実は、姉によって大量の謎アプリを入れられたスマホは三時間足らずで充電切れを引き起こしている。
7月。今日は待ちに待ったサニティエッタのデビュー戦だ。
大地に恨みでもあるのかってくらいパワーの籠り過ぎなあの走り方は短期間じゃ直しようもないし、下手に変えると全体のバランス的な所も歪んでしまいそうなので矯正はとんとん。
ですんでこの数か月は大体スタミナの強化に当て、ダンスと歌の割合は少なくなってしまうものの最低限を教えた。
パドックを含むレース開始までの流れも詰め込んだし、後はエッタに全てをお任せする手放し運行となっている。
サニティエッタというウマ娘が重力圏を突破して果てしない宇宙へ飛び出せるか否か、後はもう祈るだけしかない。
「がんばれよー」
自分でも担当トレーナーとは思えない気の抜けた応援を漏らしながらパドックを眺める。
桐生院さんのハッピーミークを含む有力株のウマ娘達は颯爽と6月にメイクデビューを終わらせているらしく、今回出走する相手にライバルなりえそうなのは……たぶんいない。
親ばか的な見方かもしれないけど、何というか全員エッタの敵ではないんじゃないかな。
レースなんだし事故というどうしようもない事だって起きるかも知れないけど、いま勝つくらいならなんとかなりそうと思う。
サニティエッタの走りは追い込み型。最後尾で虎視眈々と構え体力を貯め込んで、終盤でぶちかますスタイル。
体力が続く限り殆ど負ける要因がない逃げと違って、追い込みは待ち過ぎて機を逃がしたりずっと前を塞がれてしまっていたり、展開によってはどうしようもできずそのまま終わっちゃうこともある。心配があるとすればそこだ。
一応は新潟での模擬レースだといつの間にか抜け出すと好評な視野の広さと判断力だし、大丈夫なんだろうけどそういう事故的な事が起きないかだけは不安。
「レースは何が起こるか分からないし、そこだけ不安ですよね」
「そそ。あいつなら大丈夫って思ってても、やっぱ色々考えるうちにやっぱなーってさ」
アナウンサーに名前を呼ばれ、パドックにサニティエッタの姿が現れる。
舞台の袖幕から跳ねるように飛び出て、ステップを踏んでくるくる回り、最後にびしっとポーズを決めてから深くお辞儀。
よしよし。お手玉とか手品とか小道具色々封じておいたお陰で無難に終わった。
「エッタさんにしてはあんまり派手さが足りないような」
「細かい確認が足りないと判断して封じたんだ、許しておくれ。……っていうか」
君、誰!?
なんか気が付いたら横に知らんウマ娘おるんですけど!
「?」
首傾げても分からんて。
「もしかしてエッタさん、言ってませんでした? エッタさんの友達の、ラベリテって言うんですけども」
「ラベリテ……」
聞いたことない娘っすね……。
「もう! レース見に行くから紹介しておいてねって言ったのに!」
「忘れてたんじゃない?」
「もー」
たぶん新潟の友達かな。
メイクデビューに合わせてわざわざ遠い東京まで来てくれるなんて、よっぽど仲がよろしいのねあんたたち。
「こうでも理由を付けないと、今なかなか会えませんから」
「遠いもんねぇ。往復で結構かかるし」
新潟でのレースがあれば、予定さえ合えば連れてってやろうかな。
エッタの親とかも娘の姿を見たいだろうし。
「こっちに来たのは君だけ?」
「ボクの母さんも一緒です。エッタさんの父さんとお姉さんは、お仕事が忙しいみたいで……」
「あら残念」
「来たら来たで、トレーナーをしてるジョゼさんが大変だと思いますよ」
「あー、そう?」
愛娘と知らん人が手錠でくっ付いて仲良しアピールしてるんだから生かしておかんだろう。新潟のレースは全部避けよう。
「ワンチャン、俺もウマ娘って事で誤魔化せないかな」
「……はい?」
しまった。エッタなら乗ってくれたのに相手は普通のウマ娘だった。
「あははっ、でもこんな人がトレーナーならエッタさんも楽しくやれてそうで何よりですっ」
「こんな人って……お前さんや……」
久しぶりにまともな会話のできるウマ娘のラベリテとあーだーこーだ話している内にパドックの披露は全て終わり、出走するウマ娘達が手を振りながら移動していく。
さて。後は走るだけだ。エッタの調子は表情から分かりにくいけど多分好調、頑張れ。
俺達も観客席に移動するか。ラベリテもついてくる? 俺いるから良い席行けるよ。
『初夏の太陽照りつける! ここは大井レース場ーッ!
