レゼのハートに火を点けて   作:シャブモルヒネ

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疎開してきた都会のネズミ

 ソ連には“秘密の部屋”と呼ばれた場所が在る。

 そこでは親のいない子どもたちが集められ、国家に尽くすための戦士へと作り変えられている。少年少女たちに人権はない。モルモットとして身体をいじられて、実験データをとるために何十人も犠牲になった。

 その非道の実験場の存在はアメリカのジャーナリストに暴かれたこともある。

 世界中で話題になって物議も醸した。津波のような批判だって向けられた。

 けれどソ連は頑として認めなかった。

 けして諸外国の調査は受け入れず、情報は1つとして漏らさない。

 

 数ヶ月の時が流れた。

 

 進展がなくなれば大衆は簡単に飽きる。

 誰も話題にしなくなり、“秘密の部屋”は廃れた流行ワードとして人々の記憶に埋もれていくことになる。

 まるで可哀想な子どもたちなんて始めからいなかったかのように。

 しかし、誰1人として見ていなくても、その部屋は確かに在ったのだ。

 

 

 どんな組織や部署にもコンセプトというものがある。

 思想。理念。あるいは存在理由。

 秘密の部屋においてそれは『悪魔の力を軍事転用すること』であり、具体的な目標としては『兵士の魔人化』が掲げられていた。

 

 魔人とは、死体に悪魔がとりついた者を指す。

 彼らに人間時代の記憶はほとんど残らない。人格は侵食されてコントロールの効かない害獣と化してしまう。

 だが稀に、幾ばくかの記憶と理性を残す実例もあった。

 

 そこでソ連のある高官は考えた。

 “それ”を意図的に再現できないか?

 人間性はそのままに――忠実な兵士に、悪魔の能力だけを付与できないか?

 もしもその偉業を達成できたなら、悪魔の力をふるう兵士を軍団単位で量産できることになる。

 そうなれば世界各国のパワーバランスは大きく変わる。もはや銃の悪魔の肉片の所持量など問題ではない。他の大国に先んじて世界の覇者になれるのだ。

 

 魔人化プロジェクトの始まりだった。

 

 実験は例外なく非道であったが、非道のなかにも程度というものがある。

 ある実験は、ただ数値をとるためだけを目的とし、被検体の生存を度外視したもの。

 ある実験は、それら蓄積されたデータから導きだされた比較的安全性の高い臨床試験。

 ……モルモットの数も有限だ。

 エージェントとして見込みのある子どもには、成功率の高い処置を施す。

 そうではない子どもには、廃棄処分同然の実験を課す。

 そういうルールになっていた。

 更に。

 何よりもたちが悪いことに、その優性思想そのものである選別方法は、モルモット当人たちにも知らされていた。

 大人たちの意図はただ1つ。

 ――生き延びたいなら努力しろ。

 

 ゆえに誰もが必死だった。

 

 私は有能です!

 国家への忠誠に陰りはありません!

 誰よりもこの私が! 隣で震えている同じ境遇の誰よりも、この私こそが最も優秀で、将来国家に大きく貢献できるのです!

 

 

 

 

 

 夢を見た。

 ソ連時代の夢。

 秘密の部屋の夢――

 

 モルモット仲間たちの顔が浮かんで、消えていく。

 秘密の部屋のルールを飲み込んで、過酷な訓練を潜り抜けてきた本物の戦士たち。

 ある者は、レゼをも上回る戦闘技能をもっていた。

 ある者は、多くの言語を修めて幾多の仮面を使い分け、誰とでもすぐに打ち解ける会話術をもっていた。

 そして、最後に鮮明に浮かび上がったのは、あらゆる分野で高い評価を得た少女。

 名を、ヴェロニカといった。

 透けるような白い肌と波打つブロンドヘアー、そして澄んだ青い瞳が印象的だった。男のみならず同性をも魅了する美しい容貌を備えていて、しかしいつでも顔を歪ませて、こちらを強く睨みつけていた。

 一方的に敵視されていた。

 実力が伯仲していたからだ。

 実際、どちらが勝者になってもおかしくなかったと思う。

 

