昔々、あるところに。それはそれは仲の良い男の子と女の子がいたそうな。

 女の子は聖剣を取り勇者に。
 男の子はそんな彼女を支える為に騎士に。

 彼らは他にも仲間を揃え、遂には魔王を滅ぼした。

 ────これは、その後のお話。

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墓守/騎士 愛を叫ぶ

 ────魔王は勇者によって討伐された。

 

 世に聞く真の英雄譚。

 迫る魔の手をちぎっては投げ、切っては倒す。

 魔王の従える四天王すらも仲間と協力して倒し、道中に寄った村の窮地にも対処する。

 伝説の聖剣を手にし、武器の性能に驕らず自身も切磋琢磨し強くなる至高の英雄。

 彼女の最期は魔王との相討ちであり、そのドラマ性も、この英雄譚の人気に拍車をかける要因となっている。

 

 彼の幼馴染とは、その物語の主人公だった。

 

 「ふぅ……」

 

 元、女勇者の仲間。「騎士」は、花束を片手に街を歩いていた。

 久方ぶりに得た休暇。彼はそれを利用して死んだ幼馴染の墓参りをしようとしていた。

 手に持った選りすぐりの花の数々は、彼女が生前に好きなものだと自分に語りかけてきたものである。

 それこそ、花のような笑顔で。

 

 騎士は何処か懐かしむように歩きながらも軽く空を見上げる。

 空を覆う灰褐色の雲は、気分を暗鬱とさせてしまうが、彼の追想に影響を及ぼす事はない。

 

 彼女は、昔から活発な少女であった。

 森に冒険と称して勝手に入っては村の大人達に叱られ、それに巻き添えを喰らった自分までもが叱られる。

 ある種のルーティンとなっていたそれではあるが、彼自身は、一番楽しかった時代であると認識している。

 それこそ、彼女が彼女のままでいられた唯一の時代であるし、自分も彼女の仲間というレッテルを貼られることのない、純粋で尊い期間だったのだ。

 

 彼女が勇者として認められたのは十五の夜。

 天から降ってきた光を放つ聖剣は、彼女の家の庭に突き刺さる。

 これを手にしろ。そう言わんばかりに存在感を放っていたそれは、未だ子供だった頃の彼の心に強く根付いていた。

 聖剣を手にした彼女だったが、最初は勇者にはなりたがらなかった。

 「私は私であり、決して『勇者』なんかじゃない」。とは、彼女の言葉だ。

 それもそうだ。当時は個性を最も表明したい年頃の十五歳。「勇者」としてのレッテルを貼られ、大人達に利用されて世界を救うなど、彼女は無くとも嫌に決まっている。

 彼自身、彼女を守ろうと大人達に相手に木刀一本で立ち向かっていった程だ。

 

 しかし、そんな身勝手も、運命というものは続けさせてはくれなかった。

 彼らが住む村に、大量の魔物が押し寄せる。

 魔物は魔王の分身であり手先。有象無象の奇形達は村を押し潰し、炎の渦巻く地獄に村を変化させていった。

 

 近所のおじさんの首が飛んだ。

 優しいお姉さんの腹が引き裂かれた。

 八百屋の息子の足が千切れ。

 力自慢のお兄さんの全身が潰された。

 

 騎士と女勇者は大人達への反抗心から村を離れていた為に無事であり、彼らが騒ぎに気づいて村に戻った頃には、既に時は遅かった。

 村は炎に焦がされ、そこにあったはずの家はただ炭として風に吹かれる。

 何故か漂う香ばしい臭いは、余り想像はしたくなかった。

 

 「お母さん、お父さん?! 」と、叫んで走り去っていくのは幼馴染の姿であり、騎士も両親が心配になって自身の家のあった場所へと走る。

 彼らの家は隣り合っていた為に、必然的に彼は勇者の後を追う形となった。

 

 ……思い出したくも無い光景だった。

 

 両親は、苦悶の表情を浮かべて下半身を挽肉にした状態で見つかった。

 家は半壊し、思い出の品も全て破壊され尽くしている。

 

 何より、最も悲惨だったのは家の隣で膝から崩れ落ち、静かに涙を流す彼女の姿だった。

 瞳孔が開き、口を怒りと絶望に歪ませ、息も荒く、凡そ年頃の少女がしていて良いものではない。

 静かに涙を流すとは表現場のものだが、実際には小さく何か独り言を呟いている。

 