勝利を掴むのはどのウマ娘か!? 本レースの実況はこの私がアツく、アツくお伝えしていきます!』
アナウンサーも言う通り、今日の舞台は大井レース場。大井なので当然ダート、距離はマイルの右回り1800m。ここはエッタの指定した通りだけど、なぜに大井を狙ったのか。ゲン担ぎに好きなウマ娘の歴史に合わせたとか?
その辺はなに考えてるのか分からんけど、今日の天気は晴れ。気温湿度もとても良い感じ。足場も悪くないし、絶好の出走日和だ。
メイクデビューではあるけどレース自体は練習で経験があるため、ゲートインを待つエッタに緊張は見えない。緊張はなくともばたばた動き回っちょるが。
がはは。これはもう勝ったな。負ける気がしない。
「エッタは端っこ一番外枠、3番人気。結構いい線かな」
「新潟だったら間違いなく1番人気取れそうなんですけどね」
「追い込みスタイルだからしょうがない」
「えっと、ダメなんですか?」
「ダメって訳じゃないけど」
そもそも追い込みの走りって難しいからねぇ。
いつ仕掛けるかとか冷静に周囲を見ないといけない色々な判断を経験の浅い新人がやって、上手く前へ行けなくて沈むなんてよくあるらしいし。
個人的にデビュー戦で一番有利だと思うのは逃げか先行だ。レースに慣れてない他の奴らが勝手に潰れて追いついてこない内に勝てる確率があるから。
そんな中で9人中の3番人気なら、エッタの実力は充分認められてると言えるだろう。
未勝利戦とかオープンとかだったら、相手と戦績次第で1番人気に行けるだろうね。
『全ウマ娘、準備が整いましたッ!』
なんか今日のアナウンサー暑苦しくない? 初夏だらか?
それはともかく、ゲートインも終わり一瞬の静けさ。
「……」
「……」
ばん!
『ああっと、ややバラついたスタートとなりましたッ! 先頭は3番ゴールデンフォックス、その後ろに6番ワイルドグースが続きます!』
ついに始まってしまった、運命のデビュー戦が。
新人戦というだけあって緊張なのか半分近くはスタートが遅れてしまい、実況の言う通りバラバラのスタートになっている。
これはエッタにとって、都合が悪い。
「まずいかも」
「え?」
サニティエッタは、何度も言うが作戦は追い込みだ。後方で展開を窺うスタイルの。
全員が綺麗な一斉スタートを決め込めばポジション取りも楽なのに、今はどうだろう?
『──サニティエッタ、三番目にいます』
エッタの強すぎる脚力にとって成功したスタートダッシュが、他を置いて行った。
周囲が綺麗なスタートを決める事られる事を前提にした力みだったので想定外だった。
最後方にいる予定だったのに、これじゃ先行になってしまう。
わざわざ減速して後方に行く理由なんか当然ないし、後ろのバ群に飲み込まれるのを待つ理由がない。エッタも下がるのは不利と気が付いて作戦を切り替えている。
ぶっつけ本番、先行策。エッタがいくら才あるとしても、本番でこれは厳しいんじゃないか?
楽勝と思ってたらフラグ回収かよ。まずい展開になったな。
「うーん、でもこれなら大丈夫じゃないですか?」
「え?」
ラベリテの呟きに聞き返してしまった。
第一、第二コーナーを回っても順番は後方の団子になった集団内で変動しているのみで変わらない。前方を行く三人の陣形は一切変わらずのままだ。
逃げのゴールデンフォックスがスタミナ切れで落ちてきても、最初から先行策を取っていた二番手のワイルドグースが差し切って終わってしまう。
先行のポジションが攻めるタイミングを勉強させていないエッタは、もう本当に勘と実力で勝ち取ってもらうしかないんじゃないか。
なのにどうしてラベリテは大丈夫だと言い切ったんだろう?
