レゼのハートに火を点けて   作:シャブモルヒネ

12 / 26
At the end of a moratorium period.
残り240時間/残り96時間


 細い、線のような光が集まってくる。

 

 白く――

 鮮明になりつつある世界。

 

(ここは……いったい……?)

 

 風が通り抜けていく。

 ほんの僅かな認知が生まれ、自我のようなものを掴んだ。

 世界の境界線――その輪郭が見え始めたとき、唐突に、その声は果てよりやってきた。

 

『やあ、お待ちしておりました』

 

 顔を上げる。

 ビジネスマン風の男が正面に立っていた。

 顔は――無い。

 クレヨンで塗りつぶされたかのような雑な筆致で隠されている。

 モザイクの役割を果たす黒塗りはまるでパラパラ漫画がめくられるかのように一秒事に形を変えた。それでも男の人相は見えてこない。その奇妙な在り様に、一つの疑念が脳裏に湧いた。

 

「お前、悪魔か?」

『そうです』

「何の悪魔だ?」

『私は、面接の悪魔と申します』

「そうか」

『どうぞお座り下さい』

 

 目を向けるとパイプ椅子が用意してあった。

 だが私は座らない。悪魔へと歩み寄る。

 一歩、二歩。

 あと五歩で辿り着く。

 人型の悪魔はこちらを見つめている。観察してるだけ。

 こういうときは笑顔がいいと教わった。

 でも、それだけでは足りない。ぼんやりと思い出した――友好を示すためにはもう一手間を加えるべきだと。そう私に教えたのは……ええと、誰だったか……。

 

「初めまして、悪魔さん」

 

 握手の形で右手を差し出す。

 

『あ、これはどうも』

 

 自然に応じた悪魔の掌を、私は掴まなかった。すり抜けて、そのままモザイク状の顔まで伸ばす。顎を一閃、脳を揺さぶる。

 

『――っあ』

 

 虚を突かれた声、それが私の耳に届く前に、左手も伸ばす。頭を掴んだ。捻る。

 

 ごきり。

 

 手応えあり。

 人型の悪魔は、その骨格も人間と同じようだ。

 だが、悪魔は悪魔。

 人と同じように死ぬとは思わない。

 首をそのまま右回りに回転させる。

 

 べきべきべき。

 

 顔が180°後ろに向く。

 これで首から上の機能は死んだ。

 だが足りない。

 胴体。ここも破壊する。

 

「ひゅ」

 

 足の指で地を握りしめ、足首から膝へ、そして腰から上半身へと運動エネルギーを流転させ、掌をビジネスマン風の男の胸部に押し当てる。 

 

 ずん。

 

 衝撃を内部に伝播させる。

 指の先までピンと伸び、全身が痙攣。

 内臓と血管が破裂した。

 これでこの悪魔がどんな身体構造をしていても関係ない。少なくとも機能は死滅した。

 ――はずなのだが、

 

『――驚いた。出会いがしらに攻撃されるとは』

 

 喋った。

 普通に。捻じ曲がった首のまま。

 おかしい。

 少なくとも気道と肺にあたる部分は潰したはず。物理的に喋れるはずがない。

 つまりこいつは人間の構造をしていない?

 あるいは――

 

 周囲を見回してみる。

 壁はなく、天井もない。白くまっさらな床が地平線まで広がっている。

 空はペンキで塗りたくったような単純な青一色。

 ……こんな空間が現実に存在しえるのか?