 「許さない」。

 辛うじて聞き取れたその言葉は、朗らかな彼女からはかけ離れた。確かな恨みの意識。復讐の衝動。

 動きもしなかった彼女の身体の震えが次第に強まり、やがては地響きすらも感じられるほどに空間そのものが悲鳴を上げ始めた。

 ……今思い返すのであれば、彼女が勇者として選ばれてしまった所以も、此処にあったのかもしれない。

 

 騎士は、その時の彼女を強く抱きしめずにはいられなかった。

 たとえ自分を自分と気づかずに胸の中で暴れても。たとえ、顔を爪で傷つけられ消えない痕が残ってしまっても。

 彼は幼馴染を、初恋の人をこれ以上放っては置けなかった。

 自分の家族も死んで悲しいだろうに、彼女と同じ位に慟哭したかろうに。

 それでも彼は幼馴染を心配し、これ以上彼女の心が壊れないように必死に優しく抱きしめた。

 

 数分だったか、数時間だったか。

 しかし確実に長い間彼女は錯乱し、やがて落ち着いた。

 憑き物が取れたような、諦観し、憎悪するような。そんな笑顔を浮かべて、彼女は騎士の胸を離れる。

 ありがとう。とは小さく聞こえたが、それでも何処か異常に聞こえて仕方が無い。

 

 騎士は彼女がこれ以上離れてしまわないように手を伸ばすが、それはもう遅い行動だった。

 

 彼女は庭に突き刺さって放置されていた聖剣を手に取る。

 これほどの災厄が降り注いだというのに、聖剣には傷も、汚れすら付着していない。

 まるでこうなる事を予期していたかのように、聖剣は微笑んで彼女の手に取られた。微笑みは、嘲りにも感じ取られるが。

 

 地面から抜き取られた聖剣は強い光を放ち、曇天の空を明るく照らす。

 絵本や大人向けに綴られた英雄譚では、華々しい描写で描かれる一場面ではある。実際、事情を知らぬ者が此処を切り取って見たのであればそういったシーンに感じ取られるだろう。

 だが、当事者からは。騎士からしてみれば、それは物語のプロローグでも、格好の良い英雄の決起のシーンでも無い。

 これはバッドエンド。一人の少女の人生が終わり、英雄という名の臣民の奴隷として始まってしまったというバッドエンドなのだ。

 

 騎士は、彼女についていく事しか出来なかった。

 王城に行き、少ない賃金を渡され。村を転々とし、奴隷に近いほどの雑用を熟す。

 仲間も増え、慕われもした。

 しかしそれはあくまで、人民が、弱者が、勇者としての彼女を見ている結果であり。誰一人として、路地裏で涙を流す幼馴染の姿を認める人間はいなかった。

 ただ一人、騎士を残して。

 

 幾ら人生が壊れても、未だ死んではいない。

 彼女も年頃の少女としての倫理観は持ち合わせている。

 敵を斬り倒した時の血生臭さも、助けられなかった時の身勝手な罵声も。

 彼女にとって慣れてしまうということはない。

 堪えきれなくなった時、彼女は人知れず泣いていた。

 路地裏で、誰もいない部屋の隅で、森の奥に隠れる時だってあった。

 

 騎士はそんな彼女を放っては置けず、必ず彼女の元へ駆けつけ、胸を貸した。

 彼女は強かった。涙を流しても、それでも自分の他の人のためならばと立ち直る。

 彼女は弱かった。自分で立ち上がる事ができてしまう為に、他人を頼る事が苦手だった。

 

 騎士は優しかった。彼女の涙を逃す事はなく、幼馴染であるが故の観察眼で彼女を支えた。

 騎士は愚かだった。優しさが彼女の為になる事は無く、他人の強さに依存する味を覚えさせてしまった。

 

 騎士の優しさには、きっと下心もあったのだろう。

 騎士は騎士である前に、一人の男だった。拗らせ続けた片想いを所持した、情けない男だったのだ。

 

 彼らの依存関係は半ば美しい物があり、仲間の一人から語られた半ドキュメンタリー的書籍作品には、勇者と騎士の悲恋として脚色されながらも現在は語られている。

 支え支えられではなく、どちらも倒れ込んだ上での関係であったのにも関わらずだ。

 世間の目というものは、得てして空恐ろしいものがある。

 

