ワートリハードモード トリオン能力1未満トリガー無し敗北即死   作:ルシエド

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第一章 源頼漢と雨取兄妹と安倍晴明と
【A】I'm an Ordinary Man


 どの国にも、どの街にも、悪性の人間は存在する。

 地球上で最も治安の良い国候補を10ほど挙げても、その中に『夜道を女性が一人歩きしても全く問題の無い国』というものはない。

 どこにでも悪はあり、どこにでも正義はある。

 社会の善悪は、濃淡で作られるまだら模様だ。

 

「ひぃぃ……だ、誰か……」

 

 髪の薄い眼鏡の中年が、街の一角、人気のない区画の路地裏で、三人の不良に囲まれていた。

 カツアゲ、あるいはオヤジ狩りと言われるものであった。

 暗がりに連れ込まれた中年は、袋小路に追い詰められ、逃げ道を塞がれて、喧嘩で勝てる見込みもない。

 

 しかし金を渡して逃げるわけにもいかない。

 中年は、今日これから娘の誕生日プレゼントを買って帰るつもりであった。

 今、この財布の中のボーナスを丸々不良に渡すわけにはいかない。

 ゆえに、物理的にも心理的にも袋小路にあった。

 

「誰も来ねえよ、このへんはまともなやつは寄り付かねえからな」

「運がなかったねえ、おっさん。いやぁオレたちはイイヤツな方だから運が良かったか?」

「違いねえ。有り金全部置いてけば暴力も振るわねえからなぁオレたち」

 

「うぅ」

 

 娘のために意地を張っても何にもならないのか。

 観念して、諦めるべきなのか。

 中年男性がそう思った、その時。

 

 金髪の少年が、不良と中年の間に割って入った。

 

「気に入らねえなあ。ああ、気に入らねえ」

 

 適当そうな少年だった。

 髪は我流で染めたのか、脱色が十分でない上にまばらで、金髪の合間に黒髪が見える。

 服装もキチッと着こなしていなくて、シャツは出しっぱなしでボタンも全ては留めておらず、ズボンのベルトも本人の腰のサイズに合わせて切り詰めていないのかダラっと下げられている。

 目つきは悪く、体格がよく、発育のいい中高生なのか、童顔気味の成人男性なのか一見して判別がつかない。

 不良と並べると、どちらが中年をいじめている不良なのかさっぱり分からないほどだ。

 

 けれど。その瞳には、隠されつつも滲み出る怒りがあった。

 

「誰だテメエ」

「どっかいけや」

「オレたちはこれから"仲良く"するんだからよ、ヘッヘッヘ」

 

「そうか」

 

 不純物の多い金髪の少年は、中年を庇うように立ち、トン、トン、と路面を蹴る。

 

 とてもよく弾むスーパーボールが低い位置から落とされた時のように、低く、低く、一定のリズムで跳ねる。

 

 そして、蹴る・跳ねる・踏み込むが渾然一体となった動きで、少年は距離を詰め、三人の不良の一人を思い切り殴り飛ばした。

 

「じゃあ、俺とも仲良くしてくれや」

 

「なっ、テメッ―――」

 

 次の瞬間、路地裏の壁を蹴って空中回し蹴りを見舞ってくる身軽さに、不良達は思わず息を飲んでしまった。

 

 喧嘩で後手に回った者に、勝機はない。

 

 

 

 

 

 少年は先手を取ったまま不良達をタコ殴りにし、背後の中年を庇ったせいで反撃を何発か貰いつつも、危なげなく三人の不良を叩きのめした。

 

「ぺっ」

 

 不良に殴られた頬、腕、腹が腫れているが、少年は特に気にした様子もなく、口の中に溜まった血を路面に吐き出す。

 そして、ボロボロになった不良達を路地裏から蹴り出して、不良全員の財布を奪い取り、中の紙幣を抜いて不良に投げつける。

 カツアゲにはカツアゲを。

 悪党には暴力を。

 空の財布を投げつけられた不良は、怯えた様子で後ずさった。

 

「二度とこの辺でカツアゲすんじゃねーぞ。次は身ぐるみ全部剥いで駅前に捨てる」

 

「ち、畜生……! 覚えてろよ!」

 

 不良達が逃げ去り、姿が見えなくなったのを確認してから、少年は路地裏で蹲っていた中年男性に駆け寄った。

 

「無事すか? 怪我とかないすかね?」

 

「あ、ああ……ありがとう、助けてもらったようだね」

 

「別に礼とかいいすよ。

 俺、正義の味方とかそういうのではないんで。

 このへんは俺の縄張りだから、俺の気に入らねえものは殴りに行ってるだけっす」

 

「……そうか」

 

 普段馴染みの無い暴力の世界に忌避感を抱き、中年男性は礼もそこそこにその場を立ち去ろうとするが、少年が肩を優しく掴み止めた。

 暴力の化身のような男に掴まれたことで、中年男性は思わずビクッとする。

 

「ああ、おっさん、ちょっと待って」

 

「?」

 

 少年はポケットからコンビニのレシートらしきものを取り出して、同じように取り出したペンでこの辺りの地図をささっと書き、更に道筋を書き込んで渡す。

 

「この道通った方がいいです。

 この地区の警察官の巡回経路がこの道なんで、不良あんまいないんすよ」

 

「!」

 

「あとこのへんは木・金曜日の方が早い時間から怪しい人物が夜道を出歩きます。

 派出所のシフトで巡回適当にやってる新人がその曜日担当なんす。

 今日は木曜日なんで明日もこの時間にこの道は通らないようにしてくれれば……」

 

 緊張していた中年男性の肩から、力が抜けて、警戒心が抜ける。

 

 やがて先の"正義の味方とかそういうのではない"という言葉が、少年の自称でしかなく、少年の本質を示す言葉ではないということを、中年男性は理解した。

 

「ははっ」

 

「どしたんすか?」

 

「やはり改めて礼を言わせてくれ。ありがとう」

 

「……だから別にそういう感じで喧嘩したわけじゃ」

 

「世の中も捨てたものではないな。どこにも珠のような人は居るものだ」

 

 去っていく男性を見送って、少年は不良達からカツアゲした紙幣をポケットにねじ込んだ。

 

「変なおっさんだ。何言ってんだか」

 

 "他人に好意的に解釈された"ことが、むず痒くて頭を掻く。

 染めそこねた黒髪混じりの金髪が揺れた。

 

 不良相手でもカツアゲした少年を悪性に見るか。

 その後の応対から少年を善性に見るか。

 中年男性は後者で、少年自身は前者であるようだった。

 

「マンガだったら、俺ぁ宿敵にもなれないかませ悪党だと思うがね」

 

 寄り道せず、少年は真っ直ぐ帰路につく。

 向かう先は集合住宅。

 最近までヤクザが生活保護の人間や年金生活の人間を押し込み集め、借金のカタに国からの金の何割かを吸い上げるために使っていた、合法と非合法の狭間にある集合住宅だ。

 ここの二階の真ん中あたりの部屋に、少年はずっと住んでいる。

 

 家に帰った彼を出迎えたのは、三十代半ばほどに見える、まだ若々しくも目の焦点が微妙に合っていない母親だった。

 

「あら、おかえり」

 

「ただいま、かーさん」

 

 ニコニコと母親が息子を出迎える。

 ニコニコと息子を見ている。

 おかえりと言った後、ニコニコ笑って、息子が何かを渡すのを待っている。

 ニコニコと。

 ニコニコと。

 芸をすればバナナが貰えると学習したように、息子に優しくすれば、息子に笑みを向ければ、息子が欲しい物を学習した母親がそこに居た。

 この母親の笑顔に愛はなく、ただ報酬を求める打算がある。

 

 少年はポケットの中から、不良からカツアゲしてきた紙幣を取り出し、母親に渡した。

 

「これ、今月の分。持ってっていいよ、母さん」

 

「あらぁ! ありがとうねぇ! これで教祖様も喜ぶわぁ!」

 

「そっか、よかったよ」

 

 赤の他人が見れば、ウッとするような格好の母親だった。

 

 手首にジャラジャラと付けているのはガラス玉に見える安っぽいパワーストーン。

 首から下げているのは不幸を遠ざける魔除け。

 教祖様のありがたいお言葉と宗教団体の紋章が刻まれたシャツ。

 肘に引っ掛ける手提げかばんには『富を捨てよう』『幸福な原始社会の生活に戻ろう』『資本主義の嘘を抜け出そう』とでかでかと描かれている。

 

 少年は分かっていないわけではない。

 分かっている。

 全て分かった上で、そうしている。

 彼の母親はこれから、息子にたかった金を教祖に貢ぎ、お褒めの言葉をいただきに行くのだ。

 

「ねぇ、来月もっと持ってこれない? もうちょっとでもう一つ上の位階に行けそうなの」

 

「……分かった。頑張ってみる。でも期待しないで待ってて」

 

「あらぁ、ありがとうね! でも期待してるわ、自慢の息子だもの!」

 

「そうだね」

 

「ああそうだわ!

 先週の教祖様のありがたい話を教えてあげる!

 人間はね、体内で栄養も作るけど多すぎると毒になるの!

 人間には自分の体内で作ったものを自分で分解する力があるのよ!

