春雷の訪れ。
女神アテナの顕現により、凍てついた秋の森は、温かい、秋本来の穏やかさを取り戻していた。
「良いですか、見た目で神を判断してはなりません。確かに一時的に小っちゃくはなりましたが、本来の私はちゃんと凜々しくて立派な戦女神なのですよ!」
「……、」
もしかして君、サ〇リオのキャラだったりしない? と思わず頭を捻ってしまうちびっ子が「何ですかその微笑ましいものを見る目は! 流石の私も怒っちゃいますよー!」なんて言いながらぷんすか両足をぽかぽか叩いてくるものだから、俺は全身の力が抜けて地面にへたり込んでしまった。
「は、はは……いや、ちゃんと神様だって信じるよ。現に、俺は貴女に助けて貰ったわけだし」
「むっ、嘘は言っていないようですね……いいでしょう。貴方には恩もありますし、見逃して差し上げます」
なんだこの可愛い生物は。
星矢の原作に登場する凜々しい姿を想像していたせいで、ギャップが激しい。
とりあえず命名『アテナちゃん』だなと心の中で付け加えていると、俺は正座して、アテナちゃんに真っ直ぐ向き合うことにした。
「恩、恩か……どちらかというと、助けて貰ったのはこっちなんだけどな。えっとアテナさん、俺、
誠心誠意、頭を下げて感謝の言葉を口にする。するとアテナちゃんはにっこり微笑んで言葉を放った。
「零さんですね、良い響きに、可能性が込められた、素敵なお名前です。いえいえ、私も共に逃げていたハーデスが捕まってしまうのではないかと肝を冷やしていましたから……お互い様ではありますが、お礼を述べさせてください」
「ん? 女神アテナが、ハーデスと一緒に逃げていた……? それって、」
彼女の口から出た言葉に疑問を抱き、問い掛けようとする。しかし、ふらりと目の前の女の子が転倒しかけるのが視界に入り、咄嗟に受けとめる。
小さな体は、体重という概念を疑いたくなるほど、軽かった。
驚いて見やると、先程まで元気にしていたはずの顔色が酷く悪い。俺は慌てて問い掛けた。
「大丈夫か? もしかして、かなり無理させたんじゃ……」
「ありがとう、ございます……いえ、貴方のせいではありません。色々、あって……今の私は肉体ではなく、このアイギスを魂の依代としている状態なのです」
アテナちゃんは地面に突き刺さった黄金の円盤に手を伸ばしながら言った。
「な、なんだそりゃ? 魂の依代って……ギリシャの女神が、日本の
「ふふ、実際、今の私は、アイギスに宿る付喪神もどきなのかもしれません。……ああ、申しわけ、ありません。零さん……私はすこし、眠ります」
「ちょ、まっ、アテナちゃん!? 俺はどうすればっ……ハーデスも酷い傷だし、」
「…………だいじょうぶ……ハーデスの身は依代ではなく、彼自身の、神の肉体なのです……。
カクリ、と俺の腕の中で、アテナちゃんは完全に意識をシャットダウンしてしまった。
眠る、というよりも気絶に近い気の失い方だ。
恐らく俺やハーデスの元に駆けつけるために、なけなしの体力を使わせてしまったのだろう。
今はゆっくり休ませてあげよう。そう結論を出して、俺は大きく息を吐き出した。
「……ひとまず、ハーデスの心配はしなくても平気ってことだよな。どうするかな。問題だらけだ。派手にやったから、今すぐここを離れないと、また冥闘士やら雑兵やらとエンカウントするかもしれないし」
腕の中では気を失った小さな女神が。目の前には、血塗れで意識の戻らない冥王ハーデスの姿があった。
思わず、頭を抱える。
物事が進んだようで、まるで意味の分からない現状はなにも変わってはいなかった。
……とりあえず、腹をくくろう。今の今まで起きた人智を越えた現象は、もう夢でも幻覚でもなく、現実として受け入れるしかない。
問題は、この神様達をどうやって安全な場所へ連れて行くかなのだが……、
ざくり、ざくり、と背後から地面を踏みしめる音が響く。
