レゼのハートに火を点けて   作:シャブモルヒネ

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残り1時間20分

 燃える戦車を思い出す。

 決着のついた戦場では硝煙がいつまでもくすぶっている。廃墟に冷たい風が吹きすさび、レンガの上にはいくつも火がちらついて、街路の真ん中では戦車が燃えていた。

 開きっぱなしのハッチが、その最期を想像させた。

 火炎瓶でも投げ込まれたのだろう。

 置き去りにされた戦車を動かす者はもちろんおらず、無用の長物だったけど、それでもずっと燃えていた。

 寒風に晒されようと、雨霧に包まれようと。

 焼けた装甲だけが鳴いていた。

 じゅ、じゅ、と。雨粒の冷気に抵抗するように。

 (レゼ)はずっとそれを眺めていた。

 

 

 

 

 

「……雨」

 

 今も雨が降っていた。

 見上げると、暗灰色の分厚い雲が広がっている。雨粒が音もなく降りしきる。

 ボムの武器人間としては由々しき事態だった。

 身体が濡れてしまえば爆弾の威力が落ちる。

 けれど、そんな自分よりもずっと深刻な状態の魔人がすぐ隣に立っていた。

 アナスタシアは、肌に触れた雨水を、じゅ、じゅ、と蒸発させていて、白い煙を全身から立ち昇らせていた。

 

「さっきの奴は……なんだったんだ?」

「変身能力者。どこかの国の刺客だと思う」

「変身……。つまりレゼ、お前に変身してたってことか?」

「うん」

「なるほど。それであいつがボムの能力を使えたのか」

 

 あの変身能力者のせいで、私の大型弾頭は誘爆し、橋は崩落した。

 私たちは危うく谷底へ落ちてしまうところだったけど……私もデンジ君も、アナスタシアもポリーナだって緊急事態に慣れている。どうにか背後の道に逃げ延びた。ナユタちゃんはデンジ君に抱えられる形だったけど。

 ……一般人の少女2人が気にかかった。どうにか生きていてくれればいいけど……今は探しに行ける余裕はない。

 

「ところでそれ、大丈夫なの?」

「何が」

「雨。……火の魔人の弱点なんでしょ」

 

 アナスタシアの身体は焼けた鉄板のようだった。肌から水蒸気がいつまでも沸き続けている。

 それはあたかも雨水の冷たさに命の熱を奪われてしまっているように見えた。

 

「……始めは痛い。冷たさがじわじわと身体の芯まで染みてくる。今では身体をどうやって動かしているのか分からない。要するに、寒中水泳訓練のときと同じだ。нет проблем(問題はない)

 

 平常顔ではある。

 しかし同じ水を弱点とするボムガールである自分だって身体を重く感じているこの現状……火の魔人的にはどうだろう?

 

「……具体的には?」

「問題ないと言った」

「指揮には正確に申告したまえよ」

「……融通の効かん奴だな」

「あなたが言う?」

「ふん。まあいい。……発火能力は使えないな」

「他には?」

「平気だ。本当だ。平気だ」

「りょーかい」

 

 私とアナスタシアは並んで道の真ん中に立っている。

 揃って視線を向けている先には崩壊した橋があり、更に向こう側の対岸では巨大な悪魔が獲物を窺う肉食獣の相好でこちらを凝視している。

 サンタクロースが呼び出した十本腕の悪魔。

 あれを撃退するために私とアナスタシアは待ち構えていた。

 デンジ君とナユタちゃん、そしてポリーナは、谷から這い上がってくる人形兵たちを迎え撃つために木々が生い茂る崖の淵へと向かっている。

 ……ポリーナも火の魔人。この雨の中、果たして戦力として耐えうるか。枝葉の傘の下なら大して濡れずにいられると思いたい。

 

「あ」

 

 唐突に、思い出した。

 

「どうした」

「あの悪魔。たぶん人間狩りの悪魔だ」

「どうしてお前が知っている?」

 