 この関係がいけないと最初に気づいたのは、騎士だった。

 魔王の城まであと少し。次の日が決戦になるといった時の話だ。

 他の仲間が眠りにつき、騎士も、自分も寝てしまおうと地面に横たわった。

 その時だったのだ。

 

 「ねぇ……起きてる? 」

 

 彼女の声が妙に大きく聞こえた。

 優しく、甘美で、どこまでも溶けてしまいそうなほど熱い声。

 普段の勇者然とした造られた声とはまた別の空気を纏ったそれに騎士は驚き、飛び起きてしまう。

 眠気眼が覚醒し、思わず声のした方向へ目を向ける。

 ……驚愕だった。

 

 勇者がそこに立っていた。

 しかしそれは平生の様に凛として作られたものではなく、何処か昔を思い出させる様な幼い立ち姿。

 今この瞬間だけ、少年時代に戻ったかの様に錯覚してしまいそうになるが、それでも騎士は自分を保つ。

 

 「どうした? 寝れないか? 」

 「うん……怖い……」

 

 ──怖い。

 それはどうしようもなく当たり前で、しかしこの場に限っては非常に拙い言葉だった。

 齢十七を過ぎた少女が、明日命を失うかもしれない決戦に挑むのだ。恐怖を感じてしまって一体何が悪いのだろう。

 勿論、この感情の吐露は騎士の前でしか行え無い代物だ。

 周囲が勇者としてしか自分を見てこない中、たった一人昔からの彼女のみを見続けてくれる愛しい人。

 彼女はどうしようもなく、少女だったのだ。

 

 魔が悪い事に、騎士はこの時丁度この関係を終わらせようと考えていた。

 非常に魔が悪かったのだ。

 あと二、三日。それぐらい前に彼女が彼に声をかけていれば、運命はまた違っていたかもしれない。

 

 「明日は決戦だぞ。弱音を言っている場合じゃあない」

 「…………そっか」

 

 騎士は心を鬼にして彼女を突き放す言動をとった。

 この共依存の関係が戦いに支障が出ないように、彼は彼女を突き放したのだ。

 騎士は愚かなのだ。優しさもあり、自分よりもまず他人を考えることも出来る。

 しかしこの場合の他人は彼女では無かった。魔王に脅かされる、身勝手な弱者だった。

 彼は最後の最後で、それらに視点を置いてしまったのだ。

 

 勇者は強い。それは周知の事実だ。

 しかし彼女の弱さも、騎士は知っている筈だった。

 幼馴染の視点を持っている彼は、その弱さを熟知している筈だった。

 意外と打たれ弱い所、深く物事を考えられない所、人を疑えない所。

 その全てが、彼だけが理解している事柄なのだ。

 

 勇者は悲しい目を見せた後、騎士の前から離れて行く。

 明日の決戦の為に眠るのだろうと騎士は考えた。

 彼はそのまま眠りに付く。明日への緊張感と、その後の人生について思考しながら。

 あわよくば勇者とそのまま……などと考えてもいるが、もう遅い話なのだ。

 彼は選択を間違えた。彼は視線をずらしてしまったのだ。

 

 この日の夜。幼馴染としての、彼女は死んだ。

 

 

 

 

 回想の海から帰って来た頃には、もう彼女の墓のすぐ側だった。

 曇り空も怪しくなり、数分程経って仕舞えば雨も降り出しそうな程だった。

 

 彼女の墓には、忌々しい聖剣が突き刺さっている。

 彼女を勇者たらしめる屑鉄であり、彼女の命を幾度となく救って来た誇り高き聖剣。

 これが勇者の墓だとこれ見よがしに主張するそれは、良くも悪くも目印として機能していた。

 

 彼女の墓は簡素な作りだった。

 大きな岩が一つ、森の中にポツンと残っているだけ。

 仰々しい言葉も、豪華な教会も近くにはない。

 騎士が彼女を国から守ろうと、隠す為に一人作ったものだった。

 