 自分で作った栄養が多くなりすぎたら毒と変わらないものね?

 だから人間の身体が本来持つ、自分で作ったものを自分で分解する能力を高める石が―――」

 

 家を出ていく母親を、息子は見送る。母の笑顔に、子の笑顔を返して。

 

「じゃあまた来週帰ってくるから!

 あ、そういえばずっと忘れてたけど、貴方の中学校卒業祝いもしないと、そうね……」

 

「もういいよそんなの、今更だし。ほら早く行けば?」

 

「あらやだもうこんな時間!

 それじゃあね。富を手放した貴方に幸運が降り注ぎますように!」

 

 母親が出て行った後、少年は階段を上がって屋上に向かった。

 もうすっかり夜も更けた。

 この時間なら、家の中より家の外の方が明るい。

 この集合住宅には、動く電灯も動く空調も無く、ガスも水も電気も一切通っていないから。

 

 屋上から眺められる星明かりと月明かりは、彼が夜に眺められる唯一の光だ。

 

 ただし、視覚的には明るくても、嗅覚的には最悪だった。

 そこかしこに、ヤクザが今も収益のために抱えている認知症や知的障害者が垂れ流した糞尿が放置されており、蝿やよく分からない虫が飛んでいる。

 清掃員が来るのは月に一回。

 来週になるまで反社養分人間達が垂れ流した汚物はそのままだ。

 足元が見えない夜にここを歩いて、糞尿を踏まずに星月を眺めていられるということが、この集合住宅の住人であるという悲しい証明である。

 

 各種申請ができない無知な貧困層や老人を集め、一箇所に押し込め、生活保障や年金を管理費・生活費として搾り取り、最低限の環境しか保証しない。

 そういう反社会的組織のビジネスは、かつてたいそう儲かったらしい。

 この集合住宅はかつてそういう大規模なビジネスを行っていた場所で、今もある程度その頃の慣例とビジネスを継承している。

 

 反社組織は金を出さず、管理者は糞尿を月一で清掃する程度にしか管理せず、どんな貧乏人でも屋根のある家に住めるほど家賃が安く、犯罪者が住んでいても誰も通報しやしない。

 ホームレスのダンボールハウスともまた違う、底の底。

 

 この集合住宅は、普通に生きている人間の視界の外、常識の外にある。

 

「今日も世の中は平和でいいことだ」

 

 少年はここから空を見るのが好きだった。

 ここから街を見るのが好きだった。

 屋上から見渡せば、空にも地にも光が満ちていたから。

 

 空の星の光が好きだった。

 他の人を照らすように、自分を照らしてくれたから。

 人間と違って、空の星は他人を差別しなかったから。

 平等な光が優しい光に見えたから、月と星の光が好きだった。

 

 地の街の光が好きだった。

 "いつかあそこで幸せになるんだ"と夢を見ていられたから。

 子供の頃、ただ無邪気に幸福を享受できる光り輝く街を見て、いつか自分も皆と同じようにあの光の中に入って行くのだと、そう夢見ていられたから。

 夢を見せてくれたから、街の光が好きだった。

 

 彼は物心ついた時からこの集合住宅で育って、天と地の光に憧れながら生きてきた。

 

 今はもう、憧れはない。

 

 夢は終わって、現実はいつもそこにあった。

 

「平和、平和。敵も居ねえ、人も殺されてねえ、割り切れれば最高の日々だ」

 

 皮肉げな口調で、平和で幸福な世界を揶揄する。

 そして、何にもならない揶揄に自己嫌悪が湧いてくる。

 黒髪混じりの金髪をガシガシ掻いて、少年は来月までどうバイトしていくか、どう母親の生活費を工面するか、来月母親が教団に献上する金をどう作るかを考え始める。

 また、夢の無い明日が来る。

 光の無い日々が来る。

 陰鬱に陥りそうになった己の顔面を、少年はパンパンと叩いて気合を入れた。

 

 

 

 

 

 ふと、ぽつりと、空に本音を漏らしてしまった少年を、遥か遠くから見つけて。

 

「……あーあぁ、怪獣でも出て来て明日世界滅びたりしねえかな……」

 

 『いた』、と誰かが言った。

 

 

 

 

 

 翌日、朝。

 

『やあやあやあ、(なれ)をずっと探していたんだ。此方の姿、見えてるよね?』

 

「……ああ?」

 

 目覚めた少年の目の前に、ザ・平安という感じの服装をした、青白い顔色の優男が、半透明で空中にぷかぷかと浮かんでいた。

 

『よし、見えてる、聞こえてる。

 (なん)ともはや、(かん)ともはや。

 さて、何処から説明しようかな。

 数百年ぶりに(やつかれ)が見える人間だ、手短に話を進めたいところだがね』

 

「……」

 

 少年は目をこすり、頬をつねって、眉間を揉んで、腕を組んで深く考えた後、食料を溜め込んでいる押し入れに向かう。

 

『ちょっと、どこに行くんだい』

 

 そして、押し入れから引っ張り出した塩を投げつけた。

 

『ちょっ……やめないか!』

 

「気に入らねえなあ。ああ、気に入らねえ。悪霊に憑かれちまうとは世も末だ」

 

『清めの塩なんて雑魚がイケメンに効くわけないじゃないですか』

 

「それ言うならテメーは怨霊、つまり死んだ雑魚だろ。

 死ぬような雑魚は死んでろ。雑魚塩除霊がお似合いだ」

 

『暴力暴言暴論のミックスピザみたいなこと言ってくるね(なれ)

 

 ぷかぷかと浮かんでいた平安風の男は、天井に逆さまに立ち、この上なくにこやかに――あるいは、この上なく怪しげに――少年に微笑みかけた。

 

(やつかれ)は安倍晴明。

 知ってるだろう?

 平安時代にもっともバズった陰陽師だよ』

 

「安倍晴明はバズったとか言わない」

 

『言っとるやろがい』

 

「言っとるやろがいも言わねえよ!」

 

 男は安倍晴明を名乗る。

 安倍晴明。

 日本一、否、世界一有名な陰陽師。

 天の星を詠み、悪鬼羅刹を打ち払う、日本人ならば知らぬ者なき存在だ。

 悪霊がそんなビッグネームを名乗ってきたので、少年は全力で塩を投げつけた。

 自称安倍晴明を塩がすり抜けて、むなしく塩が床に散らばり、少年は「もしかしてこれ俺が掃除しないといけないやつか……?」とげっそりした。

 

 自称安倍晴明は、自業自得にアホみたいなことをしている少年を見て笑っている。

 

「つか、安倍晴明とか有名すぎるから小卒の俺でも知ってるが……

 お前みたいに現代に馴染みきった口調の安倍晴明なんて居てたまるか」

 

『この時代でまずしたことは"安倍晴明"でググることさ。フッ、調子乗っていいかな?』

 

「エゴサの鬼か?」

 

『ま、(やつかれ)よりバズった人は居ないようだしね?

 (やつかれ)が平安最高最強の存在ということに反論があるなら検索結果件数で反論して』

 

「もうだいぶ調子乗ってんじゃねえかテメー」

 

 この晴明が本物であるならば、どうやらフリー素材と化し各種創作にイケメン陰陽師として出ずっぱりな安倍晴明の現状を知り、だいぶ調子に乗っているようだ。

 整った顔で得意げにしている姿には結構な愛嬌がある。

 格式張ったところもなく、軽薄な口調で結構話しやすい。

 纏う雰囲気は優しく緩やかで、何をしても怒りそうにない。

 

 安倍晴明の第一印象に、悪いところは一切なかった。

 むしろ話せば話すほど、印象は良くなっていく。

 

 "まあ友達にはなれそうだな"と少年が思った、その瞬間―――少年は自分の額を、己の拳で思い切り殴った。

 そして、殺意を込めて晴明を睨む。

 

「テメー、今何してた?」

 

『おや』

 

「なんかしようとしてただろ、俺に」

 

『"感覚の副作用"……いや、勘が鋭いだけかな、これは。

 いやいやごめんね、(やつかれ)(なれ)と仲良くしたいだけだったんだけど』

 

「次やったらどんな手段を使ってでも殺す。死んだ悪霊だろうともう一度殺して消す」

 

『おやおや、こわいこわい』

 

「怖いのはテメエだろ」

 

 『算木の術』。

 

 『北条九代記』に記載がある、人の感情と五感を自在に操る安倍晴明の秘術である。

 科学的に説明するのであれば、安倍晴明は自身の霊体を構築しているエネルギー"トリオン"を放射し、無防備な少年の五感を介して神経系を掌握、脳内の感情制御系を自由に操作したのだ。

 トリオンの護りを持たない人間であれば、いかなる人間であろうと、安倍晴明は心身の全てを支配してしまう。とてもたやすく、息をするように。

 

 この男は、他人の心に価値を見ていない。確実に。他人の感情を踏み躙ることに迷いがない。

 

 とても気軽に洗脳しようとしてきた安倍晴明に、少年は警戒レベルを引き上げた。

 

「テメエが安倍晴明本人なのかもな、とは思った」

 

『うむ、素直でよろしい』

 

「だが、テメエが本物でも偽物でも、テメエは一生信じられねえと確信した」

 

