それでも俺は、冥王様を助けたい。   作:歌詠

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第11話 ヒトはいつも、その理由を探してる

 

 

 

 

 

 やばい、迷った。

 

 ミトラスとの会話を切り上げてからも、アトランティス内を散策していたのだが、入り組んだ小道のせいで道に迷ってしまった。

 日はとっくに沈んだ時間のはずだが、アトランティス内部は、星のよく見える夜くらいには明るかった。恐らく小宇宙とか不思議パワーで光源を確保してるのだろう。

 

 まだ儀式まで1,2時間ほど余裕はあるので、慌てて走り回る必要はない。

 

 しかし迷子で遅刻なんてしたら恥ずかしいので、中央神殿前の階段に直通している大通りの位置だけは把握しておきたかった。

 とりあえず、出たとこ勝負だ。

 入り組んだ古民家の間を通り抜けて、右へ左へ直感を信じて進み続ける。すると、ドーム型の、美術館や天文台を思わせる大きな建築物が目の前に出現する。

 

「お、新しい建物発見」

 

 石造りの民家に囲まれた区画を出たらしい。やっとこさ目新しい建築物を発見して思わず声が弾んだ。

 ドームはぱっと見テニスコート4つ分くらいの面積はありそうだ。入り口は見当たらないので、こちらは裏側なのだろうか。

 ぐるりと曲線を描く建物の周囲を半周してみると、ドームの入り口と、先程まで探していた中央神殿へ続く大通りを見つける。

 

「帰り道は確保したことだし、せっかくだから見ていこうかな」

 

 俺は好奇心から、開け放たれていた両開きの扉から建物内部を覗いてみた。

 うん、真っ暗だ。

 ランプや灯りがないのかドームの内部は奥行きが視認できないくらいの暗闇が広がっている。灯りを探して転ばぬよう注意しつつも足を踏み入れた瞬間──妙な浮遊感に襲われて、かくりと体が落下する。思わず叫びかけたそのとき、落下の痛みもなく真っ暗な景色にパッと色がついた。

 

「び、びっくりした」

 

 ドキドキと弾む心臓を抑えながら色づいた周囲を見やる。

 まず初めに目に入ったのは、木造建築の直線の廊下。

 左手側には等間隔にガラス窓がはめ込まれていて、そこからは柔らかい陽の光が注いでいる。

 

 なんだここ。

 

 心を落ち着かせる古木の匂い。まるで誰かの記憶の中の情景を、そのまま具現化したみたいな空間だ。

 外観を見ながら歩いたときにはガラス窓などなかったはずだし、そもそも日没の時間は過ぎているので太陽の光があるのもおかしい。

 

 背後を振り返ってみるが出入り口らしきものはない。どうやらここから出るには進むしかなさそうだ。

 

「……まあ気になってはいたし、奥まで進んでみるか」

 

 小さな不安と好奇心を抱えて、ぎしぎしと音を立てる床を踏みしめていく。

 なんだか、森の中にある廃校を改装してつくられたギャラリーみたいな内装だ。それも現代に近しい意匠をしている。古代に海に沈んだとされているアトランティスの建築物にしては、年代が数千年単位でずれている。

 しかし異質さは不思議と感じない。

 初めてくる場所なのに、なぜだか妙にしっくりする。

 懐かしさとも既視感とも呼べる感覚を覚えながら、俺は古木の通路の奥を目指した。

 

 いったいこの建物は、何なんだろう。

 

 疑問に思いながら曲がり角を曲がると、だんだんとガラス窓の数が減り薄暗くなっていく。更に進めば完全に光を取り込んでいた窓はなくなって、やがてがらんとした大きな空間に出る。

 見たところ、教会の聖堂を彷彿とさせる場所だ。

 薄暗い室内に椅子や調度品の類いはない。だが、たったひとつ──見上げるほど巨大なステンドグラスがあった。

 

 巨大なステンドグラスには、神に見守られながら手を取り笑い合う、人間たちの幸福そうな情景が描かれていた。

 光に満ちた世界。絶えぬ食物と、穏やかな気候のなかで生きる人間たちの姿。

 動物たちは花園を駆け巡り、暖かな陽の光が地上を明るく包み込んでいる。

 

 透過光により彩られるその景色は、圧倒されるくらい、綺麗だった。

 

「……すごいな、ほんとに、生きてるみたいだ」

 

 息をするのも忘れて、じっとその光景を見つめ続ける。

 これは神話の時代にあったという、今は失われてしまった“楽園”の一場面なのだろうか。

 

 込み上げてくる名前のつけられない感情があった。

 

 争いのない過去の楽園

 ──でも今は? 

