レゼのハートに火を点けて   作:シャブモルヒネ

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残り10時間

 Q.青春ってなんですか?

 A.人生において若さと活力に溢れ、夢や希望を追いかけることに専念できる時代のこと。

 

 「よく分かんねぇ~」とデンジなら言うだろう。

 確かに実体の見えない説明だ。恣意的な欺瞞に満ちている。

 人間は見たいものしか見ようとしない。ある種の人間などは明らかな短所から目を背けるためにジャガイモを真球だと言い張ったりする。

 このジャガイモはとにかく美しい、議論の余地なく素晴らしいと。

 そんなわけがない。

 ジャガイモはジャガイモだ。でこぼこしていて、表皮が変色していたり、毛が伸びていることもある。

 青春に関しても同じことがいえる。恐れを知らぬ好奇心と生命力の躍動の裏側には必ず未熟さゆえの痛みがあり、赤っ恥があり、取り返しのつかない後悔が潜んでいる。

 その辺りの現実をデンジは誰よりもよく分かっている。

 仮に、先述した質問をデンジにしたとしよう。すると彼はこのように答えるはずだ。

 

 Q.青春ってなんですか?

 A.えっちしてえぇ~~!

 

 パーフェクト・アンサー。

 人類が到達すべき真理の1つといっても過言ではないだろう。

 そう、つまるところ青春とは、えっちなのである。愛は、恋は、尊さは、染み一つない純白などではない。性欲という名の汚れと同居するものだ。

 デンジはそれを直感的に理解しているからこそ、今回のお出かけに対しても男子高校生として抑えるべき要点に意識の焦点をあてることができていた。

 

 山でキャンプして、川で遊んで、バーベキュー。

 

 これらの行為の中で最も大切な要素は、何だろう?

 キャンプで遊ぶ。それは歳をとってからでもできる。川遊びも、バーベキューも同様だ。ここで核となりえる要素――この青春と呼ばれる黄金時代にしかできない体験は、ただ1つ。

 同年代の少女たちと思い切りイチャつくこと。

 この場合における『少女たち』とは、ナユタとレゼを指す。

 例えば、の話をしよう。デンジは、ナユタとレゼと今後5年10年と良好な関係性を保っていけるものとする。ナユタはマキマを凌駕する女性性を獲得するかもしれないし、レゼは妖艶な美女に成長するかもしれない。その時のデンジは、そんな美人で美女で可愛さギネス級になりえるかもしれない女性たちと大人になってもキャンプして川遊びしてBBQできているかもしれない。

 しかし、それでもだ。

 仮にそんな男の夢のような輝かしい未来像に辿り着くことができたとしても、そこには青春時代の弾けるような煌めきを放つナユタとレゼは存在しない。

 今しかない。

 この瞬間しかない。

 他の何を差し置いても見逃してはならないのは明白だった。

 

(水遊びしてぇ~! 超したいぃいー!)

 

 あまりにも具体的で的を射た結論だった。

 仮に『青春学』の論文発表の機会があればデンジはコピー用紙に上記の一文を書き殴るだけで博士号をもらえたに違いない。ひょっとするとノーベル青春賞もゲットできた可能性もある。それほどまでに合理的で無駄を削ぎ落しきった完璧な結論だった。

 

 少女 × 水着 = 最強

 

 更にそんな公式を無意識下で弾きだしたデンジは、今回のレジャーにおける最優先事項を

『ナユタとレゼの水着姿を拝む』

 と定めた。

 そこから彼のプランが構築されていく。

 他の何を差し置いても排除しなければならないのは川遊びが中止される可能性だった。予想されうる懸念事項は以下の2つ。

 

①時間がないから、川遊びはやめにしよう。

②疲れたから、川遊びはやめにしよう。

 

 デンジは①の可能性を潰すために色々やった。

 まずスケジュール確認。ナユタとレゼには勿論、責任者である岸辺には夜中に3回も電話した。「お前いい加減にしろよ」と怒られたが気にしない。この際、老人の評価なんてどうでもいい。全ては水着のためだった。

 他には、何かに手間取ることがないように下調べもした。例えば、テント建て。情報サイトを巡回して方法を学んだ。期末試験よりも真剣に、メモ帳も活用した。手順・コツ・注意点……、1日で頭に叩きこんだ。

 そして、当日の朝こそ最も重要な時間帯。

 4時に起床した。

 勿論そんなに早く起きる必要は無い。眠れなかったというのが本音だが、万が一にも遅刻することのないように掃除・洗濯を済ませておく。朝食も用意した。犬たちの餌やりも抜かりはない。荷物は3度も中身を取り出して点検を繰り返した。

 

 

「うし……。完璧だ」

 

 デンジは空を薄水色に染めていく朝陽を眺めながら、清々しい空気を思い切り吸いこんだ。

 まだナユタさえ起きてこない時刻だったが、二度寝する気は微塵もない。

 このまま出発まで玄関口で仁王立ちし続ける覚悟があった。

 水着が見たい。

 そんなこの地球上で最も純粋な願いを叶えるために。

 

「他になんか忘れてることねえかな……?」

 

 デンジはもう1つの懸念事項を思いだす。

 

 ②疲れたから、川遊びはやめにしよう。

 

「ナユタが心配だな……」

 

 彼女はけしてヤワではないけれど流石にデンジたちと比べれば筋力量が劣る。彼女が疲れてしまうことがないように、今日は荷物持ちでも何でもやろうと決めた。もしも山道が険しかったらおんぶしよう。倒木や岩が道を塞いでいたらチェンソーでぶった斬ろう。苦労も疲労も厭わない。今日水着を見られないなら明日なんて要らない。デンジの胸は期待に膨らみきっていた。

 

 そして同行者である冤罪の悪魔が遅刻した。

 

