それでも俺は、冥王様を助けたい。   作:歌詠

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第16話 女神の記憶

 

 

 

 

 

「うぅ……ぅぅ……ああぁ」

 

 女の子が泣いている。

 

 燃え盛る炎のなか、

 傍らにいる複数人の鎧姿の戦士など気に止める余裕もなく。

 

 藤の花のような色をした短髪の、可愛らしい女の子。

 

 彼女はこの世で一番大切な者を奪われたとでもいうように、

 泥と血液でぐちゃぐちゃになった手のひらで顔を覆って、涙を流した。

 

 右頬から首を通って、膝の近くまで、

 右半身は、酷い火傷を負っている。

 触れたら倒れてしまいそうな華奢で小さな背中には、

 切れ味の悪い刃物でつけられたような、目も当てられない裂傷痕が残ってる。

 

 

『アテナ様、アテナ様』

 

 ──わたしは、アテナなどではありません。

 

『……お気持ちはお察しいたします。ですが、どうか治療をさせてください。いくら御身に神の血が流れているとはいえ、痛みはあるはず』

 

 ──死んでしまった兄や、友達は、もっと痛かったはず。

 お願いだから、わたしのことは、もう放っておいて。

 

 

 嘆く少女を気遣うように、語りかける聖闘士たち。

 けれど今の彼女に、誰かの親切心を受け入れる余裕なんてなかった。

 

 十代半ばより下くらいの、細い身体の女の子。

 彼女は一晩で、大切だったものの全てを奪われた。

 

 同じ村で住む、心の優しい村人たち。

 みんなみんな、血と欲に飢えた野盗の集団に、踏みにじられるように殺された。

 深夜の誰も起きていない時間、村に炎が放たれて、村人たちは何が起きたのか理解するのに精一杯で、逃げ惑うことしかできなかった。

 

 家屋は倒れて、血だまりが重なって、そのうえによく知っている顔の誰かが、見たこともない恐ろしい表情をして、どさりどさりと倒れてく。

 

 サーシャも、そのうちの一人だった。

 

 大好きだった兄も、

 大好きだった友達も、

 二人の安否をしる間もなく、少女は背中を斬られて、炎にまかれた家屋の中で力なく倒れ伏した。

 

 ──ああ、わたし、死ぬんだな。

 

 そう思って暗闇に落ちていくように目を閉じた。

 それなのに、目が覚めた。

 覚めてしまった。

 激痛に声を上げることもできないまま意識を取り戻した少女の周りには、青銅と白銀と黄金の鎧を身に纏った、複数人の知らない人たちが立っていた。

 何が起きたか理解できていない彼女に“聖闘士(セイント)”を名乗る彼らは、気でも狂ったのか、少女のことを、女神アテナの転生体だと宣った。

 

 

 ──わたしが神、女神? 

 何を言っているの。

 

『本来ならば命を落とすほどの重傷を負っても、生きている。それは、貴方の内に流れる、神血(イーコール)の再生力によるものなのです』

 

 肩を震わせる少女に、金色の鎧に翼を携えた男が言った。

 

 信じられなかった。

 自分はただの人間だと、少女はなんども繰り返す。

 しかし、今すぐに信じられなくても、仕方のないことでしょうと、聖闘士たちは返すのだ。

 

 

 ……ああ。

 これがすべて、ただの悪い夢だったらよかったのに。

 

 

 

 ──時が、流れる。

 

 

 

 燃え盛る村が蜃気楼のように消え去って、今度は、荘厳なギリシャの神殿が姿を現した。

 

 ここは、女神アテナが納める聖域、地上守護の最後の砦。

 ふもとには戦士の卵たちが鍛錬をつむ闘技場や、時計塔、列柱塔、生活に必要な住居や施設が。険しい岩山を開いて作られた階段をのぼれば“十二宮”と教皇の間、その更に先には、もっとも尊いアテナの神殿がある。

 

