レゼのハートに火を点けて   作:シャブモルヒネ

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残り50分

 一寸先も見通せない闇の中、ポリーナと対峙する。

 

 かつてポリーナは、戦いが始まるよりもずっと前の段階から罠を張り巡らせていた。

 飲食物には毒を仕込み、装備の類は盗むか壊す。あらゆる手管で規則違反に誘導し、それを判定する監視員も買収する。寝込みを襲うのは常套手段、共用のトイレに手榴弾を仕掛けていたこともあり、他のモルモットを唆して任務中に背中を狙わせたこともある。

 ただの一度も真っ向から戦ったことはない。もしそうなれば必ず負けるから。

 

 今の私は、無傷だ。ベストコンディションのまま勝負の場に辿り着いている。けれど油断するつもりは毛頭ない。

 今のポリーナは誰よりも脆弱だったモルモット時代とは違う。

 超越者たる火の悪魔――その肉片を持つ魔人になっている。

 地面をも呑みこむような暗闇の中、人の形をした炎が煌々と浮かび上がっていた。炎のてっぺんには小さな少女の頭が乗っている。爬虫類のように縦に裂けた瞳がこちらをじっと見据えていた。人外の瞳。魔人の瞳。

 その瞳が、前触れもなくきゅうと窄まった。

「――ッ」

 身を捩る。瞬間、たった今まで居た空間が炎に包まれた。

 駆ける。ボムの力で更に加速する。

 爆発の反動を得て低空を滑空する。追いかけて炎の花がいくつも咲いていく。木々の隙間に飛びこんでも追跡は止まらなかった。背中に熱波を感じながら、乱立する樹木を蹴って進路を修正、冗談ごとではすまされない速度で通り過ぎていく大樹の群れを見極めた。

 ひときわ太い枝に指をかけ、進路を転換、全身に襲いかかるGの暴力を捻じ曲げて弾丸の勢いでアスファルト道に飛び出すと、ポリーナの細いうなじがよく見えた。

 ぱちんと指を鳴らして爆発の粒子を飛ばす。ポリーナは避けなかった。振り向きがてら振るわれた前腕に着弾、夜闇にひときわ眩しい光が放たれた。炸裂音が湿った空気を吹き飛ばす。薄い煙がぶわりと広がった。

