レゼのハートに火を点けて   作:シャブモルヒネ

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dead end

 遠雷の轟きが肌を震わせる。

 雨粒が地に弾ける豪雨の中、三人の殺しのプロフェッショナルたちが拳打を交差させていた。

 打ち砕く手刀、あるいは穿つ貫き手が飛び交って、鮮血が散ったそばから雨のシャワーに洗い流されていく。粘りつく大気を掻きわけながら、レゼは突き出した二本指を放りこむ。

 

「シッ!」

 

 お手本のような目潰しがサンタクロースの眼球を貫いた。

 しかし闇の肉片をとりこんだ魔人はまったく怯まない。痛みなど知らぬとばかりに怒涛の攻勢を続行する。だが視力は失っていたのだろう、一撃は虚しく空をきる。

 致命的な隙である。

 魔人アナスタシアの瞳が光る。

 まずは顎、

 続けて咽頭、

 更に肝臓へと攻撃が叩きこまれ、

 よろめいた膝の半月板が一息に踏み砕かれた。

 とどめとばかりに無防備になった胸部に掌底が叩きつけられる。

 

「く、かっ」

 

 立てる道理そのものを壊されて、漆黒の身体がずるりと傾いでいく。

 刹那、レゼはこう思う。

 

 ()()()()()()のは気が楽だ。

 慣れているし、自分では何も決めなくていい――

 

 ぺたり、と。

 サンタクロースがアスファルトに片手をついた。

 警戒はしていた。

 闇の肉片をとりこんだ彼女は不死の生き物だ。負傷はすれど回復する。

 例え脳を揺さぶられ平衡感覚を失おうと、膝を破壊されて立てなかろうと、反撃がこないとは限らない。

 レゼに油断はなかった。

 アナスタシアにもなかったはずである。

 しかしサンタクロースが平然と拳を握りしめたとき、モルモット時代最強だったはずの女はまったく反応しなかった。

 サンタクロースの一撃が赤い魔人の眼前に迫る。

 それでも彼女は指先一つ動かさない。

 ゆえにレゼは右の踵を大地に蹴りこんだ。

 

「ひゅ」

 

 ゴキリ、と首の骨が真後ろに折れる音、

 サンタクロースの身体が雨のカーテンを突き抜けて、砲弾の勢いでアスファルトを跳ね転がっていった。

 ふう、とレゼは掌底を突き出した格好のまま息を吐く。

 残身を解く。見れば、隣ではアナスタシアがどこか焦点の定まらない目つきで正面を眺めていた。

 

「どしたの。電池切れ?」

「…………まあ、そんなところ、だ」

 

 アナスタシアはようやく緩慢に動きだす。億劫そうに胸の内ポケットに震える指先を突っ込んだと思ったら、取りだしたのは鈍色のスキットルだった。回復用の血液が入っているのだろう、蓋を開け、口元まで運んだが、そこで止まった。

 飲まずにレゼに手渡そうとする。

 

「お前が飲め……」

 

 軽く振ってみると、もう一口か二口分ほど残っていた。

 

「くれるの?」

「私が飲んでも、意味がない」

「なんで?」

「寿命がきた……」

 

 ああ、そうか、とレゼは思った。

 他には特に浮かばない。

 ゆっくりを天を仰いでみる。

 雨粒が額に弾けている。呼吸ができなくなるほどの勢いに寸刻身を任せてみた。

 

 多分、彼女はどんな言葉も欲しくない。

 

「…………あれ? サンタクロース、どこ行った?」

 

 見通しだけはいい直線道路、であるはずなのに、夜の暗がりへと転がっていった殺し屋の体が見つからなかった。

 素早く周囲に目を走らせる。

 右、左、ともに樹木がそびえ立っている。生き物の姿はない。

 

「隠れたかな。このまま撤退してくれるわけは……ないよねえ」

 

 溜め息を一つ。

 ひとまず状況を再確認する。

 敵はサンタクロース。友好戦力はアナスタシア。

 状況を打開するためには光が必要だが、既に対策されてしまっている。街灯等の環境要素は潰されており、この雨の中でも火を作ることができたポリーナは最初に排除されてしまった。

 つまり、現状、勝機は見当たらない。

 

 ゆっくりと首を巡らせながら考える。

 これ以上は無意味だ。

 逃げるべきだ。

 それは痛いほど分かっている。

 しかし、それでいいのか? という想いが拭えない。

 モルモット時代と何も変わらない。状況と環境を見極めて冷たい方程式に従うだけの人間兵器のやり方のまま。

 かつての仲間がまた一人死に、更にもう一人も消えようとしているこの状況で、自分はただその後のことだけを考えようとしている。

 今、何か、できることは本当にないのか?

