レゼのハートに火を点けて   作:シャブモルヒネ

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残り1時間

 普通、思い出といえば――

 いい思い出もあれば悪い思い出もある。そういうものだと思う。

 (レゼ)のそれはちょっと違う。

 秘密の部屋での思い出は……大変だったりキツかったりと良くないものがほとんどだ。喉元過ぎればなんとやらとはいうけれど、今になっても思い出したくない記憶がいくつかある。

 

 

 モルモットには“持ち点”があった。

 優秀な成績を出すと加点され、できなかったり遅かったり負けたりすると減点されるシステム。

 持ち点に上限は無い。

 けれど下限はあった。

 平均点の半分を割ると赤点で、そのまた半分を割ると青点と呼ばれた。ここが即死ライン。青点を下回れば実験室送りが確定する。

 赤点はその候補……。いつお呼ばれするか分からない状態。要するに、死刑囚と同じ待遇だ。いつドアをノックされるかを怯えて眠れなくなる。

 

 私は一度だけ赤点ラインを割ったことがある。

 体調不良に怪我が重なった。苦手な科目が続いたのも運が悪かった。死の影が付き纏っていたあの期間の苦しみは、今でもたまに悪夢に見る。

 耐えがたい日々だった――

 もし大人たちが通常より早いペースで検体を必要としたならば、実験室に連れて行かれる。

 もしそこで行われる実験が安全性の高い臨床試験ではなく数値をとるためだけの人体実験なら、責め苦に晒され、絶命もありうる。

 真綿で首を絞められていく、そんな被害妄想を昼夜通して抱えていたら精神の均衡が乱れて頭がおかしくなってしまう。

 

 まさにポリーナがそうだった。

 年単位で赤点ラインを彷徨っていた少女――

 未熟児に生まれ、成長が中等部の平均値で止まってしまった彼女にとって、他者と鎬を削るエージェントとしての訓練はあまりにも過酷だった。同じ赤点ラインの者たちが諦めとともに脱落していくなかで、しかしポリーナだけはしがみ続けた。崖っぷちにかけていた指を放すことだけはしなかった。何故って、彼女にはたった一つの希望があったから。

 外の世界では両親がまだ生きている。

 生き延びていればまた会えるかもしれない。

 そんなあるかないかの希望に縋って、歯を食いしばり、あらゆる裏切りと卑劣を肯定し続けた。

 誰もが知っていた。彼女が薄皮一枚向こう側でおかしくなっていたことぐらい。傍に居なくても簡単に見抜くことができた。

 ある日、教官にも見抜かれた。

 ポリーナの処分が決定した。

 

 

 

 ぱららららららららららら

 

 

 

 

 

 ざあざあと雨が降っている。

 頭の奥の方に自動小銃の残響がこびりついていた。

 

「……」

 

 周囲を取り囲む山々は薄暗い夜の闇に染められている。

 私とアナスタシアは、山間に曲がりくねったアスファルト道に並んでぼんやりと突っ立っている。二人とも降りしきる雨で全身ずぶ濡れだった。

 敵――人間狩りの悪魔は、爆ぜて飛散した。

 戦うべき相手はもういない。悪魔も、人形兵も、サンタクロースも、公安のデビルハンターだっていなかった。

 髪先から雫を滴らせながら横目で問うてみる。

 

「これからどうするの?」

「まだサンタクロースがいるだろう? 他の悪魔も森のほうにいる」

「そいつらも倒したら?」

「倒したら……? なんだ、何が言いたい?」

「手を組む理由がなくなったらどうするの。休戦状態を解除するのかって聞いてるんだけど」

「ああ、そういうことか」

 

 アナスタシアの回答は、否だった。

 

「お前とは戦わない。理由がなくなった」

 

 どうしてそんなことを聞く? という顔だった。

 一方的に仕掛けてきておいて、何かを納得したからもうやめる。悪びれもしない。自己完結の塊のような女だ。

 ……昔からそうだった。

 

「……」

 

 思い出す。

 思い出すまいとしていた思い出を。

 一切の感情を持ちこまないと決めこんで頭の奥深くに閉じこめていた記憶を。

 しかしずっと気になっていた。聞くならここが最後の機会だと思う。だから、聞くことにした。

 

「……自分の最期、覚えてる?」

「ん? ああ、覚えてるぞ。教官たちに撃たれて死んだ。命令に従わなかったからだ」

「あの時どうして逆らったの?」

「なんだって?」

「どうしてポリーナを庇ったの?」

 