 どうせ大して効いていない。拳を握って飛びこむが、高熱に肌が焼けついた。

「~~っ」

 まるで溶鉱炉。コンマ一秒にも満たない引き延ばされた時間のなかで、距離が縮まるほどに危険度が増していくのを察知する。

 だがまだ拳が届かない。

 ボムの反動で更に加速する。接近し、拳を引き絞る。

 薄い煙をくぐり抜けた先には、ポリーナの驚愕した顔があった。

 殴りつけた。

「あぐっ」

 全体重を乗せた右ストレートが火の魔人を弾き飛ばした。きりもみ上に回転し、アスファルトの上を転がっていく。

 あんな衝撃力が頭部に加わわったなら並の魔人なら首が折れるはず。だが、確かに見た。火の魔人の腕は地に叩きつけられる瞬間に受け身をとった。

 手が熱い。

 見ると、殴った右の拳が燃えていた。

 振っても消えない。どころか徐々に腕へと燃え移ってくる。

 道端に落ちていたポリーナのナイフを拾って、腕ごと炎を斬り離した。腕は即座に再生させる。

「……厄介だ」

 爆発も打撃も効果は薄かった。でも私だってポリーナの攻撃は食らっていない。さっきの一合で分かった、やはりポリーナは致命的に格闘戦のセンスが足りていない。

「先に言っとくよ。これから同じことを繰り返す。あなたを殴る。腕が燃えたら斬り落とす。再生させる。また殴る」

「割りに合わないやり方だ」

「でもあなたは逃げられない。……どうする? まだ続ける?」

「へえ……舐められたもんだ。私に我慢勝負を仕掛けるなん」

 全力で飛ぶ。爆発の反動で急加速、限界ぎりぎりの負荷に耐えながら棒立ちの魔人に迫る。渾身の握り拳、思い切り振りぬいた。

 今度は吹っ飛ばなかった。

 ポリーナは上半身を仰け反らせながらも踏みとどまっている。

「まだ、続ける?」

「……はっはは」

 燃え続けている火の魔人。近くに立っているだけで皮膚が焦げついた。殴った拳も燃えている。痛い、苦しい。でも離れない。正面から向き合うと決めていた。

「あのね、レゼ、」

 剛腕一閃。

 焔の一撃が私の頬を掠めていく。速すぎる。しかし見えずとも丸分かりだった。初速を意識しすぎて予備動作を隠せていない。

 前のめったポリーナの上体に私のカウンターが突き刺さった。

「っ」

「まだ、続ける?」

「あはは! 分かってんじゃん!」

 炎の体躯が唸りをあげる。放たれる四肢の一撃はそれ自体が不治の呪いを持っていた。消せない炎、もしも斬り落とせない箇所で受けてしまったら終わってしまう。

「当ててみろ! へったくそ!」

「うるせー!」

「あなたじゃ! 勝てない!」

「かもねっ!」

「だったら、どうして!?」

「さあね! 憂さ晴らし!?」

「嘘をつけっ!」

 火に苛まれたままの左腕を、構わず魔人の脇腹に挿しこんだ。これ以上ない手応え。「まだ、続ける!?」向こうは地獄の苦しみのはずだった。

「へっへっへ……効かない、ねえ」

 強がりだ。根拠はないが、あれは演技だと過去の記憶が言っていた。

 そうだ、ポリーナはいつだってああやって耐えていた。

 私は炭化しかかった腕を切り落とし、再生させる。

「……あなたは、人を騙すのが得意。でも私が一番学んだのはそこじゃない」

 ポリーナの動きが止まる。

「なにさ」

「目的をやり遂げる意志」

 秘密の部屋に配慮は無い。体格に恵まれなかった私にとって画一的に設定されたトレーニングや試験は拷問でしかなかった。でもすぐ傍で私よりずっと未成熟なポリーナが歯を食いしばっていた。

 あんなに小さくて細い子が頑張れているなら私だってできなきゃおかしい。そう思い、踏ん張り続けることができた。

「どんな犠牲を払ってでもやり遂げる。その精神性は見習わせてもらった」

「それって褒めてるの?」

「それなりに」

 彼女と再会してからずっと気になっていることがあった。

 世間から見れば、私とポリーナに大した違いはない。どちらも非道な人間兵器。

 けれど私という主観から見れば大きな違いがあった。

 それは、周囲を取り巻く人間たちであり、立場。

 今の私は公安から認められつつある。正体不明のボムガールとして世間からも受け入れられている。

 対して今のポリーナは、無人の荒野にただ独り、認めてくれる者はいない。

「……レゼの情報は調べたよ。上手くやってる。立派だって評価されるのは嬉しかった?」

「それは、まあ、そうだね」

「別に悪いって言ってんじゃないよ。……でもさ、人間って、イイところだけじゃなくてダメなところも見てほしいものじゃない?」

「ダメな……ところ?」

「人殺しでも構わない、悪いことたくさんしてたっていいじゃ~ん! ……ってね、受け入れてほしいでしょ?」

「それは……なんか……なんか、ダメじゃない?」

「ダメじゃない」

 雨降りしきる夜の中、2人の元モルモットが対峙していた。

 火の魔人はゆっくりと顎を上げた。遠い目で、どんよりとした分厚い雲の壁、その向こう側にあるはずの星々を探そうとしているようだった。

「……人間、誰しも短所がある。どうしようもないことだったり、直せるのに直さなかったり……。そういうダメな部分をまるごとひっくるめて受け入れてほしいと思うのが、人間でしょ?」

「それ、は……」

 脳裏をよぎったのはかつてデンジ君に敗れたときの記憶。あの時、私は浜辺で――

 

 

――私はたくさん人を殺したよ? 私を逃がすって事は、デンジ君、人殺しに加担するって事になるけどわかってる?

――仕方なくねえけど仕方ねえな。まだ俺ぁ好きだし。

 

 

 

 ……。

 ダメなんて、言えなかった。

 ポリーナは力強く宣言する。

「私もそういう“誰か”が欲しい。心の底から通じ合うような相手が」

「あなたは、もしかして」

 そうか。そういうことだったのか。

 ようやく理解した。ポリーナはたった一つの光を探している。

 彼女が欲しがっているのは、私にとってのデンジ君。

「レゼはよく見つけたね。あんなヤツ、どこにも居ないよ」

「いいでしょ。あげないよ」

「いらない。アイツは私を好きになってくれない」

「そう?」

「あの程度のバカじゃ私を受け入れられない。もっとネジが外れてないと」

「ポリーナ、あなたは……」

 なんとなく、分かってきた。

 ポリーナがメチャクチャをやる理由。アナスタシアを刺した理由。

 自身の短所を思い切り曝け出している。

 全てを見せて、それでも好きでいてくれる人はいませんか、と叫んでいる。

 ふと、ポリーナの最初の問いかけを思い出す。

「……もしも、あと数時間で死んじゃうとしたら――だっけ?」

「うん」

「誰かに受け入れてほしいいんだ? 心の底から」

「うん。でも“誰か”じゃない」

「そうなの?」

「狙う相手ぐらい決めてるよ」

 ポリーナはぽつりと呟いた。

 爬虫類のように縦に裂けた瞳がこちらを見つめている。人外で、魔人の瞳……害意は消えていた。その身を包んでいる炎の勢いが徐々に弱まっていく。やがて衣を解くようにして消えた。

「ねえレゼ、誰のことだか分かる?」

 ……。

 ………………。

 じっとこちらを見つめている。

 ……。

 えっ。

 あれっ?

 いやいや、まさか……?