 初見の敵だろう、と問いたげな顔だった。

 思わずまじまじと見つめてしまう。

 

「覚えてないの?」

「何が?」

「悪魔のリスト。昔、ポリーナが申請してたやつ」

「??」

「……建国記念日のプレゼント、あったでしょ。モノは貰えないから好きな情報を閲覧する権利をもらえたやつ。ポリーナは悪魔のリストで、私は各国のデビルハンターのリスト、あなたは心理学の本で、ヴェロニカは…………ああ、えっと、うん……」

「なんだ、それなら覚えてるぞ。内容は忘れたが」

「そう? じゃあざっと説明するよ。“人間狩りの悪魔”――人間に対して非常に好戦的で、女子供を優先的に狙う。とても強くて透明化できる。弱点はない」

「なんの役にも立たない情報だな。だいたい、人間狩りってなんだ? いつの時代の話だ。何故そんな悪魔が未だに恐怖を持たれている?」

「今でも人間を狩っている連中はいるから」

 

 古くはアメリカへの移民者たちによるインディアン狩りが有名で、近代ではオージーが原住民を狩っている。もちろん合法ではない。だが当該国の法令的にはグレーゾーン。標的を人間と認めていないから。

 彼らは口を揃えてこう言った。

 子供を撃ってから、駆け寄る母親を射殺するか?

 母親を撃ってから、倒れた母親にすがる幼児を撃つか?

 どちらが優れた手法かを本気で議論していたのがオーストラリアという国だ。

 

「ア・ア・ア……!」

 

 遠く対岸の――人間狩りの悪魔が巨体をかがめ、爆発的な勢いで跳躍した。

 数十メートルの谷間を飛び越えて轟音とともに着地する。衝撃で小石が浮き上がり、頑丈なアスファルトに亀裂が走る。

 でかい。

 およそ4メートル弱の巨体は間近で見ればそびえたつビルのようだった。

 顔を上げなければ脚しか見えず、その脚をたどって上へ視線を向ければまずガチガチに固められた立派な腹筋があって、次にパンパンのゴムを詰めたような見事な大胸筋を確認できた。いずれも人間の形をしているくせにサイズは10倍近くある。なのに肩から先の腕は10本も生えているのだから意味が分からない。グリズリーを連想させる凶悪なツメが左右5対で大きく広げられ、威嚇のために持ち上げられた。

 冗談みたいな威圧感。怪獣がいたらこんな感じだと思う。

 咆哮をあげた。

 

「ア・ボ・リ・ジ・ニィイイイ!!」

 

 肌までびりびり振動が伝わった。

 けれどアナスタシアは怯まない。

 

「知ってるぞ。お前のようなのを“悪い奴”って呼ぶんだろう?」

 

 私も怯まなかった。

 感情のどこかが麻痺しているような、懐かしい気分だった。

 モルモット時代はこうして何度も悪魔と戦わされた。時には1人で、強い相手だったら複数人で。

 アナスタシアと組めるときは“当たり”だった。

 どんな悪魔であろうと倒しきる。全ての攻撃を必ず避けて・捌いて・反撃を叩きこむ、そこだけには絶対の信頼があった。

 

「剥製ニセヨ! 剥製ニセヨ! 博物館ニ、飾ルノダァ!!」

 

 アナスタシアはむせかえるほどの血の匂いを吸いこんだ。芳醇なワインの香りを嗅ぐようにして望郷の念に浸る。この地球上における彼女の唯一の故郷――懐かしき戦場に想いを馳せて。

 目を見開く。

 

「来いよ、南半球のド素人。ソ連のやり方を見せてやる」

 

 横殴りの一撃が、アナスタシアの頬肉を皮一枚で捉えそこなった。

 空をきった右腕が引き戻されるよりも速く別の右腕たちが濁流となって放たれて、しかしその全てが空を切る。女はすでに伸びきった5本の巨腕を潜りぬけている。横に倒したナイフを閃かせ肋骨の隙間を滑らせる。

