影浦、狙撃されたってよ   作:Amisuru

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アニトリが終わってもワートリ二次は終わらねえ! の精神でお送りする辻ちゃん3部作完結編。
無理矢理1話に収めたらクソ長くなってしまったのでお時間のある時にご覧ください……。




『That's one small step for mankind, one giant leap for a man.』3/3

 

 

 幸せの青い鳥は、闇雲に探し回ったところで見つかるものではない。

 気が付かないうちに自分のすぐ傍にいるものだと、メーテルリンクの書は綴っていた。

 けれど。

 物語の最後に、青い鳥は主人公たちの下を離れ、どこかへと飛び去って行ってしまう。

 

 

 その結末を自分の現状に当て嵌めようというのは、馬鹿げた話だろうか。

 

 

 

 

 

 日向坂撫子。鳩原未来の弟子にして、氷見亜季の親友だという少女。

 心優しい狙撃手(スナイパー)の先輩に代わって突如として現れた彼女は、あっという間に犬飼澄晴とも仲良くなって、ずっと前からそこにいたかの如き自然さで自分の家(二宮隊)に住み着いた。

 そんな彼女の登場と引き換えに、立場を失ったのが自分だ。この二日間、自分は数えるほどしか他の隊員(チームメイト)たちと言葉を交わせていない。会話の中心には常に彼女がいたからだ。自分が苦手としている、押しの強い女の子が。

 彼女がわいわいと氷見や犬飼と愉快なやり取りを繰り広げている間、自分はといえば隅の方で存在感を押し殺すことに努め、撫子の一挙一動におどおどして、たまに話を振られては赤面して声を震わせ、一言二言返してはまた縮こまって目を逸らすばかり。

 

 

 素直な気持ちを、吐露するならば。

 みじめな思いを、ずっと感じていた。

 

 

 どうして自分は、皆と同じ空気を共有できずにいるのだろう。

 どうして自分は、あの輪の中に入っていけずにいるのだろう。

 まるで見えない境界線(ボーダーライン)が敷かれているかのように、自分だけが独り、彼女の生み出す滑稽で騒々しい空気から締め出されている。

 彼女はあくまでも、二宮隊にとっての異邦人(ネイバー)でしかない筈だというのに。

 青い鳥は自分の下を離れ、彼女の下へと飛び去って行ってしまった。

 

 

 駄目だ。

 このままじゃ、駄目だ。

 

 

 踏み出さなければならない。

 確かに物語の最後、青い鳥はチルチルの下から飛び去って行ってしまう。けれど、挫けずに彼はこう口にするのだ。『Je le rattraperai』――()()()()()()()()()、と。

 だから自分も、己の意思で取り戻しに行かなければならない。もう一度この手に幸福を掴み取るために、勇気を出して、目の前にある境界線(ボーダーライン)を踏み越えていくのだ。

 

 

 

 

 

――だから、日向坂さん。

 

 

俺は、君を。

 

 

 

 

 

君と――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 私、シン(ノスケ)を倒します。必ず倒します。

 ――などと闘志に燃えることを許された時間は、1秒にも満たなかった。

 

 

「え、ちょ、ま――」

 

 

 日向坂撫子はパニくっていた。前回ラストに見せた羅刹の如き怒りはあっさりと消え失せ、無理無理無理無理と脳内で連呼するだけの哀れなクソザコ狙撃手(スナイパー)がそこにいた。

 迫り来る辻をモニタに捉えることが出来ない。右へ左へ巧みに動きを散らしつつ、時には跳ねて道の端から端へと飛び移り、更には塀を蹴ってまた逆方向へと舞い戻ったりもする。格好次第では忍者と見紛う程の、俊敏かつ迅速なる脅威。

 こんなものを標的(ターゲット)にするのは、半年に渡る狙撃手(スナイパー)人生において初めてのことだった。

 

 

(――これが、A級4位攻撃手(アタッカー)の動き……!)