 想定外の状況に思わず硬直してしまうが、ポリーナは眉を顰めるだけだった。

「――はい? いやいや……レゼのことじゃないですけど?」

「ん゛ん゛っ。……しっ、知ってるけど?」

「は~? なんだぁ、自意識過剰か~?」

「何言ってるか分かりませんねえ」

 ポリーナはほんの少しだけ口の端を釣り上げた。それは彼女にしては珍しい、苦笑の形だった。

「……知ってるよ。レゼは私の全部を許容できない。ううん、地球人類約60億人、その全員が私を好きにならない自信がある」

 それが事実と言わんばかりの落ち着いた声色だった。

 そんなはことない、と声をあげたくなる。しかし彼女におためごかしは通じない。

 ポリーナはほんの僅かだけ目じりを細めた。

「けどね、そういう普通の人類の感覚ってやつをまるで持っていないヤツならどうかなあ……? 殺人だってなんとも思わない頭のおかしいサイコパスなら……?」

「それって」

 じゃりっ、と背後で音がした。

 振り向くと、一人の女が立っていた。

 長身で、赤髪。額にびっしりと異形の鱗が生えている。

 もう一人の火の魔人。

「アナ、スタシア……」

 信じがたい光景だった。まだ生きている。

「これはやり残しなんだ。私の全部を体験させて、それでも許容してくれるヤツがいるのかっていう、最後の試み」

 感情の伺えないいつも通りの顔つきで、アナスタシアが立っていた。

 もうとっくに死んでいなければならないはずの女は、見れば、刺された鳩尾が燃えていた。

 ――そうか、あの火が原因で生き延びたんだ。

 火の魔人の糧は、また別の火なのだろう。雨風に晒されてなお燃え続けているあの腹部の炎は、きっとポリーナが点けたものに違いない。

 ポリーナが治した。

 自分で刺して、自分で治した。

 なんのために? それは最後の問いかけのためだった。

 

 これが、私です。

 簡単に信頼を裏切るような女です。こんな最低で最悪な私でも全てを愛してくれますか?

 

「ねえ、ナスチャ。私をどう思う? 会ったときから今の今までをぜ~んぶ総括してさ、私のこと……どう思う?」

 アナスタシアは逡巡しなかった。

「私は、」

 

 

 

 

 

 

 男は恋を忘れない。

 名前をつけて保存していく生き物だ。

 よって初恋は聖域になっていく。

 

 

 暗い雑木林に2人の悪魔が立ちはだかっていた。

 片方は、血の悪魔。

 もう片方は、マキマ――

 ありえない話だった。マキマが死んだから(ナユタ)が生まれた。それが揺るがしようのない事実のはずなのに。

 デンジはまるで疑っていない。

「お、おお~~、マキマさん生きてたんだ……。へへ、不思議! まあい~か。死んでるよか生きてるほうがいいもんな」

 あのマキマは本物だ――デンジと私の繋がっている部分がそう言っていた。

 所作、雰囲気、表情の作り方、全てがピタリと符合する。かつて同じ時を過ごしたデンジの記憶は確信を持っていた。あれは変身や模倣などではないと。

 だが私は断じて認められない。

「あなたは、だれ?」

 絞り出した問いかけに、マキマは反応しなかった。視線すら向けてこない。まるで私が初めから存在していないかのような態度だった。息が詰まりそうになる。

「デンジ君。チェンソーマンは元気かな」

「ん、ポチタ? 俺ん中いるぜ」

「それは良かった」

「もしかしてまだポチタ欲しいの?」

 なぜか、デンジの声を遠くに感じた。

「デンジ……?」

「マキマさんさ、家族みてえなもんが欲しいんだよな? 俺でよけりゃなれるけど」

 私を見ない横顔はこんな形をしていたっけ……?

 何かが、おかしい。

 これは幻覚? 精神攻撃?

 いいや違う。このデンジは本物。あのマキマも本物。2人だけで喋っているこの現状も……。

「デンジ君、チェンソーマンを渡してくれないかな」

「え~~……また?」

「今度は悪いようにしないよ」

「そうだなぁ」

 デンジは初めての女を見つめている。ずっと見ていたいと思っている。そんな認識がデンジとの繋がりから伝わってくる。思わず切ってしまいたくなるが、手放すなんてできそうにない。

「なあ、マキマさん」

 喉が渇く。

 デンジの穏やかな声色が私の心臓を刺激する。

「聞きたいんだけど、」

 やめろ……。

「まだ糞映画はないほうがいいって思ってる?」

 話をするな……。

「前にも言ったはずです。面白くない映画はなくなったほうがいいでしょう」

「あっそう」

 そっちを見るな!

「じゃ、やっぱ殺すしかねーな」

 

 マキマの首が飛んだ。

 

「え」

 零れた声は、どちらの支配の悪魔のものだったのか。

 デンジはすでに残身の態勢だった。こきりと首を鳴らし、凶器に付着した血痕をぴっと振り払う。

「マキマさん、考え直してくれね~かな?」

 赤い頭髪をした頭部がころころと地面を転がっていた。遅れて胴の切断部から血が噴き出した。ゆっくりと倒れこむ。

 デンジが、斬った。

 マキマを、斬った。

「デ、デンジ」

「なに?」

「マキマ、殺してよかったの……?」

「よかね~けど、しょうがねえだろ? 俺ん幸せ全部壊すって言ってたときのマキマさんと変わらねーなら、ヤるしかねえ」

「そっか……」

「つか、あれ? マキマさん復活しねえな? あれれ? 前んときは無敵だったのに。死んじまった? まじで? もっと話したいことあったのにィ!」

「……」

 なんだろう。

 今さら心臓がばくばく鳴り始めた。

「いてっ。んだよ!」

「マキマなんてどうでもいいでしょ」

「よかねェよ! ああ~、マキマさん死んじった! なんでェ!?」

「誰とも契約してなかったんじゃない? ダメージを肩代わりさせられなかった」

 えええ嘘だろ~、と呻くデンジに少し安堵した。同時に、僅かな疑念もよぎる。

 このマキマは本当にホンモノか?

