誰かが言った。
『──さよならだけが、人生だ』と。
なるほど至言だ。
なんかこう颯爽としておきながら哀愁を漂わせるところが味を出してイイ。多分、7,8割の人をそんな気持ちにさせてしまえる言葉だ。語呂も良いからそりゃ流行るし定着する。
俺もそう、なりたかった。
雪が舞い、土煙に包まれた空。
東京、日本最大の隆盛を誇る都市はその日、人智を越えた戦いの舞台へと変貌を遂げていた。
「ええい、邪魔をするならばくたばれッ! 聖闘士ども!!」
半壊したビルの頂部にズラリと並んだ、黒曜の鎧を纏う者の一人が、忌々しげに叫び散らかした。
剣や槍や、果てには拷問器具まで。幅広いラインナップの獲物を手にした物騒な悪鬼の群れ……彼らの正体は、冥王ハーデスに忠誠を捧げる戦士──
「逃すものか! 卑劣な悪鬼どもめ、我らの
相対するは、黄金の戦士。
たった一人。亀裂がはしり隆起が激しい道路から見上げる形で、黄金の鎧を纏うその者は、恐ろしい表情で冥闘士たちを睨めつけていた。
真綿を彷彿とさせる柔らかそうな長髪に、褐色の肌の男性。手に武器はない。だがその両腕からは、星の輝きを連想とさせる美しい黄金のオーラが鳴動している。
彼の正体は
──そう、本来ならば『聖闘士星矢』という漫画の中にしか存在しないはずの2大勢力の衝突が、一体どんな経緯を辿ったのか。現代の東京の
「大人しくしていれば僅かながらも長く生きられたというのに!! 愚か者め、死ねえええ!!」
「ふん。
空気が唸った。
いつの間にか、敵対者を襲うために宙へ躍り出た冥闘士たちの頭上──すなわち空に、
瞬きの間も与えない、刹那の出来事だった。
「……あ」
やばい。
だからこそ、干上がった喉から、間抜けな声が漏れてしまったのは、仕方の無いことだった。
だって、
いきなり巻き込まれて、この都市から逃げることもできなくて。まるで、巣に水を注がれ、なぜ自身が逃げ惑うはめになっているのかも理解出来ないアリンコのように。たった一歩、目先の生存を追い求めることしか許されない……そんな、絶望的な状況に追い込まれてしまったのが、俺こと
だが、だからこそというべきか、嫌でも直感で理解してしまった。
空に跳んだ黄金の男と、岩陰に隠れる俺の位置関係。
──そして、人間が行う、ガン〇ムが打ちそうなビームの撃ち合いやら、ビル投げやら。『あいつらほんとに人間か?』と毒づきたくなる光景の数々。ついでに流れ弾で危うく死にかけた地形変動レベルのとんでも攻撃の規模から導き出せる結論からして、
(ここにいたら今度こそ確実に、巻き添え喰らってプチッと逝く……!)
「貴様達に、人の未来は閉ざさせん。さあ、星々の輝きと共に消えろ!」
俺はすり切れた靴底をこれでもかと蹴り上げて、岩陰から飛び出した。
『さよならだけが人生だ』
ほんと、良い言葉だ。……だがそれは、他人に向けたときに限った話である。俺はまだ、自分の人生とさよならする気は更々なかった。
ちかり、ちかりと閃光が迸った。
(くそったれ、こんなとこで死ねるか!)
光とは逆方向へ、全力で走る。背後を見る余裕などない。……しかし、ひび割れたビルのガラス越しに、その絶望的な光景は視界へと飛び込んできた。
灰色の空を鮮やかに染め上げるように拡大していく、金色の流星群の帯。
眩しすぎて、一つ一つの正確なサイズは測れないが、星屑たちからは周囲の空間が歪むほどの圧倒的な熱量が迸っているのが分かった。当たれば即死。そんな星の雨あられが、一切の慈悲も容赦もなく、冥闘士と俺を標的として一斉に射出される。
「スターダスト・レボリューション!!」
「「「ぎゃあああああ!!!」」」
「うわあああああああ!?」
逃げる、逃げる。とにかく逃げる。背中越しに閃光やら粉塵やらが盛大に炸裂し、酷いときには熱線が真横を通り過ぎていったが、命惜しさに瓦礫道を爆走していく。
死にたくない。
もう既に足や腕の感覚はどっかへ吹っ飛んで家出した。強烈な閃光で目も痛いし脳みそも鈍痛に支配されている。
それでも、泣きながら走り続ける。
(ほんっと、なんなんだ! なにが起きてるんだ!? まじで! なにがどうしてこんな訳のわからん戦争地帯に迷い込んむことになってるんだよ俺は!?)
