レゼのハートに火を点けて   作:シャブモルヒネ

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残り1時間10分

 

 

 

 わたしは炎。

 全てを燃やしてしまいましょう。

 

 

 

 

 


 

 

 

 人間は、生まれれば戸籍が作られる。

 病院の世話になれば来院履歴が、学校に通えば在校記録が残る。

 街を歩けば監視カメラに写ることもあるし、クレジットカードを使えば購入履歴が記録される。

 そうやって生きていた痕跡が残されていく。

 記録が積み上げられていく。

 残されるのは記録だけではない。

 人と交わればその誰かの記憶に刻まれる。

 例え引きこもりで死ぬまで外に出なかったとしても、過去に知り合った誰かが不意に数秒間だけでも思いだしてくれるかもしれない。

 アイツという人間が居たんだ、と。

 ……けれど、私は違う。

 ポリーナと名付けられたこの自分には、痕跡はほぼ残らない。

 まず、記録。

 念入りに消去されている。

 次に、記憶。

 これは持つ者自体が消されている。

 在室中のモルモットは処分され、内情を知る管理側の人間は、火の悪魔との契約の対価で寿命を迎えている。

 私を知っている生き残りは2人だけ。

 1人目であるアナスタシアは、そろそろ死ぬ。消えてしまう。

 2人目のレゼは――レゼだけは、違う。

 レゼだけが生き延びてくれる。私の記憶を持っていてくれる。私が死んだ後にも覚えていてくれる。

 だから。

 もし、レゼが死んでしまったら、自分は居なかったことになる。

 もし、レゼが忘れてしまったら、自分は居なかったことになる。

 私という人間は、はっきりいってろくなものではなかったし、価値だって無いかもしれないけど、それでも痕跡の全てを拭き取られて初めから存在しなかったようにされてしまうのはものすごく淋しいことだと思う。

 

「――だから、私はレゼに覚えてもらうために、レゼの記憶にもっともっと深く刻みこまれるように、レゼの大切な仲間を殺すんだ。…………っていうのは、戦う理由としてはどうかな?」

「……60点!」

 

 未来の悪魔の採点は辛辣だった。

 ぱらぱらと雨粒が枝葉を打つ音に包まれながら、ポリーナはただ歩く。

 夜の闇は、もはや林の奥を見通せないほどに暗くなっている。

 枝葉の傘からは雨の雫が落ちている。湿った腐葉土を踏みしめると泥のように沈みこんだ。

 ポリーナは次の理由を考える。

 

「それじゃあこういうのはどうかな――」

 

 モルモットはソ連の生贄だ。

 モルモットが苦しんだ分だけ、死んだ分だけ、ソ連は強くなっている。

 他国に対して強くでられるようになり、有利な条件を引き出せる。その分ソ連は豊かになって、国民もいい暮らしができるようになる。

 私たちのおかげ。

 だから、私たちモルモットには、その豊かにしてあげた分だけソ連国民から取り立てる権利がある。

 

「ふうん。それがモスクワを焼いた理由か? ……だったら、それ以外の連中、例えばキミと同じ境遇のモルモットに刃を向ける理由はどうなるんだ?」

「ええっと、そうだなあ――」

 

 モルモットたちの間にも格差はあった。

 優秀だった者たちは劣等生たちの苦しみを知らない。

 ドベがどんどん“退学”させられていくせいで平均点が上がり続けていくという悪夢のような環境下――5ヶ国語もマスターできないバカは処分されて当たり前、ナイフ持ちの特殊部隊隊員を素手で制圧できない雑魚はどうせ育っても弱いままだから治療してやる価値もない――そんな認識がまかり通っていた。だから、成績上位のモルモットたちは、赤点ライン常連の成績不振者たちが“減点”の二文字をどれだけ恐れていたかを知らない。いつ実験室送りになるかに怯えて、不眠症になり、拒食症になり、髪の色が白くなって、自己暗示を重ねて自作の宗教に縋るしかなかった未熟児が、いったいどんな心地で毎日を生き延びていたかを、優等生たちは知らない。

 だから。クソ雑魚モルモットだった私には、優秀だったモルモットたちに対して似たような苦しみを体験してもらう権利がある。

 