 死体と成り果てた女はぴくりとも動かなかった。はたして支配の悪魔ともあろう者が保険もなしに戦いの場に現れるものか?

 さっきはデンジの直感に引きずられてしまったけど……私の物事を掌握する力も違和感を訴えていた。この死体は何かがおかしい。死の匂いが漂っていない。かといって生きているわけでもない。これは一体……?

「は……はらら?」

 振り向くと、血の悪魔。

 棒立ちのまま、あっけにとられていた。

「アイツの動き……見えんかった……」

「あ、パワー」

「……がはははは! お主、運がいいのう! ワシは用事を思い出したから帰るぞぉ!」

「あっ? おい、待てって!」

「デンジ、そいつ捕まえる? なら――」

 そのとき。

 レゼたちを監視させていたカラスから、ポリーナの声が届いた。

 

――だったら、

 

 声色に、背筋が凍りついた。

 全てを塗りつぶす憎悪。ただ本能で殺意を抱いているだけの悪魔ではけして持ちえない、人間特有の燃え上がるような憎悪を孕んでいた。

 

――どいつもこいつも死んじまえ。

 

「デンジっ!」

 叫びながら身を捩る。

 瞬間、たった今まで居た空間が炎に包まれた。

「ああっ!? アアチャアチャチャ!!」

「ぎゃいっ!? アアッアアア!!」

 火が、憎しみの炎が、闇の中、2人の人外を煌々と照らしあげていた。

 デンジと血の悪魔が燃えていた。

 

 

 

 

 

 

「私が、ポリーナをどう思うかって?」

 

 無感情な口調だった。

 アナスタシアは淡々と心境を並べていく。

「受け入れる? なんだそれは。そんなことを言われても、なんだ、困る」

 ポリーナは、

 案山子のように、

 突っ立っているだけだった。

「人の気持ちがどうとか、私には分からない。お前は知っているだろう」

 アナスタシアの口ぶりは平坦だった。

 顔つきも平常通り変わらない。

 何一つ、人の心なんて理解しないターミネーターのようだと恐れられていたモルモット時代とまったく同じ。他人なんてどうとも思わないし、思えない。

 それがこのアナスタシアという女だと言わんばかりの態度。

 ポリーナは、突っ立っているだけだった。

 小さな肩に雨が降り注いでいる。じゅうじゅうと蒸発して熱を奪い取っている。

 空には分厚い雲があるだけで、いくら待っても星なんて一つも見えてこなかった。

「………………はぁ?」

 聞くに堪えない声だった。

「マジで、言ってんの? 人生2回分も一緒に居たのに、分からない……?」

 僅かに震え、語尾は虚空に消えていく。

 こんな声、初めて聞いた。

「嘘でしょ……? 寿命ぎりぎりまで付き合って、分かるようにお話してたのに……。まだ好きと嫌いの感覚も掴めてないって……?」

「ポリーナ……?」

 私の声なんて届いていなかった。

 温度のない死人の顔つきで。

「カっ、スぅ~……」

 偽りようのない失意があった。

 その様相を私はよく知っていた。モルモットが何もかもを諦めて、己の命さえ投げ捨てると決めたときの声。

「はぁああ~……。カスじゃん。カスしかいねえ……」

「ポリーナ、違う、アナスタシアは、あなたのことを、」

「薄々分かっていたけどさ……。本当の同志なんてどこにも居ないって」

 空っぽになってしまったわけではない。元々空っぽだった。それを突きつけられただけ……そんな真実に辿り着いてしまったモルモットがどうなるか。私はよく知っていた。

「ポリーナ! 聞いて!」

「私は結局どこの輪にも入れないんだ」

 その目が言っていた。

 もう何も要らない。希望なんて最初からなかった。結局この世は自分かそれ以外。孤独に死ぬしかない。

「だったら」

 誰もが自分を仲間外れにして幸せになっている、そんな世界なんて目障りでしかない――

 金色の瞳に憎悪が灯る。

 乾ききった魂はよく燃えた。

「どいつもこいつも死んじまえ」

 

 

 

 

 

 

「アアチャアチャチャ!!」

「ギャアッアアア!! この火ィなんじゃ!? 消えんぞっ!?」

 デンジと血の悪魔が燃えていた。

 デンジは胴が、血の悪魔は腕の一本が。

 更に、私と繋がったカラスたちも燃えていた。遠い空で炎に蝕まれている。

 全て同時だった。同時に生き物たちが燃やされた。人間も、悪魔も、動物も。正確に命だけが燃やされた。

「探知……している?」

 命のある場所を。

 命の灯を。

「そんな力があったなら……」

 ソ連の魔人たちがモスクワが燃やしてなお生還できた理由が分かった。建物越しにピンポイントで発火できたなら例え相手が戦車に乗っていようが機関銃持ちの大部隊で囲もうが一方的に勝利できる。