 彼女たちのためではない、他ならぬ自分自身が後悔しないために。

 

「おい……5分間ぐらいは……もたせてやる」

 

 アナスタシアが口の端をぎこちなく吊り上げていた。

 

「お前は、逃げろ。状況不利なら後方転進、逆襲に備えよ……ってやつだ」

「何? もしかしてだけど、かっこつけてんの?」

「こう言えば伝わるか? 〝任務達成は何よりも優先される”……お前の任務は……護衛だろう?」

「……そうだけど。あのね、私は」

「さっき思い出したんだ」

 

 軽く周囲を警戒する。

 サンタクロースはまだ仕掛けてこない。

 さしもの闇の不死性もあれだけ人体を破壊されれば治るまでに時間がかかるのかもしれない。

 

「火の魔人になって蘇るときにな……殺し以外の道を試してみろって、薦められた。そう、確か……面接の悪魔ってヤツにだ」

「はい? 何それ?」

「さあ……。どうにも記憶が、曖昧だ。どう答えたのかも、忘れた」

「それが、何?」

 

 遠雷がまた一つ。

 雨風を身体中に浴びながら、これが最期の会話になるかもしれないと思う。

 

「ちょっと考えた。けど分からなかった。私は、戦士だ。他のなんて知らない。私ができるとしたら……傭兵とかデビルハンターとかで……。要するに、今のお前みたいなもんなんじゃないかって思うんだ。お前、テレビで紹介されてただろう? 子供を助けたとか……。だから真似してみようって思った……」

「真似って。そんなのでいいの?」

「何が」

「最期にやるのが人真似でいいの? 他にしておきたいこととか……」

「無い」

「何かあるでしょ。これだけは、みたいなことが」

「無い。私はずっと……周りの真似をしてきただけだ」

 

 上手くできかったがな、と零しながら、アナスタシアはのろのろとレゼに向き直る。

 縦に裂けた人外の瞳。

 何も知らないという彼女の瞳は湖面のように透き通っていた。

 その瞳に、相対するレゼ自身の姿が映っている。

 

「お前は違うんだろう?」

 

 レゼは息を呑む。

 口を開く。しかし言葉は出ない。

 

「ポリーナはな、家族に会いたいと言っていた。生き延びるためならなんでもやると……。ヴェロニカは……立派な戦士になる、だったか。じゃあ、お前、は……?」

 

 アナスタシアは言葉を続ける。

 

 秘密の部屋で、レゼはいつでも“正しい人”だった。

 教官たちは褒めていた。

 モルモットたちは優等生と呼んでいた。

 そんなレゼが戦士の道を外れたからにはそこには“正しい何か”があったんだろう、と。

 

()()はきっとイイもんなんだろうな……。子どもを助ける? 誰かを守る? きっと戦士よりも正しくて、立派で、カッコいいやり方ってわけだ……。なあ、そうなんだろう……?」

 

 異論は無い。

 日本のデビルハンターはソ連のエージェントとは全く違う。

 暗殺はしない。

 誘拐もしない。

 工作活動もやっていない。

 実際に民間人を守るために働くし、つい最近は女の子を助けてテレビでヒーロー扱いもされている。

 正しくて立派で人の役に立つ職業だ。

 けれど、同じようにやってみようとするアナスタシアに対し、その背中を押してやりたいとまるで思えていない自分がいることに気がついた。

 何故ならば。自分でもヒーローになりたいなんて全く思っていないから――

 

「レゼッ!!」

「――ッ!?」

 

 衝撃、

 

 視界が、ぐるりと浮き上がる。

 一面に広がったのは灰色の分厚い雲、

 高い。

 景色が流れていき、眼下を見下す角度になると鬱蒼とした森が広がっているのを見てとれた。

 黒々と濡れたアスファルト道にはアナスタシアと彼女に肉薄するサンタクロースがいて、少し離れた場所にはポリーナの死体がうつ伏せになっていて、その傍には首のないボムガールが膝をついて今まさに倒れこむところだった。

 

 あれ、

 私の体だ……?

