それでも俺は、冥王様を助けたい。   作:歌詠

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第9話 古代都市

 

 

 

 

 

 鼻につく血の臭い。

 立ち上る黒煙と不気味な火花。

 命だったものが転がる骸の群れの真ん中で、泣き叫ぶ、誰かの声が聞こえる。

 

『どうしてだ……ッ! 答えろよ、誰か、答えてくれよ!』

 

 黒い短髪に、質素な衣姿の少年だ。

 ひとりぼっちの少年が、絶望に歪んだ顔で、真っ赤に染まった村を見渡しながら、怒りと嘆きの声を上げている。

 

『どうして、みんな死んだんだ!? いい奴らだったのに!!! 死なないといけないような罪を犯したわけじゃないっ、生活は苦しくても協力しあって、支え合ってただ必死に生きていただけなのに! どうして無惨に殺されなくちゃいけなかったんだッ!?』

 

 血を吐くような慟哭が、誰も彼もがいなくなってしまった村に木霊する。

 憎悪と悲しみでごちゃ混ぜになった少年は、焦点の合わぬ瞳から溢れ出る涙に気づかぬまま、倒れ伏す略奪者たちに怒りをぶつけ続けた。

 

『ぁ……た、すけ……』

 

『っ、助けを求める村人たちを平気で殺しておいて、どうして命乞いなんかができるんだ!?』

 

『いや、だ……死にたくない、やめ』

 

『許さない許さない、お前達だけは、絶対に許さない!!!』

 

 ごちゃり、と。

 振り上げた拳が、またひとつ、命を消し去る。

 鈍い音を立てて絶命した男を睨め付けて、少年は荒く息を吐く。

 

『…………これで、これで全員、殺し終えた』

 

 ごうごうと、村に放たれた炎が、少年の周りを包み込む。

 何もかもが手遅れだった。

 血に塗れた両手をぶらりと垂らして、少年は漆黒の空を仰ぎ、涙を流した。

 

『うっ、うぅ……皆、死んでしまった、踏みにじられた、奪われた……あんなに、綺麗な村だったのに。サーシャアローンも、もういない……ひとりだ。俺は、ひとりで、生きていかなくちゃいけないのか……? は、はは、ははははははは!!』

 

 冷たく瞬く星を、力なく見つめながら、少年は狂ったように泣いて、嗤った。

 心が紙くずみたいに千切れてく。真っ直ぐだったものが、ゆがんでく。

 徐々に炎の壁が近づいてくるのも、もうどうでもよかった。

 もう、楽になりたかった。

 

『──死のう。こんなの耐えられない。いくら幸せをかき集めてもいつかは全部壊される。どんなに積み上げても死んだら全部無意味になる。もういい。仇は討った。畜生共は俺が全員殺した。……だから俺も、みんなのいったところに行くよ』

 

 本当は、誰かに助けてもらいたかった。

 人でも、神様でも、それ以外の何者だっていい。

 この地獄のような場所から連れ出して欲しかった。

 死のうとしている行為を咎めて、救ってほしかった。

 だけどそんな存在は現れない。

 奇跡も神も、そんなもの、信じた側から裏切られるんだ。

 

 地面に落ちている、赤い血がてらてらと光っている銀色のナイフを拾って、少年は自分の喉仏に向けた。

 

『祈りなんて、無意味だった。人を救う神なんて、いなかった』

 

 過去の自分が当然のように信じていた存在は、なんだったのか。

 空に光る星々は、神は、無辜の民が虐殺される様を傍観しただけで、救おうとはしなかった。

 信心深い人達も、神を信じない者達も、皆、等しく息絶えた。

 この村のなかで、少年だけが生き残ってしまった。

 生き残ってしまったのだ。

 

 

『人は、愚かだな』

 

『……え?』

 

『勝手に神を奉じ、勝手に争い、勝手に土に還る。神が手を下すこともなく、滅び去る。女神も哀れよな。人間という、勝手に自滅するような愚かなイキモノを、愛してしまったのだから』

 

 炎の中から、黒い修道服のような衣服を纏った少年が現れて、泣いていた少年は喉元に向けていたナイフを、思わず落としてしまった。

 それは、死んだはずの友達の顔をしていた。

 ドロドロとした血を左胸から流しながら、こちらへ歩みを進めている。

 

『……アローン? おまえ、胸を刺されて、死んだんじゃ』

 

アローンは死んだ。余は、この者が産まれたときより、この者の中に居た冥府の神だ。よもや、余が目を覚ます前に、依代が死ぬとは思わなんだが』

 

『なにを、言って』

 

『お前も、哀れなものだな。小宇宙には目覚めたものの、守れず、死に損なった』

 

『っうるさい……神なんかに、俺の気持ちがわかるものか!』

 

