レゼのハートに火を点けて   作:シャブモルヒネ

4 / 26
初めて出会ったときに殺さなかった理由

 早川デンジには夢がある――!

 

 ウマいもんをたらふく食って、彼女も10人ほしい!

 たくさんセックスしたいぃ!!

 

 欲望はデンジの胸の裡を熱く焦がしたが、実現する手段となると謎だった。

 どうやったら銀座で高級寿司を食えるようになるのか?

 何を頑張ったら美人で優しい女たち複数人とキャッキャウフフできるのか?

 

 う~~ん。

 うううーーーーん?

 んんん、ん~~~~~……!

 わ、分かんねェ。

 

 ひとまずそんなふうに保留した。時間が経てば冴えたやり方も浮かぶだろう、そう思っていたけれどヒントも無ければ答えが見つかるわけもない。日々の生活に思考を割きながら気持ちに蓋をする回数だけが増えていき――いつの間にか、納得するしかなくなっていた。

 

 もしかしたら俺ぁ一生高級料理なんて食えないのかもしれねぇ……。

 そもそも貧乏人に女は寄ってこねぇ。

 周りを見たってそうだ。公安や近所に住んでる男ども……奴らに寄り添っている女は多くて1人まで。2人以上がついてる奴は見たことねえ。

 これが現実ってやつなんか? 俺ん人生もこれが限界なのか。

 

 しかしつい先日、傍らの義妹悪魔はこう囁いた。

 

 

「会社を、作る。デビルハンターの民間会社――」

 

 

「――社長になっちゃえばどう? 何でもできるよ?」

「何でもって……何でも?」

「何でも」

「じゃあ、じゃあ……美人の秘書を雇ったり……?」

「できる」

「社員は全員、女だけ……?」

「でき……できる? う~ん――」

 

 

 できる……できるのか!?

 ウマいもんをたらふく食って、彼女もたくさんできるのか!?

 

 ナユタは言った。「できる」と、ハッキリと。

 うん、確かに言った。

 なにせものすごく頭が良くて生まれたばかりでも人間社会に馴染めている超天才のナユタちゃんが言っているのだ。正しいに決まってる。

 更にナユタはこうも続けた。

 

 

「面倒な事務処理には人を雇う。役所への申請とか他所との交渉は私がやる。デンジは戦うひと。会社の看板、象徴、代表者。『あのチェンソーマンが率いるデビルハンターの会社』……話題性も抜群」

 

 

 ……なんだかよく分かんねぇけど!

 要するに、小難しくて大変なことは全部ナユタがやってくれるってことだろ!?

 自分は戦うだけでいい。悪い悪魔をやっつけるだけなら最強に得意だし、岸辺のおっさんも「お前はデビルハンターに向いている」みたいに言っていた。

 つまり、俺は、夢を叶えられるってことだよなあ!?

 

 将来のことなんてろくに考えていなかったデンジでも具体的なビジョンをお出しされれば胸はおおいに高鳴った。夢は願うものではなく、叶えるもの。希望がむんむん湧いていた。社長は金持ち。ウマいもんもたくさん食える。偉いから美人で優しい女もたくさん寄ってくる。

「会社ぁ、作るかぁ!」

 デビルハンターの民間会社を作って、社長になる!

 それがデンジの今の夢だった。

 

 

 

 へへへ、とにやけながら駅前をぶらついた。

 学校からの帰り道。デンジは足取り軽く街路を進みゆく。

(そっか……! デビルハンターに向いてるっつー事ぁ、社長になれるってことじゃ~ん!)