『ええ~、ひねくれ者~』

 

 少年の心の姿勢が、不審者をとっとと追い出そうとするような姿勢から、ヤクザの目的を探るような姿勢に移った。

 

 凡百の敵ならいい。

 すぐに敵対してもリスクはない。

 しかし、敵が大きくなればなるほど、敵対のリスクは大きくなっていく。

 敵の強さを認知したならば、安易な行動には出ず、まず相手の目的を探り、把握する。

 これは裏社会で生き残るための鉄則だ。

 不審者が相手ならばとっとと蹴り出す、ヤクザが相手ならまず目的を探る、そういう癖が少年には染み付いている。

 

 安倍晴明を名乗る謎の存在の目的を探る。少年はそう決めた。

 

「で、安倍晴明様が何用なんだよ、俺に」

 

『クレヨンしんちゃん劇場版のマサオくんのように醜くも強く生きてほしい』

 

「大人になった野原しんのすけでも言わなそうな若者への願いだな……」

 

『これはマサオの願いでもあるんだよ』

 

「テメエがマサオくんの何を知ってるんだよ」

 

 幽霊だから映画館でタダ見してそう。そう、少年は思った。

 

「はよ本題言えや」

 

『まったく、若い子はせっかちだね。戦ってほしいんだ、(やつかれ)の代わりに』

 

「戦う? 何と?」

 

『妖怪だよ』

 

「はぁ?」

 

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまい、少年は口を覆う。

 

「妖怪って……いんのかよ、そんなの」

 

『居たとも、平安の時代、それより前からずっと』

 

「……」

 

(やつかれ)やその仲間達はそれと戦ってきたんだ。

 彼らは異界よりやって来る。

 人に似たる者、鬼に操られ、人を殺し、人を拐っていくんだ』

 

「へー、ヤクザみたいなことしてるんだな。人間じゃないヤクザみたいな感じ?」

 

『ヤクザよりは怖いと思うよ』

 

「おいおい、ヤクザを甘く見るなよ? フィリピン製の銃も油断してると死ぬぞ」

 

(やつかれ)は妖怪を甘く見ないでほしいなぁ……って思うけどまあいいか』

 

 少年の頭には妖怪ウォッチの絵が浮かんでいる。

 有り体に言って妖怪を舐めきっていた。

 少年の脳内には、もう妖怪体操している妖怪達を安倍晴明が虐殺するイメージしかない。

 

『だが、この時代にはもう戦士が居ない。

 陰陽道は妖怪と戦うための術理だった。

 だが、今ではもうほとんど失伝してしまっている。

 1870年の天社禁止令によって、妖怪を忘れた政府が陰陽道を禁止してしまったのさ』

 

「え、マジ?」

 

『うん。Wikipediaに書いてあった』

 

「今信憑性が胡散臭さに還元された音がしたわ」

 

 だから俺に戦えってことか、と、少年は納得したように頷きかけたが、首を傾げる。

 

「ってかお前が戦えよ。さっき術使ってたろ?」

 

『無理だねえ。霊力の貯蓄がなくて、戦闘は一回できたら奇跡ってくらいなんだ』

 

「霊力……霊力?」

 

 それは、霊力(トリオン)とも言い換えられる、平安時代に存在した古語の言い回し。

 

『才能のある者の中にのみ存在する力さ。

 妖怪はそれを用いて初めて倒すことができる。

 20歳までに成長が止まってそれ以後は衰えていく、女性の胸部のようなものだね』

 

「訴えられろ。あ、そうか、俺にもその才能があるのか。へへっ、なんか照れ臭えな」

 

『いや、無いよ』

 

「ねえの!? じゃあなんで俺!?」

 

『年々(やつかれ)が見える人は減ってるんだ。

 (なれ)を見つけるまで数百年かかったくらいに。

 次は数千年後になるかもしれない。

 怒らないで聞いてくれると嬉しいんだけど、まあ、妥協で選んだとこもあるかな』

 

「"怒らないで聞いて"って頭に付ければなんでも許されると思ってるツイカスかよ」

 

(やつかれ)、絶妙に被害者感を出しつつ、

 "誤解を招いてしまった"

 みたいな言い回しで本当の被害者に責任転嫁するカスの謝罪大好きだよ。

 説明不足で申し訳ありませんでしたとか、あくまで誤解ってことにしようのするのとか』

 

「どっかに訴えられろ」

 

 完全に現代に馴染みきった人非人の倫理観に、少年は疲弊した顔で眉間を揉んだ。

 

『まあ、霊力はどうにでもなるんだ。

 (なれ)(やつかれ)の言うことを聞いてくれれば、どうにでもなるだろうしね』

 

「誰がテメエの言うことなんか聞くか……ロクなことにならねえのは目に見えてるじゃねえか」

 

『平安時代なら皆、無条件で妖怪退治に参加してくれたというのに』

 

「あいにく平成時代も終わりなんでな。つか見返りも無いんだろ? 失せろ、俺は金を稼ぐんだ」

 

『まあまあ、報酬とかそのへんの話は脇に置いといて、とりあえず受諾してもらえれば』

 

「こんなデケえ話置いておける場所ねえだろ」

 

 少年は段々と晴明の扱いがおざなりになり、話を片手間に床にぶちまけられた塩を箒とちりとりで掃除し始めていた。

 ちりとりの中が塩だらけで、悲しいくらいに真っ白である。

 しょんぼりと塩を掃いている少年をにやにや眺める晴明に、少年は無性にイラッとした。

 

『報酬と言ってもねえ……平和と、後は陰陽術くらいかな』

 

「陰陽術? ……へぇ、さっきの俺にかけてた奴か。何ができるんだ?」

 

『おっ、悪い顔してるじゃないか。

 なんて胡散臭い笑顔だ。

 何を企んでるのか分かったもんじゃないな』

 

「ブーメランが上手いな。アフリカの原住民か?」

 

『アフリカにこんな美形がいるわけないだろ。常識で考えてくれ』

 

「国辱の天才かよ」

 

 晴明に目配せ一つせず、少年は適当にぶらつくために外に出た。

 案の定と言うべきか、晴明もついてくる。

 地縛霊とかそういうのじゃねえのは確定か、と少年は内心こっそり思った。

 

『ナンパにお出かけかい?』

 

「ちげーよ」

 

『巨乳をネクタイを挟む谷か何かだと勘違いしてる女性がいいね』

 

「ちげーっつってんだろ!」

 

『巨乳はイケメンにのみ所有が許された公共の財産だからね。つまり、(やつかれ)のものだ』

 

「勘違いしてるのはお前だ」

 

 集合住宅を出て、まだ人通りの少ない朝の時間に、川にかかった橋を渡る。

 

 朝日を吸って、川の水面がきらきらと輝いていた。

 

「さっきの話の続きだ。何ができんだ、陰陽術」

 

(なれ)次第だけど……ま、今の日本くらいなら征服できるんじゃないかな』

 

「ヤバっ。お前普通に討伐対象になってるラスボスとかじゃねえの?」

 

『未来を予知して天皇を洗脳して国を乗っ取ればいいだけだからね。楽勝楽勝』

 

「……今の国の支配者って別に天皇じゃねえぞ」

 

『えっ? ググったらそういう記事が……いや、(やつかれ)はGoogleを信じるよ』

 

「お前はGoogleのなんなの?」

 

『Googleは僕を裏切らないさ』

 

「お前はGoogleのこと親友だと思ってるけどGoogleはお前のことどうでもよさそうだぞ」

 

(なれ)(やつかれ)とGoogleの絆の何を知ってるんだ!

 宮中では誰も(やつかれ)とまともに話してくれなかった。

 話してくれても業務上のやりとりが九割!

 貴族はカスで源氏は蛮族!

 そんな(やつかれ)と生まれて初めてちゃんと話してくれたのがGoogleなんだ!』

 

「ちゃんと話した? お前Googleと何話してんの?」

 

『オッケーグーグル!』

 

「だろうな」

 

 友達が居なすぎると陰陽術で初対面の奴の心を操る寂しいやつになっちゃうんだな……と、少年は思ってしまう。だいたい間違ってはいない。

 

「ってかさらっと未来見れるとか言ってんのなお前。

 そういやあ安倍晴明は占いで未来を知れたとかなんかそんな話あったか」

 

『ああ、アレ嘘。(やつかれ)、占いの形式は覚えてたけど占いの才能は無かったし』

 

「そうなの!?」

 

(やつかれ)は未来予知の特殊能力持ってて、占うフリして未来を告げるだけだったんだ』

 

「そうなの!?!?!?」

 

『未来見てるだけの(やつかれ)に占いで未来予測合戦して涙目になる芦屋道満クソおもろかった』

 

「酷すぎんだろ……」

 

『"感覚の副作用"って言ってね。ま、(やつかれ)は天才でイケメンだったから……』

 

「へーへー」

 

 交差点の前に差し掛かり、赤信号の前で律儀に止まる。

 信号も見ずに横断歩道を渡ろうとする小学生が車道に飛び出し、轢かれそうになって―――少年が襟首をむんずと掴み、小学生を引き戻す。

 引き戻された小学生の目と鼻の先を、寝ぼけ眼の運転手のトラックが通り過ぎて行った。

 