 ぱきん、と刃が折れる音。

 悪魔の腹筋の途中で止められていた。

 左の巨腕が地を擦りながら火の魔人に襲いかかるが――私の右拳が割りこんだ。

 

 バアンッ

 

 白煙が巻き上がる。

 辺り一帯を包みこみ……私は嫌な手応えを感じていた。

 硬かった。雨で爆発の威力が落ちてしまっているのを計算に入れれば、この悪魔はまだまだ――

 

 ぶぉん

 

 頭上から不吉な音。

 悪魔の振り下ろしが白煙を掻き分けて迫ってくる。

 瞬間、受けると決めた。

 片腕を掲げて刹那に集中、接触の瞬間、私はダメージを受け流す経路となる。

 受け止めた右腕から運動エネルギーを三角筋、脊柱へと伝わせて、脚をまっすぐ通してアスファルトに衝撃力を押しつける。

 

 ドッ

 

 足裏の地面が割れるも私自身にダメージはほとんどない。かつて暴力の魔人の踵落としを受け止めたときと同様に、巨大な悪魔の振り下ろしを華奢な人間の形で受けてみせた。

 そう、これなら私にもできる。

 人間の骨は縦に連なっているゆえ真上からの攻撃は最も人体を通しやすい。

 しかしアナスタシアは“横”の攻撃もいなすことができる。

 大型トラックの衝突に匹敵する破壊力を秘めた悪魔の薙ぎ払いを受け止めて、やはり足裏から地面に衝撃を逃がしていた。

 受けたエネルギーを横方向から斜め方向へと体内で捻じ曲げた。理屈は分かるが実戦でやるのはタイミングが難しすぎた。刹那のズレが生じてしまえば衝撃力が肩の内部で炸裂してしまう、その代償を思えば普通にガードしたほうがよっぽどいい。

 だがそれではいつまで経っても横のダメージを受け流せない――

 

「相変わらずっ、わけわかんない、なあっ!」

「なにが、だぁっ!?」

「すごいって言ってんの!」

「そうかっ、すごいかっ。……だろっ? 私はすごいんだ!」

 

 私とアナスタシア、それぞれ悪魔の正面と横に陣取って十字砲火ならぬ十字打撃を浴びせ続ける。主攻は火の魔人による乱打撃、要所ではボムガールである私が火力を思い切り叩きこむ。

 

 ボガアッ

 

「……タフだなぁ!」

 

 この悪魔、硬いし速いし力も強い。

 私たちが生身の人間だったら例え命が10個あったとしても足りなかっただろう。

 私はおもむろに近寄って攻撃を誘い、剛爪を避けながら肘関節を一つ破壊した。

 

「私たちが、相手で、よかったっ!」

「なんだってっ?」

「公安だったら、いっぱい、死んでるっ!」

 

 別に公安の人たちをバカにするわけではないけれど。半生をかけて培った技術と悪魔の身体能力がなければ太刀打ちできる相手ではなかった。適材適所……恐るべき脅威には私たちみたいなのがあてがわれるべきだろう。

 

「しゅ」

 

 震脚。地からの反動を骨盤に伝え、拳に繋げる。爆裂とともに態勢を大きく崩した人間狩りに、今度はアナスタシア渾身の掌底が突き刺さる。巨体が浮き上がり手足の先を地に擦りながら吹き飛んだ。

 

「ふうっ」

 

 追撃すべき好機ではあったが……ずぶ濡れで消耗が激しかった。

 血液パックを啜ってトドメのためのエネルギーを補給する。

 ――次で、仕留める。

 

「他人がなんだっていうんだ……?」

 

 アナスタシアもスキットルから液体を飲み下す。全身から水蒸気を立ち昇らせ、視線を正面に倒れ伏す悪魔に向けたまま、ゆっくりと口を動かした。

 

「最も重要なのは任務目標を達成することだ。他は考えるべきではない」

「デビルハンターの仕事は悪魔を倒すだけじゃないよ」

「…………分からん」

 