『余と来るか』

 

『……なに?』

 

『憎いのだろう、もはやこの世界そのものが。お前から奪った簒奪者どもも、お前を残して死んでいった者たちも、この村を貧しさに追いやった近隣の人間たちも、全てが憎くて、堪らないのだろう? だから死のうとしている。これ以上、手を汚し、変わっていく己が恐ろしいがために、綺麗な想い出を抱いたまま、綺麗なまま死のうとしている』

 

『──、』

 

『余は人を滅ぼす。お前の憎むものの全てを』

 

『ち、違う、俺は、村を襲った奴らと同じことをしたいんじゃない……!』

 

『人はまた繰り返す。お前とこの村の民がそうであったように、力なき者たちは手にするもの全てを搾取され、終わりなき苦しみの果てに、最期には命すらをも奪われて無意味に土に還る。やがて怒りと憎しみは連鎖し、人間は、地上を汚すことなど厭わずに争い、この星を道連れに自滅するだろう』

 

『……あんたは、人が、憎いのか。だから人を滅ぼそうとしてるのか?』

 

『この世の秩序を守ることこそが、このハーデスの使命である以上、人が世の秩序を乱す存在になったからには、滅ぼさなければならんのだ』

 

 冥府の神の言葉は、どこまでも正しい理を説いているように聞こえた。

 親友の顔をした、冥府の神は、立ち尽くしていた少年に、手を差し出した。

 

『お前には、この世界を守る為の力がある。お前がこのハーデスの戦士となるのならば、余が、お前を救おう。お前の苦しみを埋めて、もう二度と悲しまなくていい世界を創ってやる』

 

 普段の少年ならば、そんな誘いにはけっして乗らなかっただろう。

 けれど冷静さを欠き、なによりも、救われたいと願っていた少年にとって、ハーデスの差し出された手は、世界で一番、尊いもののように思えてならなかった。

 人を守るという女神は、この村と、少年を救ってはくれなかったけれど。この神様は少年を救うと約束してくれたのだから。

 

『余と来い、()()()()

 

『……ぁ』

 

 だから少年は、導かれるように、その手を取ったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 薄明かりが瞼越しに視覚を刺激する。

 四肢が重くて動かない。目を開くと、途端に熱い涙が溢れては、枕を濡らしつづけた。

 それなのに、行き場を失った激情が身体の中を暴れ回り、今にも張り裂けてしまいそうだった。

 

「っ……くそ」

 

 衝動のままに叫びだしたくなって、大丈夫だ落ち着け、と自らに言い聞かせるように身を丸めて、荒んだ感情の波が通りすぎるのを待つ。

 

 深呼吸。

 

 あれは夢だ。現実じゃない。

 もう、鼻につく血と、肉の焼ける臭いも、喉を焼く炎もない。

 

「……どこだ、ここ」

 

 辺りを見渡すが、やはり記憶にない部屋だった。

 古めかしい年月の経過を感じる岩でできた白い壁に、最低限の調度品、ひんやりとした空気。

 簡易な寝台のうえに横たわっていた身体を起こして、服の袖で乱暴に涙をぬぐう。

 よく見れば服も変っているようだ。

 その辺の店で売ってそうなネイビーのシャツに、黒のカットパンツ。

 近くの棚には畳まれた黒のパーカーがあったので、手を伸ばして掴み、羽織る。

 

「ちょっとサイズが大きいな……ん?」

 

 視界の端にきらりと光るものが映って、視線を向ける。

 岩を切り取って作られた窓の枠に、白い羽根のようなものが一枚落ちている。

 白い羽根……高千穂峰で俺を導いてくれた白い羽の人を思い出す。

 

 悪夢の中の少年と、白い羽の人。よく思い返せば似た声をしていた。

 少年の顔は初めて見る造形だったが、彼は冥王にペガサスと呼ばれていた。

 

 咄嗟に手に取ろうとして寝台から立ち上がるが、身体の筋肉が思ったように動かず、そのまま盛大に転んでしまう。

 窓辺の羽根は、俺が痛みにもだえている間に、さらさらと空気に溶けるように消えていってしまった。

 

「なあ……白い羽の人、あの悪夢は、あんたが見せたものなのか」

 

 誰も居ない空間に問い掛けるが、部屋は静まりかえっていた。

 いくら待っても、返ってくる言葉はない。

 内心返答はないだろうと思っていたため仕方なしと息を吐いて、そのまま何とか立ち上がり、窓枠に両手をかける。

 

 窓の外には、朽ちた都市が広がっていた。

 中央に見える巨大な神殿と、そこへと伸びる一本の大きな通り。

 数えるのが億劫になるくらいの沢山の民家と小道、よく見れば広場や橋のようなものもある。

 空は海の水で満たされていて、柔らかい光が広大な都市を優しく照らし出している。

 