 国は勇者の肉体を研究しようとしていた。

 勇者の因子がどうだとか、聖剣を量産しようだとか。小難しい事は彼には分からなかったが、彼女の尊厳を傷つけようとしている事は理解できた。

 だからこそ、彼は彼女の遺体を隠し、こうして魔王城すぐ側の森の中に小さな墓を拵えたのだ。

 本当は故郷の土に眠らせてやりたかったが、どうしようもなかった。

 

 ふと彼に胸騒ぎが襲う。

 虫の知らせとも言うべきそれは、最初こそ小さな水滴が落ちる程度のものであったが、しかしそれは自然と大きな波紋となって彼の胸をざわつかせていく。

 奇しくもそれは、彼女の墓に近づけば近づくほどに大きくなっていった。

 

 森林奥深く、魔王城付近、勇者墓前。

 騎士は目の当たりにする。

 

 「勇者の墓とは言っても、貧乏臭えものだな」

 「まあ、この聖剣と骨を少し持って帰るだけで金が入るんだ。安い仕事だろう」

 

 傭兵団の腕章を付けた男が二人、彼女の墓を荒らしている。

 地面に突き刺さった聖剣には未だ触れていない様だが、岩をどかし地面を掘り起こして彼女の遺骸を露出させている。

 おどろおどろしくも美しい彼女の白骨は、しとりと降ってきた雨に濡れてまるで泣いているかの様に物悲しい。

 

 騎士は怒髪天を突いた。

 

 「──っ!? ガアアアアアアアアッッッッ!! 」

 「うおっ!? 」

 「なんだこい──」

 

 一人は言葉を発する事は無かった。

 騎士の姿を認識する以前に、その顔面を剣で両断されたからだ。

 頭蓋の継目を狙った必殺の一撃。脳漿をぶち撒ける哀れな男は、罪のない雑草たちを穢れた血液で汚していく。

 痛みを感じる余裕すらも、与えられる事は無かった。

 

 「ひぃっ!? 」

 

 流れる様なニ撃目。普段の騎士然とした格好ばかりの剣術とは異なる、「殺す為の剣撃」は、この外道の首元を狙い一目散に駆け出していく。

 しかし外道もすぐ死ぬ訳ではない。

 動揺からか足を滑らせながらも、此奴は間合いを見極めギリギリのところを回避する。

 鼻先を軽く掠めはしたが、この程度何という事はない。

 此奴はこれでもプロなのだ。

 

 「なるほど……お前が情報の『騎士様』か」

 「……? 」

 

 傭兵団の男は冷や汗を流しながら話す。

 今回の依頼は「勇者という研究サンプルの回収」。

 そもそも、勇者という存在は魔王を討伐した後に王国の軍を上げて暗殺し、その遺体を使って研究するつもりだったらしい。

 

 「悪いが。お前の女は俺の報酬の為に少々頂いていくよ。

 クライアントが言うに、人類の発展の為がウンタラ……らしいが。まあどうでもいい事だろ? 」

 

 騎士は兜に潜める眼孔を細める。

 この男との会話なぞ、彼は求めて居らず。

 如何に彼女の遺骨に血液を付着させない様に殺すか。

 その一点に彼の思考は集中していた。

 

 両者ともに動かない。

 否、騎士は兎も角、傭兵は動けなかった。

 一挙手一投足動かす意識を身体に向ければ、動かした先の未来が幻覚として彼の脳内に現れる。

 腰からナイフを取り出せば腕を切り落とされ。

 横に回避すれば脚の腱を断たれる。

 挙句、背を見せて逃げ出そうものなら、その背中に深々と投げつけられた剣が貫いて来る事だろう。

 こんなものを見せられては、傭兵は動く事もままならない。

 

 「ち、畜生。っひひ……動けねえや……」

 

 濃密に背中へ感じる死の芳香。

 誇り高き王国の騎士? 慈愛の心に満ち溢れた勇者の右腕?