 誰もが手と手を取り合う理想郷

 ──大きな戦争を乗り越えた人類がたどり着いた今の世の中は? 

 

 偽善と欺瞞に満ちた競争と、積み重なった解決されることのない問題。誰もが疲弊してすり減るように生きるしかない、未来への希望が色あせた、呼吸のできない世の中。

 だからいつしか忘れてしまった。

 自分から、手放してしまった。

 幼心にもっていた、どこかのだれかを大切に思う気持ちも、アニメや漫画の中で必死に命を燃やして生きるだれかへの憧れも、気づいたときには灰色になって、この手から、零れ落ちてしまっていた。

 

「…………、」

 

 ステンドグラスに描かれた眩しすぎるくらいに完璧な情景に、いつしか心が、耐えられなくなってくる。

 まるで普段は隠している心中のほの暗い感情が、眼前の美しいガラスの景色に反射されて、無理やり浮かび上がらされているようだった。

 そっと、目を逸らす。

 どうやら奥にも道が続いているらしいことに気づき、俺は足早にこの場を離れた。

 薄暗い木造建築の廊下には、等身大ほどのステンドグラスが等間隔に並べられているようだった。

 

 子供を呑み込む古の大いなる神。

 人に炎を与えようとする男神。

 天秤を持った裁定者の女神。

 数多の命をのせ嵐の海に浮かぶ箱船。

 大地に落ちる太陽の戦車と、燃える地上。

 神鳴に撃たれるも天に迎えられた医学の天才。

 争い合う英雄たち、大きな木馬からなだれ込む兵士。

 炉の隣に佇む優しそうな女神の微笑み。

 

 他にも、たくさんのステンドグラスがあり、異なる場面を光で描き出している。

 善いものも悪しきものも、色鮮やかなガラスの光で描かれてしまえば、全て美しい物語の一場面へと様変わりするようだった。

 このステンドグラスは一体誰が作ったのだろう。

 神と人により紡がれてきた歴史を記す光の絵画。

 本物の景色を知る者が作ったのか、ただかつての情景を聞いた者が想像のままに作ったのか。

 

 薄暗い通路を照らす透過光たちに導かれて、俺は進み続けた。

 

(──あ)

 

 また、開けた空間に出たと思った瞬間、そこにいた先客の存在に気づく。

 

 夜の闇のように暗くて黒い男。

 もはや見慣れた冥王を冠する神が、大きなステンドグラスを、静かに見上げている。

 

 男の視線を辿ると、複数の神々が描かれている光の絵画が目に入る。

 オリュンポス12神かと思ったが、よく数えてみれば15柱もの神が一堂に会している。

 彼らはいったい……、

 

「オリュンポスの神々だ」

 

 此方も見ずに、その男は俺の考えを見通すように、独り虚空へ言葉を紡ぐ。

 

「天帝ゼウス、

 天界の女王ヘラ、

 戦女神アテナ、

 太陽神アポロン、

 愛美神アフロディーテ、

 戦神アレス、

 月女神アルテミス、

 豊穣神デメテル、

 鍛冶神ヘパイストス、

 伝令神ヘルメス、

 海皇ポセイドン、

 炉の女神ヘスティア、

 酩酊神ディオニュソス、

 冥府の女王ペルセポネ」

 

 刻まれた名前をひとつひとつ、大切になぞるように、ギリシャに名だたる神々の真名を上げていく。

 流れ出るように紡がれた音は、ステンドグラスの絵画の中で、ひときわ黒く描かれている冥王の偶像を認めた瞬間に、止まる。

 待てども続くのは静寂だけ。

 世界から音が消えたのかと錯覚する沈黙の中、俺は物言わず、感情の抜け落ちたようなその男の横顔を見やった。

 そして、ふと不思議に思った。

 いつも何を考えているのかわからない奴なのに、男の艶やかな前髪の隙間からのぞいた翠色の瞳が、どこか物悲しい郷愁の色を湛えているように見えたのだ。

 まるで故人の墓前に花を手向ける、置いていかれた者のような、胸を締めつけられる眼差し。

 