 自分は女神なんかじゃない。

 

 目元に隈をつくった女の子が、がらんと開いた神殿の冷たい床のうえで、膝を丸めて座っている。

 村から聖域へ連れられてきても、少女の心は遠い故郷の地に置いてけぼりのままだった。

 しかし、神血の再生力により、酷いやけども背中を斬られた痕も、一月も経たぬうちに消えていく。

 とても人間とは思えない回復力、

 

『本当に私は、人ではないの? それじゃあ、どうして。どうして女神なのに、大好きだった人達を救えなかったの?』

 

 炎が放たれた故郷の残骸の中で、亡骸さえ残らなかった大切な兄と友達を思って、少女は自分を深く責めた。

 もう枯れ尽くすほど泣いただろうに、嗚咽を漏らして死んでいった人達に謝り続ける少女の姿は、余りにも痛々しかった。

 

 

 君は悪くないよと、声をかけるが、俺の声は届かなかった。

 

 

 

 ──時が、流れる。

 

 

 

 聖域にきて、季節が変わるほどの時間が経過したが、少女はここでの生活には馴染めずにいるようだった。

 

 そんな折に、気の良い蠍座(スコーピオン)の青年にひっついて、彼女は聖域から出ることとなる。

 出先の村で蠍座の青年や、店屋の女主人と交流したり──南米神の神官と戦うことになったり。

 

 突然の戦いのなかで、文字通り命を燃やすように使う、猛々しい蠍座(スコーピオン)の後ろ姿をみた。

 敵なのに、少女を守って、死んでしまった人がいた。

 太陽の神の力をつかって、蠍座の心臓から悪いものを取り除いてくれた、店屋のお姉さん。

 

 少女自身も、少女を守ろうとしてくれた彼らを守りたくて、今までは避けていた女神の力を解放して、精一杯に立ち向かった。 

 

 荒ぶる神々との聖戦に比べれば、小さな戦いだったかもしれないけど、この日起きた出来事が、少女を変えた。

 少女は、大切な人達を守るために、自分が女神の転生体であることを受け入れる、覚悟を決めた。

 

『私は人で神なんだ。もう、逃げない。この運命を受け入れて生きていくんだ。私に寄り添ってくれた人達のためにも。私みたいに、大切なものを失って嘆き悲しむ人を、増やさないためにも。……兄さんたち、どうか私を見守っていてね』

 

 少女は、どこまでも高い青空を仰ぎ見ながら、決意を露わにした。

 迷いが消えた星屑のような綺麗な瞳。

 

 

「…………、」

 

 俺はただ、それを見ていた。

 

 

 

 ──時が、流れる。

 

 

 

 玉座に腰掛ける、成長した少女の姿。

 純白の衣に、手には女神の象徴たる、黄金のニケの杖が握られている。

 

『……冥闘士の出現頻度が増えつつあります。聖戦が間近まで迫ってきているのでしょう』

 

 傍らにいる教皇に語りかける彼女の声には、一本の芯が通っており、泣き続けていた少女と同一人物とは思えないほどの威厳があった。

 すらりと背が伸びて、藤の花のような綺麗な髪も、膝下くらいまで美しく流れている。

 華奢で思わず見惚れてしまうくらいの美貌の少女は、しかし、戦の女神の生まれ変わりである。

 人類を抹殺するために地上へ侵攻する神々から、その身を挺して、人類を護身することこそが、女神アテナの使命なのだ。

 

 彼女の前に、整然と並ぶ、黄金の鎧を纏った聖闘士たち。

 

『共に戦いましょう。悲しみを断ち切って、明るい未来を迎えるために』

 

 立ち上がり宣言する。

 その高らかな声は、彼女の小宇宙にのって、教皇の間を越えた聖域中に響き渡った。

 

『うおおおお!』

『アテナと共に!』

『必ずや、人の世の平穏を守りましょう!』

 