 

「ここは、現実空間ではないな?」

『ええ、その通りです』

「お前のその身体も現実のものではない? いくら破壊しても無駄か?」

『はい。ここは夢。あなたの夢。私はそこに入り込んだにすぎません』

「……そうか」

 

 だらりと腕を垂らして、正面の悪魔を眺めた。

 歪に捻じ曲げられていた首が、ゆっくりと音も無く元の向きに戻っていく。

 

「……」

 

 こういう悪魔が居るのは知っている。

 夢、あるいは虚構の世界を構築し、その中で活動する悪魔。こいつらには私が培ってきた技術――物理的な攻撃手段は通じない。

 その空間内で殺しきるのはほぼ不可能。

 私にできることはない。

 

「……ああ、思い出した」

 

 曖昧な意識にはっきりと浮かんでくる。

 私に他人を欺く手法を教えた同志たち、その顔と名前が。

 ポリーナ。

 ヴェロニカ。

 そしてレゼ。

 私たち4人は同盟者(チーム)だった。

 本物の戦士になるために互いの特技を教えあった記憶がありありと蘇る。

 私が教えたのは、殺しの手管。

 ポリーナは、演技の仕方を伝授した。

 ヴェロニカは、治療技術と尋問のやり方を披露して、

 レゼは、それらの本質を解析し、他の者たちが要領良く噛み砕けるように伝えた。

 

『そう。そうして人間兵器として完成したのが、今の貴女です。アナスタシアさん』

 

 モザイク顔が喋りだす。

 

「お前はなんだ」

『さっき名乗ったでしょう? 面接の悪魔です。……ここは貴女の夢の中。実体のない面接会場です」

「そうか」

『そうか、って……それだけ? そりゃあんまりじゃないですか? 私も今まで色んな人間を面接してきましたけどね、いきなり殺しにかかられたのは初めてですよ』

「ああ」

「いや、ああ、じゃなくてですね……。はぁ、もういいです」

 

 悪魔はどこからともなく一枚の紙を取り出した。

 ぺらり、と眺める。

 

『ええと、アナスタシアさん、ね。……ふむふむ、どうやら貴女はコミュニケーションが苦手なようだ。これは困った……』

「何がだ?」

『いや、失礼。ただいま貴女の人生の履歴書を読んでいるところです……。ふむ、結構。だいたい把握しました。……アナスタシアさん、あなたはソ連の人間兵器養成所――秘密の部屋――とやらで人生の大半を過ごしたようですね?」

「だからなんだ?」

『私は面接の悪魔です。人間にその人生を振り返らせ、ありのままの自身の姿を直視させるのが目的です』

「……もう少し、分かりやすく言ってくれ」

『つまり、私はこれから貴女の人生について質問するということです。貴女は答えるだけでいい』

「別に構わないが……。しかし、人生と言われても、その、困る。私はもう死んだはずだ」

『ええ、ええ、まったくその通りです。あなたは既に死亡しております。ですがこの度、めでたく魔人として復活することになったようでして。そこに私が現れた、というわけですな』

「魔人、か」

 

 なるほど。

 秘密の部屋では悪魔の力を軍事転用するために様々な人体実験を行っていた。

 その中には魔人化プロジェクトも含まれている。

 

「私は魔人になるのか」

『はい。ですから、貴女の人生は再び動き出すということです。つまり、凪いだ前世から荒波逆巻く来世へと漕ぎ出すわけですね。そんな記念すべき船出の日が今日、というわけです』

「……で、なんだ? 私に何を質問したい?」

『性急な方ですねえ……。まあいいです。前置きはこのぐらいにしておきますか。さっそく面接を始めても? ああ、特に構える必要もありません。ただ対話するだけ、私はそういう悪魔なのです。貴女に害はありませんよ。夢が覚めれば全ては泡と消えるでしょう』

 

 よく喋る奴だ。

 面倒だが、手を出しても意味が無いなら仕方ない。

 

『では。貴女の魂の声を聞かせていただきましょう。改めましてお伺いさせていただきます――貴女のお名前は?』

「アナスタシア。そう呼ばれていた」

『自己紹介をお願いします』

「さっきお前自身が言っていただろう。その通りだ」

『ソ連のモルモット、というわけですね』

「違う。戦士だ」

『戦士、と。お次は自己PRをどうぞ』

「自己、ぴーあーる……? なんだ、それは。何を言えばいい?」

『特技。長所。前世において頑張ったこと……という感じですね』

「そこに書いてないのか?」

 

