それでも俺は、冥王様を助けたい。   作:歌詠

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閲覧ありがとうございます。
※津波の描写があります。どうかお気をつけてお進み下さい。


第14話 かくして刻み手は傍観を始める

 

 

 

 

 

 ちゅんちゅんと、小さな鳥の、鳴き声が聞こえる。

 鼻孔をくすぐる土と草木の香り、頬にかかる温かい陽射しの熱。

 アトランティスには芽吹いていなかった生命の気配を感じて、俺はゆっくりとと瞼を開いた。

 

「……またこのパターンか」

 

 目が覚めたら知らない場所パート3。

 だるい上体を起こして、ぱちぱちと瞬きを繰り返しているうちに、視界が明瞭になってくる。

 ぼんやりと見やった周囲は、豊かな緑に満たされたいた。

 

 おそらくここは、ハーデスが言ってた、3神のうちの、誰かの魂の記憶の世界なのだろう。

 

 自身の左胸を見やれば、先程までの苛烈さはなりをひそめた3色の炎が、くすぶるように燃えていた。

 ハーデスは、この炎を記憶の中に出てきた3神に掲げろと言っていた。

 それが刻み手としての役割であり、順当に考えれば、この記憶世界から出る方法なのだろうが。

 

「はあ、やっぱり説明不足なんだよなあ」

 

 林や草花が自然に生い茂り、遠目には、きらきらと陽光を反射した小河が流れているのを確認する。

 あの宇宙空間はどこへ消えたのか。

 とても原始的な風景だなと、率直な感想を抱いていると──カンカンカン、と何かを打ち付けるような音が響いてくる。

 

 現状あてもないし行ってみよう。

 のろのろと立ち上がって、俺は音の聞こえる場所を目指して、ふさふさの草のうえを歩いた。

 

 穏やかな木漏れ日のシャワーの下、心中のコンディションは最悪だった。ハーデスに対しての諸々の不満や割り切れない感情が、頭の中でぐずぐずとわだかまっているせいだ。

 しかし、今は刻み手としての役割に集中しなければならない。

 お役目が終って、この世界から出たら、いいだけ文句をいってやる。

 

 

『──父様! この木材は、船の側面に組み込めば良いのでしょうか』

 

『ああ、合っているよ。こんなにも運んだのか、お前は力持ちだなあ』

 

『へへ! 父上はもうじき600歳になるのですから、無理はしないで下さいね。代わりに僕がもっともっと頑張りますよ』

 

 2人の青年が、大きな船らしきものの前で、会話をしている。

 600歳? 冗談かなにかだろうか。

 父上と呼ばれた方は20代後半くらいの彫りが深い相貌で、もう一人のほうは10代後半くらいに見える。

 どうやら彼らは俺から見て十数メートル先にある見上げるほど大きな船を、建設しているらしいが。

 

「うーん……この感じ、認識されてないパターンかな」

 

 彼らの近くに寄っても、特に反応が返ってくることはないので、俺の姿は見えていないのだろう。

 手持ち無沙汰で見守っていると、船の向こう側から複数人の大人がやってきて、船の建設作業を手伝い始めた。

 彼らは他にも、既に半分ほど完成した船内に食物の入った袋を運んだりと、なにやら忙しなく動き回っている。

 

『あいつら、また変なことをやってるぞ』

 

『放っておけ、神の声が聞こえたなんて、連中頭がおかしくなっちまったのさ』

 

 たまに、近くを通った村人らしき者たちが、呆れたように会話をしてる。

 しかし父上と呼ばれていた青年は、どんなに嘲笑されようとも、怒ることはなかった。むしろ積極的に彼らに声をかけて、一緒に船を作ろうと必死に語りかけるのだ。

 

『皆、いいか、()()()()()()()()()()。皆が生き残るためには、協力して船を作らなければならないんだ!』

 

『洪水なんてここ数十年これっぽっちも起ってないじゃないか』

 

『しかし、神様がだな……』

 

『あんたが聞いた託宣はただの夢だよ。神を信じたって金になりゃしない、時間の無駄だ』

 

 みんな、呆れたように首を振って帰ってく。

 青年は、悲しそうに肩を落として、また船を作る作業に戻る。

 来る日も来る日も同じ事を繰り返す。

 見たところ青年とその家族たちだけが、大洪水が起るという神の言葉を信じているようだ。

 彼らは、雨の日も風の日も、朝から晩まで巨大な箱船づくりに勤しんだ。

 

(……ん、あれ? 巨大な木船に、大洪水が起るっていう神の託宣……?)

