ヤバイ子ちゃん   作:きばらし

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後半

△月□日

 数日ぶりの日記。

 

 最近、四谷さんと百合川さんとお話するのが楽しくて、スマホを触る時間が減った。このままだともう日記も書かなくなるかも。

 

 二人と知り合ってから、毎日が充実してる。休み時間をつまんない日記書くので潰したり、寝たフリの必要がない。だって二人がかまってくれるもの。

 

 二人の知り合いに、隣のクラスの子がいるらしい。その子も今度紹介してくれるって。最高だ。

 

 こんなに楽しいのも、四谷さんが話しかけてくれたから。四谷さんにはいつか改めてお礼をしたい。海に連れて行ったら喜んでくれるかな?

 

 今日はとっても嬉しい。海に行こう。

 

 

 

△月□日

 四谷さんに笑われてしまった。

 

 最近無性に魚が食べたくて、休み時間にスキあらば煮干しを食べてる。百合川さんもお腹がすくたびパンやらお菓子やら食べてるから、大ぐらい族だって言ってた。

 

 私の場合はお腹が空いたというか、ただ魚が恋しくて食べちゃうんだよな。魚肉中毒? 体質なのかな。

 

 気になってお母さんに聞いてみると、ご先祖様が漁師だったから遺伝かもだって。

 

 そういえば昔、「ご先祖様は山より大きなワニを仕留めたすごい漁師」とかばあちゃんが言ってたな。

 

 絶対ウソだ。昔の日本にワニなんているわけない。よしんばいたとしても海にはいないだろ。私は賢いからウソだって分かるんだ。

 

 よし、海に行こう。

 

 

 

△月□日

 世界はバラバラに分断され、新たな秩序が築かれた。

 

 ぶっちゃけて言えば席替えがあった。お隣だった四谷さんは真ん中の方、百合川さんは前の方、私は後ろの方。ついでに担任の先生が産休で、男の人に代わった。

 

 しかし私たちの友情はその程度で崩れない。その証拠に、四谷さんは頻繁にチラチラ私の方を見てくる。休み時間はすぐ三人で集まる。友情バンザイ。

 

 

 

△月□日

 新しい友達ができた。

 

 二暮堂ユリアさん。隣のクラスのちっちゃくてかわいいツインテの子。ごはん食べてたら、四谷さんが連れてきて合流した。

 

 スピリチュアル系というのか、不思議な子だった。

 

 私の方を二度か三度くらい見直して、しきりに目をこすってると思ったら、あなたも能力者ねと耳打ちされた。異能力バトルかな?

 

 私にそんな能力は、あるわけないと書こうとしたけどちょっと待てよ。異様に友達が作れない超常現象があったな。

 

 いらんわそんな能力。第一今は友達が三人もできてる。私は特別な能力なんて何もない普通のかわいいJKなのだ。

 

 スピリチュアルは専門外だけど、二暮堂さんからはぼっちの匂いを感じる。同族同士仲よくできそう。

 

 

 

△月□日

 四谷さんの様子がおかしい。

 

 担任の先生を怖がってるみたい。男の人だから緊張してるのかな。

 

 それとスキンシップが多くなった。

 

 百合川さんがよく抱きついてくるのは平常運転として、四谷さんがめっちゃ私の手を握ってくる。それはもうすごい握力でちょっと痛い。私のこと命綱か何かだと思ってるのかってくらい痛い。

 

 うーんもやもやする。海に行こう。

 

 

 

△月□日

 私は四谷さんの膀胱の理解者になった。

 

 あれは限界寸前だったなきっと。いいことした。

 

 四谷さんの名誉のため詳細は割愛。

 

 

 

△月□日

 四谷さんは波乱万丈のJKだ。

 

 担任の先生が車にひかれそうな猫を庇って病院送りに。四谷さんはその現場に居合わせたらしい。

 

 心配になって百合川さんと二暮堂さんといっしょに病院にいった。幸い四谷さんの方は無傷で、先生も猫もすぐ治るくらいのケガらしい。よかったよかった。

 

 ただ、事故現場を見て四谷さんも結構ショックだったみたい。またものすごい力で手を繋がれた。

 