 踵を返しかけていたアナスタシアがぴたりと止まる。

 横目でこちらを訝しむ。

 

 当時、ポリーナはだめになっていた。

 肉体的にも精神的にも限界だった。刃の上を綱渡り。妄執に囚われてろくな成果も出せなくなっていた。どうあっても生き延びるのは不可能で、誰が手を下さなくても他の手段で処分されていたのは間違いない。

 

「あの時のあなたは――ボムの心臓の適応候補者で、戦闘能力を買われていた。スペシャリストとしてのあなたか、オールラウンダーとしての私か……権利を勝ち取る可能性はあった」

「さっきから何が言いたいんだ? はっきり言え」

「いつも通り命令に従ってポリーナを処分していればあなたは選ばれたかもしれない。でもやらなかった。それは、何故?」

 

 

 ポリーナを処分せよ。

 そういう命令が、アナスタシアに下った。

 スパイやエージェントとして立ち回ることのできない出来損ないの戦士でも忠誠心だけは人並み以上にある……そう証明しようとした大人たちの命令だった。

 アナスタシアの答えは、否だった。

 

 ――できません。

 

 当時、誰もが耳を疑った。

 それは秘密の部屋においてありえない返答だったから。

 反抗。それは『私を粛清してください』に等しい意思表示。

 何か裏の意味があるのでは、と疑われた。けれど勿論そんなわけがない。拒否はただの拒否だった。

 当時のアナスタシアは背筋を伸ばし、その場の全員に聞こえるようにもう一度はっきりとこう言った。

 

――できません。

 

 ターミネーターみたいな女だとずっと思っていた。

 ポリーナでさえそう思っていたに違いない。彼女はただ茫然としているだけだった。

 

 

「……何故、と言われてもな」

 

 アナスタシアは心底不思議そうな顔をする。

 

「できなかったから、できないと答えた。おかしいか?」

「どうして、できない? ポリーナだけは手をかけられない理由ってなんだったの……?」

「理由……?」

 

 眉根に皺を寄せ、傍目にもはっきりとアナスタシアは考えこむ。

 言われて初めて気が付いた、という顔だった。

 

「私が……ポリーナだけは殺せない理由……?」

 

 ざあざあと雨が降っている。

 勢いはなお増していて、私もアナスタシアも夜の路上でずぶ濡れで立ち尽くしたままでいる。

 

「ポリーナは……いつも近くに……いつでも私にまとわりついていて、喋りかけてきて……。死体は、喋れないだろ? だから、殺してしまったら損だったんだ。そう、そんな感じだ」

「うん。それはみんな知ってた」

 

 金色の瞳がこちらを向く。

 

「何度も関われば自然と興味をもつようになる……初歩のテクだよ。みんな分かってた。ポリーナが今度はアナスタシアを騙そうとしているって。媚を売って自分を守ってもらおうとしているって」

 

 脆弱だったポリーナには味方が必要だった。

 手を貸してくれる協力者が。恨みを買った者たちから守ってくれる庇護者が。

 そのために選ばれたのが“生真面目”アナスタシア。

 単純で扱いやすく、誰よりも強い彼女は都合がよかったに違いない。

 

「つまり、嘘だったってことか? ポリーナはでまかせを言っていたと? 私の力を利用するために?」

「……気付いてるって思っていた。だってあんな見え透いたやり口、他にない」

 

 

――さっすがアナスタシア! かっこいい~!

――すごーい! 尊敬しちゃ~~う!

――おかえり! ねえねえ今日は何したの~? えっホントー!?

 

 

「気付いたうえで、敢えて付き合ってるんだと思ってた。いつでもしれっとしてたし、本音のところじゃ気にも留めてないんじゃないかって」

「……」

 

 今の火の魔人の皮膚には水滴を蒸発させるだけの熱はない。静かに白い蒸気が立ち昇っている。ただこちらをじっと見つめていた。余計な事実を伝えてくるかつての同期を、感情の見えない瞳で、ただじっと。

 

「あなたは、自分を都合よく利用していた相手を庇った。それがどうしてなのか私は知りたかった……。まさか本当に騙されていたとは思わなかったな」

 

 慈悲、あるいは正義感――そんな感情がアナスタシアにもあったのかもしれないと当時は考えた。冷徹に見えて中身は普通の人間――いやむしろ、己の命がかかった状況でも仲間を優先できるような高潔な人間だったのかもしれない……。そんな疑念がずっと頭の中に残っていた。

