それでも俺は、冥王様を助けたい。   作:歌詠

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第7話 流れ星

 

 

 

 

『巨大な黒い竜巻』

 高千穂峰(たかちほのみね)を起点として、光を取り戻した鹿児島の景色の中で、唯一黒く在り続ける嵐の檻。

 陽光を撥ね除けるその災厄は、鹿児島湾の海原に留まったまま、狂ったように周囲に暴風雨を撒き散らしていた。

 嵐の壁の中からは、ごろごろと、不気味な雷の音が響いては大地を揺るがした。うっかり手を伸ばせば、その好奇心の代価に、手首を切断されるであろう、凄まじい烈風が吹き荒んでいる。

 

 

『…………なんとか、生きては、いるのか』

 

 

 ごぽり、と口から吐き出された空気の塊が、海上へと上ってく。

 竜巻の壁に遮られた海中で。ポセイドンの雷に貫かれ叩き落とされたハーデスは、宇宙のように暗くて冷たい海中を、藻屑のように漂っていた。

 四肢は痺れてまともには動かず、(からだ)はなすすべもなく沈んでいく。

 絶望的な状況だが、諦める気は微塵もなかった。

 しかし、聡明なハーデスの頭脳は、この状況をひっくり返すだけの余力が自らには残されていないことを理解していた。

 外部からの介入も、この嵐の壁に阻まれてしまっては望みが薄い。

 そう、それこそ、奇跡でも起きなければ──、

 

『無様だな、ハーデスよ』

 

 頭上から哄笑混じりの声が届く。

 海上にいるはずのポセイドンの声は、海の水などものともせずに、ハーデスの意識に直接、語りかけてくる。

 

『自滅の決まった人間を自らの手で滅ぼすどころか、アテナに協力し救おうとするなど、なんと嘆かわしいことか』

 

『五月蠅い、黙れ』

 

『なぜそう頑なになる必要がある? お前は冥王ハーデスだ。神への敬虔さを忘れ、与えられた箱庭を汚染し食い潰すだけには飽き足らず、貪食に宇宙にまで手を伸ばし始めた愚かな人間共を滅ぼす…………それがお前の為すべき使命のはずだろう』

 

『五月蠅い、知ったような口を聞くな』

 

『知っているからこそ、こうしてチャンスを与えているというのに』

 

『!』

 

 ズァッ! とハーデスの周りの海水が、左右に割れるように退いていく。

 海水が消えたことにより、ハーデスは海底へと落下することになったが、幸い海底は岸に近かい位置だったため高低差はなく、危なげなく着地する。

 見上げれば、上空を浮遊しているポセイドンが、哀れむような目で、剥き出しになった海底にいるハーデスを睥睨していた。

 

「お前ははたして冥王と呼ぶに相応しい器なのだろうか? 剣を失い、小宇宙(コスモ)神力(デュナミス)も封じられたのに、アテナや人間に庇われてまでくだらん意地を貫こうとする。かつての気高さの面影もない滑稽さだ。その有様でハーデスを名乗るなど片腹痛い。これだけ言われてもまだ女神や人間どもの味方でいると宣うのなら、一息にその魂をくだいて、正しい冥王として動く代役でもたててくれよう」

 

 黄金の三叉鉾(さんさそう)の穂先をハーデスへ向けながら、ポセイドンは最後の忠告を口にする。

 

 命を刈り取る側のポセイドンと、為す術のないハーデス。

 

 ハーデスの取れる行動は、両手を挙げて投降するか、命を投げ出し最後まで抗うかのどちらかしか残されてはいない。

 

「…………、」

 

 そんな中、

 ハーデスが選んだのは、

 

 

「──ふ、成る程、そういう仕組みか」

 

 

 綺麗に、薄く唇に弧を描く。

 澄んだ瞳で、流れ星を見つけた瞬間のあどけない子供のように、ハーデスは海底から海上のポセイドンを見据えて言った。

 普段は仏頂面をしたハーデスの、宗教画を彷彿とさせる綺麗な微笑。それはこの緊迫した状況下では余りにも不釣り合いであり、ポセイドンは思わず面食らう。

 不気味だと、声を荒げる。

 

「なぜ笑う、なにが可笑しい!」

 

