暗い中、ふと物音で目が覚めたのでアイマスクを外して枕元のスマホを確認する。
真っ暗な中で浮かび上がった画面には、レースに勝って珍しく自然に笑顔を作れたサニティエッタの写真。
いつもは癒しにもなるほのぼの笑顔が朝の3時という、とんでもねぇ時間をお知らせしていた。
というか3時は朝でいいのか? まだ夜レベルじゃないか?
とにかく俺は都民だ。田舎民のタイムスケジュールはお呼びでない。
「……」
と、言うわけで二度寝を決め込む。何の物音で起きたかは気にしない。
だって理由は知ってるから。心当たりがあるから。
「んん?」
がさがさ。
「ほむ」
ばたばた。
「空暗き、星少なきくも月ありて
──な、おわかりだろう?
朝から騒がしい道化っちはひとまず置いといて、出走決定から早いもんであっという間に年末。
つまりあっという間にホープフル当日だ。
あれから一か月ない位の短い期間とはいえ、当レースへ向けてなるたけ対策は積んだ。
ここまでやったのだから、あとはエッタ本人次第の勝負。
だけど、流石に今までのように「じゃあレースいってらっしゃーい」って気軽にできる雰囲気ではない。
ジュニア級唯一にして、未来のエースを占うレース。今までとは空気も相手の実力も違う。
テレビや新聞、雑誌等々もこぞって次代がどうなるかと特集を組んで、出走する面々にトレーナー込みの密着取材をしているほどの注目度合いだ。
当然、出走が決定しミークとのライバル関係を作られているエッタにも取材が──
「眠る時? 起きる時!」
──あるにはあったけど、軽いのが2件だけ……だったねぇ……。
しかも誰かのついでにみたいなかるーい感じのやつとか、出走する一覧をまとめてますみたいな……。
地元新潟の連中は何してんだこっちこいやとは思うけど、普段の様子からあまりおいしいネタが無いと割り切られてるのかも知れない。
東京まで取材に行って目新しいモノがありませんでした、会話が成立しませんでしたとかになったら金の無駄って怒られるんだろうし。
というか会話不成立の際の書き方次第で、下手したらバカにしてるんじゃないのかってぶっ叩かれて炎上のタネにされる危険もあるし。
前回というか前例というか、前にテレビの切り抜きがSNSに上がってプチバズ(若者用語)したらしいし慎重になってるんかな。
ホントの理由は分からんけど、今の時代は何が起爆剤になるか分からないからね。
そういうの楽しんだりそういうので稼ぐ人もいるから、本当にネット文化って怖いわよ?
だからあたしってSNSイヤなのよ。失礼しちゃうわね。
「ふぁ……ふ。うるるる」
「エッタ、寒い、窓閉めて」
「うー? がらー」
で、そのサニティエッタさんなんだけんどもん。
出発どころか集合時間、どころか起床時間前の早朝からチームのプレハブを訪ねてはうろうろしたり、椅子を壊す勢いでがったんごったん揺らしたり、ホワイトボードに落書きしたり。
予想してた通り、落ち着かんのですわよ。
くそう、朝から動き回るのを予測し許可を得て泊まり込みをしたのは正解だったが間違いでもあったか。
何度も外と出入りされたりストーブ前を占拠されたりするせいで、やはりというかくっそ寒いしもう眠れん。
というかエッタは今からでもいいからちゃんと寝てくれ。お前今日レースだろ。
おでこに乗せたアイマスクが剥ぎ取られ奪われたので、深い悲しみと寒さに震える。
トレーナーってこんなに身体を張る職業なのか?
そしてこれ以上の寒さを望んで体当たりする冬キャンパー達は正気なのか?
まともなのは僕だけか! ボート!
「……エッタのうろつく
「今なんと!? 聞かせてお声をレリックを! 韻踏みリズムに乗せて、ジョゼトレ語りし道化の奇術!」
「……まだ寝かせてくれよ……」
ふぁ……余計なこと言ったわ……。
「目覚めよ起きよ、朝なりて!」
「まだ暗いよぉ」
「養鶏場の朝は早い!」
何で養鶏場? ニワトリこっこー?