時は、数時間前に遡る。
俺の頬に、冷たい雪が触れた。
ぼんやりと空を仰げば、灰色の空から真っ白な雪が降り始めていた。季節は秋の盛りだというのに降り始めた冬の象徴に、ぼやけた俺の思考に違和感が生まれた。
『あれ、さっきまで何してたっけ』
そんな些細な疑問が浮かんだ瞬間に、俺の意識は一気に覚醒した。鈍った脳細胞が高速で動きだす。しかし困ったことに、それ以前の記憶がすっぽり消えてしまっていた。
まあ頭でも打ったのだろう。思い出すことができないのだから仕方がない。
焦燥感はあったが、なんとか現状を受け入れた。クールになれと己に言い聞かせながら交番にでも行くべきかと視線を上げながら考えを巡らせたところで『渋谷〇〇カフェ』という文字が俺の視界に飛び込んできた。そう、文字通り。ストーンとでも間抜けな効果音をつけてもいいくらいに、二十~三十キロの重量はありそうな、どでかい看板が落下してきたのだ。
いやほんと、九死に一生を得るとは正しくこのことだった。
死か、重傷かを覚悟した衝突のタイミングで、今度は俺と看板を纏めて吹き飛ばすほどの、強烈な突風が巻き起こったのだ。『ひぎゃああああ!?』なんて女子も吃驚な超高音の悲鳴を上げながら、ぶわり、と抗う間もなく四,五階建ての建物よりも上空に放り出された俺の身体は、そのままどっかの家の屋上に設置されたプールに着水し、事なきを得た。
そうして、脳内大混乱のまま、ずるずるとプールから脱出をしてみれば、俺が先程まで立っていたカフェの前には、隕石でも落ちたのかと錯覚するレベルの見事なクレイターが出来上がっているし。その上空、数十メートル離れた地点では、黄金と、漆黒の翼をはためかせた二人の人間がどんぱち殴り合っていたりして。
『あれって……あー、そうだそうだ、思い出した。聖闘士星矢で見たことあるぞ。黄金で弓持ってるのは
最初は大いに混乱し、頭を打った衝撃で幻覚でも見ているのだと思った。
だが俺に、幻覚を幻覚だと証明したり、幻覚を解いたりする術はない。
ともすれば、この波動とか熱線とか黄金の矢が飛び交う余波で、地震にも耐えられる日本の最新技術の結集たる建築物がバターのように溶けたり砕け散っていく光景が現実であれ幻覚であれ、俺にはただ絶句し逃げる以外の行動を選択する余地は存在しえなかったのだ。
(まあ、それで避難できてたら今頃こんな文字通りの全力疾走なんてしなくてすんだんだけどな……!)