 そう零すと、アナスタシアは鼻で笑った。

 

「お前らはいつもそうだな」

「……?」

「嘘だの、本音だの、騙すだの、騙されただの……そんな見えもしないものばかり気にしている。私にはよく分からない。少なくともそれらを感知できる能力はない。私が理解できるのは、表面だけ。言葉と行動だけだ」

 

 かつてのあの時のように、胸を張って彼女は言った。

 

 ポリーナは褒めた。

 私は心地良いと思った。

 それが全てだ。

 

「私にとって、ポリーナは居心地のいい場所だった。だからソ連よりもポリーナを優先した。これの何がおかしいんだ?」

「いや……、何も問題、ない……かな……?」

 

 ターミネーターみたいな女だとずっと思っていた。

 人の気持ちなんて分からない女だと。本当にその通りなのかもしれない。

 だとしたら何だというんだろう?

 

「それでも……いいのかもしれない」

 

 

 

 

 

残 り 1 時 間

Осталось 1 часа.

 

 

 

 

 

「……でもポリーナとはまだ仲が良いんだね」

 

 ポリーナからすれば。

 アナスタシアは利用しただけの相手。守ってもらうために、戦闘技術を教わるために好意があるフリをしただけの相手。

 今となっては必要ない。

 火の魔人となり力を手に入れて、秘密の部屋から脱出した今となってはアナスタシアと共にいる理由はない。本当の故郷に帰るなりなんなり自由にできる。

 なのに彼女はそれをしていない。

 今でもアナスタシアと共に居る。残り時間が少ないにも関わらず、無愛想な魔人に付き合ってこんな遠い国にまで来た。

 きっと利益のためじゃない。

 一緒にいたい、それだけのために傍にいる。

 

「好意を繰り返して演じているうちに……ポリーナも絆されたのかもしれないね」

「よく分からんが……どうだろうな。今のポリーナはソ連のことも故郷とやらも分かっていない。私から離れる理由がないだけじゃないか?」

「……? 分かってないって?」

「ポリーナは魔人になって記憶を失った。モルモット時代のことを何も覚えていない」

「いやいや、そんなわけないでしょ」

 

 だって、ついさっきまで彼女は過去を語っていた。

 

――君たちには、分からないだろうね。他を切り捨てて一つに執り付いて、それでも結果を出せない……そんな偏らざるをえなかった人間の気持ちなんて……

 

「ポリーナは覚えてるよ? 昔のことも喋っていた」

「そうなのか? だったら思い出したか」

「あるいは嘘か。……うん、きっとそっちかな。はぁ~、もうそんなことする必要ないのに、なんで嘘なんて……ついたん……だろう……?」

 

 ん、なんで?

 人は理由もなく嘘をつかない。そう教えていたのはポリーナだ。

 だから、記憶がないって偽っていたならそれも理由があるはずで……?

 嘘をつく理由……? そこにどんな得があるんだろう……?

 

「うーーす。お疲れー」

 

 呼ばれたから出てきました、といった感じで脇道の茂みをかきわけて当のポリーナが現れた。

 親しげな笑みだった。

 降りしきる雨水が肌に触れて、じゅ、じゅ、と蒸発していた。白い煙が全身から立ち昇っている。左手にはナイフ、右手には千切れた悪魔の片腕があった。

 

「サンタが呼んだ悪魔、もう倒したの? やるねー、やっぱりナスチャとレゼはすっごいや」

「少しは苦戦した。少しな」

「雨は嫌だね~。あ、消耗してると思ってこれ獲ってきたんだけど、飲む?」

 

 ポリーナは悪魔の腕を一口かじって血液を啜る。

 

「くれ」

「ほいさ」

 

 澄ました顔つきで、足取りを弾ませながらアスファルト道に踏み出した。

 ソ連から遠く離れた極東の島国にモルモットだった3人が自らの意志で集まっている――奇妙な感慨が沸き立つが、胃のあたりに小さな違和感が残っていた。

 

 ええと……もしも?

 ポリーナが、記憶を失って、まっさらになっていたら……?

 他人を簡単に騙すような人格ではなくなってたら……?

 そんなふうに、もしも勘違いしてしまっていたら、どうなる?