 今日は色々あって疲れた。

 

 海へ行こう。

 

 

 

△月□日

 海は大きくて広いなあ。

 

 一人で煮干しをかじりながら浜辺に寝転がって、スマホ片手にぼーっとする。なんだかすごく風流だ。日差しに負けないようスマホの画面輝度マックスだからバッテリー消費がやべー。長くはもたねえ。

 

 海を見ていると安心する。これはぼっちの時も友達ができた今でも変わらない。

 

 いつか四谷さんと、百合川さんと二暮堂さんと一緒に、みんなで海に行けたらいいな。

 

 

 

△月□日

 今日は焦った。

 

 百合川さんから、四谷さんが行方不明の音信不通と連絡が入って、四谷さんの弟さんとも合流して三人で大捜索。

 

 日が暮れるまで探してたら、郊外のグァストであっさり見つけた。おばあさんの荷物運びを手伝ってたら遅くなったとか。優しい四谷さんらしい。

 

 別れ際、そのおばあさんになぜかめっちゃ睨まれて、怖かった。

 

 とりあえず、四谷さんが無事で良かった。

 

 

△月□日

 今日はいい日だった。

 

 みこたちに行きつけのお寿司屋さんを紹介した。みんなで食べるお寿司は一人のときより美味しかった気がする。

 

 そして何より、名前呼びができるようになった。うれしい。今まで私から距離を詰めるのが怖くて名字呼びだったけど、みこの方から言ってくれた。

 

 ぶっちゃけこれは私が奥手というより、みこたちが強すぎるだけだと思う。ユリアですら初対面で名前呼びしてきたからな。

 

 尻込みしてたけど、みこのおかげでやっとみんなと本当の友達になれた気がする。

 

 サメのお寿司も食べてくれたし、これで海に行けるかな。

 

 海に行こう。

 

 

 

△月□日

 海に行こう

 

 

 

△月□日

 海に 行こう

 

 

 

?月?日

 海へ

 

 

 

?月?日

 海へ

 

 帰ろう

 

 

 みことハナがシズミと仲を深めてから間もなく、学校生活に二つの変化が訪れた。

 

「遠野善です。みんなよろしくね」

 

 一つは担任教師の変化。遠野と名乗ったその男性教師は、すさまじい量の良くないものたちに憑かれており、みこの警戒心を否応なく引き上げた。

 

『見るな』

 

 中でも明らかにヤバイ一体は、見える見えない関わらず遠野に視線を送るすべての生徒に『見るな』と恐ろしいガンを飛ばしていて、みこは授業中にもかかわらず泣く寸前まで追い込まれている。

 

(な、なんでよりにもよってこんなときに席替えなんか……)

 

 不幸にも二つ目の変化、席替えによってシズミと席が離れた。ちらりと盗み見てみると変わらずものすごい勢いで発光している。隣にいてくれたなら遠野のヤバイものだって近寄らないだろうに。間の悪さと間近に迫る怪物にみこは毎日泣きそうだった。

 

 そうした悪い意味での変化とは別に、新しい関係も築かれた。

 

「あなたが二暮堂ユリアさんね。私は和二シズミ、よろしく」

「……うわあ」

「二暮堂さん?」

 

 お昼休みのグループに隣のクラスの二暮堂ユリアが加わった。ツインテールの小柄な子で、見える子でもある。たまたま昼休みに一人でいるのにみこが出くわし、以前絞め落とした縁もあるので誘った。

 

 初対面のシズミと自己紹介するのを眺めながら、そういえばユリアにはこの光がどう見えるのか、とみこの好奇心がうずく。

 

 ユリアは目をゴシゴシこすって、信じられないものを見るような目をシズミに向けていた。

 

 きょとんとするシズミ。やがて、ユリアはその耳元でささやく。すぐ隣なのでみこの耳にも届いた。

 

「あなたも能力者ね」

「ほえ?」

「とぼける必要はないわ。そんなに強力な守護霊を使役しておいて、見えないわけない」

「よく分かんないけど煮干し食べる?」

「なんで煮干し!?」

「あ、私食べるー。チョコチップ焼きそばメロンパンの口直ししたーい」

「たんとお食べ」

 