 しかし最終的に選ばれたのは自分だった。

 自分はボムの心臓をもらい受け、武器人間になれた。人間の記憶と人格はそのままに、死の影に怯えなければならないモルモットから任務さえこなしていれば生存が保障されている人間兵器へと昇格することができた。

 他の候補者たちは選ばれなかった。

 

 

 ぱららららららららららら

 

 

 

 

 

「……う」

 目が、覚める。

 寝汗にぐっしょり濡れていた。走り終えたばかりのように動悸が収まらない。

 忘我のままに知らない天井を眺める。鼓動を20ほど数えた。

 早川家の天井――

 うっすらと昨夜の記憶が蘇る。場所も思い出す。ここは日本で、平和なマンションの一室で、監視カメラはどこにも無い。自分の生殺与奪を握る監視員も教官も居るわけがない。なのに、それでもまだ筋肉のこわばりはしばらく溶けてくれそうにない。

「ふう~」

 のそりとゾンビのように起き上がる。ゾンビのように呟いた。

「どうして、忘れられないのかな」

 頭の奥の方に自動小銃の残響がこびりついていた。

 

 

 

 

 

 廊下で早川ナユタと遭遇した。

 もうとっくに起きていたのだろう。糊のきいたセーラー服に身を包み、洗面所から作り物のような顔を覗かせた。

 朝は挨拶。ふにゃりとした寝起き顔を貼りつけた。

「おはよー」

「……」

 早川ナユタは応えない。にこりともしない。

 無愛想な子だと思う。もっと笑うべきなのに。

 少女は射貫くような眼力のまま、こちらを映して上目遣い。

「デンジの記憶を見せてもらった」

 よく分からないことを言う。

 記憶?

「なにそれ。支配の悪魔ってそういうこともできるの?」

「できる」

「ふうん……。デンジ君の寝てる間にやったとか? それ、覗きでしょ。そういうのやっちゃダメじゃない?」

「ダメじゃない。岸辺も知っている」

「そうなの?」

 ま、いいや。後で確かめておこう。

「しかし支配って、また……」

 支配。

 他人を思いのまま操る呪縛。人生の乗っ取り。

 好い印象はまったく抱けない。

 支配の悪魔の力とは、これまで人類が他者・他国へ布いてきた強制力とは次元が違う。洗脳なんて目ではない。純度100%の人権侵害だ。

 他でもない自分自身だって体験した。

 あれはある意味、殺人よりもおぞましい行為といえるだろう。どちらがましという話ではないけれど。

「お客さんも業が深いね」

「私はお客さんじゃない」

「あ、そうか。お客さんは私の方だ」

「それも違う」

「んん?」

「デンジはそう思ってない」

「ほー、そうなんだ」

 素直に嬉しい、と感じた。

 そうか、デンジ君は私を過去の相手と思っていないのか。

「……で、何の話? デンジ君の頭の中を覗いて、なにか楽しいことでもあった?」

「レゼ。あなたはデンジを好きなんでしょ」

「お」

 思わず3センチのけ反った。

 いきなりすぎる。

 朝一番で勝負にきたらしい。

 大したタマだな、と思った。とても1歳未満児の行動力とは思えない。

「……なになに、びっくりしちゃった。もしかして果し合いしたいの? だったら安心していーよ。ナユタちゃんから取る気はないからさ」

「好きなんでしょ」

「おぉー、ぐいぐい来ますねぇ」

 相手はよほどの決意を持っていたようだ。だが所有権争いという感じでもない。敵意は薄く、そのくせ重心はずしりと安定している。今後も付き合っていくために腹を割れと促している感じ。

 ふむ。仕方ない。

 猫背にしていた姿勢を正し、正面から目を合わせる。

「好き、ねえ……。どーかなぁ。惹かれてはいるけど、純粋な好きじゃあないと思いますねぇ」

「純粋な……?」

「悪魔には分かんないよ。あ、これは揶揄してるんじゃないよ」

「どういうこと?」

「悪魔はさ、その名についてる概念が存在意義なんでしょ? 生まれたときから決まってる……。それってさ、すごい楽だよね」

「楽……? どうかな、考えたことはない」

「人間はさ、存在意義なんて無いんだよ。自分で見つけださなきゃいけない。それは人生を歩みながら培っていくものなんだけど……私は戦士、いや、兵器と言った方が正確かな? そんな育ち方をしてきたわけで、まだ何も持って無いんだよね」