「はあぁぁ~~~? ありえねぇんですけど! ありえねぇんですけどォ!? あいつ置いていこうぜ!」

「まあまあデンジ君、予定時刻までまだ5分あるでしょ。そもそもお迎えの車も来てないし」

「だあってよー! 10分前に集合って言ったのによー!」

 

 デンジは苛立ちを隠せない。落ち着きなく動物園のライオンのようにぐるぐると歩き回っている。

 対してナユタとレゼはのほほんと玄関口で座り込んでいた。彼女たちに焦りはない。つい先程、当の冤罪の悪魔から「ちょっと遅れるかもしれない」と連絡があったばかりだった。

 レゼは大きく伸びをして欠伸しながら隣に座る小さな悪魔の耳元に顔を近付けた。

 

「ねえねえ、ナユタちゃん」

「なに」

「デンジ君さ、どうしてこんなにハイになってんの?」

「キャンプが楽しみなんでしょ」

「ほんとー? にしては少しはしゃぎすぎじゃない?」

「さあ。私もよく分からない」

 

 デンジの頭には麦藁帽子が乗っていて、上半身はスポーツウェアの半袖で、まだ5月だというのに脛が見えるサーフパンツを穿いている。見ているだけで寒々しい。おまけに、足元はサンダルだった。ぺたぺた鳴らしながら延々と唸り続けている姿は危ない人にしか見えない。

 やれやれ、とレゼは溜め息代わりに小さな鼻息をつく。

 

「キミさー、そんな格好で山に入れると思ってるのかー?」

「おう!」

「おう、じゃないだろ~? 山を舐めたらヤバいと思いますけどねえ」

「そうかなあ……そうかあ?」

「海に行く格好してキャンプするなんて珍種だよ、珍種。というか、そもそもだね。今回のお出かけは殆どフェイクだって言ったでしょ?」

「んなこたぁー知らねー!」

「ええ~? だってさ、岸辺さんに説明されてたよね?」

 

 唇を尖らせながらレゼは問う。

 わざわざ思い出すまでもない。昨夜、岸辺から電話がかかってきて、デンジたち一行はこう告げられていた。

 

 ナユタ――支配の悪魔の存在が他の国にバレた。

 原因は分からない。前回の襲撃が察知されたのかもしれない。

 少なくともアメリカからの刺客は確認されている。 

 対処するために、デンジたちを囮にして返り討ちにする作戦が立てられた。

 それが今回の遠出の真の目的。

 デンジたちは人気の無い山奥でレジャーを楽しむフリをして敵を誘い出す。

 メンバーは、デンジ・ナユタ・レゼ・冤罪の悪魔。そして送迎役として公安からもう1名。

 岸辺を含む公安のデビルハンターは周辺に潜伏。敵が現れたら迎撃する。

 

 ――だから、デンジたちは遊んでいるフリはできても、本当の意味で余暇を楽しむことはできない。

 それでもデンジは不敵に笑った。そんなのは関係ない、と。

 

「刺客を全員ぶっ飛ばしゃあ、遊べるっつー事じゃねーか!」

 

 今のデンジは溢れんばかりの高揚感と戦意に満ちていた。ぶつける相手は刺客そのものではない。昨夜に現れたばかりの3つ目の懸念事項、即ち、以下の可能性に対してだった。

 

 ③刺客が来て危ないから、川遊びはやめにしよう。

 

 そんな結末を許せるはずがなかった。

 刺客は速攻でぶっ飛ばす。そしてそのまま川遊び。直帰は絶対に阻止する。

 それ以外の未来は存在してはならない。

 今のデンジは、最高にホットでクールなネジ外れのデビルハンターであり、モチベーションはMAXだった。例え地獄の底から超越者軍団がやってこようとも一歩も退かない覚悟ができている。

 

「レゼ! 頼りにしてんぜえ!? よろしくなあ!」

「……あのさー、デンジ君はさー」

 

 レゼは苦笑する。しょうがない奴、とぼやくように言葉を続けた。

 

「死んじゃっても知らないよ?」

「でぇじょうぶだ、俺ぁ不死身だ!」

「そういう問題じゃなくない?」

 

 細めた視線の先、地平線まで伸びているような長い長い直線道路から1台の車がやってきた。真っ白いロングバン。運転席には公安指定の黒スーツを着た男が乗っていて、助手席では遠目でもはっきりと分かる不機嫌面をしている女が腕を組んでいた。

 冤罪の悪魔だ。どうやら途中で拾われてきたらしい。

 ナユタは腕時計に目をやりながら立ち上がる。

 

「8時ぴったり。余裕がないのは感心しない」

「そんじゃ、山中サバイバルツアーに出かけますかね」

「川遊びだああー!!」

 

 

 

 

 

残 り 10 時 間

Осталось 10 часа.

 

 

 

 

 

 高速道路に乗り上げて、密集した住宅街を眺めながら西へ西へと爆走する。インターチェンジをいくつも通り過ぎ、冤罪の悪魔の「どうしてせっかくの週末に仕事しなきゃいけないの」という愚痴を聞き流しながら一般道へ降り立つと、全体的に背丈が低くなった建築物がぽつりぽつりと広がっていた。遠出感を噛み締めながらまばらな街並みを右へ左へと通り抜けていく。運転する公安の黒スーツとレゼが情報交換していると、車中のスピーカーが平坦な口調で天気予報を喋りだす。

 

『本日は大雨となる可能性が高いでしょう』

 

 デンジは硬直した。

 すぐに必死の形相でまだ晴れている山の上の空へと祈りを捧げるが、ナユタは非情にも「川沿いに行くのは危なそうだから避けよう」と死の宣告を放った。デンジは抗議した。しかし口で勝てるはずもない。15秒で完封されてぐぬぬと呻くだけの男児になった。

