三階の覇王 ~異世界最強の覇王の肉体は、しかし異能力の才能までは宿していなかったようです~ 作:鷲野高山
今更、といえば今更ではあるが。
その少女は、緋色の髪をしていた。それはそれは燃えるような、鮮やかな色を。
「……不義、の子?」
そしてそれと同じ髪色を持つ人間を。
少女が言い放った単語を思わず自分の声で繰り返しつつ、辺莉は心の中に思い浮かべる。
今年度、即ち播凰と同じ学年である高等部の新入生総代。一学年違う辺莉にとっては、同じ部に所属する先輩。この夏休みに突入する少し前の出来事といい、なんだかんだ縁のある生徒。
名を、星像院麗火。
眼前の少女のそれは、彼女を想起させる髪色であり。
「――やれやれ。そういうことはみだりに言ってはならないと、そう聞いているはずではなかったのかね?」
「そうだった、うっかり」
溜息交じりの老紳士の注意を、しかし反省した様子もなく少女は不愛想にそれだけ零す。
それは播凰と毅を指して質が低いと言ったこと――では恐らくないだろう。総代、つまり麗火を指しての表現に違いなく。
「すまないね、この子は一族でも突出した実力を持っているのだが……まあだからこそか、天能力至上主義に過ぎるところがある。もっとも、悪いとは言わないが」
一応、その次に謝罪は来た。それが何に対しての、かは明確ではないが。
ただその言葉は、少女からではなく老紳士の口から発せられたものであり。
加え当人は勿論のこと、老紳士とて言葉こそ謝りのそれではあったものの、僅かなりとも頭を下げることはせず。
「ともあれ、それなりには意義のある話だった。
むしろ随分と身勝手に、誰に確認することもなく話を切り上げ。
言うや否や、少女を伴って老紳士は踵を返し、一歩二歩と。
立ち尽くすゆり達店主夫妻にも声一つかける素振りすらなく、彼らはその横を悠然とした足取りで素通りしようとして。
「――ひとつ、聞かせてもらう」
コツ、コツと。老紳士の突く乾いた杖の音だけが店内に刻まれる中。遠ざかるその背に声をかけたのは、播凰。
呼びかけに遅れること、一拍。杖音が止まる。つまるところ老紳士と、そして少女の足は止まっていた。
しかしながらその背は向けられたままで。
「此度の件、何を以って動いた?」
「……おや、そちらかね。或いは、この
端的に、直球で投げられたその問いに、老紳士の肩が微かに動く。意外そう、といった声色だった。
しかしそれを紡いだ口は、顔は。未だ辺莉達とは反対の方を向いており、どのような面持ちかこちらからは伺い知れない。
つまるところそれは老紳士側からもこちらが見えていないという状況でもあったが、播凰は肩を竦め。
「そこな娘の発言は、この場において戯言とでもとしておこう。実際、あの者を貶めるためのそれとも限らぬ」
刹那。辺莉は周囲の熱が少しばかり上がったかのような感覚を覚えた。
下がったではない。上がった、である。
播凰の物言いにいち早く反応を示したのは老紳士ではなく、自身の発言を戯言扱いされた少女。
彼女は声こそ上げなかったものの、僅かながらも、しかし明らかに剣呑な空気を纏い。
ムッとしたように眉根を寄せたその顔が、こちらへと振り向こうとされ――けれどどういうわけか、完全に振り返るに至らず。顔の半ばほどまでそうして突如、その中途半端な状態のまま動きを止める。
そんな少女の挙動不審な行動に気付いているのか、いないのか。
「ははっ、言うに事欠いて戯言とは――それにしては、全くのでたらめとも捉えていないようにも聞こえる」
そもそもが老紳士はその内容に対して注意、即ち話題として不味いものと咎めた立場だったはずである。
よって、蓋をした自らが掘り返したばかりか、更に広げた形。その上で、まるで追及しているかのようであり。
「……問いを投げたのはこちらだというのに。とはいえ縁者、家としての関わりがあるのだとすれば気にもする、か」
播凰の言葉にハッとした辺莉が、その視線を辿れば。
老紳士の後ろ姿――その首あたり。シルクハットのような帽子を被っていたためその大半は隠れていたが、そこから覗く老紳士の髪色は。その色素が薄まりつつあったが紛れもなく、また緋。