 

 どっかで聞いたエピソードだなと浮かび上がった既視感に、俺は自身の記憶を探って、とある聖書の物語を思い出した。

 

 ──そうして生まれる、じわじわとした小さな焦り。

 

 もしかしたら訪れるかもしれない最悪の未来の可能生。

 けれども、地面以外のものには触れられない俺には、彼らの行く末を見守るほかない。

 

 どんどんと、時間の流れが速くなっていく。

 

 やがて、最初は半分しか出来ていなかった船が、数年の歳月をかけて立派な船へと姿を変えた。

 船の完成とともに、どこからともなく、象やキリンや、ウサギやカメまで、大小様々な動物たちが青年達が作った箱船へと乗船していく。

 

『とうとうこの時が来たのだな』

 

 青年は、感慨深そうに船を眺めつつも、悲しそうに呟いた。

 恐らく彼は、家族以外は誰も説得できなかったことが原因で、肩を落としているのだろう。

 数年間、船の建設と並行して、近隣に住む人々に必死にこれから起る大災害について説こうとした青年だが、彼の言葉は、笑われたり、気味悪がれたりして、相手にされることはなかった。

 

『なあ、()()って俺と同い年ぐらいに見えるけど、ああみえて俺らのじいさんよりも長生きなんだろ? 神の加護だかなんだかで若いままだって話だが……』

 

『はっ、神なんていたとしても碌な奴じゃねえよ。朝から晩まで祈ってた俺の妹は……流行り病で早死にした。信じる者だって救わない神なら、崇めたって無意味だ』

 

『ノア様は人柄もよくて、とても賢くていらっしゃるけど、大洪水だなんていって、村の皆を怯えさせるのは流石にやりすぎだわ……どうしてしまったのかしら』

 

 大きな船と、大洪水と、ノア。

 

 そのキーワードが指し示すものなんて、一つしかなかった。

『ノアの箱舟』

 かの創世記に綴られる、神による人類粛清の物語。

 それは確か、星矢の原作では、過去の海皇ポセイドンがその神であったと明言されていたはずで。

 

 つまりは、そこいらに見える人達が、みんな死ぬ。

 

「っまさか本当に、ノアの箱舟そのまんまに、大洪水が起るっていうのか?」

 

 少し離れた小道を歩いている父親とおさげの女の子。その奥にある村の住人たち。

 子供も大人も、誰もかも。みんな、今日が終っても明日になっても、平凡な日常が当たり前のように続くと思って、生きている。

 だってこんなに快晴なのに、洪水なんて起るはずがない。

 笑って泣いて怒って呆れる、そうすれば、今日と同じ明日が来るんだって、信じて……

 

 

 終焉へのタイムリミットは、もうすぐそこまで迫ってきているのに。

 

 

「くそっ……どうにか、ならないのか」

 

 咄嗟に最悪の未来を回避する方法を考えるが、これは既に終った過去の出来事の再現だ。

 観客が映画の結末を変えられないように、傍観者でしかない俺では、この記憶の世界で起きる惨劇を変えることはできない。許されない。

 

 悔しい、無力だ。

 目の前で死に逝くであろう人々のために、してあげられることが、何一つないなんて。

 

「……ノアも、同じ気持ちだったのか」

 

 人々を助けようとするノアの思いも、ノアの必死の説得を信じられない人々の気持ちも、理解できてしまうからこそ、余計につらい。

『数年後、俺たちの住んでいる場所に大雨が降って、辺り一面海水に満たされます』なんて言われて、誰が信じるのだろう。

 少なくとも俺は、ノアの箱舟というエピソードを知らなければ、村人たち同様、信じなかった。

 ああ今日もまた陰謀論者が気まぐれに未来を予言してるなとしか認識せず、一蹴するのは目に見えている。

 例えノアみたいな未来を知る者が善意で語りかけていても、気味悪がって遠ざけてしまうだろう。

 

 

 ──やがて、どす黒い群雲が、綺麗な青空を塗りつぶすように、浸食を開始した。

 

 

 ズガァンッ!! と、神鳴りがけたたましく轟いて、大地を揺るがした。

 黒く染まり行く空を厳しい視線で見ていたノアは、迷いを断ち切るように、箱船へと乗船した。その瞬間、ノアが船の扉を締めたのを待っていたかのように、ぽつりぽつりと、暗い空から雨粒降り注ぎ始める。

 

