深く頭を垂れるパンドラとアイアコスに、ハーデスは薄く息を吐いてから、威厳のある声で言った。
「よい、してやられたのは余とて同じ。双子神の目をかいくぐってこの海底まで来るのは骨が折れただろう」
「は、ハーデス様……」
まさか労いの言葉をかけらるとは思わなかったのか、二人は恐縮に身を震わせた。
寛大だ。ハーデスの横顔をちらりと盗み見れば、一見無表情なようでいて、その眼差しは澄み渡った湖のように穏やかな色をしている。
人間の部下のことも、ちゃんと信頼しているんだな。
「報告せよ」
「「ハッ!」」
冥王であるハーデスがそう告げると、パンドラとアイアコスは、己の使えるべき主の信頼に応えるように、力強く返した。
よく見てみれば、聖域勢のアテナちゃんとアヴニールに、海勢力のポセイドンの宿る鉾とミトラス。
一同は自然と各陣営ごとに集まって、冥界勢のハーデスとパンドラ、アイアコスのやりとりを見守っていた。
なんだか、ちょっと壮観である。
俺はといえば、ちょっと居づらさというか場違い感を覚えたため、眠ってる依代の方のミトラスの近くまで退いて耳をそばだてることにした。
パンドラが口を開く。
「まず、冥界の現状ですが、獄卒は2勢力に分断されております。1つめは双子神よりハーデス様の命だといわれ、待機を強いられた者達。私や三巨頭、天の星を預かる冥闘士の多くがこちらに該当します。2つめは、双子神に従い、ハーデス様を捜索しに地上へ向っていた者達。こちらは地の星を預かる
天と地の星とは恐らく、冥闘士たちが背負う魔星の称号を2グループに分けたもののことだろう。
冥闘士は108の魔星の数だけいて、上位36星の
原作じゃ上位の天の冥闘士がたしか黄金聖闘士クラスで、普通の天と上位の地の冥闘士が白銀聖闘士クラス。冥闘士ですらない雑兵が青銅聖闘士とタメの実力だったか。
「誠に嘆かわしい事この上ありませんが、獄卒の半数以上が双子神に従属し、ハーデス様の意にそぐわぬ勝手な行動をとっているようです。今はラダマンティスとミーノスが冥界に残り、こちら側の冥闘士を召集、統制し、ハーデス様の命にいつでもお応えできるよう待機していますが……」
「ならばそのまま待機させておけ。直に命を下す。ふむ……ところでアイアコス、お前は極東の都市にいたな? 余が目覚めたとき、あの人間から一瞬、お前の小宇宙を感じたぞ」
「え?」
話をぶった切るようにじろり、と遠くからハーデスからの視線が飛んできて、思わず間抜けな声が出る。
なんで俺? 何のことだと思い返して、ああそういえば、東京でアイアコスの技を食らってどっかのビルの屋上のプールに叩き込まれた嫌な記憶を思い出す。
「実は、冥界の獄卒共の様子がおかしかったため、私が単独、双子神に従った連中を尾行する運びになったのです。そうしたところ、事情は分かりませんでしたが、ハーデス様の小宇宙を宿すそこの者が、
「そうか」
「…………えっと、助けてもらっていたようで、ありがとうございます?」
「気にするな。どうやらハーデス様の小宇宙を宿したお前がちょろちょろと走り回っていたせいで、裏切り者達はかなり翻弄されたようだからな。結果的に時間を稼げた」
いや、おかしいよ色々と。
『密偵か。よく双子神にばれずにすんだな』
内心つっこみを入れてると、三叉鉾に宿ったポセイドンが、口を挟む。
今更だけど離れていてもちゃんと声が聞こえる。