「──海皇はなぜ、このような絵を残したのだろう」

 

 純粋無垢な、あどけなさすら感じる問いが落ちる。

 答えなんて誰にも求めてないのに、言葉にせずにはいられなかったとでもいうように、男はひとり呟いた。

 美しいガラスの絵画を見つめ続けるその男に、俺は思ったままを口にした。

 

「色あせない記録がほしかったんじゃないか」

 

 言葉が、聖堂のような空間に響き渡った。

 

「記憶は時間とともに消えたり、改竄されて、正しい形ではいられなくなる。だけど、こういう絵画なら、変わらないでいてくれる」

 

 この空間を作ったポセイドンの意図は、それくらい、単純な気がした。

 人が管理する絵なら痛んだり、絵の具に罅が入ったりする。しかしポセイドンのことだ。この光の絵画たちには風化しない加護でも与えているのだろう。

 人がアルバムに思い出を一枚一枚、大切にしまうように。

 誰の手も届かない、この海底のアトランティスに、ポセイドンは自分だけの記憶の回廊を作ったのかもしれない。

 

 俺は黒い衣装を身に纏う男──ハーデスに、そのまま言葉を投げかけた。

 

「……あのさ、ハーデス。あんたに聞きたいことがあるんだ」

 

 良い機会だと、会話を試みようとする。

 しかし、ハーデスは、ステンドグラスを見つめたまま、言った。

 

「お前はイカロスを知っているか」

 

 色味のない、淡々とした声だった。

 

「忠告を無視し、蝋の翼を過信し、焦がれるがままに天空へと駆けたイカロスは、その傲慢さ故に失墜した。灼熱の太陽に蝋の翼を溶かされて、無意味に命を散らしたのだ」

 

 ……イカロスの失墜、人の傲慢さを表した有名な神話のエピソードだ。

 

「お前も、そうなりたくなければ、いたずらに神に近づこうとするな」

 

 やっと意図が理解できた。

 “聞きたいことがある”と言った俺に、知れば最悪、火傷を負うのはそちらなのだと釘を刺す意味で言ったのだろう。

 どうしてこう一々回りくどい言い方をするのかなと呆れ半分、忠告してくれるだけ親切だと思う気持ち半分。

 つくづく生真面目なやつだと思いながら、

 

 

「どうして人を滅ぼすのをやめたんだ」

 

 

 忠告を無視して、単刀直入に尋ねる。

 聞きたいことが山ほどあった。

 神様方の隠しごととか、悪夢に出てきた冥王とペガサスの話とか、上げだしたらきりがない。

 だが、ハーデスが聖戦を止めることにした理由こそが、最優先すべき今回の騒動の核心部分であるような気がしたから、無遠慮を承知で切り込むことにしたのだ。

 

 ハーデスが、視線をこちらへ向ける。

 

 漆黒の衣に、闇色の長髪の男のシルエットが、極彩色の透過光に照らされている。

 血の気の感じられない白い肌だけが浮き出ているように見えて、いつもよりも余計に、目の前の存在は本当に生きているのかと不安になる。

 いっそ彫刻だと言われた方が納得できる風貌の冥王は、『なぜ人を滅ぼすのを止めたのか』という俺の問い掛けに、長い、長い沈黙を経たのちに、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「わからない」

 

 

 非情に端的な一言だった。

 

「…………え?」

 

「…………」

 

「いや……答えたくないからって、その返しはなくないか」

 

「……」

 

「……ちょっと待ってくれ。まさかとは思うけど、本当にわからないのか」

 

 返事どころか頷きひとつない。

 しかし、俺に真っ直ぐと向けられたハーデスの眼差しが、その沈黙が肯定であることを如実に語っていた。

 

 俺は言葉を失ってしまった。

 

 だっておかしい、なにもかもがおかしい。

 アテナちゃんがハーデスに聖戦を辞める理由を聞いても答えが返ってこなかったのは、わからなかったから? 

 そんな阿呆な話があってたまるか。

 女神アテナと冥王ハーデスの、神話の時代から続いてた聖戦を止めたんだぞ? 