 

 

 近界民(トリオン兵)の鈍重な歩みとは比べ物にならない。撫子の技量では到底、捕捉することなど叶わない。それでもライトニングの速射性を頼りにビギュンビギュンと引き金を引きはするのだが、盲撃ちが当たるのなら苦労はない。300mの猶予はあっという間にx軸上では0となり、残るはy軸――自らの足場である7階層分の高さだけが、撫子に残された命綱であった。マンションに取り付かれたのである。

 

 

「……おおお落ち着けあたし。大丈夫、まだ詰んでない、まだ詰んでない、まだ詰んでない……」

 

 

 こういう時は素数を数えるんだ。1! 違う!! 完全にいっぱいいっぱいになりながらも、どうにかこうにか思考をフル回転させる撫子。

 辻はマンションの中へと入っていった。自分と同じように、階段を使って屋上まで駆け上がってくるつもりなのだ。つまり辻はグラスホッパーを持っていない。そして屋内にいる間は、こちらの動きを窺い知ることも叶わない。たとえば辻が3階ほどまで昇ってきたあたりでこちらが屋上から飛び降りれば、捕まることなく姿を消すことも可能なのではないかと思うのだが――

 

 

『私の経験から言わせてもらうと、位置バレした状態で足元まで寄られた狙撃手(スナイパー)が生き残れるケースっていうのは殆どないよ』

「だまらっしゃい! ワンチャンあれば勝てるの精神が大事なんじゃい! 諦めたらそこで試合終了だって安西先生も言ってたんじゃい!!」

『……まあ、辻くん相手なら確かにまだそう言えないこともないんだけど――あ、辻くんがまたバッグワーム着た(レーダーから消えた)

「なんですとぅ!?」

 

 

 氷見の言に釣られて、目をかっ開きレーダーをガン見する撫子。一瞬前まで表示されていた筈の辻の光点が確かに消えている。こんなに早く着直すんだったらなんで一回脱いだの? 段取り悪くない? 東春秋が聞いていたら、撫子の疑問にこう答えることだろう。君にそうやって意味もなく考えさせるためだよ、と。

 とにかく不味い。これでは辻が本当に階段を昇ってきているのか判断が付かない。焦って飛び降りたが最期、下で待ち構えていた辻に見つかってそのままバッサリ――なんてことも考えられるのだ。せめて近くに飛び移れそうな手頃な高さの建物でもあれば良かったのだが。見晴らしの良さが仇となった形である。

 決断の時が迫っていた。動くのか、動かないのか。動くのなら早い方がいい。こうして迷っている間にも、辻は駆け足で2階3階へと昇りつめているかもしれないのだ。向こうが待ちの選択肢を取っていないと判断できるのは、屋上の扉が開かれそこから辻が出てきた時だけだ。しかし、そこまで距離を詰められてから飛び降りたところで到底逃げ切れるとは――

 

 

(……待てよ? 屋上の扉――そっか、辻くんが屋上に顔出せるところといえば、そこしかないんだから――)

 

 

 撫子は思った。辻が屋上に姿を現すタイミングというのは、こちらにとっても最大のチャンスなのではないか、と。

 イーグレットで破壊した錠前の付いた扉は、あくまでも7階から屋上に通じる階段に設置された侵入防止用の扉だった。ドアノブ式の屋上自体の扉は別にある。その扉に狙いを定めて、辻が出てきた瞬間に引き金を引く。単純極まりない作戦だが、正直他に逆転の手段が思いつかない。もぐら叩きの要領で行くしかない。

 とはいえ流石に、馬鹿正直に扉の真ん前に立たないだけの思慮はこの女にも残っていた。あくまでも塀の側からは離れぬまま、すすすと扉の側面に横歩きする。

 扉から見て扇状、20m以内には決して立たないように。

 

 

(イコさん先輩からちゃんとした名前教えてもらったんだけど――『旋空弧月』だっけ? 出待ち作戦が読まれてたら、扉開ける前にあれパナされてあたしが死ぬもんね……万が一外した時のことも考えて、やっぱりあたしは塀のギリギリで待ってないと……)

 

 

 日向坂撫子、この期に及んで両睨みの戦法を取るあたりがチキンハートである。万が一も何も、ここまで寄られてから外した時点でどう足掻いてもお前は死ぬんだよ。

 という指摘を誰からも入れられないまま、愚直にライトニングを構えて待ちの姿勢を貫く撫子。気分はさながら、サマーソルトキックを放つ前のガイル使いであった。辻くん(ザンギエフ)へ、お元気ですか。いま溜めてます。心の中のレバーを左下に傾け続け、今か今かと扉が開かれるのを待ち続ける。