「否定はせぬ、そういった類の事情があろうというのは薄々察していた。
「察して、か」
気付いたのも束の間。しかしすぐさまくるりと、その色が視界から姿を消す。
つまりはここにきてようやく、老紳士が振り返ったのだと辺莉は気付いたが。
「――アレと面識があるかね」
入れ替わる形で視界に飛び込んできた、老紳士の口。その動きが紡いだ言葉については、すぐに気付くことができなかった。
なにせまるで、物を指しているようだったのだ。それも路傍に転がる石ころのような、価値の無いガラクタを指しているかのような言い草だった。
「ああいや、仮にも同じ学園に通っているのであれば、有り得る話。しかしアレが軽々しく打ち明けるとも思えない。
故に、
いや、そもそもの話をすれば、だ。この会話の根幹であろう少女のうっかり――不義の子、というその単語の意味から辺莉は分かっていないので、そこからではあるのだが。
「――子というのは基本的に父母となった人間の要素を引き継いで生まれるが、当然にして完全に同じということはなければ、どちらの色が濃く出るかも生まれてみなければ分からない。とはいえ、両親の容姿や才能……人間という個を構成するそれらが高ければ高い域である程、子に対する期待というのは大きいものだ。無論、その逆もあるがね」
が、元より辺莉の反応を期待していないのは明らか。
「それは天能術においても外れず、故に星像院家――ひいては四家から産まれた人間がその家以外の性質を発現することは例が無いという程ではなく。諸手を挙げてとはいかないだろうものの、認められないということはない。そしてまた別の四校の生徒となることも……頻繁という数でもないが、過去にもあった。つまりアレを取り巻く状況は、異例中の異例とするには少々、大仰と言える」
老紳士の眼は最初から辺莉を見ておらず、その隣の播凰だけに向いており。
「もっともその上で尚、邪推する者がいないとも限らないが――」
「――ふん、そんな輩と一括りにしてくれるな。あの者と相対し、その
不機嫌そうに鼻を鳴らして言葉を遮った播凰に、これまでは問答において軽妙に返していた老紳士が閉口し顎を撫でた。
まあ一括りにするなはいいとして、それに続いた言葉が言葉。仮に辺莉が老紳士の立ち位置であったとしても、瞳を見た、などといきなり言われれば似たような反応をしていただろう。
ただ、それは背景を知らなければの話。
辺莉には、播凰が適当なことを言っているのではないことは分かっていた。
先輩である叶を発端とし、それだけに留まらなかったあの騒動。他ならぬ辺莉もその場にいて、聞き、見ていたのだ。
その詳細までは語られずとも、星像院麗火という女生徒に公にできない何かの事情があるだろうというのは、あの日において明白だった。
「……ねえ、播凰にい。その……不義の子、って」
しかし、その何かについて。予想を持っていたらしい播凰とは違い、辺莉は持っていなかった。
そしてその事情とやらが、眼前の少女曰くうっかりで漏らした言葉なのだろう。
老紳士が黙り、無言の空間が造られたその隙に。言葉の意味を知らなかった辺莉は、知っていそうな播凰に顔を寄せて小声で話しかけるが。
「その出生は、存在自体が
「……え?」
「つまりは、既婚の女とその夫以外の男との密通。その末に産まれた子を指す」
前を向いたまま、辺莉の方を一瞥ともせずにポツリと、されど虚飾なく播凰から返って来た答え。
それに呆然としながらも、その内容が示す行為を一拍の間を置いて理解する。
「っ、ぅあ……」
所謂、不倫だ。
未だ十代半ば、結婚もしていなければ当然子を産んでもいない二津辺莉にとっては、縁遠いといえば縁遠い事柄ではある。しかしながら彼女は、それを理解できないほど幼くはなく――けれど自分の知る人間がそうかもしれないと聞かされ、表立って言葉が乱れる程度には子供であった。
とはいえ、それに反応したのは辺莉だけではなく。
「――重罪。今、重罪と、そう口にしたか」
瞬間、不気味な光が老紳士の眼底に一瞬だけ奔るのを。
呆けた頭ながら、辺莉は間違いなく目撃する。