 恐るべきはその射程距離だった。燃やされたカラスの場所から測るに最低300メートルはある。

「アっちいいい!」

 火は勢いを増していく。意思を持つかのようにチェンソーマンの全身を包みこんでいく。

「こんなの、どうすれば」

 火に触れてしまえば私も燃える。

 消すためには……。

 思い浮かんだのは“水”だった。しかし雨程度の水量では消えそうにない。

「……川。デンジ、川まで行けばっ」

「アッチャッチャ……だりゃあ!」

 瞬間、血の悪魔の燃え続けている腕をデンジが斬り離した。

「いだぁっ! ひっ、ひっ」

「逃げっ、逃げろっ、パワー!」

「な、なんじゃ……? ワシを助けた……? どうして」

「パワーっ! 俺んこと分かんねえのかぁあ!?」

「ぱわー……? ワシはそんな名ではないぞ!?」

「血の悪魔っ」

 座りこんだままの悪魔に教えてやる。

「彼は、キミと契約している!」

「しとらんが!?」

「キミの先代、前の血の悪魔と契約している!」

「前のワシぃ? そんなの別人じゃろ!」 

「かもしんねえけどよおおお!」

 デンジは叫ぶ。

「どうにか仲良くなって、もっかいバディになるって契約しちまったからよ! ああっづぅい!」

 血の悪魔は困惑するだけだった。

「……そんなの、前のワシが生きてるって思いたいだけじゃろ……。浅ましい慰めじゃ……人間は愚かじゃのう!」

 当然の反応か。

 私だってマキマとは『支配の悪魔』という名前でしか繋がっていない。マキマが結んだ契約や、マキマがやらかした悪事の責任を追及されても、どうしようもないのだ。

 つまりデンジの言動は自己満足でしかない……。

「知ってらあ!」

 なおも叫ぶ。

「でも知らねー! 契約……約束したんだよ!」

「……」

 血の悪魔は無言のままゆっくりと立ち上がる。土汚れをぱんぱんとはたき払い、「こわ」と呟いて、頭上の木の枝に移動した。チェンソーマンに指をさす。

「コイツ頭が終わっておる!」

 更に跳躍。枝葉の向こう側に姿を消した。

 夜の静けさにチェンソーマンが焼ける音だけが鳴っている。

 そのまま戻ってこなかった。

「……逃げた」

 逃げた。

 本当に逃げてしまった。

「えええ!?」

「いいから、今は火を消してっ」

 喚くデンジを叱咤して、雑木林を走り抜け谷底の川まで誘導する。チェンソーマンが飛びこむとじゅわっと水蒸気が沸き立った。

「っぷはぁ! うええ~~、やっと消えた……」

「大丈夫?」

「なんとか……」

 人間の姿に戻り、ぽたぽたと髪先から水滴が垂れている。雨に打たれ、川辺に座りこむ姿は孤立した野良犬のようだった。

「あのね、デンジ」

 そろそろ言っておかなければならないと思った。

「デンジと仲が良かったパワーっていう魔人はもう居ない。今の血の悪魔は、別人」

 のろのろと顔を上げたデンジ、その瞳を覗きこむ。

「全然違う悪魔。私とマキマが別人なのと同じ。分かる?」

「分かってっけど……」

 いいや、デンジは全然分かってない。

 パワーという故人を忘れられないのは仕方ない。でもそのために傷ついたり時間や労力を費やすのは間違っている。

 そう指摘すると、ふてくされた子供のように唇を尖らせた。

「俺んやってること、無駄ってか?」

「うん」

「あいつがパワーじゃなくて別人だから? でも仲良くなるのは悪いことじゃねーだろ?」

「仲良くなんてなれないと思う」

「なんでだよ」

「悪魔はね、人間なんか好きにならないから」

「ナユタは違うじゃん」

「それは、それは……いいの」

「ええ~、ズルくない?」

 座りこんだまま曇天を仰ぐ。雨粒をシャワーのように浴びていた。

「好きになってもらえなくてもいいじゃん。俺が仲良くしたいって思うぐらい、いいだろ」

「ダメじゃないけど」

 一歩間違えるとストーカーだ、と喉まで出かかった言葉を飲みこんだ。

 相手がどうあろうと好きで居続ける、そのぐらいの気持ちで自分も想ってもらえたらきっと嬉しい。

「ねえ、デンジ」

「なに」

「刺客のことなんだけど」

「あんだよ」

「サンタクロースが生きている」

「そーなの? 死んでなかった?」

「人間狩りの魔人になって復活した」

「にんげん……なに? 魔人? よく分かんねえんだけど」

「あと闇の悪魔の肉片を食べてパワーアップしている」

「もう何がなにやら」

「あいつを倒せば全部終わる」

「ふ~ん、そっか」

 腹をぼりぼり掻いて、あくびを一発。

 ぼろぼろに焼け焦げたシャツを捲りあげ、スターターに指をかけた。

「それならよく分かるぜ。つまりよ、しつこいサンタクロースの野郎を」

 

 ヴヴン

 

