それでも俺は、冥王様を助けたい。   作:歌詠

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第6話 金色の天逆鉾

 

 

 

 

 

 俺は高千穂峰(たかちほのみね)から、鹿児島湾で発生した巨大な竜巻を目撃していた。

 

 ──ハーデス、まさかあそこにいるのか。

 

 奇妙な焦燥感が全身を支配する。

 ハーデスとは異次元空間で別れた。今、あの神とアテナちゃんがどこにいるのか俺は知らない。知る術もない。なのに、なぜだか自身の発言こそが真実なのだという確信が俺の中に生まれつつあった。

 

「むう、不味いな。あの竜巻が上陸したら手遅れだ。兄ちゃん、状況が変わった。なるだけ急いで下山するぞ」

 

 となりにいたおじさんが、焦りの滲んだ声でそう告げる。

 確かに、目視できる距離に竜巻が発生してしまった以上、この山頂に近い坂道に留まるのは滑落の危険があるため、俺たちは暴風をやり過ごせる場所に避難する必要がある。

 幸い、下山道方面の霧は薄らいでいた。後はこの山を下りるだけ。

 

(──けど、なんだろう。()()()()()()()()()

 

 喉にささった小骨のような違和感が、下山道とは反対側。霧に覆われた山頂方面から、まるで俺の後ろ髪をひいてくるようだった。

 

「……あの、おじさん、ちょっと聞きたいんですけど」

 

 のんびりと歓談に興じていい状況でもないのに、気づけば疑問が口から漏れていた。

 

「さっき言ってましたよね。山頂に刺さってる天の逆鉾(あまのさかほこ)が、青銅から金色に塗り替えられてたって。それって霧のせいで見間違えたとかではなくて、本当に黄金だったんですか」

 

「ああ。この霧の中でも三叉(みつまた)に別れた穂先はバッチリ目視できたからな。ありゃあ見間違いなんかじゃねえよ」

 

「……え? 天の逆鉾って、穂先一本の普通の鉾じゃなくて、三叉の鉾だったんですか!?」

 

「おうそうだが」

 

 まさか、と乾いた呟きが虚空に漏れる。

 ──脳裏を過ぎる、黄金の三叉鉾を掲げて立つ、とある海神の姿。

 もしかしたらという疑問が、徐々に確信へと近づいていく。

 

「──おじさん、ここで別れましょう。俺、山頂に用事ができました」

 

「はあ!?」

 

 驚愕に目を見開くおじさんに申し訳なく思いながらも、頭を下げて早口で説明する。

 

「助けてくれて、本当に有り難うございました。実は、ここで貴方と会う前にも、俺のことを助けてくれた親切な人達がいたんです。だけど、今度はその人達がピンチみたいで。もしかしたらこの高千穂峰の山頂に、その人達の助けになる、何かがあるかもしれないんです」

 

 遠くで唸る巨大な竜巻。

 その中から感じる、徐々に弱々しくなっていくハーデスの気配。

 このままではハーデスもアテナちゃんも、目の前にいるおじさんの命すらも、あの凶悪な暴風の怪物に呑み込まれてしまうかもしれない。

 そんな未来を幻視して、よりいっそう、思いは強くなっていった。

 

「許可できん。素人が、登山道具も無く、この濃霧の中を進めば、まず間違いなく滑落して死ぬ」

 

「忠告を聞けなくてすいません。……お世話になりました。このご恩は死んでも忘れません」

 

 最後まで必死に止めようとしてくれるおじさんに一礼をすると、俺は踵を返して山頂へと続く斜面を仰ぎ見た。

 残念ながら坂道は、下山道とは異なり濃霧に閉ざされていた。

 白くて冷たい、まるで天国へと続いてそうな不気味な空間に、ごくりと喉をならして、慎重に一歩を踏み出した。

 

「ああくそ……兄ちゃん、ひとつだけ約束してくれ!」

 

 坂道を登り始めて、自分以外のものが完全に見えなくなったころ、後ろからくぐもった声が響いた。

 