 人間狩りがゆっくりと身を起こす。

 10本あった腕は2本が爆ぜ、3本が折れていた。にも関わらず戦意は充溢したままでこちら側まで届くような錯覚を覚えるほどだった。

 ……人を殺すことだけが存在意義の悪魔。

 私たちモルモットと似ているように思えたが、即座に否定した。

 

「私たちは人間兵器。虐殺者じゃない」

「……」

 

 どんな戦果をもたらすかは管理する者によって大きく変わる。

 例えばの話……この倫理観皆無のアナスタシアだって日本で育成・運用されたなら鉄壁のガーディアンとなれていたかもしれない。無意味な仮定ではあるけれど……しかしそれでも想像せずにはいられなかった。例え誤魔化しだろうとも、人間、自己肯定は必要だ。

 その人間兵器が、問うてくる。

 

「なあ。人生……どう思う?」

「はい?」

「上手くやれていそうなお前だから聞いてるんだ」

 

 遠い目でスキットルを投げ捨てた。

 

「世界はどうにも……生き辛い。普通とか、常識とか、空気とか……そういうの、私には難しい。どこにも自分の居場所はないように感じる。だから前世では影のように息を潜めて毎日をやり過ごしていたんだが」

「……ずいぶん危険な影だったけど」

「しかし二度目の人生を与えられ……手ぶらで死ぬのも勿体無いと思うようになった。何かを得たい。そう思う」

 

 残りの寿命が少ない魔人が、淡々と言葉を吐き出していく。

 

「私は戦士。他の生き方は知らない。だがこのまま死ぬのはマズイ、それだけは分かっている。……どうすればいい?」

「そんなこと言われても……」

「レゼ。お前は真剣に生きようと思ったことはないか? どうやって死ぬべきかちゃんと考えたことはないか?」

「私は……」

 

 私の意志は――

 

 まっとうに生きる。

 かつてその道を選ぶことさえできなかった仲間たちのためにも、自分は胸を張って前向きに生きなければならない。

 

 ――そう思っている。

 でも、よくよく考えてみればヘンな話だ。

 まっとうって、何?

 前向きって、何?

 肝心な中身はスカスカだ。

 真剣に選んだはずの指針は実像を指していない。私は具体的に何を目指してどう生きるべき?

 

「私、は……」

 

 まだ、分からない。

 けれどそうやって“まだ”と保留しているのも卑怯に思えた。

 アナスタシアとポリーナはそろそろ死ぬらしい。真剣に足掻いている。それを思えば私だって必死に道を探して、決めて、進み始めるべきではないか。

 

「なあレゼ。私はよくターミネーターのようだと言われていたが……そんな私でも死期が近付くにつれて余計な思想が剥がれ落ちていくのを感じるぞ。任務を成功させること、裏切り者を始末すること……。全部、人真似で、しっくりこない……」

 

 雨は降り続ける。

 アナスタシアは全身に降りしきる雨水を、じゅ、じゅ、と蒸発させていて、寒風に晒され、命の熱を奪われていたけれど、それでもまだ生きている。

 命の炎が燃えている。

 

「最後に残ったのは、本当にシンプルな欲望だけなんだ……」

 

 重心を落とす。

 構えると同時、人間狩りの悪魔も巨体をたわめる。砲弾の勢いで突っこんでくる。

 アナスタシアは口元を凶悪に吊り上げた。

 

「私は強い! カッコいいって、もっと言え!!」

 

 

 

 

 

 

「うらァ!」

 

 チェンソーマンの獲物がムカデの悪魔の巨体を一刀両断。

 駆動音に反応して高速で飛来する4本足のクリーチャーを返す刀で斬り刻む。

 

「ハァイ、チェンソーマン。バルーン、いるかい?」

 

 謎のピエロ悪魔もぶった斬った。

 しかし左右真っ二つに裂けた身体が空中でぴたりと静止した。それぞれが奇声をあげて走り回る。

 

