犬が7匹、猫1匹。
そして悪魔と武器人間が、合わせて3人。
これだけの生き物が1つの部屋に詰め込まれればさすがに狭い。
触れ合うような距離であくびをする犬たちを眺めながら、レゼは興味深そうに頷いた。
「な~るほどね~」
「なに」
「いや~、普通の部屋だなって。悪魔が住んでるっていうから、血文字で魔法陣でも描いてあると思ってた」
「見たいなら塗料をちょうだい。あなたの腕から。新鮮なやつを」
ワンルームで約10畳、ポスターもインテリアもない殺風景な部屋だが、生活に必要な家具は一通り揃っている。生活感しか感じられないのは趣味に使う金が無いからだろう。大型犬を7匹も飼っていればそうなるのも仕方ない。
レゼは「おじゃましまーす」と玉暖簾をくぐって部屋の真ん中に置かれたローテーブルの前に座った。
続いてナユタが正座して、デンジも遅れてその隣にあぐらをかく。
「んで、話ってなんでしょう?」
ナユタは、ぴんと背筋を伸ばして座っている。セーラー服の爽やかな印象も相まって、ちょっと表情の硬いお嬢様といわれても通じるくらいの清楚さは持ち合わせている。
「あなたのことはデンジや岸辺から聞いている」
ガラスの瞳をぴたりとレゼに見据えて、彼女の来歴を述べていく。
レゼはソ連からやってきたエージェント。
かつてはデンジの持つチェンソーの心臓を狙っていた。
しかし作戦は失敗に終わり、マキマに捕まって操られ、再びチェンソーマンに敗北して死体と成り果てた。
そして公安に回収されてそのままになっていた――はずだった。
「おー。よく知ってるねー」
ナユタは僅かに身を乗り出して、軽く手の平でテーブルを叩いた。ささやかな音だった。それでも機微に聡い犬たちは怯えたように身を伏せる。
ナユタの見てくれはマネキン人形のよう。
けれど胸中では穏やかでないものが漂っているのをこの部屋の全員が知っていた。
「公安が意味もなく復活させるはずがない」
不機嫌丸出しの声のトーンに、しかしレゼはあっけらかんと白状した。
「正解でーす」
傍らの大型犬にそおっと手の甲を差し伸べて、自身の匂いを嗅がせている。
「岸辺さんと取引いたしまして。私は公安で働くことになりました。いわゆる転職ってやつですな」
モダンテイストのローテーブルに肘を乗せ、頬杖をつく。上半身を斜めに預けると前髪がはらりと落ちていく。
「ちなみにそのお仕事の内容は……キミたちの監視です」
「……ほらね、やっぱり。裏があった」
「ええええ~!?」
デンジは大げさに言い募る。
「俺に会いに来たんじゃないの~~!?」
「あはは、それは本当。デンジ君に会いたかったからこの仕事を選んだの。好きなのは変わってないよ」
「えっ、マジ……?」
呆然と顔を弛ませるデンジの額には「チョーうれしい!」と書いてあった。
ナユタは汚物を見る目つきで睨みつける。
「デンジはちょろすぎ」
「うっ、いやだってよぅ」
ナユタは一瞬、睫毛を伏せ、無表情のまま拳を握りしめる。
「大体、学校でカノジョとか言っちゃって……」
「おやおやぁ~?」
レゼは首を傾げる。
「なぁんで知ってるの?」
「私を、誰だと思ってるの?」
支配の悪魔は、口元を数ミリだけ尖らせる。
「泥棒猫の動向ぐらい、監視してる」
レゼは「ほーん?」と身体を前後に揺らし、にんまりと目尻を下げた。
「分かった、なんかを支配してるんだ? 小動物かな? それとも人間? 悪い子だな~」
「勝手に想像すれば」
「別にどっちでもいいよ。私としてはぁ、こうしてデンジ君に会えただけでぇ、嬉しいので~す」
えいっと腕にしなだれかかり、顔を寄せながら女は問いかけた。
「ねえねえ、ほんとにしちゃおっか?」
「あ?」
「あ、じゃなくて~。カノジョ発言、ほんとにしてみる? 私、彼女。キミ、彼氏。オーケー?」
「お、おお……?」