「……」

「デンジ君と初めて会ったとき、ああ私と同じだなって思ったの。利用されるだけ。何も与えられてこなかった。……けど、どうしてかな、ある意味では私よりも希薄な人生だったはずなのに、ちゃんと自分の意志を持っていた……。それに、」

 それに。

 私と一緒に逃げる、と言ってくれた。

 何にも無いはずの私の中に価値を認めてくれた。

 打算ではなく、利益や安全を求めるためでもなく。ただ素直な気持ちのままに。

 それが嬉しかった。

 そして、こんな自分が嬉しいと思えることも、また嬉しかった。

「……それに? 続きは、何?」

「秘密」

「……言いたくないなら別にいいけど」

「ふふ」

 私は、自分自身を人の形をした兵器だと思っていた。

 けれど、あのとき気付かされた。今からでも一歩ずつ進んでいけば遅れを取り戻せるかもしれない、と。

 そう思わせてくれたのはデンジ君。

 だから、私はこの仕事を引き受けた。

 故国からの歪な信用――それに代わるだけの何かを得られそうだったから。

「――まあ、自分に無いものを持っているから惹かれたってわけですよ。こんな解答で、ご満足頂けます?」

「……よく分からない」

「人間は悪魔より面倒くさいって話かな」

「そういうの、煙に巻くっていうんだと思う」

「そーだよ。巻いちゃうんだ。人間は中身を見せたくないからね」

 ナユタの表情は変わらない。マネキン人形のように微動だにせず、情緒の感じられない瞳でレゼを凝視している。

「不満そうだねー。人生、これ勉強だよ。なんなら教えたげよっか。私について以外なら、だけど」

「別にいい」

「ああ、そう?」

 するりと脇を通り抜ける。

 洗面所で顔を洗う。ぽたぽた落ちる水滴を眺めながら、早川ナユタに対する所感をまとめてみる。

 ヘンな悪魔。

 人間のように成長しようとしている。……それは何故?

 成長するためには、目的意識とモチベーションが要る。あの小さな悪魔の場合は、やはりデンジ君なのだろう。他人のために。他人とともに在るために。そんな前向きな気持ちがなければ大きな変化は望めない。

 それを私はよくよく知っている。

 人は生存競争のためだけには変われない。成長のためにはある種の希望が――憧れのような気持ちが必要だということを。

 

 

 

 

 平穏が心地良い。

 それだけの高校生活だった。

「デンジ君? おにいさーん? もうお昼休みでございますよ?」

「ん……むがが……」

 机に突っ伏したまま動かない。肩を人差し指でつついてみる。

「うー……起きる」

 そう言ったきりデンジは動かない。

「困ったねー」

 授業はとっく終わっている。教室はもぬけの殻だった。

 ちなみにデンジの友人たちは早々と退散していった。自称カノジョの自分に気を遣ったのだろう。……ただ若干1名、クレイジーな反応をする奴もいたけれど。いきなり「俺と浮気してみなぁい!?」はすごいと思う。ほとんど会話したこともないはずなのに。

 ま、そんな変人を許容できるのも日本が平和な証拠だろう。

「さーて、デンジおにいさま? もう12時半を過ぎてるんだけど……いつまでもぐずぐずしてると、どう・なる・か~?」

 えりゃっ、と脇腹をくすぐった。

「うおあっ」

 顔をあげた少年と目を合わせる。好奇心豊かな猫をイメージし、瞳を大きく開いて口元は悪戯っぽく吊り上げる。どんな人間だって好意を向けられたら嬉しくなる。そういうものだから。

「おはよ」

「お、はよ」

 にこりと微笑んだ。

 

 

 