「キャハハハハ! これぞ人体切断マジックショー! タネも仕掛けもありませぇん!」

「ああ~~っ、ウゼぇなあっ! 何匹いるんだこいつらァよお~~!」

 

 ――サンタクロースが呼び出した悪魔たち。

 

 木々が生い茂る崖の淵へと向かった私とデンジ、ポリーナの3人が遭遇したのは、人形兵たちではなく大量の悪魔たちだった。

 デンジは容赦なくぶった斬り、ポリーナは寄りつく相手を炎で包みこむ。

 敵はほとんどチェンソーマンに集まった。

 ポリーナに対してはむしろ敵のほうが避けていた。火の魔人と知られた途端に恐れられたのだ。……さすがは地獄の超越者、火の悪魔――その肉片を持つ魔人ですら恐怖を持たれるようだ。

 弱体化してしまった支配の悪魔としては羨ましくないといえば嘘になる。

 

「ギィィエエエエエエエ!」

「キャハッ! キャハハハ!」

 

 斬られたはずのムカデの断面にクリーチャーの死体が接続されて腐葉土の上を這い回り、ピエロの半身2つはゴム鞠のごとく跳ねている。

 更に、木々の影からは新手の4本足のクリーチャーが続々と現れた。

 地面には木枠に縁取られた穴がぽっかり真四角に空いていて、中の暗闇から「たすけてぇぇ……」と不気味な声が漏れていた。

 

「チェンソーマン……地球の大敵、チェンソーマン……!」

「ああ~!? 今度は誰だよテメエ~~!?」

「森の悪魔……。いいか、チェンソーマン……自然には心がある……! 森は人間どもの資源じゃない……!」

「知るかァ!」

「ああッ!? きっキサマ~~お樹木さまを伐採しやがったなあ~~!!」

 

 斬って斬って、斬りまくる。

 ばっさりと切断したが……死んでいない。

 ムカデ悪魔は他の死体と繋がってどんどん伸びていき、ピエロは左右が癒着して復活し、森の悪魔は……、あ、死んだ。

 4本足のクリーチャーはどうやら音に反応するらしくデンジのチェンソーに吸い寄せられていた。地面の木枠の穴からは相変わらず「だれかぁぁ……」と変な呼び声だけが漏れ続けている。

 

「デンジ~……カッターーッ!」

「ぎゃあああああ!!」

 

 敵も弱くはないがチェンソーマンのほうが上回っている。ムカデを17つに分割し、ピエロを薄切りにし、群がるクリーチャーどもをミンチにし尽くした。今はプレス機の悪魔と戦っている。

 

「ういんういんういんういんういんういんういんういん」

「うるせえええええ!」

 

 私は地面を見下ろした。

 腐葉土に空いた四角い穴。闇には梯子が下りていて、奥から「おいでぇぇ……」と緊張感のない声が伸びている。

 誘いの声をあげるだけの穴。

 コレにデンジはまったく気付いていない。

 派手に暴れまわっている他の悪魔たちに目を向けている。

 

「おらぁーーー!」

「たすけてぇぇ……」

「でりゃーーー!」

「たすけ……」

「そォい!」

「たす……たすけ…………たすけてっつってんだろォちくしょーっ!」

 

 穴がキレた。

 

「ど、どいつもこいつも、見て分かりやすい化け物タイプに、つ、釣られやがって! そうじゃっないだろぉ!? きょっ恐怖ってのは、手順を踏むからっ、増すっていうのにぃ!」

「……キミ、なんの悪魔?」

「わあっ!? に、に、人間……? あ……悪魔か……。ええと、誰だっけ、キミみたいな子、いたかな……?」

「私は、支配の悪魔」

「うえええ!? 支配!?」

「どうしたのかな」

「あ! あ! ひはい! 待って! 待って! ……ううう!」

「なんの悪魔?」

「ぼっボクはァ、地下室のあくあ!」

「アクア?」

「悪魔だぁ~!」

 