新潟って米しかない土地って聞いてるけど……っていうか、ダメだ。
こやつの会話に乗ったら意味を理解しようと脳が覚めてしまう。
「エッタ、お前も休め。レースまでもたんじょ」
「じょ!? ゼ、トレ!」
「おやすみ」
「御待ちなられよ待てトレよ!」
どす、と腹の上に乗られてゆっさゆっさ肩を揺さぶられる。
体力使うなって。休めって。痛いから。肩外れるから。
てか門限的なアレはどしたん? また瞬間移動か? カギ閉めてた俺んちに入ってきた時みたいな。
あーもう訳わからん。
今から寮の部屋に戻すのはミーク他寮生の面々に寮母さんと色々迷惑をかけてしまうだろうけど、寝不足のままレースに出す訳にはやはりいかない。
もぞもぞと動いて寝袋から起き、脱皮し、借りた備品の体操マットのベッドから降りる。
「よっ……と」
「おはようニワトリこけこっこー! ご起床ですか? 顔洗い! あわや冷たい洗面の水、
はいどうぞ。
温かい寝袋だよ。
「にゅい?」
「常禅寺さん印の寝床だよー。ここで寝なー」
そして嫌なら部屋に戻って寝るがいい。
くくく、この部屋にいる限り無理やりこの寝袋に貴様を突っ込むぞ、くははは。
「わは!」
おーいエッタさーん。
それ常禅寺印の寝袋だおー、脱ぎたてホヤホヤのホヤあそばせなホヤなりよー。
「わはは」
釣り上げた要求を断らせ、妥協すると見せかけて本来の要求を通す交渉術は見事失敗したようだ。
なんだっけ、ドアインザフェイスだっけ? なんか違う気がするし、結果も望んでいたのとは違うし。
おっさんの寝てた寝袋なんか嫌だ! とか言って断って寮の部屋に逃げ帰るのを狙っての事だったんだけど、道化師様は寝袋という新鮮さが楽しいのかノリノリで入ってしまった。
芋虫みたいなのがうねうね動いてる。うつ伏せで。
いや寝袋はうつ伏せで入るもんじゃなかろうに、てか苦しくないんかそれ。
普通は顔を出す部分から癖のある髪の毛が溢れて蠢く。
「……いや、寝てくれるならいっか」
そう。トレーナーたるものウマ娘第一。走りの妨げになることなかれ。
彼女らの走りの妨げとなるものを排除できるなら、僕は冬の東北でサバイバルキャンプだってできるんだ。
適当に自分を慰めながら、寒い室内で震えながら椅子に座る。
机の上に見慣れないノートがあった。
何だこれ。
「父姉注目エッタの走り、わが友ラベリテ応援来たり? あては走って価値の証明ウマ娘!」
「ちゃんと寝ないと結果も出ないぞー」
スマホのライトでノートを見ようとしたら、ややくぐもった声がした。
うつ伏せ寝袋サニティエッタがまだまだ喋るのである!
……苦しくないの、それ。
「あてを眠らせたりなら子守唄。ジョゼトレお歌を寝るまでどうぞ?」
い゛、俺が歌うの?
「歌は歌でも歌ですよ? そこにノートがござりますゆえ」
何さ、歌って情報から何も増え取らんけど……。
ノートって、やっぱり手元のこれ?
表表紙にでかでかと「サニティエッタ全歌集」って書いてるやつ。
「あてのオリジナルな歌を、いつか披露しようとし申す成りてや思ふなり」
へぇ、いっぱしなトレセンのウマ娘らしい夢があるじゃないの。
ホープフルの勝敗はさておき、ファンが付いてきてくれればその内に声も掛けられるさ。
なんせ「宇宙が見える」とか「子供が痙攣を起こした」とか言われるエッタ語を元にした楽曲だぜ?
注目されない方がおかしい。ある種の兵器というかテロだよ。
なんでレース後のウイニングライブとか練習での普通の歌が型通りにできるのに、縛りが無くなった途端にこうなるんだろうな……。
「どんな歌詞なのか楽し……み……?」
「早く寝かしつけまし子守唄」
いや、あの、普通寝かしつけてくれって本人が言うもんじゃ無くない?