 たくさんの人が夢半ばで死んだのだろう。

 たくさんの語られぬ物語があったはずだ。 

 それでもお互い譲れない主張があったから、あんた達は、途方もない時間をかけて数えるのが嫌になるくらいの命を奪い合ってきたんだろう。

 そんな引くに引けない争いを止めにしたのなら、それ相応の理由があるに決まってる。ないわけがない。

 

「聖戦を止める理由を、その原因を、覚えてないっていうのか?」

 

「いいや……忘れるはずがない」

 

「じゃあなんで、“わからない”なんて曖昧な回答になるんだよ。凄く、凄く大事なことじゃないか。きっちりカッチリしたあんたらしくもない」

 

「余らしくなければ、駄目なのか」

 

「そうは言ってないけど……ああもう、まどろっこしいな」

 

 ガシガシと頭をかき回して、どうすれば納得のいく答えが聞けるか考える。

 “わからない”にも色々ある。

 本当に根本から理由がわからないのか、それとも問題から目を逸らして“わからないこと”にしてしまっているのか。

 

「人が自滅するって予言が下されたから、わざわざ自分の手で滅ぼすのはやめたのか?」

 

「違う」

 

「人が嫌いじゃなくなったから?」

 

「既に言ったはずだ。余は、人を厭うと。人はその不完全さゆえに、自らの器に穴が空いてることも気づかずに、足りぬものを必死にかき集めようとする。生きるためだといって動植物の命を必要以上に手折り、自らの力を誇示せんがために他者を貶める。平和だなんだと言いながら、お前達は自分にとって都合のよい存在のためならば平気で手を汚す。欺瞞で満ちた理想論だけ振りかざして、その実、神よりも残酷に、命を弄ぶのだ」

 

「……だけど、そこまで人を嫌ってるのに、嫌いだからって滅ぼすのは止めたんだろ?」

 

 意味わかんねえ、と毒づきたくなる。

 律儀に質問には答えてくれるのに、肝心の核心部分はぼやけたままだ。

 

「じゃあ、もしも、もしもの話だ」

 

 解像度を高めるために、ヒントになりそうな質問を必死にひねり出して、投げかけてみる。

 

「もし人が愚かではなくなったら。不完全を克服して、他者を慮れる高尚な精神を獲得するような未来が訪れたら。ハーデス、あんたの人嫌いはなくなって、人が神に天罰を下されるようなことも、なくなるのか」

 

「その仮定に意味はない」

 

 にべもなくハーデスは即答した。

 

「無意味でも、答えてくれよ。俺はあんたがわからないけど、理解したいんだ」

 

「だから、根本から無理な話だと答えているのだ」

 

「……どういうことだ?」

 

「不完全でなくなってしまえば、それはもう、人ではない」

 

 丁寧に、俺にも理解出来る言葉を選び取るように、ハーデスはゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「人は、完璧ではないからこそ、完璧になろうと努力する。他者と競い合い、高め合うことで成長する。失敗を経験則として吸収し、積み重ねて、手渡して、長い時間をかけて、未来の子供たちに何が残せるのかと、まだ誕生してもいない後継たちの明るい世界を夢想する」

 

 先程までのハーデスとは違って、嫌悪の混じらぬ、人の明るい部分を並べるような言葉だった。

 どうして。あんたは不完全な人を嫌っていたのではないのか? 

 

「お前達は、立ち止まれない。今よりも幸せな世界を夢想し進むのだ。

 しかし、この世に永遠はない。発展もいつしか終わりを迎える。それくらい、思考を巡らせれば童でもわかるだろうに、お前達は目を逸らす。都合が悪い現実を切り捨てて、もしくは他者になすりつけて、愚直に前へ前へと進む選択をする。──そうして今、人は自滅の未来へ飛び込もうとしている」

 

「…………」

 

「余は、人間が心底理解できん。お前達は愚かだ。なぜ人は、命を積み重ねてまで、未来へ進もうとするのだろう」

 

 深い憐憫の色が、ハーデスの翡翠の双眼のなかで、虚しく瞬いている。

 

 人が、神に置いていかれるのだと思ってた。

 その愚かさゆえに見捨てられて、うち捨てられるのが人なのだと。

 だけどこれじゃ、まるで逆みたいだ。

 過去に置き去りにされた神。

 ずっと過去と地続きになっているだけの現在を生きる神が、破滅の未来へひた走る人間を遠くから見つめているみたいだった。

 

 俺だって、本当のことなんてわかんないよ。

 自分たち人間のことも、目の前のあんたのことさえ、わからない。

 わかりたいのに、わかち合いたいのに、すれ違ってばっかりなんだ。

 

