ヤバイ子ちゃん   作:きばらし

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おまけ前半

?月?日

 邯ソ豢綿津・隕見九?ォ縲

 

 

 

◇月☆日

 はて。無料のテキストエディタだけど、一年以上使っててこんなのは初めてだ。昨日の分がまるまる文字化けしてる。

 

 昨日は普通に学校行って、みこたちとつるんで帰りに海へ行って。帰ってきたらお風呂入ってご飯食べて歯磨いて寝た。

 

 起伏ゼロ。特に書くネタもない普通に楽しい日だった。

 

 だから何も書かなかったはずなんだけど、なんで昨日分があるんだろう。寝ぼけて書いたのかな。

 

 まあ昨日より今日のことだ。

 

 今日はいいことと悪いことがあった。

 

 いいことは、あさっての調理実習でみことハナと同じ班になれた。話したことのない子もいっしょだから、この機会に仲よくなれたらいいな。

 

 悪いことは、せっかくビレバンで買ったラムダラビットを失くした。ストラップが千切れてたからどこかに引っ掛けたのかも。探したけど見つからなかった。一緒に買ったふかふかフカくんが無事だったのは不幸中の幸い。

 

 人生いいこともあれば悪いこともある。

 

 

 

◇月☆日

 最近、お母さんの元気がない。

 

 思いつめた顔で私をじーっと見たり、あなたはシズメじゃないとかブツクサ言ったり。一文字しか違わないけど。

 

 今日はパソコンにかじりついてうさんくさいオカルト動画を熱心に見てた。動画タイトルはシンドロームのなんたらかんたら。

 

 考えてみると去年もこの時期は様子がおかしかった。和二の家の方で近く法事があるから、気が滅入っているのかも。お母さん、あっちの家苦手みたいだからな。

 

 アホで鈍感なお父さんの代わりに、かわいい娘の私が気を回してやろう。

 

 

 

◇月☆日

 調理実習はちょっと失敗もあったけどうまくいった。クラスメイトのちえさんとも話せたし、たぶん友達になれた気がする。ハンバーグもおいしくできた。

 

 ただ、おしゃべりに夢中になって多少焼きすぎたかもしれない。みこにちゃんと火加減しろ、と怒られてしまった。そのくらいのことで涙目になってまで注意してくるあたり、みこはお料理ガチ勢だったらしい。今度からはもっときちんと取り組もう。

 

 海へ。

 

 

 

◇月☆日

 今日は生まれて初めて怪奇現象を体験した。あわせてハナの勇敢な一面も知れたステキな日だった。

 

 みこ、ユリアと別れてハナと下校してたら、お守りを川に落として困ってる少年に遭遇。ハナは迷わず川に入ってお守りを拾ってあげてた。この寒い季節、名前も知らない人のためにそこまでやる勇敢さはすごい。私は風邪ひきそうでイヤだったから応援するだけだった。

 

 で、少年といっしょに応援してたら変な人が現れたんだ。

 

 黒い帽子、黒いコートに黒いリュックみたいなのを背負った、黒ずくめの怪しい男の人。

 

 その人は少年に謎めいたことを言った後、私の方をじっと見て「和二シズミさんですか?」と聞いてきた。

 

 そうですよって答えたら、なんか苦笑いして立ち去った。

 

 なんで私の名前を知ってたんだろう。名前が分かるようなものは身につけてなかったし。不思議なこともあるんだな。

 

 

 

◇月☆日

 ただいま法事のため移動中。新幹線とバスで四時間かかるからヒマだ。

 

 ハナは案の定風邪引いて、みことユリアがお見舞いに行くみたい。私もお大事にと気持ちだけ送っておく。

 

 お母さんはやはり法事が面倒なのか顔色が良くない。アホのお父さんは窓外の景色にはしゃいでいる。

 

 私もちょっとワクワクしてる。和二の実家はお屋敷が大きくて探検のしがいがあるし、いつも行ってる海ほどではないけどきれいな浜辺がある。お母さんには悪いけど、フダラクの方の実家は遠すぎる上周りになんにもなくてつまんないんだ。

 

 みこたちへのお土産に和二名物、サメの干物を買って帰ろう。きっと喜んでもらえるぞ。

 親戚一同集まってのお経やらなんやらが終わった。あー疲れた。

 