 そしてついに、その時はやって来た。

 

 

「――開いたァ!!」

 

 

 ↑+K。開け放たれた扉からはためくマントが飛び出してきたのを確かめ、撫子は即座に引き金を引き絞った。音速の弾丸が的確に目標を貫き、穴の開いたバッグワームがぼとりと地に落ちる。

 ()った――一瞬そう錯覚してから、すぐに現実へと引き戻される。()()()()()()()()()()。自分が撃ち抜いたのは辻ではない。本人が出てくる前にバッグワームを囮に投げて、こちらの迎撃を釣り出したのだ。後に空閑遊真や風間蒼也、東春秋らも用いることになる、由緒正しき身代わりの術であった。

 

 

「ウソでしょ!?」

「…………!」

 

 

 サイレンススズカ(ウマ娘)ばりの絶叫を上げた撫子の前に、今度こそ辻がその姿を現す。その視線は完全に伏せられ、露骨に撫子と目を合わせようとしていない。そんな有様でまともに接近戦を仕掛けることなど出来るのかと思ってから、そもそも辻は無理に自分へと斬りかかる必要はないのだということを思い出した。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

(旋空弧月――!)

 

 

 鞘に納めた弧月を辻が抜き払うのと、撫子が虚空に身を投げ出すのは、ほぼ同じタイミングでのことだった。仰向けに傾いた撫子の鼻先を、延長されたトリオンの刃がちりちりと掠め焼いた。

 堕ちる。堕ちる。重力に導かれるまま、命綱なしの自由落下を敢行する。生身であれば文字通りの自殺行為でしかないのだが、戦闘体でこうして高所から飛び降りるのは初めてのことではない。捕捉&掩蔽訓練で何度もやっている――

 ――のだが、今回はいささか落ち方がよろしくなかった。

 

 

 世界が逆しまに映って見える。

 

 

「――ぎゃああああああああああああああああ――っ!?」

 

 

 撫子は一瞬にしてパニックに陥った。いくら飛び降りの経験があるといっても、足から落ちるのと頭から落ちるのとでは話がまるで違う。恐怖の度合いもまるで違う。ありったけの金切り声を喉から吐き散らして、愚かなる女は何処までも堕ちていく。堕ちて、堕ちて、堕ちて――

 

 

「ぐほぇあ゛っ!!」

 

 

 クッソ汚い悲鳴と共にぐしゃりと着地した。脳天から。

 それでも流石のトリオン体。潰れたイチゴのようになることもなく、撫子の身体は無傷で原型を保っていた。そう、あくまでも身体(ボディ)の方は。

 一方、肝心の中身の方(メンタル)はというと。

 

 

「ひーっ……ひーっ……ひーっ……」

 

 

 この有様であった。

 掠れた息を引き気味に荒げ、目は完全に泣きが入っている。死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ――胸中で幾度となくそう唱え続ける、前後不覚の哀れな小娘がそこにいた。日頃からイキり散らしている者ほど、罅が入れば脆いものである。この女もまた例外では、

 

 

「ま……まだだ、まだ終わらんよ……!」

 

 

 訂正。心が折れるギリギリのところで辛うじて踏ん張っていた。滲む視界の中、こんちくしょうと歯を食い縛って半身を起こす。

 ライトニングが手元にない。落下の衝撃で取り落としてしまったのだ。目尻を拭って涙を払い、周囲を見回す。

 自身の右手、ほんの2mほど先に転がっていた。すぐさま駆け寄って拾い上げたいのだが、腰が抜けてしまって立ち上がれない。仕方がないので赤子の如く、四つん這いの姿勢で拾いに掛かる。

 

 

 ――そんな撫子とライトニングの間に割って入る、空から降ってきた黒スーツの少年が一人。

 

 

「ぎゃ――――――――!!」

 

 