 最初は、恵みの雨だった。

 弱々しい雨に人々は喜び、大いに歓迎した。

 しかし、風雨は一向に止まず、どんどんと恐ろしい速度で発達を遂げていく。

 まるで、人も、動物も、植物も、全ての命在るものを射殺さんとばかりに、雨は、幾千幾億を超える矢の如く鋭くなって、襲来した。

 

 1日も経たぬ間に、大地は人が生活できぬほどの濁流で覆い尽くされた。

 

 木の上に登った者は、海に攫われた。

 小さな船に乗って逃げようとした者は、大波に呑み込まれた。

 最後まで必死に生きようとして、標高の高い山の山頂まで逃げおおせた人々も、気づけば海の底に沈んでいた。

 

『頼むから逃げてくれ』と祈っても、そもそも、逃げ場がどこにもない。

 

 人が、人が、人だったものたちが、玩具をプールに投げ入れるくらいの気軽さで、海水に呑み込まれては、沈んでく。

 無駄だと頭では理解しているのに勝手に手が伸びて、水の中に落ちていく命を掴もうとする。

 けれど、俺の手は、何も掴めずに、すり抜けていく。

 海上に立つ俺の眼前で、沢山の人達が絶望した顔のまま、海に落ちて消えていく。

 

「ああ、あああああ……っ!」

 

 なんだこれ。

 凄惨な光景に耐えられなくなって、ひたすらに叫んで嘆いた。

 無理やりにでも感情を放出しなければ、頭がおかしくなってしまいそうだった。

 

『ああ嫌だ嫌だ! 痛いよ……助けて、お願い、誰か助けてよ……!』

『いやだよ、お母さん、怖いよ。しにたくないよ、お母さんっ!』

『ああ神よ、どうかっ! 生まれたばかりの娘だけは、どうかお助け下さい!』

 

 彼らの最期の声を聞き届ける神は、どこにもいない。

 みんなみんな、沈んで、消える。

 

 こんな悍ましい虐殺が神の意志なのか? 

 

 誰だって生きたかったはずなのに。

 赤子も大人も、動物たちも、無関係に、塵芥のように殺されていく。

 暗い水の中で、冷たさと寒さに、どれだけ怯えたことだろう。

 空気を求めて藻掻いてもどんどん押し流されて、看取られることもなく孤独に意識を失っていく。

 最期に聞こえるのは最愛の人の声ではなくて、己を殺すくぐもった水の音。

 命尽きる最期の瞬間まで、どれだけ心細くて、苦しかったことだろう。

 

「……ごめんなさい……助けてあげられなくてごめんなさい……」

 

 死にゆく彼らの最期の姿を、俺はなすすべもなく見送った。

 目を瞑っても、泣き叫ぶ誰かの声と、狂った荒波や濁流の音が一緒になって、責め立てるように耳を劈いた。

 これが地獄でなければ、なんだというのか。

 許せない。こんな残酷な所業を天罰だなんだと豪語して人を殺す神が許せない。

 

 いつしか、助けを求める人々の声は途絶えた。

 

 ざあざあと降りしきる豪雨と、雷の音が壊れたテープみたいに繰り返されるだけの世界。

 神の言った通りに、ノアの箱舟に乗った人と動物だけが、この厄災を生き残ることができたのだ。

 

 

『──これで、堕落した生き物は、海へ還った』

 

 

 声がして、俺は涙でぼやけた視界をゆっくりと上げた。

 数メートル先の、嵐の海のうえに立つ、1柱の神。

 黄金の鎧に、三叉の鉾、晴れた日の海のような色の長髪をなびかせる男。

 依代の人間ではないその姿は、初めて見るはずなのに、知っている神だと確信できた。

 そいつは、独り、眼下の海を見つめている。

 

『この洪水は40日40夜続く。神を信じず、武器を手に取り他者を害し、悪徳を尊ぶようになった子らよ。お前達は堕落してしまった。心優しきノアの忠告すら聞かず、避けられた滅びを享受するとは、なんと愚かなことか。お前達は知らぬだろうが、最後までお前達を信じようとした正義の女神アストライアですら、血に染まった大地を見て、もはや人の子の説得は叶わぬのだと諦め地上を去った』

 

 加害者であるはずなのに、その神は、哀れみに満ちた声で、骸となった人間たちへ、届くはずのない言葉を放っている。

 

『かつて清くあった、お前達は、変わってしまった。しかし、この洪水により地上の業は洗い流されることになる。人の子らの悪しき心も冥界のレーテ河により忘却されて、お前達は真に清き人として転生するだろう』