あれってどっから発声してるんだろう。
「思わぬ助力を得られたのです」
ポセイドンの言葉にアイアコスが端的に答えると、パンドラが引き継いで事情を話しだす。
「ちょうど私と三巨頭が、双子神と一部の獄卒の動きに疑心を抱き始めたタイミングで、前聖戦内で聖闘士に討たれ深い眠りについておられた冥界神方からお声が届き、ハーデス様が冥界にいらっしゃらないことが判明したのです。今は僅かな助力しかできぬとのことでしたが、彼らのお陰で双子神の目を欺くことができたのです。私どもがこうしてアトランティへ来られたのも、あの方々のお力添えがなければ難しかったでしょう」
パンドラの言葉に、沈黙を守っていたアテナちゃんが、神妙そうに口を開く。
「前聖戦で討たれた冥界の神……夢の4神たちですね? 夢の神オネイロス、幻夢イケロス、仮像者パンタソス、造形者モルペウス。たしか彼らは、滅ぶまではいかずとも復活まで数千年は眠り続けるほどの損傷を受けたと聞いています。それに、夢の4神はヒュプノス直属の配下だったはず」
「ええ、彼らは今や意識を保つことすらままならぬ状態。本来ならば復活まで力を蓄えるために眠り続けなければなりませんが、見過ごせぬ出来事が起きたため、目を覚ますに至ったのです」
「見過ごせぬ出来事?」
「はい。目を覚まし我々に接触した彼らは、こう告げたのです──ヒュプノス様とご兄弟のタナトス様を正気に戻してほしい、と」
「!」
息を呑んだのは、誰だったのか。
パンドラの言葉に、一同の間に漂っていた緊張感がいっそう高まった。
また、アイアコスが苦々しい声で、報告を続けた。
「ハーデス様、もう一点見過ごせない事態が」
「何事だ」
「嘆きの門に巨大な穴が空いております。またその向こうから、冥闘士ですら耐え難い瘴気が流れ出してきているのです。……ハーデス様、
(……ハーデスの小宇宙が宿った、瘴気?)
なんだそれ、と頭を捻っていると、アイアコスの問いにハーデスが口を開く。
「嘆きの扉か。あの向こうには、神の道がある。……なるほど、嫌な予想とはつくづく当たるものだ」
納得したような言いぐさで、そっと目を伏せる。
どこか疲れ果てたような声だった。
「通常、嘆きの門から神の道を通れば、エリシオンに辿りつく。しかしその道の途中を逸れれば、余が神話の時代に廃棄した神殿がある」
「なぜ廃棄をなさったのですか?」
「
「なるほど。ともすれば神話の時代に、ハーデス様が小宇宙を込められた遺物を、双子神が利用したのやもしれません。嘆きの門の異変も双子神によるものとすれば筋が通ります」
「……ああ、そんなところだろう」
僅かな沈黙の後に、ハーデスが答える。
また、あの顔だ。何を考えているのかわからない、感情の読み取れないあの仏頂面。
俺は周囲の者たちの顔をそっと盗み見た。
ハーデスの言葉を当然のように受け入れている2人の部下と、今の一連の話に難しい顔で頭を動かしているらしいアヴニールとミトラス。
物言わぬポセイドンと、何やら一瞬、暗い表情をしてから、すぐに平静を取り戻す小さなアテナ。
(……神様たちで、隠しごとしてるな、これ)
短い付き合いだけど、直感的に、そう思った。
そもそも生真面目そうなハーデスが、棄てた居城に小宇宙を込めた大事な物を置いていくわけがないんだ。
ではその事実に聡明であろう4名の人間が気づかないのは、気づけないのは、俺みたいに神を疑おうとしないから?