 悪魔がつまんでいる一枚の紙切れ――私の人生の履歴書とやらに顎を向ける。

 

『書いてありますね。ですが自ら言葉にすることが重要なのです』

「……ああ、面倒だ、厄介だ。私はそういうのは本当に苦手なんだ」

『ええ、分かります。ここにもそう書いてあります――』

 

 得意なことは、人殺し。

 苦手なことは、それ以外の全て。

 

『……こんな履歴書を見たのは初めてです。一体どういう生き方をしてきたんです?』

「それもさっき言った。私は、秘密の部屋で育った」

『そんなの理由になりませんよ。私はね、他にも秘密の部屋出身者は知っているんです。けれど誰も貴女ほどに無味乾燥ではありませんでしたよ。どんな凶悪な殺人履歴を持つ者もちゃんと情緒を備えていました』

「仕方ないだろう」

 

 私は人差し指で自身のこめかみを叩いた。

 

「私は()()がおかしいんだ」

『ここ、とは?』

「頭だよ。共感性の欠如。罪悪感が皆無」

『それは……統合失調型パーソナリティ障害でしょうか? それともシゾイドパーソナリティ障害?』

「細かい定義は知らない。そこには書いていないのか?」

『残念ですが』

 

 まあ別にどうカテゴライズされようと知ったことではない。

 私にとってなんらプラスに働かない。

 私が何者であろうとも、私は既に自身の進むべき道を知っている。

 

『ほう、それはどのような?』

「戦士の道だ」

 

 戦士は、戦えばよい。

 敵を殺すだけでよい。

 他には何もしなくてよい。

 まさに私のためにある職業だ。

 

「私は他の誰よりも上手かった。どんな戦場でも生き延びた。どんな相手も殺した。軍人も、民間人も、悪魔も、悪魔遣いも」

『そのことに対して後ろめたさは…………本当に無いようですね』

「ああ、まったく」

『不思議です。先ほども言いましたが、私は他の戦士さんたちにも面接した経験があります。しかし彼女たちでも無意識下では引っ掛かりを覚えていましたよ』

「そうか」

 

 悪魔はぱちんと指を鳴らす。

 何もない空間からパイプ椅子が出現し、男は腰をかけた。

 

『貴女もどうぞ』

 

 勧められるがままに座る。

 男はしきりに「不思議だ、奇妙だ」と私を訝しんでいたが、こっちに言わせれば私以外の全ての人間のほうが分からない。

 

「……私は説明が下手だ。お前は勝手に理解しろ」

『承知しました』

 

 

 例えばの話――

 “殺意”という感覚は存在しない。

 少なくとも人間には、それを感知する器官が無い。

 人間に備わっているのは、五感だけ。

 視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。

 これが全て。

 視覚を使って、標的がこちらに気付いているかを観察する。

 視界の外に害意を抱く敵が居ないか、聴覚や嗅覚で察知する。

 

 これらの感覚は鋭敏さを増すほど多くの情報を識別できるようになる。

 例えば、歩く音。

 体重は? 歩幅は? 向きは? リズムは? 重心は?

 これらの情報の差異を読み取れば、その危険度も分かる。

 足音の主がもつ歩行技術の習熟度。

 こちらをどの程度、意識しているか。

 視界に収めればもっと分かる。

 関節の角度、筋肉のたわみ方――どれだけ臨戦態勢になっているか? それをどう隠そうとしているのか、いないのか?