 

 嵐の海の上に立ち続ける、()()()()()()()()()()姿()

 

『これで、これで人は元の優しき心を取り戻す……そうすれば私は二度と、このような残酷な大災害を起こすこともなく、お前達を見守り続けることができる。お前達に訪れる未来はかつての楽園のように、輝きに満ちていることだろう』

 

「…………」

 

『人は、変わるだろう』

 

 そのとき、俺の心臓がドクリと脈打った。

 見れば、心臓を覆っていた3色の炎のうち、蒼白いポセイドンの魂の欠片が、かつての情景に共鳴するように、強く強く輝きだしているではないか。 

 

 ハーデスが言っていた。

 記憶の中の3神を探して、魂の灯火を掲げることで、初めて、代償は正しく刻まれるのだと。

 

 つまりは、この魂の欠片である灯火を、あそこにいるポセイドンに掲げればいいのだろうが……、

 

「……なにが、なにが清い人間だ。なにが、輝きに満ちた未来だ!」

 

 今は、自分に課された役割よりも、怒りが勝った。

 ふつふつと、腹の底から湧き出る激情に突き動かされるがままに、俺は狂ったように波打つ海上をずかずかと突き進んで、かつてのポセイドンの前に立った。

 この海の下には、赤子も大人も無差別に、普通に生きてただけの人間たちが沈んでる。

 

「昔あった楽園ってやつはそんなに良いものだったのか!? 争い合う人間は気にくわないから殺すのか!? 神々だって戦争や小競り合いばっかりしてるじゃないか。醜いのは神も人も変わらないのに、どうして人間だけを目の敵にするんだ!」

 

 眼前のポセイドンに怒りのままに叫ぶが、目線が交わることはない。

 記憶の世界の彼からは、俺の姿は、見えていないのだろう。

 哀しみに濡れた神の、海色の瞳は、眼下の水面を一心に移すのみ。

 

「くそ、こっちを見ろよポセイドン! そんなに悲しそうなツラするくらいなら、殺すなよ……!」

 

 虚しかった。

 死んでいった人達を傍観することしか出来ない己の無力さも、目の前の神が悲しそうにしていることも、全てが悔しくて、胸が締め付けられるように苦しかった。 

 ぐずり、と鼻を鳴らす。

 思いきり苛立ちをぶつけようと口を開いたのに、喉から漏れ出たのは、うわずった弱々しい声だった。

 

「……世界を支える神への信仰を失った人に、憤るまではわかる。だけど、やり過ぎだ……。どうして神ってやつは、0か100みたいな極端な手ばかり使おうとするんだよ」

 

 邪悪を一掃した、清い楽園なんて生まれなかった。

 結局はいたずらに大勢の命が消えただけ。

 ノアの箱舟は、失敗だった。

 人智を越えた叡智をもつ神ですら、選択を見誤る。

 それはきっと、ポセイドンが人に期待してたから。

 堕落し、武器を持って争い合うようになった人間たちを一掃して、人の罪も魂に宿った記憶ごと冥界の川で洗い流してしまえば、転生した人間たちが悔い改めると、本気で信じていたんだ。

 

 しかし、やってることは、命の選別、品種改良と変わらない。

 

「記憶をリセットして生まれ変わったら、それはもう別の命だ。あんたが海に沈めたものは、永遠に戻りやしないんだ……。あんただって頭の隅ではそれを理解してるから、悲しんでいるじゃないのか?」

 

 沢山の人間の命を生け贄にした未来に待ち受けていたのは、楽園時代への回帰じゃなくて、人の、新天地への前進だった。

 信仰は途絶えて、神は伝承と物語の中に置き去りにされた。

 人はどんどん神を忘れて、その手を離れて、自分たちの思い描く未来を自由に作り出していく。

 そうして今は、破滅の未来へ直走るようにまでなった。

 

「……もう、終わりにしよう」

 

 ごうごうと燃えている心臓の炎に、俺はそっと両手で触れた。

 ポセイドンの魂の欠片である、鮮やかな蒼白い炎が、てのひらに燃え移る。

 炎なのにきらきらと星のように瞬いて、温かくて穏やかな美しい魂に、俺は、目の前で起きた悍ましい虐殺との乖離に耐えきれず、くしゃりと顔を歪めてしまった。

 

「せめて……この和解を機に、命を洗い流すようなことだけは、二度としないでほしい」

 

 渦巻いた感情をのみこんで、強く願った。

 そして宣言した。

 