真意はわからない。だけどつい口を挟みたくなる。
神様方に、何を隠しているのかと詰め寄りたくなる。
……だけどどうせ、いつものパターンだ。
3神が隠しごとをするのは、話せば人間達が混乱するとかデメリットが生じるとかいう、合理的な理由があるからなのに違いない。
つくづく思う。
人は無力で、だから神は、人に過度な信用を預けたりはしないのだと。
背伸びしても届かない天空から、神は人の力量を正しく測る。
でも、ちょっとそれって、信じてほしい俺たちからしたら、残酷だ。
「冥界はラダマンティスたちに預けていますが、私どもの不在が長引けば本格的に、双子神も動き出すやもしれません。ハーデス様。例え貴方様のお考えが変わろうとも、我らは変わることなく貴方様の忠臣で在り続けます。故に、いつでも戦う準備はできております」
「お前達の心根が変わらぬことは理解している。が、打って出る前に、為さねばならぬことがある」
天井の中央にあった円形状の吹き抜けから注いでいた陽の光が、黄金色に染まり始める。
夕暮れか。
俺が目を覚ましたのは朝だと思っていたが、どうやら昼過ぎだったらしい。
ハーデスは天井に空いた円形の穴を越えた先、海の水で満たされた空を仰ぎ見て……いや、まるで更にその先の空を見つめるように翡翠の双眼をすう、と細めた。
「
「儀式って……まさか」
「和解の儀。双子神に横やりを入れられ、敢行できなかった儀式を、このアトランティスで済ませる」
どうして今? と口に出そうとした疑問は、神様たちの声にかき消された。
『我が付き添いとして、今代唯一の
「始まりを告げる
「冥闘士の指揮者パンドラ、天雄星ガルーダのアイアコス。お前達も余に随伴せよ」
各勢力の人間たちが、儀式への同行を命じられていく。
まるであらかじめ打ち合わせでもしていたかのように命じる3神に、少しばかり驚いていると。
『人間、極東の海でお前に言ったな、役割を与えると』
「えっ? あ、ああ」
突然ポセイドンに話しかけられて、どもりながら返事をする。
役割、確かにそんな話もあったが、いったい何をさせる気なのか。
「誓いの刻み手になれ」
言ったのはハーデスだった。
「誓いの、刻み手……?」
「誓いが正しく為されるように儀式を進める者のことだ。お前たち人間の世界でも、似た様な役割はあるだろう」
「あー……言ってることの意味は何となくわかったけど、俺じゃ流石に場違いじゃないか」
あれだろ、結婚式の牧師とか、遺産相続の文言を読み上げる弁護士の人とか、なんかちょっと違う気もするけど、大切な場面で、約束が果たされるようにその場を取り仕切る人をやれって意味なんだろう。
流石に人選ミスだと言わざるを得ない。
うっかり迷い込んだ一般人の俺がやるくらいなら、他の人間に頼んだ方がいい。
「
『やり方は強引だったがな。しかし、お前が
「儀式の内容を変えるにあたり“刻み手”の存在は必須となった。代役を用意する時間もなし。異邦人、お前はこの世界の理に縛られぬという点では、公平公正な存在だ」
「もう十分ハーデス達ばかり贔屓してるけど」
「ならば手を貸せ。余に
「……」
そこまではっきり協力しろと言われたのは初めてだったので、少々面食らう。
ハーデスから譲る気のない気配を感じ取り、俺はとうとう根負けした。
「わかった、神様方がそれで良いってなら、喜んで引き受ける」
小さな手助けでも力になれるのなら、嬉しいのは本当だしな。
祭儀場に集まっていた一同は、儀式の時間まで解散となった。
俺が自前にしなければならない準備はないらしい。儀式が始まる数時間後まで神殿にいてもやることもないため、寝てばかりだった身体慣らしもかねて、アトランティスを散策することにした。
途中、
「貴様、神々に対しあの態度はなんだ! いくら目を瞑られているからといっても敬語ぐらいは使わぬか。なに? 嫌だ? 子供のような駄々をこねるな!」
と怖い顔をしたパンドラさんの三叉の槍に刺されかけたり、