 体だけが下にある……?

 

 7秒間。

 それはギロチン処刑で首を切断されてから意識が消えるまでの時間。

 

 呆然と、ぐるんぐるんと宙を舞う視界の中で、サンタクロースに首を跳ね飛ばされたと理解した。

 ゆっくりと重力の赴くままに放物線を描いていく意識のなかで、ただ愕然としているだけだった。

 

 

 公安には“正しさ”があるかもしれないけど

 私、別に正しい人になりたいなんて思ってない……

 

 

 

 

 

 ――意識が奈落に落ちていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 細い、線のような光が集まってくる。

 

 

 白く――

 鮮明になりつつある世界。

 

(ここは……どこ……!?)

 

 風が通り抜けていく。

 ほんの僅かな認知が生まれ、自我のようなものを掴んだ。

 世界の境界線――その輪郭が見え始めたとき、唐突に、その声は果てよりやってきた。

 

『やあ、お待ちしておりました』

 

 顔を上げる。

 ビジネスマン風の男が正面に立っていた。

 顔は――無い。

 クレヨンで塗りつぶされたかのような雑な筆致で隠されている。

 モザイクの役割を果たす黒塗りはまるでパラパラ漫画がめくられるかのように一秒事に形を変えた。それでも男の人相は見えてこない。その奇妙な在り様に、一つの疑念が脳裏に湧いた。

 

「キミ……悪魔?」

『そうです』

「何の悪魔?」

『私は、面接の悪魔と申します』

 

 思わず目をしばたたかせてしまう。

 さっき聞いたばかりの名だ。

 

「ん、んん……面接、さん?」

『はい。面接の悪魔です』

「はあ、それはどうも。どうも……?」

『どうぞお座り下さい』

 

 気がつけばパイプ椅子が用意してあった。

 一瞬迷う。

 面接の悪魔。その情報は知識にあった。

 

 ここは……きっと異空間。

 私は引きずり込まれた。

 あの悪魔と言葉を交わし満足させなければ出られない……。

 

 じわじわと現状が染み入ってくる。

 それでも意識を切り替えるには数秒を要した。

 息をつく。

 あえてゆっくりと腰掛ける。

 背筋を伸ばし、同じく正面に座った正面の悪魔を真っすぐ見つめた。

 

「初めまして」

『初めまして。……いやはや、モルモットの方々の反応には毎回驚かされますね。こうもすんなり対話に応じてくれたのは貴女が初めてです。もしかして私をご存知なのでしょうか?』

「知ってる。面接の悪魔。人間の意識に侵入して精神を攻撃する性質をもっている。……といってもキミにできるのは言葉を投げつけることだけ。私はただ答えていればいい……そうでしょ?」

『ええ、ええ、概ねそのような認識で結構です』

「あのね、分かってると思うけど、今すんごい修羅場なの。こんなタイミングで仕掛けてこないでほしかった」

『誠に申し訳ありません。私は貧弱な悪魔、対象の意識が途切れたときにしか接触することができないのです」

 

 周囲を見回してみる。

 壁はなく、天井もない。白くまっさらな床が地平線まで広がっている。

 空はペンキで塗りたくったような単純な青一色。

 ここは虚構の世界というわけだ。

 

『ご安心下さい。ここで過ごす時間は現実世界では一瞬です』

「で、何を聞きたいの」

 

 声に棘が混じってしまう。

 外の世界で私は首を斬り飛ばされた。それはいい。首がなくてもスターターを引いて復活することはできる。そのための反復訓練だ。

 しかし問題はアナスタシアだ。彼女は今、一人でサンタクロースと戦っている。

 穏やかな心地で問答できるわけがない。

 

「……ふぅ~~」

 