 何の伝統か知らないけど、お経上げてる最中に数珠をぶっ壊す風習はさっさと廃れちゃえばいいと思う。「ワタツミ様のおたわむれじゃあ」とか言って数珠を壊すんだけど、さもひとりでに壊れましたみたいに振る舞うから白々しい。数珠がポップコーンみたいにパンパンパンパン……勝手に壊れるわけないだろうに。

 

 来る前はソワソワしてたお父さんも、お母さんと一緒になって落ち込んでた。いざ妹さんの三回忌となるとしんみりするらしい。

 

 三回忌とはいえおばさんが失踪したのは十年くらい前だから、私は記憶が薄い。一緒に湿っぽくはなれない。

 

 というわけで今は浜辺で休憩中。お土産も買ったし後は帰る時間まで自由だ。冬に素潜りはやる気が出ないし、何をするか。

 

 そういえばここで昔、海に返してあげたサメは元気かな。あのときは鮫肌で手がズタズタになって大変だった。今の汚れた私じゃ恩返しはよ、としか思えない。恩返しする前に寿司や干物になって私に食べられてたらと想像すると、愉快だ。

 

 笑った笑った。

 

 そうだ、せっかく友達が出来たんだからあれやろう。出先の写真取りまくって送りつけるやつ。岬からの景色とか、家宝の変な形の銛とか、バエバエのスポットたくさんあるし。

 

 よーし、やるz

 神童ロム。

 

 この前の黒ずくめさんの名前だ。急に後ろから声かけられてびっくりした。こんな小さな漁村に観光で来たというから、見た目通り変わった人だ。

 

 でも実際話した印象だと、よくしゃべるいい人だった。自撮り棒でツーショットも撮ったし、投稿してる動画サイトのチャンネルも紹介してくれた。そのチャンネルがお母さんの見てたシンドロームなんたらだったのは、すごい奇縁だなと思った。名前間違えて覚えててちょっと申し訳ない。

 

 ただ、去り際に哲学問答が始まったのには困った。「海に呼ばれたことはありますか?」だって。

 

 そりゃ、女の子ならあるに決まってる。私の場合は生まれたときからずっとなので、空って青いですよね、と同じレベルの問いかけだった。

 

 いい感じに機転の効いた返答ができなくてそのまま答えたら、「私は山に呼ばれたことあるんですよ」と張り合ってきた。男の子は海じゃなくて山に呼ばれるものなんだ。初めて知った。言われてみれば、昔話でもおじいさんは山へ、おばあさんは海へいくものな。

 

 ロムさんはパワースポット巡りをしてから帰るらしい。メアドも交換してもう友達だ。

 

 友達が増えて嬉しいな。

 

 

 

 和二シズミはヤバイ子である。

 

 見える子のみこだけが例の寿司屋の一件からそう理解したものの、友人関係には特に変化がなかった。教室ではみこ、ハナ、シズミの三人でよく話すし、昼休みにはユリアも加えて四人で昼食を共にする。

 

 みこは友達にヤバイのが憑いてるといって邪険にするほど薄情ではない。また、存在しない寿司屋以降恐ろしい現象が起きていないし、むしろ良くないものが寄り付かなくてありがたい。何より、シズミが完全に無自覚で悪気などこれっぽっちもないため、文句を言う気も起きなかった。

 

 などとみこが考えているのを見透かすように、神様は日常へひょっこりと顔を出す。

 

 ある日の朝。ハナが日直で先に行き、みことシズミの二人で通学しているときのことだ。シズミのカバンに見慣れたウサギと、珍しいサメのキーホルダーが揺れていた。

 

「シズミ、それラムダラビットじゃない。買ったの?」

「ん、ビレバンで限定販売って言葉につられてつい。本命はこっち」

 

 こっち、と示して見せたのはサメの方だ。大きなヒレと小さすぎる目が特徴的なデフォルメマスコット。

 

「ふかふかフカくん! いやーみこのメメちゃんとハナのラムラビの対抗馬が欲しかったんだよね。十分張り合えるかわいさでしょ?」

「どうだろ。目が小さすぎてちょっと怖いかも」

「それがいいの。サメは小さい目と書いてサメと呼ぶんだよ。つまり目が小さいほどかわいいってわけ」

 