 

 ポリーナは、軽やかな歩調で近付いてくる。関節の動きは滑らかで平穏、重心移動は牧歌的。悪魔の血肉をアナスタシアに渡そうと腕を持ち上げる。

 筋肉にこわばりはなかった。けれど、あれ、と思った。

 

 なんで左腕のほうを?

 

 左手にはナイフが握られていた。

 けれどアナスタシアが反応しなかった。全ての攻撃を必ず避けて・捌いて・反撃を叩きこむ、そこだけには絶対の信頼があったアナスタシアが反応しなかった。だから私の感覚がおかしいのかと思った。

 握られたナイフがアナスタシアの鳩尾のあたりにずぷぷと入りこんだ。

 柄まで到達したらぐるりと90度回された。

 ぶちちと中身を引きずりながら赤黒く染まった刀身が現れた。

 傷口の隙間から、ぴっぴっと血が噴き出している。

 アスファルトに垂れると、じゅうっと焦げる音がした。火の魔人の血、やはり熱いのか。

 ぼんやり眺めながら、へえ~なかなか上手い刺し方だなぁと思った……。

 

 ん、

 ……え、あっ?

 刺し、た?

 

「あれぇっ?」

 

 当のポリーナが素っ頓狂な声をあげていた。

 

「入っちゃった!」

 

 目を丸くして驚いていた。

 

「ちょいちょいちょいナスチャ~! どゆこと!? 後の先とられて首折られるかも~ぐらいは思ってたんですけどぉ!」

「な……なに、やって」

「ぜ~んぜん反応しなかったね~。ナスチャらしくないなぁ。それともそんだけ私がすごかったってことかなあ……うひっ」

 

 もしもポリーナが記憶喪失だと思ってしまったら、

 ちょっとは油断しちゃうんじゃない?

 

 かちり、と。

 仕事のスイッチが入った。

 

 至近距離、ナイフ持ち――最速の踏み込みは要らない。標的の奇策をまるごと潰せる可能性を保持したまま足裏で地を擦って、雨粒を消し飛ばしながら腕を回す。伸ばした二指、喉笛を貫く寸前で、ぴたりと止めた。

 ポリーナのナイフの刃先が私の頚動脈にあてられていた。

 

「レゼも甘くなったじゃん」

 

 小さな火の魔人が、爬虫類のように縦に裂けた金色の瞳を輝かせた。

 

「判断が遅いぜ~?」

 

 速い。以前のポリーナではない。

 魔人化したら身体性能は上がる。それは分かっていたが、人間時代とここまで差がなくなっているとは思わなかった。おそらくボムガールである今の私と同等か、それ以上の瞬発力を持っている。

 誰も居ない夜の山中で、元モルモット同士が殺し合う――すとんと胸に落ちる状況に、ただ一つだけ反発があった。

 

 何故。

 

 視界の隅で、膝をついたアナスタシアを観察する。

 肋骨の下から45度の角度で突かれている。疑いようのない致命傷。5分で死ぬ。

 

「どうして?」

 

 互いの首に凶器を突きつけあったまま、問いを投げつけた。

 ポリーナは、それはそれは嬉しそうな笑みで、

 

「言っても分かんないと思うけど言いたいから言うね。あのね、私は感動したいんだ。人生残りいちじか~ん、たくさん感動したいでーーす! って言って分かる? 分かんないでしょ? 感動っていうのはさ、きゅうんと切なくなって泣けることだけじゃないんだよ。喜ぶも怒るも悲しむもとにかく心が動けば感動なの! っというわけでぇ生きてるぅって実感が欲しくて刺しました。そしたらねー、今ねー、思った以上に動揺してんのまじウケる。あ~やべーヤっちった~って後悔みたいなのがこう胸の奥でギュギュってなってんのすごくない? だって超裏切りまくってきたこの私が今さらこんなふうになるなんて自分で思ってた以上にナスチャのこと好きだったのかもしんないんよぉナスチャぁ~~私あなたのこと好きだったっぽいよぉ~ごめんね~痛いね~でも付き合ってくれよ~私のこと好きにならせてあげたんだからさ~?」

 

 理解できないということが理解できた。

 事実は一つ。ポリーナは危険。

 

 二指の先に爆薬を集約――

 する前に、勝手に火が点いた。

 

 ――!?