 鼻から大きく息を吸って、時間をかけて吐きだした。

 落ち着け。

 いついかなる時でも冷静に状況を見極めて、最良の結果を選び取る。それが私の得意とするやり方じゃないか。

 

『そろそろ始めてもよろしいですか?』

「あ、えーと、この面接って切り上げて退出できたりする?」

『できません。諦めてください。……では改めましてお伺いさせていただきます――貴女のお名前は?』

「レゼ。って名付けられて、今もそう名乗ってる」

『自己紹介をお願いします』

「はい、質問」

『どうぞ』

「その自己紹介って、誰相手で、どういう目的の設定でやればいいの?」

『相手によって言葉が変わるのですか?』

「そりゃそうでしょ」

『では私に対して。普通に』

「普通って何。プライベートで友好関係を結びたいとか、ビジネスライクに取引条件と立場を明確にして舐めたら潰すぞって威圧するとか、色々あんでしょ」

『す、素直な気持ちのままで、どうぞ』

「じゃあ……え~、わたくしレゼは大きく分けて二つの経歴を持っております。前職ではソ連でエージェントをやっていました。主な業務は捕縛、潜入調査、暗殺、尋問、工作活動など、幅広い分野での経験があり、特に対悪魔戦は得意としております。単独での戦闘はもちろん、部隊を指揮しての戦闘においても実績があります。機会さえいただければあなたに対しても実力を発揮できると確信しております。えー、現職は日本の公安に所属するデビルハンターです。一般市民や我々公務員に対して害をなすクソ悪魔を速やかにぶっ殺して日本国民と私の心の平穏を守りたいと切に願い日々職務に励んでいる次第であります。今後も、というか今この瞬間こそこれらのスキルを活かして社会貢献したいと考えています」

『…………どうも。率直なお言葉に感謝申し上げます……』

「ほんとぉ?」

『気持ちは伝わりましたよ。ビシビシとね』

「良かった良かった。じゃ次の質問どーぞ」

 

 悪魔はこほん、と一つ咳払い。

 

『人を殺すのは悪いことでしょうか? 貴女の考えをお聞かせください』

「悪いことですよ」

 

 即答。

 

「どのような理由があったとしても一方的に生命が脅かされるような事態はあってはならない」

『しかし貴女は何人も殺害しています。例えそうせざるをえない環境におかれていたとしても許されるべき行為ではありません』

「当然のことです。被害者とその遺族の方々には申し開きのしようもありません。取り返しのつかない行為をしてしまったと深く反省しております……。これでいい? あのさ、一つ聞きたいんだけど」

『なんでしょう?』

「この質問、意味ある?」

『……無いでしょうな。それが今、分かりました』

 

 面接の悪魔は足を組み替える。

 

『悪いとされることをしたとは知っている。開き直っているわけではない。ただ整理がついている……これでは私もほじくり甲斐がない』

「では次の質問をどうぞ」

『貴女の将来像をお聞かせください』

「んー」

 

 公安のデビルハンターとして真摯に働き、内外の信頼を勝ち取る。

 認められれば役職を得、自身の過去の経験を活かして組織体制の強化に寄与する。

 

「って感じかな」

『……』

「他に質問は?」

『いえ、特にありません』

「あれ、終わりかな」

 

 悪魔はどこからともなく一枚の紙をぺらりと取りだして、無言で見つめている。

 

「それ、なに?」

『貴女の人生の履歴書です』

「へえ。見せてよ」

『ダメです』

「えー」

『貴女は……』

 

 悪魔はほんの僅か背もたれに寄りかかり、言葉を探した。

 

『貴女は素晴らしい人間のようです』

 

 よく分からない。

 

『狭められた少ない選択肢から最善の道を模索して、失敗を回避し続けてきた』

「はあ」

『とてもつまらない人生です。後悔のない生き方にどんな面白味があるというのです?』

「そういうの最近も言われた」

『私は特異な人生を送っている人間が好きです。考え方が歪んでいるからです。他のモルモットの方々も、デンジさんも、そして本日生命を失った多くの方々も、それぞれ独特の思考体系をお持ちでしたよ』