 あ、やっぱこれ(光)守護霊なんだ。多少すれ違いつつ仲よくなる三人を前に、みこは納得した。

 

 ただ、ユリアの予想に反しシズミはまったく見えていない。見えない演技をできるような人柄でもない。ユリアは同じヤバイものを見られないので、みこは一人で遠野のヤバイものに耐えないといけない。

 

 そうしてどうにかみこが忍耐の学校生活を送っていると、ハナが授業中にお腹を空かせて保健室送りになる事件が発生した。ユリアによると、遠野に憑いているもののせいで生命オーラを消費したためらしい。

 

 親友のハナが被害に遭った。その事実がみこを先走らせることになった。

 

 遠野の授業が終わり、遠野は教室から出ていく。ハナはまだ保健室だ。シズミの席へ小走りに急ぐ。

 

「シズミちゃん、ちょっとトイレ行かない?」

「う、うん。別にいいけど、四谷さんなんか怒ってる?」

「怒ってないよ。行こ」

 

 シズミの手を取って、教室を出る。

 

「こ、この急ぎっぷりからしてさては膀胱が悲鳴上げてる!? だけど四谷さんトイレは逆方向なんだわ!」

「あれー、そうだったっけー」

 

 困惑するシズミを引きずって、遠野の背中を追う。

 

 近づくにつれ、遠野に憑きまとう良くないものたちが姿を潜める。

 

 例のヤバイものも遠野の背中から巨体を覗かせるが、

 

『アアアアッ!?』

 

 およそ二メートル背後に寄ると、シズミの光に悲鳴を上げてのたうち回る。明らかに効いている。

 

 このまま居なくなってくれれば。みこが淡い期待を抱いたとき、手が振りほどかれた。

 

「んもー、四谷さんてば! 痛いよっ!」

 

 シズミが手をさすりながら抗議の声をあげる。

 

 珍しくぷんすこしている風なシズミを前に、みこはハッと我に返った。ハナが傷つけられたことに腹を立てて、短絡的な仕返しに走ってしまった。

 

 遠野は不思議そうにこちらを一瞥したあと、何事もなかったように去っていく。後にはみことシズミの二人が残される。

 

「限界が近いときこそ焦らない! 急がば回れ。ほら、ゆっくり上下動を抑えて膀胱に優しく、最短ルートで行くよ!」

「いやあの、そうじゃなくて」

「分かってる、分かってるから。四谷さんの膀胱のことは分かってる、大丈夫」

「……そう。ごめん、焦っちゃって」

 

 焦った非があるのは確かなので勘違いを正すこともできない。みこはあまりの尿意に気が動転していたと思われ、近くのトイレまでエスコートされた。

 

 個室に放り込まれ、便器を前に呆然とする。シズミの近くでいつも聞こえる穏やかな潮騒は、非難の色を帯びた波濤の音に変わっていた。

 

 腹が立ったとはいえ、友達を道具のように扱ってしまった。守護霊(?)が怒るのも当然だ、とみこは反省した。

 

 この出来事をきっかけに、みこはシズミを頼らないと決めた。何しろシズミは見えていない。ハナも同じくで、ユリアは見えているがヤバイものは見えない。見えている自分がしっかりしなければ。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「ワシの名前はタケダミツエだよ。下町のゴッドマザーと呼ぶものもおる。まあ好きに呼んでくれて構わないよ」

「じゃあ、タケダさん……」

「ミツエがいいね」

(今好きに呼べって)

 

 郊外のグァストにて、みこは老婆──ミツエと向かい合っていた。

 

 結果として、遠野に憑いていたヤバイものはどうにかなった。

 

 みこはとある神社にお参りした折、三回だけ悪いものから守られるご利益を得ており、その三回目を使うことで遠野に憑いていたものはいなくなった。みこが遠野に対して抱いていた誤解も解決し、すべて丸く収まった。

 

 と思われたが、どうもすべて解決とはいかない。

 