「ブッた斬りゃあいいってハナシだろォ!?」

 

 

 

 

 

 

 周辺全ての生き物が居た場所に火が点いた。

 道に倒れ伏していた公安職員たちも呻きをあげて身を捩る。

 ポリーナ自体も再び炎の鎧を纏った。その熱量は先ほどまでの比ではない。

 目の粘膜が乾いて直視し続けることさえできない。足が勝手に後ずさり、対峙することもできず顔を腕で覆った。

「ポリー……ナッ!」

 本気の出力だった。

 一切の手心がない、自身も含めて全て塵になってしまえばいいという渾身の殺意。

 全員死ね、と聞こえてくるような憎悪に対抗する手段はなかった。ただ間抜けのように元仲間の名前を呼び続けるしかない。あまりにも無力だった。ただ力が足りないというだけで誰も救うことができない。

「ポリー……ナ……」

 ふと思う。もしかしたらポリーナもモルモット時代はこんな気持ちだったのかもしれない。

 どうにかしたいのにどうしようもない。それでもどうにかしたいなら……プライドもモラルもエゴも捨てて、たった一つに噛り付くしかない。

 そのなれの果てが今の彼女の姿だった。でも、彼女だって始めからそうしたかったわけじゃない。

 だったら、私ができることは――

 

 火が消えた。

 

「……え?」

 突然だった。全身を圧する熱波が消えていた。

 恐る恐るポリーナを伺うと、真横を向いていた。炎の鎧も解いている。無防備に、首だけを回して、何かを凝視している。気を取られている。

 森の奥から、

 誰かが来る。

 がさりと雑草が掻きわけられた。

 そこにありえない女を見た。

「ふ、ふふふ」

 見覚えがあった。

 秘密の部屋のかつての仲間。

 透けるような白い肌と波打つブロンドヘアー、澄んだ青い瞳。男のみならず同性をも魅了する美しい容貌。スラブ系の彼女の顔は夜の山中でも存在感がありすぎる。

「ヴェロ、ニカ……?」

 身が凍りつくと同時に、理解する。

 アレは偽物だ。

 彼女はとっくに死んでいる。顔も整形前のものだった。本物のわけがない。

「よお~レゼ、ポリ~ナぁ」

 しかし、アレの所作、雰囲気、表情の作り方、その全てが私の記憶にピタリと符合した。かつて同じ時を過ごした記憶が確信を持っていた。あれは変身や模倣などではない。

 アレは本物。

 ……いいや、違う! そんなわけない!

 彼女はこの手で殺した! 間違いない!

 なのにヴェロニカは当たり前のように喋りだす。

「やっと決めたよ、建国記念日のプレゼント……。ポリーナは悪魔のリストで、レゼは各国のデビルハンターのリスト、アナスタシアは心理学の本、だったよな……。私たちはチームだ、お互いが見せ合って得をするようなモノを選ぶ必要がある。そうだろう?」

 ヴェロニカの言葉には聞き覚えがあった。

 間違いない。一言一句、正確に、過去に放った台詞をなぞっている。

 ありえない話だった。例え秘密の部屋の監視員であろうとここまで知っているわけがない。

 この台詞を知っているのは私たち4人だけのはず。ということは……? 私たちしか知らないってことは……私たちの記憶が元になっている……?

 記憶を、再現している?

「私がもらった情報はな、」

 ぞわり、とうなじの毛が逆立った。

 どこか近くにそういう能力をもつ悪魔がいる。それはいい、問題は、コレがあの時の記憶を再現したものならば、続く台詞がポリーナにとって最悪のものになるということだ。

 ポリーナ……!

 おそらくソレを察知した彼女の見かけは人形のようだった。しかし狂気が、内部であらゆる情動が引き絞られている。津波の前の潮引きを連想させる静けさで、抑えようのない憎悪が暴発のきっかけを待っていた。

 アレに続きを言わせてはならない。

「止めろっ、ヴェロニカッ!!」

「私がもらった情報は、お前の家族の居場所だよ、ポリーナ」

 当時のように、ヴェロニカはけたけたと笑った。

「お前、外の世界で家族が生きてんだろ? いつかここを出て会いに行きたいんだって? だったらよ、どこに居るか知っておいたほうがいいよなあ……? 優しい私はこう思った。教官に調べてもらおうって」

 モルモットは何も持っていない。

 金も家も家族も無くし、名前や戸籍に故郷も失った。だからこそ従順な兵士になれる。

 逆を言えば。

 モルモットがそれらを持つことは許されない。

「さっき情報が届いたよ。お前の家族の居場所な……昨日まではナントカって村で働いてたらしいぞ。けどなあ、今日になったら、なんでかは分からねえけど! 墓の中に居るってよぉ!?」

 ははははははは!