「キミ、中々いい趣味してるね」

『……安全を確保し、集団に受け入れられ、やがて認められる。それが最も効率が良い道と知りながらも脇道に逸れてしまうのが人間です。貴女は違う。真っすぐ進める』

「そりゃどうも?」

『やりたいことは無いのですか?』

「さあ……」

『夢や目標は』

「まだ早いかなって。まずは地盤固めを優先したい」

『どういうことです?』

「ほら、私ほぼテロリストだったから。もっと信頼を得ないといかんのですよ」

『それでも願望ぐらいはあるでしょう?』

「んー、考えてはいるんだけどね」

『生存すること、周囲に溶けこむこと。そんなマニュアル通りの生き方以外はできそうにありませんか?』

「分からないけど……」

 

 手を抜くことなく生きてきた。

 あらゆる技術、打ち解けるための話術・表情の作り方、言語習得……エトセトラ。

 その自負が今の自分を形作っている。

 つまらないかどうかなんて重要じゃない。

 能力がなければそもそも生きていけないのだ。

 それはこの比較的平和な日本においても変わらない。有能さを示せなければ足切りされるだけの人生になってしまう。

 

「大体さ、夢なんてないのが普通でしょ?」

 

 例えば、家庭。学校。友達。恋愛。普通の人生? そんな常識だけは習っている。

 けれどそれはそんなにおかしなことだろうか?

 知識でしか知らなくても生きていけるし、実際そんな人たちはごまんといる。

 例えば恋愛映画を観て最高の恋愛を知った気分になっているような人たちが。

 

「生き甲斐のある人生なんて、それこそ夢の中だけでしょ」

『ふむ……』

 

 悪魔は一つ頷くと、組んだ脚の上に肘を立てた。

 行儀悪く頬杖をつき、首を傾けた。

 

『貴女は弱みを見せるのが怖いんですね』

 

 心臓が止まったかと思った。

 

『けして失敗してはならないと思いこんでいる。エージェントとして優秀な技術を獲得しようと、ボムの力を持とうとも、所詮は一個の生命でしかない。他者の力なくしては生きられない……。その謙虚さが貴女をここまで生き延びさせたかもしれません。しかし、どうでしょう? ここは秘密の部屋ではありません。そもそも貴女はそんな環境から解き放たれて未知の可能性を手に入れたいから外の世界に飛び出したのでは?』

「だっ、」

 

 だから。

 〝まだ地盤固めの時期だって言ったでしょ”

 それだけの言葉が何故か喉奥から出てこない。

 

『……アナスタシアさんの寿命は残り数分といったところでしたかな? 彼女は人生の意義も掴めずに終わります。それが普通だと、当たり前で納得できる人生だと貴女は言ったわけですが……本当にそう思っているのですか?』

 

 何も、言えない。

 肯定などできるわけがなく、ましてやきっぱりと否定できるだけの実感も持ちあわせていない。

 夢、目標、生き甲斐。

 何一つ、知らなかった。

 だって人間ってそういうものだと思っていた。

 夢だの目標だの生き甲斐だの、そんなものは恋人や資産と似たようなもので、余裕のある人だけが持てる贅沢品なのだ、と。

 

 けれどアナスタシアは5分後に死ぬ。

 そんな彼女に「あなたには何かを掴む資格はありません。無為に死ぬしかないんです」と言えるのか。

 

『貴女は夢というものを〝普通に”生きていくうちに自然と形成されていくものだと思っているようです。……そんなわけがないでしょう。人間は悪魔と違って存在意義がありません。自分で見つけださなければならないんです。……さて、そのために必要なものは何だと思いますか? お答えください』

「そんな、のは」

 

 面接の悪魔がじっと見つめている。

 モザイク状の顔面の、その奥にあるであろう瞳に自分の姿が映っていると思うと目を逸らすことができない。

 

「正解なんて……ないでしょ?」

『そうです。ありません。ゆえに、』

 

 静かに腰を上げた。

 

『無様に足掻くしかないのです』

 

 悪魔は尻の汚れを払い、肩を竦める。

 

『デンジさんは性欲から始めているようです。ふふ、生理的欲求……最下層の欲求ですよ? 低俗で、みっともなく、何の役にも立たない。好かれたい相手から馬鹿にされ嫌われるかもしれない。ただ時間を浪費するだけかもしれない。そんな欲望に正直な道であればこそ、次へと繋がる。自分だけの次に。それは徐々に明確な形を得て、やがて生き甲斐へと至るのです……』