 

 ボンッ

 

 咄嗟に上体を傾けた、その首筋をナイフの切っ先が掠めていく。体軸は乱れ無し、骨の髄まで染みこませた反復訓練に救われた。無意識の動作が合理の流れに沿っていて、おかげで回避と同時に逆の拳を打ち抜けた。

 ぱしっ、と手の平で止められた。

 

「レェェ~~ゼっ! 勝負しようぜ勝負勝負ショーーブ!」

 

 触れたまま指を滑らせる。離れずに肌を伝って手の甲、前腕と左回りに巻き上げながら引き足に追従し、両脚を交差させて総身で絡みついていく。組みついてしまえば筋力も瞬発力も関係ない、このまま極めて折って潰す――

 

 じゅ……

 

 瞬間、怖気がぞわりと背筋を這い上がる。

 随意を強引に捻じ切って身を離す。転がった先で顔を上げると、

 ポリーナの体表が赤熱化していた。

 

「ひょえええ! いきなり瞬殺されっとこだった~怖わわ!」

「その能力、ズルくない?」

「だあって私はファイアガール! 全身ズルでインチキの塊だからね! これも魔人化ガチャ大成功者の特権ってやつだよ、よっろしくう!」

 

 ぼっ、と全身が炎に包まれた。

 揺らめくシルエットが水気を消し飛ばし、大気を焦がしている。雨などものともしていない。

 

「……で、勝負っていうけど、何の勝負がしたいの?」

「そんなのどっちが優秀なモルモットか決定戦に決まってんじゃん! たまにやらされてたアレだよアレ、勝ったほうが勝ちのやつ」

「死んだほうが負けのやつ?」

「ヤダっつっても始めちゃうけどね。っていうかもう始まってるし。ほら、よく言ってたでしょ?」

「勝負は生まれたときから始まってる」

「そっそ。それそれ。今の超越者パワーを手に入れた私ならチャンピオン・レゼを相手にどこまでやれんのかなって思うわけ。寿命も近いんだしチャレンジしてみたいじゃん?」

「そんなことのためにわざわざ日本まで来たの?」

「まさか~。他にもあるよ。色々ね」

 

 膝立ちのまま動けないアナスタシアをちらりと見やる。

 

「ナスチャには一発やっとかなきゃなあって思ってて。ほらぁ、前世で私を庇ったじゃん? あん時は死にたかったのにさ、なに私をダシにして気持ちよくなっとんじゃい! ってイラっときた記憶があったもんで」

「だから刺したの?」

「グーパンでもよかったんだけどグーを握るとバレちゃうし。どうせなら一世一代のガチンコ勝負してみたかったし、やらぬ後悔よりやる後悔っていうし」

 

 本当に、そんな理由で?

 だが納得は必要なかった。危機の正体を確かめるより先にまず安全を確保しなければならない。すなわち、脅威を排除する。なんでもありの勝負がしたいというなら是非もなく、一秒でも早く状況を終了させるためにあらゆる手管を振るうと決めた。

 業火に包まれた火の魔人――接触はできそうにない。どうやって打倒するべきか。

 

 おもむろに両腕を挙げた。

 降参のポーズ。

 

「ちょっとタイム」

「ぷっ。あのさ~、それ教えたの私じゃん。時間稼ぎ、兼陽動」

 

 顔向きを僅かにポリーナの背後へずらす。

 そこに居る誰かに合図を送るような仕草。

 だがポリーナが惑わされることはない。

 

「チェンソーくんと支配ちゃんはまだ来れないよ。厄介な悪魔と遊んでるから」

「確認済みってわけ?」

「当たり前でしょ? 私を誰だと思ってんの。ずっとずっと正攻法じゃ勝ち目がなくてそれ以外を探してた女だよ? 搦め手で勝とうなんて……」

「じゃあタイム終了」

 

 降り注ぐ雨音で移動の音は消されていた。

 ポリーナの背後の茂みから公安のデビルハンターたちが雪崩れこむ。構えられた銃口は5つ、炎を纏う魔人の後頭部に向けて、班リーダーのスキンヘッドの大男が叫んだ。

 

「動くな!」

 

 瞬きする間に半円状の包囲が完成していた。

 銃を構える男たちに油断はない。標的が指先一本でも抗う気配を見せたら銃弾が叩きこまれる手筈になっている。そのように私が教えこんだ。

 ポリーナは警告通りに動かずに、前を向いたまま命乞いをする。

 

「助けて、お兄ちゃん」

 

 パンパンパンパン

 

 銃声が4回、血を噴き出して倒れこんだのは公安の男たちだった。

 