 穴がビビっている。視覚的にありえない発想だけど、そう思った。

 

「地下室だぞ! 禁断の領域なんだ! 殺人犯がっいるかもしれないっ! 降りたら最後っ、地上に、戻れないっ! かもっ、しれない! 怖いだろ!?」

「別に」

「ああああ!? ばっバカにしてぇええ!」

「キミは、何がしたいのかな」

 

 屈んで穴の奥を凝視する。

 穴がたじろいだ。気がした。

 

「ぼ、ボクは……お前を殺すっ! 殺して、伝統的な恐怖の再来者とっなるんだあ!」

「よく分からないんだけど」

「そんなことだから! そんなことだから! きょ、恐怖っていうのは、出没! 攻撃! 憑依! この手順を踏むことにより善性を冒涜しぃい」

「そんなマニュアルは存在しない」

「ふっぐぅ…………ううううえええ」

「哀れな悪魔。誰もキミを恐れない。でもキミが悪いんじゃない。キミは未熟なだけ」

「んなっ、なっ、なにを……」

「おいで」

 

 目を大きく開いて覗きこむ。

 穴と目が合った。確信があった。

 

「キミの願いを叶えてあげる」

 

 揺らめく意思に私の視線を挿しこんだ。

 

私に全て捧げるといいなさい

「支配の、悪魔に……全て捧げる……」

 

 キミはもう、私のもの。私の悪魔。

 身体も、精神も、魂も。残らず私の色に染めていく。

 

「いい子」

 

 これで、まず一匹。

 久しぶりの下僕に心が躍った。支配という本能を満たした高揚感は思っていた以上に心地良く、愉悦が全身を巡るようだった。

 たった数ヶ月の忍耐が解放されただけでこうも愉しくなってしまう。これは意識的に自制していかねばならないと心に深く刻みこむ。

 だって下僕はまだまだ増えていくのだから。

 

 ばっさばっさ、と羽ばたきの音。

 見上げると、成人男性の腕の部分を翼にした生き物が、すっかり暗くなった空を背に舞い降りてくるところだった。

 

「いつーかーは風を切ってー死ぬぅううう! ……イヤッッホォォォオオォオウ! 鳥の悪魔最高ーっ!」

 

 にこりと笑顔で出迎える。

 

「こんばんわ、鳥の悪魔」

「ふはははー! 全ての鳥は我が下僕! キサマは逃げ延びることができるかな!? さあ、楽しい鳥葬劇の始まりだぁあああって、ってってっ、えええ!? いたたいたあっ、鳥たちィ!? どーして俺を攻撃してくんだっ!?」

「ここら一帯の野鳥は、すでに私が支配した」

「はぁ~!? 俺以外が鳥を支配するなんてレギュレーション違反だろっ! あいだだだぁ!」

 

 まさしくミツバチに群がられるスズメバチの様相で、幾多の野鳥に全身を啄ばまれた鳥の悪魔は悲鳴とともに舞い落ちた。

 

「うぐえっ!」

動くな

「ぐっ!? ぐぬぬ……おのれ、支配の悪魔……!」

 

 木々の枝葉に覆われた森は薄暗い。濃度を増していく夜を引き連れて、私は這いつくばる悪魔の前へと屈みこんだ。

 

「住所不定の無職悪魔くん。たった独りで生きていけるほど人間世界は甘くないよ。これからの道を選ぶといい……。過酷な日々か、私との始まりか」

「ぐ、ぐ、ぐ…………。フッ」

「?」

「俺にホレるなよ?」

「…………。私に全て捧げるといいなさい

「支配の悪魔に、全て捧げる……」

 

 ふう。二匹目。

 順調だ。

 胸の裡に秘めていた人生のロードマップのタスクがまた埋まった。自身が前へと進んでいく実感は、あたかも運命に導かれているかのような快感を伴った。

 

「人生って、楽しいな」

 

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