「礼を言うなら、ちゃんと生きて帰ってこい。いいな? オレも、お前さんが助けようとしている連中も、みんな同じように思ってるはずさ。他ならぬ、お前さんが犠牲になったら意味がねえんだってな!」

 

「っ、」

 

 咄嗟に振り向くが、その声の主の姿は霧にはばまれ確認することはできなかった。

 だが一瞬、仕方がなさそうにニッカリと笑う、日焼けしたおじさんの笑顔が見えた気がした。

 

 

 

 

 

 ───

 

 

 

 踏み出した足が空を切る。

 

「っ! あ、危な……」

 

 咄嗟に掴んだ赤茶げた岩の突起にしがみつく。

 踏み外しかけた足先を、恐る恐る見てみれば6、70度ほどの斜面と、底の見えない濃霧の海が広がっていた。

 ぶるりと肩が震える。

 慎重に進んでいたはずなのに、簡単に滑落しかけた。

 

 ざわざわ、ごうごうと、肌にまとわりつく嫌な汗を、強風が嘲笑うかのようになでていく。

 

「っさむ……」

 

 吹き飛ばされないように姿勢を低くして、風が止むのを待つ。

 じゃりじゃりとした砂埃が口に入り気持ち悪い。

 不快感に眉を顰めながら待つこと十数秒。強く吹いていた風は止んだが、濃霧は依然として晴れることはなく。むしろよりいっそう分厚くなってた。

 

「……進もう」

 

 気づけば震えていた手を握りしめて、自らを鼓舞するように独りつぶやく。

 せっかくおじさんにお茶をもらって温まっていたはずの身も心も、気づけばすっかり冷え切ってしまった。

 そりゃそうだ。霧の中での登山なんて、酔狂か自殺願望持ちのすることだ。登山道具もないこの薄着じゃ、そよ風だって凍えるほどの寒波へ様変わる。

 一歩一歩進むごとに、体力と精神力がごりごり減っていくのがわかる。

 

「案外、遠いな、山のてっぺんって……疲れたし、寒いし、山登りが好きな人って凄いんだな」

 

 気を紛らわせるように喋るが、目的地にいつ着くかわからない焦りと不安で、口数も減っていく。

 どんどん、自分がなにをしているのか、わからなくなってくる。

 

 人間って弱いな。

 

 ただ山を登るだけで、心身共に、こんなに消耗してしまう。

 干上がる喉。凍える指先。少しずつ少しずつ、蝕んでいくように。

 諦めてしまえ。

 ここで立ち止まって、引き返してしまえば、おじさんに追いつけるかもしれない。

 なんで頑張る必要があるんだ? なんのために? 

 くだらない意地を捨てれば、辛いことは終る。自分も助けられないくせに他者の力になろうとするな。

 もう、やめよう。

 そんな、生きようとする本能の囁きが聞こえてくるものだから。

 

 次第に、笑いが込み上げてきた。

 

 

「一回死んだくせに、まだ死ぬのが怖いのかよ、この臆病者」

 

 

 バチン! と頬を両手で叩きつける。

 ヒリヒリと痛い。だけど本来忌避すべき痛みが、今だけは自分のやるべきことを思い出させてくれる良い刺激になった。

 弱い心を振り払うように大きく深呼吸をして、真白の世界を、再び歩き出す。

 

 と、数分ほど慎重に歩き続けて、ぴたりと足を止める。

 

「……? おかしいな。ここ、さっきも通らなかったか」

 

 確かに山頂目指して上り坂を進んでいたはずが、途中何度か下り坂を通ることになって。

 登って、下って、登って、下って……。

 不安になり周囲を見渡すが、自分以外のものは足下ぐらいしか見えない霧の中。目印になる看板も当然見つからず、俺は途方にくれてしまった。

 

 俺は、ちゃんと前に進めているのだろうか。

 まさか進んだ気になっただけで、同じところをぐるぐる回っていただけなんじゃ? いいや、そんなはずは……。

 もしも無意味に時間と体力を消費しただけで、一歩も山頂に近づいていなかったとしたら。

 

「~っああくそ! 大丈夫、大丈夫だ。とにかく登ろう。上にさえ向えば、いつかは山頂にたどりつけるはずだ」

 