 

 これらの細かい情報を統合し、結論として導かれる危険度の高低が“殺意”と呼ばれる感覚になる。

 ゆえに、人間は、五感をまったく感じとれない場所から殺意を受け取ることはできない。

 

 

「……それと同じことだと私は思う」

『何がです?』

「命が、だ」

 

 命。

 そんなものは存在しない。

 心臓が動いている。細胞が腐らない。そういった状態を指して“生きている”と呼んでいるだけ。

 同様に、“命は大切である”という論説にも根拠がない。

 自身の生活パターンに深く食い込んだ人物が居なくなると強い違和感を覚えてしまう――その生理的な反応に対してもっともらしく言い繕っているだけ。

 命は別に大切なんかではない。

 ただそうやって誰にでも共感できるよう最大公約数的に分かりやすく表現しているだけ。

 ただそうやって明快に定義したほうが社会にとって有用なだけ。

 

 

「――だから私は命を大切だと思えないんだと思う。元から無いものを奪ったと咎められても困るだけだ」

『ふぅ~む……』

「そもそも世の中には“殺せば他の誰かが助かる”という論説だってまかり通っている。アメリカ人はそう言って都合の悪い者を殺しているだろう。『汝、隣人を愛せよ』だ」

『そうですね。それは兵士の正当性を保証するために使われている言葉です。……ですが、理屈では割り切れないのが人間です』

「私は割り切れる」

『ほう? それでは貴女はかつての仲間でさえも同じように殺せるのですか?」

「ああ。命令か必要性があったなら私は仕留めた。躊躇なく。それが私の適性というやつらしい」

『ふうん……そうですか、なるほどなるほど。しかし来世もそうなるかは分からない』

「まさか私が躊躇うとでも言うのか?」

『いいえ。ですが貴女は僅かな疑念を抱いている……』

 

 

 殺すのは簡単だ。

 なんとも思わない。

 だが、殺しても何かを得られるわけじゃない。

 少なくとも前世ではそうだった。

 ……もっと違うやり方もあるのではないか?

 

 

「……そうだな、確かに言われてみればそういうハナシもあるかもしれない。だがな、結局そんな道は無いんだよ。少なくとも、この私に、他者から何らかの影響を受け取る機能が無い限り」

『いいえ。貴女は真剣に考えていないだけです』

 

 悪魔は座ったまま脚を組みかえる。

 

『貴女は前世では迷いがなさすぎた。秘密の部屋という環境にも不満を感じていなかった。むしろ天性を活かせる場所に連れてこられたと幸運さえ感じていた』

「そうだな」

『戦争が起こればいい、と考えていた』

「ああ。その通りだ」

 

 戦争さえ起こってくれたなら――

 殺し合いが肯定される世界さえ用意されたなら、私は誰よりも必要とされたはず。そこには幸福があり、安心があり、納得があったに違いない。

 

 

『それは貴女にとっては楽な道、遊んで暮らすのと同じです。自身の疑念を直視していない』

「何が言いたい?」

 

 悪魔は大きく息を吸いこんだ。

 

『貴女はこれより魔人となって目覚めます。そして生前の仲間であった、とある少女を殺せと命令が下るでしょう』

「そうか」

『殺すだけだと思っているでしょう?』

「ああそうだ。私は殺ししか知らない。他にできることもない」

『それでは疑念は解消されない。殺すだけなら楽でしょう。しかし私としては異なる道を試してみるのをお薦めします』

「……」

 

 悪魔の薦めなんて聞く道理はない。

 だが……無視しきれなかった。

 

 私には本当に疑念があるのだろうか。

 殺しという天性から外れた先に、何か得られるものがあるのだろうか……。

 

「そいつの名は?」

『ん? 何がです?』

「抹殺任務の対象だ。私の知っている奴なんだろう?」

『ええ。その少女の名は――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レゼのハートに火をつけて

 

―モラトリアムの終わり―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『敵か味方か、恐怖バクダン悪魔!