「──誓いの刻み手として、代償を刻もう」

 

 炎の灯った両手を、記憶のポセイドンへと掲げる。

 すると、俺の意思に呼応するように、蒼白い魂の炎が、猛々しく燃え上がっていった。

 掌のなかから鮮烈な業火が溢れて、目の前のポセイドンを覆っていく。

 そして、今度は聞き慣れたポセイドン声が、誓いを復唱するように、虚空へと響き渡った。

 

『海と大地に立つ権利を懸けよう』

 

 不思議な感覚だった。

 温かい力の奔流のなかで揺蕩っているような、心地良さ。

 頭ではなく感覚で、誓いの代償が、掌のなかの蒼白い魂の欠片を通して、ポセイドン本神の魂へと刻まれていくのがわかる。

 

 数秒か、数分か、どれくらいの時間がたったのだろう。

 ポセイドンの魂に、代償を刻み終えたのだろう。目の前のポセイドンを覆っていた蒼白い炎は、淡い光のリボンとなって、俺の心臓に戻り始めた。 

 静かに見守っていると、体感1分もかからずに、全ての炎が心臓へと帰ってきた。

 トクトクと、役目を終えた海皇の魂の欠片が、心臓の中で、静かに脈打っているのを感じる。

 

「……よし、まずは1つ」

 

 自らの心臓に手を添えながら、肩に入ってた力を抜いた。

 すると数秒も経たないうちに、周囲の風景が、ガラスに亀裂が入るように崩壊を開始した。

 同時に、心臓に灯った炎が、熱くなる。

 

「っあつ」

 

 見れば、女神と冥王、まだ代償を刻み終えていない2神の魂の欠片が、猛々しい熱を放出し始めているではないか。

 次の記憶の旅路へと向うサインなのだろう。

 もうここにはいられないのだと、本能的に察して、俺は大きく深呼吸をした。

 次はアテナちゃんか、それともハーデスの記憶の世界か……どちらにせよ、気を強く持った方がいいのは今回のポセイドンの記憶からして明白だったため、気合いを入れ直すことにする。

 

「……あのさ、ポセイドン」

 

 心の準備を終えた俺は、最後に、嵐の海に取り残される目前の神に、向き直った。

 揺れる水面のようなポセイドンの瞳に、俺の姿は映ってないけど。

 だけどここは、ポセイドンの魂とも繋がった場所だから、少しでも今の気持ちを伝えたいのだと、真剣に、言葉を紡ぐ。

 

「あんたの所業を見て分かったよ。人も神も、自分以外の誰かに“こうあって欲しい”っていう理想を押しつける点では、同じなんだ。思い通りにいかないから争うし、相手が自分よりも弱ければ命すらも簒奪してしまう。理想から外れた命には、非情だったり、無関心にだってなれる」

 

 世界が平和であれば嬉しいと誰しもが言うけど、その実、地球の反対側で殺し合う人達がいても、俺たちは気にもとめない。

 己の平和が脅かされないのなら、他国の飢餓や戦争からは目を背ける。

 犬や猫はかわいい。だけど、鶏や牛は美味しい。

 幼い頃は大切に思っていたはずの命なのに、気がつけば都合よく解釈して、命を選別して順位をつけて、仕方のないことだと達観したような顔をして、自分に気持ちよく生きている。

 

「俺たちは、醜いな」

 

 でも、だからといって、死ぬわけにはいかない。

 どんなに醜くても、傲慢で救いようがなくても、生を受けた以上は、業を背負いながらも、まっとうする義務がある。

 割り切れない感情は呑み込んで、未熟を承知で生きていこう。

 ……生きろと言われたからこそ、今はよけいに、自虐だけじゃだめなんだって、不格好でも前に進まなければならないんだって、強く思うんだ。

 

「じゃあな、昔のポセイドン。あんたがかつて沢山の命を奪ったことも、トライデントの余波で死ぬはずだった俺を助けてくれたことも、全部、全部忘れない。この命が尽きてもずっと、この世界の貴方のことを、覚えているよ」

 

 ──パリィィィン!! と、甲高い音を響かせて、景色が砕け散った。

 俺の身体はどんどんと薄らいで、空気に溶けるように消えていく。

 

 

 

 最後に一瞬、

 穏やかな色彩をした海色の瞳と、目線が交わったような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









読んでくださってありがとうございます。
ご感想、じっくり読ませて頂いております、次にパソコンの前に戻ってこれるときに返信させていただきます、本当に有り難う。
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