どうやらこの変わり果てた東京は俺を逃げしてはくれないらしい。逃げれども逃げれども、行く先々ではどこでも聖闘士と冥闘士がどんぱちを繰り広げており、俺は戦いに巻き込まれてはなんとか逃げ延びてのループを何度も何度も繰り返すはめになったのだ。
「あっ」
薄く積もった雪に足を滑らし、全身が宙に浮いた。
そのまま死に物狂いで疾走していた勢いを殺しきれず、冷たい地面を無様に転がっていく。なんとか頭部は死守したが手のひらには赤い擦り傷が生じていた。痛い。こんなところ誰にも見られてなくてよかった。子供の運動会で盛大にこける大人並にで恥ずかしいズッコケ方だ。
「ハァ、ハァ……あ゙あ゙、ゲホッ……痛ってぇ。……って、どこだ、ここ」
荒い呼吸を繰り返しながら辺りを見渡していれば、整備された樹木林や花壇などの姿が目に入った。どうやら、走っているうちにコンクリートの町並みから隔絶された緑豊かな公園か樹木園にでも入り込んでしまったらしい。
幸い、背後に迫っていた死の気配は、既に消えていた。
「……助かった、のか」
膝に手をつきながら、のろのろと立ち上がり、俺は今まで溜め込んでいた息を、一気に吐き出した。
とりあえず、生き延びることはできたらしい。
(……よし、こういう場所なら、給水所くらいあるだろ……水が飲みたい、切実に)
生存を自覚すると急激に、喉が乾きを主張してきた。身体というものはどこまでも正直だなと、思わず苦笑する。このままベンチに座って泥のように眠りたい欲求もあったが、いつまた連中が襲ってくるかもわからない。公園なら、探せば給水所くらいあるだろう。俺は無理やりにでも身体を引きずって、給水所を探すことにした。
ふらふらと。
雪と落ち葉で埋め尽くされた並木道を、木々に体重を預けながら進んで行く。
「……これから、どうすればいいんだろうな」
架空の存在である聖闘士とか冥闘士の戦いとか、どうして地方民の俺が東京にいるのかとか、考えなければならないことは、山ほどあった。
「…………」
だが今はもうこれ以上、この理不尽な現実に対して、真面目に向き合おうとする気力は残っていなかった。
心身ともに限界なんてとっくに越えている。こんな地獄のような場所に放り込まれておきながら発狂していないだけで万々歳だと褒めて欲しい。
ぶっちゃけ詰んでね? という思考からは目を逸らす。
ふと見上げれば、寄りかかった木の枝先から、拳よりも小さい紅葉がひらりと一枚舞い落ちていくのが視界に入る。思わず目で追うが、すぐに見失ってしまう。だが、風に吹かれただけで、木から切り離されてしまうその頼りない落ち葉の姿が、なぜだかひどく、今の自分と重なり心に残った。
「……は、はは。大した人生なんて、送ってこなかったんだけどな。人間、いざ死にかけると、案外、足掻いてやろうって躍起になるもんなんだな──うわっと」
ここまできたら、やるだけやってやる。そう決意を固めると同時に、突風が巻き起こり、俺は反射的に腕で顔を覆った。
一瞬、聖闘士や冥闘士がやってきたのかと冷や汗が浮かんだが、猛風はただの自然現象だったらしい。俺はほっと胸を撫で下ろして、一歩、歩みを進めた。
──刹那、鼻孔を掠めたのは、鉄を思わせる嫌な匂いだった。
「……は、」
呼吸が、止まる。
まるで越えてはいけぬ一線を踏んでしまったかのような、危うい緊張感。俺はゆっくりと周囲を警戒しながら、高速で思考を回し始めた。
考えなければならないことは、ただ一つ。
進むべきか、戻るべきか。
辺りは木々に囲われている。給水所を求めて迷い込んだが、これ以上、この樹木が生い茂る場所にあるかは正直怪しい。ここは危険だ。本能がそう告げている。とどのつまり、もはや俺がこの場にいる正当性はどこにもない。
俺は、戻るべきなのだ。
(……だけど)
ふと、考えてしまう。
もしも、誰かが怪我をしていたら。
俺のように逃げ遅れた人が、助けを必要としていたら。
こんな人気のない場所で独り、雪に降られて寒さと心細さで絶望していたら。
(俺だったら、助けてもらいたい。もし手遅れな容体でも、看取って貰いたいと思う)
愚かな考えだった。