「ん~? 即答しないのは減点ですよ? デンジ君は私の事、嫌い?」
「好きィ!」
即答。
ナユタの膝の上の両拳から、ぎりぎりと凄まじい音がした。
「……私ね、少し、強くなったんだ。支配の悪魔が復活したのが余所の国に伝わってるんだろうね。恐怖が広まった」
「へえ~? どれくらい力がついたの?」
「りんごぐらいなら素手で潰せる」
「コワっ!?」
仰け反るデンジに氷点下の瞳を向ける。
「……不埒者も潰せるかな」
「や、止めてくださァい!」
「あ、じゃあさ、」
レゼは、姿勢を正して提案する。
「取引しない? 一緒に住まわせてほしいんだ。仕事する上で都合がいいし」
「何、言ってるの?」
ナユタは腕を組む。どうやら敵対心をアピールしているようだが表情が変わらないからそう見えない。
「オッケーしてくれたら、デンジ君とは付き合わないよ?」
「あ、え? 嘘ぉおお~~……?」
ナユタは一瞬、虚を突かれたようだった。
悪魔にだって弱点の1つや2つはある。この少女の場合は、デンジだった。
「……なに、その交換条件。どういう立場からモノ言ってるの」
「そりゃ元カノとしてですよ」
「あのね……」
ナユタは頭痛を堪えるように眉間に指を添えた。溜め息は長々と止まらない。苛立ちが色付きで見えるようだった。
「頼むよ~。ここに住めなかったらナントカの悪魔と一緒に暮らせって言われてんの。悪魔を相手にするの慣れてるだろってさ~。プライベートで悪魔と一緒なんて信じられなくない?」
「私も悪魔なんだけど。喧嘩売ってる?」
レゼは余裕の笑みだった。全て分かったうえで言っている、とばかりに。
ナユタは視線をやや下向きに逸らす。
目の前の女の真意が読めない。
何を考えているのか分からない。
レゼは、ナユタの宝物を狙う泥棒猫なのか。
それとも監視員としての立場を優先させている公安職員なのか。
(って顔してる。傍目には無表情のままだけど)
視線の揺らめき、呼吸の強弱、そして沈黙。
訓練されたエージェントからすればそれなりには読み取れる。
本当に人間みたいだ、とレゼは思った。
気がつけば、周囲の犬たちが不安そうに主であるナユタの様子を窺っていた。
少女はそれに気付き、自省したようだった。
目を瞑り、息を吐く。
雑念を掻き消しているのだろう。
「住まわせるわけないでしょ」
悪魔か。人間か。
どちらでもあるかのような在り方に、興味を惹かれた。
「まー確かにここで3人寝るのはきついけどさ」
「そうじゃない。私が不愉快だから」
「そっかぁ」
レゼは大仰に頷いた。そういう意見もあるよね、と神妙な顔つきで首を縦に振る。睫毛をゆっくりと瞬かせて間を取りながら、代替案を口にした。
「じゃあさ、今日だけ。今日だけ泊まらせてよ」
「だめ」
ナユタは反対した。
デンジは賛成した。
レゼも賛成した。
だから多数決でお泊りが可決された。
ナユタはまったく納得いかない、という顔だった。
いつから多数決の話になったのか。
なぜ家主でもないレゼに投票権があるのか。
そもそもどうしてデンジはこんなにあほなのか。
(……そんな感じ、かな)
さて、とレゼは密かに咳払いする。
このような場面で普通の悪魔なら、我意を通すために強行的な行動に出る。
けして譲ったりしない。
ましてやナユタは支配の悪魔。他人をコントロールする能力を持っている。
仮にマキマならどうするか――と想像する。
脅迫か、実力行使か。支配した他の生き物を使い、事故を装って邪魔者を排除するかもしれない。例えばそこの犬に噛みつかせる、とか。
けれど。
「……」
ナユタはただ仏頂面でいるだけだった。
手段を選ばなければ何かしらの手は打てるだろうに。
支配の力を使って私欲を満たすのは基本的には禁じ手であると理解して、本当に耐えているだけだった。
(ふ~ん……)
資料には、こう記載されていた。