 ウキウキ気分で角を曲がる。

 新しい船出は未知への希望とちょっぴりの不安が混ざり合っていて気分は新鮮。すれ違う人々も自分を祝福しているように見える。電気屋の店先で声を張り上げている客引きに、団扇片手に焼き鳥を仕込んでいる飲み屋のおっちゃん、壁際では若者たちが募金箱を持ちながらボランティアに勤しんでいる。

「悪魔被害を受けた子供達に募金お願いします! お願いします!」

 おーおー、これはまた。

 若い男が手に持つポスターにはおどろおどろしい化け物と逃げ惑う子供達のイラストが描かれている。

 デンジは思った。ここは是非とも良い人アピールをするべきだ。

「社長だから、募金もできるぜ!」

 奮発して500円! 募金箱に入れると、小さな花をプレゼントされた。

「ふ~ん……キレイ!」

 良いことをすると、良いことが返ってくる。

 こうやって世界は回っていくのだと思った。社長は一番に良いことをする奴で、だから皆に感謝される。助けてもらえるし、お金も入る。その金でまた良いことをするともっと感謝される。どんどん偉くなる。……だからモテる!

 すげえ、社長ってそういうことかぁ!

「社長がモテるのも偉いからなんだな」

 さすがはナユタだ、と思った。

 自分の妄想を実現する道をこんなに的確に示してくれた。

 俺は社長。……社長!

 

 社長になったら……俺ぁモテモテになるだろうけど、それでも一番近くにはナユタに居てほしいな~。レゼもそうだ。前んときは戦わなきゃいけなかったけど今はそうじゃない。レゼも俺ん会社に入ってくれたらすんげえ嬉しい。再会してからずっとそう思っている。暇になると彼女の顔が浮かぶ。色々あったけどレゼにも隣に居てほしい。

 ナユタとレゼ。どっちも好きだ。

 他にどんな女が現れても俺の心は2人だけのモンだと固く胸に誓う。

 絶対に他の人を好きになったりはしねえ!

 

 ザァ……――――

 

 天から雨粒が叩きつけられる。

「ギャー! 逃げろ!」

 びちびちと肌に弾けていく。雨宿りの場所を探して駆けまわり、電話ボックスに逃げ込んだ。一息ついて顔を拭う。服がくっついて少し気持ち悪い。

 外の世界は灰色で、誰もが安全地帯を求めて逃げ惑っていた。

「傘、持ってくりゃよかったぜ」

 と、1人の女子高生がこちらへまっすぐ駆けてくる。

「わー! ひー!」

 社長は人助けをするもんだ。

 電話ボックスのドアを開けると、ブレザー姿でクローシュをかぶった少女がこれ幸いと入ってくる。

「わあ、どうもどうも。いやいやスゴイ雨ですね」

「あ~……ああ」

 透けるような白い肌、釣鐘型の帽子の隙間から波打つ黒い髪。水滴が滴ってしまっている。顔はツバに隠れてよく見えないが、なんとなく美人の予感がした。

「天気予報は確か……む、え!? あはははははは!」

 少女が唐突に笑いだす。

「あ? なに?」

「やっごめっ、すいませ……あははは!」

「んだよテメー……」

 ヘンな奴。

 ズブ濡れで、電話ボックスに2人で雨宿り。少女の顔に貼りついた前髪が過去の記憶をくすぐった。

 

 なんだぁ……? こんなこと、前にもあったような……。

 

 少女は肩を震わせて、目元を拭っていた。時折、すんと鼻をすする音。

「はあ!? なんで泣いてんの!?」

「いやいやすいません……アナタの顔……クラスメイトの死んだ犬に似ていて……」

「ああ!? オレ犬かよ~……!」

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

 

 あ、分かった。

 思いだした。

 これ、レゼと初めて出会ったときとおんなじだ。

 あの時もレゼは泣いていて、俺ぁどうにかしようと思って花をあげたんだ。

 