 お礼を言って去っていく小学生を見送り、傍から見れば独り言にしか見えない会話に戻る。

 

『だから(なれ)の未来も見えてるのさ。バッチリね』

 

「へぇ……言ってみろよ。その感覚の副作用とやらで、俺の未来が見えるもんならな」

 

『其処の交差点だね』

 

「あん? 交差点?」

 

『赤信号を待たず、交差点で曲がって東に行けば、(なれ)は安全な戦いに巻き込まれる。

 赤信号が変わるのを待ち、交差点を真っ直ぐ北に進めば、大きな戦いに巻き込まれる』

 

「どっちでも戦いには巻き込まれるのか……」

 

(なれ)(なれ)である限り、確実にね。

 ただ、前者を選んで(なれ)が死ぬことはない。

 後者を選べば最悪(なれ)は死ぬが、どう転がっても多くの人が救われるだろう』

 

「ほーん」

 

 運命の交差点。

 いや、運命の分岐点か。

 安全な東と、過酷な北。

 危険度だけしか示されていない以上、東を選ぶ方が懸命に思える。

 

 だがそもそも、この自称安倍晴明が本当のことを言っている保証はない。

 未来が見えている保証すらもない。

 もっと踏み込んで考えれば、この二択のどちらかを選ぶ義理もない。

 これは"試し"だ。

 

 安全な道を選ぶか。

 過酷な道を選ぶか。

 晴明の思惑に嵌まらないために全く別の道を選ぶか。

 晴明が示した二つの道先で何が起こるのか同時に確認するために高所に上がり両方を見るか。

 どちらかの道を選んで晴明の反応を見てから別の道に行ってみてもいい。

 来た道を戻るという選択肢だってある。

 いずれにせよ、性格が出るだろう。

 晴明は彼を試している。

 

「んじゃ、そうだな」

 

 少年はあまり考えなかった。

 あまり深読みしなかった。

 赤信号が変わるのを待たず、助走をつけて近くのビルの壁面を駆け上がり、そのまま壁を蹴って軽々と跳躍。

 信号機を踏み台にして更に跳躍し、信号の下を流れ行く車の川を飛び越える。

 猫のように路面に着地し、北に向けて全力で走った。

 

「赤信号を無視して、全力で思いっきり真っ直ぐ進んだらどうなる!?」

 

『……ほー、なるほど、面白い。今ちょっとだけ未来が変わったよ』

 

「今、俺を試しただろ?

 知らねえなあ! じゃあ俺もテメエを試してやるさ!

 テメエが本当に未来が見えてんのか! 見えてて何ができるのか!

 未来が見えるってんならテメエにも使い途がある、うちに置いといてやるよ!」

 

『多少は協力に前向きになってくれたようで何よりだ』

 

「だがテメエの言う通りに戦ってやるかは別問題だ! 覚えとけ!」

 

『やれやれ』

 

 胡座をかいたまま飛翔する安倍晴明も、()()()()()()()()()()()()()()走る少年に追随した。

 

 

 

 

 

 少年がこの時間に外に出た理由を、晴明は聞いていない。

 だが、少年に同行する過程でその理由を理解した。

 

 少年が歩いているだけで、不良がこそこそとし、ヤクザの類が舌打ちして道を変える。

 少年が走っているのを見て、半グレの類が予定を変える。

 近年は半グレ全盛期とも言われ、カツアゲなどの事案が無視できないご時世であるが、『日が出ている間』に限定すれば、カツアゲなどの恐喝事案が最も起こるのは早朝の時間帯であることが判明している。

 

 部活の朝練に向かう学生。

 遠い職場に向け早くに出発する社会人。

 夜勤明けで帰路についた風俗嬢。

 夜通し遊び回った不良に、怪しい稼業帰りのヤクザ。

 加害者とカモの人生が交差する、人気のない時間帯。それが早朝である。

 

 この時間帯に"カツアゲをしている不良を狙ってカツアゲをする"狂犬が出歩いているということには、大いに意味がある。

 グレーゾーンの住人は、狂犬に噛みつかれるリスクなど背負いたくはない。ゆえに避ける。

 少年は、経験からそれを知っていた。

 

 威圧行為が、基本的に治安の良い日本でたまに起こる犯罪行為を、この地区に限って限りなく0に近付ける。

 そして、安倍晴明には確信があった。

 ともすれば自警団的な少年のこの行動が、正義感に基づいたものではないことを。

 もっとドロドロとした気持ちを理由にしたものであることを。

 

 この少年には、善とも悪とも言い難い、彼だけのルールがある。

 そしておそらく、"そのルール"に則っている限り、『命懸けの戦いに臨ませることは難しくない』、と……安倍晴明は確信していた。

 敵の前に子供でも転がしておけばどうとでもなるだろう、という打算があった。

 

『走りながらで良いから聞いてくれるかい』

 

「ん?」

 

『大和は随分発達したね。(やつかれ)が生きていた平安時代にはここまでの街は無かった』

 

「まあそりゃそうだろな」

 

『そこかしこに監視カメラ。

 人々は全員が情報発信者。

 妖怪が街で大暴れなんてしたら、翌日には世界中に知れ渡るだろうね』

 

「そりゃな。情報化社会だ」

 

『だから……妖怪達は()()()()()

 

「ん? どういうことだ? 焦る理由あったか?」

 

『言ったろう?

 妖怪は、隣の世界からやってきて、人を殺し拐うんだ。

 人間に気付かれないようにね。

 ならば、夜の闇も無くなりつつあるこの世界では、もう……』

 

「……妖怪は、人知れず人を襲えない?」

 

『そういうこと。

 隣の世界から穴を空けて来てたからバレにくかったんだろうけどねえ。

 もう存在がバレるまで秒読みってとこさ。

 バレたらもう、昔みたいに無条件に楽々沢山の人を毒牙にかけられないってわけ』

 

「いいことじゃねえか……いや、違うな。

 ガサ入れを察知したヤクザが、ガサ入れ前の一稼ぎをするような……」

 

『大正解~!

 "なら最後に大稼ぎしよう"って考えるわけだ。

 焦った妖怪は……遠くない未来に、大規模に人を殺し、大勢を拐う事件を起こす』

 

「おいおい、ヤベー話になってきたな」

 

『最初からヤベー話なんだよ、これはね』

 

 安倍晴明は信用できない。

 喋るだけで胡散臭く、箇条書きにすれば無関係な少年を命懸けの戦いに放り込もうとしていて、躊躇いもなく少年を洗脳して戦いに臨ませようとしていた。

 こういうタイプは息をするように嘘をついて他人を騙すのだと、少年はよく知っている。

 だが。

 

『この時代は、妖怪が人を好き放題拐える最後の時代なのさ。そして、最後の花火が上がる』

 

 異界からの侵略者、妖怪なるものへの言葉には、嘘偽りのない本物の敵意があった。

 "侵略者への敵意"だけは、信じられる。

 そう、少年は思った。

 

「……最後の花火」

 

『情報化社会の成立が、世界崩壊の引き金(ワールド・トリガー)を引くのさ』

 

「世界が滅びる? 大袈裟じゃね」

 

『滅びるのはそういう大きな世界じゃない。

 普通の人の、何気ない日々、続いていく平和。そういう"人々の世界"だ』

 

「……」

 

『昔自分の手で守った世界から続いていく、未来の世界を守りたい。

 かつて守った世界の人々の子孫を守りたい。そう思うのは普通じゃないかな?』

 

「……知らねーよ。俺は幽霊になって千年後を見たことなんてねーんだからよ」

 

『いやあ面白いよ現代。知り合いが女体化してソシャゲに出てると爆笑するもの』

 

「知らねーよ! 爆笑できることかそれ!?」

 

 空気の色が変わったのを、少年は感じ取っていた。

 何かが居る。

 何かが来ている。

 日常を侵食する何かが居る。

 

 真冬に室内でストーブを焚いているのに、部屋が暖かい空気で埋まらず、どこか薄ら寒い感覚があって、部屋のどこかに隙間が空いていることが分かるような、そんな感覚があった。

 何か、どこかがおかしくて、寒気がする。

 

 そして、見つける。

 

「!」

 

 追われる女の子と、それを追う八本足の異形の姿を。

 

 蟹のようで、蜘蛛のようで、濁った色の、地球のどの生物とも違う異形。

 

『さあ、始まりの時間だ』

 

 安倍晴明が何か言ったのを聞きもせず、少年は飛び込んだ。

 異形が気付くが、少年は素早く少女を抱え、近場の土手を滑って降りる。

 土手の上から見下ろす異形を見上げるように睨み、稼いだ距離の使い方を一瞬で思考した。

 

「怪我ないか? 怖かったろ、女の子だもんな」

 

「は……はい」

 

「住宅街に入って、ジグザグに南に向かえ。

 俺がこいつを足止めしておく。

 曲がり角を何度か曲がっていけば、たぶん見失うはずだ」

 

「え……で、でも」

 

「行けやオラァ! 四の五の言ってんじゃねぇ!」

 

「はいぃぃぃ!!」

 

 少年が恫喝すると、少女は一目散に逃げる。

 

 少年がフンと鼻を鳴らせば、呆れた顔で晴明がその辺をふよふよ流れて行った。

 