ナユタは、自身が人間と共存できる友好的な悪魔だとアピールするために『安易に支配の力を使わない』と宣言している。
所詮、悪魔の言うことだけど。一考の価値はあるのかもしれない。
「……それじゃお泊り決定ということで! ご飯どーします? ファミレスでも行く?」
「作る」
間髪いれずのナユタだった。
ナユタはきびきびとキッチンを動き回り、あっという間に3人分の夕食を用意した。
食器が触れ合う音さえたてずにスイスイと完成品を並べていく様はある種の感動さえ覚えさせられる。
「手間暇かけるのも癪だけど、生活力がないと思われるのも気に食わない」
そんなことを言いながら。
テーブルが色とりどりのおかずで盛られた大皿で埋めつくされていく。
レゼは口を丸くして感心するしかない。
ナユタはそれをちらりと確認し、ほんの僅かだけ口元に喜悦を浮かべていた。見たか私の努力の結晶を、とでも言わんばかりに。
なんだその顔。
……でも、考えてみれば。
支配の悪魔という存在は、先代であるマキマのせいで評価が地の底に落ちている。全悪魔のなかでもワースト1位だろう。それを塗り替えるためにナユタは普段から色々と頑張っているのかもしれない。
「これは私が作った。これも、これも、あとそれも」
「知ってるよ? ずっと見てたから」
「私が。全部。作った」
「うん……? そうだね、すごいね?」
「ふ」
そのようにして夕食会は始まった。
レゼは「どれどれ~?」と小姑めいた意地悪な表情を作って一品ずつ賞味する。噛んで、頷き、飲み込んだ。
「いや、おいしい。こりゃ驚いた」
素直な賞賛を返す。
デンジも口に詰め込みながら合いの手を入れる。
「だろ。俺ん作ったのよりずっとウメえ」
ナユタも思わずにやり。
「うん。おいしい、おいしい」
と言いながら、ほんとに大したもんだ、とレゼは思った。
料理といえど1つの技術。技術を習得するためには時間と労力が要る。ナユタは間違いなく努力したのだろう。その事実をレゼは俄かには信じられなかった。何かを頑張る悪魔なんて聞いたこともない。
「……ふう、ごちそーさま」
早川ナユタ。
デンジに押しつけられた支配の悪魔。
その在り方は想像していたよりもずっと人間的だった。模倣しているといわれればそれまでだが、演技でもまともな振る舞いができない人間が多くいることを考えれば彼女の在り方は社会的といっていいだろう。
それに、闖入者である自分に対する態度もそこそこ柔らかい。
正直にいえば、まともに口も聞いてもらえないと思っていた。
会話をスムーズに交わせるようになるまで3日はかかる、そんなふうに踏んでいたのに、まさか初日から食事を振る舞われてしまうとは。
(ふ~む)
少々予定は狂ったが、それが良い方向ならば文句のつけようもない。むしろこの勢いのまま更に関係性を深められないかと欲も出る。
学生鞄を手繰り寄せ、中から350mlの缶を取り出した。
「それじゃ~さ、記念パーティでもやっちゃいます?」
にひりと笑みを浮かべて、テーブルに並べた。1本、2本、3本……。
「これ、お酒?」
「そうです、お酒です。おいしそーでしょ?」
仲良くなるならやはりコレ。ぶっちゃけトークと一匙の秘密の共有。
「ええ……? 仮にも監視員がそれでいいの?」
「私、ソ連育ちだから。未成年の飲酒率100%の国だから」
「ここは日本でしょ」
ぷしっ
「あ。開けた」
「缶はね~、開けちゃったら、呑まなきゃだめなんですよ」
「これは何かの試験なの?」
「ん~?」
「私やデンジがモラルを守れるかっていうやつ」
「いや、いやいやいや……違うよ? これはね、単純に私がパーティやりたいだけ。キミたちと仲良くなりたいのですよ」
「……」
「あ、信じられないって顔してる」
ナユタは銀色のビール缶を3本の指で摘んだ。目の前に持ってきて、しげしげと成分表示を眺める。