「ご飯、どこで食べよっか」

 デンジ君と並んで廊下を歩く。

 お弁当はある。朝に早川ナユタが作ってくれた。ちなみに見ているだけなのも悪いので手伝おうとしたら無言で首を横に振られた。どうやらキッチンは彼女の縄張りらしい。

「夢みてえ……」

 デンジが呟いた。

 ん? と首を傾けてみせる。

「俺ぁこういう生活がしたかったんだ」

 どういう生活? なんて問うまでもなかった。

 普通の生活。

 歳相応に学校に通い、余暇をどうやって過ごすかを考えていられるような日常。

 窓から差し込んでくる柔らかな陽射しに、ついこちらの気も緩んだ。

「もっとしちゃおっか?」

「ん?」

「普通の高校生っぽいこと。昨日、言ったでしょ?」

「あ? なにが?」

「彼氏彼女ってやつ。ほんとに付き合っちゃおっか?」

「超嬉しいけど……レゼはいいんか?」

「へ?」

 おや。意外な反応。

 焦るか喜ぶかだと思ったけど。

「俺ぁ、たくさん彼女ほしいけど。そういうのって普通はダメなんじゃね~の?」

「それはまあ、」

 ダメに決まっている。

 けど何故だかダメとは言いたくなくて、別の言葉を探した。

「ま、確かにね? ラブは1人に向けるもんですよ」

 少しだけ考えてみる。

 デンジ君と1対1で等身大の恋愛劇をやってみたらどうなるか。

 う~ん。ちょっときついかな。

「あ~……。デンジ君はさ、ナユタちゃんが大切なんでしょ?」

「ああ」

「じゃあ、他に大切なものって何?」

「……ん~。犬?」

「他には?」

「んんん、えーとぉ……」

「ね? すぐに出てこないでしょ? デンジ君はさ、自覚してないみたいだけど、大切なものをあんまり持ってないんだよ。なのに、そのうちの1つを捨てろなんて、言えないでしょ」

「んん……?」

 頭を捻っている。よく分かってないらしい。

「だーかーらー。デンジ君はデンジ君のしたいようにしたらいいんじゃない、って言ってんの。私は別になんでもいいからさー」

「ううーん。そうなんか?」

 悩みだす少年を横目に、その手に吊り下げた弁当の包みにちらりと目をやった。

 お昼ご飯の手作り弁当。

 早川ナユタが作った思いやりの形のようなもの。

「……。やっぱ、止めとこっか。カノジョが2人~なんて都合の良い話はNGです。そんな男はクソ野郎ですよ」

「え~~。クソ野郎でもいい。2人とも付き合いてえ~」

「おいおーい。キミはそのうち刺されるぞ?」

 苦々しい顔になる。

 そういえば、早川ナユタは本当に“ブスリ”とやってやろうかと昨夜仄めかしていた。きっとそれを思い出したのだろう。

 角を曲がる。屋上への階段を一足先に上りながら忠告しておく。

「デンジ君はさ~、あの子をちゃんと構ってやんないとダメだよ? あの子、他に味方いないんだから。キミが思っている以上に不安定だと思う」

「不安定、ねえ」

「たまにはぎゅっと抱きしめて、「ここに居ろ、俺の傍に居ろ」とか言っとけばいーの」

「そーゆーもん?」

「そーです。イッツコミュニケーションです」

 最後の段を踏みしめる。ドアノブを捻って、屋上に出た。

 ぶわり、と湿った大気が流れていく。灰色の曇が空一面に広がっていた。

 あらま。晴れていると思ってたのに。

 振り返り、浮かない顔のデンジに唇を尖らせる。

「ねえ、分かってる? 私、今、釘刺してんだからね? 釘、くぎくぎ!」

 人差し指を何度も突きつけてやるが、デンジ君はやはりよく分かってないらしい。唇を一文字に結んでうんうんと唸り続けている。

 はあーあ。どうせ頭の中でつまらないシミュレーションでもしてるんでしょ。

 例えば早川ナユタに「2人とも付き合いてえんだけど!」と言ったらどうなるか、とか。

 ……なんでもいいけどさ、これから一緒に昼食を食べる女を前にしてうじうじと別の女のことを考えているのはどういう了見だろう。

 なんだかむかつく。

 悪口を言ってやろうと思った。

「だっさ」

 そしたらすんごいびっくりした顔になった。へっ、ざまーみろ。

 