 青銅、白銀、黄金の聖闘士たちや、雑兵や神官、他にも多くの仲間たちが、アテナの言葉に呼応する。

 来る聖戦を前にしたアテナの双眼は、陽の光を受けた新緑のように、鮮やかな色をしていた。

 

 

 どこにでもいる普通の女の子は、もういなくなってしまった。

 複雑な思いがつのる。しかし、彼女の成長は、素直に嬉しかった。

 いつか直向きな彼女に、報われる日がきますようにと、俺は祈った。

 

 

 

 ──時が、流れる。

 

 

 

 荒々しい雄叫びと、悲鳴、なにかがぶつかり合ったり、砕け散るような音が響き渡る。

 ──戦場だ。

 土煙のなか、各々の技を放つ聖闘士と、冥闘士の群れが錯綜する。

 

 女神アテナと冥王ハーデスによる聖戦なのだろう。

 

 視界が悪い。

 己が居る場所を確認するため周囲を見渡すと、遠くに聖域の神殿を発見する。

 聖域の近郊か……そう認識した瞬間、きらり、と視界の隅でなにかが光を放つのを確認する。

 咄嗟に目で追えば、黄金の輝きを纏う、一振りの杖を見つけた。

 

 円形の先端部。特徴的な意匠に、ひと目見ただけで分かった。

 その光の正体はニケの杖、女神アテナが所持する神器のひとつ。

 アイギスがアテナを守る盾ならば、ニケの杖は、彼女の道を切り開くための剣である。

 

 俺は急いで、土煙のなか鮮烈に輝く、その光を目指して走った。

 命のやり取りをする戦士たちの横をくぐり抜けて、辿り着いたその場所には──信じられないとばかりに目を見開く、少女の姿があった。

 

 

『──嘘、どうして貴方が、冥闘士(スペクター)に、』

 

 

 声を震わせる彼女のすぐ目の前には、一人の冥闘士がいた。

 少女と同じように驚愕に表情を染める、黒い鎧に翼を携えた少年。

 

 

『…………まさかお前……、サーシャ、なのか? なんで、生きて……いや、おかしい。そもそも俺は、女神を殺すよう命じられてここに……どうして女神のいるはずの場所に、サーシャがいるんだ』

 

 

 見覚えのある顔だった。

 

 

「──悪夢に出てきた、ペガサスだ」

 

 

 あの炎と死の匂いが充満していた悪夢で、唯一生き残り、冥王ハーデスが、ペガサスと呼称して、手を差し伸べた少年。

 

 震えて交わるふたつの視線。

 彼らは瞬時に、自身たちが陥ってしまった、致命的な巡り合わせに気づいてしまったのだろう。

 自身がかつて守れなかった友達が、敵として蘇るという、残酷で救いようのない最悪な事実に。

 

 

『なぜ躊躇う、ペガサス』

 

 

「──、」

 

 

 凍りつくような冷たい声。

 カシャリカシャリとグリーブの音を響かせて、ペガサスの後ろから現れたのは、知らない貌をした、知っている神だった。

 

 黒い長髪に血の気のない白い肌。

 随所に翼を模したような繊細な装飾の施された鎧に、闇を溶かし込んだような鋭い三対の翼。

 その手に握られた、底冷えするような闇を凝縮した、命を刈りとる漆黒の剣。

 

 悍ましい死の気配を漂わせながら、ペガサスの隣で立ち止まった黒い神。その顔を見て、女神の少女はいよいよ認識の許容を越えたのか、死人のようにその相貌を白くして、絞り出すように問うた。

 

『……兄さん?』

 

『否、余はそなたの宿敵、冥府の王ハーデスである。

 お前の兄であるアローンは、あの炎の日、賊に刺されて命を落とした。そして、お前が救えなかったペガサスは、余の手をとり、冥闘士となったのだ』

 

『──そ、んな』

 

『理解したか。では、殺し合うとしよう』

 

 

 