 あの時のレゼの笑みを思いだす。

 頬を赤らめて、喜びを滲ませたあの笑顔……。思えばあの瞬間に恋に落ちていたのかもしれない。

 あれはきっと、いや間違いなく、一生忘れられない想い出だと思う。

 だから、今回もどうにかしてやろう。そう思った。

「タラリラララルラ~……」

 思わせぶりに掌を掲げて少女に見せてみる。何も持っていないと印象づけ、くるりと手首を回し、少女からは見えないように袖口から花を取りだした。

「タラーン!」

 ポン、と花を手渡した。

「ええっ!? わっ手品! スゴイ!」

 少女の顎が上がり、ツバの奥で前髪がはらりと左右に流れていく。

 表情がよく見えた。

「……お花なんて貰ったの、初めて。なんだか嬉しい。ありがとう……」

 無垢な微笑みと、きらきらと輝く大きな瞳。吸い込まれそうになる。

 芸術品のような美少女だった。

 顔の彫りと鼻立ちが日本人離れしている。作りこまれた完成品。そこに感謝と安堵が彩られていて視界が幸せになってくる。動けなかった。いつまでも見ていたい。

「あ~! 雨、止んだよ!」

 スキップするようにして外に出る。

 少女は水溜まりの手前でくるりとターンする。仕草も可憐だった。

 きゅんとした。

 やばい。

 俺、この娘を好きになっちまう。

 少女は全幅の信頼を浮かべながらただ笑う。

「私の名前、ユキコ。速水ユキコ。ほら、『危険な関係』ってドラマ知ってる?」

「え、あ、知らねえ……」

「え~~、知らないのお!? ほら、大手の社長になりすました一般人が、庶民ならではの発想で活躍していくやつ!」

「社長……? いや、分かんねえ」

「むう~、テレビはあんまり観ない人?」

「それなり、かな」

「なにそれー! まあいいや、キミの名前は?」

「デンジ」

「デンジ。デンジ君――」

 語感を確かめるように頷いた。

 頬を赤らめて、喜びを滲ませる。

「デンジ君みたいな面白い人、はじめて」

 

 ……おいおいおいおい。なんの再現だよこれ!

 ダメだって!

 だって、だって……この娘、確定で俺のコト好きじゃん!

 どうしよう。

 俺は俺の事を好きな人が好きだ。

 

「ねえ、そこのビルに美味しいカフェがあるの。一緒にどう? 来てくれたらこのお礼してあげる」

 

 ナユタ、レゼ、助けて。

 俺この娘、好きになっちまう。

 

「ほらほら~」

 手を引かれる。

 はわお! 柔らかい!

 しっとりとした感触にだめになる。ふらふらと足がよろめいた。

 脳裏に2人の少女が浮かんだが、困ったことに誘惑を断ち切ってはくれなかった。まずい、やばい。頭の隅で別の自分が必死に喚いている。「おい止めとけって! 後が怖いぞ!」と。しかし分かっていても男の子にはどうしようもないこともある。

「ねえ、行かないの~?」

「あ、ああ」

 引き寄せる手は柔らかく、温かかった。

 ユキコと名乗った少女は軽やかにデンジの背中に回りこみ、掌をつっぱってぐいぐいと押してきた。異性の手の感触がこそばゆい。抵抗できない。

 徐々に雑居ビルの入り口へと押しやられていく。

 

 どうしよう。

 行っちゃってもいいか……?

 

 ふわふわ頭で悩んでいると、少女は短気をおこしたのかぴとりとデンジの背中に抱き着いた。全身でデンジを押そうという魂胆だろう。細い腕がきゅうっと腹に回されて、背中に柔らかな2つの感触が押しつけられる。あっまずいってそれは! と鳴き声をあげるしかない。

 少女は含み笑いを漏らし、密着したまましっとりと呟いた。

「ねえ、レゼは元気?」

「……お?」

「デンジ君と一緒に住んでるんでしょ? 私、心配なんだ。クラスメイトだったから」

「あ、おう……。えと、知り合い? あれ?」

 くすくすと笑っている。

「私もねぇ、ソ連から来たんだ。ユキコって名前はウ・ソ。ほんとはヴェロニカっていうの。忘れないでね」

 

 灼熱が、腹の奥まで突き抜けた。

 

「――あ、」

 衝撃は、神経の許容量を超えていた。しばらくは痛みと認識できないほどの熱が走り抜けている。

「は、ぐっ……!?」

「では改めて自己紹介するね。私はヴェロニカ。ソ連のエージェント。今はハサミの魔人なの。挟み込んだ対象をズパっと斬れちゃうよ。だから今のキミは胴回りが半分ぐらい斬れてるの。下手に動くとボロンって落ちちゃうから気をつけてね」