「ふふ、なに、2()()()()()()()()()()()()()()()己が未熟に思わず笑ってしまったのだ。しかし、このハーデスが冥王に相応しいかどうかを議論するよりも先に、お前の正体を解き明かす方が先決だとは思わないか? ──なあ、()()()()()()

 

「……………………」

 

 偽物の海皇(ポセイドン)は、サッと顔の色を消した。

 ハーデスは構わず言葉を続ける。

 

「ポセイドンの依代の肉体をつかって、上手く擬態したつもりだったのだろうが、杜撰だったな。()()()()()()()()()()()2()4()3()()()()()()()()()()()()()()()()()()。なにせあの海神は、和解の儀のために起こされるまで、微睡みの中にいたのだからな」

 

 追い詰められた側はどちらだったのか。

 先程まで勝ち誇ったようにハーデスを見下ろしていた偽物の海皇(ポセイドン)は、忌々しげに顔を歪めて、黄金の三叉鉾(トライデント)を折れんばかりの力で握りしめる。

 ミシミシと亀裂が入るような嫌な音を鳴らしながら、彼の神力と小宇宙が鉾へと凝縮されていく。

 怒りのままに力を集め出したポセイドンに、ハーデスははっとした顔をしたが、僅かに遅かった。

 

 ビュオッ!! と海底にいたハーデスは闇色の巨腕がわしづかみされ、ポセイドンが浮遊する海上まで一息に引き上げられてしまったのだ。

 

 カゲロウのように揺らめく闇の巨腕は、ハーデスを凄まじい握力でぎりぎりと締めつけ続ける。

 

「あ、ぐっ……」

 

「はあ……クロノスとレアの子である冥王ハーデスと海皇ポセイドン。血を分けた兄弟の言葉なら多少は届くと思ったが、無駄だったようだな」

 

「っ……貴様、は!」

 

「案ずるな、殺しはしない。お前の魂は和解などという日和った考えが変わるまで封じ、お前の肉体は我らがもらい受けて、冥王ハーデスとして相応しくあるように振る舞ってやろう。そうすれば、お前の魂が封印から解き放たれたときも、問題なく元の肉体に戻れるだろう?」

 

「こ、の……ふざけるなッ!!」

 

 ハーデスは声を荒げて叫んだ。

 しかし、逃げ出すための力は、もう残ってはいなかった。

 巨大な闇色の手に締め付けられて、身体を守るはずの鎧はむしろ、全身を突き刺す凶器に変わった。

 治りつつあった傷口はいっそう大きく開いて、赤い鮮血が宙に撒き散らされる。

 けれど、それでも、全身を焼き付くすような痛みよりも、偽物の海皇(ポセイドン)の放った侮辱の言葉が、地獄の業火ですらかすむほどの烈火の憤怒となって、ハーデスの意識を激しい炎で染め上げていた。

 ハーデスは鬼のような形相で、目前のポセイドンをにらみ据えた。

 

「冥王は飾り立てるための称号でも、容易に代替えを立てられる役でもない! 貴様のような真髄も解さぬ輩が、海皇のみならず、このハーデスまでをも騙るだと? どこまで、我らを愚弄すれば、気が済むのだ!」

 

「剣も、小宇宙も、神力も、その殆どをも失った。今のお前に、冥王の役は、重かろう」

 

「剣が余を冥王たらしめるのではない。小宇宙や神力が余を冥王にしたのではない! かつて…………遙か遠けき神話の時代、我らは、誓いを立てたのだ。ゼウスは天空を、ポセイドンは海洋を、そして余は冥界を支配し、世界の秩序維持に努めるのだと。ティタンの神々のような過ちは繰り返さない。世を混沌へと叩き落としたあの神々ノ大戦(ティタノマキア)はもう二度と起こさせない。この美しくも残酷な世界を守るために、余は冥界の主としての務めを果たすのだと、誓いを立てたのだ!」

 

「そこまで分かっておきながら! ならば何故、その美しい世界を汚す人間どもや、人に味方する女神(アテナ)を守ろうとするッ!! 答えよ、ハーデス!!」

 

「ッうぅ、あああああッ!」

 

 血走った眼で、偽物の海皇(ポセイドン)はハーデスを捉えていた闇色の巨腕に圧殺しかねないほどの力を注ぐ。

 海水を吸い上げたどす黒い竜巻の檻の中で、ハーデスの叫びだけが虚しく木霊する。

 