 ロングバンは止まらない。分岐のない道を延々と進んでいく。

 太く強靭に育った木々を抜け、視界が大きく開けた先にそのド田舎は在った。

 秘境・奥多摩町。

 田舎といっても種類がある。

 畑や田んぼがあるうちはまだましで、ひどい場所になると傾斜のせいで整地自体が難しい。土地自体が不便なせいで発展のしようがないのだ。こういった僻地には外部へと繋がる道路は大抵一本しかないもので、台風の1つでも襲来すれば即座に陸の孤島と化してしまう。呪われたような不便さは映画館などの娯楽施設の建設も許さない。住人たちの週末といえば遠方のショッピングモールにお出かけと決まっていて、オシャレでベンリでハヤッてる大型商業施設で過ごす一日に胸をときめかせるのが常ではあるけれど、悲しいかな、そんな彼ら・彼女らを出迎えるのはイケてるシティボーイ&ガールではなく見知った芋顔ばかりでしかない。これも田舎育ちの宿命だ。地元の呪縛からはけして逃れることはできない。

 そんな閉塞感に若者たちは絶望し、揃ってこう誓うようになる。おら大きくなったら23区さ住むだ、と。

 それが奥多摩。山間を流れる一本の小川に寄り添う田舎町。

 デンジたちはいよいよたどり着いた。

 

 

 

 まずは買い出しだった。

 ここから先は個人経営の雑貨店しかない。その手前、最後のスーパーマーケットの駐車場にロングバンは停車した。

 デンジは買い物カゴを装備して予定通りの荷物持ち。ナユタとレゼは食料品をカゴに放り込んでいく選定係。

 まばらな店内を3人で巡っていく。

 

「ほんとならバーベキュー用にお肉を買い込むところだけどね。どうしよっか?」

「小さなコンロなら使える。肉でもいいけど、冷凍食品も解凍できるらしい。レトルトも手間がなくていい」

「レトルトかよぉ」

 

 デンジはぼそりと呟くが、レゼは華麗にスルー。人差し指を顎に当て、

 

「んー、そもそも悠長に焼いていられるかも分からないし、携帯食も必須かな。日本のって美味しいんでしょ?」

「海外のは知らない。こっちの定番は……あの黄色い箱のやつかな」

 

 指差す先を見て、デンジは湿気たっぷりの溜め息を漏らした。

 

「カロリー……嘘だろ……?」

「なに、デンジ。さっきから」

「だぁってよ、バーベキューなのに肉が食えないっておかしくね?」

「そのバーベキューができないかもしれないんだってば」

「なんでぇぇ」

「敵が来るから」

「来るまでやってればいいじゃん。んで追い払ってから、また食えばよくね?」

「キミは遊んで食えりゃいいのか?」

「ああ」

「はあ。相変わらずだねー」

 

 レゼは肩を竦める。

 腕を伸ばしてゼリー飲料を選んでいく。

 

「そういえば、あの女の人……冤罪の悪魔だっけ? 信用できるの?」

「できる」

 

 即答したのはナユタだった。

 

「彼女の弱みは握っている」

「弱み、ね。信念で戦ってくれるんじゃないの?」

「悪魔だから」

「まーそこは仕方ないか。で、腕はどうなの?」

「まあまあかな。私以上、デンジ以下」

「それじゃよく分かりませんなー。……って、なんでこんなこと聞くかっていうとね、私、護衛は苦手だから。あんまりアテにされても困るんだ」

「そうなの?」

「攻める側なら経験あるけど。守る側は、ちょっとね」

 

 そう言いながら、通路の向こう側からやってきた子どもたちとすれ違うために道を開けた。彼女は「どうぞー」と気の抜けた声色をしていたが、目は鷹のように鋭かった。相手が平凡な男子小学生であろうと油断していない。

 護衛が苦手なようにも見えない、とナユタは思う。

 

「習ってないの」

 

 考えを読んだように、レゼは呟く。

 

「知らないことは落ち着かない」

「……」

 

 まただ、とナユタは思った。ほんの毛先ほどの違和感。

 ナユタは目を僅かに細めてレゼを見る。

 元ソ連のエージェント。

 ボムガール。

 そして今では、デンジとナユタの手綱役。

 本人はデンジに好意があると言っていて、嘘ではないとナユタの悪魔としての直感も言っている。

 しかしどうにもつかず離れずな様子が目についた。

 時にナユタが目を剥くような距離の詰め方をしたと思ったら、そっけない態度の時もある。まるで丁度良いバランスを調整しているかのよう。

 ナユタにはよく分からない。

 それが人間のオトナに求められる模範的な振る舞いというやつなのだろうか?

 それとも、卓越したエージェントとして管理対象と適切な距離感を模索しているだけなのか?

 違和感を感じるようなレゼの振る舞いは、彼女が独りでいるときにも散見された。

 偶に小動物を介して様子を伺っていたのだが、レゼは自室に居るときでさえ気を抜く様子がなくアンドロイドのようにテキパキと行動していた。けしてだらしなく姿勢を崩したりしない。まるでいつテロリストに襲撃されても即座に対応できるようにしているような――あるいは、誰かに監視されるのを前提としているような隙の無さ。しかし、ふとした瞬間に電池が切れたがごとく集中力に欠ける様子も見せる。その不自然さは揺らめく蜃気楼ほどに確かめようのないもので、一呼吸もすれば消えてしまう。

 

「う~ん、どっちがいいかな……」

 

 そのレゼは、今はスーパーの商品棚の前で腕を組んでいる。

 背中をじっとナユタは見つめて考える。

 レゼの中で何かが変わりつつある。

 戦士としてのレゼ。

 殺戮兵器としてのレゼ。

 それらとは別の、まったく新しい自意識が芽吹いている。

 過去へのトラウマ、という言葉がナユタの脳裏に浮かんだが、それは違うとすぐに否定した。レゼはこれまで特に忌避する様子を見せていない。それどころか、必要があるならまったく平然といった様子で語ってみせたりする。

 レゼにとっての過去。

 あるいは未来。

 彼女の視野は、そのどちらにも向けられていないように思われた。

 

「……」

 

 1つの仮説が浮かびあがる。

 レゼは、かつての自分に似ているのかもしれない。

 まだ夢をもっていなかった頃の自分。

 生きるための必須項目をこなしているだけだった頃の自分。

 ただ生き延びるためだけに特化して、ゆとりをほとんど持てていない。

 レゼは戦士として育てられたと言っていた。

 だから彼女は普通の人間としての生き方が分からないのではないだろうか?