『女の子になんて口を聞くんだね、(なれ)は』

 

「優しい子にはああいう言い方が一番早えんだよ。俺はどっちかってーと強面だしな」

 

『"どっちかというと"なんて付けるまでもなく(なれ)の顔は怖いだろ鏡見たことないのか?』

 

 安倍晴明は、ちらりと逃げていった子を見やり、すぐに視線を戻して、少年と共に異界より来る異形――晴明曰く妖怪――と対峙する。

 

『今の子の霊力が……いや、後でいいか』

 

「オイ、こいつが妖怪ってやつか?」

 

『"土蜘蛛"かぁ……未来の可能性は色々あったけど、そこそこ悪いの引いちゃったな』

 

 土蜘蛛。

 "大和の外の外敵"という定義によって名称付けられた、古来より伝承される大妖怪。

 別名を八束脛大蜘蛛(やつかはぎのおおぐも)、『足の長い蜘蛛』という意味の名だが、『八つの脛がある蜘蛛』と名前を解釈した人間には『八本の足を束ねた蜘蛛』としても想像されてきた。

 少女を追いかけていた異形もまた、長い足を八本備えた異形。

 四本の足で闊歩し、四本の足をカチカチと鳴らしている。

 

 まさに土蜘蛛。この世界の外側の、晴明が敵視する異界において―――この存在は、『モールモッド』と呼ばれていた。

 

「強いのか?」

 

『強いよ。戦ったらここで死ぬかもね』

 

「面白え。ジバニャンとどっちが強いか確かめてやる」

 

『ジバニャン……?』

 

 かちん、かちん、と音を立て、太陽が登りきっていない薄明かりの世界を、蜘蛛が歩く。

 ぎょろり、とその目が恐ろしく動いた。

 少年は土蜘蛛を睨み、唾を吐き捨てる。

 

「気に入らねえなあ。ああ、気に入らねえ。小せえ女の子追いかけ回して楽しかったか?」

 

 伝承によれば、名も無き土蜘蛛ですら、たった一匹で京都の人間実に2010人を、人知れず食い尽くしていたという。

 異界の土蜘蛛(モールモッド)の脅威に相対し、只人が勝てるはずもない。

 未来が見える晴明には、このまま戦えば、八割少年が殺されるという未来が見えていた。

 

 しかし、晴明は止めない。

 理由は二つ。

 一つは、本音のところで、晴明がこの少年の命をどうでもいいと思っているから。

 もう一つは、この程度の苦境を乗り越えられないのであれば、どのみち"この先"死んでしまう可能性の方が高いから。

 

 とても気軽に、晴明は少年の命をギャンブルに賭けた。

 

『死ぬ前に名前くらい教えておいてくれないかな。墓石に刻んでおいてあげるよ』

 

「あ? なんでテメーみたいな怪しい悪霊に名前なんて教えねえといけねえんだ」

 

『これは手厳しい』

 

「悪霊に自分から進んで名前教える奴なんて呪われて死にたい奴かバカだけだろ」

 

(やつかれ)の推測だと、(なれ)(やつかれ)の知り合いの子孫だと思うんだがね』

 

「だったらなんだってんだ? あ?」

 

『いやね、それなら――』

 

 ぐっ、と土蜘蛛の足に力が入る。

 

 その前兆を見逃さず、異界の土蜘蛛(モールモッド)の跳躍を読み切った少年は、後ろに跳んだ……が、しかし。

 

『――この程度の敵には、苦もせず勝ってもらわなくては』

 

 土蜘蛛のスピードは、少年の予想を遥かに超えていた。

 

 常人では目で追うことすらできない速度で、土蜘蛛は踏み込み、跳び、距離を0にした。

 

「!」

 

 亜音速に迫る接近速度に、少年は的確に対応し、サイドステップで土蜘蛛の一閃をかわす。

 土蜘蛛の足は、四本が足で、四本が手で、全てが刃であった。

 複数本の足を同時に動かす跳躍の速度は常軌を逸しており、跳ぶために使った足がそのまま殺しの刃となる。

 四本の足からは光の刃が生え、残り四本も素のままで鋭く十分な殺傷能力が備えられていた。

 

 小手調べに土蜘蛛が放った秒間数閃の連撃を少年は見切り、斬撃の隙間に身体を滑り込ませ、思い切り土蜘蛛を蹴った。

 土蜘蛛にダメージを与えると同時に、反動で距離を取るのが狙いだ。

 しかし土蜘蛛にダメージはなく、少年は土蜘蛛を蹴って跳んで距離を取るに留まり、回避が間に合う距離を維持してステップを踏んだ。

 

「硬え」

 

『妖怪は霊力を用いた攻撃以外は全て無効だからね』

 

「はぁ!? じゃあ倒せねえじゃねえか! どうしろってんだ!」

 

『さて、どうすればいいと思う? ふふっ、頑張り給えよ』

 

「クソ野郎が……!」

 

 少年は間合いを調節し、土蜘蛛の――人間と比べれば――単調な動きを見切り、回避の可能性がある距離を位置を維持して、その動きを探り始めた。

 刃が振るわれ、少年が跳ねる。何度も、何度も、何度も。

 刃は回避が間に合っていない少年の髪、服、肌を、かする形で切り刻んでいった。

 されど少年の目は揺れず、敵を見据え、恐るべき攻撃の一つ一つから目を離さない。

 

 この妖怪には"殺し間"がある。

 この妖怪の最大の武器は長い足であり、同時にこの足こそが唯一の攻撃手段。

 足には根本の第一関節、足の半ばを吊り下げた第二関節のみがある。

 足は硬質で、関節以外は曲げられそうにない。

 その上で、この足は本当に長い。

 足の長さが作る長い""殺しの間合い"は、長槍を持ってしても攻略は困難だろう。

 

 だが、同時に、攻撃範囲はそれなりに限定されている。

 長い槍が至近距離の敵への攻撃に向かないのと同じだ。

 攻撃の速さが桁違いで、攻撃する足が多いから、そうは見えていないだけだ。

 

 土蜘蛛は近すぎると判断すれば、ほどよく距離を調整し、長い手足で猛攻を仕掛ける。

 遠すぎると判断すれば、素早く距離を詰めて同様の攻撃を仕掛ける。

 しからば、土蜘蛛の手足で()()()()()()()()()()こそが、土蜘蛛の"殺し間"である。

 少年は、巧みにその間に入るのを避けていた。

 

 上手く長い手足が攻撃しにくい距離、角度に入り、猛攻を立ち回りで軽減する。

 迂闊に踏み込みすぎれば最悪体当たりで潰される。

 また、土蜘蛛に怯えて距離を取れば、土蜘蛛の速い踏み込みからの斬撃でみじん切りだ。

 あえて踏み込み、あえて踏み込まず、最適な距離を維持したまま、弾丸の如き速さで振り回される刃の全てを見切り続けなければどうにもならない。

 少年はずっと、燃え盛る炎の上で綱渡りをしている気分であった。

 

 されど裏返せば、少年は一瞬でそこまで見切っており、人間離れした動体視力と身体能力で、傷だらけになりながらも、辛くも全ての攻撃を致命傷に至らせないことに成功していた。

 

「速いな、こいつ。足……いや、手か? 多いな、面倒臭え」

 

『おう、おう、よくかわすねえ』

 

「流石にいつまでもかわしてられねえ、けど、なっと!」

 

 戦いは流れで廃車が立ち並ぶ廃車ヤードに移り、このまま受け身のままでは勝機が無いと判断した少年は、攻撃をかわしながら廃車のドアを片手で掴む。

 そして、車から力任せに引き剥がし、両手で真っ二つに折り畳んだ。

 少年の手の中でちょうどいい形に折り曲げられた車のドアを、強く握って振り上げて、少年は思い切り投げつける。

 

「試してやるよ、テメエの硬さ」

 

 時速100kmを軽く超えた勢いで投げつけられた合金の塊は、凄まじい勢いで土蜘蛛に衝突し、その身体を仰け反らせ―――されどダメージは全く無く、けろっとした土蜘蛛は、また嵐のような猛攻を再開する。

 

 回避しながら舌打ちする少年を見下ろし、安倍晴明がくすくすと笑っていた。

 

『駄目だねえ。全然駄目だ。そんなんじゃ平安京じゃやっていけないよ?』

 

「うるせえな! クソが、なんだこの妖怪、化け物じゃねえか……!」

 

『化け物さ。だから京の都には、陰陽師と武士の両方が必要だったんだ』

 

 少年は生涯一度も喧嘩に負けたことがなかった。

 それを才能だと思っていたし、半ばそれを誇りにしていたところもある。

 ヤクザが拳銃を持ち出してきたところで、ひやりとはしたが死ぬ気はしなかった。

 生まれた時からある自身の能力への信頼が、拳銃を前にしても死の実感を生まなかった。

 

 そんな、あまりにも遠かった死の実感が、今はある。

 

 常人ならば影も追えないであろう超高速攻撃。

 それを連続して繰り出す刃の足。

 猛攻を戦術的に繰り出す知能。

 全てが少年を追い詰める。

 一回ミスしただけでも、一瞬判断を誤っただけでも、次の瞬間真っ二つになるだろう。

 