 

(──嗚呼、ここまで、なのか…………せめて、虚空へと仕舞い込んだアテナだけでも、逃がしてやらねば──)

 

 

 全身の力が消えていく。

 視界はかすんで、意識を保とうにも、痛みさえも薄らいでしまうものだから、何を導にすればいいのかも、わからなくなる。

 

 偽物の海皇(ポセイドン)の指摘は──全くの的外れでもなかった。

 

 冥王ハーデスはこの命あふれる世界の、命の旅の終着点で、審判をくだすものだ。

 だから地上にいなくても、死人たちの記録と記憶を読み解けば、どれだけ人間が愚かで、傲慢で、救いようのない滅ぼすに値する生物であることは、とっくの昔に知っていたし、実際滅ぼそうとしてきた。

 神への敬虔さを忘れて、愛さえも棄てて、己が業を悔い改めることのない人間どもは、もはや生きるにあたわず。

 何度も何度も、気が遠くなるほどの年月をかけて、ハーデスはこの世界の人間を粛正するために、冥界の神々と冥闘士どもを率いて、人間を護ろうとする女神アテナと聖戦を繰り広げてきた。

 それがハーデスにとっての正義だったから。

 人を滅ぼすことこそが、世界の秩序を守る為の、最善の理だと、信じて疑わなかったから。

 

 だが、どうしたことだろう。

 

 原因となる起点は243年前だ。

 あのときから、ハーデスは、迷いながらも、考えて、悩んで悩んで悩み抜いてから、決めたのだ。

 

 

「──余は、あのとき、()()を殺してから」

 

 

 冷たい宇宙に放り出されたような、孤独感の中で、罪過を告白するように、呟いた。

 

 

「人はもう、滅ぼさないと、決めたのだ」

 

 

 最後の力を使って口にしたのは、命乞いではなく、誰にも届かないこぼれるような、独白。

 偽物の海皇(ポセイドン)が信じられないものを見るような目でハーデスを見ていたが、ハーデスにはもう、それを確認する力すら残っていない。

 人嫌いのくせに、人の粛正をやめた冥王は、敗北を喫してもなお、命尽きるその時まで、自らの意思に殉じる道を選んだ。

 

 ハーデスは、せめて最後まで、重くなる瞼だけでも開けていようと、竜巻に遮られた、空を仰いだ。

 

 そして

 ──翠色の彼の瞳に、ひときわ眩く輝く、星の光が映った。

 

 

「……? あ、れは」

 

 

 ぽかん、と目を丸くしていると、闇色の天空を照らす星光りが、どんどん近づいてくることが分かった。

 星が、落ちる。

 

 

「──見つけた! ハーデス、よかった、無事だった!!!」

 

 

「──、」

 

 

 九十九零(つくもれい)

 塵芥としか思っていなかった凡庸な異邦の人。空を切り裂くように落ちてくるその者は、ハーデスを見た瞬間、馬鹿みたいにきらきらとした瞳で、心底安心したように笑っていた。

 何故、とハーデスはその光景を咄嗟には理解することができなかった。

 神々と戦士たちによる戦いに巻き込まれないよう、記憶を封じ、空から地上へ落としたはずの人間が、黄金の三叉鉾(トライデント)にしがみつきながら、凄まじい速度で突っ込んで来る。

 

「なっ、何者だ!?」

 

 偽物の海皇(ポセイドン)が、驚愕の声を上げてミサイルのように突っ込んでくる人間と、人間が必死にしがみついている黄金の三叉鉾(トライデント)を見やる。

 

「あれ、アテナちゃんは!? てか、めっちゃ本物っぽいポセイドンがいる!?」

 

『たわけ、本物は私だ! あれは我が依代の肉体を、何者かが勝手に悪用しているのだろうよ。女神もあれでいて図太いから放っておけどうせ無事だ!! いいからさっさとやってしまえ!!!』

 

「投げやりすぎないか!? しかもそれだとアンタの依代の人も死んじゃうぞ!?」

 

『ええい! あの偽物からにじみ出す“闇”を追い出す気持ちで黄金の三叉鉾(トライデント)を突き刺せ!! 後は私が上手く調整するッ!!』

 