「だってエッタさん、練習で追い込みやってただけですし」
「……えっ?」
あっけらかんと言う横のラベリテと一瞬目の合った、本当に一瞬のその瞬間。
観客席が大きな歓声に包まれた。
驚いて正面を見れば、そこには──。
『先頭はサニティエッタ! とてつもない勢いでやってきました!』
「──ね?」
最終コーナーを回って直線へ一番に現れたのは、サニティエッタだ。
とてつもなく深い踏み込みが地面を揺らし、地響きが爆音となり、重戦車のような鈍重な動きに反しロケットのような速度で真っ直ぐゴールへ向かってサニティエッタがぶっ飛んでくる。
今まで遠景にいたから気が付かなかった。
重戦車、鈍重、と咄嗟に表現してしまったけど、正しくそれだ。
腕の振りも脚の動きもゆっくりだったのに、いつの間にか加速を済ませて全てを置いて行った。
『サニティエッタ一着! 何と6バ身差! 続いて──』
「な、なんだ……? 何が起きてたんだ……?」
「よかったぁ、ちゃんと勝てましたねジョゼさん! ……ジョゼさん?」
エッタは、想像以上だった。
勝てるとは思ってたけど、不慮と言える状況下でもお構いなしに想定以上の勝利をもぎ取っていった。
……力押しにも思えるがこんな才を、新人トレーナーの俺が担当してて大丈夫なのかって思うくらいにはやばい。
今からでも移籍を考えていいんじゃないかって考えて、ぐいぐいと引っ張られる感覚に現実へ引き戻される。
見れば、ラベリテが俺の顔を心配そうにのぞき込んでいた。
「エッタさんの事、褒めに行ってあげないんですか?」
「……そうだな。褒めてやらんとな」
ウイニングライブが始まるまで控え室にいるはずだし、ちょっと顔を見て来よう。
俺が担当でいいかどうかは、後でゆっくり考えよう。
……下手に移籍させると、あいつの性格上迷惑をかけるのは目に見えてるし……。
「でも、父さんの言った通りです」
「んあ?」
「エッタさんの力強い走りを見たら、今担当してる人びっくりするだろうって言ってて」
「うん。びっくりした」
びっくりし過ぎて、担当でいいか迷っちゃったくらい。
「というわけでこれ、渡しておきますね」
ラベリテが一枚のメモ用紙をくれる。そこには、誰かのメールアドレスが書いてあった。
「父さんの、つまり
「あ、ありがとう……?」
「じゃあボクは母さんと合流するので、ここで失礼します! また後で!」
「お、おー、ありがとなー……」
手を振ってラベリテは走って行ってしまった。
なんかちょっと焦っていたような、ないような──
「──こ、この気配は……」
背後に蔓延る殺気。
漫画的に表現するなら、ドドドドドという擬音も聞こえる位の。
「んふ、んふふふふふ……」
この不気味な笑い声は……!
「ベリーと仲良しトレーナー? あての走りをしっかり眼に焼き付けならむかや?」
「ぐ、偶然会って一緒に走りを見てただけだし?」
「とても仲良し思ひて見えし、あらば十八本の釘を打つ!」
「今日のエッタ語はご機嫌だね!」
どす、と抱き着かれ腰に手を回された。そしてぎりぎちと絞められていくし、これは……死じゃな?
走馬灯のように色々考えて、一つ生き残る術を思いつく。
──普通に素直に褒めてやればいいんぢゃね?
「驚き過ぎて声も出なかったし放心もしてた! エッタの走りヤバ過ぎた!」
「!」
「次はライブだぞ、こっちも見事に決めて驚かせてくれ!」
「んふ、んふふふふ! 一本勝っては父の為、驚きあられや全ての者よ! あての舞いなる道化劇!」
撫でくり撫でくり。
割と本心で褒めると上機嫌になって、ふらふら歩きながら去っていった。
ステージ衣装の準備もあるし抜け出すにも大変だろうに、俺の方から行かなかったからわざわざ来たんだろうなぁ。
レースの方は上手く行くか心配だったけど、ステージは問題ないはずだ。
というのも、エッタはそっちの方が本業じゃないかと思うくらいには舞台の動きが上手い。
ウマ娘じゃなくてもそういう方面で有名になれてた天才肌って奴だろうね。
……あ、さっきのメールアドレス登録しておこ。