 冗談ではない。こんな化け物(モノ)がそれほどに大それたモノであって良い筈が無いだろう。

 こんな危険が潜んでいるのなら、最初からこの依頼を受けるんじゃあ無かった。

 全くもって、報酬に見合っていない。

 

 「な、なあ。取引────」

 

 瞬間。騎士が一歩踏み込み、傭兵の喉を横に一閃。

 声帯も断たれ、首から止めどなく血液が溢れ出す。視界が赤黒く染まり、視線を下げれば、そこには自分のソレで出来上がった水溜りが酷く憔悴した自分の顔を反射していた。

 

 ────へ。話す気もありゃあしないってこった。

 

 傭兵はその場に崩れ落ち、二度と動く事は無かった。

 

 二人ほど人間を殺して、しかして騎士は平生を保っていた。

 その頭で考えるのは彼女との思い出ばかり。

 勇者だった彼女との旅は楽しものではなく、思い出すのは幼少期。未だ彼女が彼女自身である事を許された限り無く少ない数年間。

 幼い少女と、少年でいられたあの日の出来事だけ。

 

 このまま彼女をここに放置してしまっては、また国に雇われた傭兵達が彼女の眠りを荒らしに来るだろう。

 

 ────ゆるせない、許せない、赦せない。

 

 少年時代の彼が、旅をしていた頃の騎士が、そして今現在の騎士が怒り狂う。

 握り締めた剣は血糊に塗れてもう使えそうに無い。

 騎士に就任してからもずっと使い続け、磨き上げた思い入れのある愛剣だったが、こうなっては仕方が無い。

 彼は騎士としての誇りを地面に放り投げ、代わりのすぐ側にあったソレに向き合う。

 

 『勇者の聖剣』。

 明確に名称の付けられた事のないこの忌々しい剣は、そう呼ばれていた。

 地を裂き、海を割り、天を突く。挙げ句の果てには魔を討ち果たすという優れものだ。

 旅時代、彼女が聖剣の手入れを行なっている姿は見た事が無く。唯一見えたのは、魔物を斬り払った時に付着した血糊が、聖剣に吸い込まれていったその瞬間だけ。

 「なんか血を吸収しているみたい」と、はにかみながら話すのは、持ち主である彼女の姿だった。

 

 これなら使い続けても支障は無いだろう。

 

 横たわっていた聖剣を騎士は乱雑に引っ掴む。

 剣に対する敬意も無く、そこらの無法者が棍棒を掴むように乱暴なその様子は、国で語られる騎士の姿像とは程遠い。

 

 薄緑色の刀身、青く包帯の巻かれた柄、装飾には現実に存在しているかも怪しい謎の赤い宝石が刀身の根元に埋め込まれていた。

 側から見れば、美しい剣だと全人類が答えるだろう。

 

 繁々と聖剣を眺める騎士だが、突如異変に襲われる。

 

 「あっ……が……えうっ……」

 

 猛烈に襲い来る吐き気、倦怠感、そして悪寒。

 全身の肌には針を突き立てられるような激痛が走り、悪寒から来る鳥肌の数々が、その激痛を更に増大させている。

 騎士は思わず膝を着くが、それでも尚聖剣を手放す事はしなかった。

 手放せば二度と、彼は聖剣を握る事は無いと。聖剣を握らなければ、二度と彼女を思い返す事も、空想に逃げる事も出来なくなる。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

 ここで聖剣を手放しては、彼女との訣別を意味してしまう。騎士は二度も、彼女を拒絶してしまう事になる。

 そうなっては彼は罪悪感で、二度と彼女を思い起こす事はしなくなるだろう。

 それだけは絶対に避けなければならない。何があっても、それだけは起こってはいけない事象だ。

 たとえ人と関われなくなろうとも、たとえ騎士と名乗れなくなろうとも。

 

 ────これから先、思い出以外に愛を抱けなくなろうとも。

 

 幼馴染である彼女との思い出に縋り付く事ができないのであれば、それは自分にとって死んでいるも同義だ。

 

 痛みは大分薄れてきた。悪寒も鳴りを潜め、身体の調子も戻ってくる。

 聖剣の刀身を見れば、鮮やかな薄緑色は、気が付けば禍々しい紫へと変色している。

 握り締めた柄からは、何か植物の蔦のようなものが右腕に食い込み、完全に合体してしまっている。これで二度と聖剣を手放す事は無いだろうと、一人安心した。

 

 鎧を着た者は勇者の遺骨の前に行き、優しくそれに土を被せる。

 もう二度と掘り起こされないように、安らかに彼女が眠れるように。厳重に、慈愛を込めて。

 

 墓を作り直した墓守は、その場に剣先を地面に突き立て動かなくなる。

 それは、勇者の墓を守る様で。ある種清らかな姿に見えた。

 

