それでも俺は、冥王様を助けたい。   作:歌詠

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第5話 空のなか海のそこ

 

 

 

 

「──む、()()()()()()()?」

 

 異空間より現世へ落ちていく人間を眺めていたハーデスは、想定とは違う方角へ落ちていく人間の挙動に、懐疑的な声を漏らした。

 どういうわけか、人里へ向けて投下したはずの異邦人が、近隣に連なる山脈の方へと引き寄せられていくではないか。

 

「……ふむ」

 

 瞳を閉じて、落ちていく人間の周囲に小宇宙を展開するが……特に、あの人間の脅威となるような気配は存在しない。

 余裕があれば山から人里に降ろしてやるくらいはしただろうが、今は他に優先すべきことがある。

 ならば。

 

「……まあ、放っておいても問題ないだろう。簡易ではあるがあの人間の記憶も、余の小宇宙の痕跡も封をした。これ以上、巻き込まれることはないはずだ」

 

 そう言って、ハーデスは自らも異空間の歪みを通って現世へ出た。

 現在位置は、鹿児島県本土の中央部に位置する霧島市、上空。目指すは海皇ポセイドンの小宇宙の残滓を感知した、海岸付近である。

 ハーデスは周囲を満たす灰色の雲海を、小さなアテナを伴って滑空していく。

 

「っ……」

 

 不意を突かれたときにできた腹部の損傷がじくじくとした痛みを主張してくる。

 要らぬ気を回してくれたどこかの誰かのお陰で、既に出血は止まっているが、内部組織の回復が追いついていない。

 神であるハーデスの肉体には、あらゆる傷を瞬時に修復する霊血(イーコール)が流れている。

 だが、その霊血を以てしても、ギリシャから大陸を横断し日本に至るまで襲撃を受け続けたハーデスの傷を癒やすには、かなりの時間を費やすようだった。

 加えて今のハーデスの身体は──、

 

「……はーです、ここはどこです?」

 

「アテナか」

 

 アイギスの上で微睡んでいたアテナが、目を覚ました。

 紫がかった薄桃色の長髪に、二頭身の体躯の少女。一見、ぬいぐるみと見紛うほどの愛らしい姿ではあるのだが、その翡翠の眼には女神の名にふさわしい、深い、慈愛の色が宿ってる。

 空を飛ぶハーデスの左肩付近を浮遊するアテナは、紅葉よりも小さな手で目を擦りながら、きょろきょろと辺りを見渡した。

 そして、探していた人物がいないことを認識するやいなや、ハーデスに向って口を開いた。

 

(れい)さんはどうしたのですか」

 

「事情を説明した後、人里へやった」

 

「……彼の意思は聞いたのですか」

 

 平然と返したハーデスに、アテナは声のトーンを下げて再度問う。

 しかし、ハーデスはアテナの質問が理解出来ないとでもいうように眉を顰めた。

 

「戦士でもない凡庸な人の子を、我らの戦いに巻き込むつもりか? そも、あれは異界の人間だ。異界の存在は異界に干渉してはならん。この世界の秩序が乱れるからな」

 

「なるほど彼は異邦人でしたか。……確かに貴方の意見にも一理あります。ですがハーデス。意識のない私達を助けてくれたのは、他でもない彼なのですよ。だというのに、その様子だとお礼の一言もなく突き放したのではありませんか」

 

「その指摘は認めよう。だが既に、あれは我々のことを覚えていない」

 

「はい?」

 

「余が記憶を封じた。あの人間は、既に死んでいるくせに死にたくない一心で冥闘士が闊歩する都市を逃げ惑い続けたのだ。ならばもう休ませてやるのがせめてもの慈悲だろう」

 

「…………ほんとうに、貴方という神は……」

 

 アテナは、がっくりと項垂れてアイギスにもたれかかった。

 恐らくハーデスは心の底から、自らの選択を正しいと考えているのだろう。しかし、善意で手を差し伸べてくれた相手に対して、一方的に別れを告げるのは余りにも不躾だ。

 例えハーデスから九十九零に対しての"貸し"があったとしても、同様である。

 冷静に考えれば、神が人に対して礼儀を以て接するべきだというアテナの考えの方が異端かもしれないが……。

 言いたいことは山ほどあったが、ハーデスと言い合いをしても仕方がない。小さくため息を吐いたアテナは、

 

「これは、私の独り言です」

 

 小さな女神は、今、言わなければならない事だけを、口にすることにした。

 

「私は、貴方が終戦の申し出を受け入れてくれたことを、心の底から嬉しく思っています」

 

「…………」

 

「愛の反対は、憎悪ではなく無関心と言うらしいですが、貴方は人に無関心な神々とは違い、率先して人間を滅ぼそうとしてきました。人として転生した今代の私には、過去の聖戦の記憶はありませんが、稀に、人を憎み殺そうとする過去のハーデスの姿が、この瞳の裏に蘇る時があるのです」

 

 憂いと期待の入り交じった複雑な感情が、彼女の大きな眼を彩っていた。

 