 ──場面が、暗転する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『うぅ、ああ、あああああ……!! 全部、全部、私のせいだ。村が襲われたあの日、私が……私がもっと早く女神として覚醒していれば! 兄さんを守って、あの男の子の支えになっていれば、こんなことにはならなかったのに!』

 

 

 女の子が泣いている。

 あの日とはちがって、身長は伸びて大人びてきた成長した姿だけど。

 アテナ神殿に備え付けられた部屋なのだろうか。

 整えられた薄暗い小部屋で、彼女はひとり肩を震わせて嗚咽を漏らす。

 

「……アテナ」

 

 彼女の絹のような肌には複数の裂傷痕が刻まれている。

 恐らくあの後、ハーデスとペガサスと戦い、生還できたのだろうが……心には、神の血でも癒やせない大きな傷を負ったのは明白だった。

 

『ごめんなさい、私がなさけないから、救えなかった。兄さん、ペガサス……。ごめんなさい、ごめんなさい……』

 

「っ違う。君は何も悪くない……悪いのは、巡り合わせだ」

 

 アテナが大切な人と敵対するのは、これが初めてのことではない。

 そうだ、243年前の聖戦を描いた星矢の外伝作品でも、似た様な展開があった。

 

 その物語の中ではペガサスは聖域側で、アテナの実の兄は、ハーデスの依代として冥界側についていた。 

 確か劇中でハーデスが『アテナはハーデスの復活を阻止するために、冥王の依代の妹に転生したのだろう』と指摘していたが……もしもこの世界でも同じ理由で、アテナがハーデスの依代の妹として生まれたのなら、転生する前の女神アテナの意思が、人として誕生したアテナを苦しめる結果に収束したことになる。

 

 この少女も、自ら冥王の依代の妹に転生した自覚があるのなら、まだ納得ができただろうに、少女としての自我を確立した少女からしてみれば、誕生前の()()()自分がやったことなんて、不意打ち意外の何ものでもないだろう。

 

 しかも、友人だったペガサスまでもが、敵にまわった。

 

 絶望のすえに、ハーデスの手を取った、名も知らぬペガサスの少年。

 まるで俺がアトランティスに来た際に見た悪夢の内容をなぞるような展開が続いている。

 ……いや、燃える村に、冥界側についたペガサス。顔立ちも同じとなれば、もはや偶然の一致では片付けられない。

 

 あの白い羽の人が俺に見せた悪夢も、このアテナの記憶の世界での出来事も、同じ時代、同じ人物達によるものだとすれば、話が綺麗に繋がるのだ。

 

「……この記憶の世界はきっと、243年前に終戦したっていう、聖戦の記憶なんだろうな」

 

 これで合点がいった。

 前聖戦からの生き残りらしい今の教皇が、アテナちゃんにペガサスの話をしぶった理由。

 それは、普段なら聖域陣営に属するペガサスが、前聖戦では冥界側についたからなのだろう。

 兄と友達と敵対することになった前代のアテナを見てきたから、教皇は今代のアテナちゃんには、ペガサスの話をするのを避けていた。

 

「そりゃ、あれだけアテナちゃんが会いたがってたペガサスと、前聖戦じゃ敵対してたなんて……教皇も言いずらいよな」

 

 運命というやつは、何故こうも残酷なのだろう。 

 前代のアテナもペガサスも、その時々での最適解を選んできたはずなのに、後になってみると、それが敵対という最悪の状況を作り出してしまった。

 そうして、自害しようとしていたペガサスに手を差し伸べたハーデスだけが、得をした。

 

「……ハーデス」

 

 先ほど目撃した過去のハーデスの、身が竦むほどの冷たい表情。

 東京で会った時のタナトスなんて比にならない程の、内臓を押し潰すような圧迫感と、鋭い殺意。

 人に対する憎悪と憤りを隠そうともせず、打ち拉がれているアテナへの容赦も一切しない確固とした立ち姿は、原作に登場したハーデスそのものだった。

 