 瞳を閉じ、夢想するのは幼馴染とのこれから。

 花畑に佇む二人、笑い合う二人。

 抱擁を交わすだろう。愛も囁くだろう。キスもするだろう。

 思い出だけは綺麗で、美しくて、幸せで。

 虚しさを覚えるなんて、きっとあり得ない事だろう。

 

 投げ捨てられたカーネーションは白く、降り始めた雨に濡れている。

 それは、花が泣いている様にも感じ取れる事だろう。

 

 まあ、今の彼には関係のない事だろうけれど。

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 ごめんなさいと、愛していると、霊体は彼に伝えたかった。

 雨に濡れようと、泥に塗れようと彼には関係ない。彼はひたすらに自分の墓を守り続けてくれた。

 凄く嬉しかった。自分の事は伝説として忘れ去られようとしているのに、幼馴染である彼は私の事を覚えていてくれる、愛していてくれる。今までも、そしてこれからも。

 だけれど、その愛情の矛先が自分ではない事に気がつくのに、然程時間は掛からなかった。

 

 霊体はこの世に存在していない。ただ漠然と、目の前の景色を眺めることしか許されない。

 故に彼女は休暇が取れた日には必ず墓参りに来てくれる騎士をひたすらに眺め、その愛情を深めていた。

 

 やっぱり彼は素敵だ。かっこいい。好きだ。愛している。

 

 日に日に増す愛情故の苦しみも、死んだ彼女にとっては愛おしい。

 自分の墓を守る為に賊を殺してくれた時なんか、実体は無いというのに腹の奥がキュンと疼いた程だった。

 

 聖剣を手に取り、彼は苦しむ。

 

 ああ、やめて。それは私じゃ無いといけないの。私が持たないと貴方が駄目になる。

 

 しかし彼は苦しみを乗り越え、聖剣と結合し、一体化してしまった。

 愛故に成せる技なのか、それとも彼もまた聖剣と少なくとも適合する才能を持ち合わせていたのか。

 それは彼女にも定かでは無い。

 

 真の意味で墓守となった彼は、自分の墓を守る様に佇む。

 雨に塗られながらも、健気に彼は私の墓を守っている。

 

 それでもやはり疲れているのだろうか? 彼は瞳を閉じてから微動だにしない。

 それは眠っている様にも捉えられるが、同時に思索に耽る様子にも思える。

 

 違和感を感じ始めたのは、それから数分の出来事だった。

 

 霊体というのは不思議なもので、生きている者の思念の様なものを受信する事がある。

 偶然にも彼女は墓守の思念を受信し、驚愕する事になる。

 

 ────違う……違うっ!?

 

 彼から感じ取った思念。それは『幸せ』だった。

 それも人を愛しているから、愛されているから感じ取れる類の幸せの感情。

 

 この場で彼は一体誰を愛している? 

 ────自分だ。

 じゃあ何故私はこうも幸せに感じられず、逆に焦燥感を煽られる?

 ────わからない。

 

 彼女は彼の持つ聖剣に自身の抱く焦燥感のままに触れてしまう。

 それが正解だったのかは定かでは無いが、少なくとも答え合わせは出来たのでは無いだろうか。

 

 気がつけば、彼女が立っていたのは美しい花畑だった。

 一面に咲き誇る白いカーネーションの数々。自分の好きな花だと話したのは、今から何年前の話だっただろうか。

 その花畑の中心で、彼と『彼女』は仲睦まじい姿で寄り添っていた。

 

 ────誰、その女。

 

 彼が自分に気がついた様子は無い。

 覚束ない足取りで、彼女は彼に近づいていく。

 

 不安、焦燥、恐怖。胸に渦巻く悪感情は、先程の幸せな気分を完全に排除してしまっていた。

 

 歩き、駆け足になり、そして遂には走り出す。

 彼女はその勢いのままに彼らの姿を真正面から捉えた。

 捉えてしまった。

 

 ────は、はは。

 

 見てしまった。見なければ良かった。それでも、嬉しかった。

 

 今、彼らは眠っている。幸せそうな寝顔だ。反吐が出る。

 彼の隣で、彼の肩を借りて寝ている姿の自分を見て、彼女は酷い吐き気を催した。

 

 ────違う!? 違うよ!? 私じゃ無い!? そんなの(思い出)なんて、私なんかじゃ無い!?