 息が詰まる。

 緊急事態に毛穴が開く。

 背後で少女が抱き留めていなければ崩れ落ちてしまうに違いない。

「痛い? 痛いよね? でも叫んじゃ駄目。目立っちゃったら任務が失敗しちゃうでしょ。だからデンジ君は黙ってビルに入ろうね?」

 少女の声は平坦で。ずりずりとデンジを支えるようにして移動する。傍から見たらカップルがいちゃついているように見えるだけかもしれない。

 デンジはようやく気が付いた。

 この少女――ヴェロニカは、刺客だ。

 ごぼり、と血を吐きだした。おそらく腹からも大量に出血が、

 ぶちゃっ。

 粘質の音。何かが落ちた。腹から、液体ではない柔らかな固形の何かが……。

 死ぬ。もう死んでしまう。

 チェンソーマンに変身しなければ殺される。

「ぐ……!」

 胸のスターターを引っ張ろうと右腕を振り上げる――が、

「あ、」

 その手首が、なくなった。

 切断された。

「じょっきーん」

 呆然と、腕の断面を眺めた。

 白い骨まで見える。

「う、うう!」

 生命の危機だった。今度は左腕を胸元へと必死に伸ばす。しかし、

「じょっきーん」

 左の手首が宙を舞っていた。

「あはは」

 少女は鈴が転がるような声をあげる。

「キミはチェンソーマンにはなれないよ?」

「あ、が、」

「大丈夫大丈夫。平気平気」

 ずりずり、

 ずりずり、と。

 少しずつ雑居ビルへと連れ込まれていく。

 入り口は暗かった。闇が口を開けている。このまま連れ込まれてしまえば本当に命はないと確信する。しかし抗うための活力は既に奪われていた。胴体の傷が深すぎる。どこまで達しているのか分からない。

 視界が明滅する。

 意識を保てない。

 ずりずり、

 ずりずり――

 

 

「ヴェロニカッ!!」

 

 

 


 

 

 

 雨上がりの街――

 通行人のいない街路で足を止め、息を切らせて凝視する。

 デンジ君が、帽子をかぶった女子高生に背後から抱きつかれていた。

 黒髪で、(レゼ)の知らない顔の少女。

 だからこそおかしいと思った。自分の知らない女はデンジ君も知らないはず。早川デンジは初見の少女といきなり深い仲になれるような男じゃない。

 帽子の少女はデンジ君に抱きついたままもぞりと態勢を動かした。首を斜めに振り返り、雨に濡れそぼった私を瞳に映した。

「よお、レゼ。日本はどうだ? 楽しいか?」

 やはり。

 あの少女はヴェロニカだ。

 ふと2人の足元に目を向ける。大量の血、そしてデンジ君の腹からは臓物が収まりきらなかった電気ケーブルのように垂れている。

「……」

 ゆっくりと息を吸い込んで、

 細く長く、吐きだした。

 意識を切り替える。仕事のスイッチをONにする。

 一歩、無造作に足を踏み出した。

「顔をいじったんだ? 髪も染めたんだね。瞳の色はコンタクト?」

 まずは状況を把握する。ヴェロニカについて。デンジ君の状態。地形と環境。伏兵の可能性。

 もう一歩、前へ。

 走らない。様子見しない。

 まったく普通の歩行ペースで堂々と近付いていく。残り25メートル。

 ヴェロニカは、悠々と身体の位置を入れ替える。

 デンジ君を前へ、肉の壁とするように。

「私の任務は2つある。1つ目はお前の尻拭い。もう1つはこれから決まる。お前の返答次第だ」

「元の顔のほうが綺麗だったんじゃない? それに体型がアジア系の顔立ちと合ってない。ハーフで通用しないこともないけど」

 更に前へ。

 靴の裏がざりっと小石を噛む。

 残り20メートル。

「レゼ。お前、故国を裏切ったって本当か? それとも、そのフリをして情報収集をしてるだけ?」

「あなたの元の顔を知ってるのは私だけだった。なのにわざわざ写真を撮られて、欺くためだけに整形したの?」

 一歩、また一歩。

 残り15メートル。

 首元のピンに指をかける。

 ヴェロニカはデンジ君の背中に頬をつけながらほんの僅かに首を傾げた。ライオンのように目を爛々と光らせている。

「この少年……早川デンジ? 素人だったな。なあ、お前はどうして任務を失敗したんだ? まさかとは思うが、こいつに絆されたわけじゃないよな?」

 一歩、また一歩。

 残り10メートル。

「知らない? 武器人間はトリガーを引けば復活するって。人質役には不向きだよ。そのまま抱えてたら不利じゃない?」

「だったら、殺しとくか」

 