「……さっそく、来たな」
「──冥王の小宇宙を宿す者よ。やはり貴様は、ハーデスの配下だったようだな」
堂々とした歩調で登場したのは、今から一刻ほど前に『スターダスト・レボリューション』を盛大に放ってきた、
褐色の相貌は、険しく歪められていた。肌を刺す恐ろしいプレッシャーや、隠すことのない明確な敵意は、純粋に怖かった。
だが、俺の背中に不意打ちをしてこなかっただけ、真面目な奴だと安心してしまう。
基準がおかしいのは
俺は抱えていたアテナちゃんをハーデスの隣に座らせて、地面に刺さっていたアイギスを手に取り牡羊座の男に向き合う。
牡羊座はそんな俺とアイギスを目にして、驚愕に表情を染めた。
「なっ……それは、女神の盾アイギスッ!? 女神の小宇宙を感じ、急ぎ参上してみれば……なぜ冥界の戦士が、その神器を所持しているのだ?」
「俺は、九十九零。
「なに?」
「いや、なにじゃなくて。ほらこのハーデスの隣で寝てる可愛い子、この子がアテナなんだろ」
「……貴様、本気で、言っているのか」
「え?」
間の抜けた俺の疑問符に、牡羊座は先程までの怒りは鎮めて、どこか困惑を織り交ぜた表情で言葉を放った。
「
「…………は、」
意味が、わからなかった。
俺に人の嘘を見抜く能力はないが、目の前の男が演技をしているようにはどうしても見えない。まさかアテナちゃんが消滅してしまったのかと思い慌てて後ろを振り返ったが、少女は消滅することなく静かに眠っている。
「驚かせるなよ、ちゃんといるじゃないか! ほらここ、ハーデスの横! アテナちゃん!! あんた目え悪いのか!? 近視なの!? どう見たって妖精か天使みたいなマスコットキャラ化した女神様がいるだろ!?」
「あ゛っ、アテナちゃん!? なんて不敬な……!? いや、そうではなく……私は近視ではないしアテナ様は妖精でも天使でもなく女神だ馬鹿者!」
「今大事なのはそこじゃないんですー!?」
駄目だ。
この牡羊座、真面目なんじゃなくてこの時代では割と希少価値を生み出しつつあるただのド天然タイプだ。
アテナちゃんを見たら聖闘士は味方に引き込めるかもとか、詳しい事情を聞けるかもとか期待してた俺が馬鹿だった。
「ええい! なんなのだ貴様は! 邪悪を祓うアイギスを手にしても平然としているから、少なくとも女神様から盾を渡されたという話は信用してやってもいいが……ならば何故ハーデスの小宇宙をもっている! 貴様は女神と冥王どちらの味方なのだ……!?」
「だーかーらー! 偶然巻き込まれただけなんだって! なんでハデ公の小宇宙を持ってるのかなんて俺が一番知りたいわ! てか俺以外の逃げ遅れた民間人は聖闘士が救助してたのに俺だけ塩対応通り越して殺意の波動をぶちこまれてたのはハーデスの小宇宙のせいだったんだな今気づいたわバーカ!!」
因みに
原子を砕く特性があるので、小宇宙を使えば、力を加えなくても握った石を砂に変えることができる。他にも人間が光の速度で動けたり、ビーム出せたり空飛んだりできるのは全部小宇宙のおかげ。
原作ではサイコキネシスとかテレポーテーションなどの超能力や、スピンオフの神が扱う
「こんな言い合ってる場合じゃないってのに……!」
このままでは埒が明かない。
ゴホン、と咳払いを零して、俺は理性的な会話を試みることにした。
「なあ! あんたが牡羊座なのは分かったけど、原作のムウでもシオンでも貴鬼でもないよな。あんたはいったい何者なんだ」
「ムウ、シオン、キキ……? 私はアヴニールだ」
「そう、
「ま、待て……お前は、何を言っているのだ? アテナ様が、冥王ハーデスとともに逃走していただと……?」
「そうだよ。まあ、俺みたいなぽっと出の言葉は信じられないかもだけど、この
「…………」
俺の状況説明と弁解に、アヴニールは少しの間だけ沈黙した。だがすぐにギリ、と歯ぎしりをすると、俺の言葉を否定するように声を荒げた。