「なに、自分は異世界から来た魂でハーデス様に肉体を与えられた? ……つまり、新しい獄卒ということだな!」
よしいっちょ鍛えてやろうと拳をぼきぼき鳴らし出したアイアコスに全力で首を振ってNOを突きつけてアヴニールを差し出して逃げたりしたが、必要な犠牲だった。
うん、後ろから爆発音とか閃光が破裂するような戦闘音が聞こえる気がするが気のせいだ。
「是非もないよね」
「いや、是非しかないだろう。あの御羊座の信じていた味方に裏切られたような目を見たか。よくもまあ誉れ高き聖域の聖闘士を、冥闘士の贄に差し出せたな君は」
「…………」
神殿を全速力でかけぬけて、ほっと息を吐いていたら、いつの間にか俺の目の前にいる海龍のミトラス。
おかしい、一人で走って出てきたはずなのに、祭儀場でポセイドンと言葉を交わしていたはずのミトラスが何故もうここにいる。
「ああ、神々で話があるとかで、私も神殿から出ることになったのだ。君にとって1,2分はかかる道も、私の足なら数秒もかからん」
「なるほど、心読むのやめてもらっていいですか」
小宇宙を扱える戦士たちは当たり前のように物理法則とか人として大切なものを無視するから良くないと思う。
いや……そもそもこの人は生まれつきの
阿頼耶識、8識とも呼ばれる、小宇宙を極めた者しかたどり着けない神の一歩手前の境地。
原作じゃ聖闘士の中で一番高い位である黄金聖闘士の12人のうち、乙女座のシャカと天秤座の童虎の2名しか覚醒していなかったぐらいの狭き門。
後から青銅聖闘士の星矢たちも阿頼耶識になったが、それだって命懸けの身投げを経ての奇跡的な覚醒だった。
「……阿頼耶識って生まれつきなれるものだったんだな」
「唐突だな」
「いやだってさ、命懸けの修行を積み重ねても聖闘士にすらなれない人間がごまんといるのに、その聖闘士のなかでも、1人2人いるかいないかの阿頼耶識を持って生まれる人間がいるってどんな確率だ? 有り得なくない?」
「私から言わせてみれば異世界から来た君の方が、十分、有り得ない存在なのだがな」
「そう言われてみると一理あるような気がして困る」
「フッ、つまりは有り得ない者同士という訳か。妙な巡り合わせだな、此度の戦いそのもののようだ。……神々が率先して死線をくぐり抜ける戦いを繰り広げ、異邦人の君が思いもよらぬ貢献をし、聖域も海も冥界も勢力図はばらばらで、誰が敵で味方か定かではない」
「確かにな。まあでも単体で見れば、海は一番わかりやすいんじゃないか。海皇ポセイドンと、依代のミトラスに、
思えば、アトランティスという安全な拠点を提供してくれたのも海勢力。
その内約は3者と少なく感じるが、それでも神であるポセイドンと阿頼耶識のミトラスがいるだけで戦力としてはかなり大きい。
あえて懸念点を上げるとすれば……、
「……そういえば、あんたの兄貴の方のミトラスは大丈夫なのか。俺よりもずっと長く眠ってるけど。もしかして、俺がトライデントで刺し続けたせいで、必要以上に消耗してるんじゃ、」
「君のせいではない。あれがずっと眠っているのは、双子神の放った呪いのせいだ」
ミトラスはどこか悩ましげに眉を顰め、小さくため息をついた。
同じ顔と名前をもった兄、ミトラスを思い浮かべているのだろう。
「なあ、ミトラ」
「危ない」
ビュオン! と、背後の神殿の廊下から何かが飛来する。
俺に当たる寸前だったそれは、ミトラスが虫でも追い払うように易々と打ち返して、神殿内へと消えていった。
着撃のほんの一瞬、見えたのは、光るつぶてのような物体だった。
何が起ったのか理解するよりも先に、神殿内から「「ぐわあッー!」」という2人分の叫び声と、「五月蠅いぞいい加減にしろお前たち!」というパンドラさんの一喝が轟く。
「……今のなに?」
「小宇宙から推測するに御羊座の放った奥義の断片だろう」
なんでポセイドン神殿の廊下で奥義放ってるのアヴニール?