 絶叫と共にひっくり返る撫子。完全な判断ミスである。トリガーなど落としたところでいくらでも再構成できるのだから、無視してさっさと逃げ出してしまえばよかったのだ。どの道大して寿命は延びなかったと思うけれども。

 尻餅を突いた自分を見下ろし、()()()()()()()()()()()()()()。はい死んだ。死にました。撫子終了のお知らせです。やだむりこわい刀で斬られるとか絶対無理痛くないって解ってるけど怖いものは怖いんだよっていうか首とかちょん斬られちゃったりするのかなうそうそこわいこわいお願いやめてごめんなさいゆるしてください――等と、無様以外の何物でもない思考に囚われながらも。

 

 

「くっ、殺せ……!」

 

 

 なけなしの見栄を振り絞って、そう口にすることに成功した。

 世界一見栄の張りどころを間違えている女であった。

 

 

「――――――――」

 

 

 辻は刀を振り上げたまま動かない。撫子は腰を抜かしたまま動けない。

 無言のまま両者は見つめ合い、そうして――暫しの沈黙が流れた後。

 

 

「……ぁ、ぅ……」

「……うん?」

 

 

 先に変化が訪れたのは、辻の方だった。

 頬を赤くし、視線を泳がせ、わなわなと身体を震わせる――撫子にとっては実に見慣れた、彼の基本姿勢(ニュートラル)。ここまで普通に動けていたというのに、よりにもよって最後の最後に再発するとは――せっかくずっと下向いてたのに、肝心のあたしが足元にいたせいで逆に目が合っちゃったのね。うーん、よもやよもやだわ。

 後一歩。本当に、後一歩のところだというのに。ほんの少しだけ目を瞑って、無理矢理にでも刀を振り下ろしてしまえば、それだけで彼は勝利を手にすることが出来るのに。自らの前に立ちはだかる壁を、乗り越えることが出来るのに。

 撫子の目には膝よりも低く映るであろうその壁が、彼にとってはきっと、雲をも越える山の頂ほどに高いのだ。

 

 

 

「ぁっ……ぁっ……ぁっ……」

「おお……もう……」

 

 

 

 ――かくしてようやく、二人の時間はここまで辿り着いたのである。

 話数にして2話と半分、文字数にして約2万字掛けての、本当に長い長い回り道であった。

 はい、メタですね。

 

 

(……で、ここから一体あたしはどうしたらいいんだろうか)

 

 

 魔眼(メドゥーサ)に魅入られたかの如く固まってしまった辻の後方、転がっているライトニングへと視線を向ける。

 多分、今なら難なく拾える。そのまま辻を撃ち抜いて、逆転勝利を収めることも出来るだろう。そうして何の障害もなく悠々と犬飼をシバき倒しに行き、独り気分良く作戦室へと凱旋する――

 

 

 ――そんなことのために、鳩原未来(おししょうさま)は自分と辻を競わせたのだろうか?

 

 

(……それは、流石に違うよね)

 

 

 撫子にとっての訓練はきっと、辻の動きを読めずに犬飼を仕留め損なった時点で終わっている。或いは、犬飼の仕掛けたガラス片のトリックに気付けなかったのが減点対象となるか――いずれにしても、今更辻を撃ち殺したところで得られるものなど何もないだろう。

 犬飼に翻弄されて熱くなっていたせいで、本来の目的を見失っていた。小さく息を吐いてから、どっこいしょと腰を上げて身を起こす。

 そうすると、自分の真ん前で石になっている辻と、目と鼻の先で向き合う形になるわけで。

 

 

「…………!?」

 

 

 とまあ、当然こうなる。ただでさえ紅潮していた頬はもはや茹蛸のようになっているし、目は完全に明後日の方向を向いているし、トリオン体だというのに冷や汗はもうダラッダラだ。誰がどう見てもいっぱいいっぱい、限界ギリギリまで追いつめられているのが丸わかりの有様であった。

 そんな黒髪の少年に向けて、黒髪の少女は上目遣いに語りかける。

 

 

()()()()()()、辻くん」

「ぇ、な、ぅあ……」

 

 