危険を感じたのなら逃げるべきなのだ。臆病な生物の方が生存確率は高いようにできている。そのうえ、自分のことすら助けてやれない有様で、誰かの力になりたいなんて傲慢だ。……だが、だとしても、ここで無視してしまえば、自分はこの先ずっと後悔するんじゃないかという後ろ向きな感情が、俺の選択を決定づけた。
「……進もう」
きっと俺は長生きできないな。
そう自嘲的に笑いながら、重い身体を樹木を頼りに歩いて行く。
2,3分は経っただろうか。進めば進むほど、嫌な匂いはよりいっそう強くなった。しかし肝心の人の姿を見つけることはできない。
近くにはいるはず。そう思考しながら、俺は直径1メートル以上はくだらない大樹に手をつきながら、ぐるりと半周分、弧を描くように歩みを進めた。
「あ」
見つけた。
真っ赤な紅葉を抱えた大樹に、ひっそりと上体を預けるような姿勢で。手を伸ばせば容易に届くであろう距離で、
「っ……この、顔」
知っている顔だった。
光のない宇宙を彷彿とさせる、闇色の長髪に、雪よりもなお白い肌。人の身には模倣不可能な超越的な美しい相貌に、全身を覆う、損傷の激しい漆黒の甲冑。
「──っ」
びちゃり、と粘性のある水音に全身を硬直させる。
目線をやれば、無意識に踏み出していた右足の先で、真っ赤な血だまりが白く降り積もった雪を侵食していた。
それらは目前の男の纏う漆黒の甲冑の損傷した部分から、今もなお止む間もなく流れているようだった。そう、鉄の匂いの原因は、この男の血液だったのだ。
(なんだこれ、どうして、こんな……)
余りにも痛々しいその姿に、言葉が、出てこなかった。
誰がどう見たって、重症だった。右脇腹から腹部にかけて甲冑は砕け散り、その下の本来在るであろう白い肌は見る影もなく、生々しい裂傷でどす黒く染まってた。一番酷いのは腹部の傷だが、他にも細々とした打撲痕や鋭利な刃物で切られた痕が甲冑に残存している。人間ならとっくに死んでいる。いや、最早生きているのか、死んでいるのかさえ判断できない容態だ。ただ、鮮血の池に力なく沈んだその体は、まるで置物のようにぴくりとも動くことはない。
「……なんでだよ」
湧き上がる感情を抑えきれず、声が、震えた。
目の前の光景を信じられず、不思議と浮かび上がったやるせない感情が、俺の口をついて出た。
「なんで原作のラスボスが、こんな誰も居ないところで、そんな酷い格好で、眠ってるんだよ……なあ、
それは、原作の漫画、聖闘士星矢における、主人公達の絶対の敵対者につけられた名前だった。
人類滅亡を望み、神話の時代より女神アテナと聖戦を繰り広げてきた死者の国を統べる冥王。それが、この男の正体であるはずだった。
聖闘士と冥闘士が戦っている状況。なら、女神アテナと冥王ハーデスによる聖戦が行われているのかもしれない可能生は十分にあった。
だが、まさか、冥界でも主人公達の最終決戦場の神々の楽園エリシオンでもなく、こんな崩壊している東京の、こんな人気もない寂しいところで、この冥王が力なく身体を大樹に預けている姿を見ることになるなど、誰が予想できようか。
「てか、確かハーデスは太陽の光が駄目なんじゃなかったか? っやっぱり幻覚か。それとも、これは現実で、あんたはただ似てるだけでハーデスじゃない別の誰かなのか……」
語りかけるが、返事はない。
当然だった。目の前の男は死にかけているか、既に絶命しているかもしれないのだから。
どちらにせよ、今の俺がこの男にしてやれることは何もない。それが幻覚であれ、偽物の別人であれ……本物の冥王ハーデスであったとしても。
「……ああ、いや。止血と、手を合わせるくらいはできるか」
真正面から向き合えるように、血だまりに膝をつく。羽織っていた紺色のジャケットを男の傷口に押し当てて、これ以上血が流れぬよう強く圧迫する。これが正しい対処かは自信がないし血管を傷つけていないかとか、雑菌などの心配もあったが、ホースから水が溢れるような出血具合だったからこれが最善であってほしいと願いながら、患部の圧迫を続ける。
(血が、熱い。まだ生きてるのか? だけどこの出血……とっくに致死量は超えてるはずだ……やっぱり、ただの人間じゃないのか)
両手がべっとりとした血で赤く染まる。暫くして、出血の勢いは緩やかになった。
疲れた。吐く息が白い。肩で息をしながら、俺は血で濡れた手と手を合わせた。家がカトリックだったので、親指で十字をつくり、黙祷する。