 言い聞かせるように叫んで、進行方向にあった上り坂を進もうとして、

 

 

『そっちにいってはいけない』

 

 

「……え?」

 

 

 頭上から、鈴のような声が響いた。

 知らない声。だけど何故か、無性に安心してしまえる、芯の通った少年の声。

 導かれるように見上げると、濃霧の中を、優しく発光する一枚の羽が、ひらひらと舞っていた。

 

 

『こっちだ』

 

「っま、待ってくれ!」

 

 光る羽の主はそれだけ告げると、俺の進行方向とは逆の方へと、悠々と飛んでいった。

 まるで夜空に浮かび、道に迷う人々を導く星みたいに綺麗な光。

 俺は子が親に着いてくように、なんの疑いも持たずに、手を引かれるようにしてその光を追っていった。

 急な下り坂を慎重に降りて、

 緩やかな斜面を駆け上がって行き、

 足場の悪い不揃いな岩に足を取られながら、ひたすら白く光る羽を目指して登り続ける。

 そして体力も限界に達しかけたとき、やがて、霧がぽっかりと晴れた空間に到達した。

 膝に手をついて息を整え、視線を上げる。

 辿り着いたその場所で、最初に視界に入ったのは、黒で綴られた達筆な文字列だった。

 

「なんだこれ、古い漢字か? ……【高千穂峯】。こっちは【高千穂河原霧島東神社】……っ、これって、もしかして山頂の看板か!」

 

 眼前に並び立たれた二つの看板は、山頂を示すために立てられたもののようだった。

 

「うわあ、助かった無事に山頂に来れたんだ! ありがとう白い羽の人! ……あれ、白い羽の人? おーい!」

 

 俺をここまで導いてくれた白い羽を探すが、空にはもう、なにも浮かんでいなかった。

 あの優しい白い光に、きちんとお礼を言いたかったのに。まるで最初からなにもなかった夢の出来事のように、空を飛ぶ白い羽根は消えてしまった。

 

「……案内するだけして、何も言わずに、消えたのか」

 

 少年の声だった。アテナちゃんはもちろん違うし、ハーデスのような神様特有の偉そうで有り難そうな声でもない。

 誰だったのだろうか。

 消えてしまった理由は分からないが、別れも告げずに消えたのは何かと事情があるのかもしれない。 

 しかし少なくとも道に迷っていた俺の、命の恩人であることに変わりはない。次にまた会えるのなら、そのときはきちんとお礼を言おう。

 心に一つ書き留めを残して…………俺はこの場へやって来た本来の目的を遂げるために、看板の向こうにある、砂利と土で作られた小高い山へと意識を向けた。

 

 穂先が天を向く、黄金の三叉の鉾。

『天の逆鉾』

 国造りのために神が使用し、もう二度と振るわれることがないようにと埋められた鉾の、そのレプリカ。

 

「……ああ、これだけ綺麗に光ってれば、おじさんが見間違えじゃないと断言したのも頷けるな」

 

 本来ならば青銅製であるはずの天の逆鉾のレプリカは、なぜか黄金に塗り替えられていた。

 

 ……いや、この鮮烈な光り方は、ペンキや金ぱくで再現できる類いの現象ではないだろう。

 

 鎮座する天の逆鉾は、受けた光を反射するのではなく、太陽など恒星のように、自らぎらぎらとした強烈な光を放っていた。

 どんな原理で物体が直接光を放っているのか。科学者が見たら仰天するであろう不可思議な光景なのは間違いなかった。

 

「やっぱり、この天の逆鉾は……()()()()()()()()()()()

 

 俺は小高い山を囲う立ち入り禁止のロープをまたぎ、黄金の三叉鉾(さんさそう)に近づくと、微かな緊張と確信を込めて言い放った。

 

 

「海皇ポセイドン、お願いです。もしそこにいるのなら、俺の願いを聞いて下さい……!」

 

 

 その瞬間、ゴウッ! と、怪物の唸り声のような震動が世界を揺るがした。

 大地が震え、空気を引き裂くように、荒々しく烈風が巻き起る。

 何者かの意思をのせたような強烈な風圧に咄嗟にふんばるが、耐えきれずよろめいた──瞬間、今度はカッ! と三叉の鉾へと向けて、極大の雷が落ちた。

 