「そんな人嫌いの貴方が、今では人を救う側に立とうとしている。人類粛清を望んでいたポセイドンの説得にも協力してくれましたね。243年前の聖戦を生き延びた教皇は「夢か幻か。さもなければ我々を謀るつもりではないか」と胃を痛めながら最後まで判断に迷っていました」

 

「……勘違いするな。余は人を救いはしない。聖戦を止めるだけだ。愚かな人類を救うも滅ぼすもそなたの好きにすれば良いと、既に宣告しただろう」

 

「ふふ、そうでしたね。()()()()()()()()()()()()()

 

 はっきりとした確信を込めて告げる。

 

「どうして貴方がそうなったのかは私はわかりません。ですが、貴方と私。そのどちらかの滅びではなく、和解による聖戦の終戦を選び取ることができたこの夢物語のような現実が、私は、嬉しくて仕方がないのです」

 

 小さな女神は心の底からの喜びを唇にのせて、想いを紡ぐ。

 それはまるで、肩を並べ立つ同胞へと向けられた信頼の言葉のようで。

 

「そんな、変わりつつある貴方だからこそ言うのです。どうか、人との間に生まれた(えにし)を大切にしてください。捨てるのは簡単です。新しい出会いも、望めば叶うでしょう。ですが、あの寒空の下で出会った()との出会いは、一度きり。二度目はないのです」

 

「何を言うかと思えば……無意味だ。あれは、この戦いが終れば異界の輪廻へ還す」

 

「それでも、貴方の記憶には、彼との思い出が残り続けます。ひとつふたつと、積み重ねつづけた思い出は、いつかの貴方を支える力になる。けっして、無意味などではないのですよ」

 

「…………」

 

 微笑むアテナに、ハーデスは重い沈黙で応じる。

 

 かつては、血で血を洗う関係だった。

 互いに異なる正義を掲げていた彼らは、当然のように衝突をし、相容れることもなく、神話の時代から殺し合い続けてきた。

 和解など、海が燃え、太陽が枯れようとも有り得ない。どちらかがどちらかを滅ぼすまで聖戦は永遠に続くのだと誰もが信じていた。

 それが、今では。

 

「……そなたはいつも、目には見えないものを信じようとする」

 

 ハーデスは、最低限の抑揚だけを備えた、いかなる感情も窺わせない声で呟く。

 

「余には、理解できん。するつもりもない。そんな言葉、余がしたことを知れば、(たちま)ち露と消えるだろうに」

 

「? ハーデス、何か言いましたか」

 

「なにも。ただ再確認しただけだ。そなたと余が相入れる未来など、例え宇宙が無に帰しても有り得ないのだということを」

 

「ハーデス──」

 

 

 

 

 

「見つけたぞ、裏切り者め」

 

 

 声が、降り注いだ。

 

 

「──ッ! その声は!!」

 

 ハッとしたようにハーデスが叫ぶ。

 直後、雲海を飛ぶ2柱の上より、天蓋を白く埋め尽くすほどの極大の稲妻が迸った。

 叢雲を貫いて霧散させた雷撃は、空間ごと纏めて引き裂くように直進し、そのまま空を飛んでいたハーデスとアテナを丸ごと呑み込んで下方の()に叩き落とした。

 

 回避する間も与えない、一瞬の出来事だった。

 

 自然現象では説明のつかない威力の雷に、海面はジュワッ!!! とオレンジ色に赤熱し蒸発。

 落雷の直線上にある着弾点を中心に、円形状の衝撃波が発生し、静かだった海は天地を揺るがすほどの大音響を轟かせる地獄と化した。

 

「フン、他愛もない」

 

 灼熱の衝撃波をものともせず、天蓋から、一柱の神が現れる。

 

 その男の全身は、金色の鎧でくまなく覆われていた。

 三叉鉾(さんさそう)の意匠が施された鎧兜からは、静謐な深海を彷彿とさせる蒼の長髪が流れ、一対の眼は、空を映す海面のようにその時々で異なる色彩に揺れていた。

 そして特筆すべきは右手の神器、三叉の鉾。

 圧倒的な破壊の力が凝縮されたその鉾からは、天より降り注ぐ微かな陽光を撥ね除けるほどの、怪しげな金色のオーラが放たれていた。

 

 神は、狂ったように波打つ海を睥睨しながら、極低温の声を響かせる。

 

「この程度の落雷で墜ちるとは、オリンポスの神々が落ちぶれたものよ……むっ?」

 

 そのとき、怪物がのたうち回るように荒れていた海面より、一筋の閃光が天を目指して迸った。

 まるで地から天に放たれる流星のように、ひときわ眩い輝きを放った光は、帯となり、海水に満たされた海を無理やり押し広げていく。

 

 海底が、開く。

 そこには、神器アイギスを掲げる小さなアテナの姿があった。

 