傍から見たらイカれた行動かもしれない。
この男が冥王だとしたら、俺が今日一日何度も死にかけた発端はこの神様だということになる。しかも偽物だとしても見た目と怪我からして聖戦の関係者なのは自明の理なのだ。俺が手を合わせる義理はどこにもない。
……なのに、なぜだか、無碍に扱うことはしたくないと強く思った。
(だって、全然怖くない)
眼前で呼吸も漏らさず眠るハーデスの姿は、目を離したら消えてしまうのではと感じるほど儚かった。
死に体だから、恐怖心がわかないのか? それとも、冷静でいたつもりが、既に俺は狂ってしまっているから平然としていられるのか。
(そもそもどうして、ハーデスそっちのけで冥闘士たちはそこら中で暴れてるんだ? おかしくないか。俺の知ってる聖闘士星矢とは違う情勢で戦ってるとかか? それとも、他の神が聖戦に干渉しているとか、ハーデスが死にかけていることに部下が気づけていないとか──、)
「──見つけたぞ!! ハーデス様だ!!」
「あ? なんだ、この妙な人間は。人間のくせに、ハーデス様の
思考をぶつ切りにするタイミングで、背後から聞こえてはならない声が響いた。
ぞくり、と背筋が凍りつく。
咄嗟に振り向くと、黒い鎧を身につけた数人の男の視線が一斉に降り注いだ。
硬直する俺に対し、先頭にいた男が口を開く。
「ハーデス様の小宇宙を感じるということは……貴様、新たに生まれた冥闘士か?」
「……、……言っている意味が、わからないな」
何とか声を絞り出しながら、じろじろと値踏みするように俺を睨めつけてくる連中を観察する。
どうやら
だが、雑兵といっても侮ることはできない。
連中は、殺しても時間が経てば蘇るうえ、一人一人が青銅聖闘士と同じぐらいの戦闘力をもっている。一般人の俺を殺すくらい、赤子の手を捻るよりも容易いだろう。
どうにかして、この場を切り抜けられないだろうか。
震える手を無理やり握りしめ、考えを巡らすが、妙案は浮かばない。
俺の焦燥などお構いなしに、雑兵共はなにやらペチャクチャとしゃべり出した。
「ふん、新たに生まれた魔星だろうと関係ない。我々の任務はハーデス様を冥界へお連れすることだ」
「だが、どうする? 冥界で待機命令の下ったパンドラ様や、他の冥闘士どもに知らされれば、面倒なことになるのではないか。確か、
「そのうえ、このタイミングで生み出された魔星だとすれば、十中八九、ハーデス様の味方なのだろう」
「なるほど、邪魔だな」
「ああ、邪魔だ。幸い生まれたてで力もなさそうだし、見覚えもない。おおかた聖戦が始まればすぐに死ぬ程度の魔星なのだろう。殺したところで、次蘇ったときこのことを覚えているかも怪しい」
「ならば……殺してしまっても問題はないな?」
「──ッ!」
咄嗟に、左後ろへ地面を強く蹴る。すると、ヒュン、となんの躊躇いも無く、俺がいた場所に人のサイズほどの大鎌が振り落とされた。
「うっ!」
完全に避けたつもりが、数秒遅れて、右肘から手にかけて燃えるような激痛がはしる。
見れば、紺色の衣服が派手に裂けて、俺の命そのものである血が、地面にしたたり落ちていることに気がつく。
不味い、骨までは届いてないが、ざっくりと切られてしまった。腕を押さえつけるが血が止まらない。雪が降る気温が零度に近いこの状況で、この出血は本当に洒落にならない。
「避けるなよ」
「ク、クク。まさか雑兵の身で、冥闘士を殺せる機会がやってくるとはなあ」
「あいつら、強いからっていつも偉ぶってやがるからな。たまにはこうやって、気晴らししねえとなあ割に合わねえよな?」
ニタニタと、雑兵共は下卑た笑みを浮かべて、心底楽しそうに痛がる俺を嘲笑い続けた。
死ぬかも、しれない。いや、殺そうと思えば、一般人の俺なんて一撃で簡単に殺せたはずだ。だが目の前で嗤っている雑兵はそれをしなかった。わざと、俺が避けれる程度に手を抜いて、鎌を振り下ろしたのだ。
それは、つまり……、
(遊ぶ気、なんだ。こいつら、俺を死なない程度に痛めつけて、憂さ晴らししようとしてるんだ。……くそ、俺は冥闘士でも何でもないただの一般人だぞ! 意味わかんねえ。上司に不満があるなら弱い人間嬲って発散してねえで直接上司に噛みつけよ、アホ!)
