だったらロマンあるよなァ!」

 

 はしゃぐデンジ君に向けられた早川ナユタの視線は冷ややかだ。

 悪魔はロマンなんて解さない。いや、悪魔じゃなくてもそう。ちょっと非現実的すぎると思う。もっと身近な話題じゃないと乗っていけない。

 

「血飛沫! 血・飛・沫~!」

 

 当の工藤ナユタは街路をずんずん進む。

 右に左に頭のツノを揺らしながら、時には建物内を突っ切って、ナビに導かれるように迷いなく。

 夕暮れの街は活気がある。

 明るくポップなアイドルグループの街頭ライブを横目に通り過ぎたと思ったら、繁華街の裏路地にさしかかると、動物キャラのコスプレをしたキャッチのお姉さま方が「すごーい!」「やばーい!」と定時上がりのおじ様方と盛り上がっていた。

 私たちは街の暗がりへと導かれていく。

 

「……これ、大丈夫です?」

「ああはい、どうもアイス屋の場所が分かったみたいです」

「へえ、不思議な力ってやつで?」

「そんなとこです」

「ふうん」

 

 怪しげな飲み屋の看板の隙間を縫っていくと、怪しげな一団が立っていた。大音声のスピーチが耳に届く。

 

「合理主義こそ真理である! 理想論を嘯くヤツラはバカである! 能力がある者だけが生き残れる!」

 

 いよいよ胡散臭くなってきた。

 やたら襟を立てた青年たちの横を抜けていくと左右のビルはますます高さを増して灯りも減ってくる。暗い。足元のゴミを蹴飛ばしながらまだ進む。

 

 ちらりとうちのナユタを窺ってみる。

 目が合った。

 凪いだ表情のままだった。

 彼女はメッセージの一つもよこさない。つまり、『伝えるべき変化はない』ということ。

 

――工藤ナユタは、ただ普通に歩いているだけ。

――魔法は一つもありはしない。

 

 ……まあ、そんなもんでしょ。

 だって今どき、そんな超能力者みたいなハナシがあるがわけない。

 要するにこれは……ごっこ遊びなのだ。

 ちょっと個性的な妹の空想遊びに、世話焼きの兄が付き合っているだけ。

 そんな優しい嘘物語。

 工藤妹の足取りは若者らしく、真っ直ぐで迷いがない。寄り添う工藤兄の視線も同様で、付き添い人特有の無関心さや疲れの色は見て取れなかった。

 

「魔法、ね……」

 

 狭くて薄暗い路地を進みながら、思う。

 工藤ナユタが本当に特別な力を持っているかは分からない。けれど、ありきたりでも誰もが欲しがる力は持っているのかもしれない。

 

 

 

「舌切!」

 

 2つのツノがぴたりと止まった。

 辿り着いた先は、高いビルに囲まれた行き止まりだった。

 

「血飛沫! 煉獄虐殺拷問!」

「どうやら着いたみたいです」

「いや、着いたって言われても……」

 

 見回すまでもない。狭く、汚いだけの袋小路だった。

 空き缶しか落ちてない。

 ビル壁からはダクトやパイプが大樹の根のようにのたくって、地面には陽の光も届かない。

 

 ……どうしよ、これ。

 ツノ付き少女だけがウキウキ顔で、私は喜ぶフリをすればいいのかツッコミをいれてよいのか分からない。

 とてつもない気まずさに耐えきれず、早川ナユタを窺ってみる。

 目が合った。

 こわばった表情だった。

 

「ナユタちゃん?」

「匂いが、する」

 

 悪魔の少女は敏感な鼻をひくつかせる。

 何も無いはずの路地裏の行き止まりに人外の瞳を大きく見開いた。

 

「悪魔の匂い――? いや、違う。これは……?」

 

 支配の悪魔が凝視した。

 無人の空間。誰も気にせず、記憶にも残さない、そんな吹き溜まり未満の空虚に向けて、『掌握する力』を放射する。

 と、誰も居なかったはずの袋小路にうっすらと透き通るカメレオンが姿を現すようにして――緑肌の男が立っていた。

 