「仲良く、ね……」
「うん。私のお仕事はキミたちを監視することだけど、ギスギスしてるのは嫌でしょ? どうせなら馴れ合いって言われない程度には馴れ合いたいですよ」
「だな。俺もそう思うぜ」
デンジも同意した。
「……」
ナユタは缶を穴が開くほどに見つめてから、渋々といわんばかりに緩慢な動作でプルタブに指をかけた。
ぷしっ
「馴れ合いに関しては、ノーコメント」
「やった」
そしてデンジの開封音も鳴らされて。
「え~~、では乾杯の音頭をとりたいと思いまーす。え~とぉ、私とデンジ君の再会を祝して~」
「私は祝いたくないんだけど」
「カンパーイ!」
「カンパーイ!」
「…………乾杯」
ささやかな宴が始まった。
味の好みに、犬たちの面白エピソード。宴の席は意外なほど和やかに始まった。
もちろん見せかけの平穏でしかない。ただの牽制・慣らし運転の段階であると気付いていないのはデンジだけだ。
レゼはチューハイをぐびりと口に含む。
うん、美味しい。
「――それで? 実際のところ、あなたはデンジとどういう関係なの?」
ナユタの鋭い声が飛んでくる。
少女はこの際だからと2人の過去を詳しく聞き出すと決めたようだった。缶ビールを一息で飲み下し、素面そのものといった表情のままレゼを凝視している。
「ん? 私とデンジ君の関係? そうだね~、ちょっとアダルティな関係かな?」
「そういうのいいから」
「おや~? お客さん、顔色が優れませんねぇ。まだお話は始まったばかりですよー」
「そういうの、ほんといいから」
「あらら」
レゼは笑みの裏で考える。
早川ナユタ。
支配の悪魔。
どうしてもマキマを透かして見てしまいそうになるけれど、あの魔女とはやはり随分違う。
賢しく、自身の立ち位置もよく分かっているが……子どもだ。
そしてデンジに――ただの一個人にかなり入れ込んでいる。
悪魔らしくない。人間側に近い。
同じ支配の悪魔でもこうも違うのか。
個体差……で片づけるのはしっくりこない。マキマと同じ能力を持つならば同じように育つのが道理だろう。
でも、現実は違っている。何故?
……仮に人間と同じように考えてもよいのなら、成長には“環境”が大きく関わってくるはず。
どのように育てられたか?
マキマと、ナユタ。マキマの過去なんて知らないが、ナユタの方ははっきりしている。デンジに育てられた。……それだけで、こうも変わるのか。
いや。それだけ、なんてものではない。大きな違いと言えるだろう。
全部、嘘だっつーけど
俺に泳ぎ方教えてくれたのはホントだろ?
……。
デンジの明け透けさは貴重だ。刺さる者には芯まで届く。
レゼは意味深にナユタを眺め、肩を竦めた。
「ん~~、真面目な話、する? そうだな~、私たちはロミオとジュリオット的なやつですかねぇ」
「何それ」
「知らない? 敵対するファミリーの男と女が……」
「話は知ってる。具体的に言ってほしいってことだけど」
「ああ、だから……惹かれ合う2人! だけど立場がそれを許さない! 切なくも悲しい恋物語! ジャジャーン……みたいな?」
デンジに目配せしてみると、「まあ、そんな感じ?」と消極的な同意が返ってきた。
すると、ナユタに劇的な変化が生じた。
わっ、すごい。とレゼは思った。
一般人では読み取れないであろう皮膚下の蠕動、筋肉の蠢き。今、彼女の中では激烈な感情のうねりが出口を求めて暴れ狂っている。
しかし、一切表に出していない。傍目には平常通りのポーカーフェイス。
「へえ、そうなんだ」
そんなふうに、平静を装える。
思春期のようなエネルギーの躍動を秘めながら、それを抑えこんでみせる制御術。
こんな人間は初めて見た。……いや、悪魔だったか。
……デンジ君さぁ、だめだよ不用意なこと言っちゃ。
この子が暴発したら、キミのせいだよ?