 

 

 

 デビルハンター東京本部に呼び出された。

 案内役の男は角刈りの巨漢で、会釈もせずに踵を返して廊下をずんずん進んでいった。何も言わないものだからこちらも急いでついていくしかない。男は実働部隊のワークルームをスルーして、相談に使う小部屋も通りすぎ、建物の奥にある階段に辿り着くとようやく振り向いた。私がちゃんとついてきているのを確認してから昇っていく。2階、3階、4階……。わりとシークレットなエリアまで来ていると思う。一介のデビルハンターが立ち寄れる場所ではない。

 これはなんだかきな臭いな、と思った。

 ただの打ち合わせなら普通の会議室ですればいい。それをしないってことは……あまり大っぴらにしたくない話ということで。

 巨漢がようやく立ち止まる。

 顎をしゃくった先には無機質なルームプレートが掲げられていた。

 『第4資料室』

 入室すると、待っていたのは岸辺隊長と痩身で眼鏡をかけた男の2人だけ。眼鏡男の方は見覚えがある。前回の面談で私を起用することを反対していた人だ。岸辺さんに意見できていたあたり地位もきっと高いのだろう。

 さて……。

 辺りを見回すまでもない。狭く、何もない部屋だった。

 資料室と名付けられているくせにファイルはおろか棚の1つもない。まるで引っ越し直後の空き部屋で、殺風景な立方体の空間の中央には事務用の四角い机だけが置かれている。その一辺には件のお偉い2人が座っていて、無言でこちらの着席を促していた。

 パイプ椅子に座った。

 ぴらり、と1枚の写真を渡された。

 よく知っている顔だった。

「ヴェロニカ……」

 透けるような白い肌と波打つブロンドヘアー、そして澄んだ青い瞳をもつ少女。

 高所から撮影されたであろうその写真には、けして忘れることのできない同期の娘が写っている。

 場所は、港だろうか。小舟から降りてきた場面のようで、頭にかぶったフードの中身までよく見えている。

「これは?」

「お前が前に密航したときに使ったっつうルートがあっただろ。そこに網をかけといたらひっかかった」

 写真はそれほど鮮明ではなかったが、被写体の少女は見間違えようがない。

 明らかにヴェロニカだ。

「知り合いか」

「秘密の部屋の仲間です。名前はヴェロニカ。先日提供した情報にあるはずです」

「だったら話は早い」

 眼鏡男が手元のクリップファイルに目を落とす。硬質な顔つきでぺらりぺらりと資料をめくっていく。

「……こいつか。ネームドモルモットのヴェロニカ。ボムの適応候補者で最終選考まで残った女。確かに外見の特徴も写真と一致している」

 岸辺が続きを補足する。

「密航してきたってことは遊びに来たんじゃないだろう。お前んときみたいに危ない任務を請け負ってるってわけだ。ま、おおよその見当はつく」

 誘拐か、暗殺か。

 標的となる対象者は――デンジかナユタ。あるいはレゼ。

「どんな奴だ?」

「私と似たようなものです。近接格闘能力、射撃技能、諜報員としてのスキル……優秀ですよ。私がいうのも変ですけど」

「日本語は?」

「堪能です。顔さえ見せなければ現地民と変わりません」

 そうでなければエージェントは勤まらない。

 岸辺は大仰に鼻息を鳴らした。

「目立つ顔してるな。モデルでもやれそうだ。街中を歩いてくれればすぐに分かるんだが」

 いかにも外国人という顔立ちがウィークポイントだ。スラブ系の彼女の顔はアジア圏では存在感がありすぎる。

「――能力は?」

 眼鏡男が怜悧な視線を向けてくる。

「秘密の部屋では魔人化プロジェクトが進められていたのだろう? ならばこいつも処置を受けているとみるべきだ」

 眼鏡男はヴェロニカの写真に指を差す。

「見ろ。フードをかぶっている。つまり頭部を、魔人の特徴を隠している可能性が高い」

 確かにその通りだと思う。ヴェロニカはきっと魔人になっているのだろう。

 だが自分はそれについて返せる答えを持っていない。

「分かりません」

 嘘ではない。堂々と目を合わせて言った。本当に知らなかった。

「私たち秘密の部屋の住人は、実験あるいは処置の後は成否に関わらず互いに接触することができなくなります。住居を移されるんです。恐らく私のような裏切り者がでたときに情報漏洩を起こさないようにするためでしょう」