 

 肩が揺れる。その黒く塗りつぶされた顔には、悪魔らしい仄暗い笑みが浮かんでいると何故か感じた。

 面接の悪魔はこれみよがしにゆったりと一礼する。

 

『貴女は素晴らしい人間です。どこに出ても恥ずかしくない、まっとうで正しく誰からも嫌われることのない生き方をどうかこのまま貫いて安全な日々と偽りの満足感に浸りながら穏やかに健やかに老いていってください。……ふ、ふっふふ』

 

 腹が立つ。

 否定できない自分に腹が立つ。

 心のどこかで分かってはいた。

 自分は制限をかけながら生きていると。

 

 あれはやっちゃいけない。これは言っちゃいけない。

 非常識だと思われたら疎外されてしまう。

 誰かに反感を買ってしまったら自分に返ってくる。

 だから無難に、努めて正しく模範的に、弱みは見せないように生き続ける。

 

 その生き方はきっと間違っていない。

 けれど間違っていないから何だというのか。

 例えば、私が今日5分後に死ぬ運命だったとしても後悔はないのか。

 何かをやっておけば――その正体すら掴めなくてもせめて何でもいいからやっておけばよかったと悔やむのではないか?

 

『……ふむ、これだけ言っても貴女の精神構造は揺るがない。感情に振り回されるのは愚かだと刻み込まれているのですね。至極つまらない』

「そんなにつまらない?」

『会話しても何も出てこないのですから。私が聞きたいのは歯車の軋む音ではありません。人間の歪みから絞り出される呻き声なのです』

「ご期待に沿えず、すいませんね」

『……これ以上の面接は無意味でしょう。私としては残念ですが、こんなこともあります。ありがとうございました』

「これで終わりってこと?」

『はい。どうぞ現実世界にお戻り下さい』

「そっか。終わりね。まあ、それはいいんだけどさ、これが面接なら最後に質問はありますかって聞くものじゃない?」

『ほう。あるのならば、勿論どうぞ』

 

 意趣返しをしてやりたい。そう思うのが普通だろう。

 けれどここで幼稚に反論しても何の利もない。そんな考え方が染みついている。

 でも。それってそんなに悪いことだろうか?

 騙し合いに探り合い、そんな思考回路に染まっているというのは強みでもあるのだから。

 

「同じ質問にポリーナはなんて答えたの?」

 

 ぴくり、と悪魔の肩が揺れた。

 

「あなた、アナスタシアや今日死んだ人たちと面接したんでしょ? それって要するに今日この山奥に集まった人たちをターゲットにしてるんだよね? だったら当然ポリーナとも面接してなきゃおかしいんだけど」

 

 答えない。

 ただならぬ沈黙に、エージェントとしての嗅覚がかぎつける。

 これは、保留だ。

 答えたくないという保留。

 

「え~、面接してないの? だってそれ狙いで来てるんだよね?」

『……さあ、どうでしたかな』

「あれ、あれあれ? 自分で言ってたよね? 特異な人生を送っている人間が好きだって。ポリーナほど考え方が歪んでいる人はいないと思うんですけど、どうして面接してないんですか?」

『それは……守秘義務にあたるのでお答えできません』

「はー? さっきデンジくんのこと言ってたじゃん、性欲がどうのってさあ。それをぶっちゃけておいてポリーナの方は面接したかどうかも答えられないっておかしくない?」

 

 やはり。

 こいつ、絶対にポリーナと面接していない。

 する気がない?

 そんなわけがない。

 ポリーナの経歴、性格はこの手の悪魔にとっては垂涎の餌だ。

 なのに、何故?