 

「……どうかな」

 

 間違いではない、とナユタは思う。

 しかし、他にも何かある、と悪魔の直感が言っていた。

 それが何なのかは見当もつかない。

 先日のレゼの記憶が蘇る。突き放すような声色が。

 

――悪魔には分かんないよ

 

 なんだかすごく気に入らない。

 人間と悪魔、その間を大きく隔てている谷の深さを見せつけられているようで。

 レゼは、味方になると言ったくせ隠し事をしている。信用させろとまでは言わないが、せめて不信感は抱かせないでほしい。

 近づきたいのか、遠ざかりたいのか。

 何がしたいかくらい見せてほしい。

 

――人間は、中身を見せたくないからね

 

 ふん、と鼻を鳴らした。

 いいだろう。

 だったら見つけてやろうではないか。レゼが隠している本心を。

 

「――ナユタちゃんは自衛はできるのかな?」

 

 気がつけば、レゼがこちらを見つめていた。

 

「……ん。なに?」

「自衛、どれぐらいできるのかなって。プロレスラーぐらいの力はあるんだっけ?」

「実はまた少し強くなった」

「そうなの?」

「私の存在が広く認知されているんだろうね。また恐怖が少し広まった」

「ほー」

 

 レゼはスーパーのカゴにコーヒーパックを放り込む。

 

「じゃあ一般人には勝てるぐらいかな。悪魔やデビルハンターとやり合うのは止めた方がいいか。何かあったら助けを呼んで自衛に徹すること」

「分かってる」

 

 そういえばと傍らの買い物カゴを見た。ぎっしりと商品が詰まっている。デンジはそれを両手に1つずつ持っていて、いかにも重そうだ。

 片方持ってあげようか、と提案した。

 ノータイムで断られた。

 

「俺ぁ、平気だ」

「私、変身してないデンジよりは力あると思うけど」

「だーいじょ~ぶ!」

 

 デンジは頑なだった。ナユタとレゼが何を言っても譲ろうとしない。いいから女子2人は楽をしていてくれ、とレディへの気遣いを見せていた。

 思わず首を傾げてしまう。

 普段はデリカシーの欠片もないのに。一体何が彼を変えたのだろう。

 ……もしや、レゼと同じ屋根の下で暮らすようになった影響か?

 ナユタは1ミリだけ唇を尖らせた。

 ものすごく気に入らない。自分と2人暮らしのときは下着一枚でうろつく男だったのに。

 

「そろそろレジ行くかぁ?」

「……うん」

 

 まさか今日の謎のハリキリぶりもレゼと一緒に遊べるからではないか。

 分からない。

 デンジも分からないし、レゼも分からない。

 悶々としながらナユタはレジへと向かった。

 

 

 

 

 時刻はそろそろ午前の11時半。

 貴重な週末ではあったが公安職員たちの気は休まらない。

 囮役であるデンジたち一行を遠巻きに囲み、いつ現れるか分からない敵に備えて待機している。ある者は土建屋の格好で、またある者はハイキングに訪れた登山客の変装をして。戦闘要員もいれば監視要員もいる。不審な存在は野良犬だって見逃すつもりはない。襟元に忍ばせた無線マイクを介しながら細かな情報を逐一共有している。たった今も、スーパーの店内でデンジたちとすれ違った3人の小学生たちの行方を監視役の一人が目線で追っていた。

 まさかあんな年頃の子どもたちが刺客であるはずはないと誰もが思っている。けれど一方で、悪魔の力を使えば偵察や鉄砲玉に仕立て上げられるとも知っていた。油断はできない。どんな相手でも警戒し、無線で報告する必要があった。

 ふと、小さく疑問の声があがった。

 

「なあ、ちょっと引っかかるんだが」

『どうしました?』

「いや、今スーパーから出て行った3人組の子どもだが、少し前に似たような報告を聞いた覚えがあるんだよな……」

『そうでしたっけ』

「ほら、確か1~2時間ぐらい前にチャリですれ違った奴ら。街の方に向かってた3人組だよ」

『人数が一致してるだけじゃないですか』

「服装も同じだった気がするんだよ……。なあおい、誰か記録とってるだろ、教えてくれ」

 

 僅かな沈黙。

 別の男から応じる声が挙がった。

 返ってきた答えは――

 

『確かに服装が一致する3人組をチェックした記録がある』

 

 ――だった。

 男は唸る。

 

『……同じ子どもたちなんじゃないですか? 1時間もあったら戻ってこれるでしょ?』

「そうかなぁ。遊びに出たばっかなのに帰ってきたりするかなぁ」

『忘れ物でもしたんでしょ。財布とか』

「う~ん……。なあ誰か、さっき店内ですれ違ったガキたちがその後どこに行ったか分かる奴いるか?」

 

 沈黙。

 男の知りたい情報を持っている者はいなかった。

 

『そんなの分かる人なんていませんよ。すれ違っただけでいちいち追いかけてたら人手が足りなくなります』

「それもそうか」

『考えすぎですって。そもそもその子たち、本当にすれ違っただけで早川家のメンバーには触りもしてないじゃないですか』

「う~ん。まあ、そっかぁ……?」

『ほら、支配ちゃんたちが車に乗り込みますよ。俺らも移動しますから準備して下さい』

「オーケイ、分かったよ」

 