 撫子の言葉に反して、これでもかというくらいに全力で顔を背ける辻。

 その対応は流石にカチンと来るところがあったので、両手でこめかみを引っ掴んで、強引に首をこちらに向けさせた。辻の握り締めていた弧月がその拍子にからんと零れ落ちたのにも構わず、すう……と息を吸い込んで。

 

 

 腹の底から、ありったけの気持ちを吐き出すように。

 

 

「あ、た、し、を! 見ろ!!」

ひ……ひなたざかち、ちか……」

じゃっかあしい! そういうこと言われるとあたしもなんか意識しちゃうでしょうがァ! いいから黙ってあたしの問いに答えなさい! アーユーオーケー!?」

 

 

 生じてしまった気恥ずかしさを強引に勢いで押し切って、撫子は辻を真っ正面から睨み付けた。首を振ろうにもがっしりと固定されてしまって動かしようのない辻が、観念したようにこくこくと頷いたのを確かめて、よろしいと手を離す。

 掴んだ場所がこめかみで良かった。これで頬でも抑えていたら、まるっきり、その、アレだ。

 あたしにとっての未体験領域に踏み込むところだ。ええ、16にもなってまだなんです。何か文句あるかこんちくしょう。

 ごほんと咳払いを一つ挟んで、切り出す。

 

 

「――質問その1。辻くん、あたしのこと怖い? YESなら首を縦に、NOなら横に振りなさい」

「うっ……」

「別にいいよ、怒んないから。実際、今だってこうやって圧掛けるような真似してるわけだし――これでキレたらあたし、本当にイヤなやつになっちゃうよ」

 

 

 別に今だって善人(いいやつ)やれてる自信はないけどさ、と思いつつ。

 それまでの騒々しさが嘘のように大人しく、撫子は辻の反応を静かに待った。

 

 

「…………」

 

 

 ――やがて、ひどく遠慮がちに。

 小さく、こくりと傾く首が一つ。

 

 

「じゃあ、その2。――あたしのこと、嫌い?」

「…………!」

 

 

 今度は、それはもう一生懸命に。

 ぶんぶんと勢い良く否定の首振りをする辻の姿を見て、撫子はくすりと笑った。

 それさえ確かめることが出来れば、これから先、どんな態度を取られようともへっちゃらだって思えた。

 

 

「――じゃあ、その3。……これは、言葉にして聞かせてほしいんだけど」

 

 

 本題はここからだ。

 正直な話、撫子は辻が自分を斬れようが斬れまいがどうだって良かった。極端なことを言ってしまえば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とすら思っている。確かに部隊(チーム)ランク戦とやらで異性の隊員と戦うことがあれば不利を背負うことになるのかもしれないが、そもそもボーダー隊員の仕事は三門市を襲う近界民(ネイバー)たちと戦うことであって、身内同士でドンパチすることではない筈だ。

 

 

(……女の子の見た目した近界民(ネイバー)とかがいるなら、ごめんなさいだけど)

 

 

 未だに近界民(ネイバー)=トリオン兵だと思っている女は、心の中でそっとそう付け加えた。

 とにかく――撫子が辻に求めているのは、自分を斬り殺せるようになることではない。知りたいのは、確かめたいのは、もっとちっぽけなことだ。

 問い詰める形になったとはいえ、こうして力強い意思表示を見せてくれた今なら、聞き出せると思った。

 

 

「辻くん、この訓練をやろうって話が出る前に、作戦室であたしに何か言おうとしてたでしょ」

「え――」

「覚えてないかな? あたしが辻くんのこといじり過ぎだってひゃみに怒られてさ、ごめんねってあたしが頭下げたじゃん。そのあと」

 

 

 

『――辻くんも、ごめん。流石にちょっとふざけ過ぎた』

『ぅ……あ、いやその、俺は……』

『……?』

 

 

 

 ずっとずっと、気になっていたのだ。

 その先に続く言葉を聞けない限り、きっと自分と辻は一生、境界線(ボーダーライン)を隔てた別世界の住人で終わってしまうような、そんな気がしていた。

 ほんの少し、()()()()()()という思いがある。もしかしたら――彼が口にしようとしたことと、自分が彼に求めていることというのは、同じなのではないか、と。

 単なる独りよがりかもしれない。自分だけが勝手に、馬鹿げた夢を見ているだけかもしれない。でも、それでも。

 胸の中にある『そうだったらいいな』という想いを、捨てることなど出来ないので。

 