 大きな翡翠の瞳が、キッと細められる。

 アテナは自らとハーデスが無事であることを確認するや否や、アイギスに注いでいた小宇宙を今度は周囲へ向かって展開していく。

 彼女の小宇宙は、陽の光が海面を染め上げるように拡がっていくと、衝撃波や爆発により生み出された津波をまたたく間に包み込んで、ゆっくりと、しかし確実に沈静化させていった。

 

「──これで、近くの人里に被害は及ばないでしょう。ハーデス、後は託しました」

 

 アテナはそれだけ言うと、すう、と音もなく透明になり、アイギスに溶けるように姿を消してしまった。

 ハーデスは小さく頷くと、アテナの魂を納めたアイギスを虚空にしまい海底から海面まで一息に跳躍する。

 視線は上に。

 自らの損傷など気にもとめず、真っ直ぐとした立ち姿で、敵対者と対峙する。

 

「フッ、己よりも人の命を優先するとはな。まこと、哀れな女神だ」

 

「その点に関しては同意しよう」

 

「ハハハハハ!! ……その愚かな小娘と手を組んだ冥王が、何をいう」

 

 嘲笑の裏に、隠すことのない憎悪を滲ませた声で、神は嘯く。

 空に立つ神、見上げるハーデス。

 もしもこの場に普通の人間が居合わせていたのなら、この空間を支配する"圧"に理性を押し潰され、絶命を余儀なくされていただろう。

 一息で命を創造し、ただ望めば災害を引き起こし、一睨みで生物の寿命を断つ。

 畏怖と信仰をもち、敬虔に崇めなければならぬモノ。本来神は、そういう存在なのだ。

 ──その神が2柱、互いを捩じ伏せ圧殺せんとばかりに敵意をぶつけ合っているのだ。もはや戦士であっても手が出すことは叶わないだろう。

 

「これはいったい、どういう了見だ」

 

 普段よりも増してその美麗な相貌を険しくさせたハーデスが、冷たく言い放った。

 

「──()()()()()()()! お前はアテナと同様、肉体を呪いに侵されていたはずだろう。それがどうして、余が切り離したはずの依代の身体に戻っているのだ」

 

「フッフフ、珍しく声を荒げたかと思いきや、そんなことか。見ての通りだ。私自ら、お前の呪いを克服したに他ならない」

 

「……馬鹿な。余の見立て通りならお前たちの肉体に施された呪いは、元凶を断つまではけっして解呪のできん古来の禁術。いくら海皇とて、そんな簡単に……」

 

「フン、お前の目に見える現実こそが、この世全ての真実よ」

 

 ポセイドンは鼻を鳴らすと、黄金の三叉の鉾を天蓋へ向けて高く掲げた。

 

「今度はなにをするつもりだ」

 

 眉を顰めるハーデスに向って、ポセイドンは咆吼する。

 

「何が和解だ。何が聖戦の終結だ。冥王ハーデス! 冥界の主としての使命を忘れた愚か者よ。お前は私を裏切った。なればこそ、お前のその過ち、歪んだ性根、全て纏めてこのポセイドンが断罪してくれるわッ!!」

 

 その瞬間、

 

 ゴッ!! とポセイドンの鉾から凄まじい勢いで、猛風が巻き上がった。

 猛風は一瞬にして山ほどの規模に膨らむと、海と空を繋ぐ、堅牢な隔壁へと成長を遂げた。

 さながらそれは、内と外を完全に遮断する、巨大な竜巻の要塞だった。

 

 ──暴風と吸い上げた海水が、ハーデスの逃げ道を完全に塞ぐ。

 

 曇天はより強固に分厚く。

 陽光は途絶え、天空は漆黒に染まる。  

 ハーデスは眼前で起きた全ての現象に小さく瞳を震わせると、苦々しげに言った。

 

「おのれ……かつての巨人(テュポン)を思い起こさせる忌々しい暴風だ。しかもこの発達速度。よもや貴様は、余を閉じ込めるだけには飽き足らず、近隣の人間共を喰らい尽くす台風を創るつもりなのか……!?」

 

「それがどうした。まさか、人が心配なのか? 冥王ハーデスよ」

 

「……、……違う。余は、これより中断された儀式を再開し、3神の間に和解の誓いを立てる身なのだ。だというのに、アテナが護ろうとした人間どもを見殺しにすれば、神の矜持が地に潰えよう」

 

「下らん矜持だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

「っ!」

 

 

 ッッドン!!!!! と、竜巻により隔壁された空間を埋め尽くすように、海皇ポセイドンの小宇宙が炸裂した。

 鉾から発せられる幾千の雷撃が、一斉に、ハーデスを焼き焦がさんと殺到する。

 

 

「海皇よ、なぜお前が──、」

 

 

 言葉は、青白い稲妻の中に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 






閲覧して下さってありがとうございました。

暫く書いてなかったので自信もなくて_(:3 」∠)_こんな状態だったんですけど読んでくださる方がいることに喜んでいます。
ぼちぼち面白い話になるように頑張って続けたいです_(´ཫ`* _)⌒)_


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