 そんな絶望的状況の中、少年は傍から見れば危なげなく、最良の立ち回りと最速の足さばきで猛攻を回避し続ける。

 まるで、嵐の中で踊る舞姫のように。

 

『踊るように避けるね』

 

「昔はダンサー志望だったもんで」

 

『へぇ』

 

「今じゃ喧嘩にしか使ってないが、なっ!」

 

 少年は半ばやけっぱちに、積み上げられた廃車の山の一角を蹴り飛ばした。

 少年の目論見通り、積み上げられた廃車の山が崩れ、土蜘蛛に向けて倒れ込む。

 轟音と共に、鉄の津波が土蜘蛛を飲み込んだ。

 

「はぁ、ハァ、流石に息が切れてくるな……」

 

 相手が通常の生物であればこれで即死だろう。

 廃車の津波は、ゆうに数十トンにも到達する総質量を持つ。

 世界最大級のゾウであっても押し潰される無慈悲な重さの暴力は、地球上のあらゆる巨大生物を殺す破壊力を伴いながら、なおも土蜘蛛を傷付けられない。

 

 少年は今日何度目かも分からない舌打ちをして、そこでふと気付いた。

 土蜘蛛がもがいている。

 車が何台か重なって、その総重量が土蜘蛛の足の一本にのしかかっていて、土蜘蛛の足が抜けなくなっているようだった。

 様子を見るに十数秒で足は抜けそうな状態であったが、その様子が、少年に『倒せなくても負けない方法ならあるかもしれない』という事実に、気付かせた。

 

「物理的な干渉を完全に無効化してるわけじゃない……?

 生き埋めは有効……か?

 っし、ならこの場所は廃車も多いし悪くねえな。ここでケリをつけてやる」

 

『……いいね。悪くない。(やつかれ)の予想より早く気付いたか』

 

 晴明が上空から戦いの流れを見下ろし、ほくそ笑む。

 

 晴明は少年の評価を上方修正していた。

 場慣れしている。

 戦闘勘もある。

 格上相手の粘り強さも悪くない。

 戦闘思考の回りも十分で、防戦一方になっても反撃の手順を常に考えており、勝機が無い状態から勝機を絞り出す能力にも長けている。

 "それなりに使える駒に育ちそうだ"と、晴明は少年への評価を改める。

 

『長期的には、忍田真史や木崎レイジあたりを相手取って勝てるくらいは欲しいが』

 

 そのレベルの強さとなると無いものねだりかな、と独り言ちる。

 

 安倍晴明は企んでいる。何を思っているかを他の誰にも明かさぬままに。

 

『予想以上に見込みはあった。だけど』

 

 少年は錆び果てた街灯を見つけ、ローキックでそれをへし折り、槍代わりに持つ。

 土蜘蛛を生き埋めにする道筋を打ち立てるには、やはり大きな武器が必要という判断か。

 土蜘蛛は積み重なっていた車を強大な膂力でひっくり返し、そして。

 

『そんな簡単に倒せるようなら、こいつ一匹に二千人も食われてないんだ』

 

 次の瞬間。

 

 何がなんだか分からない内に、少年は吹き飛ばされ、胴が切り裂かれ、廃車の壁に叩きつけられマグカップ一杯分ほどの血を吐いていた。

 

「……!?」

 

 少年が生き残ったのは、ただ、運。それ以外に理由など無かった。

 

 凄まじい勢いで土蜘蛛が飛び出し、その両手の刃を振るった。それだけ。

 少年が武器として持っていた街灯は両断されたが、意図せずして"街灯を縦に裂く"形になったことで大きな力がかかり、衝撃で身体が押されて流れた少年は、偶然致命傷を避けられたのだ。

 

「気に入らねえなあ……ああ、気に入らねえ」

 

 ただの偶然。

 ただの運。

 ただそれだけを理由に少年は、急激にパワーとスピードが跳ね上がった土蜘蛛の攻撃を受け、なお生き残れたのである。

 

「舐めやがって……手ぇ抜いてやがったなテメエ……許さねえ……!」

 

 これまで、異界の蜘蛛(モールモッド)は全力で稼働していなかった。

 何故か?

 地球に敵など居なかったからである。

 

 地球人は土蜘蛛らが人を拐っていることに気付かず、また、土蜘蛛を倒せるような技術も保持してはいなかった。

 地球は安心安全な狩場。

 戦闘用の稼働状態を常時継続してエネルギーを無駄に消費する意味などなかったのである。

 土蜘蛛がどれだけ手を抜いても、地球人に為す術などなかった。

 

 だが、今ここに、あまりにも矮小な雑魚なれど、土蜘蛛に食い下がることを成し、土蜘蛛に立ち向かう人間が現れた。

 この土蜘蛛が幾年か目を離している内に、地球の人々は入れ替わり、地球の社会は変貌し、地球は安全な餌場ではなくなっていたことの証明。

 妖怪と呼ばれた人非人どもが地球人を好き勝手に殺し拐える時代が、終わりつつあることを告げる鐘の音。

 終わりの福音である。

 

 土蜘蛛は省力状態から、平常の稼働状態―――すなわち、戦闘稼働状態に移行した。

 

『ほら、次が来るよ』

 

「―――っ!」

 

 土蜘蛛が、軽く刃の足を振るう。

 ただそれだけで、周囲の廃車の全てが細切れの金属片へと変わった。

 軽車両も。

 普通の車も。

 金属コンテナを積んだトラックも。

 中身がギチギチに詰まった重機も。

 全てが、水に濡らした和紙のように、容易くバラバラに千切られた。

 

 細切れにされた廃車は、もう形を保ったまま積み上げること叶わず、先程のように倒壊させることで土蜘蛛を生き埋めにするためには使えない。

 

 一手で、詰みまで戦局を進められた。

 

「……日本の学校は、地震・台風に耐えるために爆弾でも粉砕し難い強度だって話だが。

 テメエみたいなのが暴れたら、学校の鉄筋コンクリートでも豆腐みたいなもんなんだろうな」

 

 なおも諦めず、少年は吠えて土蜘蛛へと挑んだが。

 

「クソがッ!!」

 

 もはや戦局は決していた。

 

 

 

 

 

 土蜘蛛―――モールモッドは戦闘用に開発された存在であるが、他の同族と同様に、基本的な目的は同じである。

 すなわち、人を襲うこと。

 優秀な人間は拐い、そうでない人間は胸の奥にある"トリオン器官"を抉り出して殺すこと。

 それが妖怪と呼ばれた彼らの目的である。

 

 敗北を迎えた少年を土蜘蛛が吊り上げ、その足の刃先を少年の胸に向けた。

 後は、胸を抉ってトリオン器官を取り出して終わり。

 霊力(トリオン)を生み出す能力の低い少年を、土蜘蛛が生かしておく理由はない。

 

 少年の切り裂かれた胸の傷から、ぼたぼたと血が流れ落ちていく。

 流血は土蜘蛛に降り注ぎ、濁った体色を鮮やかに彩った。

 この戦いを通して、幾度となく少年を切り刻み、返り血に染まった蜘蛛の刃が、引き絞られ、正確な軌道で少年の胸へと突き出される。

 

 少年は、殺意に満ちた目でそれを睨み、刃を素手で掴んで受け止めた。

 

「目ぇ見りゃあ分かる」

 

 胸の奥のトリオン器官を傷付けずに抉り出すために、力強さも速さも無い正確な刺突ならば、ギリギリ掴んで減速できる。

 たとえ、手が血まみれになっても。

 たとえ、僅かに軌道が逸れて勢いが減じただけの刃が胴を刺し貫いても。

 血が吹き出して、また鮮烈に土蜘蛛を彩っても。

 致命傷を避けられたなら、まだ戦える。

 

 刃を掴み止め、少年は土蜘蛛を反撃で蹴るが、効かない。

 通常の攻撃が妖怪に通じることはない。

 何度も蹴り、何度も攻撃をするも、何も効かない。象に噛み付く蟻に等しい。

 

 土蜘蛛が突き出した刃を引き戻すまで、少年は土蜘蛛に傷一つ付けることもできなかった。

 

「人間の胸の中に、テメエらの欲しいものがあって……そこを狙ってくる。心臓か?」

 

 もう一度、トリオン器官を抉り出そうと突き出される刃先を、少年は足の裏で受け止めた。

 ズブズブと、足の表裏を刃が貫いていく。

 

 少年はそうして、宙吊りで踏ん張れない状態を解決した。

 貫かれた足で踏ん張って、吊られた状態からなんとか脱し、血がドバドバと流れる足を刃から引き抜いて、足の一本に抱きつき殴る。

 殴る。

 殴る。

 殴る。

 されど土蜘蛛の足はビクともしない。

 少年の拳が血まみれになった頃、土蜘蛛が無造作に足を振って、少年を地面に叩きつけた。人間が腕に付いた虫を見つけた時、そうするように。

 

 蜘蛛が人にたとえられ、人が虫にたとえられるほどの、絶対的な力の差があった。

 

 地面に叩きつけられた少年から"人が墜落死した時のような音"がしたが、少年はふらふらと立ち上がり、その辺に転がっていた手頃な石を握って構える。

 その眼光には、微塵の陰りもない。

 