 

「……今度は、なんでもないって誤魔化すのは、なしだよ」

「――――」

 

 

 撫子はじっと、辻の瞳を見つめ続ける。

 戸惑いながらも、揺れ動きながらも――辻の視線もまた、撫子を捉え続けている。

 別に、恋とか愛とかそういうものを求めている訳ではない。ただ、お隣さん(ネイバー)のように近しいようで限りなく遠い彼との距離を、少しでも埋めてみたいと、そう思ったから。

 わずかの緊張と、抑え切れない期待を込めて、日向坂撫子はその言葉を口にした。

 

 

 

「ねえ――聞かせて? 辻くん」

 

 

 

 こわがらないで、と言うように。

 花の名前を持つ少女は、その名に似つかわしい無邪気な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ――駄目だった。

 何一つとして、自分を変えることなど、出来はしなかった。

 異性を前にすると、平静を保てなくなる。口、手足、思考――全てがまともに働かなくなって、無様を晒すことしか出来なくなってしまう。案の定、今回もそうだった。

 彼女を斬れたら、何かが変わると思っていた。目を逸らしたまま、誤魔化したままであっても、自分にとっての天敵とでも言うべき存在をこの手で打ち倒せたなら、心の枷を断ち切ることが出来るんじゃないか――という、浅はかな夢想。

 目の前の壁と向き合わないまま飛び越えようとしても、足を取られて躓くのが関の山だと、心の底では理解できていた筈だったのに。

 情けない。恥ずかしい。今すぐにでも、この場から逃げ去ってしまいたい。

 結局、いつまで経っても自分は、異性とまともに向き合うことなど出来やしないのだ――

 

 

 

「あ、た、し、を! 見ろ!!」

 

 

 

 ――そんな自分の顔を、強引に引っ掴んで。

 日向坂撫子は、辻新之助の退路を断ち切った。

 鳩原未来の穏やかさや、氷見亜季の自然さとも異なる、ぐいぐいと手を引っ張ってくるような――力強い導き。

 正直、未だに戸惑う気持ちはある。恐れる気持ちも確かにある。日向坂撫子の行動は読めない。ほんの一秒前まで滑稽な馬鹿騒ぎを繰り広げていたかと思ったら、急に真面目な顔で詰め寄ってきたり、花のように可憐な笑みを湛えて、じっとこちらを見つめてきたりもする。

 自分にとってあまりにも未知なる、異邦人(ネイバー)のような存在。その不可思議さがずっと、自分の心を乱し、狼狽させ、追い詰めてさえいた。

 

 

 

「ねえ――聞かせて? 辻くん」

 

 

 

 けれど、今。

 馬鹿みたい話になるが、今更になってようやく、思い出した。

 自分は決して、彼女のことを斬りたかった訳ではない。自分の居場所を奪われてしまったと、逆恨みしていた訳でもない。()()()()()()()

 自分にとっての青い鳥(しあわせ)は、二宮隊の――部隊(チーム)の仲間たちと過ごす日々の中にある。そして、彼女が自分と同じように、青い羽根の存在を氷見亜季らの中に見出したのなら――

 

 

 ――彼女は決して、自分にとっての外敵(ネイバー)には成りえないのだから。

 

 

「……お、俺は……」

「うん」

 

 

 そうだ。

 ずっとずっと、言葉にしたかった。そう出来ればどんなにいいかと、思い立っては諦めていた。

 未知なるものを恐れてはいけない。向き合うことから逃げてはいけない。今度こそ――今度こそがきっと、自分に与えられた最後のチャンスになるだろう。

 その瞬間が訪れるのを、彼女は静かに、微笑みながら待ってくれている。

 きっと、何もかもが劇的に変わるなんてことはない。自分はきっとこれからも、彼女の行動や言動に戸惑い、顔を赤くし、言葉を詰まらせるみっともない日常を過ごすことになるのだろう。

 けれど、それでも。

 『自分はこう思っているんだ』という嘘偽りのない気持ちだけは、彼女に伝えておきたかった。

 