「君
その口元は、確かに笑みを形どっていた。その目元は、確かに笑みの形による皴を刻んでいた。
ただ、彼の――老紳士のその両眼は笑っておらず。
「……考えるもなにも、如何な事情があれど真実ならばそれが覆る道理はあるまい」
「ほほぅ、考えるまでもないと。……では、仮に。そう、仮にだ。真であったならば――」
至極当然、といった風な播凰の肯定。それを受けて目を細めつつ、老紳士は昏い笑みを深め。
「――ソレが生徒として同じ学園にいる。そのことについて思うところは?」
「ないな」
誰のこと、などと今更聞く必要もない。
溜めるような一拍の間を置いた老紳士とは対照的に、しかし間髪を入れずといった播凰の実に素気無い短い即答だった。
声に入った力は弱くもなく、強くもなく。それは一顧だにせずというより、まるで何を聞かれるか分かっていたかのよう。
だが、けれど。
「ああいや、その気骨は好ましくあるとも。率直に言えば、少々期待もしている」
「……アレへの同情かね? 重罪と断じておきながら、その咎を問うことはしないと?」
「然り」
重罪だとしておきながら、何も思うところはないと。なんなら、賛辞が飛び出した始末だった。
当然にしてその矛盾を老紳士は指摘し。
そしてそれを播凰もまた当然のように、首肯するのだ。
「そもそもからして、どうあれその是非を問うのは私がすべきことではない。もっとも、お主にとっては違うであろうが」
何でもないことのように最後に付け加えられた言葉に、思わず辺莉は、へ? と、素っ頓狂な声を上げそうになる。
なにせ庇うようなことを言ったかと思えばこれだ。
不倫による子、という少々刺激の強いそれに呆け、ただ流れるまま話を聞いていた辺莉が己の耳を疑う程度には我に返ったほどであった。
「ほう、自らはやらずしてこの老いぼれにはやれと?」
「何事にも領分というものがある。その行いはあの者の家に連なる者、加えて言えばより近い者がせねばならぬこと。口さがない者共は関係なく平気で言うかもしれぬがな」
「……くくっ、今までそれとなく顔色を窺ってきた者達はいるが……こうも明け透けに、それもよりによってこの東の地で聞くことになろうとは」
心底おかしい、といったようにくつくつと老紳士は喉を鳴らす。
その眼底には刹那に見た不気味な光は疾うに失われ、昏く感じられた笑みもまた別種のものへと変じているように感じた。
しかしそれが果たして彼の素であるのか、はたまたそう見えるだけの演じられたものであるのか、辺莉には分からない。
身なりや立ち振る舞い、それにこれまでの言い回しといい、明らかに老獪さを感じさせる人物だ。その半分と生きていない辺莉ではそういった方面の経験は足りていない。
「随分とアレを気に入っているようだが。では私がそうするとした場合、君は止めないということでよいのかね?」
「無論、止めぬ」
ただ。
「――だがあくまで、問うのみよ。その是非を下すまではお主の領分を超えており……少なくとも現状、あの者が
虚が、老紳士の眼に生じる。
それは恐らくは、これまで腹の見せなかった老紳士の素と見て間違いなかっただろう。
次いで、瞠目。果ては、彼の両の瞼が閉じられるまでに至り。
「……怖いもの知らずな発言だ」
「そうか? そこまで大層なことを言ったつもりはないが」
「…………」
言葉少なくただそれだけを老紳士は言い、眉一つ動かすことなく播凰は応える。
そのやり取りを我に返って尚、辺莉が冷静に――と言うのが正しいか定かではないが――少なくとも脳が処理できたのは、話題が彼女にとってどこか現実離れしていたものがあったからだ。
そして同時に、辺莉の脳裏にぼんやりと、だが確かに過ったものがあった。
つまり――。
――不倫って、罪に……生死がどうってなるようなものだったっけ?
3章終盤はサクッと終わらせて私が一番書きたい4章にさっさと行きたいところなのですが……書いてると想定以上に文字数が膨らんでます。物語の大筋は決まっているんですが。。
特に意味はありませんが。3章の1話「天孕具」も早いもので3年前の投稿ですねー。特に意味はありませんが。