「……海の底の街並み……ああ、ここがアトランティスなのか」

 

 既にその役割を終えた古代の都市は、時間が止まっているような錯覚を覚える、不思議な空気が漂っていた。

 かつて人が暮らしていた痕跡らしきものはあるのに、人はもちろん、鳥や虫の鳴き声も、植物のさざめき音も聞こえない。

 まるで息づく生物の気配を排斥した世界のようだ。

 

「綺麗なもんだな」

 

 物寂しさはぬぐえないが、素直にそう感じた。

 ふと思う。

 もしも、死後の楽園があるのなら、こういう場所がちょうど良いんじゃないかって。

 華やかすぎぬ町並みだから、眩しさに目がくらむことはないだろう。

 誰も居ないから、自由に振る舞っても咎められないだろうし、他者に毒を吐いて傷つける心配もない。

 きっと孤独ではあるのだろうが、その分、役割を終えた都市が、寂しさに寄り添ってくれそうだ。

 そのまま死の痛みを癒やして、全てを忘れて永久の眠りにつく。

 そんな、静かな終わり。

 

「…………」

 

 なんだか思考を動かすのも億劫になってきて、ぼんやりと景色を眺める。

 すると、コツコツとした規則的な音が近づいてくる。

 

「ようやく目を覚ましたようだな」

 

「……え、アヴニール?」

 

 部屋の入り口には、東京で一度対峙した、牡羊座の黄金聖闘士のアヴニールが立っていた。

 驚き、目をぱちくりとさせていると、アヴニールは水差しとコップを持って、歩み寄ってきた。

 仲間に向けるような穏やかな表情で、彼は話しかけてくる。

 

「数日ぶりだな、(レイ)よ。目を覚まさぬから女神様が心配を…………お前は何故グズグズと泣いているのだ」

 

「あー……花粉症で」

 

「海の底だぞ」

 

「じゃあハウスダストのせい。普段はこうじゃないから、アテナちゃんたちには内緒にしてほしい」

 

「それはいいが……そういえば射手座が、今どき俗世では心を病んでしまう者が多いと言っていたな。お前もストレス社会という奴に揉まれて、気づかぬ間に疲れてしまっているのやもしれん。良い機会だ、美しいアトランティスの都市にて心を休ませるといい」

 

「ええっと……まあうん、そうするよ、ありがとう」

 

 凄惨な悪夢のせいでストレスを受けたのは事実だが、多分ちょっとずれてる。まあ親切は素直に受け取っておこう。

 やっぱ天然枠のお兄さんなんだなと、俺は苦笑いでアヴニールにお礼を言っておいた。

 

「……ふむ、すまない、なにやら機嫌が悪そうに見えたから、冗談のつもりで言ったのだが、むしろ怒らせたか」

 

「いやわっかりにくいな、冗談だったんかい。全然、怒ってないよ俺。そう見えるのか?」

 

「ああ、ひどく腹を立てているように感じた。私でよければ話を聞くぞ」

 

 アヴニールは眉尻を下げて心配そうに言うと、手に持っていた水差しを寝台の横の小棚において、コップに水を注いで渡してくれた。

 親切な人だなあと彼の気遣いに嬉しく思いながら、お礼を言ってコップを受け取る。

 

 アヴニールには嘘をついてしまった。

 確かに俺は、怒っているのかもしれない。

 だが正直な話、自分が何に憤ってるのかも分からなくて、ぶつける先のない感情に戸惑って、途方に暮れてしまっていた。

 こういう時は経験上、無理に向き合うのではなく、一度他のことに集中して、心の中で無意識のうちに感情が整うのを待ったほうが良い。

 

 俺は冷たい水をグイッと一気に飲みほすと、気持ちを切り替えるつもりで、大きく深呼吸をした。

 

「──よし、もう大丈夫だ。っと……心配してくれて有り難うなアヴニール、とりあえず、なんであんたがここにいるのかとか、その辺の話が聞けたら助かるかな」

 

「ああ、もとよりそのつもりで来たのでな、お前が良いと言うのなら、話を前に進めよう」

 

 まだ万全ではないだろうと、座るよう促されて、俺は言われたとおり寝台に腰掛ける。

 じゃあアンタも座ればと、近くにあった椅子を指さすが、アヴニールは「その前に」と前置きをしてから、真っ直ぐと俺の目を見て力強く言った。

 

「零よ、私はお前の言葉を信じ切れず、冥王ごと、お前を攻撃してしまった。無辜の民を守ることが私達の使命であるというのに、戦いを知らぬお前を、闘気で威嚇するなどという、戦士の風上にもおけぬ恥ずべき愚行を犯した。──すまなかった」

 