 笑う。笑う。笑う。

 悪意に満ちたその台詞は当時のポリーナを破壊した。家族のために他のすべてを犠牲に捧げた少女が、その一本しかない大元を断たれれば正気が散り散りに消えてしまっても無理はない。

 過去のヴェロニカは悪辣に顔を歪ませた。

「モルモットがァ! 家族なんてもってていいわけねえんだよ! ざまあみろバァーーカ!!」

 

 ぶつり、と。

 ポリーナが狂気に踏み出す音を、確かに聞いた。

 

「――てめえッ、ヴェロニカ!! ぶっ殺してやるッ!!」

 苛烈極まりない殺気に満ちた形相が叫び終えるよりも遥かに早く、ヴェロニカの形をしたモノが消滅した。その熱はもはや炎のていをなしていなかった。白熱が空間を塗りつぶし、1秒で存在を掻き消した。

「はぁっ、はぁっ……」

 陽動だ。

 私の経験則が言っていた。

 誰だか知らないが意味もなくこんなことをするわけがない。この“攻撃”は明らかにポリーナを狙い撃ちにしている。彼女の注意を逸らすために仕掛けている。

 そのぐらいポリーナだって理解していた。

 狂気に浸りながらも染みついた戦闘経験は隙を晒すことを許さない。抗いがたい殺意に身を委ねながらも注意力をいくらか残していた元モルモットは悪鬼の顔つきで振り返る。誰だか知らないがよくもこんなものを見せてくれたな、よくも最悪を思い出させてくれたな! 聞こえてくるような眼光が睨みつけたその先は、ヴェロニカが現れた茂みとは真逆の方向、そこに本命の刺客がいるはずだった。

 事実、居た。

 虚空より人影が生成されていく。2人の大人……中年の男女、あれが本命? 一般人にしか見えない――

 なぜかポリーナの殺意がいっぺんに消え失せた。

 呆然と、困惑さえなかった。とっくの昔に忘れてしまった夢を見つけたような、放心した表情で、

Пап(パパ)……Мама(ママ)……」

 彼らは全てを許容するように腕を大きく広げていた。

 暖かな抱擁。受容の眼差し。両親との再会。

 待ち望んでいたその光景にモルモットが抗えるわけがない。

 例え偽物と知っていようとも。

 

 黒い稲妻が駆け抜けた。

 

「あ……」

 防ぐ間もなかった。残像のみを残した一撃が、ポリーナと偽の両親を諸共引き裂いた。

 ばくり、と少女の胸元が裂けていた。胸筋も、胸骨と肋骨も、その奥にある心臓さえも見えた。一太刀に斬り捨てられていた。

「ポリーナッ!」

「!」

 アナスタシアさえ反応できなかった一撃を放ったのは濃密な闇の塊、人の形をしたブラックホール。

добрый вечер(こんばんわ)、ソ連のモルモットさんたち」

 闇が、喋った。

 奥行さえ掴めないソレはどうやら生き物のようだった。たった今斬り裂いたばかりのポリーナを黒い顔面が見下ろしている。

「心臓を斬り裂かれれば超越者の魔人でも死ぬでしょう。もう血を与えても治りません」

「お前は……!」

「サンタクロース。私の標的は、全ての、ここに居る全ての生き物です」

 ポリーナは呆然と膝をつく。

 口を半開きにして、一直線に斬り裂かれた父と母のようなナニカを凝視していた。彼女の裂けた心臓からは噴水のように血が噴き出していた。亡骸と地面に引火して化合物へと変えていく。幻想でしかないという事実を突きつけられ、少女は血まみれの顎をわなわなと震わせながら、砕けた想い出をただ見ていた。

 火が弱々しくなっていく。

 風が吹けば消えてしまいそうなほどに。

「これでもう私を滅せる存在はいません」

「お前」

 アナスタシアが、

 一変したサンタクロースの姿にはまるで言及せず、一歩踏み出した。

「お前はやはり邪悪な侵略者だったな」

 その手には、幼児ほどの大きさの悪魔が掴まれていた。

「ギ、ギギギ!」

 ばきり、と首をへし折った。

 おそらく記憶を再現していたであろう悪魔が死んだ。当然だ、弱い方から殺す、それは戦士の鉄則、戦争の鉄則。

 俄かに殺意が滲み出る。

「よくも私の……、ポリーナを、侵略したな。お前は敵だ。必ず殺す」

「どうぞ。やれるものなら。私は闇の肉片を取り込みました。闇の中での攻撃は」

 

 ズドン

 

 アナスタシアの貫き手が闇の首を貫通した。しかし。

「……通じませんよ」

「みたいだな。だからなんだ?」

 足を広げ、両の拳を持ち上げた。それはアナスタシアの徹底した攻撃性を象徴する戦闘教義。

 絶対に退かず、絶対に止まらない。例え屍と化そうともひたすらに前へと進み、攻撃を続ける。

 どちらかが死滅するまで止まらない縦深攻撃ドクトリン。

「初めてだ。誰かを殺したいと思ったのは」

 けたたましい炸裂音が鳴り響く。開戦の合図だった。重火器が火を噴く振動にも劣らない音の洪水の中、それでも私は瀕死のポリーナから目が離せない。

「ポリーナ、ポリーナ!」

 なんで。どうして。

 そんな疑問が頭を占有して離れなかった。

 確かに彼女は酷いことをした。今さっきだって無差別に何人も殺そうとした。死刑を宣告されても仕方ないような女かもしれない。だとしても。

 こんな殺され方をされる謂れはない。

「ポリーナッ」

 絶対に助からない。それは分かっていた。

 どう声をかけてやればいいか分からずに狼狽えている自分がいて、そんなことをしている場合ではないとも知っていた。どうしても見放すことができない。何故なら自分だって何か一つ間違えていたらこうなっていたかも分からないから。