 

 

 

 同時刻。

 スーパーの前を通る道路から小さな根っこを生やすように細い路地が伸びている。風化しかかった石の塀の間をぐねぐねと伝って進んでいくといきなり崖に突き当たり、その一辺によくよく目を凝らしてみると雑草に隠れるように小さな木の足場が段になっているのが分かる。足を滑らさないように慎重に降りていき、川のせせらぎを聞きながら巨大な岩々を乗りこえると、地元民しか知らない小さな空間がひっそりと広がっている。鬱蒼とした木々に視線を遮られ、遙か頭上の車道からはけして覗くことはできない。川辺の秘密基地。おあつらえ向きに一軒のボロ小屋まで建てられていた。

 中を見てみよう。

 3人の小学生男子たちが向かい合って立っていた。

 ただし、小学生だったのは今この瞬間までの話。

 薄暗い小屋の中で見つめ合う3人は前触れなく形を変えていく。輪郭がうねり、身体が膨れあがって体積を増していき、あっという間に大人になった。

 痩せている男。小太りの男。小柄の男。

 3人の中年男たち。

 アメリカから来た刺客たち。

 

「あ~あ。ガキに変身しても面白くねえ」

 

 デブの次男はわざとらしく肩を竦めた。

 応えたのは、痩せの長男だ。

 

「どうせなら女がいいってか? お前はいつもそれだな」

「当たり前だろ? くせえ男や足の短いガキになって何が楽しいんだよ? どうせ変身するなら女、それも若くてイイ女がいい」

「はン。そりゃ……こんな女のことか?」

 

 長男が、顔に手をあてる。

 すると、

 またしても身体が波打って形が変わっていく。角ばった関節の節々が丸みを帯びて、服装さえも別種の物になってしまう。アウトドア向きのラフな格好をした少女――レゼの姿へと変化した。

 

「どうだ?」

「おー、なってるなってる」

 

 アメリカからやってきた3人のデビルハンター。彼らは姿を模倣する悪魔と契約していた。その能力を発動するための条件は、かの皮の悪魔よりもずっと簡単だった。ターゲットに接近して視界に収めるだけでよい。それだけで身なりをコピーすることができる。

 ただしリスクは並の悪魔よりずっと大きい。寿命を獲られるだけでなく、姿を変える度に自我を侵食されて自分自身が誰だか分からなくなってしまう。

 だから変身するときは“自分は元々誰だったのか?”を思いださせてくれる身内と共に居る必要があった。

 レゼに変身した長男、彼は――あるいは彼女は――傍らに立つ次男へと顎を向けた。

 

「で、お前の方は? ちゃんと姿をパクれたんだろうな?」

「当たり前よ」

 

 次男も顔に手をあてる。

 そして契約している悪魔の名を呼んだ。

 

「パクリ炎上の悪魔よ」

 

 次男の全身の肉が蠢いた。

 中年男の太い腹はあっという間に引っ込んで小さな子どもの姿へ凝縮されていく。細身の身体。すぐに1人の少女の姿へと形を変えた。先ほどスーパーの通路ですれ違ったばかりの小さな悪魔、ナユタの姿に。

 

「どうよ?」

「ヒュウ! いいね、お前の好きな“女”じゃねえか」

「冗談。こんなガキに興味はねえよ」

 

 偽レゼと偽ナユタはひとしきり笑うと、示し合わせたように同時に振り向いた。

 

「で、」

「お前はどうだ?」

 

 その先に居たのは三男……ではなかった。

 麦藁帽子に半袖半パン、そしてサンダル。

 アメリカ組のターゲットであるデンジの姿をした男。

 

「よぉし、これで3人分揃ったな」

「後は連中の誰かが1人になったところを見計らって接触していけばいい。人気のない場所に連れ出して、BANG! ……簡単な仕事さ」

「……」

 

 しかし偽デンジ、返事をしない。

 悪い夢でも見ているような胡乱な目つきで2人の兄たちを見つめている。

 

「おい、どうした?」

「み」

「あ?」

「みずぎーみずぎーみっずぎー、みずぎーをみれーるとー、えっちなえっちなえちなーー、きぶんー、なるー」

 

 壊れたレコードのように繰り返す。

 

「おいおいおい!」

 

 表情は虚ろ。口元だけが自動的に動き続けている。とても正気には見えない。

 とうとうイカれたか、と次男は唇を噛み締めた。

 

「しっかりしろ!」

 

 長男の腕が振り上げられて、バチィン! と壊れた三男の頬を打ち据えた。

 たたらを踏んだ三男の胸ぐらを掴んで引き寄せる。

 

「お前は誰だ!? 名前を言ってみろ!」

「おれはァ、はや、はやかわ、でんじィ」

「違うだろ! お前の名前は!?」

「ぼ、ぼ、ぼくは、夜の、剣士……」

「違う! お前の名前は――」

 

 目を合わせて三男のプロフィールを言い聞かせる。何度も何度も。出身地、両親との思い出、最近こなした仕事について――

 けして短くない時間を費やすことで三男の自意識はどうにか復帰した。しかし明瞭といえるほどでもない。三男は自分というものが膨らみすぎて境界線を定めることができていない。

 次男は舌をうつ。状況は切迫していた。もはや次はないだろう。

 今回の仕事で終わりにしなければならない。必ず達成し、弟だけは足を洗わせる。

 

 

 

 

 同時刻。

 奥多摩に入るための幹線道路を10kmほど遡ると、同地区で唯一の鉄道が止まる駅の1つがある。まだそれなりに栄えている田舎駅。車の往来もそこそこで、ロータリーから離れても飲食チェーン店がぽつぽつと連なっている。焼肉屋、和食レストラン、ラーメン屋……。

 そして悪い意味で有名なハンバーガーショップもある。

 一体何が悪いのか? それは中に入ってみるとすぐに分かる。出来の悪い演劇が出迎えてくれるから。

 