『素晴らしい』

 

 ぽつりと、晴明が呟いた。

 

「なぁ……一つ質問なんだがよ……

 ふっつーに生きてるそのへんの女の子追いかけ回して……

 殺したり拐ったりすんのって、楽しくてやってんのか……?」

 

 土蜘蛛は応えない。

 応えられないし、応える気もない。

 尖兵に過ぎない怪物に、会話を為せる心などないから。

 少年はため息を吐き、血塗れの石を血塗れの敵に投げつける。

 石が衝突した瞬間、バイクが壁に衝突したような音が響いたが、それでもなお傷はつかない。

 

 効かないことは分かっていた。

 分かっていても、無抵抗に殺される気はなかった。

 

 倒せるか、倒せないかは問題ではない。

 許すか、許さないか。

 それだけの話だった。

 少年は、この怪物を許さない。

 

「両の手足が千切れてもテメエはブチ殺す」

 

 正義ゆえにではない。使命感ゆえにでもない。

 

「不良だろうがヤクザだろうが妖怪だろうが……

 俺の縄張りで、弱え奴から奪い取ろうとする奴は許さねえ。

 因果応報に痛みを教えて、反省もしねえ奴は、絶対に―――ブチ殺す」

 

 そういうルールを、自分に課しているから。

 

 両手両足を切り落とされても戦い続ける。少年はそう決めた。

 両手両足を切り落としてからでいいか。土蜘蛛はそう考えた。

 

 土蜘蛛の目的であるトリオン器官は、生きている者から抜き取るのであれば、それ以外の肉体の損傷状態は一切問われない。

 つまり、両手両足を切り落としてからゆっくり抜き取っても構わない。

 トリオン器官のある胴さえ傷付けなければ、手足を何本切り落としても問題はない。

 両手足を切り落としてからゆっくりトリオン器官を抜き取ればいい。

 そう、土蜘蛛は判断した。

 

 少年は踏み込む。

 命を投げ捨てる覚悟で、蜘蛛の長い手足の内側に滑り込むべく跳ぶ。

 蜘蛛は攻める。

 万が一にも生還できないように、ほんの僅かな隙間も作らないように、多くの手足で斬撃の包囲網を作り、少年を全方位から覆うように切り込む。

 

 刃の足が織りなす斬撃結界は、空中に残像の線を引く。

 引かれた線が、蜘蛛の巣の如き残像の網を作り上げる。

 蜘蛛の巣が獲物を飲み込むように、斬撃が少年を呑み込んでいく。

 ゆえに、土蜘蛛。

 

 そうして。

 

 

 

『そうして、安倍晴明の宣うままに未来は来たる』

 

 

 

 蜘蛛の足が二本、崩れて落ちた。

 

 少年も、土蜘蛛も、今何が起こったのかまるで分からず、土蜘蛛は飛ぶように後退する。

 

「な……なんだ……?」

 

『わははははっ!』

 

 急転直下。一転して形勢が行方不明になった戦場で、安倍晴明は愉快そうに笑う。

 

 隣に落ちてきた晴明を横目に見て、少年は訝しげに目を細めた。

 

『いやあ、現代で仕込みを回収できて良かったよ!

 (なれ)の先祖は(やつかれ)の戦友でね。

 平安の時代に戦ってもらった時、ちょちょいと遺伝子を弄ったんだ。血が毒になるように』

 

「何やってんだテメエェェェッ!!」

 

 晴明はふふふと笑い、とんでもないことを言い出した。

 

(なれ)の血は霊力の結合をほどく。

 悠に千年以上前にしてた仕込みだからね。

 千年かけて(なれ)の家系の遺伝子は血を改良してきたというわけだ。

 そういう風に、(やつかれ)が遺伝子を弄っておいた。

 このくらいの妖怪なら、2Lくらい血をかければ倒せるくらい弱まるってわけさ』

 

「戦友の遺伝子改造とかお前の倫理観どうなってんの?????」

 

『ふふっ』

 

「ふふっじゃねえんだよ!!」

 

 よく見ると、土蜘蛛の全身の至るところが、錆びたように変色し、蒸発しているかのようにほどけて消えていっている。

 少年の肌を切り刻んだ刃。

 少年の胸に深い切り傷を付けた刃。

 手で掴み止められた刃に、足を貫通した刃。

 そして、少年から吹き出した血を受けた胴体。

 全てが少年の血の作用を受け、分解され、崩壊を始めていた。

 

『いやあ、子孫にちゃんと遺伝していてよかったよかった。

 おかげで今回は乗り切れそうじゃないか。感謝してくれてもいいんだよ?』

 

「その内絶対にブチ殺す」

 

『やだなあ、もう死んでるよ、HAHAHA!』

 

「クソボケがァー!!」

 

 動きが鈍った土蜘蛛の攻勢は明らかに鈍り、満身創痍の少年でもギリギリ回避できるレベルにまで弱体化していた。

 少年は土蜘蛛の殺し間を避けて立ち回り、血がドクドクと流れ出ている自分がほどなくして死ぬであろうことを予測しながら、この"血"を利用した勝機を探し始める。

 すれすれのところを空振る刃が、少年の耳の上端を切り飛ばしていった。

 

『人体にはね、自分の生み出したものを排出、あるいは分解する機能があるんだ。

 そして陰陽師が使うエネルギーも、妖怪の身体を作るものも、同様に霊力。

 人間には、それを攻撃として排出する力も、膨大なエネルギーを分解する力もある。

 体内生産機能は制御できないものだからね。

 何かを作り続けるか作らないかしかない。

 血は常に作り続け捨て続けるもので、必要な時に必要なだけ作ったりしないだろう?

 生み出しすぎた霊力、使わなかった霊力は、体内で分解し還元される。

 そういう機能を拡張していけば、いずれ血が妖怪を分解する人間ができるってわけさぁ!』

 

「耳元でごちゃごちゃうるせぇ!!」

 

 ふと、少年は、最近聞いたセリフを思い出す。

 

―――人間はね、体内で栄養も作るけど多すぎると毒になるの!

―――人間には自分の体内で作ったものを自分で分解する力があるのよ!

―――自分で作った栄養が多くなりすぎたら毒と変わらないものね?

 

 失血で朦朧とする意識の中、すがるように母親との記憶を思い出してしまうのが、この少年がまだ子供であるという証明だった。

 

「男に二言はねえ。テメエはブチ殺す」

 

 少年は全ての足の動きを見切り、一番脆くなっている、もうほとんど取れかかっている部分に対し、血を溜めた掌底を叩き込んだ。

 血が侵食し、足が刃ごとぽろりと落下する。

 少年はちらりと、落ちた足がどこに落ちるかを見やった。

 

「しっ!」

 

 そのまま踏み込み、胸から吹き出す血を掌に溜め、強烈な掌底で土蜘蛛の腹を打ち据える。

 血は侵食したが、車程度の大きさを持つ土蜘蛛には対して有効打にならず、残り五本の足で痛烈な突きの連打を繰り出してきた。

 

「チッ」

 

 四本はかわせた。

 しかし、最後の一本がかわせなかった。

 少年は苦肉の策で、腕で受ける。

 少年の血でボロボロになっていた最後の一本は、錆だらけで切れなくなったのこぎりのように、少年の腕に食い込むが、切断できない。

 少年の強靭な腕の筋肉が刃を"内圧"で掴み止めたのだ。

 

 吹き出した血が更に足を崩壊させ、少年は穴の空いた己が足を蜘蛛の足に叩きつけ、衝撃と吹き出した血で受け止めた足刃を半ばからへし折る。

 

「もう一本!」

 

 疾走。

 少年は拳を握り、土蜘蛛の懐へ飛び込んだ。

 八本あった足も、もう四本が無くなった。

 攻撃と移動のどちらにも応用できる足を、攻撃と移動のどちらにも使えるのがこの蜘蛛(モールモッド)の最大の長所であり、また同時に最大の弱点でもある。

 

 車ほどある巨体を支えるには、足が最低三本必要だ。

 攻撃に使う分の足を歩行用に回しても、その分手数が激減する。

 四本しか足が無い状態では、歩行に三本、攻撃に一本しか使えない。

 今こそ少年が勝機を掴む時。

 

 このチャンスを、少年と()()()()待っていた。

 

『おや』

 

 がちゃん、と土蜘蛛の背中が動き、()()()()()()が、懐に飛び込もうとした少年の頭上から刃を振り下ろした。

 

 これは温存されていた二本の足。二本の刃。

 完全なる奇襲にして、意識の外から来たる絶殺の刃。

 

 "異界から来る妖怪"は、送り出した者の系統を読み取る情報源になる。

 この土蜘蛛を送り出した主は、おそらく"温存した一手による奇襲で確殺する"戦術を至上とする者であるのだろう。

 だから、こういう一手を隠し、局所で打ってくる。

 

 土蜘蛛の足は背中から生えている。

 土蜘蛛の体躯は大きめの車ほどもある。

 ゆえに、土蜘蛛の懐に入ろうとした者は、背中で動く二本の温存足の初動を見て取れない。

 高確率で、反応が遅れる。

 