 町に現れた魔人をドカーンと爆破していくのは

 公安デビルハンター職員の服を着たバクダン悪魔だ!』

 

 テレビのスピーカーから興奮気味のレポーターの声が響いている。

 派手なテロップがくるくると回転しながらフェードインし、アップになった映像には1人の武器人間が映されていた。

 細身のシルエット。特徴的な金属頭。

 デンジが恋する美しい少女。

 

「レゼがテレビに映ってんじゃーん!」

 

 デンジの顔がほころんだ。

 50V型モニターにかぶりつき、お気に入りのヒーローを見つけた園児のように喜びを滲ませる。

 画面の左上にはこんな煽り文句が固定されていた。

 

『謎のバクダン悪魔、児童を救う!? その正体は!?』

 

 番組の場所は街中に移りゆく。

 駅前のロータリー、復旧工事中の立て看板をバックに、インタビュアーが市民へマイクを差し向ける。

 1人目は、緊張気味に立っている電気屋の店員の男。

 

『私達を守るために魔人に立ち向かったんです……!

 ボロボロになっても何度も起き上がって……!

 彼女はヒーローです……!』

 

 2人目は、母親と手を繋いだ女児。

 

『あのね、あくまのおねえちゃんが守ってくれたよ!

 ボボボーって、とんできたの!』

 

 にこやかな笑顔には本物の感謝が彩られている。

 レポーターは仰々しく頷いた。

 

『町民を銃撃から守ったという証言もありますが、過去に台風の悪魔と暴れていたという話もあ――』

 

 デンジも鷹揚に腕を組む。

 

「知り合いがテレビに映るってのはいい気分だな」

 

 ぼすんと大型ソファーに身を預ける。

 足元にはパステル調のローテーブル、その奥の壁際には木製のミドルタイプのテレビ台が設置されている。その上には大型プラズマテレビ。

 高校生が所有するには豪華すぎるラインナップだが、これでも節約に工夫を凝らしている。ソファーは実は粗大ゴミ産で、もともと合皮が大きく破れていたが、中身を入れ替えてカバーを縫って布をかぶせて誤魔化した。ローテーブルとテレビ台はリサイクルショップでまとめ買いと値引き交渉で新品価格の20%で手に入れた。テレビ本体だけは新品で調達するしかなかったが、これも先程テレビに映っていた電気屋の店員から感謝の言葉とともに『店員価格』で購入することができた。

 デンジはぐるりと首を巡らせて約8畳のリビングスペースを見渡してみる。

 

「こーんないい家に住めるなんて夢みてーだ」

 

 思い返せば引っ越しの多い人生だ。

 初めはマキマに拾われて早川家のアパートに引っ越して、

 次はナユタと2人でボロアパートに転がり込んで、

 それも数ヶ月で追い出されてしまい、公安所有のマンションをどうにか借り受けて、

 と思ったらまたすぐに爆破され、とうとう行くアテがなくなった。

 困ったところに現れたのは、岸辺だった。

 

 

 

「犬7匹でも住める物件があるぞ」

 

 聞けば、なんと二階建て。しかも地震や火事に強い鉄筋鉄骨コンクリート造で、部屋数も多く、驚くべきことに風呂とトイレがどちらの階にも備え付けられている。更に敷地は広く、駐車場には大型バスを3~4台も停めることができるらしい。これで家賃は以前のボロアパートと同じでよいというのだから耳を疑うしかない。

 ナユタはすかさず突っこんだ。

 

「こんなの裏があるに決まってる」

 

 例えば、幽霊の悪魔が毎晩でるとか。

 そのせいで入居者が10世帯ぐらい連続で自殺しているとか。

 ……が、岸辺の答えは拍子抜けだった。

 

「いわくつきの物件じゃない。新築だ」

「……なんで?」

「元々、公安特異6課の寮にするつもりで建ててた。それが完成したってわけだ。要するに、お前らは先に住んどけって話な」

 

 納得した。

 やけに広くて頑丈なのも、将来的に悪魔や魔人を多数住まわせるつもりだかららしい。

 実際に見てみたらよく分かった。

 無駄に塀が高いし、有刺鉄線まで張り巡らされている。寮と呼ぶには威圧的すぎた。外からの侵入を防ぐ造りというよりも内からの脱出を阻むための設計思想。むしろ刑務所と呼んだ方が近い。

 