やはり、血の臭いを辿ってここに来たのは間違いだったのか。いや……誰かを助けたいなんて前向きな気持ちではなく、ここで無視すれば後の自分が後悔するかも、などという後ろ向きな感情で足を運んだりした罰なのかもしれない。
「ハハハ! そう怯えるな、脆弱な魔星よ。我々はハーデス様をお連れしなければならないからな。少し遊んだらすぐに殺してやる」
「恨むなら、そんな弱い身体で目覚めさせられた己の運命を恨むんだな」
雑兵連中は追い込まれた獲物を嘲笑うかのように、じりじりと距離をつめてきた。大鎌が、槍が、蛇腹剣が、アイスピックのような鋭利な武器の先端が、俺を標準する。
(……ああ)
手を伸ばせば届く距離では、ハーデスが眠っていた。
流石に頭の回転が遅い俺でも、雑兵連中がこのハーデスの意に反する行動をとっているということぐらいは、理解できていた。
こいつらは、ハーデスが生み出した冥闘士かもしれない俺を殺そうとしてる。
俺は冥闘士ではなく雑兵が勘違いをしているだけだが、それでも、ハーデスの味方かもしれない俺を殺そうとしたり、冥界に残った冥闘士が『ハーデスはエリシオンにいる』と嘘の情報に従わされており、その事実が露呈すると不味いことになるというのなら。
(ハーデス様なんて呼んでるけど、こいつらはハーデスに忠誠を誓った部下ではない。考えてみれば簡単だ。こんな重症で死んでるかもわからんハーデスの容態を見て心配するどころか、それをはじめから知ってるように振舞って、連れてこうとしてる。事情はわからないが、こいつらはハーデスの仲間ではない……!)
雑兵の握った獲物が、無慈悲に振り下ろされる。
俺でも避けられる、絶妙な速度で。避けろ、避けてみせろ、そうすればもっと愉しめるとでも嘲笑うかのような、悪意をのせて。
(俺が避ければ、馬鹿なこいつらのことだから、最悪、ハーデスに当たるかもしれない。もう死は避けられない。だったらせめて、もうこれ以上、ハーデスが傷つけないように、俺が全てを受けとめて──、
そう、覚悟を決めた時だった。
『──生きることを、諦めてはなりませんッ!!!』
パリィィィィンッ!!! と、甲高い音が目の前で炸裂した。
「なあッ!?」
「ぐああ!! な、なんだ、この黄金の光はぁ──!?!?」
冥界の雑兵が吹き飛ばされる。
「こ、れは……」
俺は、呆然と声を漏らした。
俺と、先程まで雑兵達がいた空間を隔てるように、直径一メートルほどの金色の球体が出現していた。
温かい、春の日の太陽を思わせる、優しさと慈愛の籠もった、温かい光が、凍てついた秋の森の一角を瞬時に包み込む。
『よかった、間一髪、間に合ったようです』
「っは、さっきの、女性の声……!」
『目覚めるまで、少々時間がかかってしまったようです。ハーデスを救おうとしてくれた、貴方の勇気に感謝いたします』
「えっ? ああでも……俺は、なにも」
『そんなことはありません。見ず知らずの誰かの力になろうとした。震えてしまうほど寒い空の下で、衣服を惜しまず彼のために使い、死後の平穏を願ってくれた。そんな貴方の想いと祈りが、私をこの場に導いたのです』
凜とした声は、慰めるでも甘やかすのでもなく、「それが事実だ胸を張れ」と鼓舞するかのように、言葉を紡いだ。
ふいに脳裏を、勝利の杖を手に握り、金色の鎧に身を包む、美しくも鮮烈な女性の姿が過ぎった。
「っ……まさか! 貴女は、もしかして」
『私を知っているのですね。……ですが今、貴方が口にすべきなのは、その名前ではありません』
「それは、どういう、」
「おのれえ!! 貴様、許さん!! 雑魚と侮ったが、これ以上好き勝手できんようにブチ殺してくれるッ!!」
「!!」
派手に吹き飛んでいった雑兵4人が、鬼のような恐ろしい形相で戻ってくる。
小枝や葉っぱをひっつけた間の抜けた姿をしてはいるが、傷はない。吹き飛ばされたダメージは大してなかったらしかった。