 だけどなにか、答えを出さないといけないと強く思った。

 わからないなりに向き合って、俺の言葉で、答えなくちゃいけない。

 俺の質問に真正面から答えてくれたハーデスに、誠実でありたかったから。

 必死に気持ちを絞り出して、ちゃんと伝わるように、言葉に換えていく。

 

「──やらなくちゃって思うんだ。俺たちはいつか必ず死ぬ。そういうふうに地上に生まれてきた。だったらせめて何かを成し遂げて死にたい。意味のある存在になりたい。役割がほしい。小さな約束でもいいんだ。俺は、自分だけの特別がほしい」

 

「小さな約束、特別……そんなものに執着してまで、無為に命を使うのか」

 

「あんたが冥王って役割に誇りを持ってるのと一緒だ」

 

「規模が違う」

 

「大きさなんて人それぞれなのが当たり前なんだ。出来ることが限られてる中で、神も人も、自分の手が届く場所を、必死に守ろうとしてるのは一緒だろう」

 

 神と人を一緒くたにしたせいか、ギロリ、と痛いくらいに睨んでくるハーデスに、譲らないぞと、言葉を放つ。

 

「みんな自分の特別を探してる。やりがいとか誇りを持てる何かを探して生きてる。一生大切にできる特別が見つかったやつは幸せだ。俺も特別を見つけたかった。俺もあんたみたいになりたかった。自分の使命も、やりたいことも持ってて、もう特別を探すために迷う必要もなくなった、あんたが羨ましい」

 

「それが死滅したお前の未練か」

 

「……ああそうだよ。俺は何も成し遂げられないまま、納得できないまま死んだんだ。死んだ瞬間のことあんま覚えてないけど、そのせいで魂のまんま異世界にまできちゃって、あんたの面倒ごとを増やすような真似までしちゃったんだ。悪かったな」

 

「お前に非はない。本来なら未練の一つや二つで世界を越えられるほど、世界の境界はゆるくはないのだ」

 

「え……でも俺みたいなのが稀にいるって、言ってなかったか」

 

「そうさな、例えば何者かが、世界と世界の境界線を無理やり通るなどすれば、お前のような輪廻へいくはずの魂が、空いた穴から出入りしてしまうこともある」

 

「それって……」

 

 誰かが、この世界の境界線を無理やり通ったってこと? 

 そう聞こうするが、俺よりも先にハーデスが話を切り上げた。

 

「そろそろ儀式の時間か。祭儀場に向うぞ」

 

「ああもうそんな時間なのか……」

 

 出口があるらしい方向へ歩き始めたハーデスの後を追う。

 

(結局、わからなかったな。ハーデスが戦争を止めにした理由)

 

 容易にはいかないのなんて、分かりきってたはずなのに、気落ちしてしまう、

 落ち込んでしまうのは、もしかしたら理解できるかも、なんて甘い考えがあったから。

 同じ言語を使う相手なら、言葉を交わし合える相手なら、心の内まで理解し合えるような気になるのは、人の業なのかもしれないな。

 ちょっと反省。

 

 数分もしないうちに、薄暗い空間を抜ける。

 

 前を行く、コツコツとした硬質な音が、入り口付近の木の床を踏む音にかわったころ、ピタリと音が止まった。

 ハーデスが、くるりと身を転じて、後ろにいた俺を見たのだ。

 

「異邦人、お前もやはり、愚かな人の子でしかないのだな」

 

「ええ……どうしていきなりディスるんですか……」

 

 いちいち振り返ってまで言うことがそれなのか。

 普通に傷つくんだけど、と力なくハーデスを見やる。

 ハーデスはそんな俺をみて、呆れたようにため息をついてから、無愛想なツラで言った。

 

「なぜ“もう手遅れ”だと諦める」

 

「え?」

 

「“特別を見つけたかった”と、お前は終ったことのように言っただろう」

 

「ああ……そのことか。なんでって、そりゃ、俺もう一回死んでるし」

 

 先程の会話の続きらしい。唐突に切り出されたハーデスの言葉に、俺は仕方ないことだと言い返す。

 だってそうだ、アヴニールやミトラスたちとは違う。俺は既に死んでる。

 この戦いが終ったら、元の世界の輪廻に還る、ほんの一時の命なのだ。

 元の日常に戻ることは許されない。この(からだ)が息を吹き返したのだって機械の故障みたいな偶然だった。

 生者だからこそ特別探しができるのだ。かつての夢を思い出すことも、新しい夢を見つけたりする時間も残されていない……既に死んだ俺に、その権利は残されてはいない。

 