「な、なに……?」

 

 崩れ落ちるスキンヘッド男の目が信じられないとばかりに大きく開かれていた。

 銃口から裏切りの硝煙を漂わせていたのは、同じ班のデビルハンターの男だった。

 

「う、ううう……」

 

 味方を撃ってしまった男は、ひどく怯えた顔だった。

 

「こ、これで、妹は、解放して……くれるんだな!?」

「もちろん。ほら次、もう一発」

 

 男はまるで自分こそが追いつめられた者かのように呻き声を漏らした。

 銃口がこちらに向けられる。

 瞬間、くぐって鳩尾に肘を入れた。

 声もなく、男の手からぽろりと銃が落ちる。ゆっくりとうつ伏せに傾いて、神仏に懺悔するように額を地につけた。

 

「……脅迫?」

「言ったでしょ? 勝負は生まれたときから始まってるって」

 

 準備は早ければ早いほうがいい、とかつてポリーナは言っていた。

 だが、いつだ? いつ仕掛けた?

 彼女には公安の内部に手を回しているような時間はなかったはず……。

 いや。

 時間は、あった。

 

「日本に来たのは2日前。……ダメだよ私みたいなのに48時間も与えちゃあ。こういうこともできちゃうんだから」

 

 わざとらしい視線の動きを辿ってみて、ぎょっとした。

 アスファルト道におよそ20人――公安の部隊が痩身の眼鏡男に率いられ、こちらに銃を構えているところだった。その標的はポリーナだけではない。私にも向けられている。

 

「ちょっ、」

 

 今度は警告はなかった。

 銃弾の大気を切り裂く音が肩を掠める。

 

「うわあっ!?」

 

 矢も盾もたまらず森に飛びこむしかなかった。

 間髪居れずに追撃の凶弾が枝葉を抉っていく。

 樹木に回りこんで身を隠したとたん、嵐のような一斉射が始まった。鉄の殺意が十を超え、二十を抜け、三十を突き破る。飛び散る木屑を浴びながら、公安の攻勢を抑えるために爆発の粒子を飛ばすかを迷い、歯噛みする。

 

 どうして公安に攻撃される!?

 

 まさかポリーナが全員の弱みを握って脅迫しているわけもない。

 対策に頭を巡らせていると、すぐ隣の樹木に諸悪の根源であるポリーナが逃げこんできた。

 

「うひぃー! やばいやばい!」

 

 腹立たしいほどの大爆笑。箸が転んでもおかしい、といった調子で肩を揺らしている。

 自分の口が金魚のようにぱくぱくと開閉しているのが分かった。

 

「ポリ……この……何をした!」

「あのねあのね、私がやったのはぁ、支配の悪魔が反逆するっつー偽の証拠を掴ませたことでーす!」

「はあ!?」

「色んな悪魔を捕まえてて~、レゼのことも洗脳しちゃってるっていうニセ証拠~。雑な合成写真なんだけどさ~、シロが確定するまでの数十分間、マキマの再来って可能性を放置できるわけないんだなー!」

「な、な……」

「ほれほれどうする、勝負は続いてんぞー。早く対処しないとやばいよー? 支配ちゃんのほうにも公安部隊が行ってるからねぇ」

 

 ふ、と銃撃が止んだ。

 背後から声はしない。意図的な沈黙から状況が一つ先のフェーズに進んだと知れた。包囲制圧。銃器を携え、ゆっくりと確実に接近してくる。

 しかし私は撃退できない。公安職員を殺傷するわけにはいかない。

 だったら対抗策は一つだけ。

 

「あ」

 

 ポリーナのマヌケな声を置き去りにして私は走り始める。

 藪をかきわけて森の奥へと一時撤退――

 

「ぎゃっ」「あ、あっ!」「えええ」「アチっアアッ!」「燃え、燃えっ」

 

 振り返る。

 森の木々の向こう側で、何十人もの公安職員たちが燃えていた。

 

「な……」

「来ないなら用済みだねえ?」

 

 身を捩っているさまは踊るようだった。火を被った男たちをバックダンサーにして、火炎人間のポリーナは悠々と腕を広げている。

 その顔は、悪戯めいた笑みだったけど――

 なぜか縋るような目に見えた。

 

「ねえ~遊んぼうよぉ~レェ~ゼエ~~」

「ポリーナ……」

「なぁ~に~?」

「火を消しなさい」

 