「分かった!!! つまりは、アイギスの時と同じ気持ちで思いっきりやればいいんだな!!!」

 

 黄金の三叉鉾(トライデント)に宿ったポセイドンに頷き返した(レイ)は、キッと眼光を光らせて、偽物の海皇(ポセイドン)に狙いを定めた。

 急接近する流星に、偽物の海皇(ポセイドン)は険しい表情で、ヒビの入った三叉鉾(さんさそう)を構えて防御の姿勢を取る。

 

「おのれっ!! ただの人間風情が、調子にのるなよッ!!」

 

「はあ!? お前の身体も人間のものじゃねえかよ! 都合のいいときだけ人間を使いやがって! そんなに人を見下したいなら、その依代の肉体からとっとと出てけええええええ!!!」

 

 金色の軌跡の線を描いて、

 流星となったトライデントが、偽物の海皇(ポセイドン)三叉鉾(さんさそう)に衝突する。

 

「ぐっ、馬鹿な──ああああああッ!?」

 

 零の一撃を防ぐために構えていた三叉鉾はあっけなく砕け散り、偽物の海皇(ポセイドン)はそのまま腹を貫かれて海底まで叩きつけられた。

 自らの腹を貫いた鉾に海底に縫い付けられて、偽物の海皇(ポセイドン)は苦悶の叫びを上げる。

 なんとか黄金の三叉鉾(トライデント)から溢れる光から逃れようと穂先を抜こうとするが、そうはさせまいと、決死の表情をした零が、手のひらの皮が破れて血が噴き出すのもお構いなしに渾身の力で鉾を穿ち続ける。

 

「くっ人間! その手を放せ!! 放するのだ!!」

 

「だれ、が! 放すか!」

 

「放せ、はな、せ…………」

 

 壊れた機械のように繰り返す偽物の海皇(ポセイドン)の声が、虚しく響く。

 零の手から流れた血が、黄金の三叉鉾(トライデント)をつたって、偽物の海皇(ポセイドン)の胴体をびちゃびちゃと汚した。

 それでも、零は、偽物の海皇(ポセイドン)の手の力が抜けても、鉾へ込める力を抜くことはしなかった。

 

 やがて、黒い墨のような煙が、偽物の海皇(ポセイドン)の身体から空へと上っていく。

 

「…………はあ、はあ!」

 

『もう良い、やめよ、人間』

 

「ポセイドン、だけど!」

 

『我が依代を勝手に動かしていた(やから)なら、とうに海上へと逃げた』

 

「え? ──て、うわっ!? 海水が!?」

 

 ピシリピシリと、海底を剥き出しにしていた不可視の海水の壁に、ヒビが入っていく。ところどころ穴が空いた箇所からは海水が勢いよく噴き出してきて、足首から膝元までと、徐々に水位が増していく。

 

(っ……不味い、力が、入らない)

 

 零の頬に冷や汗が浮かんだ。

 先程まで火事場の馬鹿力どころか、人が出せる100%を越えた膂力を鉾に込めていたのが災いして、体がいうことを聞いてくれない。

 決壊寸前の壁。水位を増していく海水。刺さった鉾にずるずるともたれかかることしか出来ない力の抜けた四肢。

 海水に圧殺されるか、おぼれ死ぬか、そんな最悪の未来を想像して、

 

 

「…………お前は、何をしているのだ」

 

 

 心底呆れた声が、頭上から響いた。

 荒い呼吸をしながら、やっとの思いで首だけ振り返ると、病人みたいに蒼白い顔をしたハーデスが、眉間に皺を寄せながら立っていた。

 血が溢れてる。今この瞬間に死んでもおかしくないくらいの、酷い重症だった。

 しかしハーデスは己の損傷などには気にもせず、血塗れの手で虚空に深紅の線を描いて、なにやら古めかしい文字らしきものを綴ってく。

 言い返す気力もなく零が見守っていると、ハーデスが文字を描いた場所から、ポンッ! と気の抜ける音を鳴らして、ボウリングボールよりも少し大きいくらいの、金色の球体が出現した。

 

 金色の球体の側面が、蓮の花のように広くと、中から小さなアテナが姿を表した。

 

