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挿絵:吉岡よしこさん
TwitterID:@a_kar_te
「…………カフェ、さん」
重苦しい沈黙を破り、ダイワスカーレットが震える声で私を呼ぶ。
ここは中山レース場の地下バ道。私達は有馬記念の後──ウィナーズサークルを最後に忽然と姿を消したアグネスタキオンの捜索の中途だった。
目の前の現実を理解したくない、とでも言いたげに立ち尽くして硬直する後輩を余所に私は歩み寄り"それ"を手に取る。
……彼女の、白衣だ。
手にした瞬間に一種の確信を抱いた、或いは考察が形に成ったとでも言うべきか。
彼女の考えを私は終ぞ理解出来なかった──理解出来る、と望む事すら既に彼女への冒涜であるとも思うが。
それでも、その打ち捨てた白衣に込められた意図を、意味を、私は理解した。
「……彼女の魂は」
「もう、ここにはない」
必然的に結末を把握し泣きじゃくる後輩に対して、私は慰める術を持たなかった。
土砂の様な雨が降り続いている。
最近の学園はすっかり静かになった。というのもごった返していた有象無象のマスコミや野次馬をURAや学園側が駆逐する方針を取ったから、という面が大きい。
実際の所彼等が行っていた、行おうとしていたのはアグネスタキオンという伝説の、悲劇の娯楽的消費だ。誰も彼もが正義を気取ったつもりで、遺志を継いだつもりで悲嘆と悲哀に明け暮れている。少し前には自分達が非難や糾弾を向けていた加害者だったという事実から目を逸らして、無かった事にして。
故にこの徹底的な処置に沈黙するそれらに対して胸のすく思いが無かった訳ではない。その感情すら恐らく彼女の意志とは程遠い、残された者の抱く一方的な傲慢に過ぎないというのに。
「誰も彼も、勝手だ」
夜闇に飽和する雨音の中でなんとなしに呟く。自虐、自嘲、或いは陶酔。
私は確かに彼女を糾弾した。彼女の抱く想いを知らなかった、意図的に無視していたからだ。
「……もしも」
私が彼女を理解できていたのなら、この結末は違うものになっていたのか?
現実に"もしも"など、都合よく夢落ちにしてくれる目覚まし時計など存在しない、のだけれど。
「……。」
ずぶ濡れの前髪を掻き上げて、眼前に聳え立つものを見上げる。
──三女神像、"想い"の継がれる場所。
「貴方に追い付く事が、貴方の見た景色を見ることが叶ったなら」
執念と狂気の果てに閃光と化し、自ら鮮烈に幕を引いた貴方の背に辿り着けたなら。
「……私は、貴方を理解する事が出来るのかな」
女神が微笑む。女神は微笑んでいる。
凍り付いていた、止まっていた鼓動が再び脈を打った、そんな気がした。
「カフェ」
黒い雨傘の布地が私の視界を遮る。
声の主は分かっていた──この遣り取りもすっかり慣れたものだ。
「……トレーナー」
「風邪引くぞ、中に入ろう」
どれだけ彼が止めても私は雨に打たれた。どれだけ私が雨に打たれても彼は迎えに来てくれた。
……だからこそ、少しだけ躊躇ったけれど。
「URAファイナルズに、出ようと思います」
彼が暫し沈黙する、雨音だけが私達を包む。
「……分かった」
決意に至る委細も問わずに彼は押し殺した声で呟いた。
「これまで通り俺にできる事なら協力は惜しまない、トレーニングメニューも直ぐに練り直す」
「……だから、頼ってくれ」
彼の誠実さを私は評価している。
「ありがとう」
故に返答と共に返した微笑を、彼はどう受け取ったのだろうか。
結局他人の思いを、想いを理解しようとする、それ自体が傲慢な思い上がりなのだろうけれど。
「────プランBを、始めよう」
これは思い上がった私の綴る、自己満足の後日談。
結論から言うと引き継ぎは容易だった。
掘り出したプランBのノートには特に学力に秀でている訳ではない私にも苦労せず理解できる程度には解り易く噛み砕かれた彼女の理論が残されていた。元来の目的として自身以外に託すことを前提とされた計画なのだから当然と言えば当然なのだが。