「それじゃあ、その他の無関係な連中に対しては?」

「ん~~……」

 

 難民キャンプの子どもは攫われる。

 なぜって臓器売買の商品になるから。金持ちが欲しがるから。

 本来ならば、移植希望者は、ドナー登録者が死ぬまで移植の順番を待たなければならない。先に希望した者たちが移植されるのを指をくわえて5年も10年も15年も待ち続けなければならない。

 しかし金持ちは順番を買う。

 大金を出して横入りする。

 時間を買う。だから臓器はすぐにでも用意しなければならなくて、需要が上がって値段が上がり、結果、孤児を掻っ攫ってくるビジネスが成立するようになる。

 金持ちにも二種類いる。

 自分で全額出す奴は、まだいい。納得はできないが理解はできる。

 だけどまったく理解できないのは、募金して金を集めようとする奴らだ。

 奴ら、驚くべきことに横入りするための金を募金で集めようとする。いかにも不遇な被害者面をして、「ナントカちゃんの命を救うために寄付を!」と街中で声を張り上げる。誰もが善意で募金する。つまり、そういう国の国民は、自覚はなくとも臓器売買に薄く広く加担しているといえる。

 だから。私には――難民キャンプに居たという理由だけで孤児でもないのに掻っ攫われてソ連に接収されてしまった私には、その遠因となった日本人にやり返す権利がある。

 

「――ってのは、どうかな?」

「……50点!」

「えええ、低くない?」

「だってキミ、本音じゃないだろ」

「まあね~。嘘でもないけど真剣でもない。その程度の理由付け」

 

 未来の悪魔は木の枝から見下ろしている。

 少女が暗がりの奥へと進んでいくと、追いつくために近くの枝に次の身体を生やしていく。そうやって会話を続けた。

 

「キミは本音のところでは誰も恨んでないってわけだ」

「そうだね」

 

 爛々とした輝きが闇の中でぬらりと光る。

 未来の悪魔は少女の歩みに合わせて身体を移し替えていく。6つの瞳で6つの視線を注ぎ続けた。

 好意もなければ悪意もない。ただ興味があるだけの悪魔の視線。

 

 何も無い少女。

 人生という時の流れのなかで掴むはずだった信条や願望、希望は、ことごとく奪われてきた。

 支えとなる誇り。活力である欲望。夢馳せるべき未来。それら全てが無い。有るのは行き場のない不満……ぶつけようのない鬱屈。その圧が、寿命というタイムリミットにより限界まで高まっている。

 もう誰でもいい。どんなやり方でも構わない。事後のことなんて知ったことではないのだから、と――

 

「でも、そうだね……」

「ん?」

「ちゃんと恨めるとしたら……ヴェロニカだったかな……」

「友達か?」

「やめて。ほんとの本気で……あいつは、マジで……ぶっ殺してやりたかったのに……」

「フフフ……面白いことをされたってわけだ。復讐できればよかったのにね!」

「ほんとだよ。もう死んじゃってどこにも居ないとかさあ……マジでクソだよ、この世界」

 

 未来の悪魔はほくそ笑む。

 

 この魔人には目的が無い。

 あるとすればたった一つの復讐劇だったけれど、それも始まる前に機会を奪われている。握り拳は作ることさえ許されなかった。

 では、どうする?

 したいこともするべきもことも無いからといってヒトは枯れ木のまま朽ちて死ねるのか?

 

 ――いいや、そうはならない。

 

 何も無いということは枷も無いということ。

 鬱屈はあっけなく噴出する。

 

「――」

 

 ポリーナの足が止まった。

 崖の淵に立つ。

 一歩先は虚空、進めば落ちるだけの地点。

 未来の悪魔は眼下の河原を覗きこんだ。

 2人の死体があった。

 ドイツ人の少女と中国人の少女――中国人のほうの死体を眺めて、悪魔はくつくつと肩を揺らした。

 