 物言わぬはずの鉾が、音を発する。

 

 

『──凡庸な人間ふぜいが、この海皇ポセイドンに何用だ。この私の眠りを妨げたのだ。答え次第では、ただではおかんぞ』

 

 

 男性特有の、低く、また人の喉からは到底生み出せないであろう、思わずひれ伏したくなるような荘厳さをのせた声が轟いた。

 

「っ……!」

 

 勝手に、膝が力を失い、大地に跪く。

 内臓がひしゃげてしまいそうな凄まじい重圧だ。

 目の前の存在から発せられた明確な敵意に、このままでは危険だ、と本能が叫び出す。

 

(あれ、でも、この感じ、どこかで……)

 

 既視感に襲われ、記憶が連鎖的に蘇っていく。

 経験したことのあるこの感覚は…………思い出した。

 東京の樹木園で俺とアヴニールを襲った、地獄をひっくり返したような黒い泥の濁流と、その中の()()()と目が合った瞬間に感じた、取り返しのつかない絶望感とよく似ているんだ。

 ああ、そうか。

 この全てを手放して諦めたくなる感情は、絶対者である神から身の程知らずの人間へと向けられた敵意、“死への恐怖”だったのか。

 

 しかし、どうしたことだろう。

 

 あの時と違って、思考がきちんと動いている。

 大きく深呼吸をすれば、身体の硬直も解けて、力を入れれば立ち上がることだってできる。

 心は冷え切っているが、諦めようなんて気持ちにはなりはしない。

 目前の神、海皇ポセイドンの宿る鉾を真っ直ぐと見やって、

 

(──怖くない)

 

 言い聞かせているのではなく、本心からそう思えた。

 気を抜けば呼吸が止まりそうなくらいの重圧はあった。だが、あの死そのものを煮詰めたような暗闇に比べれば、ポセイドンはまだ、俺の意思を問うてくれている。

 猶予を与えてくれている。

 死の恐怖を感じていたはずなのに、以前の暗闇に比べれば甘いくらいの敵意だと安心してしまっている自分がいた。

 

 

「助けて、欲しいんです」

 

 

 気づけば、思いの丈が、するりと流れ出ていた。

 

『来て早々にすることが、命乞いか?』

 

「俺ではなく、あの海原で何者かと戦っている、冥王ハーデスと、女神アテナを助けて欲しいんです」

 

『……なに?』

 

 懐疑的な声に、俺はかいつまんで事情を話すことにした。

 

「ハーデスは貴方を探し、女神アテナを伴って、この鹿児島まで来ました。しかし貴方を発見するよりも早く、追手に見つかり、今はあの薄らと見える大竜巻の中で必死に戦っているんです」

 

『追手だと? ムッ……確かにお前の言う方向から奴らの小宇宙と、我が依代の気配を感じるが。そもそも、お前は何者なのだ』

 

「俺は、九十九零(つくもれい)という名前の、ハーデスの慈悲で一時的に蘇った人間です」

 

『はっ! あの人嫌いが、人に慈悲を与えただと? 何事かと思えば馬鹿馬鹿しい……お前のとんちきな願いも知ったことではないな。裏切り者のハーデスも、裏切られてもなおハーデスを信じようとするアテナも、仲良く滅びてしまえばいいのだ』

 

「は、はあ!? ちょっと待って下さい、見捨てるつもりなんですか!?」

 

『当然だろう。先に私を裏切ったのはハーデスの方なのだからな』

 

 余りにも頑なな態度のポセイドンに俺は愕然としてしまった。

 今でも刻一刻とハーデスの力が弱まっていくのを感じるのに、ポセイドンの助力を得られなければハーデス達は確実に敗退してしまう、そうなれば…………。

 俺は、なんとか会話だけでも途切れないようにと、必死に食い下がった。

 

「待って下さい、裏切ったって……もしかして貴方もアテナちゃんと同じで、魂を腐らせるとかいう、古来の呪いをくらったんですか」

 