 不覚にも雑学に感心してしまったのが癪で、みこはドヤ顔するシズミの頬をむにむにした。子犬みたいに大きな目を白黒させている。

 

 ラムラビは本当に衝動買いだったらしく、ファンのハナに譲ろうかと言いながら歩いていると、話題が流れた。他愛もない雑談に興じつつ、シズミのカバンで揺れるウサギとサメにみこの視線が吸い寄せられる。ちょうどみこの焦点がそこへ合った何度目かのタイミングで、異変は起こった。

 

 ラムラビに縦一直線の裂け目が出来る。裂け目はひとりでに左右へ広がり、皮を剥がれたように中の綿が露出。その綿は端から順に虚空へ飲み込まれ、最後には剥がれた皮ごと消えてしまった。シズミのカバンには半ばから千切れたストラップと、かわいいサメのマスコットだけが残される。

 

「……」

 

 神様はラムラビがお気に召さなかったらしい。帰り道にどこかで落としたのかもとみこたちは探し回ったが、ラムラビの姿はもちろんどこにもなかった。

 

 そんなこんなでみこは神様の存在を間近に感じながら、ハナ、シズミと共に今日も学校生活を送る。

 

「では各班、調理を始めて。分からないことがあれば遠慮なく聞いてね」

 

 家庭科室。調理実習の時間だ。先生の一声でクラスメイトたちはそれぞれ調理に取り掛かる。みこはおなじみのハナとシズミ、それからちょっと話す程度の間柄のちえと同じ班だった。

 

 シズミが意気揚々と包丁を手にする。

 

「切ったり刻んだりは任せろ!」

「得意なの?」

「ものすごく!」

 

 ドヤ顔を泣き顔に変えてやろうと試しにたまねぎを手渡してみると、裁断機めいた手際の良さでまたたく間にみじん切りができた。

 

 それを受け取ったみこがハンバーグの種を作っていると、シズミはハナから次々に食材を渡され、言われるままに刻んでいく。それら食材はハナ主導の下フライパンへ投入され、数分でよく分からない料理のような何かが姿を現す。

 

「じゃーん、完成!」

「なんのキメラ?」

「創作料理!」

「ちょ、待って。私が刻んだ食材どこにどう使った?」

「ここだよここ!」

 

 シズミが本気で困惑してハナの言う「ここ」をよく見るが、首をかしげるばかりだ。

 

 その様子に、クラスメイトのちえが吹き出す。

 

「ふふっ、シズミちゃんってもっと無口な子かと思ってた。料理得意なの?」

「魚料理ならなんでも作れるよ!」

 

 なんでも、という言葉にハナが食いつく。

 

「活造りとか三枚おろしも?」

「余裕余裕。免許はないけどフグも捌けるよ。将来は闇のフグ専門店開くんだ」

「捕まったらカツ丼も食べれて一石二鳥だね!」

「何それー」

「はいはい、三人ともしゃべりすぎ。今日のテーマ、ハンバーグだから」

 

 和気あいあいとしているところにみこが釘を差す。テーマ以外に一品作っていいことにはなっているが、放っておくとおしゃべりばかりになる。

 

 そうしてごく普通の日常を送っているみこの耳が、異様な音を捉える。

 

 びたん、びたんと何かを叩きつけるような音。嫌な予感を覚え横目で見てみると案の定、そこには見てはいけないヤバイものが映り込んでいた。

 

(ええもう、うわぁ……)

 

 でっぷり太った肉だるまのような体格の化け物。人の頭ほどもある大きなギョロ目と、むき出しの歯茎が恐ろしい。

 

 その怪物は同類と思しき小人のようなものをテーブルに叩きつけている。調理中には見たくない陰惨な光景がみこのすぐそばに広がっている。

 

 最悪なことに、怪物は次の工程で使うコンロの方向に陣取っていた。

 

 みこは手早く種を小判型に整えると、大きくため息をつく。

 

「シズミ、交代。これ焼いて」

「焼き加減は?」

「レアで」

「お腹壊すやーつ」

 

 しょうもないやり取りにくすくす笑いながら、みこは調理用具を洗いに、シズミは種を焼きにコンロへ向かう。

 