 日本人の俺に会わせてくれたのか頭を下げるアヴニールに、俺は素直な気持ちを口にする。

 

「いいよ無事だったし、状況も状況だったし。それに、最後の方は敵かもしれない俺のことを心配してくれただろ」

 

 笑って返せば、アヴニールも頬を緩めて、肩の力を抜いた。

 

「お前が海皇を説得してくれたお陰で、我らが女神アテナも無事で済んだ。冥王の裏切りが冥界の双子神により企てられた策略だったことが発覚したのも、私がこのアトランティスへ来られたのも、全てはお前が身をていして戦ってくれたからこそだ。本当に、感謝している」

 

「俺はただ、俺を助けてくれたハーデスとアテナちゃんに恩を返したかっただけだよ。諸々(もろもろ)が上手くいったのは、殆どポセイドンのお陰だと思う」

 

「フッ、謙虚なことだ。確かに海皇の助力がなければ為し得ないことではあったが、動く気のなかった海皇を無理やり味方に加えた功績は大きい。この礼は、素直に受けとってもらえると嬉しい」

 

「おっけー受け取った。そういえば、アヴニール以外の聖闘士もアトランティスに来てるのか?」

 

「……いいや、アトランティスに呼ばれたのは、私一人だけだ」

 

 僅かに暗くなる表情に、おや、と首を傾ける。

 

「実は、今聖域は、3つの勢力に別れていてな」

 

「聖域が3つに?」

 

「うむ、殆どの者達が、女神アテナの御身に呪いを放った冥王を討つために、聖戦の準備をしているのだ。そして、ごく少数の黒幕の関与を疑う聖戦反対派と、判断に迷いどちらの味方にもつかぬ中立派に別れてしまった」

 

「あんたは?」

 

「今の私はどの派閥にも所属しておらん。冥王の裏切りは、双子神の企てによる冤罪だと、真実をアテナ様より聞いたからな」

 

「そっか……あれ、アヴニールもアテナちゃんの声が聞こえるようになったんだな」

 

 確か阿頼耶識に目覚めていないアヴニールは、双子神の呪いのせいで、アテナちゃんの姿も声も認識できていなかったような。

 

「うむ、何でもかつて海皇ポセイドンが力を注いだというオリハルコンがこのアトランティスに残っていたらしくてな。それを媒介に3神が結界を貼り、この空間内であれば、冥界の神の呪いの力を抑えられるとかで、阿頼耶識に目覚めていない私でも、アテナ様のお姿を視認できるようになったのだ」

 

「はー……」

 

 昔の貯金を使うようなものなんだろうか。

 やるな神様たち。特にポセイドン。呪いのせいで力を制御されてるなら昔の自分が貯めておいた力を使えばいいじゃないマリーアントワネットか。

 振り返ってみれば、阿頼耶識に目覚めている海闘士(マリーナ)のミトラスの召集も、アトランティスという安全圏の確保もしてるし、よく眠る分、起きてるときは多方面で仕事できる神様なんだな。

 心の中でもうちょっと敬おう、とポセイドンへの評価を修正しておくことにする。

 

「というか他の聖闘士とかもここに呼べばいいのにな。皆、アテナちゃんを見て話を聞いたら冥王への疑いが間違いなんだって考えを改めてくれそうなもんだけど」

 

「それは難しいだろうな……皆、長く続いた戦いに疲れ果ててしまっている。聖域の空気は肌を刺すほどだし。極東でお前の話を聞いたり、暗闇から冥王に助けられた私とは違い、今の仲間達に『全ては冥界神の謀反だった』と真実を伝えても、すぐに納得できる者は少ないだろう。それに……」

 

「ん、それに?」

 

 

「……恐らく、冥界だけではなく、聖域にも、双子神の手が及んでいる者たちがいる」

 

 

「……え?」

 

「余りにも、皆の怒りの伝播が早すぎたのだ。いくら女神の御身を蝕む呪いに、冥王ハーデスの小宇宙が宿っていたとはいえ、お前が初めて私に言ってきたように、冤罪の可能生は残っていたはずだ。それなのに、普段は戦況を俯瞰して見られるような冷静な聖闘士たちもこぞって冥王が全ての元凶だと決めつけてしまっていた」

 

「……誰か裏切り者がいて、聖域連中の怒りを煽ったかもしれないってこと? それとも、無意識下の洗脳とか」

 

「ああ、そして恐らく後者の可能生が高い・。……だから、まずは確実に招いても問題がないと判断された私だけが、このアトランティスに呼ばれたのだ。他にも無事な者達はいるだろうが、一人一人確認しなければ双子神の影響下にあるのか判断はできん。現状、傷つき力を封じられた神々からしたら、アトランティスは最後の砦だ。この安全圏を簡単に手放すような賭けはできなかったのだろう」