「ふ~ん。まあ、悪くはないかな」

 

 言葉とは裏腹にナユタもおおいに喜んでいる様子だった。

 それもそのはず、諸外国から狙われている身としては住まいは堅牢であるに越したことはない。

 デンジとしても屋根と壁があれば文句はない。

 しかし、入居するためには1つ条件があった。

 というよりも公安からここに住めと命令されていたので初めから拒否権は無いのだが――同居人が1人つくと言うのだ。

 それが、レゼだった。

 

「彼女が寮長だ」

「そうなると思った」

「ここは公安特異6課の寮になる。これからどんどん悪魔や魔人が増える予定だ。今から他人との共同生活に慣れておけ」

「まあ、別にいいけど」

「ふーん……。やけに素直だな」

「好きなことだけやって生きられる身上じゃないし。それにレゼは人となりも知っている。問題ない」

「ほお。仲良くやれそうか」

「さあ。相手次第かな」

 

 引っ越しはスムーズに終わった。

 家具のほとんどは前のマンションが爆破されたときに失っていた。身一つと犬猫を連れて移動するだけでいい。

 

 デンジとナユタはそれぞれ1階の部屋を割り当てられた。

 ワンルームで約8畳。バス・トイレ別。

 一応公安職員であるとはいえ、学生の身分で、しかも要監視対象の武器人間&悪魔としては破格の待遇だ。

 だがレゼはもっとすごかった。2LDKで、しかも約60平米。

 

「おおー、すっげー広いじゃ~ん」

「ずるい。ずるい。ずるい」

 

 寮長なんだから広くて当たり前、という岸辺の言い分は通用しなかった。少なくともナユタには。小さな悪魔はことあるごとにやっかみを零すようになり、岸辺は寮に寄りつかなくなった。

 

 

 

 ――と、まあそんなこんなで3人は念願の住居を得ることになる。

 レゼには公安職員として初めての給料が支払われ、家具が揃うと彼女の部屋は寮内で最も居心地の良い空間へとランクアップした。デンジの足は自然とレゼの部屋に向けられるようになり、レゼも当たり前のように受け入れる。ナユタは時々犬をけしかけた。

 そんな光景が日常になりつつあったある日、デンジがいつものように勝手にレゼのリビングルームでテレビを観ていると、ワイドショーでボムガール特集が流されていた。

 

『謎のバクダン悪魔、児童を救う!? その正体は!?』

 

 つい先日のハサミの魔人との戦いが映しだされていた。

 情報元はほとんど街の住人で、彼らが録った写真と映像、そしてインタビューをもとに構成されている。

 

 住人を守って避難させた。

 身を挺して児童を救った。

 

 誰の目にもわかる民衆の味方。弱き者を守るヒーロー。説明の区切りごとに観客の感嘆の声が番組会場に漏れ響き、ふんぞり返ったコメンテイターが「公務員はかくあるべし」としたり顔で頷いた。

 

「褒められるのっていい気分だな。なんだか俺も鼻が高いぜ」

「そお?」

 

 デンジがくるりと振り向いた先、ソファーの背もたれに寄りかかるようにしてレゼが立っていた。

 

「キミはまた勝手に入ったね」

 

 デンジはワイドショーに指を差してにやけ顔。

 

「どーよ、嬉しいだろ~?」

「ん~、どうかな」

「俺んときは嬉しかったぜ? チェンソーマン、チェンソーマン! ってすげえモテてよ~」

「まあ……そうだね~」

 

 レゼはゆっくりとソファーの背もたれに肘を乗せ、組んだ指の上に顎を乗せる。

 どこか遠い目をして、テレビの中で紹介されている自身の姿を眺めた。

 

「悪くはない、かな」

「だろ~~?」

「うん。嬉しい……ってことなのかな。変な感じ。褒められる……褒められる、かぁ……」

 

 少女はむずがるように唇を動かした。

 しばらくそのままの姿勢でいたが、不意に勢いをつけて背を伸ばす。真顔になって、「でも良いことばかりじゃない」と気を引き締めるように呟いた。

 

「え?」

「むしろ不味いことになったかも」

 

 報道のせいで、チェンソーマンに続いて第二の武器人間が日本にいる事を世界中に知られた。

 マキマの手駒が、その支配からぬけだして、なお日本についている。この事実は他の国にとっては脅威でしかない。

 彼らはきっとこう考えるはずだ。

 もしもこの調子で他の武器人間たちも日本の戦力に加わっていったら……?