 

「驚いた。よく僕を見つけられたね」

 

 

 人間のような声だった。

 緑色の男――そうとしか表現できなかった。

 ツノも牙も尻尾もない。一般的な中年男性の姿をしている。

 しかし、その肌の色だけが異様な緑色。

 

「僕は古くなってしまった存在だ。世界から必要とされていない。そう在ることを望み、自らに魔法をかけた……」

 

 声色もやはり普通で……なぜだろう、私は彼を警戒することができない。

 彼からは、生き物が生来持つはずの存在感、圧のようなものを感じない。

 そこに居るのに、どこにも居ない。

 見えるのに透明な男……。

 

「僕がそうと望まない限り、誰にも見つからないはずだったんだけどね」

「おじさん、あなたは何者? 悪魔じゃない……よね」

「悪魔? そんなたいそうなモノじゃない。僕はただの失敗作、出来損ないの合成人間だ」

「ふーん……?」

 

 デンジ君は首を捻り、緑の男を見つめた。

 

「それ、特殊メイクってやつ?」

「違う。この肌の色は生まれつきだよ」

「で、ごーせー人間ってやつなん?」

「ああ」

「そっか。へえー。まっいいけどさ、おっさんはアイス屋だよな?」

「そうとも言えるし、そうではないとも言える」

「どっちだよ」

「アイスは作れる。必要な者にだけ売っている」

 

 デンジ君は掌を突き出した。

 

「じゃあ、くれ」

「だめだ」

「なんで?」

「うちは普通の店じゃない。客は選ぶようにしている。キミたちには売れない」

「どうして」

「未来のある若者だからさ」

 

 わけわかんねえ、とデンジ君は一人ごちる。

 ……うん、確かにそうだけど。よく普通に話しかけられるね。

 このヒト明らかに普通の人間じゃないでしょ。

 

「僕のアイスはただのアイスじゃない。その者が持つ痛みと欠落を埋められる……そういうものを、僕は作れる」

「はあ」

「痛みが消えれば人はどうなると思う? それを克服する必要がなくなる――成長しようとしなくなるんだ。そういう意味でいえば、僕のアイスは麻薬だよ。……いや、麻酔といったほうが近いかもしれない」

 

 だからキミ達には売れないんだ、と緑肌の男は呟いた。

 

「そうだね……。キミ達が人生の袋小路に追い込まれ、痛みに埋めつくされたなら……その時はまた来るといい。割引料金でアイスを売ってあげよう」

 

 顔を上げた緑肌の男につられて上を見る。

 ビルに囲まれた四角い空。

 

「なあ若人たち――キミたちは世界をどう思う?」

「しらね」

 

 ふっと自嘲の呟きが届いた。

 

「ヒトは自意識というものにさほど興味を抱かなくなったようだ」

 

 視線を地上に戻してみる。

 男の姿が消えていた。

 

「あれっ」

 

 慌てて辺りを見回してみるがやはり居なかった。

 移動した気配はしなかったのに……。

 デンジ君もナユタちゃんも不思議そうに周囲を窺っている。

 そんな馬鹿な、と思う私の耳に、男の声だけが届く。

 

「どうやら僕は本当に歳をとってしまったみたいだな。もうわけもわからず霧の中を歩かされる時代は終わった。知識と知識、意見と意見がぶつかって、それらを俯瞰して選択肢を選びとることができる。……僕のアイスはもはや麻薬ではなくなっているのかもしれない」

 

 声は私たち五人の頭の上を通り過ぎていく。

 徐々に小さくなっていき注意を払わねば聞き逃してしまいそう。

 

「そうだな……いずれまたアイスを売ってみるかな。……なあに、ダメなら黒帽子が僕を始末しに来るだけだ。何もしていない今よりは、ずっといい」

 

 どこだ? どこに行った?