 

「家族で食べようファミリーバーガー!」

「パパママ大好きファミリーバーガー!」

「トマト!」

「レタス!」

「チーズ!」

「パン!」

「主役はハンバー……」

「グー!!」

 

 

 客は誰一人として見ていない。

 演出された家族観はかえって目に毒だ。白々しくて痛々しい。

 それは店の隅に座っている姉妹にとっても同じだった。

 

「ばっかじゃねーの」

 

 と姉の方が軽蔑しながら吐き捨てた。

 その声はけして小さくなかったが、誰も眉を顰めようとしなかった。中国語だったから、何を言っているのか周りの客には分からない。

 

「お、お姉ちゃん、声大きい……」

 

 そのテーブル席には、2人の少女が座っていた。

 彼女たちの年齢は中学生といったところ。2人とも衣服は古く色褪せて、裾も伸びきっていたが、汚いというほどもでない。だがどうしても目立つ。

 少女の片方、悪態をついていた姉の方は、ざっくばらんに髪を肩口で切り落とした出来損ないのボブヘアー。肘をつきながらカラフルに彩られた店内を恨めしそうに睨みつけている。

 そしてもう1人の妹の方。髪型は腰まで伸びたロングヘアー。ぼさぼさで手入れされていないせいで清潔な印象は抱けない。彼女自身もその場違いさを自覚しているのか身を隠すように縮こまってしまっている。

 そこに、別の少女が現れた。

 こちらは姉妹たちよりも更に幼く、小学生高学年ほどの年齢。

 金髪で、碧眼。

 明らかな外国人。ハンバーガーを山のように乗せたトレーを持ち、姉妹達のテーブルの前で小首を傾げている。

 

「そこ、座ってもいいですか?」

「勝手にしな」

「ど、どうぞ……」

 

 小さな少女は、2人の中国人の向かいに座る。

 と、姉の方が肘をついたまま問いかけた。

 

「なあアンタ、こんなとこまで連れてきて何の話だ? そろそろ名前ぐらい教えてくれよ」

「サンタクロース」

「ああ? ふざけてんのか?」

「本名ではありません。コードネームのようなものと思ってもらって構いません」

「はン、サンタね……。生憎これまで世話になったことはねーな」

「もしかして都市伝説を信じているのですか?」

「馬鹿にすんな。んな都合の良い奴がいねえってことぐらい知ってるよ。身に染みるほどな」

「そうですか」

 

 サンタと名乗った少女はトレーをテーブルの中央にずいと寄せた。

 

「奢りです。遠慮なく食べてください」

 

 言いながら、1つのハンバーガーを手に取った。

 

「ハンバーガー、初めて食べます」

 

 包みを剥いて小さな口でパティにかぶりつく。

 リスのように頬を膨らませながら幸せそうな笑みを浮かべた。

 

「あなた達もどうぞ。思わず躍りだしたくなる美味しさですよ」

「……じゃあもらう」

「いただきます」

 

 中国人姉妹はおずおずと手を伸ばす。包装を剥がしてもしばらく躊躇っていたが、意を決して口をつけると大きく目を見開いた。すぐに勢いよく食べ始める。2個目、3個目……。トレーの山は減っていき、すぐに姉妹たちの腹へと収まった。

 

「あぁ、ほんと旨えな」

「出来立てって美味しいんだね」

「……1個余ったな。お前、食えよ」

「半分こしよ」

「アタシは要らねえ」

「いいから。……ほら」

「ちっ、しょうがねえなぁ」

 

 そんな姉妹をサンタクロースと名乗った少女は無言で見つめていた。

 

「んだよ?」

「いえ、別に。――そろそろ本題に移ってもいいですか?」

「ああ、いいぜ。こっちも聞きたかったんだ。なあ、手を組みたいってどういうこった?」

「言葉通りの意味です」

 

 金髪の毛先を揺らして首を傾ける。

 

「あなた達、素人でしょう?」

 

 姉妹はすぐには答えなかった。

 が、沈黙の無意味さを悟ったのだろう。姉は鼻を鳴らして降参の意を示す。

 

「そうだよ。アタシらはデビルハンターじゃねえ。ただ悪魔と契約しただけの一般人さ。それがどーしたよ?」

「よくここまで来れたものですね」

「ああ?」

「密入国で、悪魔持ち、日本語も分からない。それでよくここまで誰にも捕まらずにやってこれたものだと言ったんです」

「だからよ、そりゃ未来の悪魔からどうしたらいいかを聞いてきたからだ、っつっただろ?」

「ええ、きっとそうなんでしょうね。そしてもう1つ付け加えると、そうやって簡単に契約している悪魔を喋ってしまう無警戒さもまた危うい」

「はぁ? あのよ、アンタはさっきから何が言いてえんだ?」

「ここから先は進めない、と教えているのです」

 

 姉は眉を顰める。ゆっくりと背もたれに寄りかかり、目を細めて金髪の少女を正面から睨みつけた。

 しかしサンタクロースは毛先も揺るがない。柔らかな笑みさえ浮かべていた。

 

「あなた達は正解の道を知っていても辿ることはできないでしょう」

「なんでだよ」

「あなた達に戦闘の経験はありますか?」

「……」

 

 苦々しげな顔つきで押し黙るしかない。

 

「相手は悪魔と公安です。喉元まで近づけたとしても素人が殺せるほど甘くありません。それが例え、背中から襲いかかるような奇襲の形だったとしてもです」

「……ふん、確かにそうかもな。だったら何だってんだ?」

 

 鼻を鳴らして腕を組む。

 

「余計なお世話だ。アタシはヤるぜ? 例え成功率が1%だったとしてもな」

「その可能性を広げてあげましょう」

 

 金髪の少女が腕を持ち上げる。

 ことり、と何かをテーブルに置いた。

 