 

 

「俺は――」

「――うん」

 

 

 

 繰り返し口にすることで、心の中の助走を付ける。少女もまた、繰り返し頷く。

 一歩。自分がこれから踏み出すのは、たったの一歩だ。世界中の人間から見ればきっと、そんなことすら口に出来なかったのかと鼻で笑ってしまうような、ちっぽけな一歩。

 

 

 されど――辻新之助にとってその一言は、地球の引力を超えて月へと至るほどの、大いなる跳躍であった。

 

 

 

 

 

「俺は――日向坂さんと、()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

 

 

 

 

 

 言った。

 言えた。

 一字一句違わず、詰まることもなく。胸の内にずっと抱えていた、思いの丈を、はっきりと。

 普通。自然。ありのまま。それだけにずっと憧れていた。それ以上のものなど、欠片も求めてはいなかった。

 自分のような人間にとっては、特別ではないということが、何よりも特別なことだから。

 

 

 日向坂撫子の突拍子もない行動に、なんだそれはと待ったを掛けられるようになりたい。

 日向坂撫子の思わせぶりな発言を、恥ずかしがらずに笑って受け流せるようになりたい。

 日向坂撫子の自分に向いた視線を、真正面から逸らさず受け止められるようになりたい。

 

 

 それだけでいい。自分が求めていることなんて、本当にたったのそれだけなのだ。

 自分とはまったく異なる存在である彼女を、否定したくない。受け入れられるようになりたい。

 もしも、そうすることが出来たのなら――

 

 

 ――彼女もまた、自分にとっての青い鳥になり得るかもしれないのだから。

 

 

「――――――――」

 

 

 暫しの間、撫子は無言であった。口元の笑みは絶やさぬまま、瞼を閉じて、何やら思案に耽っている。

 今更ながら、こうして大人しくしている時の彼女は、普段の滑稽さが嘘のように(たお)やかだった。

 

 

「――辻くん」

「は――はい」

 

 

 そんなことを考えていたせいか、ついつい返事が敬語になってしまった。

 再び撫子が瞼を開き、木の実のような瞳で辻を見上げてくる。頬が紅潮するのを感じながらも、辻もまた視線を逸らさない。

 そうして、可憐なる少女は笑みを深くし、眉目麗しい顔付きで――

 

 

 

「言えたじゃねえか……」

 

 

 

 麗しさの欠片もないことを口にした。

 ぶふう! と通信越しに誰かが噴き出し、耳元がノイズに襲われる。辻もまたがくりと膝の力を失い、危うくその場にすっ転ぶところであった。今までのそれなりに真剣さを帯びていた空気が、この一言で一気に吹き飛んでしまったような気がした。

 それを裏付けるかの如く、ここぞとばかりに外野たちの声が耳へと飛び込んでくる。

 

 

『聞けてよかった』

「ひゃみさん!?」

『そりゃ……つれぇでしょ……』

「犬飼先輩!?」

『ふっ……くっふふふ、くひっ……』

「鳩原先輩! しっかりして下さい鳩原先輩!!」

 

 

 (チーム)の全員にネタが通じている。国民的RPGの名は伊達ではなかった。

 おかしい。どうしてこうなった。何故さっきまでの流れから一瞬にして、ここまで場の雰囲気ががらりと変わってしまうのか。当たり前のように対応してくる氷見と犬飼は何なのか。日向坂撫子は一体どういうつもりで、唐突に一人ファイナルファンタジーをおっ始めてしまったのか――

 

 

「日向坂さん、君は……!」

()()()()()()()()、辻くん」

 

 

 ふざけているのか――そう詰め寄りかけた辻の内心を見透かすように、日向坂撫子は不敵な笑みを浮かべている。その表情に、はっとさせられた。

 そうだ。

 ()()()()()()に臆せず接していくのだと、たった今自分は誓ったばかりではないか。

 

 

「あたしもね? 辻くんとおんなじこと考えてたよ。キミと普通にお喋りがしてみたい――だけどほら、あたしの()()()ってこんなだからさ。一緒にいてなんだこいつって思ったりするだろうし、真面目にやれって怒りたくなる時もあると思う。実際ひゃみにもよく叱られてるし」