「……変な人だな、やっぱり」
深夜の研究室に私の微かな独り言が零れる。雨は降り続いている。
そもそも彼女はこの計画を中途で破棄した筈だ、それでも完成した一つの理論として書き終えて纏めているのは研究者の性か矜持故なのだろうか。
今となってはその真意を知る術は無い。
凝った肩を解しながらふと窓の外を見る。
水滴の付着した硝子に反射して映し出されるもう一つの研究室から、私によく似た私ではない誰かがこちらを見ている。
「……心配なの?」
いつからかは覚えていないが、"私だけの友人"である彼女は憂うような表情で私を見ることが多くなった。
その声を聞く手段が存在しない以上やはり真意を知る術は無いのだが。
「大丈夫だよ、私は」
微笑みかけてみたが、本来鏡映しである筈の彼女は実存の法則に反して心配そうに私の両目を見続けていた。
「失礼」
ノックの音が二つ。
彼女から視線を外しどうぞ、と促す。姿を見せたのはトレーナーだった。
「夕方の測定結果をデータログに反映した。着実に成果は出ている様に見える」
「お疲れ様です、ありがとう」
受け取った資料をバインダーに挟む。
研究とトレーニングに没頭する私に彼は休日も構わず付き合ってくれている、お陰様でこのバインダーもだいぶ分厚くなった。
「俺は寮に戻るけど……今日のメニューは身体負荷が高かった、なるべく早めに休んでくれよ」
「うん」
そのつもりです、と頷いて返すと彼は器具の整理を終えその場を後にする。
研究室を出る間際にその足が一度止まる。彼の視線は私の前の机の片隅に向けられたように見えた。
「おやすみなさい」
「……ああ、おやすみ」
言葉を受けて彼はもう一度私を見る。表情は上手く読み取れない。
「いい夢を」
扉の閉まる音が消えて、また私は雨と二人きりになる。
去り際の彼は薬の副作用について言及したのだろうか。気を付けるべきとはいえ現状目立った症状は無く懸念事項にはなっていないのだけれど。
そろそろ寝ようか、と区切りの良い所で頁を閉じて机に置く。
「……あ」
席を立った私は今になって先程の彼の視線の意味に気付いた。
マグカップに冷え切った珈琲が一杯。
「……。」
一口だけ含み、残りをシンクに流す。
純粋に珈琲を好いていたのはいつの頃だっただろうか。あまりよく覚えていない。
少なくとも今となっては黒く、苦い思い出が舌の上にぼんやりと残るのみだ。
URAファイナルズ、準決勝。
「それで……最近のカフェさんは如何でしたか?」
屋根の下の客席でダイワスカーレットがコースを眺めながら隣に立つ男性に訊ねる。雨は降り続いている。
「好調だよ」
訊ねられた男性は同様にコースから視線を外さず返す。
「……好調過ぎる。万一のアクシデントを最大限に警戒して備えなければならないが、逆に言えば俺にできる事はそのくらいだ」
「そう……なんですか」
赤いアンダーリムの眼鏡の下の彼の表情は上手く読み取れない。観衆の喧噪の中で話していた二人の間に暫く沈黙だけが流れる。
その様子を余所にレースは次々と行われる。その度に客席から歓声が上がる。その度に勝者と敗者が決まる。
「……でも、それって」
「信じられてるんですよね、カフェさんを」
顔を上げてスカーレットがぽつりと口を開く。
「……ああ」
間を置いて彼は返す。
「俺はカフェを信じているよ」
「彼女が俺を信じているかは……分からない、分からないが」
少し心配そうな様子でスカーレットは彼の顔を見上げる。
「俺の育成理論には限界があった」
「良くも悪くも無難の域を脱せず、その改修に苦心していた。カフェはそれを知っていた様だが俺を責めるような事は絶対に言わなかった」
「……だが、熱意は着実に失われていたんだと思う」
「トレーナーさん……」
彼は淡々と語る。やはりその口調から感情を読み取る事は出来ない。
「アグネスタキオンのラストランと失踪がカフェの失われていた何かに火を点けた事は明らかだ」