「9割9分気味が悪い。はあ、ここだと邪魔が入るな、少し郊外まで歩こう」
ミトラスが涼しげな顔で告げてくる。
促されて、俺は迷わず首肯し、とりあえず全力でお礼を言っておいた。
神殿前から歩いて、足腰にひびく段数の階段を降りると、今度は大きな通りから小道へと逸れて、数分ほど石造りの道を進んでいく。
静かな古代の町並みは、案外、老朽化が進んでおらず、綺麗に整えられていた。
「神話の時代の建物なのに、壊れたりしないんだな」
「ポセイドン様の加護のお陰だろう。あと、待機している間に、私も所々手を加えておいた」
「ああ、だから苔むしたり埃っぽくもなくて空気が綺麗なのか」
軽口をたたきながらもミトラスの背中を追いかけているうちに、民家が減っていき、小さな石の橋が現れる。
古代のヨーロッパにありそうな、石を積み重ねて作られた柵のない橋だ。
橋の下部は半月型の空間があり、橋の3メートルほど下の地面には、かつて水が流れていた名残が感じられた。
ミトラスはそのまま橋の真ん中に腰掛けて、足を宙に垂らした。
俺も倣って、隣に座る。
「君も気づいただろうが、神々はどうやら、人には告げられぬ秘め事があるらしい」
「! ミトラスも、気づいてたんだな」
「ああ、冥王の言い回しと、それを見た君の反応が妙だったからな」
「……俺、そんなに顔にでてたか?」
「いいや、君の反応は端から見れば目立った点はなかった。私が人よりも気配に聡く、賢しいだけだ」
この人、自分で自分のことを感が鋭くて賢いって言ってる。
まあ、普通の人間が持つ感覚器官は、5感と
「神々がいったい何を隠しているのかは分からない。だが、あの慈悲深いアテナ様までもが語ろうとしないのならば、無理に詮索した場合、火傷を負うのは人の方なのだろう」
「俺も同じように考えた……んだけどさ、あれからちょっと考えて、もしかしたらハーデスが口止めしてる線もあるんじゃないかと思った。普段のアテナちゃんなら教えてくれるようなことも、ハーデスが人には言うなって頑なな態度とったら仕方ないなあってアテナちゃんも口を紡ぐだろうし」
「ああ……なるほど、その線もあったか」
「俺、あんたのこと誤解してたよ」
「誤解、なにをだ?」
「あんたは敬虔な神の使徒で、神を疑ったりしないタイプの人間なんだと決めつけていた」
「……君、他者を枠にはめるのは自由だが、思っていても口にするな。下手をすれば相手の誇りを傷つけかねん行為だぞ、それは」
「ごめん、不躾だった」
指摘され、確かに今のは失言だったと思い至り、謝罪すると、ミトラスは呆れたようにため息を吐きつつも、苦笑を浮かべた。
「確かにポセイドン様の海闘士である私が、神を疑うような真似をするのは、褒められた行為ではないのかもしれない。だがな、だからといって考えることを止めてしまえば、言われたことしかできんブリキの兵士に成り下がる。ただの戦争ならそれでも許されるかもしれないが、地上の存亡を賭けた聖戦ともなれば話が変わる」
たった一人しかいない海闘士の言葉だからこそ、いっそう重く感じた。
仲間がいない。
ミトラスは一人でポセイドンを守護し、神の意志を実現するために働かなくてはならない。
当然、失敗したときに巻き返してくれる仲間はいないので、全責任を一身に背負うことになる。
(……目には見えないだけで、ここに集まった人間たちは、皆、痛いくらいに頭を使って、これからのことを考えていたのかもしれない)
アヴニールも、ミトラス同様、神々の話を真剣に聞いていた。
平気な顔をしてるけど、一人でアテナちゃんを護衛しないといけないだけでなく、聖域の仲間たちが敵に回っているかもしれない疑惑がある現状は、かなりプレッシャーだろう。
パンドラとアイアコスはハーデスの話を当然のように受け入れてたが、あれは、隠しごとに気づいていないのではなく、真偽に関係なくハーデスの意向を全て受け入れる、忠臣としての振る舞いだったのかもしれない。
「大変だな、あんたも、皆もさ……」
それなのに端から見れば平然とした表情で、内心にあるはずの疲れや不安を一切表に出さないのだから本当に恐れ入る。
「あれ、そういや、どうしてポセイドンは、ミトラスだけを海闘士にしたんだろうな。ハーデスとアテナちゃんにいきなり起こされたにしてもさ、もっと部下を増やすくらいあの海皇なら訳なさそうなのに」