 もしもボムの心臓を手に入れることができていなかったら。

 もしもデンジ君に会えていなかったら。

 一つの納得もなく死んでいたのは自分のほうだったかもしれない。

「ポリーナ……」

 けれどポリーナは。たった一つを切望し、結局何も手に入れられなかった少女は、呼びかけに応えずに、ただ塵と砕けてしまったニセモノの両親の残骸を眺めているだけだった。

「………………」

 血が抜けて冷たくなっていく自身の身体を弱々しく搔き抱く。顎先を痙攣させ、虚ろな瞳で虚空を見つめた。

「……もう…………いい……」

 小さな身体がくの字に折れる。アスファルトに額をついて、呟いた。

「さ…………さむ……いよう…………」

 うつ伏せの、芋虫のような態勢で、動かなくなった。

 地面にじわじわと血が広がっていく。もう火は点かない。黒々とした液体がひび割れたアスファルトの隙間に滴っていく。

 ポリーナはそのままずっと動かなかった。

 知っていた。

 こういう姿を私はよく知っていた。

 何度も何度も見てきた。もう平気になっていたはずだった。

 なのに、何故か。今回だけは。

「なんの、ために」

 ぽつり、と。

 意識せずに転がり出てきた言葉は、遠い過去に切り捨てたはずの疑問だった。モルモットになったばかりでまだ人間性を残していた頃の疑問。

 なんのために?

 私たちモルモットはなんのために生きている?

 そんなことを考えても意味はない、むしろ邪魔になるだけと一切の感情を持ちこまないと決めていたはずの疑問が、今になって抑えようのない奔流になっていた。

「生きてるのに」

 命が、人生が。

 一つの納得もなく終わらされていいの?

「――」

 振り返ってみれば、アナスタシアと黒い人影が乱撃を交差させていた。

 夜の静けさを破る無数の擦過音が大気をかき混ぜている。影の輪郭はぼうとして遠近感も掴めない。目で追うのがやっとの高速が放たれているがアナスタシアは最小の動作でいなしている。彼女は間髪入れずに反撃を叩きこみ、闇人間の腕・関節・急所を同時に破壊した。

 しかし闇は甦る。

 逆回しのビデオのように修復され、その途上をまた火の魔人は破壊した。

 修復、また破壊、修復、また破壊……。

 サンタクロースは無限に連なる命を湯水のように使い捨てている。それが私にはどうしても許しがたい侮辱に感じた。

「一つだってままならなかった人がいるのに」

 モルモットに生きる意味はあるのか。

 安い命に意味はあるのか。

 無い、と断ずるようなサンタクロースの立ち回りに、血液が煮え立ち、切り捨てたはずの情動が全身を駆け巡っていた。呼吸がままならなくなるほどに胸が熱い。心に火が点いていた。

「サンタクロースッ!」

 駆けだして握りしめた拳、振りぬく前に敵の一閃が飛来した。

 速い、横薙ぎの一撃、

 見えるぎりぎりの音速を避けられる態勢では既になく、ここは身を固めて防ぐしかないと私の戦闘経験が言っている。

 でも防いでしまえば殴れない。

 だから受け流すほうに全てを懸ける。

 片腕を掲げて刹那に集中、接触の瞬間、私はダメージを受け流す経路となる。

 受け止めた右腕から運動エネルギーを三角筋、脊柱へと伝わせて、横方向から斜め方向へと体内で捻じ曲げる。脚にまっすぐ通してアスファルトに衝撃力を押しつけた。

 

 ドッ

 

 足裏の地面が割れると同時、会心のクロスカウンターで撃ち抜いて、サンタクロースの頭部を真後ろにへし折った。視界の隅でアナスタシアが眼を見開いているのが痛快だった。

「お前、横方向も流せるようになったのか」

「あなたのおかげ、ポリーナのおかげ」

「なに……?」

「意味はある。私たちには生きる意味が」

 ゆっくりと、仰け反ったサンタクロースが上体を持ち直していく。

「無駄です……。あなたたちが何をしようと私には通じません」

 闇の肉片を取りこんだというサンタクロースがごきりと首を鳴らす。

 既に無傷。既に万全。

 夜が続く限りコイツは確かに無敵なのだろう。

 対抗手段は光。けれどそれを手に入れる手段は思いつかない。

 この雨の中で唯一火を出せたポリーナは退場し、山中には街灯すら設置されていない。町中にある電気製品のたぐいはとっくの昔に人形兵によって破壊されているだろう。

 そんなことはどうでもいい。

「どうして、ポリーナを殺した」

 黒いシルエットはほんの僅かに首を傾げ、

「依頼。仕事。その邪魔になるからです」

「そっか。仕事は大事だ。みんな仕事をして生きている……。殺しだってそう。悪いことでも仕事は仕事、私たちもそうやって生きてきた。だからあなたを非難しない。非難はしないけど……」

 眩むような激情が走り抜け、

 首元のピンを引き抜いた。

「お前は絶対に許さない!」

 

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