 神社の神様のような何かは良いものとは言えないものだったらしく、お礼参りに行くと恐ろしいほどの塩対応を受けた。なぜか神社にたどり着くことすらできず、困り果てていたところを助けてくれたのがミツエだったのだ。

 

「ここは昔から蚊が集まる場所でね。血は吸わんから安心しな。しばらくしたら居なくなる」

 

 ミツエはグァスト店内の悪いものたちを蚊にたとえ、みこがどの程度見えるのかを確認した。あの神社は何なのか、どうすればいいのか。説明の途中、ミツエにも見えないほどの何かが現れるトラブルがあったものの、それが済むとみこは深い安堵を覚えた。

 

「私、ちょっと嬉しいです」

「何がだい?」

「見えるようになって初めて、分かって貰えたというか。今までこういう話できる人いなかったから……」

「だろうね。まあワシもみこほどは見えんが、経験はそこそこ積んどる。何か困ったら店においで」

「お待たせしました、黒蜜白玉デラックスパフェです」

 

 話していると、注文したデザートが届く。ミツエがみこの見えないふりへのご褒美として注文してくれたものだ。

 

 ミツエはみこにとって初めての理解者だった。見えるものは違っても、見える苦しみを分かってもらえる。見えることを相談できる相手。

 

 だからみこは、最近すっかり慣れたクラスメイトの光について聞こうとした。

 

「ミツエさん、少し聞きたいんですけど」

「何だい」

「友達に、何というかめちゃくちゃ光って見える子がいて。アレは何が見えてるんでしょうか」

「光って見える? ああ、あの胸の大きい子のことかい。それは生命オーラさね」

「いえ、その子じゃなくて」

 

 瞬間、ミツエの表情が強張る。

 

 少し遅れてみこもその理由が分かった。店の空気が変わったのだ。

 

 先程まで見えていた大量の蚊たちが消滅し、場の雰囲気が軽く、清らかに。まるで教室のようだと思ったそのとき、聞き慣れた潮騒の音と、三人の声が聞こえた。

 

「ドリンクバー全種類制覇しとる場合か!」

「そうだよ! 歩きながらシズミさんの煮干し全部食べといて、呑気すぎだろ!」

「塩気が多くて喉乾いちゃったんだー。大丈夫すぐ飲むから」

「早く姉ちゃん探しに──」

 

 みこの弟、恭介が言葉を切ってみこと目を合わせる。釣られてハナ、最後にシズミもこちらを見た。

 

「みこー! いるじゃん!」

「姉ちゃんいるし!」

「四谷さんいたぁ!」

 

 三人がテーブル席に合流する。みこを音信不通として心配し、三人で探していたようだ。

 

 五人はドリンクバーとデザートを手早く(主にハナが)片付けて、店を出る。

 

「みこ、ちょっとこっちに」

 

 別れ際、ミツエはみこを手招きした。

 

 ミツエの鋭い視線が、光り輝くシズミに向けられている。そういえばあの守護霊について聞こうとしていた。この人ならやはり何か分かるのだろうか。

 

 しかしそんなみこの予想は裏切られる。

 

「あれは守護霊なんて生易しいもんじゃないよ」

「え」

「まったく目を疑ったわい。シズミと言ったか、とんでもないもんとでつながってる。あの縁の深さは多分、憑き物筋だね」

「憑き物筋?」

「簡単に言えば血筋、家系に憑くもののことさ。普通は狐や蛇みたいな小動物なんだが……一体あの子の先祖は何をしたのやら」

「えっと……結局、あの光は何なんですか?」

 

 ミツエはいかにも不本意そうに口をへの字にして、言った。

 

「神だよ。おそらく相当に古い土着神。まさか国津神じゃなかろうが…あの子の周囲だけ極端に清浄になっとる。まるで歩く神域さ。血潮がご神体、身体がお社ってところか。ちょっとした悪いもんくらいなら、そこにいるだけで浄めるだろうね」

「神様の守護霊って、そんなことあるんですか?」

「ないよ、あり得ない。正直ワシも混乱しとる。あの子、学校で影が薄いとか言われてるだろう?」

 