「彼女は研究室に残されていたノートを育成方針に組み込む事を提案してきた。実際その内容は斬新かつ理に適っていて、俺はそれに同意した」
「俺は俺に可能な限りの最善を尽くしている。だがタキオンの残したノートは確実にその先を行って、その先を見ていた」
「……後は、彼女を信じるしか、できる事はない」
再び沈黙が彼らを支配する。
「……"果て"の先を見たいと思うか?」
「え?」
唐突な問いにスカーレットは困惑したように見える。
「アグネスタキオンは光速の果てに辿り着いた」
「光になったんだと思う。 ……恐らくは、そのトレーナーと共に」
「……。」
再びその顔を見上げるスカーレットを余所に、彼は独り言の様に呟きを連ねる。
「他人の考えている事なんて誰にも分からない、分かろうとすること自体只の傲慢な思い上がりに過ぎない」
「だが……」
彼の表情に、僅かに動揺が混じった様に見えた。
「カフェは……カフェは、それを見たいのだろうか」
「果てに至った先で……タキオンが見た何かを……」
「……俺を……俺を置いて……」
「……トレーナーさん」
その様子に何か致命的なものを感じたのだろう、スカーレットは咄嗟に彼のトレーナー制服の裾を掴む。
「落ち着いてください。私の知ってるカフェさんは貴方を……信頼し合っていた方を置いて行ったりなんて、しない人です」
「っ……」
彼は頷いて息を吸い、吐く。
「……そうだな、そうであって欲しい」
「……だけど……もし……」
────彼女が"果て"に至った時、自分はそこにいないんじゃないのか?
譫言の様に呟かれたその問いは、新たなレースへの歓声に埋もれて掻き消された。
「……ああ、これの次が最終レースか」
彼は平静を取り戻したように見える。
「行ってこないと。 ……カフェは一着で帰ってくるから」
「……大丈夫ですか? ついて行くぐらいはしますけど」
「いや……大丈夫だ、ありがとう」
裾を握っていたスカーレットの手が離れ、彼は客席を後にする。
「……人生という物語には、喜劇だって悲劇だってありますけど」
「……ロブロイ」
後方の席で一部始終を見ていた私の呟きに気付き、スカーレットが振り返る。
「少なくとも、この物語の始まりは"壊れていた"んだと思います」
「……そう……かもしれない、けど」
言い淀むスカーレットは再びコースへ視線を戻す。
物語と形容するのもまた彼らへの、彼女らへの"傲慢な冒涜"なのだろうなと思いながらも私は言葉を続ける。
「全ては一つの不幸から始まった。連鎖するように一人が壊れて、その壊れた彼女を追う一人もまた"壊れようとしている"に等しくて」
「……私の見る限り」
男性の去った方角に視線を投げる。
「彼もまた、"壊れている"ように思うんです」
「……ロブロイ……」
スカーレットは俯き、感情を押し殺したような声色で呟く。
「私には、私達には……できる事は無いのかな……」
「……。」
私は彼女の拳が微かに震えるのを見た。
「他人の考えなんて確かに分からないし」
「他人の人生に干渉する事のできる人間はほんの一握りに限られています」
「タキオンさんをどうにかできるのは多分もういなくなった彼女のトレーナーだけだった。恐らく今のカフェさんをどうにかできるのも、そのトレーナーさんをどうにかできるのも彼ら自身だけなんだろうなと思います」
「……そう、だよね……」
俯いたまま歯を食い縛る彼女に、私はそれでも言葉を続ける。
「だけど、彼らの行く末を見届ける事は私達にしかできない」
「……、……。」
彼女は顔を上げ私を見て、それからまたコースへと向く。
「タキオンさん達の残したものが、彼らの歯車を、物語を、再び回し始めた」
「だから彼らの紡ぐ答えを、結末を見届けましょう」
「そうしてその後に彼らが残したものを抱いて、私達もまた歩き出すんです」
頷く彼女の隣に私は座り直す。
「……そうね」
憂いが少し収まったように感じて、私は微笑みかける。