「よくもそのような虚実をつらつらと……! 3神による"和解の儀"へ赴いたアテナ様は、
「……なっ、呪い、裏切り!? なんだそりゃ、それだと話が合わない! ハーデスが裏切ったって証拠もあるまいし──、」
「あるから言っている。お前の身に宿る小宇宙と、聖域で眠るアテナ様の肉体を蝕む呪い──そして、お前の後ろで眠るハーデスから感じる小宇宙は、全て同質だ。それこそが冥王がアテナ様と海皇を裏切った、何よりの証拠になるだろう!」
「っ──うわぁ!?」
突如、牡羊座のアヴニールを起点として、爆風が発生する。
俺は咄嗟に、自身と背後の2神を守る為にアイギスを前方へ突き出した。
使い方なんてものは分からないが効果はあったらしい。アイギスは星のようにきらきらと眩く輝くと、俺と2神を包み混む光のドームを作り出してくれた。ドームの外では、爆風により木々は根元から折れ、小枝や落ち葉は狂ったように空を舞っていた。
牡羊座のアヴニールの怒りが、彼の小宇宙を高め、闘気となって猛風を巻き起こしたのだろう。俺には小宇宙そのものを見ることはできないが、こうして物理現象が起きれば嫌でもわかる。
「っなぜアイギスの光がハーデスを守る……そこを退くのだ、九十九零!」
「断る!」
「おのれっ! アテナ様の呪いを解くには、呪いを掛けたハーデスを殺す必要があるのだ。……確かに、お前の言葉に悪意は感じられんが、お前の認識が正しいとも限らない。なぜハーデスが死にかけているのかは不明だが、この気を逃すことは
「っそっちの言い分は理解した! でも駄目だ! あんたも違和感を感じてるなら冷静になれよ! 少なくともアテナちゃんはハーデスのことを恨む素振りなんて微塵もみせなかった!! だったら俺は、話の辻褄が合わないのは誰かが嘘をついているとか、誰かがハーデスに冤罪を被せたとか、そっちの線を疑うね!」
「しかしっ……!!」
アヴニールの瞳に、僅かではあるが迷いの色が映った。
確かに、この男の感情も、その主張も理解はできる。
『3神の和解の儀』なんて夢物語のような単語に、『冥王がアテナ様と海皇を裏切った』という言葉。ここから、聖闘士星矢に登場した3神、冥王ハーデス、女神アテナ、そしてこの場にはいないが海皇ポセイドンによる、戦争を止める誓約の儀式のようなものが開かれたのだろうことが分かる。
星矢の原作は、この3神による戦いを描いた物語とも言い換えられる。
女神は人間を守り、冥王と海皇は地上の人間を粛正するため、神話の時代から聖戦を繰り返してきた。そしてアヴニールの言葉を当てはめると、その聖戦を止める取り決めに向った女神アテナの肉体が、呪われ、魂の抜けた状態で送られてくるなんてとんでもない事態に発展。しかも犯人と思わしき冥王ハーデスの小宇宙まで残存していたとなれば、ハーデスが裏切ったと結論を出し、怒るのも、仕方のないことだと思う。
だが俺の場合は立場が違う。
意識のないハーデスを連れて行こうとする雑兵に、ハーデスの味方かもしれないという理由で殺されかけた。アテナちゃんに助けて貰って、彼女がハーデスと逃げていたことを教えて貰った。
だから、俺は、彼女の恩義に報いるためにも、アヴニールの主張を撥ね除けて、今この場でハーデスを守る最低限の義務がある。
どうして俺にはアテナちゃんが見えて、アヴニールには見えないのか。
どうして俺にはハーデスの小宇宙が宿っているのか。
疑問は残る、だが。
(とにかく今は、この男を丸め込む。小宇宙を放出して暴風を作るだけで、本気の奥義を放ってこないってことは、アヴニール自身も
そう、必死に、考えを巡らせている最中の出来事だった。
──突如として、悍ましい闇の群れが、上空から到来した。
声を上げる間もなかった。
まるで黒いペンキで満たされたバケツを空からぶちまけたように、底冷えする暗闇は俺たちを取り囲むように周囲の木々を一息に呑み込んだ。