 シズミに憑いているという神様は、みこには眩い光として見える。最近はその中にヒレが見えることもあるが、清浄な光が大半だ。

 

 その光が怪物に近づくと、

 

『ア、ショクザイ、ショクザイ!』

 

 怪物が叩きつけていた、小人が消滅した。

 

 怪物は怒り狂ったように頭でっかちの頭部を前後へ揺らすと、シズミへぎょろりとした目を向ける。その目は殺意と憎悪に塗れていた。

 

「気になってたんだけどさ、シズミちゃんとみこたちって、最近急に仲よくなったよね。なんかあったの?」

「それはね、ちえちゃん……なんでだっけ?」

「みこが話しかけてくれたんだよ。たしか最近の世界情勢とかの話で」

「マジで!? インテリ〜」

「そうだったかなぁ」

 

 ちえとシズミ、ハナが雑談に花を咲かせている後ろで、怪物が動く。後頭部から伸びる長い鎖を振り回し、ムチのようにしならせてシズミの小さな背中へ叩きつける。

 

 しかし当たる直前、鎖の先端が消えた。

 

『ア? オエッ』

 

 怪物は短くなった鎖を呆然と見つめる。かと思うと、怪物の大きな目と口から黒い濁り水が溢れた。

 

 その液体は最初、涙か鼻水のように少しずつ滴り落ちた。しかし間もなく滝を思わせる濁流の勢いを得、調理室の床を汚す。強烈な磯臭さを伴う液体が足元まで迫り、みこは悲鳴を上げそうになった。

 

「……」

「最初は強火で……あれ、弱火でじっくりだったっけ。みこ、どう思う? みこー?」

 

 強火でハンバーグを焼くシズミが聞いてくるが、みこはそれどころではなかった。

 

『オエッ、オエッ』

 

 怪物は壊れた蛇口よろしく黒い海水を吐き出し続ける。口から流れるそれは吐血を思わせる。電車の怪人の場合と同じく、陸で溺れている有様だ。

 

 ならばこの末路も、とみこが思った途端。怪物の上半身がふっ、と消失する。

 

 食いちぎられたという印象も同じ。違ったのは、怪物の背後に大きな口が見えたことだろう。

 

 ずんぐりした怪物の身体さえ一呑みにできそうな、真っ暗なトンネルのような口が、少なくとも四つかそれ以上。上下にびっしり敷き詰められた牙が怪物に食らいついて引き裂くところを、みこの目は確かに捉えた。

 

(前よりはっきり見える……)

 

 みこは死んだ目できゅっと唇を引き結んだ。

 

 分かってはいたことだ。元々、みこが『見える』ようになってから、シズミの光を認識するまで少しの時間差があった。時間がたつにつれ、シズミのヤバイのが見えてくるのも予想はしていた。

 

(うん、分かってたし大丈夫……やっつけてくれたのもありがたいし……)

 

 そう、シズミもシズミのヤバイ神様も悪いわけではない。今の怪物はみこをしてシカトし続けるのが辛いビジュアルだった。だからこそみこは距離を取り、シズミなら何があっても大丈夫だしあわよくば返り討ちにするかも、と期待した。

 

 したのだが、

 

「もうちょっと加減してよ……」

 

 神様のやり方も、それはそれでキツイ。

 

 調理室の床は足首の高さまで黒い海水に浸って、部屋中に磯臭さが充満している。神様の仕業なのだろうが、怪物の目と口から吐き出されるのを目撃していたみこにはひたすら気持ち悪い。潮の香りがトラウマになりそうだ。

 

「ご、ごめん。火加減間違えたかな。中火? 中火でいいんだっけ? は、ハナ!」

「えっと、両面に焦げ目がつくまで焼いたら弱火でじっくり、だね」

「了解! みこ、大丈夫だから、今からリカバリーするから泣かないで!」

「泣いてない。さっきのタマネギが効いてきただけ」

「時間差で!?」

 

 本当は足元の濁り水とむせ返るような海の匂いに泣きそうなのだが、みこはすべてをタマネギになすりつけた。

 

 調理実習が終わり、班で作ったハンバーグをお弁当と一緒にいただき、担任の遠野に作った分を職員室に届けに向かう。

 