「……なンだ、それ?」

 

 姉妹揃って、訝しげに覗き込む。

 それは小さな釘だった。

 

「呪いの悪魔」

 

 サンタクロースは滔々と述べていく。

 

「これを4回刺せばどんな相手も必ず死にます」

「あんだと」

「貸しましょう」

 

 す、と姉の前に持ってくる。音も無く置かれた釘は、どう見てもただの鉄の棒にしか見えない。

 しかし、紛うことなく悪魔の力を秘めている、と金髪の少女は言う。

 

「試しに野良猫でも捕まえて使ってみれば分かります。もっとも、使った分だけ寿命が減りますが」

 

 ごくり、と妹の方が唾を飲みこんだ。

 サンタクロースと、復讐を誓う姉妹。

 2組の視線が交差する。無言で互いの腹を探り合う。

 店内に電子音が鳴り響いた。

 

「家族で食べようファミリーバーガー!」

 

 奇妙な掛け声がテーブルの間を通りすぎた。

 無料で配られる不自然な善意。

 建前で彩られた世界。

 この2組には無縁のものだった。

 

「……なんでだよ? どうして力を貸すんだ?」

「あなた達には攻撃手段がありません。復讐の悪魔を使った反撃だけで相手を殺せますか? タネが割れてしまえば捕縛されておしまいです」

「そういうハナシじゃねえ。どうしてアタシらを助けんだっつってんだ。見返りなんてなんもねえぞ」

 

 ボブヘアーを揺らして腕を組む。注意深く目を光らせて子どもの姿をした詐欺師の甘言を見透かそうとしていた。

 

「そうやって親切ヅラして寄ってくる奴ぁな、決まっていいように利用してやろうって考えてるゲス野郎なんだよ」

「ええ、その通りです」

 

 サンタクロースは否定しなかった。

 

「私は、あなた達を利用しようとしています」

 

 悪びれていない。

 あまりにも率直な回答に姉妹は図らずも黙り込んでしまう。

 

「プロですから。目的のために利用できるものは何でも利用するつもりです。それが今回はあなた達。放っておいて自滅させるよりは手を貸して戦力とした方が有用です。違いますか?」

「てめえ……」

「考えてみて下さい。私たちの目的は一致しているはずです。支配の悪魔を抹殺する――そうでしょう?」

「……」

「私には支配の悪魔に対する私怨はありません。倒すのはあなた達でも構わない」

「ふん」

 

 姉は鋭い目つきで色白の少女を睨みつけていたが、やがてゆっくりと腕を解いた。テーブルへと手を伸ばす。

 呪いの釘を握り込んだ。

 

「気に要らねえ。でも、乗ってやる」

「お姉ちゃん!」

「うるせえ。こいつの言うことは間違ってない。むかつくけどな」

「でも、でも、使ったらまた寿命が減るって……」

「だから何だ? 腐ったまま長生きしてどうする? 短くなってもアタシは胸を張って生きたいね」

「そんな……」

 

 縋る妹に、突っぱねる姉。中国からやってきた無知な復讐者たち。

 サンタクロースはただじっと無機質な瞳で見つめていた。

 姉は復讐に目が曇り、妹は怖気づいている。2人の意志は別たれてしまっている。

 けれども1つだけ共通する想いがあった。

 それは――

 

「あ? なんだよアンタ、さっきから何をじっと見てるンだよ?」

「いいえ、別に……。ただ、あなた達は互いに“敬愛”の念を抱いているのだな、と思いまして」

「けーあい? なんだそりゃ」

「……?」

「大したことではありませんよ。私は、そう、支配の悪魔を抹殺するためにあなた達と力を合わせたいと考えているだけです」

「ああ、うん……? 好きにしろよ」

「うう……」

「ではこれからはよろしくお願いしますね」

 

 サンタクロースはうっすらと笑った。

 

 

 

 

 同時刻。

 中国とドイツからやってきた2組の刺客たちが密約を交わしていたハンバーガーショップから更に2kmほど都心へと遡る。

 建物の密度はあまり変わらない、田舎でもなければ都会でもない、そんな微妙な大通りから少しだけ外れた街中に1軒の回転寿司屋があった。

 冷凍輸入がメインのチェーン店ではない。天然物を扱っていて鮮度も管理されている。競争の激しい飲食業界の中にあって一定の人気を保っていられるのは老舗から流れてきた職人たちの腕によるところも大きいだろう。

 そのボックス席で、ソ連からやってきた2人の魔人が食事をとっていた。

 ニット帽を目深に被っているため額に生えた鱗は隠されている。更に流暢な日本語の発音と、ポリーナの浮かべる愛想笑いが、入国してからこれまでずっと誰にも不信感を抱かせなかった。

 日本は平和の国だった。

 なにせ偽警官という犯罪カテゴリがほぼ存在しない。誰もが制服を着ただけで相手の身上を無条件で信用してしまう警戒心の無さ。おかげで2人の暗殺者も、簡素なカムフラージュをしただけで現地の飲食店で暢気に寿司を食べていることができた。

 

「ん~~、美味しっ!」

 

 もっとも、観光気分なのはポリーナだけだったが。

 器用に箸を使ってマグロを口へと放り込み、一口毎に幸せそうにえくぼを凹ませる、そんな相棒とは対照的に、アナスタシアは黙々と義務のように寿司を口に詰め込んでいた。石でも食べているような仏頂面。皿を取っては食べ、皿を取っては食べの繰り返し。15皿ほど積み上げて、ようやく箸を置き、ふと席に備え付けられた黒いボタンに目をやった。

 

「なあ、これはなんだ?」

「んん? あーそれね、」

 

 ポリーナは、ずずずとアラ汁を啜ってから続ける。

 

「お湯が出るんだって」

「何に使うんだ?」

「なんでも手を洗うためらしいよ」

「ほお。こうか?」

 