ああでも、そこはどうでもよくはないけどどうでもよくて。
「これ、歌なのか……?」
「歌でしょう?」
「広義というか言葉的には間違えてないけど……」
縦の線に沿って、意外なほどの達筆で歌が──短歌が書かれている。
575と77で作られる、歌が。
「詩と申しまし」
「それで寝てくれんなら読むけどさ……」
ぱらぱらと捲っていくと、紫色の押し花で作られた栞が出現した。
そこはメモスペースと銘打たれたページであり、真ん中にでっかく「ハッピーミーク」と書いてそこから様々な単語が線で繋がれて続く。
なんか国語の授業で昔こういうのやった覚えあるわ。懐かしい。
細かくこれを書いてる姿は想像付かないけど、普段の意味不明な語彙はこれで鍛えられたのか?
とりあえずここの項目に関しては、vsハッピーミークを中心にしてホープフルへ向けた一句を紡ごうと頑張ったらしい。
短歌とかは専門外だし凄いぞって感じの評価は付けられないが、努力しているのを褒めてしんぜよう。
次のページから歌が書かれているようなので、 ではその努力に敬意を払い読み上げさせて頂きます。
「父は遠くの
「うむ」
「ならば知らしめ
「……」
「ハッピーミークは正反対、裏腹それゆえ話題になりて……」
575やないやん!
ナニコレ、短歌じゃないの!?
「これじゃ短歌じゃなくて、長歌……あるいはラップ……」
「…………」
え、寝てんの? まじで?
寝れる要素あった? これに?
「てか、やっぱ窒息しないのそれ……」
寝袋にうつ伏せに入って眠れる奴を今まで見た事がない。
意味分からん毛虫を写真に撮って、せめて寝息が止まってしまわないかだけを考える。
「……ん?」
もう1ページ捲ると、次は歌への解説というか思いというか、そういうのが書かれていた。
独白と言うのが一番近いのかも知れない。
こういうのを書くのも珍しいというか、想像付かないというか、暇だしとつい読んでしまう。
ハッピーミークは静かで、大人しくて、口数は少なく、名前の通り素直。あと優しい。
きっと勝ってしまっても、あるいは勝負にならない負け方をしても、頑張ったねと言ってくれるだろう。
きっとミークだけじゃない。トレーナーも、父も、姉も、友達みんなも、全力で走れば褒めてくれる。
ただ、我は全力で走り切る事ができるだろうか。自分で納得できる“勝負”はできるだろうか。
横を走る足音が気になる。前の尻尾が気になる。追いかけたい気持ちを抑え、抑えて、溜めて、走る。
たったの二百メートルが、どうしてもの二百メートルになるか否か。
友達に貰った手元のルービックキューブはモザイクを繰り返し永遠に揃わない。
1面でも揃えば後は簡単。そう言われたけれど、完成までの道程が知れないなら容易な実践は不可能のパズルだ。
正六面色が一つわからなくとも、それでも走ろう。くるくる回していれば、いつか解ける。
「なんだこれ……?」
意味が分かりにくいが、エッタなりの悩みか。
ミークと自分を比較したりレースの勝敗の後に声を掛けられるかどうかが綴られている。
けれどそこは案外どうでも良くて、気になるのはレース自体への不安だ。
普段のにへらとした笑いから内情まであまり気にかけてこなかった。
ルービックキューブの例えは分かりにくいけど、作戦への理解が不十分というかやりたい事に行動が追い付いてこないとか、そういうあれか?
エッタは語りが複雑で、でも嘘は言わなくて、しかし本当の事も言わないか分かりにくい文体にしてしまう。
他人へ向けた言葉が下手なんだろう、俺は繊細な部分を気付いてやれなかったかも知れない。
「エッタ」
「……」
「サニティってのは正気って意味だけどさ──」
言い訳をするように、思いついた事を言う。
「──俺は、大丈夫って意味もあると思う」
正気、健全、穏健……。
それを指す意味として、大丈夫と言っても……。
「んふふ……」
……ん?
「エッタ、お前起きて……」
「ぐすーすかぴー」
「起きてたんだろお前! 聞いてたろ! なあ!」
「……」
気が付けば顔を出してたエッタが再び毛虫モードになる。
さっさと寝ろやお前ァ!