『さあ、今こそ呼ぶのです。貴方は知っているはず。我が父ゼウスから与えられた災厄を祓う神器。貴方を守護する、金城鉄壁に相応しい盾の名を』
「な、名前だって?」
『どうか急いで。もう私に余力はありません。このままでは、貴方は命を奪われ、ハーデスは冥界へ連れ去られてしまいます』
「なっ……ええい!! よくわからんけどやってやる!!」
展開についていけず大混乱の最中にいたが、とりあえず言われたとおりにするのが最善だと自分に言い聞かせて、投げやり気味に俺は決意を固めた。
確かに俺は知っていた。
ギリシャ神話において、鍛冶神ヘーパイストスによって作られ、ゼウスから我が子である戦女神に与えられた防具。
……星矢の原作でも、主人公たちの窮地を救い、悪霊に取り憑かれた
俺は、導かれるように金色の球体に両手を突っ込んで、咆吼した。
「──来てくれ、アイギスッ!!!」
まるで、呼びかけに呼応するかのように。強烈な閃光が灰色の空を打ち砕き、柱となって周囲を眩い光で満たした。
「ぐっ、うううう!!」
手が、何かを掴み取った。そう認識した瞬間に、燃え上がるような力の奔流が、腕を伝って俺の全身を駆け巡っていった。強力な反動に、思わず手放したくなるが腰にありったけの力を入れて、何とか踏ん張る。
俺は、驚愕の表情を浮かべる4人の
「土か冥界にでも還れッ!!! アホども!!!」
「「「ガッ、ああああああぁぁぁッ!?」」」
薄く開いた視界の先で、冥界の雑兵たちは、断末魔をあげながら光の中に消滅していった。
光は無数の眩いリボンへと分れ、やがて渦を巻いて一点へと凝縮し、俺の両手に納まった。
「はあ、はあ……こ、殺してないよな、殺したのか?」
「アイギスの光は魔を祓います。しかし、待ち手の意志を汲み取る性質上、放っておけばいつか復活する程度のダメージで済んだのではないでしょうか。貴方に、殺意はなかったのですから」
「!」
先程までの頭の中に直接語りかけるのとは異なる耳が拾う音の響き方に、俺はハッとなって声のした方へ視線を向けた。
そうか、アイギスと一緒に彼女もこの場に顕現したに違いない。
ちょうど、俺の後ろで眠るハーデスの横に、俺を助けてくれた人……いや、正真正銘の女神様。
勝率の杖ニケを握り、聖闘士と共に戦う地上の護身者、
「…………、」
「ふむ、やはり貴方は冥闘士ではありませんね。その肉体からはハーデスの小宇宙を感じますが、どうやら貴方自身は、本来なら私達が守るべき無辜の民であるようです。……困りましたね。今の私の力では、なぜ貴方からハーデスの小宇宙を感じるのかが説明できません。いったいどう言った経緯で……、」
「えっと」
「はい?」
申し訳なく感じつつも、俺は訊ねることにした。
「
「アテナです。ご存じの通り、オリンポス12神の一柱。聖域の女神として、地上の愛と平和を守護する者です」
「だけど、
「なっ……!? こ、こんな見た目でもちゃんと女神です! 女神で! 戦女神の! アテナとは私のことなのです!」
そこに、予想していた凜々しい女神アテナの姿はなかった。
代わりとして、反応に困る俺に向って抗議の声をあげるのは、非常に可愛らしい、
お久しぶりです、時間の止まったポンコツです。
前作の続きを書けぬまま11ヶ月が経過しそろそろ書かないと小説の書き方も忘れそうだというネガティブ半分、前々から書きたかった展開でリハビリしてみようかなと前向きな気持ち半分でスタートしました。
新しく発刊されたロストキャンバスの番外集を見て元気を貰ったり、星矢のハリウッド化なんて面白い発表もあったりしてまだまだ星矢は今を生きるコンテンツなんだなあ凄いなあなんて感慨深く感じながら楽しませていただいております。
この空白の期間中にりんかけとりんかけ2を読破して、男坂も全て購入し車田ワールドを楽しんでいるのですが、NDも続きが再開したりなどやっぱり今年は星矢の公式の動きが多くて驚きです。御大、本当にありがとう・・・。