 手を伸ばし、親指で押下した。

 すると当然、熱湯が滝のような勢いで噴きだした。手の甲に浴びせられ、だがそれでも長身の少女は眉一つ動かさない。周囲に跳ねていく飛沫を不思議そうに見つめている。

 初老の店員が驚愕の声をあげた。

 

「お、お客さんっ!? 大丈夫ですか!?」

「なんだ?」

「火傷しますよ! それお茶用の熱湯ですから!」

「む。そうなのか」

 

 アナスタシアはようやくスイッチから指を離す。濡れた手の甲をまじまじと見つめると、全面から湯気が立っていた。

 

「問題ない。熱には強いんだ」

「そ、そうですか? でも冷やした方が……」

「なんともない」

 

 店員はしきりに心配していたが、アナスタシアは壁のように突っぱねるだけだった。

 どうにか追い返してから、ぼそりと呟く。

 

「……ポーリャ、騙したな」

「うん! だってナスチャ、つまんなさそうなんだもん」

 

 口元を隠してくすくすと含み笑い。

 

「これのどこが面白い?」

「ナスチャが店員さんにどう対応するのかな~って思って。えへへ、やっちゃった」

「お前はそれで面白いかもしれないが、私は面白くない」

「でも熱くはなかったでしょ?」

「ああ」

「だったらいいじゃない。ちょっとしたサプライズよ」

「何がいいんだか……。今は任務中だぞ。目立つようなことをするんじゃない」

 

 しかしポリーナは肩を竦めて呆れてみせるだけだった。

 

「またそれ。もう任務なんてどうでもよくない? 私たちはもう辞めたみたいなものでしょ」

「辞めてない」

「ええ~? だってドーシのおじさんたちをやっつけちゃったじゃん」

「あいつらは同志ではなかった。問題ない」

「まー別にいいけどね? おかげで日本に来れて、お寿司も食べられたし」

 

 アナスタシアは憮然とする。

 

「いいか、任務は任務だ。ちゃんとやれ。他の誰かのためじゃない。自分のためだ」

「よく分かりませーん」

「……何かを残したいとは思わないか?」

 

 アナスタシアは声量を落とす。

 海老、サーモン、軍艦巻き……、2人の前を通りすぎていく皿を眺めながら、湯飲みの淵に指を這わせる。

 

「私たちはそろそろ死ぬ。死ねば、無だ。何も残らない。だからこそ何かを残したい。私はそう思う」

「へぇー。労働者の悪い奴みたいなこと言うんだね」

「私も少し驚いている。どうやら死期が近付くと焦りのような感情が湧くらしい。どうやって死ぬべきか、悔いのない終わり方、果たすべき責務……そんなことばかり考える」

「それがどうして任務になるの?」

「他に思いつかない」

 

 湯呑に茶の粉末を振り入れて、お湯を注いだ。

 

「私たちの人生にあったのは、訓練と実戦だ。だったら残せるのは結果だろう。より完璧に任務を遂行したという矜持を勲章にするんだ。アナスタシアとポリーナは立派に使命を果たした……他に何かあるか?」

「……ええ~、なにそれ?」

 

 ポリーナはしばらく憮然としていたが、ふと思い立ったように高い声を上げた。

 

「ナスチャ! 日本の寿司職人の知識を披露してもいい?」

「ん……、ああ」

「“飯炊き3年、握り8年”って言ってね? この国の寿司職人は、ただ寿司を握るためになんと10年以上も修行するらしいよ? どうしてだか分かる?」

「さあ。コレを作るのにそんな大層な技術が要るとも思えないが」

「あのね、日本にお寿司屋さんは3万店舗以上もあるんだって。だからこれ以上寿司職人が増えすぎないようにわざと教えないようにしてるらしいよ」

「なんだそれ」

「でも時代の流れってやつで、ロボットを使ったり、大量に仕入れたりして、安価で技術の要らない回転寿司の勢いが増してるんだって。つまりね、今の寿司職人は、ものすご~く苦労して一人前になったのに居場所を追われつつあるって話だね!」

「……」

 

 今度はアナスタシアが憮然とする番だった。

 つい、と店内へ目を向ける。先ほどアナスタシアが熱湯を浴びたときに声をかけてきた店員が暇そうに欠伸を噛み殺していた。

 

「そんな事知りたくなかった。知りたくなかったな……」

「えへへ! 今の私たちとおんなじだね!」

 

 アナスタシアはお茶を一口啜り、脇に置いていたバッグを漁った。スキットルを取りだして、ポリーナに押しつける。

 ポリーナの魔人として敏感な鼻がひくついた。

 本来ならば酒を入れておくための水筒から、戦場でしか嗅ぐことのできない特殊な匂いが漂っている。

 

「血が入ってる?」

「ああ」

「人間の血?」

「調達しておいた」

「治療用ってわけ? ナスチャは真面目だなあ」

「それだけが取り柄だ」

「ほんとにね。もっと他にも目を向けたほうが楽しいよ?」

「そんな機会はなかった」

「これからやればいいじゃない」

「時間がない」

「まあそうだけどさ……おおっ!?」

 

 ポリーナはコンベアを見て目を大きく見開いた。プリンだ。ウキウキ顔で手を伸ばす。

 アナスタシアはというと、仏頂面でもう1つのスキットルを取りだしていた。自分用にと胸の内ポケットに忍ばせながら、ふと壁に貼られた情報ボードに目を留める。本日のオススメとともにこんな一文が書かれている。

 

『 ウニ 本日品切れ! 明日以降の御来店をお待ちしています 』

 

「……どんな味だったんだろうな」

 

 赤毛の少女は呟く。彼女の腕に嵌められた時計の針は真上を指していた。

 

 

 

 

 

残 り 6 時 間

Осталось 6 часа.

 

 

 

 

 

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