「フフフ……。言った通りだったろう? 彼女たちは最悪な死に方をした。お互いにとってね」

「……そう? コレのどのあたりが最悪なの? 私は良い終わり方したなあって思ってるけど」

「自分は悪くない……って顔だな? フフ、ウフフフフ……そう思いこむことで人間は悪魔よりも悪魔らしいことができるようになる」

「そんなんじゃなくて。あの子たちは放っておいたらもっと不幸になってたんだよ?」

 

 ポリーナは謳う。

 世の中、歯車の噛み合わない人間はいる。

 何をやっても上手くいかない人間はいる。

 そんな持たざる者たちは、何をどう頑張っても幸せにはなれない。月日が進んだ分だけずぶずぶと奈落に沈み続けていく。けして浮かぶことはない。

 

「彼女たちは傍に家族がいた。自分で選んだ道を進むことができた。良い人生じゃない」

 

 ポリーナはじっとりとした目つきで眼下の死体を見つめている。

 

「持たざる人間はね、早くきれいに死んだほうがマシなんだよ」

「ふ~ん……。暗い未来だね!」

 

 その時、夜闇に一瞬の閃光が走った。

 遅れて、轟音。大気が震えた。

 

「やっと倒したか」

 

 ポリーナは橋があった地点へ顔を向ける。

 木々に遮られて視線は通らない。しかしその爆発が決着を示していることだけは理解していた。

 レゼとアナスタシアが、人間狩りの悪魔にトドメを刺したに違いない。

 未来の悪魔は目を見開く。

 

「ポリーナ。キミはどうして裏切りに行くんだい?」

「やってみたいから」

 

 雨が降っている。

 崖際は頭上が開けている。枝葉の傘はない。にも関わらずポリーナはまったく全く濡れていなかった。無数に降り注ぐ雨粒は彼女の皮膚に触れる50㎝ほど上のあたりで、じゅ、じゅ、と蒸発して消えている。

 不思議な光景だった。

 まるで彼女の周りに見えないレインコートが浮かんでいるかのような光景。

 もちろん火の魔人の力によるものだ。

 彼女は近づく雨粒を残らず蒸発させている。見もせずに。

 

「“発火の有効範囲は視界内”……やっぱり嘘だったわけだ」

「嘘じゃない。ちゃんと言ったはずだよ。“アナスタシアの”弱点を教えてあげるって」

「キミのではない、と。……様子を見るに、キミのほうが強力なのかな?」

「……火の悪魔はね、人間が好きなんだ。特に、自身の全てを燃やし尽くして躊躇わないような、そんな頭の悪いおバカちゃんをね」

「ふふふ……相性がいいってわけだ……。だがな、キミはロクな終わり方はしない」

「あなたはそれを見たいからまだ居るんでしょ?」

「そうだ。……キミは、自分がどういう結末を迎えるか知りたいか? キミは……」

「未来なんてどーでもいい」

 

 今さらだ、とポリーナは皮肉げに頬を歪めた。今さらどんな死に方だろうと怖くない。最も恐ろしいのは無様に生き続けなければならないほう――そう嘯いて、谷底へ視線を落とした。

 サンタクロースが死んでいた。

 これでもう邪魔する者はいない。

 懸念が消え去ったことを確認したポリーナは踵を返す。が、すぐには歩き始めずに立ち止まった。

 小刻みに肩を揺らし始める。

 

「私が裏切る理由ねぇ……ちゃんとした理由はないんだけどさ……ふふ……それでも敢えて挙げるならさぁ――」

 

 にんまりと笑う。

 それは、前向きに生きようとする者には絶対に理解できない笑みだった。捨て鉢で、ヤケクソの、開き直りの笑みだった。

 

「何者かになってみたい……! 誰にどう思われても構わない。とにかくこの世界に爪痕残しまくって、迷惑かけて、私自身が「やってやったぜ!」って実感を得てみたい……! それだけ! ひっひっひ……無差別サイコー! やってやるぜ~! 全人類不幸にな~れっ!」

 

 残り寿命、およそ1時間強。

 無敵の少女が歩きだす。

 

 

 

 

 

 

「フフフ……。ちゃんと見ておけばいいのに……」

 

 崖の淵に居残った未来の悪魔は6つの目を細めた。

 