「……」

「現に私は、彼女が生きていることも知りませんでした。もっと言うなら、悪魔の肉片を移植されたか否かについても同様です」

「ふん、まあいい。ひとまず魔人化はしていると思ったほうがいいだろう。……で、他には? こいつはこれからどう動くと思う?」

「潜伏、情報収集、そして準備してからのアプローチ……ですかね。予測されうる行動はもちろん伝えますけど……いずれも単独で実行するのは難しいと思います。まずは協力者から探るべきです」

「お前のときの協力者は監視している……だが今のところ動きはないな」

「別口があるはずです。私のときには使わなかった、私も知らない協力者がいるはずかと」

「……やれやれ。日本はスパイに弱すぎる」

 ヴェロニカを思い出す。

 自分とほとんど同じ実力を持ち、こちらに敵意を向けていた少女。

 彼女とはボムの心臓を得る権限を争っていた。実力も拮抗していた。しかしライバルと思ったことはない。

 なぜならば、彼女は繊細な言動が求められるエージェントとしては致命的な欠陥を抱えていたからだ。

「……あの、1つだけいいですか」

「なんだ」

「後で文句を言われても困るのでちゃんと言っておきます。記録にも残しておいて下さい」

 これだけは言っておかなければならないと思った。

「ヴェロニカが最終選考に落ちたのは理由があります。それは彼女が残虐だからです。彼女は命令で禁止されていなければなんでもやりました。必要以上に、です。その傾向は諜報員にまったく合っていなかった。だから落ちたんです。いいですか――」

 一度言葉をきって、軽く息を吸いこんだ。

「彼女の得意とする分野は“尋問”です。この意味が分かりますか? 捕まれば命はないということです。彼女はおそらく情報収集のために公安関係者を攫おうとするはずです。警戒してください。例えベテランのデビルハンターでもツーマンセルを徹底するべきです」

 できるならスリーマンセルがよい、とまで伝えた。

「ああ、対策をたてよう」

 岸辺はそう答えたが、心の中では実現されないだろう、と思った。

 ヴェロニカの暗躍を防ぐためには全ての公安職員のプライベートまで制限する必要がある。そんな前例のない横暴はこの国では許されないだろう。

 面倒なことになった、と思う。

 まさかよりによってヴェロニカとは。

 恐らく、近いうちに誰かの死体が晒される――

 それに、と机上の写真に目を向ける。

 ヴェロニカの口元は僅かに吊り上がっていた。薄っすらとした笑み――それが判別できるほどにくっきりと顔が写っている。

 ありえない話だった。

 自分たち秘密の部屋の住人は諜報員の教育を受けている。名無しで未熟なモルモットならいざ知らず、最終選考まで生き延びたヴェロニカがこんな稚拙なミスを犯すはずがない。

 彼女はわざと写真を撮られている。

 なんのためか。

 そんなのは決まっていた。

 彼女はレゼというライバルを敵視していた。ボムの適応者の権利を奪い取り、自身を蹴落としたレゼを憎んでいた。

 つまり、これは――ヴェロニカからの宣戦布告なのだ。

 

 

 

 知りうる限り、全ての情報を伝えた。

 帰ったら早川家の2人にも警戒するように伝えなければ。そう考えながら第4資料室を出る。

 廊下を歩き、階段を1つずつ下っていく。

 踊り場に、角刈りの巨漢が立っていた。

 じろりとこちらを睨みつけている。

「俺の高校の後輩に漫画家がいて、たまに一緒にメシ食ったりする」

 いきなりなんだろう。

 角刈り男はむっつりとした表情のまま腕を組んでいた。

「そいつはな、俺のつまんない話でも楽しそうに聞いてくれるし、買い物してるだけで「漫画のネタになる」って目ぇキラキラさせてメモとっててな、ああこういう奴がモノを創るやつに成るんだろうなって感じでよ」