 その道中、スキップしそうなハナとは反対に、シズミがしょんぼりした調子で、

 

「みこ、本当にごめんね」

「え?」

「みこは泣くほど真剣に取り組んでて、私を信頼して焼くのを任せてくれたんだよね。なのに私すごくいい加減だった……」

「いや、違っ、くはないけど、でもそうじゃなくて」

 

 シズミなら大丈夫だろう、と任せたのは間違っていない。間違ってはいないがズレている。

 

 言葉を探す間もなく、シズミは訳知り顔で頷く。

 

「みこは料理ガチ勢なんだね!」

「……」

 

 もうそれでいいや。みこは力なく首肯する。

 

 シズミの光から響く潮騒は腹立たしいほど穏やかだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 ある日の昼休み。

 

 中庭のベンチに腰掛け、みこはユリアと二人きりだ。いつものハナは風邪で、シズミは親戚の法要で欠席している。

 

 いつも三人か四人でいるため、まだ付き合いの浅いユリアと二人でいると緊張する──なんてことはなく、みこは切実な理由で朝からげんなりしていた。

 

(ヤバイの多い……)

 

 鬼の居ない間にとばかり、良くないもの、ヤバイものが家や通学路から学校までどこにでも溢れ返っている。シズミに憑く神様を恐れ、普段隠れている分が一斉に出てきたのだろうか。

 

 ベンチの陰にも小さなおじさんたちが屯しており、ユリアはそちらとみこへ交互にチラチラと視線を送っている。

 

「今日、多いね」

「……何が? お弁当のおかず?」

 

 ヤバイのがいつどこで聞きつけるか分からないため、見える子のユリアの前でもみこのシカト方針はブレない。というかできればオカルト方面とは関わりたくない。

 

 ユリアはむっとした顔をして、唐突に立ち上がる。

 

「みこちゃん、あなたにはまだ敵わないかもしれないけど、私も強くなったの」

「へー」

「特にあのお寿司を食べた日から、弱いものなら祓えるようになったんだから!」

「へー、え?」

 

 みこの脳裏に、この世のものとは思えないほど美味しいお寿司の味が過ぎった。シズミをヤバイ子として認識するきっかけとなったあの日。

 

 ユリアは不敵に笑い、ベンチの下にいる小さなおじさんへ掌を向ける。

 

「はあーっ!」

 

 気合一閃、おじさんは内側から破裂した。真っ黒な水が血溜まりを作り、磯臭い匂いが香る。

 

 得意満面のユリア。

 

「どう!? この力があれば、私も立派な霊能力者に」

「ユリアちゃん」

 

 がしっ、とみこはユリアの両肩をつかむ。ゆっくり上げた顔からは表情が完全に抜け落ちて、目が合ったユリアは震え上がった。

 

「それ、二度とやらないで」

「な、なん」

「なんででも。いい?」

「ひゃい」

 

 ユリアには悪いが、みこにとっては海の匂い恐怖症になるかならないかの瀬戸際である。返答次第ではアナコンダ穴熊の再来も辞さないつもりだった。

 

 ガタガタ震えるユリアとしかめっ面のみこが、重い空気の中でもそもそ食事を続ける。

 

 その空気を破るように、二人のスマホが同時に通知音を響かせる。顔を見合わせ取り出して見てみると、シズミからのメッセージだった。

 

『法要終わってヒマ。実家のパワスポを紹介する』

「パワースポット……!」

 

 ユリアが目をキラキラさせている。霊能力者としてのパワーを常に求めているユリアには甘美な響きなのだろう。

 

 みこは平常運転なシズミに安心しつつ少し呆れていた。おばの三回忌の法要と言っていた割にまったくしんみりしていない。

 

 最初のメッセージから数分で、写真が送られてきた。

 

『景色のいい岬!』

 

「わあ、きれい!」

「えっどこが?」

 

 その写真は真っ黒に塗りつぶされて、岬など欠片も見えない。きれいどころか、淀んだ水か深い海を連想させる暗黒が映るばかりでむしろ怖い。

 

「きれいな岬だよ? 見るだけで力が増しそう!」

 

 何か見えないものを見てしまってるんだろうな、とみこが当たりをつけていると、すぐに二枚目。

 