 マキマがいなくなった今、かの大悪魔が抱えていた手駒たちがまるまる1つの国に吸収される事態はけして無視できない。

 なにしろ先日、アメリカから差し向けられた銃の悪魔が撃退されて、その肉体が日本の所有物になってしまっているという事実があるのだ。

 パワーバランスの崩壊。

 今はまだ予兆の段階に過ぎないが、日本国の戦力増大の懸念事項はいくつも揃っている。

 

「こういう事態を大国は見逃さない。早いうちに芽を摘もうとする」

「そうかあ……そうかあ?」

「アメリカと中国あたりは動くだろうね。武器人間を欲しがってる。それに支配の悪魔の存在もそろそろバレてそうだし」

「ふ~ん……なんかよくわかんねえけど、いろんな国から刺客が来るってこと?」

「そだね」

「そっかあ。……ん~~、人間とバトルすんのはヤだなあ」

「キミねえ。わりと大変なことになるって分かってる?」

 

 緊張感のないデンジにジト目が向けられる。

 けれどデンジはどこ吹く風だ。

 

「似たようなこと前にもあったしな」

「前にもって……ああ、ああー……? そっか、アレか」

「ん?」

「ええっと、ドイツからサンタクロースも来たんでしょ?」

「おう。人形悪魔がいっぱい来たけど、俺がすっげえ~ドカンと頑張って大丈V! だったぜ!」

「へー、そっか。だったら今回もドカンと頑張らないとね」

「なーに、一生ずっと殺し屋に狙われるわけじゃねえ」

 

 デンジは再び前を向く。

 

「来たのを全員捌けば相手も様子見してくる。そうすりゃ、そうすりゃ……」

「ん?」

「旅行に……行ける……?」

 

 思わず口をついた言葉。

 それはかつて、アキと交わしたやり取りだった。

 

 

『旅行を中止とは言ってない。延期なんだ』

 

 

 そういえば、とデンジは思った。

 あの時は結局、旅行は中止になった。代わりにアキの故郷に行ったけど……今度はちゃんと遊びの旅行にも行ってみたい。

 

(でもちゃんとした旅行ってどんなんだ?)

 

 デンジの脳裏に浮かぶ地名は、やはり江の島。

 よく知らないがきっと島だろう。島というからには海に浮かんでいるはずだ。海。海といえば、泳ぐに決まってる。サーフィン? スイカ割り? 首を捻って旅行の情景を絞り出す。

 

 ざざーん、ざざーんと波の音が鳴っているんだろう。

 きっと爽やかな風が吹いている。

 海岸沿い。きれいな景色。砂浜を走る。

 きらめく太陽。波打ち際で、少女たちと水飛沫をかけあって遊ぶ。

 そのときのナユタはきっと歳相応の無邪気な笑みを浮かべているし、レゼはセクシーな水着の紐をずらして「日焼け止め、塗って」と艶めかしい背中を晒してくれて、

 

 ――瞬間、デンジに電流走る。

 

「みずぎ……?」

 

 脳が、震えた。

 今の生活は最高だ。風呂も毎日入れて、いいモンも食べられる。可愛くてツラの良い女たちと一緒に住んでいて……もう百点の生活なのに……なんかが足りない気がしていた。

 ポチタとの契約――

 

 

『デンジの夢を私に見せてくれ』

 

 

 夢。

 俺の夢……!?