 眠そうな目をしながらもアイギスのうえに行儀良く座る二頭身の女神様。姿が見えず不安に思っていたが、ハーデスが守っていたのかと納得して、零はほっと息を吐いた。

 

「頑張りましたね、ハーデス、零さん。ポセイドンも、力を貸してくれたこと、感謝しています」

 

「アテナちゃん……!」

 

『ふんっ』

 

「アテナ」

 

「分かっていますハーデス。皆さん集まって。私が海上までお連れします」

 

 春の花の妖精のような姿の女神は、アイギスにのったまま、もみじのような手をひらいて、天空へと掲げる。

 すると、彼女の意思に呼応するように、桃色と金色の織り交ぜになったオーラが海底にいた一行を包み込んで、芽吹く前の花のつぼみのような防壁が出来上がる。

 

 そして同じタイミングで、パリンッ!! と甲高い音を立てて海水をせき止めていた不可視の壁がはじけ飛び、海水が一同の元へと一気になだれ込み始めた。

 

「行きます、舌を噛まぬように!」

 

 ビュオッ!! 

 彼女の高らかな合図と共に、彼らを包むオーラのつぼみが、海水を撥ね除けながら、空へ空へと飛んでいく。

 ロケットが打ち上げられるような高速の移動。本来ならば凄まじい重圧を感じるはずなのに、アテナの加護なのだろうか、つぼみの中の彼らが圧力に潰されることはない。

 例えるのならちょっとしたジェットコースターみたいな加速と浮遊感。

 勢いの良い海水に流されることもなく、一同は無事に、海上へと到達してしまう。

 

「っ眩しい…………太陽の光だ」

 

 花びらが開いて、久しぶりに見る陽の光に零は目を細めた。

 さんさんとした温かい陽の光が、海上を明るく照らし出している。

 

 いつの間にか、鹿児島湾で吹き荒んでいた竜巻は、蜘蛛の子を散らしたように消えていた。

 

 もしかしたら偽物の海皇が依代の人間から抜けた瞬間に、竜巻の維持はできなくなってたのかもしれない。

 災禍は綺麗サッパリ消滅してしまった。

 荒れた海は穏やかな姿を取り戻し、空はどこまでも高い青空と柔らかそうな白い雲が広がっている。

 

「…………おのれ、陽光は好かん。海皇に異邦人。雲を散らかしたのはお前達だな」

 

 心底嫌そうに、ハーデスが言う。

 すると他に宿ったままのポセイドンが嘲笑をこぼした。

 

『はっ、万年冥界に引き籠もっているから、陽光如きにやられるのだ』

 

「ふん、万年海底で惰眠をむさぼり、真面な思考ができなくなったお前には言われたくない」

 

『なっ、助けてやったのになんだその言いぐさは!』

 

「余を疑い、ギリシャからこの国まで逃げていたお前のことだ。おおかた、そこの人間のしつこい押しに負けて、しぶしぶ力を貸さざるを得なくなったのだろう。日和見を決め込んで助ける気もなかったくせに、恩着せがましい発言をするな」

 

『な、な、なっ…………!?』

 

 

「──ふたりとも、いつまで呑気に、歓談をつづける気なのですか?」

 

 

 ぴしゃり、と、小さな女神が絶対零度の声で、言い争いをする二柱の神を制する。

 アテナに指摘され口を閉ざすハーデスと、物言わぬ鉾になったポセイドン。

 そんな彼らの様子を、なんやかんやで仲がいいなと呑気な考えて見守っていた零は、すっと空を見上げたアテナとハーデスの横顔に導かれるように、彼らの視線の先を追いかけた。

 

 眩い空のしたに、不気味に浮かぶ、黒い煤のような集合体がある。

 

 異様なその存在を認識した瞬間、零は、本能を直接刺激されるような得もいえぬ不快感に襲われ、反射的に眉を顰めた。

 離れていてもわかる地獄をひっくり返したような腐臭。どす黒い煤の群れからは、先刻、東京の樹木園を襲った暗闇と同じ、零やハーデスたちを憎悪する肌を刺すような敵意が感じられた。

 

 睨み合いのような空気になる寸前、ハーデスが黒い群れへ向けて口火を切った。

 

 

「──いい加減、姿を現せ。()()()()()()()()()

 