「……まあ、でも」
「ハッピーエンドを望むぐらいは、読者としての当然の権利でしょうから」
「うん」
彼女も、少しだけ微笑んだように見えた。
「祈りましょう。彼らの無事と、彼らの奇跡を」
その後、マンハッタンカフェは準決勝の最終レースを大差で制した。
『支え合い、助け合える────生涯のライバルを見つけること』
「……最初の一冊は……貴女に……」
机の脇に置かれた写真立ての中、楽しそうに笑っている女性に呟く。
度数の強さだけが取り柄の安酒を──これが何本目かも分からない様な朦朧とした意識の中で──飲み干した俺は机上に頭を横たえてその遺影を見ていた。
最近は溢れ出した空き缶を片付ける事もしなくなった。それはただ頭ごと思考を焼き切る為だけに何の意義も無く積み上げられていく。
「……そうだ」
「あんなものには、何の意義も無いんだ」
打ち捨てられる様に、積み上がった空き缶とゴミの中に書きかけの"トレーナー白書"が埋もれている。
彼女は──アグネスタキオンのトレーナーであったあの人は、まさしく憧れと形容できる存在だった。
新人トレーナーとして右も左も分からなかった俺の手を軽快に握り導いてくれた。
イベントの一環でダンスを踊る羽目になった時に羞恥で躊躇う俺を引っ張り出して一緒に踊ってくれた。
カフェとの距離感に悩む俺を"予行練習"と称してカラオケに連れていってくれた。
それでも打ち解けられない、と悩む俺に的確なアドバイスをくれた。
現在カフェと──俺がそう信じているだけかもしれないが──ある程度の信頼関係を築けているのも彼女のお陰だ。
"そういう感情"を抱いていなかった、といえば嘘になる。
けれど日頃のアグネスタキオンに対する彼女の表情と行動を見ていれば自ずと"同じ土俵に立てない"事ぐらいは理解できた、理解していた。
彼女は俺を照らす希望の光であり生涯のライバルで、彼女達は超光速の果てへと至り絶対的な存在として永遠に輝き続けるのだと。
そう思っていたんだ。
「……教えてくれ……」
視界の中の彼女が歪む。それが横向きに零れ落ちている水滴の所為なのは分かっている。
「……俺はカフェと……どう向き合えばいい……」
実の所最早アグネスタキオンもこの世にはないのだろう。あの叫びを聞いてしまえばそんな事は嫌でも理解できる。
準決勝を難なく突破したカフェの視線は、ここではないどこかを、俺ではない誰かを見ていた。
……このまま彼女は、光速さえも振り切って、彼方へと消えてしまうのではないか。
出走を止めるべきではない。これまで彼女がここまでの決意を示す事は無かった、もしそれを奪ってしまえば今度こそ彼女は生ける屍と化すだろう。
走らせてやりたい、このまま宿願を果たしてほしい。そう願う一方でその結末の後に自分の元には何も残らないだろう事も俺は予感していた。
「俺は……どうすればいいんだ……どうするべきなんだ……」
雨は降り続いている。
「……教えて……教えてくれませんか……お願いします……どうか……」
冷たい雨音だけが満ちる部屋に微かな嗚咽が混じる。
俺を慰めてくれる温かな手も、俺に寄り添ってくれる温かな存在も、何一つここにはなかった。
URAファイナルズ、決勝当日。
普段と変わらず中山の地は喧噪に満ちている、その全てが私にはどうでも良かった。
調子は絶好調と呼ぶに相応しい。これ以上は望めない仕上がりだと自負すらできる。
後はただ、走り抜くだけだ。
「三番、マンハッタンカフェ」
パドックに立つ私の姿に客席は静まり返った。元の黒いコートの代わりに羽織っている彼女の白衣の所為だろう。
観客はあの伝説を想起するのか、それとも社会的なタブーと化した彼女への冒涜と憤るのだろうか。
それら全ても、実況のコメントも、私にとっては何の意味も為さない。
私は私の為にこれを纏い、ここにいる。
「さあ」
「────可能性を、導き出そう」
雨は降り続いている。
テーマソング:Do As Infinity『Raven』