「……でも、今のハーデスは、人である俺やアヴニールを蔑ろにしなかった」

 

 思い返す。

 人嫌いなくせに、人を守ろうとする、あの黒い神のことを。

 鬱陶しそうではあるが、律儀に真面目に接してくれた。俺がタナトスの殺気にあてられたときは、庇ってくれた。

 不器用だけど、一生懸命なあいつのことを。

 

「──なあ、あんたはどうして、変わったんだ」

 

 人に残酷だった、かつてのハーデス。

 心変わりをした、今のハーデス。

 

 知りたいと思った。

 ハーデスに聞いても『わからない』としか返ってこなかった問いの、答えが。

 

 直感だが、きっと、全ての謎を解き明かす鍵は、この243年前の聖戦にあるのだと思う。

 納得のいく答えである保証はない。

 失望してしまうかもしれない、幻滅して嫌いになるかもしれない。

 だけど、このままアイツのことを何も理解できないまま、この命を終えることだけはしたくなかった。

 

 

『──諦めない』

 

 

 そのとき、泣き崩れていた女神の少女が、立ち上がった。

 彼女はぐい、と目元の涙を乱暴に拭うと、

 

『兄さん、身体は冥王から取り戻すから。……ペガサス、大好きだった男の子。今度こそ、貴方を助けてみせる。例え、貴方とぶつかり合うことになったとしても、貴方のことを大切に思う気持ちは、変わらないもの』 

 

 毅然と虚空に放たれた決意の言葉。

 薄暗い部屋の中で、しかし、少女の瞳は死なず、強い光を灯している。

 

「……はは、そうだよな。あのアテナが、やられっぱなしで終るわけないよな!」

 

 原作のアテナである沙織さんも、現代のアテナちゃんも、過去の君も、皆違うアテナなのに、根っこの部分は同じだ。

 どんな逆境に立たされても、怯むことなく立ち上がる。

 まるで立ち止まったら死んでしまうとでも言うように、前へ前へと進んでいくんだ。

 

 ──ドクリ、ドクリ、と目の前のアテナの意思に共鳴するように、心臓に宿ってた黄金の炎が、眩い熱を放出し始める。

 

 女神の魂の欠片が、代償を刻めと告げているのだ。

 俺は導かれるように、燃え盛る炎を手にとって、少女の前に掲げた。

 

「代償を刻もう」

 

 告げる。

 瞬間、アテナの魂の煌めきが、薄暗かった部屋を明るく照らし出した。

 

『私は、人類の護身者としての誇りを懸けましょう』

 

 高らかな声が響く。祭儀場でアテナちゃんが口にした言葉が、温かい風となって吹き込んで、炎を巻き上げた。

 美しい炎は大きく膨らむと、目の前の少女を優しく包みこんで、彼女の魂に代償を刻みだす。

 

「……」

 

 目を閉じて、少女の境遇に、思い巡らせ、考える。

 痛みも嘆きも悲しみも、避けるべきものだ。この世から、無くなってしまえと思う。

 だけど人は生きている限り、苦しみから逃れることはできない。

 苦行林、ぐるぐる回る苦しみの円環のなかで、それでも『もう少し頑張ってみようか』と思えたのは、何度も立ち上がる君たちの雄姿に励まされたから。

 今度は、俺が、背中を押す番なのかもしれない。

 

 ──やがて、温かい力の奔流に揺られているうちに時は流れて、炎はその役目を終える。少女を包んでいた炎は、ポセイドンの時同様、淡いリボンとなって、俺の心臓へと納まった。

 

「よし」

 

 これで二つ目の代償も刻み終えた。

 ……あと一つ。

 代償を刻み終えた世界が、がらがらと音を立てて崩壊を開始する。

 

『アテナ! こちらにおられたのですね』

 

 すると崩壊の最中、薄暗い小部屋の扉が開いて、何者かが姿を現した。

 