『ウチの家宝。大きなワニを獲った銛』

 

「いわくつきっぽくてカッコイイね」

「そう、だね」

 

 一枚目と違って、異常はすぐに見て取れた。

 

 古い日本家屋にありそうな床の間。ありがちな刀や掛け軸に代わって、三叉のフォークのような銛が飾られており、シズミの自撮り顔が画面の下で見切れている。

 

 問題は、その銛にまとわりつく黒い靄だ。ヘドロの如く濁ったそれは、写真にも関わらずうねうねと動いているように見える。いわくつきっぽいのではなく、本当の曰くがあるのは明らかだ。みこは目を逸らした。

 

 三枚目が送られてくる。

 

『観光のあんちゃんとツーショット』

 

「え、この人」

「わあ、神童ロムだ! この人がいるってことは本当にパワーがあるのかも」

「え?」

「え?」

 

 それは、黒ずくめの怪しい男と満面の笑みでピースするシズミとのツーショットだった。シズミの背負う光以外に変なものは映っていないが、以前町で見かけた男が出てきたためみこは目が点になった。

 

 ユリアに聞いてみると、主にネットで活動しているおそらく本物の霊能力者らしい。みこたちが共通で知っているその人物が遠く離れたシズミの実家にも現れる世間の狭さに、みことユリアは目を丸くした。

 

 やがてメッセージだけが送られてきた。

 

『実家のパワーで風邪治れー治れー』

 

 グループチャットなので内容はみこ、ユリア、ハナに共有されている。シズミなりの病人へのエールだったようだ。

 

 しかし写真越しのパワーでは不足なのだろう。ハナから写真とメッセージが届く。

 

『おなか。へった。おかゆ。もうない』

 

(うわこっちにも……)

 

 みこは目を覆いたくなった。空っぽのお鍋を抱えるパジャマ姿のハナの写真だが、後ろの水槽にヤバイのが映り込んでいる。

 

「わーハナちゃんきつそうだね。オーラも小さくなってるし……」

「えっ」

 

 ユリアの言葉にみこはぞっとする。

 

 みことユリアは二人とも見える子だが見えるものが若干異なっている。みこは良くないものからヤバイものまで見えるがハナのオーラは見えない。ユリアは良くないものまでしか見えないがオーラは見える。

 

 ハナは強いオーラによって悪いものを引き寄せると同時に、守られてもいるという。しかし風邪でオーラの弱ったところにヤバイものが寄ってきたら。

 

(よりによってシズミがいないときに……でも……!)

 

 みこは見えるだけで立ち向かう力はない。お参りで得た神様のご利益ももうない。

 

 それでもじっとしてはいられない。

 

「行かなきゃ」

 

 みことユリアは早退してお見舞いへ向かった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「さすがに食べすぎだよぉ、体熱くなってきた……」

 

 お腹いっぱいになったパジャマ姿のハナがぐったりとソファにもたれかかる。水槽に陣取るヤバイのの動きは明らかに弱っており、みこはほっと息をついた。

 

 ハナのお見舞いは首尾よくいった。生命オーラの量をユリアに見てもらい、減るたびハナに食べ物を与えオーラを回復させる作戦を実行し、ヤバイのの力を弱らせることができた。この調子ならハナは大丈夫。

 

 そう安堵したのもつかの間、すぐに次がやってきた。

 

「あつー。空気入れ替えよ。そうだ、二人ともあとで……」

 

 ハナが窓を開けようとベランダへ駆け寄ったそのとき、みこの目に巨大な獣の影と、手すりに降り立つ着物の人影が二体映る。

 

「うわ、すごい突風……あれ、立ちくらみ……」

「ハナ!」

 

 窓が開くや否や、巨大な獣は逆光を背に長い腕を部屋に突き入れる。狙いは先程までハナを狙っていた、生首のようなヤバイのだった。

 

 獣は鷲掴みにしたそれを悍しい口腔に放り込み、ゴキゴキバキリと凄惨な咀嚼音をたてて嚥下する。それからハナを指差すと姿が消え、狐面に着物姿の二体が代わりに入ってきた。

 

(ここまで私を追って……!?)