『自覚があるなら治す努力をしなさい』

「それで治るなら苦労はしないってこと、あるでしょ?」

『……ま、ね』

 

 

 ひどく実感の籠もった声で、氷見亜季は親友の意見に同調した。

 

 

 真面目(シリアス)になり切れない少女がいる。

 異性と接することが苦手な少年がいる。

 意中の相手を前にすると、普段の自分を保てなくなる少女がいる。

 そして――

 

 

『…………』

 

 

 ――人を撃てない狙撃手(スナイパー)がいる。

 誰もが皆、己の欠点を自覚している。なんとかしたい、普通(正常)でいたい――日々、そう思いながら藻掻いている。

 わかっていても、どうにもならない。

 どうにもならないのだ。

 

 

「――だけど、そんなあたしとちゃんと話せるようになりたいって、辻くんは言ってくれた」

「あ……」

「だからもう、あたしは辻くんに遠慮なんかしてあげないぜ。今まで以上に辻くんを弄り倒すし、隙あらば照れ顔狙いに行くし、そのためならいつか手段を選ばなくなる日が来るかもしれない……フフフ、怖いか?」

「え――ええ!? そうなるの!?

「そうなるんです。……どうする? 辻くん。引き返すなら今のうちだよ」

 

 

 そう言って、日向坂撫子は上目遣いに悪戯な笑みを浮かべる。愛くるしさの塊とでも言うべき瞳が、真っ直ぐに辻を捉えている。

 心拍数が急激に跳ね上がるのを感じる。鏡など見なくても、自分の頬は間違いなく紅潮していると判ってしまう。そのまま視線を逸らし、声を震わせ、たどたどしい受け身の言葉を返す――

 

 

(――――あ)

 

 

 けれど。限界を迎えかけた、その間際。

 目の前の少女の頬もまた、仄かな朱色を帯びているのに、辻新之助は気が付いた。

 

 

 ……そっか。

 恥ずかしいのは、照れ臭いのは――俺の方だけじゃないんだ。今は。

 

 

 相手が自分と同じ感情を抱えている。たったそれだけのことが、不思議と心を落ち着かせる。

 そうだ。

 どれだけお道化て見えようと、言動が奇抜に映ろうと、挙動の一つ一つが自分を惑わせる、そういう存在だとしても――

 やっぱり彼女も、こういうところは、()()()女の子なのだ。

 

 

「……の」

 

 

 ならば、今だけは。

 自分が格好を付けるべき場面だと、普通になりたい少年は、そう思った。

 

 

「――望むところ、だよ……!」

 

 

 案の定、すんなりと口にすることは出来なかったけれど。

 それでも、少女の視線を受け止めたまま、少年は己の覚悟を示してみせた。

 

 

 少女は満足げに頷き、何故だか顔の半分に陰影を付けて、不敵な笑み(ドヤ顔)で一言。

 

 

 

「それを聞きたかった」

 

 

 

 ブラックジャックであった。

 やっぱり最後の最後まで、真面目(シリアス)になり切れない日向坂撫子であった。

 

 

 

 

 

 ――今日の決意が、いつまで続くものかはわからない。

 明日には消えてなくなってしまうような、脆く儚いものかもしれない。或いは明後日、明々後日か――先のことなどわからない。今までずっと変えられなかったものが、心持ち一つでそう簡単に変えられるとは思えない。

 けれど。

 境界線(ボーダーライン)の向こうから手を差し伸べて、自分が踏み出すのを待っていてくれた、この奇妙で愉快な女の子(ネイバー)のことを裏切りたくはない。

 その気持ちだけは、絶対に手放してはいけないと、そう思うから。

 

 

 

 

 

「……改めて。――これからよろしくね、日向坂さん」

「――照れちゃうぜ。えへへ」

 

 

 

 

 

 ――俺は、界境(ボーダー)を越えていく。

 彼女が引き金(トリガー)となって生み出される、滑稽で騒々しい世界(ワールド)の中へと、飛び込んでいく。

 

 

 自らの、意思で。

 

 






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次回はようやくあの人が出ます。


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