「っぁ……。……なんだ、これ……?」
全身の血が抜かれていくような、取り返しのつかない感覚。
見れば、闇が俺達の退路を断つように辺り一帯を浸食していた。
大地も、空も。なにもない。黒とも、漆黒ともいえない。形容しがたい暗闇の群れに、俺は呆然と視線を彷徨わせて──……ナニカと、目が合った。
「──あ、あぁ」
恐怖に言葉を失い、アイギスを持ったままどさりと地面に膝をつく。
「零!? くっ、この悍ましい気配、まさか冥界神の小宇宙なのか!?」
アヴニールの焦った声が虚空に響く。
地獄をひっくり返したような、死の匂いが辺りに充満する。
何が、起きたのか、理解すらしたくなかった。理解してしまえば、発狂した後に、この恐怖から抜け出すため喉を切り裂いて、自害を試みただろう。
無意識に、生存本能が、思考の回路をひとつひとつ閉ざしていく。
「不味い、このままでは、全員闇に呑み込まれる!」
なにやら、牡羊座の男が駆け寄る姿が見えたが、もうそれ以上のことは考えられなくなってた。
鎌首をもたげた闇が、獲物を追い詰めるように、ゆっくりと距離をつめる。
まるで、自分以外は誰もいない砂漠で。歪んだ正義と、悪意で作られた底なし沼に引きずり込まれていくような、無力感。
醜悪な闇に侵された空間で、女神の盾による温かな輝きだけが、俺が俺でいることを思い起こさせる、唯一の命綱になっていた。
(──嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。 死にたくない。死にたくない……
必死に温もりを求めて何かに縋り付こうとしても、指先から力が抜けていく。
天から垂らされた、一本の糸の価値を、頭では理解している。それなのに、足下から迫る圧倒的な死の気配に、理性が、勝手に機能不全を起こして、諦めることが最適解だと結論を出す。
俺の手は、唯一の希望だった女神の盾を、手放そうとした。
「──騒がしい、何事だ」
声が、響いた。
「──ぁ、」
湖のように透き通った、声。
それが、闇の中に遠のきつつあった俺の意識を、がしりと掬い上げた。
「貴様は……ああ、この地へ転移した際、
いつの間にか立ち上がっていたその男は、独り納得したように言葉を紡いだ。
光のない宇宙を思わせる、闇色の髪に、超越的な相貌。全てを見通す緑の眼には、王の名に相応しい堂々たる意思の光が宿っていた。
「……、……あんた、起きたのか。──
「気安いな、人間。243年前の余ならば、貴様の全身を刻んで宇宙にばら撒いてたところだが、目を瞑ろう。今は、この場を退くのが先決だ──
「!」
ふわり、と、意識のないアテナちゃんが宙に浮き上がる。
慌てて持っていたアイギスを差し出すと、彼女はその上にちょこんと収まる形で着地した。彼女はまだ、丸まった猫のように眠っている。
「……そこな聖闘士。貴様は安全な場所へ転移させてやる。感謝するように」
「なっ……待て、冥王! アテナ様の魂はっ……この九十九零の言葉通り、貴方は裏切ってはいなかったのか!?」
「女神の魂は貴様の目の前にある。醜悪な呪いよ。死者か、
「うわっ!」
ハーデスはそれだけ言うと、アテナちゃん搭乗状態のアイギスを持った俺の横っ腹を片手で抱えこんだ。
そして迫り来る悍ましい闇を睨みつけると、空いた右手に赤色のオーラを生み出して、自身の足下に、渦状の
気づけば、アヴニールの足下にも、似た様な穴が生まれている。
「は、ハーデス、なにを……!?」
「転移する」
簡潔に一言。
詳しい説明もなく、ただ答えだけを口にした冥王は、鳴動させていた赤色の小宇宙を一気に解放して、有言を実行した。
悍ましい闇が一斉になだれ込むよりも先に、俺たちは異次元へと姿を消した。
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