 

 それらはかつて、みこがある神社で願った際に憑いてきた者たちだった。みこの願いは叶ったがお礼参りを拒絶され、その後の対応は何か知っているらしいミツエに任せたきりだった。

 

 ミツエはなんとかすると言ってくれたが、なんとかする前にここまで追いかけてきたのか。

 

 しゃらん、しゃらん。澄んだ鈴の音を響かせ、狐面たちが近づいてくる。

 

(な、なんでハナの方に!?)

 

 狐面は願ったみこではなく、立ちくらみでうずくまるハナの方へ進んでいる。ユリアは狐面たちが見えておらず頼れない。このままではハナが危ない。しゃらん、と鈴の音が執拗に響く。

 

 そうしてパニックになりかけたみこを落ち着かせたのは、潮騒だった。

 

「えっ」

「なに、この音……?」

 

 ユリアも聞こえているらしいそれは、常よりも近く大きい。

 

 ざーん、ざざーん。鈴音をかき消す大音量。まるで海がそのまま頭蓋の内でたゆたっているように、直接鼓膜を揺らしている。同時に部屋中の空気が軽く、教室と同種の清浄な雰囲気に変化した。

 

 狐面の二体は歩みを止めた。

 

 一体はじっと立ち尽くし、もう一体は凶悪な形相を歪め、ハナとみこを指差す。

 

『──! ──!!』

 

(めちゃくちゃ怒ってる……!)

 

 狐面は怒っていた。言葉も事情も分からずとも確実に分かるくらい、怒髪天をついて怒り狂っている。

 

 その対象はみことハナだった。みこはなんとなくこの無礼者め、恩知らず、みたいなことを言われている気がした。

 

 時間にして数秒、言われるがままになるみこ。

 

 すると、狐面がぴたりと動きを止めた。みこたちを指差していた腕を下ろし、若干視線を上にしてみこたちの背後を睨み付けている。

 

 見えないふりを続けるなら、狐面たちの視線につられてはいけない。そうとは分かっていても、みこの理性は潮騒と鈴音で弱っていた。好奇心のままにゆっくりと振り返る。

 

 そこには深淵が広がっていた。

 

 底の見えない深い闇。一筋の光さえ差さない深海の黒い水。そんな暗黒の何かが、ぽっかりと空間に穴をあけるように浮かんでいる。広い部屋の床から天井までかかるその闇は丸く、中に淀む暗澹はみこの直近の記憶に結びついた。

 

 黒く塗りつぶされた、きれいな岬の写真。あれは目の前のこれが映り込んでいたのだ。

 

 みこの連想はさらなる飛躍を遂げ、

 

(これ、目だ……)

 

 そう理解した瞬間、全身を包み込む視線を感じた。目前の深淵は明確な意思を持って周囲を睥睨している。

 

『──』

 

 狐面たちが何か言い捨てて、ベランダから外へ出ていくのが視界の隅に見える。それに応じ、目もふっと姿を消す。

 

 ただ、潮騒だけは消えない。みこの頭の奥で小さく、かすかに響き続けている。

 

 短い夢でも見ていたようだった。

 

 呆然としていると、呼び鈴が鳴る。

 

「みこ、出て……」

 

 ハナの言葉に機械的に従うと、寿司の出前だった。ハンコを押してリビングに戻る頃、ようやく現実感が戻ってくる。

 

「ふたりが来るって言ったらママがお寿司頼んでたの、すっかり忘れててさー。お寿司めっちゃ元気でる! あ、サメ寿司はあるかなー?」

 

 もりもり食べるハナ。

 

 みこがぼうっとしていると、ユリアがふと見上げる。

 

「なんか水の音が……あ」

 

 視線を追うと、キッチンの水が出しっぱなしになっている。

 

 壊れたように激しく出ているように見えたのは気のせいではなく、本当に壊れていた。栓をいくら操作しても止まらない。

 

 音の源は水槽もだった。

 

「ハナ、これ、ヒビ入ってる」

「なんで!?」

 

 なんで、はみこもユリアも同感である。なぜか水槽に刻まれた亀裂から水が漏れていた。

 

 その日はハナの母親が帰ってくるまでハナに付き添い、壊れた水道と水槽を報告してから帰路についた。

 

 後日聞いたところによると、錆びない素材の水道管が酷く風化し、破裂していたという。


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