「デンジ君。キミが話しちゃいなよ」
「あ? 俺?」
「そーだよ。ナユタちゃんもキミから聞きたいんじゃないかな~」
「ええ~、でも俺、説明下手だからなァ……」
ほい、マイナス10点。
そーいうことじゃないんだよ。彼女はね、キミの口からキミの気持ちを聞きたいんだ。どーして分かりませんかねー。
「う~~ん、そォだなぁ」
「怒らないから、言ってみて」
「えーと、あれは確か、マキマさんと映画デートをした次の日にぃ……」
「は? マキマとデート?」
ナユタの涼やかな目元の筋肉が、ぴくりぴくりとひくついている。
明らかに不機嫌になっている。どうやらマキマにコンプレックスを抱いているという話は本当らしい。
たしか理由は2つあったはずだ。
1つ、悪魔として偉大すぎる先代と自身をどうしても比べてしまうから。
2つ、デンジが未だに好意を向けている相手だから。
……そのあたりのこと、デンジ君は分かってんのかな? 分かってないだろーなー。
デンジ君はただ思ったことをそのまま言うだけだ。
「怒らないって言ったじゃん!」
うわー。
この流れでそれ言う?
レゼは他人事ながら哀れに思った。
ナユタちゃん、かわいそー。
「……怒ってない」
「嘘ォ! ぜったい嘘!」
「怒ってない。二度も言わせないで」
「うぐぐ……、くそ、分ぁーったよ」
「なに? 文句ある?」
「ありませェん!」
「じゃあ、続き。早く」
「……んんん~、最初に会ったのはぁ……、あ、そうだ、電話ボックスだ! 雨が降ってきてぇ、そんで電話ボックスん中に入ったら、後からレゼも来たんだよ」
「雨宿り? 偶然ってこと?」
「まーそうなんじゃね?」
特に口は挟まない。内心では(狙って接触しにいったに決まってんじゃん)と呆れていたが、自分との出会いに思いを巡らせているデンジの顔を見るのが何だか楽しくて、にやにやしながら眺めていた。そしてそんな自分を目の端で確認したナユタが苛ついているのもまた面白い。
「――ええと、後からレゼが電話ボックスに入ってきてぇ、顔見たらすんげー可愛くてぇ、」
「はァ?」
思わず吹き出しそうになる。
デンジ君、狙ってやってない?
「やっぱり怒んじゃねーか!」
「怒ってない」
「嘘ォ!」
そのように、たどたどしく会話は進んでいった。
デンジは、ナユタから逐一睨みつけられながら一夜の思い出を語った。
戦ったこと。
レゼを捕まえなかったこと。
カフェで待ちぼうけになったこと。
レゼは思った。
最後のは補足しなくていいだろう。誰の得にもならない。
長々と時間をかけて、説明は終わった。
ナユタは日本人形のような顔つきで「ふーーーーーん」と機械的な周波数を出力し、こう統括した。
「なに映画みたいな体験してんの?」
「ンなこと言われても」
「これはマキマに感謝かな」
おおっ?