 言われている。なぜかいつも一人ぼっちになる、と零していた。

 

 みこがそう言うと、ミツエはさもありなんとばかり頷く。

 

「だろうね。あの子の半分はあっち側にある。存在感が薄れて見えにくくなっとるんだ」

「え、それ、大丈夫なんですか?」

「大丈夫さ」

 

 ミツエが微笑みを向けた先では、恭介、ハナ、そして話題のシズミが並んで談笑している。

 

「私の煮干しに加えパフェとドリンクバーを瞬殺とは……胃袋オバケと呼んでよろしい?」

「オバケは怖いからやだなあ。モンスターならいいよ!」

「いや大差ないだろ」

 

 シズミはやはり光り輝いているが、その点を除けば普通の女子高生にしか見えない。半分があちら側にあると言われてもピンとこない。

 

「いきさつは知らんが、一度繋がれた縁はすぐには切れん。もう一人ぼっちにはならんだろう」

「……はい、きっと」

 

 出会ってからほんの数ヶ月。それでもシズミはみこの日常に溶け込んで、確かな友人になっていた。たとえ神様が憑いていようと、あちら側に近い存在であろうと、その事実は変わらない。

 

 みこはこの時、ミツエいわく『半分はあちら側にある』意味を軽く捉えていた。

 

 そのことを思い知らされるのは、一週間後のことである。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「おすし、おすしー!」

「ハナ、はしゃぎすぎ」

「回らないお寿司なんて緊張する……」

「へーきへーき、庶民的な安くてウマイとこだから。この駅だよ、降りよう」

 

 みこはハナ、ユリア、シズミと共に休日のお出かけと洒落こんでいた。神社の件は気がかりではあるが、ミツエのなんとかするという言葉を信じ、気分転換だ。

 

 目的地はシズミが贔屓にしているという寿司屋で、地元から二駅移動し徒歩で数分のところにあるらしい。

 

 四人で駅を出、川沿いに歩く。

 

「ちゃんと値段書いてるわよね。時価とかじゃないよね」

「特上握りセットで850円、単品は一貫百円均一でございます」

「楽しみだなー、何頼もう。とりあえず全種類三つ、いや五つ?」

「先に店の食材がなくなるんじゃない?」

「あーみこひどい!」

 

 緊張するユリア、ウキウキのハナ。シズミも上機嫌に弾む足取りで一行を先導している。

 

 みこは会話に参加しつつ、何気なく周囲を見渡した。川沿いの住宅街に見えてはいけないものは何一つ見えない。

 

(ミツエさんの言ってた通りだ……)

 

 ちょっとした悪いものなら、シズミはそこにいるだけで浄める。どこでも見かける小さいおじさんや、ゾンビめいた風体の何かが一切見えないあたり、浄められているのだろう。あの日グァスト店内の蚊たちが消滅したように。

 

 一行はやがて細い橋に差し掛かり、シズミを先頭に渡る。

 

「ここを渡ったらすぐだよ」

 

 渡った先はさびれた住宅街だ。古めかしい木造家屋が軒を連ね、その合間に走る細い路地に「にぎりずし」とのれんのかかった小さな屋台が佇んでいる。

 

 みこたちはのれんをくぐってカウンター席に腰掛け、物珍しげに店内を見渡した。正面には種々の魚を保存するガラスケースとコンロや流しなど調理設備。奥には小ぶりな生簀と、魚の頭をお供えした神棚が見える。かぐわしい酢飯の香りが鼻をついて、食欲がそそられる。無愛想な板前姿の男性が、手際よくおしぼりとお通しを出した。

 

「おおー、お寿司屋さんの屋台なんて初めて」

「ほんと、こういうところあるんだ」

「そうだろうすごいだろう」

「なんでシズミが胸張ってんのよ」

 

 それからは楽しいランチの時間だった。

 

 ハナはもっとも量が多いセットメニューを5つ、みこ、ユリア、シズミは特上握りセットを一つずつ。ネタの一つ一つがとろけるように甘く、シャリの酸味とネタの旨味が絡み合いほっぺが落ちるほどおいしい。口直しのガリや茶の質も申し分なく、またセット一つの量も多い。控えめに言って最高に美味しかった。