 ぞぶり。

 

 見た。

 ヴェロニカの両腕が、粘土を分け切る木ベラのようにデンジ君の胴体へと沈み込んでいく。

 

 ぶつんっ。

 

 いとも簡単に断ち切ってしまう。

 下半身がレゴブロックの人形のそれと同じように味気なく転がった。断面からは血が吹き出してピンク色の腸がアスファルトにばら撒かれる。

 残された上半身、その上にある少年の表情は、苦悶に占められていた。

「あ、痛かったぁ? 早川デンジ君?」

 ヴェロニカはわざとらしく驚いたような声をあげる。

「ごめんね~? あの女が殺した方がいいって言ったからさあ」

 そう言って、抱えていた上半身を血溜まりに落とした。

 べしゃり。

 ヴェロニカは私をじっとり見つめて、肩を竦める。「お前のせいだ」とでも言わんばかりに口の端を片方釣り上げる。

 

 頭の、冷静な部分が――

 ヴェロニカの能力にあたりをつけていて、鍛え抜かれた精神構造が攻略への道を探り出している。

 同時に、こう囁いていた。

 平気でしょ? 心の準備はできていたんだから、と。

 そうだ。その通りだ。

 そもそもヴェロニカとは出会って目が合った瞬間に殺し合うのが決定していた。だから以後の会話は全て威嚇であり心理的優位を得るための主導権争い、双方ハナから意思の疎通などするつもりはなかった。

 ゆえに、ヴェロニカが私の動揺を誘うために半死半生のデンジ君を傷つける可能性ぐらい想定していた。

 しかし、

 それでも、

 分かっていても、

 こんなものを、見せられたら――

「ヴェロニカッ!!」

 

 眩むような激情が走り抜け、

 首元のピンを引き抜いた。

 

 ヴェロニカはにんまりと目元を三日月の形に歪める。

「ふ、ふふふ。こいつは良かった。いや本当に嬉しいよ。お前が裏切り者でいてくれて」

 

 激情が、爆発する。

 

 

 ボンッ

 

 

 血煙を、まとわせて――

 音もなく、人型の火薬庫が出来ていく。

 導火線が身体を伝い、細胞には爆薬が満ちてくる。

 刃物ならば、加減ができる。

 銃器ならば、急所を外せる。

 だが、爆弾には手心を加える余地がない。

 完成された死への手続き。男も女も老いも若きも、無機物ですら一切合切容赦しない、破壊の権化――ボムガールが現れる。

 

 ヴェロニカは知っていた。

 その変身は完了までに致命的な隙がある。

 一時的に頭部を喪失するゆえ意識を保てない。

 その刹那を見極め、ソ連の刺客は地を駆けた。

 断絶の両刃がレゼに迫る。

 しかし。

 そんな隙があることはレゼが一番よく知っている。

 

 意識が無いから動けない――そんな甘えは常に最上の戦果を求められる戦士にはけして許されなかった。何度も何度も反復訓練を行った。規定の動作をタスクとして事前に身体に流し込み、頭無しでも行動できるように。

 今回のタスクは、“迎撃”――

 

 

 

 頭部、修復。

 ボムガールとして視界が蘇る。状況を確認。

 私の左腕は、攻撃を受け止めていた。

 私の右腕は、既に振りかぶっていた。

 眼前にはヴェロニカの驚愕した顔がある。

 想定通り。脇腹ががら空きだ。

 絶好のタイミング。

 

 爆ぜろ。

 

 足の指でアスファルトを握りしめ、足首から膝へ、そして腰から上半身へと運動エネルギーを流転させ、更に悪魔の化学方程式で生み出した反応物質を右手中手骨に集約させることで人魔一体の破壊力を実現させる。