 

 努めて冷静に話してはいるが、歯痒い思いが暗いアヴニールの顔からよく伝わってくる。

 タナトスとヒュプノス。

 聖闘士星矢の原作ではパンドラさんを誑かして冥界勢力のリーダー格にし、外伝では冥王の依代の少年を口に出すのもはばかれる最低な方法で絶望に叩き落としたりしていた。

 人が嫌がることをよく理解しているというか、暗躍させたら手のつけようのない連中なのは、並行世界でも変わらないらしい。

 

 しかし、それにしたって手が早すぎる気もする。

 

 3神の隙を突いて弱体化させ、冥闘士の一部を味方につけ、聖域にまで手を伸ばす。

 出来なくはないだろうが、果たしてあの双子神だけで、ここまでスムーズに事が運べるだろうか。

 そもそも冥王ハーデス、女神アテナ、海皇ポセイドン。このオリュンポスに名を連ねる豪華レパートリーな3神の裏をかいて追い詰める一歩手前までもっていっている時点で、解釈違いというか、双子神ってそんなに強かったっけという疑問が残る。

 

 タナトスとヒュプノスって、この世界限定でめちゃくちゃ強かったりするのか? 

 

「零さん、おはようございます」

 

「お、アテナちゃん」

 

 部屋の入り口から、ふよふよと浮くアイギスに乗ったアテナちゃんが現れる。

 頬は桃のように色づいて、血色が良い。

 どうやら魂を具現化した今の2頭身のフォルムでも、体調によって見た目は変化するようだ。

 アトランティスでちゃんと休養できたんだなとほっと安心していると、小さな女神様は、申し訳なさそうに下を向く。

 

「お目覚めのところ早速ですみませんが緊急事態です。中央の神殿まで来てもらえますか?」

 

「! 分かった、すぐ行くよ」

 

「ありがとうございます」

 

「神殿まで歩けそうか?」

 

「ああ、大丈夫そう」

 

 軽く足の筋肉をほぐしてから、寝台から立ち上がる。

 部屋を出た辺りで、数歩ほど、よたよたと蛇行してしまったが、壁つたいで歩いているうちにいつもの調子を取り戻す。

 階段を降りて建物を出るときには、壁に体重を預けなくても、二足歩行ができるようになってた。

 

「アテナよ、ところで緊急事態とはいったい」

 

「いつものあれです、私はもう、疲れ果てました……」

 

「ああ……またなのですか」

 

 大きな通りの真ん中を、ため息を吐いて進む二人の背中を、俺は何事だろうと不思議に思いながら追いかける。

 死んだ様に静まりかえったアトランティスの都市を観察しながら、歩き続ける。

 ちょっとした観光気分だ。

 6車線以上はありそうな大きな一本道を進むと、今度は見上げるほどの長い長い階段をのぼっていく。

 上り終えた先には、ポセイドンを奉っていたのであろうギリシャ建築の神殿が聳え立ってた。

 神殿の横にある巨大なポセイドンを模した石像に驚きつつも、アテナちゃんとアヴニールを追って、そのまま厳粛な空気の漂う神殿内へ入っていく。

 すると、通路を抜けた先から、声が響いてきた。

 

『──はっ、前聖戦で剣を失った? これからお前のところの謀反を起こした部下連中と交えるというのに、丸腰で戦うつもりか? 馬鹿なのかお前は?』

 

「剣がなくとも戦える」

 

『力を封じられているくせに大きな口を叩くな』

 

「鉾に魂を納められ、自分の力で歩けぬお前に言われる筋合いはない」

 

『足がなくとも浮遊できるわ。そもそも、このポセイドンを依代の身体から引っぺがして、無理やり黄金の三叉鉾(トライデント)にいれたのはハーデス、お前ではないか!』

 

「仕方が無いだろう、そうしなければ、今ごろその魂、腐り落ちていたぞ」

 

『ええい、お前が部下に裏切られるからこんな七面倒な姿になっているのあろうがー!』

 

「……鬱陶しい、その文言は聞き飽きた」

 

 

「…………」

 

 広い神殿内の吹き抜けの空間で、ぎゃあぎゃあと、騒がしい声が響き渡る。

 喋る鉾のポセイドンと、黒い衣に衣装替えをしたハーデスの言い争い。

 

「……緊急事態、これ?」

 

「はい」

 

 どうにかして欲しいという目で訴えかけてくるアテナちゃんと、死んだ魚のような目をするアヴニールに、ああ連日こうだったのかと察して、疲れからか俺は膝から崩れ落ちてしまった。

 どうやらここは見たところ、祭儀とか礼拝とか、真面目な顔をした敬虔な神の信者たちが、神に祈りを捧げるための祭儀場であるようだけど。

 