 指を打ち鳴らして粒子を飛ばす。

 一筋の光が魔人の胸に直撃し、小柄なシルエットが吹っ飛んだ。枝を折りながらアスファルト道に戻されて、燃えるデビルハンターたちの中に転がった。

 

「いてて……ってぐらいで済んだなぁ。うん、やっぱインチキだァこの身体」

「ポリーナ、火を消しなさい!」

「なんだよ、怒るなよぉ」

 

 ポリーナが軽く腕を振ると、男たちに纏わりつく炎が一斉に消失した。呻き声とともに倒れこむ。誰も立ちあがれなかった。死んではいまい。だが火傷の痛みが彼らを苛んでいる。

 

「あなたは何がしたい……」

 

 ポリーナは炎に包まれている。

 普通なら喋れない。周囲の酸素が燃えてしまうから。なのに喋れているのは顔周りの炎が少ないからだ。きっと意図的にそうしている。私と喋るためだけに。

 

「私に勝てば、満足?」

「んーん。別に勝てなくてもいい。私はやってみたいだけなんだ」

 

 決めた。

 もう退かない。

 決意を呑んで元の位置に戻った。藪をかきわけ、一歩、二歩とアスファルトを踏みしめる。

 目の前には燃え続けているポリーナの小さな体躯。金色の瞳がゆっくりと私を見上げた。

 

「火の悪魔の力って厄介だ」

「でしょ」

「ボムの力とも相性がいい」

「そうだよー」

 

 爆薬を生成しても、発火により暴発させられる。

 よしんば爆発を直撃させても、威力は半減。

 燃え盛る炎の鎧に阻まれて格闘戦もできそうにない。

 私の勝ち目は薄い。

 だからポリーナは本来、口を使う必要なんてないのだ。

 普通にやっても勝てる。なのに言葉を交わそうとしている。そこには何らか意図があるはずで――けど、やはり想像もできなかった。

 分からなくてもいいと思う。

 

「あなたには会いたくなかった。目を背けていたかった。可哀想な奴なんて直視したくなかったから。……けど、何かできることもあったんじゃないかって考えも頭から離れなかったんだ」

「…………。あの秘密の部屋で?」

「最悪の一つぐらいは回避できたと思ってる」

「そりゃ傲慢ってやつでしょ。んなことしてたら減点されてボムの心臓ももらえてなかったよ? 下手すりゃ反逆扱いでアナスタシアみたいに、ぱらららら」

「傲慢で何か悪い?」

 

 ぴたりと魔人の時間が停止する。

 

「勝負したいならしてあげる」

 

 私の、任務は。

 デンジ君とナユタちゃんを守ること。監視すること。

 それ以外はすべきじゃない。余裕があればやってもいい程度の優先順位のハナシ。だからここは退くべきだ。刷り込まれた戦闘教義もそう言っている。

 しかし。

 アナスタシアは言っていた。

 

――できなかったから、できないと答えた。おかしいか?

 

「今度は、付き合う。何がしたいのかはやっぱり分からない。けど、大嘘つきの卑怯者でも孤独に死なれたら気分が悪い」

「……へえ~」

 

 夜闇を切り裂く炎の勢いが増していく。

 顔が熱い。目が乾く。でももう逸らさないと心に決めた。

 

「今のはムカついた。レゼまで私をダシにするんだ?」

「するよ。嫌ならわざわざ死に目を見せに来んな」

 

 対峙する。正面から向かい合う。

 そうして欲しがっているように思えた。だから付き合ってやろうと思う。

 思い切りブン殴ってやる。

 

 

 

 

 チェンソーをぶん回して引っかかっていた悪魔の血肉を振り払う。

 死体を踏まないように迂回した。履き物がぺたぺたと足裏に当たって、そういやビーチサンダルを履いてたっけと思い出した。

 なんでこんなもんを履いてるかって、そりゃ海に行きたかったからだ。

 でもダメって言われたから川になったんだっけ。

 そのために色々と準備していたのを思い出した。

 スポーツウェアにキャンプ道具、なんかスーパーで買いこんだ食いモンとか飲みモンとか。全部、道路の隅に置いてきてしまった。やばい、大丈夫か。悪魔が食い散らかしたりしてねえよな。

 

「あー……もう悪魔いねえよな? 仕事終わった? 帰っていいか?」

「まだ居る」

「ええ~!? まだいんのぉ!?」

 