 何を言いたいのか。そんなのは、声色に滲んでいる感情を読み解けば大体分かった。

 不満。苛立ち。嫌悪感。

 なるほど。要するにこれは、恨み言だ。

「それが少し前から全然笑わなくなっちまった。ず~っとお通夜みてえな顔してる。なあ、どうしてだと思う?」

「さあ」

「将来一緒に漫画を連載しようって約束してた友達が死んじまったんだと」

「はあ」

「その子とは小学生の頃から一緒だったみたいでよ、共同で漫画を描いて賞をとったこともあるらしい」

「そうなんですか」

「なーんにも悪いことしてねえのに死んじまった。可哀想だと思わねえか?」

「……可哀想ですね。私にはそれぐらいしか言えません」

「殺したのはお前だよ」

 そんなことだろうと思っていた。

 予測はついていた。心の準備はできていた。だからまったく問題ない。

「街ん中でバンバン暴れまくったテロリストがよ、随分楽しそうに過ごしてるじゃねえか」

「そう見えます?」

「なあ、1つだけ聞きたいんだけどな。お前、自分が殺した相手についてどう思ってるんだ?」

「可哀想ですね」

 他に言い様もない。

「私も仕事だったんで」

 男の目が眇められる。

「はぁ~ん、そうかい……。いや、な? ソ連が造った生粋の殺し屋ってんでな、ターミネーターみたいな奴だと思ってたんだよ。でもお前、普通に高校に通って遊んでるじゃねーか。何考えてんのかって疑問に思ったわけ」

「そうですねえ」

 故国に居たときは――

 そもそも恨み言を吐いてくる一般人とお喋りできる機会がなかった。関わるときは殺すとき。だから感情をぶつけてくる相手は、同類か、反応を窺っている教官ぐらいなもので。

 そのときは、いかに冷静に対処できるかをアピールすればよかった。

 けれど、今はどう返したらいいか……。

 分からない。

 分からないから、そのまま直球で答えてあげた。

 私が何を考えているか?

 どうして人を殺しておいて平気でいられるか?

「殺しの条件付けって知ってます?」

「あ?」

「人間は人間を殺せないようにできてるんです。でも、それも手順を踏めば克服できます。まずは案山子。そして動物。自分で育てた軍用犬。死刑囚。敵。敵。敵。知らない人。知らない人。知らない人。知ってる人。知ってる人。知ってる人。親しい人。親しい人。親しい人。そうやってステップと回数を積み重ねていくんです。慣れてしまえば人間なんでもできるようになります。命令さえあれば必要がなくても殺せるように、あるいは命令がなくても必要さえあれば殺せるように。そう成ったのが、今の私です。慣れています。だから、人を殺してどう思うかと聞かれても、可哀想ですねとしか答えてあげられません」

「な……」

 思わぬ反撃に狼狽えている目の前の男は一体何を聞きたかったのだろう?

 どんな返答を期待していたのだろう?

 そして、そんな期待通りの人間らしい言葉をソ連の元エージェントから引き出せると本気で思っていたのだろうか?

 だとしたら、彼はきっと根の優しい人間なんだろう。

 だからこんな質問をしてしまう。そして、こんな質問が許される日本はいい国に違いない。

 私とは違う。私たちとは違う。そして故国とは決定的に違う。

「な、なるほどな。遊んでるようで、全部仕事ってわけか。こりゃ見誤ってたな。いや、すっげーわ。ソ連製の工作員」

「案内、ありがとうございました」

 ぽつり、と窓ガラスに水滴がぶつかった。豆粒ほどの大きさが幾重にも連なって雨となる。

 その窓の外、1匹のカラスがずぶ濡れでグワァと鳴いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 爆弾は濡れてしまえば威力が落ちる。

 ヴェロニカはこの雨をずっと待っていた。

 

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