 していない……ではない。できなかったのだ。

 面接の悪魔は、寝るときや死ぬ間際、意識が途切れるときに精神に侵入する。

 事実、私の時は首を跳ね飛ばされて意識が落ちる瞬間を狙って侵入してきた。

 つまりポリーナが死に、意識が途切れていたならできたはずなのだ。

 

「もう答えなくていいよ」

『く……』

「欲しい答えは手に入れた」

『…………何故? どうしてまだ面接していないと気付いたのです?』

「なんとなく、だったんだけどね。あなたがデンジくんを引き合いに出したから」

『と、いうと?』

「比較して私を貶めたいならポリーナのほうが適格でしょ。同じ境遇で育ちながら、やってることが正反対なんだから」

『そんな小さな違和感から……?』

「一つだけ忠告したげる。つまらない人間だって頑張って生きてんの。舐めない方がいい」

『ふ、ふふふ……。これは一本取られました。ご忠告、感謝します』

「ていうか私、つまんない人間じゃないし。少なくともこれからは……」

 

 胸を張って答えた。

 

「変わる」

 

 面接の悪魔は、そうですか、と呟いて腕時計に目を向けた。

 姿勢を正し、腰を直角に曲げて一礼する。

 

『であるならば、レゼさん――キミの益々のご活躍をお祈り申し上げます。その時はまた会いましょう』

「お断り申し上げます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――意識が奈落より浮上する。

 

 

 

 

 

 周囲に目を走らせる。

 アナスタシアとサンタクロースは――目の前にいた。

 相撲でもとっているかのように互いにがっぷり組み合って動かずにいる。相撲と違うのは、片方の背中から血と臓物にまみれた貫き手が飛び出ている点だ。

 アナスタシアの胴体に穴が空いていた。

 

「……生きてる?」

 

 返事はなかった。しかし僅かに揺れる。意識だけはあるらしい。

 サンタクロースは――ライフルに狙撃されたかのように鼻から上の頭半分が吹き飛んでいた。何をどうやったらああなるのかのは知らないが、相討ちに近い状況であることは把握できた。

 とはいっても猶予はない。

 サンタクロースの方は欠損部位がゆっくりと逆再生するように元の形に戻りつつあった。

 

「アナスタシア、最期にいいもの見せたげる」

 

 右腕を大きく突き出して、ありったけの爆薬を生成し始める。

 みちみちと導火線が寄り集まって弾頭が出来上がっていく。

 

「なに、を……している?」

「そいつをぶっ倒す」

「やめろ……無意味、だ……」

 

 闇の肉片を取りこんだ人間狩りの魔人――

 光がなければどんな攻撃も効果はない。すぐに復活する。

 そう、光がなければ。

 

「提案。最期に一回、試してみない? 他人を信じてみるってのを」

「な、に……?」

「ワクワクして胸躍るような夢を見せてあげる。()()()()()()()()()って思って付き合ってみない? そいつをそのまま動かないようにしとくだけでいいから」

 

 アナスタシアが目を剥いた。

 

「まさ、か……」

 

 サンタクロースは強い。そのスピードは驚嘆に値する。チェンソーマンに匹敵するかもしれない。生半可な攻撃では当たらない。ましてや死にかけの火の魔人の攻撃など簡単に避けられてしまうだろう。

 だから()()はずっと地に伏せて好機を伺っていたのだ。

 

「嘘、だろ……」

 

 私もずっと死体だと思っていた。

 

 その小柄な女の指がぴくりと動く。

 アスファルトを握りしめ、

 腕を立て、

 音もなく顔を持ち上げて、

 ずぶ濡れの身体が立ち上がる。

 胸は大きく斬り裂かれ、心臓には真っ二つに裂けた跡がある。

 その心臓は、炎で無理やり焼き繋げてあった。

 だがそれでも動かなかったのだろう、その形だけの心臓を動かすために、大きく露出した胸中に左手を突っ込んで、直接掴み、ゴムボールを弄ぶかのように一定のリズムでマッサージを繰り返していた。血流を全身に巡らせるポンプの役割を果たすためだけに。

 死んでいるのか、生きているのか。当人は度外視しているに違いない。

 奥歯を砕かんばかりに噛み締めた形相で、耳からも鼻からも口からも血を溢れさせ、それでも己を愚弄した敵を睨みつける目には確かな意志があった。

 怒りの炎が燃えている。

 ポリーナの縦に裂けた人外の瞳が言葉よりもはっきりとモノを言う。

 

 こいつだけは絶対に殺す――

 