 傍らのナユタが鼻をひくつかせる。

 周囲には悪魔の死体が山のようになっている。俺にはツンとくるような血の匂いしか分かんねえけどナユタは違う。一匹毎に嗅ぎ分けられる。ここで死んでる悪魔とは別のヤツの存在を察知できる。

 悪魔、悪魔、悪魔。どんだけいるんだ、こいつらは。

 

「な~んか懐かしいな。昔はこうやって山んなかで悪魔倒したな」

「いつの話」

「ポチタと会ったばっかの頃。悪魔倒して借金にあてんの」

「ふぅん」

 

 ぺたぺた歩く。

 もうすっかり夜だった。雨に身体が濡れて少し寒い。腹も減ったし、そろそろテントおっ立ててメシにしたい。

 キャンプ道具、無事だろうか。もし壊れてたら野宿になんのか? そりゃヤだなあ。

 

「あ。そういや人形がいねーな」

 

 サンタクロースがいるとか言ってたっけ。

 前に戦ったときは……なんか人形の親玉で、夜だと無敵モードになるんだったよな。

 あれ、今って夜だよな? やばくねえか。

 ってナユタに聞いてみたら、「サンタクロースは死んだ」と返ってきた。ふーん、そうなんだ。だったら心配ねえな。それにもし生きててもレゼん友達が光ん力を使える。なんとかなんだろ。

 

「サンタかあ……。あん時ぁヤバかったな。地獄で闇の悪魔が手ぇとってきてよ」

「よく生きて戻れたね」

「そりゃ俺がズバーッと! ……はできなかったっけ」

 

 そうだ、確かマキマさんが戻してくれたんだっけ。アキがそう言ってた。

 そんで帰ってきてからはパワーが大変になってて……。アキと交代で寝てたんだ。

 なんだか懐かしい。

 全ては記憶の向こう側。思い出の話だ。

 

 びちびちと雨粒が枝葉を打つ音に包まれながら、ナユタと2人で元来た道を戻る。

 夜の闇は、もはや林の奥を見通せないほどに暗くなっている。

 枝葉の傘からは雨の雫が落ちている。湿った腐葉土を踏みしめると泥のように沈みこんだ。

 

「この匂い……?」

 

 ナユタの足が止まった。

 悪魔か、と聞くと小さく頷く。正面の闇を覗きこむと、ぼおっと2人分の影がいるのが分かった。

 ナユタの前に出た。首を鳴らしてチェンソーを構える。さっさと倒してキャンプとメシだと思っていると、ナユタが不思議なことを言った。

 

「私と、似てる……? 同じ……匂い?」

 

 闇の中、2人の悪魔が立っている。

 見覚えがあった。よく知っていた。

 

 1人目は、大きな女型の悪魔。

 腕は四本、足は二本。それぞれ腿と二の腕からは黒く染まっており、胸から顎下まではグロテスクな臓器の形状。顔は硬質で真っ黒な仮面の形で、瞳は特徴的な十字になっている。

 

「おうおうひれ伏せ人間! ワシは宇宙大元帥! 血の悪魔じゃああああああ!」

 

 2人目は、

 2人目は――人間にしか見えない姿で。

 赤みがかった髪色の三つ編みを垂らした成人女性。公安の制服を着こなして、情緒の感じられない瞳で真っ直ぐにこちらを見つめている。形の良い唇が僅かに笑みを形作る。

 

「久しぶり、デンジ君」

 

 一日だって忘れたことはない。

 心の真ん中にでかい傷跡を残していった悪魔であり、最初から一度も見てくれてなかった女でもある。確かにそこに立っていた。

 

「マ、マキマさん……?」

 

 かつて彼女を食べた。そうするしかなかったと思っている。けれど他の道はなかったのかって考えも頭から離れなかった。

 自分はチェンソーマンとして活躍し、マキマともどうにか上手い関係を保ったまま生きる……そんな理想的な未来を手繰り寄せることは本当にできなかったのか?

 あるいは、今なら。

 何かができるだろうか。

 

「ウソだ……」

 

 傍らでナユタが呻く。

 

「私はここに居る……。支配の悪魔が2人も居るわけがない。お前はなんだ」

 

 マキマは穏やかな顔だった。不出来な我が子を見つめるような……記憶にある通りの、上司であり、憧れであり、好意を抱いていたマキマそのものの顔で微笑んだ。

 

「キミが偽者なんじゃない?」

 

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