 よく見れば、奥の方にきらきらと蒼白く輝く物体がある。

 

 恐らく、アヴニールが言っていたポセイドンの力が宿っているとかいうオリハルコンだろう。

 心臓のような形をしたオリハルコンの石は、幾重にも絡まった木の根らしきものに吊され、固定されている。

 そしてそのすぐ真下には直方体に切り取られた石の寝台と、ポセイドンの依代だった青年、ミトラスが横たわり眠ってる。

 なるほどオリハルコンの力で創った結界で呪いの力を抑えるうんぬん言ってたから、その効果が高そうな真下で寝かせているのかと納得する。

 

 因みに現在進行形で、すやすやと眠るミトラスの側で海皇と冥王が言い合っている状況は変わらない。

 

「不毛だなあ、ほっといたら終らない?」

 

「それも手ではありますが、代わりに時間が無為に過ぎ去ります」

 

「そっかあ」

 

 

『──小娘! そこな童のアテナ!! 聞いたぞ、お前もハーデス同様、ニケの杖を前聖戦で失ったそうではないか!! お前達はそろいもそろって何をしているのだ!!』

 

 

「し、知りません。理不尽です、今代の私はアテナとして覚醒したらもうアイギスしかない状態でスタートだったのですから、咎めるなら前代の私に言うべきです!」

 

『前のアテナも今のアテナも同じアテナではないか!』

 

「ちーがーいーまーすー!!」

 

「ああ、アテナ……! 貴方までそちらへ向われては収集がつかなくなります……!」

 

 アヴニールの制し虚しく、アテナちゃんはアイギスに搭乗したまま、ポセイドンとハーデスのいる方へ行ってしまう。

 神の威厳、その最後の砦も崩れ去っていくようだった。

 

「もうあのまま発散させた方がいいのでは?」

 

「ダメだ、このままでは新たな聖戦が始まることに……」

 

「聖なる要素とかないだろあれ。どうみてもただの喧嘩じゃん、いっそ微笑ましいわ」

 

「おい目を逸らしながら言うな説得力がないぞ!」

 

「だってさ……」

 

 祭儀上らしき場の入り口に座り込みながら、俺はため息を吐いた。

 言い争い自体は、正直、今の俺からすればどうでもよかった。

 気が進まないのは、あいつのせいだ。

 視線の先には、宇宙の闇みたいに黒い格好をした、ハーデスの横顔があった。

 よりにもよって、夢に出てきた冥府の神に依代として選ばれた少年と似た、漆黒の修道服みたいな服装をしている。

 

(……顔は当然違うけど、中身は同じ、どっちもハーデスなんだよな)

 

 あの夢が、現実にあった出来事なのかは、現段階では判断が出来ない。

 だが、夢の中で人を滅ぼすと宣言していたハーデスの存在がどうしてもちらついてしまう。

 

 視線の先にいる聖戦を止めたハーデスと、人を滅ぼそうとする過去のハーデス。

 

 当然、聖闘士星矢のハーデスは後者だ。和解なんて絶対にしない人類絶対粛正神。

 むしろそれが冥王ハーデスという神にとっての正常だった。

 だけど、俺が会って言葉を交わした神は違った。

 アテナの和解を受け入れて、人を滅ぼすのを止めるなんていう、真逆の意見を持っていた。

 その変化を俺は喜んだし、この世界ではそうなのだと、当たり前のように受け入れていた。

 だけど、あの悪夢を見てから、分からなくなってしまった。

 

「どうしてハーデスは、人を滅ぼすのを止めたんだろうな」

 

 人は、生きていれば考えが変わる生き物だ。新しい知識を得て、経験を積んで、少しずつ見えていた景色が変わっていく生き物だ。

 生活する環境が変われば、その環境に順応するために、少しずつ自分を変えていく。

 だけど神は? 

 最初から完成した存在として産まれた神は、経験から学んで成長したりするのか。

 その場の環境に順応するくらいなら、その空間ごと、自分の色に染めてしまえる権能を持っているのに、変わる必要があるのか。

 

 たぶん、神様って存在は、簡単に変われる存在ではない。

 

 彼らは一つの思いを、ずっと大事に抱え続ける。

 人間が忘れ去ってしまうほど時間が経っても、一度己が決めたことを、過去の誓いを、約束を、ずっと覚えていて守り続ける。

 そうでなければ、冥王ハーデスも女神アテナも神話の時代から永遠と聖戦を繰り返すなんてことはできないだろう。

 ずっと同じカタチで生きる。ずっと変わらず、変わることを許されない。

 だから星みたいに絶大で、人から、遠い存在。

 

「冥王の心変わりの理由か。皆、お前と同じ疑問を口にする」

 