 

 今彼が愛しているのは、他の人間でもなければ、自分でも無い。

 ()()()()()()()()()()()()()()だった。

 

 死んでしまった私を哀悼してくれる訳でも無く、自分が創り出した仮初の私で自らを慰める彼の姿。

 彼は彼女を見ていない。見ているのは自分の中で創り出した創造物だけ。

 そんな彼を見て、酷く情けなく、浅ましい。

 

 彼が最後まで自分を愛してくれているのは、それはそれで嬉しい。

 だがやはり、それ以上に悲しさは彼女の身を包む。

 

 思い出は私では無いと、何度叫び、訴えても。幸せな彼の表情は崩れない。

 時折、此方を見てほくそ笑むあの思い出の姿が見えて、彼女は更に激情に駆られる。

 

 彼は思い出に愛を囁いた。

 彼女はその倍、愛を彼に叫んでいた。

 実体は無いというのに喉が裂け、口から血反吐をぶち撒けようとも。彼女が叫ぶのをやめる事は無い。

 

 ────好きだ。好きなんだ。愛している。貴方を愛しているのは私だ。そっちじゃ無い。

 ────だから、頼むから、こっちを見て……

 

 叫び始めて八年が経過しようとしていたある日の事。

 彼女は、自分の身体が世界に溶けて来ている事に気がついた。

 足先が透明になり始め、空間全体に感触がある事を認識する。

 思い出の私を見てみると、何故か以前よりも血色がいいように思える。

 

 これはひょっとすると、思い出と私が混ざり始めているのでは無いか?

 彼女はそう考えた。

 

 彼女の意思は世界から消え、彼の思い出となってこの世界で永遠に愛を誓い合う。

 まさしく彼の傀儡で、甘く蕩ける末路の一つ。

 

 彼女は声を張り上げ、彼に此方を向いて貰えるように叫んだ。

 

 ───こっちを見て! 伝えたい事があるの!

 

 想いが通じたのかは定かでは無いが。彼の視線が此方に向いたように思えた。

 いや、彼は此方を見ている。たしかに私を認識し、存在を捉えている。

 

 しかし、彼が私を私だと理解している様子では無かった。

 強いて言うのであればそれは不思議な物体を見つめるそれに近い。

 思い出と同じ姿をしている私に驚いている訳でも無く、ただ不思議な存在を疑問に思っているだけ。

 

 だけど、それで構わなかった。

 彼が私に意識を向けてくれているのであれば、それで良い。

 

 彼女は薄れる意識の中、最後の力を振り絞って叫んだ。

 

 「小さい頃から一緒に居てくれてありがとう!

 怖い大人から守ってくれてありがとう!

 寂しい時、抱きしめてくれてありがとう!

 最期の夜に、困らせちゃってごめんね!

 先に逝っちゃって、ごめんね!

 貴方が苦しい時、ただ見ているしか出来なくて、ごめんね」

 

 息を思い切り吸う。

 

 「大好き!! 」

 

 一瞬、幼いあの日の姿に戻った彼女は、そのまま空間と溶け合い同化した。

 

 少年は徐に涙した。

 自分が何故泣いているのかはわからない。

 ただ、何故か大切な人を失ったような。また道を間違えたような。

 そんな後悔と自責の念に酷く襲われていた。

 

 「大丈夫? 」

 「あ、ああうん。大丈夫。なんでもない」

 

 後ろから、大好きな幼馴染が心配して声をかけてくる。

 彼女の声はいつも聴いている筈なのに、何故かひさしぶりに聴いたような新鮮さがある。

 ちょっとした違和感を感じながら、彼は彼女を徐に抱きしめた。

 

 「わ、どうしたの? 急に」

 「なんでもない。なんでもないんだけど……」

 

 照れ臭そうに彼は言う。

 

 「君を抱きしめたくなった」

 「なにそれ、変なの」

 

 彼女はそう言うも嬉しそうに彼を抱きしめ返す。

 

 一面に咲き誇る白いカーネーションの数々。

 少年と少女は、今日もそこで仲良く暮らして行くだろう。

 そこは雨も降らず、何者にも邪魔されない。

 暖かい日は彼らを照らし、心地よいそよ風は彼らを祝福する。

 

 彼らは同じ事を思う。

 

 ────嗚呼、貴方を愛している。と。



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