「仕方のない話だ。そもそも、ポセイドン様はこの時代に、海闘士を召集する気がなかったのだ。何事もなく儀式が終ればそのまま眠りにつかれ、仮に異常事態が起きたとしても私がいれば十分だろうとお考えになられていた」
流石のポセイドンも、今回のような大事になるのは想定してなかった、と。
まあ、冥界勢力は基本ハーデスのカリスマで綺麗に纏まってるイメージだもんな。
それがまさか双子神が裏切る事態になるとは、誰もが思ってもみなかったのだろう。
「あのさ、アンタの兄貴の魂は、今も寝てる本人の中にあるんだよな? 呪いの影響って人の魂にも影響してない? 無事なのかな」
「やけに兄を気にかけるのだな」
「だって俺が刺した相手だし、あんたの兄貴に何かあったら責任感じちゃうだろ」
「……安心しろ。あれは、殺して死ぬような男ではない。そもそも肉体に死の神タナトスが入っていたとはいえ、普通の人間はトライデントで刺されれば無事で済むわけがない。それが何故ああしてスヤスヤと惰眠をむさぼれているのか心底理解できん。あれでは天帝ゼウスの雷に射られてもけろっとしているのではと、嫌な想像をしてしまう始末だ」
それは人なのか? という疑問は静かに呑み込む。
「あー……ミトラスって兄貴にそっけないよな。まあ兄弟なんてそんなもんか」
率直な感想を口にするが、答えは返ってこなかった。
おや、と思いミトラスの顔を見ると、凄く嫌そうな、苦虫をかみつぶしたような表情で、
「あれは、人の心がわからんただの阿呆だ」
罵倒するだけして、死んだ魚のような目をしてる。
「……え、どしたいきなり?」
「そろそろ、私は神々の儀式の手伝いに戻る」
「待って待って、この微妙な空気どうにかしてから行ってくれ。てかなに、もしかしなくても兄弟仲悪いの? 双子同士でいがみ合ったりしてんのか。もしもそうなら凄く安心してた海勢力が一気に不安の塊に180度変わっちゃうんだけど」
「……生まれつき阿頼耶識の感覚に目覚めていた私にとって、唯一理解できない存在が、兄だった。両親が早くに亡くなり、兄は、この世でたった一人の血の繋がった存在になった。同じ貌同じ声。しかし、中身はまるで違う。いくら対話と時間を重ねても、兄への不理解が深まるばかり。不理解はいつしか、憎悪へと変わり、かつての私は兄を疎ましく思うようになっていた」
いきなり物騒な独白を始めたミトラスに俺はちょっと引きつつも、やぶ蛇覚悟で聞いてみる。
「かつて疎ましくってことは……今は?」
「嫌いだ」
「駄目だ方向性かわってねえ!」
どうしよう、大事な局面で双子で喧嘩とか始めたら。
不安でいっぱいになる俺に、隣にいた双子の片割れは遠くを見るような目で、薄く笑って、
「──ふ、変わったとも。少なくとも、憎しみは消えた」
立ち上がったミトラスは、橋に座ったままの俺の目を見下ろしながら、言った。
「ポセイドン様より海闘士の任を拝命したとき、私は初めて、神という大いなる存在が、如何なるものなのかよくよく思い知ることとなった。人の身では神を理解出来ないことも、神でさえ人を理解できないときがあることも、知った」
「……? それがどうして兄貴への憎しみが消えた話に繋がるんだ」
「私では兄を理解できないのも、仕方のないことだと分かった、ということさ」
「いや……わからん……人と人でも話通じてないぞこれ……」
「フッ、すまない少々からかいすぎた。お前も私と同じで、神を遠く感じて四苦八苦しているように見えたものだからな。つい気になったのだ。今のお前は冥王のことをたいそう信用しているが、その信用が不理解と不信感へ変わったとき、それでもお前は、かの神の味方であり続けられるのだろうか、とな」
「…………」
いきなり嫌な“もしもの話”をされて閉口する俺に、ミトラスは意図の読めない笑みを一つ作ってから、それ以上は何も言わずに、来た道を戻っていった。
神殿へ、儀式の準備とやらをしにいくのだろう。
俺は黄金の鎧を纏ったミトラスの背中が消えていった方を見つめながら、ふん、と鼻を鳴らす。
「食えない奴。やなこと言うじゃん」
上げて上げて、いっきにどんぞこまで叩き落とされたような気分だ。
中々良い性格をしている。もちろん、悪い意味でだが。
ご感想並びに評価やお気に入り登録などありがとうございます。大変励みになります。
おかげさまでボイスロイドの読み上げ機能が開放されましたー!感謝感謝。