 

 とりわけ印象的だったのは、鯛に似た白い切り身だった。しかし味は鯛の淡白なそれとは違い、濃厚な旨味が凝縮され、脂がよくのっていておいしい。食事に夢中なハナとユリアに代わり、みこが聞く。

 

「これ変わった味だけど、何の魚?」

「サメ」

「サメ!?」

 

 さすがにハナとユリアも食事の手を止め、自慢げなシズミの説明に聞き入った。新鮮なサメの切り身は調達が難しく、その寿司ともなるとかなり貴重らしい。

 

 それでこの値段なのだから大したものだ。みこは素直に感心し、ハナはサメのときだけ咀嚼の回数が増えた。

 

 ハナがセットをしめて八つ平らげたところで、お勘定。四人は満足げな笑顔で屋台を後にした。

 

「はー、あんなの食べたらスーパーのお寿司で満足できなくなっちゃうよ」

「びっくりするくらい美味しかった……850円はお得すぎるでしょ」

「はっはっは、そうだろう。隠れた名店だからあんまり広めちゃダメだぞう。四谷さんもおいしかった?」

「うん、すごく」

 

 一行は駅に向かって、川にかかる橋を渡る。ハナとユリアが並んで前を、みことシズミが後ろを歩く。

 

「ねえ、四谷さん。ありがとうね」

「何が?」

 

 急な物言いにみこが振り向くと、シズミはギザギザの歯を見せて心底幸せそうな笑顔を浮かべている。

 

「こうやってお休みの日に友達とでかけたり、休み時間にだべったり。ずっと憧れてたことができて、今すっごく幸せ。それもこれも四谷さんが声をかけてくれたから。私を見てくれたから。だからありがとう」

「大げさだよ。でもありがとうついでに、その呼び方いい加減やめない?」

「え?」

「みこ、って呼んで」

 

 シズミは呆然と立ち尽くし、みるみる目に涙を貯めて、号泣しだした。何事かと振り返るハナとユリア。

 

「あー! みこがシズミちゃん泣かせてる!」

「け、ケンカはよくないわ!」

「ち、ちが……ちょっと、シズミ!」

「嬉し涙はいくら流してもいいんだよぉ……みこ、ありがとう……」

 

 はいはい、と受け流しながらハンカチを貸してやる。シズミは涙もろく、自信家の寂しがりやな友達だ。

 

 そのとき、みこは視界の隅に違和感を捉えた。

 

「え?」

 

 シズミが立ち止まったためその後ろ、すなわち先程渡ってきた橋が見える──はずだが、そこには何もなかった。

 

 みこたちが渡ったはずの橋が忽然と消えている。

 

 それだけではない。川の向こうには古い木造家屋など存在せず、草の生い茂る広大な空き地が広がっているだけだった。

 

 当然、舌鼓を打った寿司の屋台など影も形もない。

 

「みこ? どうしたの?」

「いや、あれ……」

 

 橋のあった場所を指差すみこ。

 

 シズミは涙を拭いつつ不思議そうにそちらを見て、首を傾げた。

 

「何もないよ?」

 

 ハナとユリアも釣られて見るが、みこの指差す方向にしばらく目を凝らすと、

 

「何もないよね?」

「何もないわ」

 

 と口を揃えた。

 

 みこの目には明らかな異変でも、三人には見えていない。

 

 半分はあっち側の存在というのは、こういうことなのだろう。ミツエの言っていたことがストンと腑に落ちる。

 

 理解するや否や、潮騒がやけに大きく聞こえる。

 

 いつもより音が近い。さらに、かすかな磯の臭いもするし、なんならシズミのまとう光の中に巨大な尾ひれのようなものが見えた、気がする。

 

 血の気が引くのを感じながら、みこは悟った。

 

(これ、ヤバイやつだ)

 

 和二シズミは友人だ。しかし同時に、神様の憑いてるヤバイ子でもある。

 

 みこはひとまず何も見ないし臭わなかったことにして、連れ立って駅へ向かった。


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