 誰に言うでもなく呟いた小さな独り言だったが、アヴニールには聞こえていたようだ。

 思わぬ返答ではあったが、これ幸いと疑問を投げつける。

 

「アヴニールも知らないのか? どうしてハーデスが、アテナちゃんと和解することにしたのか」

 

「わからん。神話の時代から続いていた聖戦の終結だ。当然、アテナ様も冥王の心変わりの理由をお伺いになられたが、冥王は頑なに口を閉ざし続けたのだと」

 

「アテナちゃんも知らないのか。よく聖域の人たちは、和解を踏み切ったな」

 

「もちろん、聖域にも冥界にも、反対する者はいた。しかし、女神と冥王の説得により、海皇までもが和解に関わるとなると、3神の間に割って入ってまで止めようとする者はいなくなったのだ」

 

「3柱の神様に正面からノー突きつけられる人間なんていないもんな普通。……それで3神による和解の儀がうまいこと始まるぞってタイミングで、とうとう双子神のタナトスとヒュプノスが水を差したってわけか」

 

 胡座をかきながら頬に手をついて、言い争いをする神様達を眺める。

 アテナちゃんはまだブレーキ役に転じることもできるオールラウンダーだったが、ハーデスとポセイドンは顔を合わせたら口喧嘩ばかりだったような気もする。

 よくあれで和解なんてしようと思えたなと、呆れてしまう自分がいた。

 

「そのようだな。ふむ……ところで零よ、そのアテナちゃんという敬称の付け方なんだがな」

 

「ん?」

 

「女神アテナは気にいっているそうなので良いのだが……私以外の聖闘士、聖域関係者の前では、もう少しこう、気をつけた方がいい。神を信仰する者達の逆鱗にふれると面倒だ」

 

「あっうん、気をつける、すっごい気をつける」

 

「…………」

 

 心を込めたつもりが棒読みで返してしまった。

 頭上から冷ややかな視線を感じゴホンゴホン咳払いを零してやり過ごそうとするがダメだった。

 アヴニールから小言が飛んできそうな気配がする。

 真面目そうだから小言も長いのだろうなと察し、わかったわかったと両手を挙げて降参のポーズを取る。

 気は進まなかったが立ち上がり、彼の望み通り仲裁をするために、口論を続ける3神に近づく。

 言い合いを止める策なんてもちろん皆無なので、とりあえず彼らの会話に耳を傾けてから考えることにした。

 

「はあ、武器がどうのこうのと鬱陶しい……あの人間の押しに負けなければ、お前は余にもアテナにも加勢しなかっただろうに」

 

『ふん、部下に呪いを放たれる神など、簡単に信をおけるか。しかし、あの双子神が本来持つことのない冥王の小宇宙を持っていたからこそ、お前を疑っていたのもまた事実』

 

 

「──部下に呪いを放たれる? 誰が?」

 

 

『む? ああ人間、お前か』

 

「ちょっと待ってくれ、その言い方じゃまるで、ハーデスも双子神に呪いを放たれたみたいじゃないか」

 

『みたいではなく、事実ハーデスは呪いの影響を受けているぞ』

 

「ええ、ハーデスが万全であれば、これ程までに苦戦を強いられることはなかったでしょう」

 

「は、」

 

 ポセイドンとアテナちゃんの口から出た言葉に、俺は言葉を失ってしまった。

 てっきり呪いは、アテナちゃんとポセイドンだけに放たれたのだとばかり思っていたのに。

 確かにハーデスの調子は悪そうではあったが、それは全て傷のせいだと思っていた。

 平然とした様子の彼らに、俺は余計に混乱してしまう。

 

「確か、肉体から魂を腐らせていくっていう呪いなんだよな。

 だから肉体に魂を入れたままだと不味いから、ハーデスはアテナちゃんとポセイドンを肉体から切り離した。アテナちゃんの肉体は聖域へ送って、多分、ポセイドンの依代の身体はタナトスたちに奪われて利用された」

 

「そうですね」

 

「じゃあなんでハーデスは肉体と魂を切り離してないんだ」

 

 一人慌てる俺に、ハーデスは落ち着いた様子で、些事だと言わんばかりに言い連ねる。

 

「騒ぐな、余なら無事だ。魂を腐らせる醜悪な呪いだが、そもそもあれは冥王にしか扱えぬ呪術。冥王たる余には、多少なりとも免疫があるのだ。今は、小宇宙の殆どを封じられるに留まっている」

 

「今はって……じゃあ、時間が経ったら」

 

「余の魂とて腐り始めるだろう。そうなる前に、女神や海皇のように魂を納める器を用意するか、タナトスとヒュプノスに呪いの維持が出来ないほどの損傷を負わせる必要がある」

 

「大丈夫なのか、今まで平気な顔してたけどさ、」

 