『知っているのか。そうよ、あの大の人間嫌いが神話の時代より続けてきた小娘(アテナ)との聖戦を止めると言うから、興が乗って説得されてやったというのに。まさか儀式の最中、隙を突いて呪いを放ってくるとは思わなんだ。ここまでコケにされて黙っている私ではない。あの卑怯者は私が直々に天罰を下して二度と口が聞けぬように太陽にでも叩き込んでくれるわ』

 

「でもハーデスは人間の俺を助けてくれた。何回も、そんな義理もないのに助けてくれたんだ! 人間を滅ぼそうとしてる神が、俺みたいなちっぽけな存在をわざわざ生かす意味が無い!」

 

『ふん、おおかたお前も、逃げおおせた私を誘い出す駒として、この山に落とされたのだろうよ。……そら、同じ騙されたもののよしみだ。慈悲ぐらいは与えてやる。お前も現世に未練ぐらいはあるだろう。人類が滅びるまでに未だ少しの猶予は在る。清算してくるがよい』

 

「……は? 人類が、滅びる? 何を言って……」

 

『なんだ、呪いのことは知っていて、“予言”については何も知らんのか? おかしな奴だな』

 

 立ち尽くす俺に気を止めることもせず、ポセイドンは明日の天気でもそらんじるような気軽さで言った。

 

『世に(あまね)く存在する運命神どもの予言だ。

 曰く“人間は己が首を絞めるが如き争いにより、神の手に掛かるよりも先に、破滅の道を進むだろう”……だったか。

 もはや人間の力では軌道修正は叶わぬ終焉の知らせだ。

 かような預言がくだったからこそ、アテナは人間達を救う為に、ハーデスへ和解を申し入れ、ハーデスは受け入れた振りをして、アテナに魂を腐らせる呪いを放ったのだろう。

 ……ふん、人類粛清という奴の悲願を、人間の自滅ではなく己が力で成し遂げたいと考えたからこそ、絶好の機会を逃さなかったのだろうよ』

 

「…………」

 

 衝撃的な事実の羅列に、俺は言葉を失った。

 滅びる? この世界の人間が? 

 それじゃあアヴニールは、俺を助けてくれたおじさんはどうなる。

 世界中で無辜の民を守る為に必死に戦っていたという聖闘士たちも、この世界で必死に生きてきた人々も、過去の人達から受け継がれてきたものも未来の子供達へと続いていくはずだったものも、全てが無意味に果てるのか? 

 

『そら、凡庸な人の子よ。このポセイドンを前に意識を保てただけ褒めてやる。さあ帰れ。生き返ったのなら死出の旅の際に強く後悔した未練があるだろう。自らの戻るべき場所へ疾くと帰れ』

 

 

 急かすように追い立てるように紡がれるポセイドンの言葉には、小さくて弱い生き物へと向けられるような、哀れみと同情の念が込められていた。

 俺がハーデスの駒として蘇ることになった可哀想な人間だと認識しているからこその、慈悲なのだろうか。

 

「…………」

 

 

 ああ。

 ああ本当に、必死の懇願も意味は為さないのか。

 届いていない。

 

 初めから、見たい景色しか見ようとしていない相手には、何を言っても意味がないのか? 

 

 山頂に刺さった黄金の鉾があると聞いて、真っ先にポセイドンを思い浮かべた。

 ポセイドンならハーデス達を助けられると思った。

 この神に会えさえすれば、あとは全てとんとん拍子に綺麗に解決するんじゃないかと楽観視していた。

 だけど、肝心のポセイドンは、ハーデスに裏切られたと言って、手を貸してはくれない。

 このままではハーデスもアテナちゃんも目的を遂げられないまま死んでしまう。

 予言通りに人は滅びて、彼ら彼女らの献身は路肩にうち捨てられたゴミのように踏みにじられて、無駄になる。

 

 なにも、残すことすら、許されないなんて、そんなのあんまりだ。

 

 

「…………帰れ、か。それはどだい無理な話だ。俺が帰る場所なんてこの世界のどこにもないんだからな」

 