 ここは路地裏の行き止まり。逃げ場はない。私たちを通り過ぎた気配はなかったし、壁をよじ登ったようにも感じない。

 ただ存在感だけが薄れていく。

 

「す、すげえ。消えちまった……」

 

 デンジ君の呟きだけが路地裏に残された。

 そこにはもう誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 結局、本当にわけが分からないまま男は消えた。

 支配の悪魔の『掌握する力』をもってしても追跡は叶わなかった。

 今となっては最初から存在したのかさえ疑わしい。私たちは揃って白昼夢を見ていたのではないか。けれど早川ナユタが言うには、あの緑肌の男は確かにあの路地裏に居たらしい。

 煙のように消えてしまった、自称麻薬みたいなアイスを作れる男。

 まるで妖怪みたいなヤツだったな、と思った。

 

 

「……血飛沫斬首」

「ええと、お世話になりました」

 

 工藤兄妹がぺこりと頭を下げた。

 目当てのアイスを食べられなかった彼らだが、さして残念がる様子もなく次の目的地へ向かうと私たちに告げた。どこへ行くんですか、と水を向けてみても口を濁すだけ。

 ふと、妹のほうの頭に生えた2本のツノが気になった。

 魔人ではなく、悪魔でもない。兄曰く、魔法使いの少女。

 

「工藤さんたちは――」

 

 どこから来たんですか?

 住所は? 身分証明はできますか?

 ……言いかけて、やめた。

 彼女たちが何者であろうとも、どんな力があろうとも、誰かに被害をもたらすような真似はしない。そう感じた。根拠はないけれど。

 

「……あの、何か?」

「いえ。ただ私たち、何も感謝されるようなことしてないな~って」

「そんなことないですよ。年の近い方たちと一緒に居られて楽しかったです。なんだか友達ができたみたいで」

「そですか。なら良かったです」

「ナユタもそう思う?」

「爆殺」

「えーと、その爆殺は同意するって意味なのかな……。あ、そうだ。だったら本当に友達になってみます?」

「え?」

「斬死?」

 

 改めて少女のツノを見る。

 兄としか意志の疎通ができない妹。面倒見の良さそうな兄はきっと彼女に付きっきりだったんだろう。

 失礼な想像かもしれないけど、元々居た場所に友達が居たとは思えない。

 だったら……というわけでもないけど、彼らと仲良くなってみてもいいんじゃないかと思った。

 私はくるりとこっちのナユタを――早川ナユタを振り返る。

 

「丁度うちのナユタちゃんも友達がほしかったところでして」

「いらない」

「あれあれ? 人間と仲良くするんじゃなかったのかな?」

「……別に。拒絶する理由も無いけど」

「はあ」

 

 早川ナユタと工藤ナユタが向かい合う。

 

「……」

「……」

 

 似たような顔が至近距離でにらめっこ。

 2つの小さな頭、同じような髪の色。年の頃も同じ。互いに興味がなさそうな顔で向かい合っている。友達になるというより鏡合わせになった自身を覗き込んでいるかのよう。

 

「お」

 

 おずおずと工藤ナユタの小さな手が差し出された。

 そっと早川ナユタの掌が重なって――握手の形になった。

 

「おお~……まさかあのナユタがなぁ」

「なにデンジ」

「別にぃ?」

「……ふん」

「いやいや、デンジ君だって人のこと言えないだろ~?」

「あ? 俺にだって友達ぐらいいるし……えーとー、まずポチタだろぉ」

「それノーカンでしょ」

「あとはー、学校の奴らにー、他に俺ん友達っていえばぁ……」

「――破壊最悪墓地!」

「ん?」

 

 工藤ナユタがほんの数ミリだけ瞳を見開いて、どことなく頬を上気させながらまくしたててきた。

 

「絶死断絶残虐拷問! 殴打絞殺窒息爆発虚脱鼻血憤慨嘔吐煉獄」

「なに、なになに?」

「――ええと、」

 

 兄が通訳する。

 

「記念に、ええと……繋がりができたから、何かできるって……予言を一つするそうです」

「予言だぁ?」

「はい、予言。どんな内容がいいですか?」

「あん? こっちが決めていーの? 予言なのに?」

「はい」

「だったら……」

 