「器の備えならアテはある。恐らくは、器に魂を入れ替えるよりも、双子神と相対する方が先になるだろうがな。仮に余が滅んだとて、余の創造物であるお前の肉体が崩れたりはしない。安心するがいい」

 

「っなんでそういう言い方を……俺が言いたかったのは」

 

『アンタが怠かったり辛かったりしないかって意味で聞いてるのに』

 そう言い返そうとして、口を閉ざす。

 相手は、人の嘘を見破るくらいはわけない、読心の心得のある神様だ。

 ……理解したうえでの、今の回答なのだろう。

 怠いも辛いも、言ったところで、俺にしてやれることは何もない。

 だから不毛な会話はしない、そういう合理的な考えで言葉を選んでいる。

 

(……非合理な言い争いはするくせに)

 

 むかついたので、俺は腕を組んで目を逸らした。

 夢のせいで、あんなに気まずい気持ちになってたのが、何だか馬鹿らしくなってきた。

 すると、横に居た鉾のポセイドンが諫めるように笑う。

 

『すねるな、すねるな。この唐変木に心を割いてやってるだけお前はよくやってる方だ。冥府の王になる以前もその後も、他者への接し方が下手なのは変わらん奴よ。ああそうそう、ペルセポネのときもなあ、それはもう』

 

「黙れ海皇、その口閉ざさなければ、器たる鉾を砕いて宇宙にばらまく」

 

『……ゴホン、まあ、落ち込むなということだ』

 

「……ポセイドン、あんた意外と優しいんだな。高千穂峰じゃ、先に攻撃したのはハーデスだから自業自得だとか小学生みたいなこと言って助けてくれなかったのに……」

 

『ええい、根に持つ奴だなお前も! 仕方ないだろう、小宇宙とはそのものの意思そのものだ。ハーデスの小宇宙をもった双子神に攻撃されてしまっては、ハーデスがこの海皇と小娘を裏切ったと考えるのが普通なのだ。実際は部下の謀反だったが、どちらにせよ部下に謀反を起こされるような神を信用することはできん』

 

「ポセイドンのスタンスはわかったけどさ……実際問題、ハーデスは裏切ってなかったんだよな。じゃあどうしてタナトスとヒュプノスは、ハーデスの小宇宙をもっていて、ハーデスにしか使えないはずの古代の呪いも好きなように扱えてるんだ? 勝手にハーデスの力を奪えるほど、あの双子神は強くないはずだよな」

 

 (かねて)てよりの疑問を上げてみる。

 入り口付近にいたアヴニールも、気づけばアテナちゃんの後ろまでやってきていて、一同の意識は、自然とハーデスへと向いた。

 

「それが現時点における最たる問題だが。既に、いくつか浮かび上がった()()()については、女神と海皇とともにこの数日のうちに議論を交わし、結論は出ている」

 

 芯の通った聞き取りやすい声で、ハーデスはゆっくりと言葉を紡ぐ。

 要約すれば、既に俺の疑問に対する答えは、皆で話し合った中で出てますよってことか。

 なんだ、言い争いだけでなく、必要な議論もちゃんと出来てたんだな。

 じゃあその答えとは何なのか、と先を促すようにハーデスを見やるが、どうやら続きを話す気はないらしい。張り詰めた顔で口を閉ざしてしまった。

 アテナちゃんと鉾のポセイドンのにも目線を向けるが、両者ともに沈黙を守ってる。

 

 

「海龍のミトラス、ただいま帰投いたしました」

 

 

 重苦しい空気を霧散させるように、祭儀場の入り口から、姿の見えなかった海闘士の方のミトラスの姿が現れた。

 背筋を伸ばして規則正しい歩調でこちらに向うミトラスと、その後ろに続く、二つの黒い影。

 一人は、黒い長髪に、漆黒のドレスを着こなした、すらりとしたスタイルの良い女性。

 もう一人は、凶暴な猛禽類を彷彿とさせる、翼をたずさえた闇色の鎧を纏う男性。

 

「──ああ、ハーデス様! ご無事で何よりです! このパンドラ、恥を忍んで貴方様のお力になるべくアトランティスの地へ参上いたしました」

 

天雄星(てんゆうせい)ガルーダのアイアコス、ここに。到着が遅れてしまい誠に申し訳ございません。双子神の謀反に気づくのが遅れ、後手に回りました」

 

「ハーデス様、冥界に残った貴方様の忠臣もろとも、此度の対処が遅れた不始末、自らの命で贖う準備はできております」

 

 冥界の女主人パンドラと、冥界の三巨頭のうちの一人、天雄星(てんゆうせい)ガルーダのアイアコス。

 原作とうり二つな相貌の二人は、入って来るやいなや、ハーデスの前にかしずいて、深く深く頭を下げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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