「確かにお前は死者だった。彷徨える異邦の魂、急ごしらえの泥で創られた肉体……それがたまたま運良く動いた、ひどく不格好な命だ」

 

 俺の思考を読み取ったように、ハーデスは淡泊に事実を述べる。

 はは、と一笑でもしてやろうとしたが、駄目だった。

 反発する気も起きない、覆しようのない残酷な現実を突きつけられてしまえば、苦笑いすらでてこないものらしい。

 ああ、ちょっと、これは、よくないな。

 死にながらにして生きている、不格好な命。こんな人間がいていいのか、それって人間なのか、とか、難しいことは俺の頭では分からない。だけど、一つだけ確かなのは、かつてあった日常が永遠に失われたという覆しようのない事実。

 

 俺の人生は終ってしまった。

 

 未練なんて、見ないように考えないようにしてたのに。目を背けていた現実を直視した途端、今まで平坦だった足下ががらがらと崩れていくようだった。指先がカタカタと震え出す。心にカタチなんてないはずなのに、今にもぐちゃぐちゃにひしゃげて、凍りついてしまいそうになって、

 

 

「それでもお前は生きている」

 

 

 灼熱を、ぶっかけられたみたいに、時間が止まる。

 なにを言われたのか、一瞬理解ができなくて、時間をかけて呑み込んだ。

 顔を上げると、強い意思の光を宿した翡翠の双眼が、俺を射貫いた。

 

「……あ」

 

 今になってようやく、自分の認識の間違いに気づく。

 目の前の男に傷つける意思なんてなかった、勝手に傷ついていたのは、俺だ。

 死者の国の王が、ハーデスが、俺に言いたかったのは、

 

「死んだ様な顔をするな。もう何もかも手遅れだなどと嘯くな。諦めることに慣れるな。人らしく前を向け。泥にまみれても這いつくばることになっても、終わりが見えていても、例え、正しい流れから逸れてしまった生だとしても、お前は、死者にはけっして手に入ることの叶わぬ、尊いものを持っている」

 

「はー、です」

 

「──余が与えた命だ。“生きること”から逃避することは、このハーデスが許さん」

 

 目元になにか、熱いものが込み上げてくる。

 心地よい古木の香り。目の前の無愛想な男の顔にあたる、窓から漏れた陽の光。

 冥王と陽光なんて、この世で一番合わない組み合わせだと思っていたのに、案外それらは、綺麗に調和していて。

 

 悪くない光景だと、思ってしまった。

 

「ぶっ、はは」

 

 自然と、頬が緩まって、笑みらしきものが浮かぶ。

 

「あんた、人も、太陽の光も、嫌いなくせに」

 

「…………」

 

「なんで平然と明るい場所につったって、当たり前みたいにさ……俺が、一番ほしいものを、くれるんだよ」

 

 それじゃあ慈悲深いアテナみたいじゃん。

 笑っていたはずなのに、目の前の神様の姿もぼやけて、耐えようとしたけど、勝手に涙が溢れてしまった。

 何も言わないで、ハーデスはそこに居続ける。

 いつもは突き放したり説明不足だったり冷たいくせに、どうしてこういう時に限って、先に行ってくれないんだろう。

 いつから人を見守る神になったんだよ、本当らしくないことばかり、解釈違いにも程がある。

 

 ああ、だけど。

 

 そうやって、当てはめて考えてしまうから、決めつけてしまうから、わかりたいのに、わからなくなってしまうのかな。

 

「決めた、俺もっとフラットになる……」

 

「……お前はまた唐突に、意味の分からないことを口にする」

 

 また呆れた目で見られたけど、いいや、なんだかもう慣れてしまった。

 ぐしぐしと目元をふいて、俺はハーデスとともに、ポセイドンの記憶の回廊を出た。

 

 外はやっぱり、薄暗かった。

 

 ちらり、と出てきたドームを振り返るが、やはり外側には窓もステンドグラスもない。

 優しい古木の香りや窓から漏れる光を思い出して、少しだけ名残惜しい気持ちになりつつも、中央神殿へ向うため大きな通りへ歩みを進める。

 またいつか、立ち寄れたらいいなと、未来を夢想しながら。

 