やんのか、こら。
デンジは分かっていない顔をしていたが、これはつまり「マキマさん、ライバルを始末してくれてありがとう」を意味していた。レゼはそれなりにむかついた。人の命をなんだと思ってるんだこの悪魔野郎。
……ま、私が言えたセリフじゃないんだけど。
ナユタ君。キミは1つ、勘違いしている。
私は、キミの大切な人を取ったりしない。
好きといえば好きだけど。見てほしいといえば見てほしいけど。
隣に並ぶには引け目がありすぎた。ソ連の造りだした武器人間は人を殺しすぎていたから。
私はキミのようには寄り添えない。
だからこうやってつかず離れずにからかって、嘘と本当の境界を行き来しているぐらいが丁度いい。
ナユタ君、キミは心配しなくていいんだよ。
……なぁんて、教えてやりはしないけど。
ナユタはついと立ち上がる。デンジに傍に身を寄せて、少年の胸のあたりに額をくっつける。
レゼへの牽制のつもりだろう。丸分かりでむしろ微笑ましい。
「ポチタ君、聞こえる? あのね、デンジがひどいんだ。こらしめていい?」
「え?」
「ちょっと痛い目に遭った方がいいと思う。例えばこう、物理的に、ブスリって。……えっ、やっていい? スターターを引っ張れば治るから? ……うん、うん、そっか、分かった、ありがとー」
「おォい、こえぇえよ!? ポチタはンなこと言わねえから!?」
レゼは目を細めた。
不機嫌になったフリをした方が面白そうだったから。
目の前ではナユタがわざとらしくデンジとイチャついている。あてつけのつもりだろうけど、レゼからすれば面白いだけでしかない。
デンジ。
ナユタ。
そしてヌルすぎて欠伸がでるような国、日本。
悪くない。
ようやく第二の人生が始まるとレゼは期待に胸を膨らませた。
「はーい、ナユタちゃんに質問でーす!」
「なに」
「悪魔って性欲あんの? セックスしたら子どもできたりする?」
「っ、な……!?」
「ぶはっ」
2人が同時に噴きだした。
「いやさ~? キミたちのことは岸辺隊長ドノからちょっと聞いてんだよね。もしかしてそーゆーカンケーだったりする?」
ナユタは信じがたいものを見る目つきで唇をわななかせていたが、咳払いしてすぐに態勢を立て直した。
「ヤってない」
「キスは?」
「してない」
「え~~? まだしてないの!?」
「必要がない」
ナユタは心底不愉快という顔つきをしている。
レゼはちらりと横目でデンジを窺ってみる。
何とも言えない顔だった。
「……ふ~~ん。へえ~。そうなんだ~」
言いながら、デンジに身を寄せて手の甲を重ねる。指を上から絡ませて、見せつけるように耳元に唇を近づけて囁いた。
「私で練習しとく?」
「えっ、あ!?」
かんっ
呑み干した空き缶が、テーブルに落とされた。
「……なるほどね」
ナユタは地獄の底にまで届くような深い溜め息をつきながら、じろりとレゼを睨みつける。
「やっと分かった。そうやって動揺させてペースを握るのがソ連の工作員のやり方なんだ」
「あいたー、いたたたー」
大げさに、胸元を抑えてみせる。
「ちょっと~ナユタちゃん? それ地雷だから」
と、言っておいた。
「おっと! 電話が鳴っております! ……公安の上司サマからだ! 定時報告忘れてた~、ちょいと席外しますよ~はいもしもしぃ」
くるり、と背中を向ける。
そこに支配の悪魔の視線が刺さっているのを感じる。
彼女は恐らくこう思っているだろう。
レゼはソ連時代に触れられたくない。
過去は弱点の1つかもしれない。
それは、レゼがわざと与えた情報でしかなかった。
大事なのは、分かりやすい人物像を持たせること。それがレゼの常套手段だった。
簡単なやり方は、短所らしきものを1つ晒すこと。短所を掴めば、人は理解した気分になる。理解が及べば、安心する。安心すれば、ガードが下がる。
あとは繰り返し。
慣れが信用にすり替わる。
こんなの大した手法でもないとレゼは思っている。
かつて育った秘密の部屋にはもっとえげつないやり方を得意とする者も居る。
……いや。
正確には“居た”だけど。
「今日は~、早川家に泊まりま~す。……はい、はい。そうで~す。家主に許可ももらってまーす」
レゼは電話しながら考える。
特に何かを企んでいるわけではない。けれど、私は他の生き方を知らない。
誰かを殺すか、欺くか。
一生ずっとこのままだろう。
けれどそれも仕方ないこと。
数え切れないほどの屍の上に居るくせに、今更幸せになろうなんておこがましい。
別に悲観なんてしていない。
だって私にはデンジ君が居てくれる。
見てくれて、好きだと言ってくれた人が傍に居る、それがどれだけ恵まれたことか。
かつて散っていったモルモットたちを想えば望外の境遇とさえ言える。
だから、これで充分。
私はずっとこの生き方でいく。
「え~、そんなこと言わないでくださいよ~。大丈夫ですって。ほんとでーす」