 車の背の汚れが、気付かれずに見逃される時のように。

 懐に入ろうとした人間が、初動を見逃して両断される。

 そういう、悪辣な奥の手であった。

 

『しょうがないなぁ』

 

 晴明は呆れた顔で、"まあ十分いいもの見れたか"と言わんばかりに、指で九字を切る。

 すると、晴明の残り少ない霊力(トリオン)の半分が消費され、一秒ほど土蜘蛛の奥の手―――二つの刃が止まった。

 

 その一秒で、十分過ぎた。

 

 ジャストで少年の胸を突き刺していたはずの刃の刺突は、ほんの一秒遅れただけで、駆けていた少年に当たらず、空を切って地面に刺さる。

 少年は口の中に溜めていた血を敵の足関節に吹き入れ殴り、六本に増えた蜘蛛の足を、力任せに五本に戻した。

 

「礼は言わねえぞ」

 

『はいはい』

 

 そして、少年が頭の中で組み立てていた戦いの流れが、ここに結実する。

 

 少年は土蜘蛛の足元にスライディング気味に滑り込み、そこで『武器』を拾った。

 それは、三本目に落ちた土蜘蛛の足だった。

 まだ霊力の光を宿した刃は、十分な切れ味を保っている。

 

「妖怪の刃なら……俺の血よか、ずっと効くだろッ!!」

 

 流れるまま、一閃。

 土蜘蛛の下から、腹を切り裂いた。

 

 少年は、三本目の足を落とした時から、この形で決めることは決めていた。

 だから、立ち回りを調整し、三本目の足が落ちた直上に土蜘蛛が来るようにしていた。

 全ては、拾うと同時に攻撃を行うため。

 無防備な土蜘蛛に、一回だけのチャンスを確実に決めるため。

 

 "敵に攻撃力は無いから安全に攻められる"―――『そう思わせて嵌め殺そうとした』という点においては、刃を二本隠していた土蜘蛛も、最良の機会まで腕を拾わなかった少年も、似たようなものだった。

 

 裂いた腹から、その奥へともう一閃。

 土蜘蛛の内部器官と、弱点の"中の目"が両断されたことで、土蜘蛛はようやく動きを止めた。

 崩れ落ちる土蜘蛛の下から転がるようにして少年が這い出て、巨体が地に落ち、地面がほんの僅かに揺れた。

 

「ざまぁみさらせ」

 

 少年は安心したのか、ふらりと身体が傾き、倒れる。

 

 膝を地につけ、切れた息を整え始めた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

『2Lか3L程度血を流した程度の話じゃないか。やっぱり現代人は弱いなあ』

 

「るせえ」

 

 膝立ちになっていることさえ出来なくて、地面に仰向けにごろりと寝転ぶ。

 

 血を流し過ぎた。このまま放っておけば死ぬだろうと、少年は感覚的に理解する。

 

 感情の見えない笑みで少年を見下ろす晴明を見上げ、少年は自嘲的に笑った。

 

「……俺の血ほとんど使って、こいつ一匹倒すのがやっとなんだ。

 ハッ。何匹も来たらそれだけで俺には倒せねえな。あてが外れたろ?」

 

『いやあ、確かに期待外れではあったけどね。だけど、期待以上でもあった』

 

「あん?」

 

『自分で光刃の一本も生み出せないなら、駄目かと思ったけど……うん、悪くない』

 

 晴明は全てを見通したような顔で、試すように言葉を選んでいる。

 

 "そりゃ友達できねえわ"と、少年は思った。

 

(やつかれ)としては生きていてほしいんだけど、このままだと死んじゃうねえ』

 

「るっせ。んなこた俺が一番分かってるっつの」

 

 失血量は、常人であればとうに脳が活動不能になるレベルに達している。

 むしろこの失血量でまだ死なず、意識を保っている少年が異常であった。

 それも、時間の問題であるようだったが。

 

『逃げるという手もあっただろうに。何故命を懸けてまで戦いを選んだんだい?』

 

「あんなもんを自由に闊歩させるわけにはいかねえだろうが。ここは俺の縄張りだ」

 

『うーん……気質だけは先祖の一族からしっかり受け継いでるんだよなぁ……』

 

 もう指一本動かす力も残っていない。

 助けを求めることさえできないのであれば、ここで終わりだ。

 

「悪ぃが、妖怪とは一人で戦ってくれ。俺はたぶんここまでだ」

 

『……ふふっ。さて、そろそろかな』

 

「あ?」

 

 晴明が笑って、声が聞こえた。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 小さな男の子が駆け寄ってくるのを見て、少年は「助かった」ではなく「危ない」と思った。

 先程倒した土蜘蛛が一体だけではないという可能性が無いわけでも無いし、何よりここは先程土蜘蛛が切り刻んだ金属片が多く有る。

 ちょっと転んだだけで、全身ズタズタの致命傷を受けてしまう可能性もなくはない。

 だが、男の子は何を気にした様子もなく、切り刻まれた鉄の上を駆けてきた。

 自分のことよりも、血まみれの少年の方を優先して走った。

 

「なんて怪我を……と、とりあえず血だけでも止めないと」

 

「あー……メガネくん、この辺切り刻まれた鉄片多くて怪我するから、離れてて」

 

「喋らないでください、ええと、止血止血」

 

 清潔なタオル、未使用の体操服などを、男の子は躊躇いもなく少年の傷口に当てる。

 出血が止まり、死の瞬間が遠ざかっていく。

 少年は掠れた声で、今にも死にそうな声色で、どことなく"我が身を省みず人を助ける子"に困惑しながら、男の子に声をかけた。

 

「助けても、別に謝礼とか出せねえぞ。うちは、宗教の食いもんにされて、金とかねえし……」

 

 対し、男の子には困惑も迷いもなく、ただ"そうするべきだ"という確信があった。

 

 男の子は迷いなく止血に動き、携帯電話で救急車を呼び、少年の言葉に首を傾げる。

 

「事情はよく分かりませんが……

 怪我した人を見捨てないのは、ぼくがそうするべきだと思ったからです」

 

「……そうか」

 

 その言葉が、心のどこかに染みていくようで。

 あまりにも当然に人助けに走る姿に、心のどこかが震えて。

 "奪う者は許さない"という信念だけで動く少年の目には、とても綺麗なものに見えた。

 

「たぶん、みんなそうするべきだと思うんじゃないでしょうか」

 

「……どうだろうなぁ……」

 

 くっくっく、と少年が笑う。

 純然たる善意が、とても心地よかったから。

 

「悪いな、メガネくん……助けられちまった」

 

「救急車は呼びました! あの、貴方のお名前は?」

 

 男の子には見えないのをいいことに、超絶露骨に少年の口元で耳に手を当てて聞く姿勢に入っているウザい安倍晴明が居たが、まあいいかと少年は割り切る。

 晴明は心底ウザかったが、かくして、少年は名を名乗った。

 

 

 

「源だ。(みなもと)頼漢(よるか)

 

 

 

 その名を聞き、歴史に詳しい人間が連想する存在は一つ。

 至高の陰陽師・安倍晴明、童話の戦士の代表格・金太郎と同じ時代を生きた、怪異殺しの大英雄―――源頼光。

 土蜘蛛殺しの大剣豪だ。

 この世界の外側では、頼光の伝承に残る土蜘蛛はモールモッド、空を舞う髑髏はバド、光を放つ化生はバンダー、人を拐う酒呑童子の配下はバムスターと呼ばれていた。

 その尽くを討ち滅ぼしてきた者達こそ、安倍晴明の助力を受けた清和源氏。

 源の(うじ)に連なる、剛力無双の超人達であった。

 

 源氏という名ももはや歴史の単語に成り果て、その名の本当の意味が忘れ去られたこの時代、伝説の最後の幕が上がる。

 

「兄さん、早く、早くお願い! その人、わたしを庇って怪物に……」

 

「千佳、そんな押すな! っと、これはマジでヤバそうだな……」

 

「に、兄さん……」

 

「とりあえず救急車がすぐ乗せられる道路沿いの場所まで運んで……そこからだな」

 

 声が聞こえる。助けに来てくれた男の子とは別の、先程少年が逃した女の子の声と、もうひとり別の男性の声。

 

 ただ、今日は血が流れすぎた。

 

 少年は瞳を閉じて、眠りに落ちる。

 

 

 

 

 

 

 

 失血で気を失った少年の脳裏に、安倍晴明は囁きかける。

 

『未来が見えると言っただろう? だから、(なれ)が必要だった』

 

『一年後、この街に数え切れないほどの妖怪が現れる。

 今の土蜘蛛のようなものが、それこそ山のように現れ、人の世を乱す』

 

『Wikipediaに単独記事すらない分際でイキってる雑魚妖怪がね。

 あ、ちなみに(やつかれ)はあるよ。めっちゃある。イケメンの天才なので』

 

『危機に晒される者の数は実に28万。

 今のままだと最良でも、二日で死者1200以上、拐われる者は400を超える』

 

『最悪の未来の場合は……もっと沢山だ。ちょっと数え切れなかった』

 

『百鬼夜行だよ、源氏の(すえ)(なれ)のルールは……この悪を見過ごせるかな?』

 

 本当の戦いは、ここから始まる。

 

 

 

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