 

 ボ ボ ボ

 

 閃光が、狭い街路を染めあげる。

 耳を聾する炸裂音。湿った大気を吹き飛ばし、振動でマンホールの蓋が浮き上がる。

 薄い煙がぶわりと広がった。

 その向こう側……正面、およそ5メートルに、標的を発見した。

 生存を確認。

「Неужел(マジかよ)и……」

 たたらを踏んだヴェロニカが、爆圧でちぎれかかった左腕を抑えていた。

「雨に濡れて、この威力……。ちょっとハリキリすぎだろう?」

「手を抜いてほしかった?」

「冗談。……なあ、どうして私がここに居ると分かった?」

「雨が降ったから。私ならこの好機を逃さない。誰かを狙う」

 言いながら、自身の負傷を確認する。

 ガードしたはずの左腕が切り裂かれて、皮一枚でぶら下がっていた。

 傷口は綺麗な一直線。

 確信した。ヴェロニカの能力は、斬撃だ。

「触れたものを切断できる?」

「ご名答。勘は鈍ってないようだ」

 ヴェロニカはポケットからスキットルを取りだした。器用に指だけで蓋を外して中身をごくりと飲み下す。更に傷口にも吹きかける。すると、ちぎれかかった左腕がみるみるうちに治っていく。

(そうか、あれは回復用の血液か)

 こちらも首元のピンを引いて再起動。左腕を復活させる。

「分かってると思うけど……あなたはもう帰さないから」

「ふ、ふふふ」

 ヴェロニカは帽子を脱ぎ捨てる。

 頭に奇妙なものが突き刺さっていた。斜めに交差する2本の金属棒、それぞれに穴が開いている。そのあからさまな形状は、裁断用具の持ち手の部分を連想させた。

「私はハサミの魔人になったんだ」

 ヴェロニカは、私をじっと見つめて、にたあと口元を吊り上げた。

 再生したての左腕を自身の胸元へ添え、右手は後ろに回し、執事のように一礼してみせる。

「――私には、名前がある。私はヴェロニカ。ソ連のエージェント」

 唐突に自己紹介が始まった。

 記憶の底に沈んでいた少女の仇名を思い出す。

 “お喋り”ヴェロニカ。

 彼女は時折こうして標的に対して自身の情報を開示してしまう癖があった。

「任務は2つ。1つ目はチェンソーの心臓の奪取、あるいは破壊」

 ……モルモットは公にできない存在だ。

 誰にも知られてはならない。

 万が一知られてしまった場合、対象は必ず始末しなければならない。

「任務の2つ目は、裏切り者の抹殺。そしてボムの心臓を持ち帰ること」

 ゆえに、ヴェロニカの自己開示は、彼女なりの意思表明だった。

 

 どこに逃げようと、どこに隠れようと、

 絶対に追いつめて、絶対に見つけだす。

 そして絶対に殺してやるからな。

 

「なあ、“優等生”――」

 ずちゃり。

 ヴェロニカが無造作に一歩踏み出した。

 私は知っている。

 ヴェロニカは、過去一度たりともこの誓約を破ったことはない。

「何もかも台無しにしてみたいと思ったことはないか? クソみたいな連中、クソみたいな社会、クソみたいな人生……」

 右腕を、すうっと右斜め上方へ向けた。指し示す先は、天高くそびえる駅前のマンション。

 早川家が住むマンション。きっちりその10階を指している。

 私は知っている。

 ヴェロニカは執念深い。

 ヴェロニカは用意周到だ。

 彼女は命令で禁止されていなければなんでもやった。必要以上に。

「生かして帰さないって? 私も同じ意見だよ」

 ヴェロニカは掲げた指をぱちんと鳴らす。

 

 あの部屋には、今、早川ナユタが居る。

 

 爆裂が舞い踊る。

 轟音とともに瓦礫が飛散し、煙をたなびかせながら流星となって降りそそぐ。

 ヴェロニカは、大仰に腕を広げた。

「どいつもこいつも死ねばいい」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。