 サンタクロースは気付いていない。

 頭の上半分がまだ再生していない。

 ずりずりと足を引きずる音は豪雨にかき消される。

 見えなければ聞こえもしないポリーナの存在を、サンタクロースはまったく感知することができていないようだった。

 一歩、また一歩と炎をまとった復讐者が近付きつつあろうとも、不死者の余裕を見せるだけ。

 彼我の距離はおよそ10メートル。

 

 レゼは聞いた。

 

「ねえ、サンタさん」

 

 サンタクロースは鼻から下半分だけの顔で平然と言葉を返した。

 

「なんでしょう?」

「あなた、何のためにこの仕事やってるの? お金のため? 幸せのため? 何か夢でもあるのかな」

「意味のない質問です」

 

 背後からずりずりとポリーナが近付いてくる。

 距離はおよそ8メートル。

 

「人というものは、環境に、隣人に、社会制度に適応していくだけの存在です」

「だよね。分かる。すごく分かる。私、“優等生”だったから。どうやったら高い点数をもらえるかってずっと考えていたからよく分かる……」

 

 残り6メートル。

 

「信用されて、褒められて、尊敬されて……運が良ければ幸せにだってなれるかも。今まで習ってきたことを活かして頑張ればさ? ……でもさ、それってつまんなくない?」

「……何を言っているんです?」

 

 残り4メートル。

 

「誰かに評価されるための生き方って、多分つまらない。私のことは私が評価したい。私って頑張ったな、よくやったなって自分で思える生き方をしたい」

「……命乞いですか? そんなものを聞くわけが」

「ううん。ただの決意表明」

 

 残り2メートル。

 サンタクロースの目が形成されていく。始めに眼球が、次にそれを繋ぐ視神経が伸びていく。それらを覆う眼窩が出来上がる。

 レゼの姿を認めた。

 そして、()()との距離が1メートルにまで縮まったとき、ようやく背後から迫りつつある闇を照らしだす炎の存在に気付いたようだった。

 

「え?」

 

 振り向いたときには地獄の炎がサンタクロースを包みこんでいた。

 

Guteeen Abeeeend(こんばんわァァ)サンタクロォォース死ねええ!!」

「アあア!? アアあああアッアアア!?」

 

 ああ……。

 今日は一体どういう日だろう。

 頭部を欠損している殺し屋に、胴体に大穴を空けられた旧知の女、心臓を力技で動かしているかつての同志……その全員が業火の渦中にあり、焼け爛れながら決死の形相で掴み合っている。

 

「どうやっ生きッ、ギャ! ああアアア!?」

「舐め腐りやがって、よオ、オ! ナスチャッ! あたしの燃料になれ!」

「は、ははッ、はッ! Ну да(いいぞ)!」

 

 空気が灼ける。ここでやり返さねば死んでも死にきれないとばかりに苛烈極まりない殺意を滾らせるポリーナのクラスター爆弾よりも凶悪な表情が目に焼きついた。

 喉が渇く。唾を飲みこむ。

 きっと熱風のせいだけじゃない。全身を赤熱化させ犬歯を剥き出しにして笑うアナスタシアに羨望さえ覚えた。胸が熱くなる。

 

「レゼッ!」

 

 ガキン、と。

 この時、最大威力の爆弾が完成した。

 

「やれッ!」

 

 言われるまでもなかった。

 止めろ、と呻くサンタクロースにざまあみろと満面の笑みを浮かべ、自分でもわけのわからぬ叫び声をあげながら炎の渦に飛びこんだ。

 ポリーナが叫ぶ。

 

「あばよ現世! 二度と来ねえ!」

 

 炸裂の瞬間、ぱき、と頭の中で何かが外れる音を聞いた気がした。

 

 

 それがこの戦い、最後の記憶だ。

 

 

 

 

 

 東京都の西の果て、静かな山奥の町で、微かな音が響き渡った。

 数秒後、大気が震え、圧倒的な轟音が隣町へと伝播していく。

 住人たちは見た。

 唖然とするような一筋の白い閃光を。

 炎と光が雨雲を突き破り、あたり一面をまばゆく照らし映していく。

 それはあたかも一つの終わりと再生を予感させるような大爆発だった。

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