「和解の儀式って、けっこう時間かかるのかな」

 

 気持ちを切り替えるついでに、ハーデスに質問を投げかける。

 けっこう長かったら最悪、儀式中に居眠りとかしそうだなあという内心は悟られぬように、右前を歩くハーデスの背中に視線を注ぐ。

 ハーデスは僅かに考える素振りを見せてから、振り返ることはせずに、

 

「そうだな。行程自体はそう難しいものではない。だが誓いの刻み手であるお前は、多少、疲弊することになるだろう」

 

「疲弊って……やること何も聞かされてない上に、何の準備もできてないんだけど大丈夫なのか」

 

「問題ない。お前はただ──」

 

 ハーデスが答えようとしたときだった。

 

「冥王よ、お話中のところ誠に恐れ入ります!」

 

「あ、アヴニール?」

 

 パッとかシュオン、なんて音が鳴りそうな勢いで、アヴニールが目の前に出現した。

 もう空間転移をしたのか走ってきたのかもわからない高速の動きに唖然としてると、アヴニールが早口で話し出す。

 

「零もすまんな、実は、儀式の準備をしていたアテナ様のお姿が消えてしまって」

 

「えっ!? 消えたってまさか、双子神の呪いのせいなんじゃ」

 

「結界は問題なく稼働している」

 

 ハーデスが即答した。

 神々が貼った結界に問題がないのなら、アテナちゃんの姿や声が認識できなくなる呪いのせいではないのだろう。

 

「じゃあ、どっか休憩か、息抜きの散歩とかじゃないのか」

 

 俺の頭の中で、アイギスの上に正座しながら、ふよふよと飛んでいくアテナちゃんの姿がよぎる。

 アヴニールは首を横に振った。

 

「それも考えたが、もうじき儀式の時間になるのにお戻りにならない。あのお方は自身の役割を中途で放り出したりするような性格でもないのに、準備の半ばで姿を消してしまったのだ。そのため、小宇宙による気配を辿ろうとしたが、このアトランティス内では、上手く探知できず……」

 

 なるほど、それで誰かに力を貸してもらおうと思って、最初に見つかったのがハーデスだったってことなのだろう。

 必死にアテナを探すアヴニールの姿に、ハーデスは、仕方がなさそうに吐息して、右手を宙に掲げた。

 ハーデスの掌の上で赤色の光が凝縮していく。すると数秒もかからずに半透明の黒い蝶が生みだされた。

 黒い蝶はくるくると俺たちの頭上を旋回すると、目的のアテナちゃんの気配を見つけたのか、大通りから横へと逸れた小道の方へと飛んでいった。

 

御羊座(アリエス)、お前は女神の手伝いをしていたのなら、女神がどこまで術式を綴ったのか見ていたな?」

 

「はい」

 

「ならば余が引き継ぐゆえ、お前は女神がどこまで術を綴り小宇宙を込めたのか、教示せよ」

 

「聖闘士である私が冥王に教示を……いえ、そういう隔たりはもう不要なのでしたね。──承りました。ご協力に感謝いたします、冥王よ」

 

「異邦人、お前は冥界の蝶(フェアリー)を追え」

 

「……んん?」

 

 既にひらひらと結構遠くまで飛んで行ってしまった黒い蝶を見据えながら、ハーデスが言った。

 ちょっと何言ってんだろうこの冥王と思って目を逸らそうとしたら、きらっきらした瞳のアヴニールと視線がかち合う。

 

「アテナ様を頼んだぞ零……!」

 

「ああもう途中からそんな気はしてたけど、もっと早く言ってくれよ! 俺はあんたらと違って1km先のものとか目視できない一般人なの! アーユーオーケー!?」

 

「話している暇があったらさっさと追いかけよ」

 

「ばーか! ばーか! ハーデスのばーか!!」

 

 小学生並みの罵倒をしながら、俺はもう姿の見えなくなってしまった蝶の光る鱗粉を頼りに走り出した。

 見失っても知らん、俺は悪くない。

 背後から「はわわ……殺されるぞ……」なんて声が聞こえたが気のせいだし、最悪アテナちゃんに頼って切り抜ける。

 いつだって他力本願は忘れない。

 それくらいの緩さを保ちながら、俺は、生きていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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