 

 ハーデスに名を呼ばれた闇が、ずず、ずず、と意思を示すように蠢いた。

 やがて、闇があった虚空に、黒い泥の池を思わせる円形の穴が現れて、そこから二柱の神が現れる。

 

 神話の時代より冥王ハーデスに仕えてきた者、『死を司る神タナトス』。

 タナトスの双子の兄弟であり、ハーデスの信頼厚いもう一柱の側近、『眠りを司る神ヒュプノス』。

 

 零は原作ではハーデスの部下だったはずの双子神の登場に、驚き目を見開く。

 アテナとポセイドンは沈黙を貫き、ハーデスら冥界神たちの会話に耳を傾けた。

 

「ポセイドンの依代の人間の中にいたのは、お前か、タナトス」

 

 険しい表情で、ハーデスはタナトスに言い放つ。

 金と銀。それぞれ瞳や髪の色は異なるが、鏡写しのようにそっくりな端正な顔立ちをした双子神。

 タナトスの方がポセイドンの依代を動かしていたのだろう。零が黄金の三叉鉾(トライデント)で刺した際にできたと思われる損傷が全身に散見される。

 

「「ハーデス様」」

 

「お前達はいったい、()()()()()()()()()()()()

 

「「…………」」

 

「沈黙は許さぬ。疾く答えよ、タナトス、ヒュプノス!」

 

 鋭い叱責の声を、苦々しい顔で受けとめた双子神は、怒りに燃える瞳でハーデスを見ていた。

 とてもじゃないが忠義を捧げるハーデスに向けるには相応しくない形相に、零が原作との乖離に驚いていると、タナトスとヒュプノスが重い口を開いた。

 

「全ての人間に死の鉄槌を。我らは神話の時代より、この世の秩序を守るために、人間どもを根絶やしにせんとする、貴方様のお考えに賛同して、ともに聖戦をかけぬけて参りました」

 

「全ての人間に永遠の眠りを。我らは、ハーデス様の忠実な部下として、その御心に沿うよう、命令を遂行して参りました」

 

「「我らの在り方は過去も現在も変わりません。我らは他ならぬ、ハーデス様の命令を受けて、こうして貴方様を正しい道へ戻すために戦っているのです」」

 

「余は、そのような命令をした覚えはない」

 

「ええ、仰るとおりです。貴方様は、変わられましたから」

 

「…………」

 

 矛盾した会話。

 冥界神たちのやりとりに、アテナと鉾に宿ったポセイドンが訝しむような空気を作る。

 

「認めましょう。此度は、そこの人間を軽んじたタナトスの負けです」

 

 ヒュプノスが金色の瞳に怪しい光をたたえながら、観察するような視線で零をみやる。

 血気盛んなタナトスとは違い、ヒュプノスは必要以上に人を侮らず、慎重な性格をしているという点は、原作通りであるようだ。

 しかし、タナトスは憎悪と嫌悪の感情をぶつけるような恐ろしい形相で、海上にいる零をギロリと睨めつけた。

 死の神であるタナトスの明確な敵意と殺意に、ひゅ、と零の息が止まる。

 樹木園での出来事がフラッシュバックしたのか、死を連想したのか、蒼白い顔をする零に、ハーデスは忌々しげに目を細めて、タナトスが見えなくなるよう零の前に立った。

 

「タナトス。これは一度死んだ人間だ。死そのものであるお前は劇物でしかない。偉大な神がそのような幼稚な真似をするな」

 

「…………ハーデス様。我らの準備が整い次第、貴方様をお迎えにあがります。それまでにはどうか、女神と人間の味方をするなどという気の迷いは棄てくださいますように」

 

 言うだけ言って、タナトスとヒュプノスの双子神は、背後に作り出した円形状の暗闇の門に、踵を返して入っていく。

 このまま戦いを続行しなかったのはタナトスがそれなりのダメージを負ってしまったからなのだろう。

 ハーデスもアテナも力を使い果たし、ポセイドンも槍に封じられたままだ。

 

 痛み分けといった結果で、鹿児島を舞台に繰り広げられた神同士の戦いは幕を閉じることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







読んでくださってありがとうございます。
とりあえずひと波乱こえられたかな。
皆様よいお年をお過ごしくださいませー。
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