『なんだと?』

 

「俺は一度死んだんだ。そして異世界から、魂だけこの世界に流れ着いて、ハーデスに棺の肉体を与えられた。この世界に、俺の帰るべき場所はない」

 

『……ほう? 貴様、異界の民だったか』

 

 少しの驚きと、物珍しさを滲ませた声で、ポセイドンの宿る鉾から、声が届く。

 

『ならば余計に解せんな。なぜ異界人である貴様が、ハーデスに与する。この世界の理に干渉する理由もないだろうに。永遠の命でも約束されたのか?』

 

「そんな有り難みを忘れそうなものは要らない」

 

『では』

 

「理由なんて単純だ。

 ハーデスは異世界から迷い込んだ俺に身体をくれた。

 アテナちゃんは俺を励ましてくれて命も救ってくれた。

 2人とも、利益もないのに俺を助けてくれたんだ。

 そしてハーデスは、見返りも求めず俺を遠ざけた。

 側に居たら危険だから。あいつは俺を、空から安全な場所に落としたんだ」

 

 やり方は最悪で、落ちた先は山の上だったが、あれがハーデスなりの最大限の優しさだったってことぐらいは、既に嫌なぐらいに理解していた。

 側に居られても邪魔なのも理由の一つだろうが、それでも見捨てて異次元空間に放り投げたりはせず、律儀に鹿児島についてから、俺を人里の近くに落とした。

 

 人嫌いのくせに、あいつは俺の命を何度も守ってくれたんだ。

 

 だからこそだろうか。

 歯を食いしばって、胸中にわだかまっていた不満を吐き出すように口にする。

 

「ハーデス達がピンチだってわかったのに『人が神様に助けられるのは当然だ』なんて調子よく聞き分けの良いツラして、無力さを免罪符に自分だけ安全な場所にいるなんて、できないんだよ……!!」

 

 悔しかった。

 命の恩人のために、なにもしてやれない自身の惨めさが、嘆かわしくて許せなかった。

 彼らに、何一つとして、返す事ができない。

 俺が何もしないのなら、いったい俺は、何の為に救われたんだ? 

 神が、何の返還も求めずに、高尚な精神から産まれた無償の愛で、凡庸な人の子を救うのはありふれた御伽噺のエピソードだ。

 

 だけど俺は納得したくなかった。

 

 俺が何もしなかったら、なによりも、ハーデス達の心遣いが、無駄になってしまうと思ったから。

 人助けをした彼らの選択を、価値あるものにしたい。

 彼らの努力と献身を、無意味なまま、終らせたくなかった。

 だから。

 

『呆れた。うんざりするほどの傲慢さだな。闘士でもない戦知らずの凡人が、神を助けたいなどと本気で思っているのか』

 

「お願いだ、ポセイドン!!!」

 

『何度言っても無駄だ。常軌を逸した痴れ者め。ただでさえハーデスの呪いの影響で疲れているのだ。疾くうせよ。──私は寝る』

 

「…………は? あ? ごめん聞こえなかった、今なんて言った?」

 

『私は寝る』

 

「…………」

 

 聞き間違いであってくれと願いながらの問い掛けだったが無意味だった。

 アンタ原作でも外伝でも眠ってばっかだな、と思わず罵倒の言葉が口から出かかるがぐっとこらえる。

 耐えろ、怒らせちゃだめだ、あくまでも穏便に、力を貸してもらわないと──。

 すると、先程までの荘厳さはどこへやら。非情に眠そうな声音でポセイドンは愚痴り始めた。

 

『因果は巡るというだろう。あれもこれも、全てハーデスの自業自得なのだ。眠っていたところを和解の儀のためにたたき起こされて、しぶしぶ出向いてやったら我が魂を収めていた依代の身体に呪いを放たれ、今度は無理やり魂を引っぺがされてこの“黄金の三叉鉾(トライデント)”に入れられた私の気持ちも少しは考えよ』

 

「…………」

 

 言われて、俺は目の前の桙に意識を向けた。

 黄金の三叉鉾(トライデント)