『おー、お前はまた泣いてるのか』

『こら、アテナになんて口を聞くのだお前は!』

『イテッ!』

 

 黄金の鎧を着た二人の聖闘士だ。

 一人目は、原作の水瓶座と似た容姿に緑の長髪の、真面目そうな男。

 二人目、粗野な口調の男の方は、少し前の記憶で少女と一緒に南米神の神官と戦った、蠍座の黄金聖闘士だ。

 少女を心配して来たのだろう。水瓶座と思わしき男は少女の目元のはれを見てあたふたと慌てだして、蠍座は慣れぬ手つきでぐしゃぐしゃと少女の頭を撫でて、『女神を撫でるとは何事か!』とまた水瓶座に怒られている。

 

『……ふふっ』

 

 不器用ながらも励まそうとしてくれる二人の姿に、少女は耐えきれぬとばかりに笑みを零した。

 憑き物が落ちたような微笑に、言い争いを始めようとしていた二人はぴたりと止まって、安心したように息を吐く。

 

 彼女は、ひとりぼっちではない。

 重荷を一緒に背負ってくれる、仲間がいる。

 

 これなら、心配はいらないだろう。

 

 彼らの間に神と人という隔たりはない。

 辛いことだらけの道のりだけど、彼らは互いに支え合い、人類を脅かす者達と戦って、命を散らして消えていく。

 

「さよなら、昔のアテナ」

 

 なんだか、彼らの関係が眩しく見えた。

 

「過去の君が挫けずに戦ってくれたから、人の未来は現代まで繋がった。人の破滅が予言されたりして、まだまだ困難は絶えないけど、今まで戦争を続けてた3神が和解するなんていう夢みたいな出来事も起きてるんだ」

 

 和解には代償を伴う儀式が敢行されていて、異世界人の俺が、その代償を刻む役目を担うことになって……。この世界におけるいくつもの奇跡を思い返しながら、俺はかつてのアテナへと感謝と賛辞を送った。

 

 そうして別れを終えようとして、

 

(代償、か)

 

 ふと、何かが引っかかった。

 

 神々が和解のために差し出した、質。

 ポセイドンは海と大地に立つ権利を。アテナちゃんは人類の護身者としての誇りを。……そしてハーデスは、自らの命を代償とした。

 儀式が始まってすぐの時は、身体の自由が効かなくなり混乱してしまって、深くは考える余裕がなかったが……よくよく思考を巡らせてみると、ひとつ、おかしな発言がなかったか。

 

『代償を伴わない誓いに意味は無い』とハーデスは言っていたが……はたしてそうだろうか? 

 

 主観だが、神は人間よりも『誓いや約束』を重視し、守ろうとする存在であるはずだ。

 なぜなら、人間ならば簡単に破ってしまえる約束でも、神という立場ある存在が約束を破ってしまえば、神への信仰や誇りが地に落ちてしまうから。

 

 だから、代償なんてなくても、神々は誓いを結べたはず……それを『()()()()()()()()()()()()()()()()()()』のはなぜなのか。

 

「…………、」

 

 浮かんだ疑問に、あれこれと可能生を上げてはみるが、それらしい答えはでない。

 だが、自身のなかの直感が、この疑問には意味があり、また、碌でもない答えが用意されているのではないかという、最悪の可能生を示唆してくる。

 

「……杞憂であってくれ」

 

 崩れゆく景色の中で、俺はひたすらに、自分の疑問が的外れで無意味であることを祈った。

 

 

 

 代償を刻む旅路の、終点へ。

 心臓に宿った闇色の炎に導かれて、俺の意識は、かつての冥王ハーデスの記憶の世界へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









閲覧ありがとうございます。
お気に入り登録がふえていて驚きました。ご感想や評価など、たいへん励みになりました。感謝感謝です。

今話の蠍座や南米神のくだりは聖闘士星矢ロストキャンバス外伝2巻を参考にさせていただきました。
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