 

 デビルハンターの会社の社長になる――その夢とは別に、マジでマジのゴールがあるならば、それはセックスだと思っていた。

 セックスこそ男の夢!

 けれどセックスは、最悪、金を払えば達成できる。そういう店があると先日知った。

 ハードルが低い。

 胸が躍ることに変わりはないが、なにかが違う気がしていた。

 

 セックスって、人生の夢って掲げるほど大したもんでもないんじゃねえか……?

 でも、水着ならどうだ……?

 好きな女たちと一緒に水着になって遊ぶ――それは心が通じ合ってなきゃできねえ気がする……。けして金では買えない青春の淡い想い出――

 

 

「――なあ、レゼ。今回の敵ぃぶっ倒したらよぉ、江の島に行かねえ?」

「へ」

「江の島……海、プール、いや海……。行きたい、すげえ行きたいい!」

「なに……? なんで江の島……?」

「水ぎゅわ……水、が」

「水?」

「そうだ、水が、好きなんだ。ええと、泳ぎたい……?」

「んん、んん~? 泳ぎにでかけたいってこと?」

「そう、そうだよ!」

「ふーん。じゃあ、安全になったら、行ってみよっか」

「ヤッター!!」

 

 デンジは幼児のごとく飛び上がり、全身から喜びを撒き散らす。

 レゼは、といえば、泳ぎと聞いてまっさきに浮かんだのがソ連時代の寒中水泳訓練だったので、デンジの痴態がどこからくるものなのかまったく理解できていない。

 とはいえ。

 少女は遊び目的の旅行なんて想像したこともない。

 楽しみよりも、「そんなことをしてもいいのか」といった困惑の方が強い。

 

(海に遊びに行く……仕事でもないのに。そんな民間人みたいなこと、やってもいいのかな)

 

 自分は人殺しの武器人間。

 故国のためと言いながらこの手を血みどろに汚してきた。

 元戦士の胸中には色濃い暗黒がカビのようにへばりついている。

 でも――とレゼは首を振る。

 

 そうやって自身を卑下して『普通の幸せ』を放棄するのは簡単だ。

 「私には資格がない」と嘆くふりをしながら現状を維持していれば後ろめたさは減るだろう。

 でも。

 かつてのモルモット仲間たちは、その道を選ぶ余地さえなかったのだ。

 

(ヴェロニカ……)

 

 自分はおそらく、あの秘密の部屋の住人のなかで唯一『普通に生きる』道を見つけた。

 確かに自分にはその道を進む資格はないだろう。

 権利なんてもっての他だろうし、私が手にかけてきた者たちとその遺族は「どのツラ下げて」と呪うに違いない。

 だが、それでも。

 かつてその道を選ぶことさえできなかった仲間たちのためにも、自分は胸を張って前向きに生きなければならない。

 

 ――レゼはそう考えるようになっていた。

 

 踵を返す。

 まっとうに生きる。そのためにも敵は撃退しなければならない。

 今後予想されうる状況に対応するために岸辺に相談する、そう決めて、廊下に出る。電話に手をかけて、番号を回した。

 

「あ、もしもし、岸辺さん? テレビ観ました? はい、はい、それで――」

 

 扉がゆっくりと閉まっていく。

 

 

 

 

 

 その背後。

 リビングのテレビからニュースキャスターの声が流れていた。

 

 

『見てください! モスクワが燃えています! 現地では厳戒令が布かれ、我々報道陣も自由に動くことができません。重装備を携えた兵士たちが慌しく行き交っており……とにかく混乱した状況で……、ええと、さる筋からは、ソ連の国家元首、他多数の高官たちが死亡したとの情報も入ってきています。ソ連政府は発表では、事故・事件等ではなく、偶々不幸が重なっただけとのことですが、あまりにも不自然な点が多く――』

 

 

 

 

 

残 り 96 時 間

Осталось 96 часа.

 

 

 

 

 

 皆殺しの戦士(ターミネーター)がやってくる。

 

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