 今まさしく目の前の地面に刺さり、ポセイドンの魂の寄る辺となってる、聖闘士星矢の原作でも何度も登場した彼の武器のことだ。

 またの名をトリアイナ……大海と大陸を自在に支配できるとかいう至高の一品。

 ただの槍とあなどるなかれ。神話曰く、嵐や津波も簡単につくれたり、万物を木端微塵に砕いたり、世界規模の大地震を引き起こせる盛りすぎ性能のこの槍。そのあまりの凄まじさに、地球がぱかりと裂けて、冥界が露わになってしまうとハーデスが頭を抱えたレベルのチート武器なのである。

 

「…………あれ、ポセイドンが寝たとしても、黄金の三叉鉾(トライデント)は残るな?」

 

 じいっと黄金の三叉鉾(トライデント)を見つめる俺に、何かを感じ取ったのか、ポセイドンが焦ったような声を出した。

 

『…………おい、人間。何を考えている。まさかとは思うがこのポセイドンの宿った鉾を持ち出すなどという愚かな考えを抱いてはいまいな』

 

「状況からして竜巻つくる奴が相手なんだよな。だとしたら黄金の三叉鉾(トライデント)持ってけば割といい勝負になるのでは?」

 

『持ち出す気満々ではないか! 巫山戯るのも大概にせよ、斯様な蛮行許すわけがないだろう! だいたいお前のような小宇宙の扱い方も知らん人間に扱える武器ではないわ、身を滅ぼすぞッ!!』

 

「いやでも黄金の三叉鉾(トライデント)が嵐や津波も簡単にクラフトできる性能の武器だってなら、少なくとも俺みたいなヒヨコでも、あの竜巻に閉じ込められてるハーデス達を助けるくらいならワンチャンありそう」

 

『おい!! 私の話を聞け!!』

 

「うるさいバカ! しるかバカ! なにが海皇だ、なにがポセイドンだ! お寿司屋さんみてぇな美味しそうな名前しやがって! つーかなんで天の逆鉾に擬態してんだよ、元の鉾はどうした!? トライデントだかトリアイナだか知らねえが、アンタがハーデス達を見捨てるってなら、こんなボウッ切れ引っこ抜いて海に投擲してやる、いやするね今すぐにッ!!」

 

『貴様2回もバカといったな!? ああこらやめるのだなぜそう変な方に振り切りがいいのだ馬鹿者が──ただの人間に扱える神器ではないっ、冗談抜きに死ぬぞ!?』

 

「ざけんなハーデスとアテナちゃんが助けてくれた命だぞ!? あの2人の選択に意味があったのだとしたら、俺は死なないッ!! ──いいや、生きて、俺がこの命に意味があったんだって、証明してみせるんだああああッ!!!」

 

 俺は、問答無用でポセイドンが宿る黄金の三叉鉾(トライデント)の柄に手をかけて、今出せる最大の、渾身の力を込めた。

 

『っ──ええい、この死にたがりめ!!!』

 

 ポセイドンが叫んだ瞬間、俺の視界は光に塗りつぶされ、全身の感覚は無へと帰した。

 

 

 


 

 

 

 高千穂峰の山頂から、強烈な金色の閃光が、世界を切り裂くように乱れ飛ぶ。

 それは爆発的な速度で周囲の空気をはじき飛ばして、焦がれるように空を目指した。

 衝突し合う、圧倒的な光と熱のエネルギー体は、やがて鈍色の曇天を貫いて、海原に近づくほどに灰色から漆黒へと染まっていた群雲を、白く染めあげていく。

 

 まるで、堪え忍ぶ闇夜の終わりを知らせるように。

 

 雲の隙間から天使のハシゴと呼ばれる陽光の線が現れて。鳳凰の目覚めを告げるかのような、高らかな音が鹿児島全域へと響き渡った。

 

 

 

 

 








読んでくださってありがとうございます。
おまたせし過ぎました、申し訳ありません。ほぼ1年ぶりの投稿になります。
前話まででご感想や誤字報告をしてくださった方々、本当にありがとうございました!ストックが十話ほどできたのでぼちぼち投稿を再開いたします。


12月30日ポセイドンの発言を『』に変更。
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