 デンジ君は言いかけて一瞬、眉間に皺を寄せ、

 

「俺ん友達に……パワーってヤツがいんだけど、」

 

 妙に真剣な顔で、言った。

 

「どうやったら会えるか、分かる?」

「デンジ」

「そいつ悪魔でさ、地獄に居んだよな。でもどうやって行ったらいいのか分かんねえ」

「地獄、ですか……?」

 

 早川ナユタは支配の悪魔という肩書きに相応しい怜悧な眼差しを送った。

 ……パワー。血の悪魔。

 かつて早川家にいたという悪魔の話は私も聞いている。

 デンジ君の友達で、この世界でマキマに殺された。

 つまり今頃は地獄で復活している。

 会うためにはどちらかが相手の世界に行かなければならない。

 

「……地獄に行くのはさすがにヤバいんじゃないですかねぇ」

 

 忠告してみたけど、デンジ君の顔つきは変わらなかった。

 ありゃりゃ。これ本気ですか。

 

 工藤ナユタは静かに、透き通った大きな瞳でこちらを凝視する。

 言葉を紡ぎ始めた。

 

「――悪魔三位一体、生贄奉納」

「ええと……?」

「開戦殺戮死屍累々。電鋸血液爆弾赤竜銀蛇」

「なんて言ってんだ?」

 

 

――無知と無力と憎悪が集うとき、地獄の門は開かれる

――蘇りし友人たちに会うだろう

 

 

「……だそうです」

「友人“たち”? たちって?」

「さぁ……。デンジさんとレゼさんの友達のことみたいですけど」

「え、私も? 私の友達……?」

「はい」

 

 面食らった。

 私に友達なんていないよ?――そう返そうとして、脳裏にかつて秘密の部屋で同期だった少女ヴェロニカの顔が浮かんだ。

 いや、彼女の可能性は無い。

 魔人は悪魔とは違う。魔人は一度死んだら蘇らない。

 ヴェロニカの場合でいうならハサミの悪魔が地獄で蘇るだけ。ヴェロニカ個人は人間と同じように死体は朽ちてしまった。

 だったら、蘇るなら別の誰かになるんだろうけど――

 “蘇る”

 その単語が不吉だった。

 秘密の部屋で研究されていたプロジェクト――魔人化は“蘇る”の範疇になるのだろうか。

 

「デンジ、地獄は危ないよ」

「でもパワーとは契約しちまったしなあ」

「こっちから呼べばいい」

「どうやって」

「さあ」

 

 友達――そんな相手は私にはいなかった。

 けれどかつて秘密の部屋を生き延びるために同盟と呼ぶべき関係を結んだ者たちならいた。ヴェロニカ、そしてあと2人。

 

 

 ぱららららららららららら

 

 

 自動小銃の残響音はいまだに耳の奥にこびりついている。

 かつて処刑された少女たちの顔がありありと浮かび上がってきた。

 

「……まさかね」

 

 私は頭を振って意識を切り替えた。

 予言とは、いってしまえば占いだ。

 星の並びや血液型を根拠に未来を算出するファンタジー。

 そんなものはもちろん信じない。

 

「……あの、悪魔って一体なんなんです?」

「混沌発狂」

「ああ、悪魔っつうのは――」

 

 目の前には2人の少年、2人の少女。

 彼ら彼女らは、友達を作るという当たり前の道を歩きだそうとしている。ともに遊び、ときには喧嘩する。そんな普通をやる未来が待っている。

 私だってやってみたい。

 ようやくそう思えるようになったから。

 誰にも負けるわけにはいかない。

 

 空を見る。

 何者にも阻まれず、どこまでも広がっていく青い空。

 強く、拳を握りしめた。




ペパーミントのおじさんを出す必要があったのか。
ほんとは色々やるつもりだったんですが、時間がないのでカットカットカットです。
この話は最後の予言をやりたかっただけだからいいんだ、うん。
あ、工藤って苗字は捏造です。駆動電次からとってます。

次から新しい章を始めます。よろしくゥ!
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