 橋があった地点、爆発があった場所から、ゆっくりと落ちていくものがあった。小さな肉片……。ボムガールの爆発により飛散した、人間狩りの悪魔の肉片――ぶちゃりと谷底に落下した。

 柔らかな肉片。

 ふるふると震えている。

 大人の拳ほどの大きさのその肉の塊は、一瞬動きを止めると、内部から硬い外皮に覆われた棒を突き出した。12本現れた棒にはそれぞれ節がついていて、地面に突き刺さると器用に肉片本体を動かした。

 それは、悪魔の肉片から生えた足だった。

 昆虫のように這いながら河原の石を乗り越えていく。

 やがて、一人の少女の死体に辿り着いた。

 金髪で、碧眼。

 サンタクロースと呼ばれた少女の死体。

 その傷ついた心臓に、悪魔の肉片が癒着した。

 傷口に溶けて混ぜ合わさり、やがて境い目がなくなる。一個の生命体となる。

 ぴくり、と死体の指が蠢いた。

 少女の手が河原の石を握りしめ、地面を支点に肘を持ち上げて、ゆっくりと上体を起こしていく。

 

「……」

 

 サンタクロースと呼ばれた少女が立ち上がる。

 少女の身体は少しずつ大きくなっている。早送りの映像のように肢体が伸びていき、金色のストレートヘアーは腰にまで達した。

 頭には奇妙な形の角が生えていた。

 

「『死せば、我が身に寄生せよ』……どうやら、成功したようです……」

 

 長髪がざわりと蠢いた。豊かな成人女性の体躯を包みこみ、編みこまれて軍服となった。詰襟には“SS”の徽章が輝いている。立ち上がると、軍靴の音が河原に響き渡った。

 サンタクロースが人間狩りの魔人として復活した。

 

「人間狩りの、殺人衝動が……やはり、強い……。ソ連はどうやって魔人を実用化しているのでしょうか……」

 

 サンタクロースは軽く頭を振った。

 端麗な顔立ちには似つかわしくない歪な角が空を切る。それは引っかけた者を無残に切り裂く“卍”の形をしていた。

 

 我が闘争、ここに在り。

 かつて人類がまだ世界大戦を覚えていた時代――“人間狩り”と耳にすれば誰もが揃って思い浮かべる集団が居た。彼らは勤勉かつ実直、規則を遵守し、効率を追い求め、どこまでも容赦なくユダヤ人を根絶やしにせんとした。ヴァッヘンでありアルゲマイネ。その恐るべき集団の名は――しかしチェンソーマンによって消されてしまった。もはや誰も知らない。思い出されることはない。

 しかし。

 確かに存在していた。

 記録も記憶も無くなってしまっても、DNAは残っている。世界で最も残忍な人間狩りの集団の遺伝子と所属していた国は残っている。

 

「根絶やしに……しなければ……一人、残らず……」

 

 相性。

 何よりも使命を優先し、どこまでも冷徹になれるサンタクロースの性質が、人間狩りの悪魔と合致した。

 更に。

 

「闇の悪魔よ」

 

 恭しく跪き、

 頭を垂れた。

 

「契約通り、あなたの大敵を見つけました」

 

 虚空を見上げて、殺戮を誓った。

 

「私にどうか……火の悪魔の眷属を殺せる力をください」

 

 歪む。

 空間が歪む。

 人類にはけして知覚できない次元の狭間から大きな悪魔の腕が現れる。サンタクロースの眼前に摘まみだされているのは墨汁を垂らしたような闇。蠢く肉片。

 歓喜の表情で口を開け、ごくりと呑みこんだ。

 

「ふ……ふふふ……」

 

 体色が黒ずんでいく。

 褐色を通り越し、漆黒を凌駕した。

 夜闇に在ってなお暗い。その様相は、南西太平洋地域に生息するフウチョウと名付けられた鳥によく似ていた。光の99.95%を吸収してしまうために表面の模様や凹凸が見えず、昼であろうとブラックホールが浮かんでいるようにしか見えないという世界最高峰の黒――ベンタブラックの色をした人型が空気を振動させた。

 

「これが闇の力……。素晴らしいです。全てを浄化できます」

 

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